心理学

2018年02月05日

ようやく…

やっと風邪の症状が落ち着いてきました。

まだスッキリというほどではありませんが
熱や節々の痛みはなくなったようです。

残っているのは主に喉でしょうか。
ときどき咳き込むことがあります。

カサカサとした感じの、むせるような咳ですので
出そうになると抑えられず、そこが厄介なところ。
人と接する上では相手に迷惑をかけてしまいます。

それから喉をかばうように呼吸をするため
自然と呼吸が浅くなっているのも実感されます。

スッキリしない理由の1つもそれでしょう。


それにしても療養のためとはいえ、
何もしないで大人しく寝ているというのも苦しいものですね。

動かないことで体が固まってきたり
首に負荷がかかってきたりしました。

肩こりや首のコリから頭痛が出てきたりもしましたし。
(おそらく風邪の症状の頭痛とは別物です。質が違います。)

ただ横になっているだけでも症状の質の変化が感じられました。
色々な免疫の働きが動いていたんでしょう。

薬は抗生物質以外、症状を抑えるものばかりでしたから
回復に必要だったのは自然治癒力だとは思います。

途中にセミナーの仕事が入ったりすれば
回復に回せるエネルギーも減ったりするものなんでしょうか。

少し負荷をかけると風邪がぶり返す、といったことが続きました。


中でも意外と回復に実感があったのが病院です。

地元の内科医に行きました。

実は僕の印象として、ここは隠れた名医ではないかと睨んでいます。

たしかにネットの口コミ評価でも好評ではあります。
親切な感じですし、ちゃんと患者を見てくれます。

念のためとしての検査も根拠の説明とともに多めに行います。
その分、診察料は高いのかもしれませんが…。

でも僕が「名医」だと評価しているのは
そういった診断についてのことととか、
患者との言語的なコミュニケーションの話ではありません。

『この病院に行くと体が楽になる』という部分です。

薬をもらう前の段階から楽になるんです。

待合室は他の病院とも似た感じで、辛気臭い雰囲気はありますが
診察室の中は様子が違います。

これが会話で安心することによって起きるんだとしたら
コミュニケーションを通じた心理的な影響でしょう。

しかし言語的に共感するようなことは決して多くなく
むしろ素人には分からないような詳しい情報提供が多かったりします。

ですから、声のトーンや穏やかそうな人柄に安心する、など
非言語コミュニケーションの部分のほうが大きそうです。

そして推測ですが、
この先生は気功か何かをやっているんじゃないか?と。

医者としては西洋医学ですが、
東洋医学が好きそうな顔をしています。

以前などはインフルエンザが大流行の中、
医者本人がマスクをしていないことさえありました。

毎日多数の患者を相手にしながら風邪をもらわない。
それだけの健康度を維持する何かをしているのでは?と思えるんです。

そして診察が終わると患者である僕の体が楽になります。
分からない形で気功とかをやっている可能性もありそうだな、という話。

そういう意味で少し不思議な病院です。

何より、多少面倒くさくても、行ってみようという気になれるだけで
かかりつけの内科医としては重要な基準をクリアしているはずですし。

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2018年01月07日

寒さの影響で

先日、足元が冷える環境で打ち合わせをしていたとき
足先を温めるために、行儀悪く椅子の上で
あぐらを組んだり、片足だけお尻の下に敷いたりして
足を挟み込みながら座っていました。

腿の裏とか、お尻と椅子の間とかで
冷たくなった足先に熱を伝えていたわけです。

ずっと同じ姿勢をキープしていたわけではないですが、
合計で4時間ぐらいの打ち合わせだったので
結構な時間を変な座り方で過ごしたことになります。

あぐらのように膝を曲げて捻った状態を、冷える中で
長く続けたのが良くなかったのでしょうか。

その日の夜から膝が痛くなってきました。

特に膝を曲げた状態で力を入れるときが厄介で
階段の上り下りに痛みがありました。

で、突っ張っている部分を探しながら
マッサージやストレッチをして
痛みが減ることを試してみたんです。


すると、次の日の日中までは残っていた痛みも
夜ぐらいから楽になってきました。

実際、このタイプの膝の痛みは馴染みがあって、
長く歩いた時とか、重い荷物を長時間運んだ後とか、
そういう風に下半身に負荷がかかったときに
体験していた種類のものです。

