心理学

2019年11月19日

見覚えのある顔

最近は単調な日々が続いているのか、
自分の中で思うことが減っているのか、
ブログを書く内容が頭に上がってきません。

いつの間にか季節は冬に近づいているようです。

そんな中、先日、ジムで気になることがありました。


1,2か月ぐらい前には、なんだかやたらと夜の時間が混雑して
同じような新しい顔ぶれが集まることが多かったんですが、
最近はまた混雑が落ち着いて人が減ってきました。

夜が寒くなったせいで来なくなったのか、
その時間を避ける人が出始めたのか、
あるいは新しい顔ぶれは既に退会したのか…。

体験入会があるジムではなさそうですが
最初の月ぐらいは価格が安かったりはするみたいなので
出入りは激しいのかもしれません。

もしかすると単純に、本人の中でブームが去って
会費を払いながらジムに来ていないだけかもしれませんが。


で、1、2週間ぐらい前から、また新しい顔を見るようになりました。

その一人が大柄なアフリカ系アメリカ人なんです。
坊主頭で、ボブ・サップほどの体格ではないものの
アメフトとかやっていそうな感じの人です。

この人が、すごく見覚えあるんです。

多分、高確率で、英会話学校の先生だと思います。
僕が一番最初に通った英会話学校のベルリッツで
何回かレッスンを担当した先生じゃないか、と。

名前も朧気に記憶しています。

最寄り駅前のベルリッツでしたから
講師が近所に住んでいる場合、僕と街中で遭遇する可能性はあります。

ただし、僕がベルリッツに通っていたのは2010年の夏。
もう9年前です。

身長はおそらく、あれぐらいだった気がします。
一方、体格はあそこまで大きくはなかった…。

まぁ、10年近く経てば、肉がつくことはあるでしょう。
だからこそジムに来始めたのかもしれませんし。

顔は多分、あんな感じだったはず。
ところがチョット自信がないんです。

ハリウッド映画なんかだと、日本人役を
中国人やアジア系アメリカ人が演じていたりするじゃないですか。

アメリカ人からすると見慣れない東アジア人の顔は似て見えてしまう。
区別をつけられるほど見ている経験の量がないんです。

犬も同じです。
同じ犬種で名前を呼び分けられるのは見慣れている人に限られます。

同様に、僕からするとアフリカ系の顔立ちは見慣れていません。
しかも当時は特に、英語を勉強し始めたところで
海外出身の人と接する機会も少なかった時期です。

おんなじ感じに見えてしまっていたかもしれません。

たぶん、あの先生だとは思うんですが…。
イマイチ自信が持てないんです。


思い切って話しかけてしまう手もあるでしょう。

しかしながら、24時間営業のジムで話をしている人は少ない。
一人で黙々と運動するために来ている人たちの集まりです。
そもそも話しかけるのが適切かどうか不明です。

実際、ジムにいるその人は常にイヤホンをしています。

それに、その人が僕を覚えていない可能性もあります。
10年近く前の英会話学校の生徒の一人です。

講師をしていれば多くの日本人と出会いますから
一人ひとりを覚えていない可能性も高いでしょう。
そんなに回数が多かったわけでもありません。

回数が多くなかったのに、なぜ僕が覚えているのか?
こんなにも気になっているのか?

それは当時の僕にとって、その先生のレッスンが合わなかったからです。

ベルリッツは基本的に先生を選べません。
時間だけ予約して、誰が担当になるかは当日に分かる仕組みでした。

ただ、よほどの場合、どの先生を充てるかを
事務の人に工夫はしてもらえました。

それで僕は、唯一、その先生だけ
レッスンから外してもらうようにお願いしていたんです。

今なら対応できるでしょうが、本当に英会話学校に通い始めたばかりでは
あの先生のレッスンスタイルは効果が感じられませんでした。

しかもベルリッツの授業料は、なかなか高額ですから。
せっかくなら納得できる授業数を重ねたかったのを覚えています。

僕がその先生を拒んだことが当人に伝わっているかは知りません。
伝わっていなかったとしても、薄々は分かるでしょう。
担当するレッスン数が変わると思います。


仮に、そのジムに来ているアフリカ系アメリカ人の大柄な人が
ベルリッツで何度かレッスンを受けていた先生だったとして…。

お互いに仲良く話すほどの間柄ではありませんし、
向こうが覚えていない可能性もありますし、むしろ覚えていたとしたら
良くない印象で覚えている場合も十分にあり得ます。