以前はそういう痛みが出ると数日は続いて
階段の上り下りを中心に負担が出ていたものなんですが、
今回は1日経たずに収まったのでチョット驚きでもありました。

自分なりのケアがどれだけ効果を発揮したかは分かりません。

実感としては、むしろ、下半身のトレーニング効果のほうが
大きかったのではないかと思います。

半年以上続けてきたジムでの足腰のトレーニングが
筋力として負荷に耐えやすくしてくれたのか、と。

回復もしやすくなっているかもしれませんし、
ハリがほぐれやすい状態なのかもしれません。

地道に続けた効果は意外なところで
実感できるものかと感じました。


と同時に、普段と違う状況で無理をかけたり
不自然な姿勢をしたり、かばったりするのが
思いの外、悪影響を及ぼすのも痛感しました。

負荷に耐えやすい身体を心がけることと、
余分な負荷をかけないように労わることの両方が
大事なんでしょう。

これは心についても似たことが言えそうです。

トレーニングの側面とケアの側面。
それによってスムーズな状態に戻っていく。

自分を大事にするやり方も一面的ではないようです。

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2018年01月04日

2018仕事始め

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

今年の年賀状はこんな感じにしてみました。

2018戌













2018犬













そして今日が2018年仕事始め。

NLP関連の内容で指導した形です。

色々とお手伝いすることが出てきていますが
いずれも充実した形になってくれることを強く願っています。

cozyharada at 23:37|Permalinkclip!

2017年12月31日

年の瀬

2017年もお世話になりました。

NLPを始めたのが2005年の秋だったので
干支にして丸一周分の期間が経ったことになります。

また会社を辞めてフリーになったのが2007年の5月でしたから
今年で丸10年、セミナー関連の仕事をしてきたことになります。

思えば、会社を辞めた直後、ビックカメラで
Suicaのオートチャージ付きのポイントカードを作ろうとして
審査が通らなかったことがありました。

会社の後ろ盾が世間的にどれだけ有効なのか思い知ったと同時に
フリーランスの信用の無さを少し実感したときでもありました。

それが今年、昨年から海外に行く機会が出てきたことで
マイルを貯めようと思い始めたとき、
無事にクレジットカードの審査を通ることができたのは
それなりに維持してきた実績なのかとも感じたものです。

個人的には、そういう安定性に関しては興味もありませんし、
むしろ安泰な将来が期待できる職種を信じていないほうだと思いますが、
単純に過去の嫌な思い出として
「もしかしたら審査に通らないかも…」
と心配な気持ちが沸いたのも事実です。

振り返ると、それなりにやってきたのだなぁと懐かしさも感じます。

内面的にも追い求めていた感じに一区切りがついて
気持ち的にはノンビリとしたスタンスで
予測不可能な未来を待てるようになった気がします。

予想もしていなかった展開があったりするのも、なかなか面白いものですね。

2018年に何が起きるのかは見当もつきませんし、
とりたてて何かの目標があるわけでもありませんが、
なんだかバタバタとスケジュールは立て込み始めています。

合間をぬって、語学ぐらいは続けるつもりです。
せっかくなのでロシア語は文法を中心に勉強を続けて、
フランス語は流暢さを上げるためのトレーニングを、
気が向いたらスペイン語も復習してみたい気もします。