実際に僕だって、当時のベルリッツで出会った先生のうち
顔と名前を認識できるのは多分、数人です。

十数人の講師の中から2,3人なんです。
そのうち2人は高頻度だった先生。

何度かしかレッスンを受けていないのに覚えているのは
「レッスンが合わなくて断ってしまった」という
ちょっとした気まずさからです。

ネガティブな感情が記憶を強めたんでしょう。

なので、お互いに覚えている可能性があるとしたら
それはあまり良い意味ではないんじゃないか、と。

だとするとジムにいるその人が、あのベルリッツの先生だったとして
話しかけるのは避けておいたほうが無難かもしれない。

そんなことを思いながら、彼の存在を意識しつつ運動しています。

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2019年11月08日

東京にいながら

今年の慌ただしさのピークは過ぎたような感じです。

10月末から11月の初めにかけて約一週間、
アメリカから招聘した先生のワークショップを手伝う機会がありました。

同じ内容の講座は過去にも開催していたため
事前準備として多くのことがあったわけではありません。

先生とも既に顔見知りでしたし、その点では気楽だったともいえます。

が、セミナーの開始時間が朝の9時などと早めだったうえに
会場がお台場だったこともあって、朝のスタートが早かったんです。

なので初めて、都内にホテルをとることになりました。

自宅から片道1時間ぐらいの場所とはいえ、
往復時間として毎日2時間が節約できるのは意外と大きかったです。

先生の接待で夕飯に同行したりもありましたから
睡眠時間を確保できたのは助かりました。


僕の仕事はワークショップ中に先生がホワイトボードに書いた内容を
その場で日本語に直して提示する担当。

通訳の方が口頭の作業に専念できるように、ということです。

あとは先生の送迎。

タクシーに同行するだけですが、
日本語が話せない先生を一人でタクシーに乗せるわけにもいきませんし、
支払いのことなんかも考えると送迎係は必要だったんでしょう。

おかげさまで僕自身は、先生と話す時間を多めにいただけました。

しかしながら、自分の興味で質問をしては先生に負担をかけそうですから
なるべく無難な話をしつつ、かつ先生が関心を持ちそうな
日本文化の話あたりに終始する、というのは意外と気を遣いました。

世界各国で講座をしているせいか、文化の違いにも興味があるようで
日本文化的な配慮についても実感ができる様子だったのも印象的です。

すべてを言葉にすることなく、行為や言葉の裏に込められた
相手への気配りや敬意を汲み取り、
それに対して同様の気配りで意図を伝え返す。

ちょうど茶道をやっている人たちが
作法に込められた意図を丁寧に感じ取りあいながら
間接的にお互いの気持ちを交流する、というような感じでしょうか。

アメリカ人でありながら、そのあたりを味わえる先生のようでした。
世界中を見て回っているのもあるでしょうが、
それ以上に人の心を理解しようというスタンスが大きいと思われます。

接待で同行した天ぷら屋でも、他のお客さんの様子を見ながら
その関係性なんかを観察から見立てて話したりしていましたし。

とはいえ、心理学の知識に当てはめて
客観的に「分析」や「診断」をするのとは違います。

その人がやっている行動から気持ちを汲み取り、
その人の内面を「分かろうとする」という主観的なスタンスです。
わざわざ相手の立場に入っていって、共感をして、状況理解に繋げる。

大学の先生には珍しい、実践的な人なんだと思われます。
実際、教授になるまでの経緯も異端だったそうです。

学会や教授会からの評価を求めて論文を書いて地位を高めるのではなく、
実社会で役に立つ情報を書籍で広めたり、
学生や企業と直接のワークショップで交流して成長を促したりするうちに
人気が出てきたから大学側も教授にせざるを得なくなった…
そんなことがあったんだとか。

アカデミックな世界に身を置きながらも
あえてアカデミックな人たちのほうに背を向け、
学生や社会のほうに向いて人と関わってきた人物。

もちろん、自分の伝えている手法を誰よりも多く実践し、
自らの内面と向き合ってきたとも言っていました。

だからこそ意図的に人と関わることができて、
相手の気持ちを汲み取りながらメッセージを届けることもできるんでしょう。

僕が付き人的に気を遣っていた日本文化的な意図についても
かなりの部分を汲み取ってくれていたようでした。

それに対して直接的に言葉でコメントをしてくれることもありましたし、
それに応えるような意図を間接的な表現で示してくれることもありました。

お互いに気を遣っていて、自覚的なコミュニケーションがなされていて、
それは漫然と気軽に過ごすタイプの時間ではありませんでしたが、反面
丁寧に心を込めた時間だったともいえるかもしれません。

いろいろな意味で貴重な時間を過ごさせていただきました。


ちなみに時間的余裕があるはずの都内のホテル滞在でしたが、
自分がセミナーをやっているのとは質の違う疲労感が大きくて
のんびりした時間にはなりませんでした。

疲れて眠るだけ、といった感じ。

ある日には、急に「講座中に動画を見せたい」という話になって
その内容の書き起こしと翻訳をホテルでやったりもしました。

こちらに関しては結局、睡眠時間がむしろ削られてしまう形。

まぁ、自宅に戻っていたら終わらなかった作業でしょうから
ホテルを取っていて大正解、といったところですが。

普段だったら電車で通うような場所に泊っていることも含め
なんだか非日常的な時間だった印象です。

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2019年10月03日

ポイントが失効するまで

随分とブログを放ったらかしにしていました。
二週間ぶりぐらいでしょうか。

ですが、それ以上に久しぶりだったのが本屋です。
先日、新宿の大型書店で本を買いました。

以前は頻繁に通っていた、お気に入りの本屋。
そこは書店には珍しくポイントカードがあって
大量に本を買い込んでいた時期には、いくらかお得に利用できたんです。

しかもそちらには併設のカフェもあって、一定額以上を購入すると
そこで使えるコーヒー一杯無料券をサービスしてもらえました。
(多分、今でもあるんじゃないかと思いますが)

本をたくさん読んでいた頃の僕は、3,4冊をまとめ買いしては
そのままカフェに移動して、そちらで買った本を読む…
なんてパターンをよくしていたんです。

大型書店には喫茶店併設のことは意外とあるものですから
この「まとめ買い→もらったチケットでコーヒーを飲みつつ読書」
の行動パターンは、何軒かの本屋でやっていたものです。

ですが新宿のその書店は、店内の雰囲気がオシャレな感じだったり、
本の探しやすさ、中身をチェックするときの空間的余裕があったり、
大型の割りに人が少なめだったりと、
色々な点で他の書店よりも僕の好みに合っていたようなんです。