おぼろげには、場所としての活動の範囲が広がったら楽しそうだなぁ
とは思い描いているところですので。

語学の勉強会なんかもやってみようかと思ったりしています。

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2017年12月22日

お面が怖い

好き嫌いの大部分は、慣れによるところが大きいと考えられます。

食べ物の好みなどは典型的です。
多くの場合、子供の頃から慣れ親しんだ味を求めますし、
逆に初めは嫌だったものでも慣れていくと
美味しく感じてきたりもします。

寝るときの部屋の明るさや、落ち着く環境なんかも
幼少期からの慣れによる部分が大きいでしょう。

例えばザワザワした話し声があるほうが集中できるとか
音楽をかけながらのほうが集中しやすいとか
完全に静かじゃないとダメだとか。

寝るときに部屋の明かりを完全に消すのか、
薄明りぐらいを残しておくのかは、
育った環境の名残りが特に表れがちではないでしょうか。

僕の実家は豆電球(?小さい白熱電球)をつけていました。
ずっとそれが当たり前だと思っていましたが
完全に暗くする人がいるというのも大人になって知りました。

僕は今でも少しは光が入ってくる状況で寝るのが習慣になっています。

その分、明るくても寝られます。
真っ暗でも寝られはしますが、なんとなく心配な感じもしてしまいます。

出張でホテルに泊まるときもフットライトをつけておいたりして
完全な暗闇ではないようにしているのは、大部分が習慣のせいでしょう。

真っ暗だと次の日に起きられるか心配でもありますし。
(暗い方が眠りが深いという意味かもしれませんが)


一方、五感レベルの体験の仕方においても
刺激に対する好みが分かれる場合があります。

これは慣れのように学習されたものというよりも、
生き物としての身体のリズムのように生得的に近いものや、
意識の配分の仕方のように幼少期から変わりにくい癖のようなものが
影響していると考えられます。

例えば話すスピードとか、動作のスピードなど
その人にとって自然なリズムがありますが、
環境にそれとは違ったリズムの音があれば違和感が出やすいようです。

リズムを感じないランダムな音であれば気にならないのに、
一定の周期で鳴る音の場合には妙に気になってしまう、とか。
特にテンポの速さは影響する気がします。

換気扇の音や洗濯機の音、電車の騒音は気にならないけれど
他人のキーボード入力の音や、道路工事の音は気になったり。

僕の場合、建築関係だと、機械の騒音は比較的大丈夫ながら
大工さんが金槌で釘を打つ音は苦手です。
自分とのリズムの違いが際立ってしまうからだと思われます。

またリズムは振動や揺れとしても影響します。

電車や飛行機の揺れがあっても気にせずにパソコンを使える人もいれば
揺れによって全く集中できないなんて人もいるようです。

僕は電車でも新幹線でもパソコン作業の効率は落ちます。
飛行機は比較的大丈夫なんですが。

貧乏ゆすりをしている人がいると、自分のリズムと大きく違うので
物凄く邪魔されたような感じがしてしまいます。

電車で隣の席の人と肩がくっついていると
呼吸のリズムの違いが感じられてしまうので、これも苦手です。

こういった生き物としてのリズムの違いや
五感レベルの刺激に対する反応性などは、
もしかすると色やデザインのパターンについての好みなどにも
関係しているのかもしれません。