ですから僕の住まいには、そちらの書店のブックカバーがついた本とか
そちらの書店のビニール袋に入れて小分けにした物とか、
ヘビーユーザーだった痕跡が沢山あります。

当然、そちらで発行しているポイントカードには
それなりの額のポイント残高があったと記憶していました。


ところが先日、久しぶりにそちらの書店に足を運び、
三冊ぐらい本を買ってみて驚きました。

ポイントが全て失効していたんです。

随分と久しぶりの気がしていましたが、
どうやら年単位で行っていなかったみたいです。

こんなにも時間の経過が速いとは…。

そして、こんなにも長い間、本から離れていたとは…。


もちろん、本を全く読まなかったわけではありません。
たまにAmazonで購入したりはしていましたし、
洋書をKindleで読むことはありました。

それでも量は確実に減っています。

何より、読む本のジャンルが変わってしまっていますから
それで本屋に行く頻度も下がったんだろうと思います。

思い返せば、僕が最初に本を読むようになったのは
大学生の頃、心理読み物の本でした。

一般教養で精神分析の授業を取って、その教授が加藤諦三氏だったので
そこからその先生の本を読むようになりました。

応用化学科に在籍していた当時から、心のことは好きだったんでしょう。

キャンパス内にも教科書をメインで販売する大学生協の書店がありましたが
一般書も一部売られていたので、そこでも本を見ていた思い出があります。

大学院の頃だったか、今でこそ大人気の内藤誼人氏が最初の本を出版して
平積みになっていた本を立ち読みして、すぐに購入、
これも夢中で読んだ記憶があります。

おそらく僕が心理系の技術、コミュニケーションの”方法”というものに
興味を持ったのは、この本からだったはずです。

そして心理系・コミュニケーション系に興味を持ったまま
会社員になって、山口県に3年ほど住みます。

このとき、初めて尽くしのストレスが重なり、
気分転換に利用できる娯楽が本ぐらいしか見つからなかったため、
一気に本を読む量が増えました。

本当は運動でもすれば気分も発散できたのでしょうが、
鬱々とした時期は、意識が内攻的になる分
体を動かすよりも本を読みたくなっていたんだろうと思われます。

その後、転勤で東京に戻ってきて、なんとなく速読教室に通い始めます。
当時の動機は「英語の論文を早く読みたい」というものでした。
まだ研究を頑張るつもりでしたから。

このときが「お金を払って何かを勉強しに行く」初めての体験です。

小田急線で新宿に出て、JRで池袋に移動、
そこにあった速読教室に行っていました。

当然、道中には大型書店が数軒あります。

速読のトレーニングをしているわけですから
自分で買って本を読む「実践」の頻度も上がりました。

そのときにビジネス書や自己啓発書を読むようになったんです。


そして少しして、NLPの講座に参加しました。
割りと高額のセミナーに参加する決意ができたのは、それ以前に
速読教室で「お金を払って勉強する」下地を作っていたからでしょう。

そしてNLPを一気に一通り学び、あとは専門的な知識を得るために
NLP関連の本、心理学の本、心理療法の本、脳科学の本などを読み漁りました。

専門書が増えた時期です。

しかし、そういう専門書の購入量も数年前から減ってきていました。
良くいえば、ある程度は自分の中で理解がまとまってきた、ということでしょう。

専門家として自分の見解がまとまり、他の専門家を対等に見るようになった…
とも言えるかもしれません。

研究職時代に論文を読むのは、あくまで他の研究者の事情を把握して
世の中全体で得られている情報をシェアするためでした。

何かを教わろう、学び取ろう、という話ではありません。

そんな感じに似ていると思います。
他の専門家の見解や、新たに発見された科学的な裏付けを
情報としてチェックすることはあっても、
「専門家が書いた本から学ぶ」というスタンスは減ったみたいです。

自然と「インプットのための読書」をする機会は少なくなりました。
むしろ娯楽としての読書の側面が高まったかもしれません。

が、娯楽の頻度は決して高くありません。
本屋を離れるのも不思議ではないでしょう。


最近になっても購入することがあったのは語学関連の本。
これは「本から学ぶ」とか「読んで楽しむ」とかよりも
語学のトレーニングのための練習素材として、の趣旨が強いです。

あまり読書とは言えない気がします。
自習教材を買っているだけ。

そして自習教材となると、書店が全てではなくなります。
むしろ評判のいいものを手に入れるには、通販が都合が良かったり。

なので書店で本を買うことも減っていたんでしょう。

数年間もお気に入りの本屋で購入しなかったのも納得です。


買う本の種類によって
 どのように自分の興味の対象が移り変わっているか
を客観的に把握することも可能です。

同時に、書店の利用目的によっても
 自分の「本に対するスタンス」がどのように変わっているか
を振り返ることもできるようです。

本が密接に関わっていた過去があるからこそ
本との関わりを通じて振り返れる内容も大きいのかもしれません。

ちなみに先日久しぶりに買った本は、すべて仏教系のものでした。
そのあたりも自分の変遷を感じさせます。

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2019年08月17日

知らなかった音楽の世界

先日テレビを見ていたら、お笑い芸人で音楽もやっている
「こまつ」という人が、テレビゲーム「ドラゴンクエスト」について、
その音楽の素晴らしさを熱く語っていました。

作曲家の すぎやまこういち さんが凄すぎる!と。

とりわけファミコンにおけるドラゴンクエストシリーズの最後の作品
『ドラゴンクエスト検戮涼罎濃箸錣譴討い襦嵎冉鏤辧廚凄い、
とのことでした。


変拍子というのは、オーソドックスな
2拍子、3拍子、4拍子とは異なる拍のパターンのことだそうです。

ちなみに、3連符を組み合わせると、それぞれ
6拍子、9拍子、12拍子になりますが、
変拍子は3連符を使うタイプとは違うらしいです。

有名なのは「スパイ大作戦」のテーマ。
これが5拍子です。
(最近の「ミッションインポッシブルのテーマは
 アレンジが入って4拍子に変換されています。)