それから、上記の2つでも説明がつかないような
「なぜかよくわからないけれど苦手なもの/好きなもの」
というのもあるようです。

僕はなぜか小さい頃から、お面が苦手でした。
お祭りで売っているようなプラスチックのもの(仮面ライダーとか)
なら全く気になりません。

木製や金属製のものが苦手です。
今もです。

金属製のものは兜とか「仮面」に近い捉え方になって
これはこれで怖さを感じるんですが、木製のお面にはもう
1つ別の要素が加わっていることに最近気づきました。

それは「土着」の文化の雰囲気です。

とりわけアジアとか、高温多湿で
植物がグチャグチャに絡み合いながら繁殖している地域に見られがちな
自然と神や悪魔を結びつけた感じの信仰。

あの雰囲気そのものが少し怖いみたいです。

それが東南アジアなどでは、お面に表れている感じがして
余計に怖さを増加させているんだと発見しました。

歴史的な知識もありませんし、
文化や社会の側面から意見を持っているわけでもありません。

ただもう見た目として目に焼き付いて離れない怖さだけがあります。

理由はさっぱり分からないんですが
なぜかよくわからない好みというのもあるんでしょう。

どれだけ頑張って人の心を説明しようとしても
理解できないところもあるものなのかもしれません。

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2017年12月16日

お気に入り映画

毎年恒例だった年末年始のDVD視聴期間。
今年は残念ながら事情が変わってしまいました。

スケジュール的なことも関係しますが、何よりも大きいのは
見るためのDVDシリーズが見つかっていない、ということです。

これまではDVDボックスの発売時期も合わせて
「ザ・メンタリスト」の最新シリーズを購入して、
それを一気に見ることをしていました。

しかし、それも終了。
ファイナルシーズンとして完結してしまい、
今年は見るものがなくなってしまった感じなんです。

評判のものを見てみるのも良いのかもしれませんが…。

まずはどれを見たいと思えるか、
一巻目を色々と見比べる必要が出てきてしまいそうなところ。

そうやって一巻目を一通り見ているうちに、
DVDをまとめて見られる時期が終わってしまうかもしれません。

ということで今のところ、まだDVDシリーズを見てはいないんです。


反面、DVDを探しに行ったときに、一般的な映画のDVDをレンタルして
結局はシリーズものではなく、話題作をチェックしているような状態。

そんな中で印象に残ったものを1つ書いておこうと思います。

『素晴らしきかな、人生』というタイトルの映画。
ウィル・スミス主演です。

素晴らしきかな、人生 [Blu-ray]
ウィル・スミス
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2017-12-16




幼い娘を病気で失った主人公が
悲嘆から立ち直っていく様子を描いたもの。

その過程に関わってくるのがチョット不思議な3人の役者。

自暴自棄の演技をさせたらウィル・スミスは絶品ですね。

ネット上のレビューなんかだと評価はイマイチですが、その違いは
 ストーリーと登場人物の心情をどれぐらい理解しているか、
そして
 そこにどれぐらい感情移入できるか、
という部分に関係しそうです。

実感として知らなければピンとこない部分もあるのかもしれません。

僕はこれを偶然、今年の5月、アメリカ行きの飛行機の中で見て、
とても印象に残っていたので見直してみた次第。

4本借りるとお得になるシステムの数合わせ、最後の4
一度見た映画ではあったけれど見直してみたわけです。

ストーリーを知っているから、どんでん返し的な面白さは減ります。
一方で、気づかなかった伏線が理解できたり、
主人公だけを描かずに重要な登場人物の人生をも描いていたり、
味わいの深さをより実感できた気がします。


ただ、翻訳の難しさがあるのも実情でしょう。

原題は「Collateral Beauty」です。
(コラテラル・ビューティー)

これが「素晴らしきかな、人生」という邦題に変わり、
劇中でもセリフの中に何度か登場する「collateral beauty」が
「幸せのオマケ」と訳されているんです。

確かにこの翻訳は厄介です。

「collateral」は辞書だと
「付帯的な、二次的な」、「直系でない、傍系の」
などと出てきます。

Cambridge Dictionaryでは
「connected but less important, or
 of the same family although not directly related」
となっています。