で、ドラゴンクエスト犬涼罎
モンスターと遭遇したときに流れる戦闘中の曲があるんですが、
ここに変拍子がやたらと使われている、と。

基本的に4拍子で進んでいて、
途中で9拍子や7拍子が移り変わりながら入り込んでくる。

曲中に変拍子が入れ替わりつつ入っているのに
不自然さが一切ないというのが凄いんだそうです。

どのぐらい自然かというと、当時の小学生が当たり前に口ずさめるぐらい。
曲のリズムとして完全にマッチしているわけです。

YouTubeで探してみると、いくつか動画も見つかりました。

まずは曲そのものを聞いていただくと良いかと思います。

ドラゴンクエスト犬鬚笋辰燭海箸里△訖佑覆蕾かしい音楽でしょう。
オーケストラバージョンで豪華ですが、こちらです。



開始から39秒までは4拍子で進みます。
ドラムの音や、低音の管楽器を聞いていると4拍子は掴みやすいと思います。

そして 0'40"〜0'58" の間に変拍子が登場します。
9/8, 9/8, 9/8, 2/4, 7/8, 7/8
というサイクルが二回。

9/8は8分音符で9拍ということですから、そこまでの半分の長さを1と数えて
それが9回で1小節になる形。

なので最初から0'39"までは
「1-,2-,3,-,4-」「1-,2-,3-,4-」…と来ていたのが 0'40"から倍の速さで
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1-,2-」
「1,2,3,4,5,6,7」
「1,2,3,4,5,6,7」
と進みます。

これが2回。


こちらの動画には右下に拍子のカウントが出ているので
こっちのほうが視覚的に理解はしやすいと思います。




これを見た後で、もう一度、耳を頼りに…
できればリズムを取りながら
最初の動画↓を見ていただくと、
より変拍子のカッコよさが感じられるんじゃないでしょうか。



テレビを見ながら僕も感動してしまいました。


知らないと察知することすらできないで
当たり前に「ドラクエの音楽」ぐらいにしか捉えていませんでしたが、
少しでも専門的な知識を教えてもらえると
今まで見えていなかった世界が見えてくるようです。

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2019年08月13日

12年も前から

思い返せば、このブログを書き始めたのは
まだ会社にいる頃でした。

NLPの講座を受講して、おそらくトレーナーコースも行ってきて
その後も色々とセミナーに参加しまくっていた時期だと思います。

とにかく関心が強かったんです。

だから日々、様々な発見があって、新しい学びがあって、
ブログを書きながら情報を整理するような側面もあったと記憶しています。

新しい知識や経験則、技術のコツなどは
インプットされた直後では曖昧な形で記憶されているものです。

「なんとなく、こんな感じ」という情報にしかなっていない。
適切な言葉に置き換えることができていない状態です。

ブログに書くことで、それが言葉に当てはめられて
キッチリと言語化可能な情報に再構成される感じがありました。

重要なポイントが強調され、同時に余分な詳細が削り取られる。
そうやって知恵が洗練されていく印象があったものです。

これは一般にも言えることでしょう。
書いて整理すると技術も知識も洗練される。

実際、ブログに書いて整理し直した知識や技術に関しては
セミナーで話すときにもスムーズに説明できたものですし、
技術もカウンセリングやセラピーの中で
効果的に使いやすくなったのを覚えています。


それからしばらくして、自分の中で知識と経験が定着して
全体像として一貫したものが体系化されてくると、
今度はブログの内容も少し変わってきたように思います。

当初のように「新しいこと」を文字に置き換えて
知識や技術を洗練させる度合いは減りました。

むしろ、自分の中で体系化されたものがハッキリしたことで
他の人のやり方が「自分とは異なったもの」として
それまでよりも目につくようになったんです。

この頃は「自分のもの」として形作られてきた技術に関して
教わってきた先生達の想いも引き継いでいる自負がありましたし、
技術にこだわる理由としての強い想いも自分なりに持っていました。

価値観が強かったんです。
「これが大切」というスタンスがハッキリしていた。

なので、自分の考えに合わないものを見ると
反発や不快感が沸いてきていたんです。
(違和感と言ってもいい程度のものもありましたが、
 違和感には少なからずネガティブな意味づけが含まれているものです。)

シンプルにいえば、嫌だったんです。
「そうじゃない」と言いたかったんです。

そういう意味では、自己主張が強かった時期だと言えます。

すると技術のポイントとか、世間で誤解されていることとか
上手く説明されていないものとか、
場合によっては街中で見かけた好ましくない場面とか、
そういったことについて解説するような形の内容が多かった気がします。

体裁としては客観的な文章を心がけてはいましたが、
本心では主観的な意見を主張していたと思います。

言いたいことがあったんです。
そういう時期。


その後、「自分」というものについて向き合うことが増えました。

「自分」の言いたいこと…を言葉にするよりも、
そもそも「自分」って何なんだろう?
みたいなことを意識する度合いが高まったことも関係していると思います。

誰かに対して主張することは、もう重要ではなくなってしまいました。
むしろ自分に何が起きているかのほうに関心が向いていた時期。

とはいえ、ブログを書き続けようという努力はしていましたから
関心が向いていることを書くぐらいしか手段が思いつかず、
自分に起こっていることを客観的に分析するような内容が多くなりました。

心理とかNLPとかコミュニケーションとかの内容を
直接的に説明するようなことは滅多に書いていなかったと思います。

それまでに培ってきた着眼点は、自動的に
心理とかコミュニケーションに目を向けさせますし、
解説する骨組みはNLPの概念になりますから、
完全にNLPから離れることはなかったはずです。

「NLPについて」書くのではなく、
自分の近況を「NLPの観点で」書く、という感じでしょう。


ところが、そうした「自分」というものについての関心も
色々と取り組んでいるうちに方向性が変わってきました。

何かに関心が向くこと、そのものが減ってきたようです。
とりたてて何にも強い関心がない。

なので最近は、本当にブログを書く内容が見つかりません。

フランス語は続けていますし、
少しずつ成果も感じられてきてはいます。

ロシア語は相変わらず複雑で、二年もやって
まだ中級に入れないぐらいの段階。

書道は仕事のスケジュールもあって
あまり時間をかけられていない状態が続いています。

ジムは身体のメンテナンスとして定期的に通っていますが、
最近はむしろ体調管理のほうが気がかりなぐらいです。

パソコン作業も頼まれて他人のためにやっている
サービス的な度合いが高まっている状況なので、
デスクワークそのものを避けたいところもあるのかもしれません。

いや、それ以上に大きいのは
 自分の中から出くるものがない
ということでしょう。

なんというか、毎日を少しずつ過ごしているだけの印象。

文章を書くことに、なんとも腰が重くなってしまいました。
仕事としては厄介な部分といえそうです。

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2019年08月06日

元型コンビ

ユングは「集合無意識」という言い方で
個人の心を超えた範囲について説明しました。

ユング自身が実際にどのような捉え方をしていたのかは
想像が難しいところもあって、
「心は繋がっている」とまで言えるかどうかは分かりません。

少なくとも「無意識の範囲で共有されているものがある」と。

集団に共通して存在している普遍的なもの。
それがイメージのような形で心の奥底で認識されていて、
夢や神話の中に典型的なキャラクターとして登場する、というわけです。

で、この典型的なイメージ、
色々なところに共通して見受けられるキャラクターを
『元型』という言葉で説明しました。

元型は1つではなく、よくあるパターンのキャラクターとして
複数の種類が提案されています。

ある側面の個性が際立った特徴的な登場人物として
様々なストーリーに「似たタイプ」の性格・姿かたちで表れます。

人気の映画やマンガなどには、必ず際立ったキャラクターがいて
登場人物同士はあまり似ていないほうが普通です。

それぞれの個性が違っていて特徴が強いから
登場人物同士の動き、活躍の仕方が違っていて
ストーリーそのものにもメリハリが出るんでしょう。

そして読者・視聴者は、
自分の個性を色濃く誇張したような典型的なキャラクターに
感情移入しながら心を躍らせることができる。

マンガ『ワンピース』なんて人気が高いですが、
個性の強い登場キャラクターが、仲間として、敵として
関係性を展開していく姿は、その観点からも
多くの人の心を捉えやすいと考えられます。


ユングの考えた元型として有名なのは、
アニマ/アニムス
グレート・マザー
オールド・ワイズ・マン
トリックスター
などでしょうか。

ユングが考えたかどうか定かではないけれども
元型という発想を元に発展していったと思われる
『元型心理学』なんていうのも一部では人気です。

元型の考え方を土台に、ジレットとムーアが提案して
自己啓発系などで人気になったのが
「王、戦士、魔術師、愛人」という4つの元型の理論。

ドラゴンクエスト3なんかは典型的に、
この4つのキャラクターで最初の冒険がスタートします。

ユングの考えのみを元型とするかどうかは意見が分かれるところですが…
人が自然と認識する人の個性、
多くの人が共通して「ああ、そういうのあるよね」と感じる個性の描き方、
ということに注目すれば、パターンはいくらでも見出せるものでしょう。

あとは、どこに注目して、どれぐらい細分化するかの問題。


僕にとって個人的に印象的なのは
・小さくて賢いキャラクター
・大柄で温厚で力持ちのキャラクター
というコンビです。

子供の頃から好きだったマンガやアニメ、映画には
思い返してみると、この組み合わせがあったようです。

実際、自分としては
「大柄で温厚で力持ち」
のほうが好きで
そっちに注目しながら見ていました。

キン肉マンなんかは代表的でしょう。
強くて優しくて、おっちょこちょいな主人公キン肉マン。

僕にとってはキン肉マンばかりに目が行っていましたが
いつも隣には参謀役としてミート君がいました。

小さくて賢いキャラクターの典型だと思われます。

ハッキリと、その二人だけが際立った主人公コンビ
となっている必要はありませんでした。

むしろ沢山の登場人物の中に
そういうコンビ的な立ち位置があると気になる。
そんな傾向だった気がします。


マンガ『バカボン』に出くる
「はじめちゃん」と「バカボン」。

『サイボーグ009』に出てくる
「001」と「005」。

『三つ目がとおる』に出てくる
「写楽保介」と「和登千代子」。

もしかすると『スターウォーズ』の
「R2-D2」と「C-3PO」なんかもそうかもしれません。
(C-3POは強くないですが、温厚な感じはあります)