「そのものに結びついているけれど、そのものよりも重要度が低い
  あるいは
 直接関係してはいないけれど同族の」
といった意味でしょうか。

前半部分が「付帯的な、二次的な」の意味で、
後半部分が「直系でない、傍系の」のほうでしょう。

ここでは前半の意味、つまり
「メインではないけれど、それに伴って起こる」
というニュアンスだと考えられます。

映画中で「collateral beauty」という単語が表れるのは
娘を失ったことへの言葉がけとして、です。

大切な人を失った喪失の悲嘆。
しかし、そこに「collateral」な「beauty」がある、と。

喪失の悲嘆には、伴って起こる「beauty」があるんだ、というわけです。

もちろんそこでのメインは悲嘆の苦しみです。
それを上回って打ち消すような性質のものではない。

あくまで付随的で、
別に「それがあるから絶対に大丈夫なんだ」と言い聞かせるような
気休めの表現でもありません。

苦しみがメインです、
でもそこには「beauty」が伴っていますよ…
といった意味合いで、
「collateral beauty」なんだと思います。


まぁ、その意味では「オマケ」というのは分からなくもない。
でも日本語でいう「オマケ」は、重要度の比率が低すぎる気がします。

例えば、
 3000円分の野菜を買ったときに、”オマケ”で
 ミカンを3つつけてくれる…
みたいなイメージじゃないかと思うんです。

僕の認識だとメインの10%以下ぐらいが「オマケ」か、と。

(※子供向けの「オマケ付きお菓子」は
  お菓子のほうがオマケみたいな位置づけになっていますが
  あれは「オマケ」を口実に、玩具売り場ではなくて
  食品売り場でオモチャを売ろうというビジネス戦術でしょう)

それに対して「collateral」は、もっと比率が大きい感じがします。

メインと同じ規模までは行かないけれど、
70%ぐらいはありそうな印象。

ですから「幸せの”オマケ”」と言ってしまうと
重要度が低すぎる気がするんです。
そんなに軽いものじゃないだろう、と。


そして「beauty」を「幸せ」と訳すのは
もっと意味が違います。

もちろん「美」そのものではない。
「素晴らしさ」ぐらいの感じでしょうか。

光り輝き、色鮮やかな雰囲気です。

これを「幸せ」と訳してしまうのは、
翻訳の文字数制限もあるでしょうが、それ以上に
 「collateral beauty」を実感したことがない人が訳したから
というのが大きい気がします。

苦しみの先には、苦しみを知るからこそ見えてくる
この世の素晴らしさ、彩り、豊かさ、輝きがあるんです。

それは文字通り、
「目に入るものが鮮やかで美しく、瑞々しく見える」
体験になることもあるようです。

別に幸せなわけではありません。
純粋な感動です。
命の喜びです。

でも、これは個人の価値観が満たされるような「幸せ」とは違います。

喪失の苦しみを体験している人にとっては
そんなことぐらいで「幸せ」になんてなれません。
大切なものを失った悲しみは残るでしょう。

ただし、それと並行して、
悲しみとは別の性質のものとして
純粋で大きな喜びが味わえる。

そういう感じが「collateral beauty」のはずです。


「苦しみを知るからこその喜び・味わい・人生の美しさ」
「苦しみの奥の喜び・輝き」
ぐらいの感じかと思います。

字幕上の文字数制限を考慮して無理やり工夫するなら
「幸せのオマケ」で6文字ですから
「苦悩の隣の光」とかでしょうか。

それでも「collateral beauty」のニュアンスは出ていないと感じます。

出来事の流れとして言うと、
時間的には「苦しみの先」、心の内側では「苦しみの奥」に
人生の輝きをもたらしてくれるものがある感じです。

が、「collateral beauty」というセリフを言う人物の心情からすると
そこには「先」というほどの距離感はなくて、
「奥」とか「裏」というほどの見つけにくさもなくて、むしろ
「すぐ隣」にくっついているような気軽さもあるんです。

とはいえ「オマケ」というほど軽々しいものでもない。

そしてその体験は「幸せ」などでは決してなく、その意味では
邦題の「素晴らしきかな、人生」のほうが近そうですが、
だからといって「人生の素晴らしさ」を説明しているのでもありません。