似たようなパターンは沢山ありそうに思います。

なんとなく、こういう組み合わせなんかも
元型的に多くの人の心の奥にシェアされているのかもしれません。

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2019年07月18日

どう見られるか

セミナーが重なるとブログも書けなくなりがちですが、
ジムに行くタイミングも見失いがちです。

僕は深夜の空いている時間を狙って通っていますので、
翌日が朝からセミナーだと、睡眠を優先して行きません。

出張のときにも行けないので、
タイミングを合わせてるのが難しくなりやすいんです。


そうすると、行ける日にジムに行く形になりやすく、
余裕のあるスケジュールのときとは違う曜日にも足を運ぶことに。

多くの利用者が、時間帯だけでなく
曜日も固定になりやすいのかもしれません。

普段と違う曜日に行くと、初めて見る人にも出会います。

先日も初めての人がいました。
アラブ系の外国人。

しきりに鏡を見ていましたから
筋肉をつけたいんでしょう。

結構、細かく場所を分けながら運動していました。
負荷も強めにしていたんだと想像できます。

声を出しながらのトレーニングでしたし。

呻き声みたいのもありますが、
耳に入ってくることが多かったのは数を数えるとき。

何語だか分からない単語でした。
おそらく母国語なんでしょう。

一般的に、語学をやっていて慣れにくいのが数字です。
ちょっと理解に時間がかかりがちだと言われます。

数字は概念として抽象的に理解していても
その数字の大きさの「感じ」は経験に基づきますから、
数字は母国語で扱うのが一番楽なはずです。

1から20ぐらいまでなら覚えさえすれば数えられますが
ハードな筋トレをしながらカウントするなら
母国語が自然に出てくるものでしょう。

実際、最初はその人も、自分の言語で数えていたようでした。


ところが、僕が近くに行って別の器械を使っていると、
その人がなぜか、英語で数を数え出したんです。

ワン、ツー、スリーと。

発音からすると、あきらかに英語ネイティブではありません。
なのに英語でカウントする。

英語ネイティブでないのがうかがえるのは、
10を超えると、また1に戻るからです。

ワン、ツー、スリー…といって、「テン」までくると
次は再びワン、ツー、スリーに戻る。

10回を2セットやっているのではありません。
10回目の次、そのままのテンポで11回目に進む。
で、合計15回ぐらい、つまり二回目のファイブかシックスで止まりました。

英語ネイティブだったら普通にフィフティーンじゃないでしょうか?
少なくとも僕だったらそうなります。
わざと英語で数えてもカウント程度ならできますし。

ただ、15まで英語で数えられても、
筋トレの最中にわざわざ英語にする気はおきません。
アメリカでやっていたとしても、日本語に戻りそうなぐらい。

にもかかわらず、そのアラブ系の人は
なぜか英語で数えていたんです。

それも僕が近くにいるときだけ。

離れているときには違う言語に戻っていました。


いったい、どういう心情が働いたのでしょうか…?

英語は国際的に受け入れやすいということなのか、
母国語で話をしていて嫌な思いでもしたことがあるのか?

日本に来ているんですから、そんな気を使うなら
日本語で数を数えたら良さそうにも思うんですが…。

母国ではない国で生活をするというのは
思いもよらない経験をするものなのかもしれません。


そういえば、かなり前のことですが
近所のリンガーハットで、ちゃんぽんを食べていたとき
外国人店員に露骨に悪態をついていた老人がいました。

「ねぇ?ちゃんと分かってんの?
 え?今、なんて言った?」
という具合。

夫婦で来ていたので、注文の後、奥様のほうに向かって
「なんでここは外人ばっかりなんだ?
 ちゃんと通じてんのか?
 日本なんだから日本人にやらせろよ。」
なんて話してもいました。

明らかに全員に聞こえるような大声でアピール。

その値段で、そのサービスを安定供給して
ビジネスを維持するためには、賃金が低くなるんでしょう。

その賃金で働きたがる日本人が少ない。
だから自動的に外国人が増える、と。

さらにはビザの関係で、飲食店かコンビニぐらいでしか
働く許可が下りない人たちもいると聞きます。

外国からやってきて日本で生活をする本人たちにとっても
一定の品質のサービスを安く提供しなくてはいけない外食チェーンにとっても
外国人が働くのは理に適っているのかもしれません。

しかし、そういう状況に対して反感を示す人もいます。
それを直接ぶつけるような形で表す人も。

日本に限ったことではないんじゃないでしょうか。

過去にどこかで、何か嫌な経験をしていれば
何かを取り繕うような振る舞いをしたくもなるような気もします。

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2019年07月08日

続かない人たち

ジム通いも気づいたら2年を過ぎていました。

僕が入会したのはジムがオープンして2か月目ぐらいのとき。
オープン記念のキャンペーンをやっていて最初の2,3か月は
割引をしてくれていたのを覚えています。

その後も様々なキャンペーンを繰り返し、
新規の入会特典は名目を変えながら何度も行われるようです。

知人を紹介して入会してもらうと、紹介者も新規入会者も
どちらも一定期間の割引が受けられるようなものもありました。

そして2年以上が経った今、先日から
「義理友割」とかいうキャンペーンが始まりました。

「一人じゃ続かないから、一緒に入って!お願い」
という心情を代弁する形のポスターが貼られています。

二人同時入会だと割引になる、ということなんですが
始める前から「続くかどうか心配だなぁ…」
と心配する人もいるものなんでしょうか?

むしろ、入会を検討する人は最初のうちぐらいは
それなりにヤル気を持ってジムを比較検討しそうな気がします。

どちらかというと、そうやって誘われた人のほう、つまり
自主的にヤル気を出していたわけではない人のほうが
「うーん、健康には良いんだろうけど、続くかなぁ…」
みたいな心配を抱きそうな気がします。

もしくは、既に入会していて、最近サボり気味になっている人が
「あー、最近ジムに行っていないなぁ。
 誰か一緒に行ってくれたら、もうちょっと通えるかもなぁ。」
なんて思うことはあるかもしれません。

ただ、この場合、ジムに来ていないのでポスターを見ることはなく
キャンペーンの存在に気づかないと思いますが。


ということで、個人的な印象としては
 ジム経営者側の勝手な推測で利用者の心境のイメージを作って
 それに基づいたキャンペーンを打った
ような感じに見えてしまうところがあります。

こちらの本心としては、ジムが混むのは嫌なので
そんなに入会を増やしてくれる必要もない、というのが正直なところ。

一方、そうしたキャンペーンを打ちたくなる理由も想像できます。

それは実際、続かない人が多いみたいだから、です。

入会直後によく見た人も、最近は見かけないことが増えてきました。
長続きしている人は、僕と同じ利用時間帯だと数人じゃないかと思います。

僕自身は週に1,2回、だいたい決まった時間帯に行きます。

以前は、その時間帯にいつも来る人が何人かいました。
運動が苦手そうな人も、筋トレマニアみたいな人も、どちらも。

それなりに長い間、頻繁に見かけていた人もいました。
彼らも今では見かけません。

時間帯を変えたのか、曜日のサイクルを変えたのか、
あるいは引っ越しでもしたのか…。


そのうちの一人は、先日たまたま見かける機会がありました。
この人は筋トレ好きというより、ランナーのような印象です。
トレッドミルのフォームがスムーズですし、下半身も鍛えています。

久しぶりに見かけたわけですが、あいかわらず異臭を放っていました。

また、一時期は毎回のようにタイミングが重なっていたインド人も
最近では全く見かけなくなりました。

彼の熱は半年ぐらいで冷めてしまったのかもしれません。

数か月ぐらいは頻繁に見かけるのに、その後は見なくなる…
そんな人は大勢いたような気がします。

ブームが過ぎ去ってしまうんでしょうか。

筋トレ好きの側の人たちも、見かける頻度には波がある気がします。
最近は、器具を占有する人も減ってきたようです。

こちらとしては使いやすくて良いんですけれど。

筋トレマニアの多くは若い世代のようなので、
転勤だとか就職だとか、会社内の部署の変化とか
環境として変化が起きやすい傾向はあるかもしれません。

同じ生活スタイルが続きにくい世代といいますか。
夜の時間帯に通うのが難しくなっただけの人もいるようには思えます。

あとは、近所の別のジムに移ったか。

二年前は24時間営業のジムも、近所ではその一店舗だけでした。
それが次々に別系列の店舗がオープンして、
近郊に数軒はある状態になってきたみたいです。

住まいからの距離とか、通勤の通り道とか、
もしかすると価格とか、設備の充実度とか、
そういう理由でジムを変えた人もいるのではないかと想像します。

筋トレ好きの人の場合、設備の充実度なんかで
場所を変えることはありそうにも思いますが、どうなんでしょうか。


そんな中、1年半前ぐらいから、
コンスタントに見かけ続けている人が一人だけいます。

利用時間帯が同じぐらいのタイミングの人。
おそらくスペイン人です。
50歳ぐらいでしょうか。

決してトレーニングマニアという感じではなく、
本格的なトレーニングをしているようではなさそうですが
マシンの設定としては、かなり強い負荷で頑張っています。

脂肪もタップリつきながら、体を大きくしたいみたいです。

見た目から地中海系の人だろうと想像できます。
歩き方もアメリカ大陸の人とは違いますし。

イタリア人とは動作のリズムが違うのと、表情なんかも違います。
まぁ、スペインだろう、と。

先日、その人がトレーニング中に自分のスマホで音楽をかけていました。
(本当はイヤホンの使用が義務づけられていますが)

その音楽が全てスペイン語だったので、
ほぼ間違いはないと思います。

わざわざ話しかけて尋ねるほどでもないですし。

ということで、夜の時間帯にコンスタントに通い続けられるのは
どうやら一般的な日本人には少ないようです。

僕の生活は一般的な日本人とはズレてしまっていますし。

しかしながら、そういう生活スタイルだからこそ
24時間営業のジムが助かるんです。

あまり利用者が多くて使いにくいのも嫌ですが、
かといって利用者が減ってしまって潰れてしまうのも困ります。

僕だけでなく、少なくともそのスペイン人男性も
細々と長続きしてくれることを願っていることでしょう。

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2019年07月03日

あやういところでした

少し前のことですが、打ち合わせで出かけていて
岐路に着こうと、先方の最寄り駅を歩いている途中、
駅構内で気を失って転倒しました。

少し雨が降っていて、足元が滑りやすい状態で
改札に向かう途中の階段で最後の一段を踏み外してしまったんです。

それで軽く転んで膝を打ちました。

このときはまだ何ともありません。
ただ「イタタ…」という感じ。

しかし滑って転んだ際に、身体的には緊張が走ったようです。
いわゆる交感神経優位の状態という感じでしょうか。

アドレナリンなんかも出ていたと思います。

そのまま改札を通り、エスカレーターに乗って
反対側のホームへと移動しようとしていたとき、です。

徐々に意識状態がおかしくなってきているのに気づきました。


過去にも気を失ったことは何回かありましたから
「これは少しマズイな」と考えて
急いで帰るのを止める決断をしたんです。

「とりあえず反対のホームに移って、あそこのベンチで休もう」と。

ところが状態は悪化する一方。
「これはチョット、呼吸を整えて落ち着かせる必要がありそうだ」
と思って、まずはとにかく立ち止まって休むことにしました。

それでエスカレーターを上り終えたコンコースの通路端、
壁際の柱に寄りかかって落ち着きを取り戻そうとしたんです。

が、結局、その瞬間が最後の記憶でした。

次に気づいたときは、なぜか地面に突っ伏していて
よく分からないけれど通りすがりの人から
「大丈夫ですか?」と声をかけられていたんです。

とはいえ、こちらはまだ朦朧とした状態です。
なんのことやら分からずに突っ伏したままでした。

それでも最初に意識が戻ったキッカケは、
一人のおばあさんの声だったと思います。


たまたまその人が看護師だったので、親切にも駅員を呼びに行ってくれて
念のためということで救急車の手配まで協力してくれました。

救急車が来るまで10分ぐらいあったらしいですが、
その間に朦朧とした感じが少しずつ治ってきて
救急車に運ばれるときには立って歩けるぐらいの感じでした。

そして病院に着くころには、ほぼ普通に戻っている。
若干のダルさがあるぐらいなものでした。

なので検査をしても何も異常は現れず、
問診をしても医師からは「おかしい、分からない…」の繰り返し。

まぁ、医療的には問題が見つからないということなので
あまり気にしなくて良さそうな話にはなりました。

ただ、これまでに気を失った経験を振り返ると
やはり共通点があります。

何かしらのショックがあって、交感神経が急に活発になるような感じ。

貧血とか立ち眩みなどのように、クラっとする体験ではないんです。
何か普段と違う機能が働いて異常が起きるような印象を受けます。

駅の改札あたりから自分が考えていたことを覚えていますし、
その判断に基づいて行動をしたところもあったと思います。

が、これは「考えて判断した」というよりも、
思考や判断を司る脳の部位は普段通りの機能を保っていて
その部分が普段と変わらずに状況分析をした内容を
言語的に表現していただけに過ぎないのかもしれません。