雰囲気としては…。

 苦しい時こそ、苦しみから目を背けずに
 しっかりと苦しみを見つめてごらん。
 すぐそばに、思いもしなかったような美しい味わいがあるから。

そんな気軽さと本質を両立させた一言なんだと思います。


そのあたりのニュアンスを思いながら映画を見てみると
さまざまな面で、見事に描かれたものが感じられる気がします。

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2017年12月06日

振り返りのタイミング

年末が近づくと一年を振り返ることが増えてくるようです。

自分から振り返りたくなるときもあれば
他人から質問される形で振り返るときもあります。

ですが僕の場合、どうも社会的な出来事について関心が低いのか、
個人的な体験と比べると自分にとっての重要度が低いのか、
「今年印象に残ったニュースは何?」などと尋ねられても
2017年に何があったのかを思い出すことも困難です。

それと比べると、自分が今年何をしたかはスムーズに思い出されます。
自分にとってインパクトの大きかったものは特にそうです。

その意味では、今年は僕にとって
少し節目のタイミングだったような気がしてきました。

これまでの流れが一区切りついて
新しいことが始まったような印象です。

NLPを始めて丸12年が経ちましたし。
干支も一周したせいで、そんな風に感じるのでしょうか。

実際、ロシア語やジム通いなど、
新しく始めた小さいものも色々とあります。

それらが直接の「新しいこと」というわけではなく
むしろ新しい動きの一部といったことなのではないかと感じています。


今やっていることが先々でどうなっていくのかは知る由もありませんし、
もちろん、これまでのことをやめるという話でもありません。

それでも「これまでの直接的な延長線上のまま」というよりも、
「今までにないことを始めた」といった雰囲気のようなんです。

語学として新しいものを身につけていく実感や
身体を動かすことで健康度やパフォーマンスが上がる実感など、
実りのありそうなことをやれるのは意外と楽しいものですし。

もっと本格的に努力をしたい気持ちもある一方で、
必要性がないために、それもイマイチ踏み出せていません。

動き始めでフラフラしているような状態なのかもしれません。

焦りはないので、どんなことが起きるのか、
どんな気持ちが自分の中に湧いてくるのか、
自分は何をしたくなるのか…、
そういったところまで幅広く含めて
この先の展開を楽しみにしておきたいと思います。


まずは年末年始の期間で心身のリセットをしておくつもりです。

整体と運動のおかげで、体調を崩すことはなくて済むんじゃないか
と期待しているので、気分のリフレッシュが優先になりそうです。

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2017年12月03日

世のため人のため

先日、ある著名な仏教の僧侶の講演会に行ってみました。

医師をやっていた時期があるせいか
講演のスタイルはスライドを使ったプレゼンという感じ。

多くの学術的なデータを示しながら
「いかに瞑想やマインドフルネスが有効か」
を示す趣旨だったように思います。

もちろん、そのあとで実際に瞑想をする時間もありましたが。

そのうえで、生きる上での指針のようなものとして
思いやりや慈しみの重要性も説明していました。
瞑想はそれらを育む手段でもあるような位置づけだったと思います。

いずれにしても「幸せに生きるのに役立つもの」として
瞑想や思いやりを実践していきましょう、という位置づけなんでしょう。


本人は長く修行を積んできているそうですが、
こうした教えの内容を本人がどのように捉えているのかは
聴いているだけでは分かりませんでした。

もしかすると教えていることは一般向けに分かりやすいものだけにして
自分でやっていることは違う可能性もあります。

西洋的な価値基準が一般的になっている社会で
仏教的な内容を伝えようとすると、受け入れてもらうための工夫として
一般的な発想に合わせる形でアピールするのが必要なのではないか、と。

実際の中心的な教えとは異なる部分もあるけれど
多くの人に伝わりやすくするために、あえて入門的なものとして
本来とは違った角度を追加しているかもしれない、ということです。

その顕著な特徴が「役に立つ」という部分。

集中力が上がるとか、仕事の成果が上がるとか、
鬱が回復するとか、病気になりにくいとか、幸福度が上がるとか…。

そういう現実的な『メリット』を強調することで
瞑想に取り組むモチベーションを高める伝え方をしていました。

そういう理由がないと現代社会の人は実践しないでしょう。
興味すら持ってもらえないことが多いと思われます。

また、そうした現実的なメリットの部分を強調しておけば
瞑想やマインドフルネスが『方法』として有効だという話になって
その奥にある教えの部分まで取り入れる必要性は見えなくなります。

大げさに言えば、例えばキリスト教が主流のアメリカ社会だと
仏教として教えを広めようとしたら宗教的な話が避けられないでしょう。

それが瞑想やマインドフルネスという手法の話になれば
信念の部分はそのままにしておくことも可能です。

受け入れてもらいやすいと考えられます。


角度を変えて言えば、それだけ
 瞑想やマインドフルネスを広めようとしている
という意図があるとも考えられそうです。

実践すれば本人にとってメリットがある。
幸せになったり、楽になったり、人間関係が良くなったり。

と同時に、それで気づきと思いやりが育まれれば
社会全体にも影響が出るだろう。

そういう話は実際に出ていました。

世の中を変えたいようではあったんです。
だから講演活動にも積極的なのだろうとは窺えます。

現実的なメリットをアピールして動機づけることで
瞑想やマインドフルネスに取り組んでもらって
本人や社会が幸せで思いやりのあるものになってもらいたい…
といった趣旨があるのかもしれません。

実用的な視点があるように感じました。

僕には社会を変えたい想いはありませんが
こういう人たちが活動していることもまた
世の中にとって自然な動きなのだろうと思います。

なんとも色々と考えさせられる機会でした。

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2017年11月27日

疲労の種類

ここ数日、小忙しい状態が続いていました。

セミナーのようにまとまった予定ではなく、
頭脳労働や移動が多い感じで、こまごまと時間を気にしながら
電車のなかでも作業を続けるような種類の慌ただしさ。

僕はどうも、頭脳労働そのものは嫌いではないようで
忙しくなっても、それなりにスムーズに進めることはできる感じです。

が、時間的な制約が多くなることと、
空いた時間は睡眠に充てないとパフォーマンスが落ちることから、
ブログを書くとかメールの返信をするとか
本来は腰が重くないはずの作業に取り掛かれない感じでした。

逆に、セミナーが重なって忙しいような時期だと
空き時間にパソコンに向かうのは、むしろ気分転換になるというか
うまく時間を使える印象になるんですけれど。

頭脳労働の合間に別の頭脳労働を挟むのは
なんだか内面的な負担が重なるようです。


また肉体的にもセミナーとは違った負担がかかるみたいです。

1つは姿勢。
人と会う頻度が多くなると、ペーシングが癖づいているせいか
普段の自分とは違う姿勢を取っている時間が長くなるようです。

首の位置や腰の状態など、負荷が大きくかかった実感があります。

これがペーシングのせいだろうと判断できるのは、なんのことはなく、
自宅に帰ってくるとすぐに体が楽になるからです。

一人の状態になると姿勢が元に戻るんでしょう。

とはいえ、無理をかけた姿勢を長時間続けた後は
肉体疲労として負荷が蓄積しているようなので
そこをほぐすための時間も必要になりました。

頭脳労働が重なったときの肉体的負担のもう1つは
自分ひとりで作業しているときにも起こるものですが、
パソコン作業の時間が続くことによる不調です。

画面を見続けるために目が疲れたり、
キーボード入力が続いて腕、肩、首が固まったり。

そして考えるスピードを上げた状態が長引くために
睡眠と覚醒のサイクルが狂いがちになります。

寝ようと思っても眠れなかったり、眠っても睡眠が浅かったり、
逆に強烈な睡魔に襲われて短時間だけ眠ってしまったり。

運悪く、住宅の解体工事が近所で行われているので
睡眠事情は随分と無理がかかった感じがします。


こういう状態と比べると、
セミナーのスケジュールがタイトなときの肉体疲労とは
随分異なっていることを実感します。

頭脳労働が慌ただしい感じは嫌いではありませんし、
セミナーの日程が詰まっているのも悪い気分ではありませんが、
いずれにしても、どれか一方だけがずっと続くのは
かなり無理なことなんだろうと思います。