それとは全く別の部分、体の機能や意識状態と関係するような部位では
思考の内容とは無関係に異常が進行していたと想像できます。

なので自分としては冷静に状況をモニターして判断したつもりでも、
実際には、意識的な自覚とは離れたところで
気を失う方向の異常事態が進んでいたんじゃないかと思われます。


この手の体験、つまり交感神経系が過剰になってバランスを失い
意識状態がおかしくなって気が遠のいていく感じの状態は、
数か月前に、MRIを取っていた最中にも起こっています。

そのときは程度がさほど強くなかったのと
そもそもが寝たままの状態だったのと、
その日の体調なんかも関係しているのかもしれませんが、
うまく呼吸を整えて対処することができました。

MRIのときも妙な緊張状態があって、
交感神経が過剰な感じだったように思います。

そして、つい先日も危ういタイミングがありました。


夜中にジムに行ってきた帰り道です。

若干暗い道を歩いていると、一軒の建物の駐車場に看板を見かけました。
選挙事務所の看板のようで、候補者の顔写真が載っていました。

奇妙なことに、その看板が目に入った瞬間
僕の頭の中には「あぁ、看板か」という認識があったんです。

にもかからず、その一瞬後に、
暗い駐車場の中に浮かぶオジサンの顔だけを捉えて
暗闇から急に顔が表れてくるような捉え方をしてしまいました。

物凄くビックリしました。
むしろ恐怖のほうが近いでしょう。
オバケを見たかのような体験です。

看板を認識してから後、1秒以下の話ですが、
暗闇から表れる顔に対して、別の反応が起こったようです。

順番としては、看板を認識して、その後に
顔に対して恐怖を感じた、という形。

頭のどこかでは「看板だ」と分かっているのに
それとは無関係に、あるいは並行した体験として
暗闇に表れる顔に恐怖を感じたわけです。

このときの生理反応も、一気に交感神経優位になる感じ。
心拍数の増加、呼吸の変化、血流の変化を捉えながら、
意識状態も少し歪んでいくのが分かりました。

程度は小さかったので気を失うところまではいきませんでしたが
同様の兆候の状態だったとは思います。


なんとも理解ができない状態が続いています。

いろいろと関係しそうな要素を探して
自分なりにリスク要因を避けるよう工夫することになりそうです。

夜道の看板の顔写真でビックリするのは
予防のしようもなさそうに思えますから。

他の要因をチェックしてみるつもりです。

cozyharada at 23:05|Permalinkclip!

2019年06月22日

【セミナー】怒りの取り合いマニュアル

心に関することでいうと、
様々な分野に共通して重要なポイントがあります。

それは
注意の対象ではなく、注意の元に意識を集める
ということです。

先端ではなくて、根元を見る。

これが本当に大事です。
これだけで本質的な問題さえも終わります。


ただし、この表現は本質的過ぎて
シンプルにまとまり過ぎてしまうので、
これだけではピンとこないことが多いと思います。

例えば「怒り」を題材とすると、
多くの人は、怒りを向ける対象に意識が集まるんです。

なぜ腹を立てているか?と。
「こういうことがあった。酷い!ムカつく!!」
という感じ。

それでは怒りは解消されません。

1つの効果的な対処法は「怒りを発散する」ことです。
出し切る。

そうすると
対象に向かって流れていたエネルギーが消えたようになり、
注意の方向が怒りの対象から離れ始めます。

そして自分の内側に向き始める。
なぜなら、そこに別の感情が起きているからです。
そこに気づけるようになるんです。

悲しみです。

怒りが通り過ぎると悲しくなってくる、というのは
怒りが発散された後、自然と意識の向きが変わって
そもそも自分の内側にあった悲しみに気づき始める、
というプロセスそのものだと言えます。

言い換えると、怒りは対象のほうに向いて
矢印のようにエネルギーを出し続けていますが、
その矢印の根元には悲しみがある、ということ。

だったら先に根元へ意識を向けてしまおう、と。

そうすることで怒りに振り回されなくなります。

もっというと、怒りを生んだ原因、怒りの対象にも
自分の感情を振り回されなくなるんです。

怒りが沸いてしまうというのは、
その対象・原因にコントロールされている
ということでもありますから。

他人や出来事にコントロールされて
怒りを持たされる必要がなくなるんです。


そういう話。
これが怒りだけでなく、ほとんど全てのことに当てはまる。

とはいえ、怒りに関していうと
だからといって怒りを我慢して
泣き続ければ良いということではありません。

もうちょっと丁寧な対処が必要になります。

そのあたりの「怒りの対処法」を
近々、講座で紹介します。

7月7日ー8日の土日。
基本は2日間の設定ながら、一日の受講も可能となっています。

詳しくは、こちらのリンク先をご覧ください。

https://hsmana.com/sapporokenshu-kai2”>https://hsmana.com/sapporokenshu-kai2

札幌開催のものも案内されていますが、今回は都内です。

ご検討ください。

cozyharada at 17:25|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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