ほどよく交互に違った種類の忙しさがあったり、
その間に忙しくない時期があったり、
ランダムにメリハリが効いているぐらいが
心身のバランスにとっては望ましいのかもしれません。

そう考えると、研究職時代の単調な繰り返しは
負担の大きいものだったんだろうと思われます。

より正確には、無理のかかった状態を続けることで
常にパフォーマンスの低い状態を保っていただけ
ということなんでしょう。

毎日長時間、研究所で過ごしてはいたけれど
今と比べたら効率の悪いものだったんだろうと感じます。

僕の生活スタイルは社会一般でいえば平均的ではないでしょうが
不規則さゆえに短期間のパフォーマンスを上げやすい
といった性質もあるような気がしてきました。

その分、体が資本という度合いも大きそうなので
身体のケアは怠らないようにしたいものです。

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2017年11月23日

街並みの変化

また近所で家の建て替え工事が始まりました。
同時に二軒です。

1つは以前に古い家を壊して空き地になっていたところに
基礎工事が始まったところ。

もう1つは、古い家を建て替えるらしく
現在、解体作業中です。

解体の騒音と振動はスゴイですね。
朝から夕方までずっと続きます。

特に午前中にデスクワークをすることが多い僕にとって
朝の早い時間から始まる解体作業は厄介です。

最近、鼻炎気味なのも解体に伴う化学物質やホコリへの
アレルギー反応なんじゃないか?という気もします。


江戸時代の宿場町だった地域の名残があるらしく
狭い路地で隔たられただけで家が密集していますし、
古い区画のままで昭和の時代の家が残っているあたりですから
時期が来れば改修が行われるのは当然ともいえそうです。

これまでに近所で何度も建て替えや取り壊しがあって
ここ3年ぐらいは平均で年3回ぐらいは建築工事をしています。

時期が重なるものなんでしょうか。

いずれも立て直しのたびに家のサイズが縮小するばかりか
前の道路から離れるように建設されているので
古い法律の時点か、あるいは規制の弱い時期に建てたものなんでしょう。

そういう家が同時期に作られていたとすると
耐久年数とかを考慮しても、再び同時期に建て替えになるのも
やはり自然な流れなのかもしれません。

おそらく住民の高齢化に伴う転居や、
家族構成で世代交代が起こることでも
建て替えが起きやすいのだろうと想像しています。

裏を返すと、それだけ似たような年代の人たちが
近い時期に一気に移り住み、長く家を保ちながら
同じようなサイクルを続けてきたとも考えられそうです。


実家のあたりでは、こんなにも頻繁に建て替えを目にしませんから
地域ごとの差は大きそうです。

実家の近所は元々、いくつもの分家がある大地主が3つぐらいあって
そこが持っていた農地を切り売りしながら住宅地として
開発が進んでいった地域だそうです。

農地が減って家が建ち、分譲住宅に若い家族が移り住んでくる。
そんなことが繰り返されていたようで、
住民の年齢構成は結構バラバラだった記憶があります。

土地の歴史が、その地域の様子にも反映されるんでしょうね。

引越し当初は、古い家が残るけれど静かで良さそうだ、
と思っていたんですが…。

賑やかさとは別の騒音が頻繁にするところでした。
見立てが甘かったようです。

とはいえ、話し声が騒音になるのは思考を邪魔されるので
それと比べれば家を取り壊す騒音ぐらい問題ではありませんが。

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おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《心を調える実践会》

【日時】 
  2017年12月23日(土)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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