心理学

2017年03月13日

疲労の基準

仕事が立て込んでくると疲労が回復しきらない状態を感じることがあります。

そんな中、タイミングが合って睡眠時間を充分にとれると
体力が回復しているのを実感できます。

身体のハリや重みといった肉体の状態は決して良くありませんが
エネルギー的には元に戻ってくる感じです。


この感じは僕の記憶の中から、研究職時代のことを思い出させます。


研究職、とくに山口県で寮生活をしながら研究をしていたときは
慢性的に睡眠不足で多くの時間を実験に費やしていたものです。

研究所が工場の一角にあって、寮も同じく工場の敷地内にあったため
基本的な行動範囲は工場内となっていました。

朝は7時過ぎに出勤、夜は日をまたいで1時、2時ぐらいまで。
今思えば、もっと効率的にできた気もしますが、
他にすることもないので職場で色々とやっていたというところです。

とはいえ、ずっと職場にいるわけではありませんでした。
1時間の昼休みは、食事が寮に用意されるので
そのたびに寮まで自転車で戻ってきます。

そして食後は自分の部屋に戻り、30分弱の仮眠を取る。

夜も夕飯を食べに寮へ戻った後、1時間から90分ぐらい仮眠をとって
それから夜の作業をこなしていました。

夜の睡眠時間は3時間ちょっとでしたが、
正味の睡眠時間は5時間ぐらいは確保していたんだと思います。

それで毎日を乗り切り、とりたてて疲れを感じることもなく
まぁ、それなりに日々を過ごしていたようです。

もちろん眠気に襲われることもありました。
多くの人がそんな感じの様子になっていると
眠くなるのが毎日の生活のせいだとは思っていなかったんです。

暗い部屋で単調な研究発表を聞いていれば眠くもなるし、
単調なデータ入力をしていれば頭もボーっとしてくる。
そこに疑問を挟むことはありませんでした。


でも本当はいつも疲れていたようです。

若かったから、体力があったから大丈夫だった…
というのではなさそうなんです。

むしろ鈍感だっただけ。
慣れてしまっていただけ。

なぜなら、年末年始やお盆休み、ゴールデンウィークなどで
実家に戻ってくると、睡眠時間に影響が出ていたからです。

特に帰ってきて次の日、その次の日ぐらいまでは
もう泥のように眠っていました。

夜12時ぐらいに寝て、次の日の夕方ぐらいまで一度も目が覚めない。
そんなのが2日続いていたものです。

その後は徐々に睡眠時間が自然と減って、
それなりに休日の時間を過ごしていました。

そして一週間程度の休日の期間が終わると山口へと戻ります。

夕方ぐらいに寮に到着して、少しだけ研究所へ行って次の日の準備をする。
微生物実験の都合として準備の時間がかかるのも1つの理由でしたが、
自分の内面を研究モードに戻すためのウォーミングアップでもありました。

すると、です。

山口に戻ってきた最初の夜は、なかなか寝つけません。
眠くないんです。

次の日からは通常の生活サイクルに戻ります。
昼ごはんの後の仮眠も、夕飯の後の仮眠も
やはりあまり寝られません。
眠くない。

そして研究所での生活サイクルに馴染んでくる頃になると
仮眠が必須で、眠い目をこすりながら目覚める生活に変わります。


研究所で睡眠時間の短い生活をしている毎日では
「自分が眠い」ことにさえ、あまり気づいていなかったのでしょう。

疲労が溜まっていることだって自覚できていませんでした。

振り返って様子を比べてみると、
実家に戻ってきている間の状態と
山口の研究所にいる間の状態には違いがあったことに気づきます。

「いつも通りの体調」という基準値が違っていました。
「これが普通」という基準が別物だったわけです。

実家に戻ってきて休日を過ごしているときは
体力が回復している状態が普通。
研究所生活では疲れて寝不足なのが普通。

「普通」は慣れで設定される自覚です。
そこを疑わなくなる。

僕の場合、研究の仕事を続けていたときは
体力の平均値、つまり「いつも通りの体力」が低い状態で認識されて
そこに慣れてしまっていたために何も疑わなかった、
ということだったんでしょう。

低位安定の研究所生活では、そこからさらに疲れることは少なく、
物凄く睡眠時間の少ない無理をすれば反動は出ましたが
それでも反動は決して大きくなかったんです。

だから結構無理がきくと思っていました。

実際はあくまで「普通」の基準が低いところ(疲れた状態)にあったため
そこからの落ち込み幅が小さかっただけのこと。

自覚としては「そんなに疲れない」と思っていましたし、
頭がボーっとしたり、パフォーマンスが落ちたりすることも
ほとんどないと思っていました。

おそらく実態は、ベストな状態からは随分と低かったのでしょう。

でも低いところが「普通」になっていて、
そのことが分かっていなかっただけなんだと考えられます。


最近は、この「普通」の設定が変わってきていると感じます。

「普段通り」としての「普通」ではなく、
身体で感じられる今の状態がスッキリしているかどうか、
眠気やボーっとする感じ、身体の重さや不快感がないかどうか
といったところでコンディションをチェックしています。

その分、忙しくなってくると、疲れを体感として実感しやすくなっています。

疲労や睡眠不足を避けたい気持ちは以前よりも強まって
無理をしたくない思いは出てきやすいですが、
日々の集中力などは高めにキープされている気がします。

今、こういう状態、こういうコンディショニングを知っている状態で
もう一度研究職をやったら、前よりももっと効率的に
しかも高確率で研究成果を出せるのではないかとも想像します。

「普通の体調」をどうやって自覚するか。

この影響は大きいにもかかわらず
慢性的な疲労状態を「普通」としているケースは
世間でも意外と多いのかもしれません。

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2017年03月10日

コーヒーの味わい方

味覚の好みというのは、大部分が慣れによるところだと考えられます。

僕にとっての典型的な例はコーヒーです。

幼少期から、父が毎朝コーヒーを飲んでいたため
休日ともなると食卓にコーヒーが並ぶことが多かった記憶があります。

とはいえ子供ですから、やはり甘くないと飲めません。
コーヒー牛乳にして飲んでいたんです。

小学校の給食でも時々コーヒー牛乳が出ていましたし、
アイスクリームを食べるときにもコーヒー味もあったりして、
わりと小さいころからコーヒー風味には馴染みがあったようです。

コーヒー牛乳やコーヒー味アイスの、甘味と苦みが混ざった感じは
チョコレートに通じるものがあったんじゃないでしょうか。
子供でも楽しめる味だったようです。


それから中学校に入り、冬の塾の帰り道
暖かい缶コーヒーを飲むのが習慣になりました。

当時の缶コーヒーは基本的にすべて砂糖・クリーム入りでした。
まだブラックの缶コーヒーは発売されいなかったはずです。

いつも同じ自動販売機を使っていたわけではありませんから
種類の違う缶コーヒーを飲むこともありました。
それによって「コーヒーにも味の違いがある」ことを実感し、
様々な種類の違いを知ろうとするようになっていったようです。

そのあたりからコーヒー牛乳よりも、
コーヒーの味と香りが強いものを好むようになっていきます。

しかし依然として、缶コーヒーは砂糖・クリーム入りですから
「コーヒーといえば苦みと甘味のミックス」というイメージはそのまま。

我が家のコーヒーを飲む習慣も当然続いていて、
缶コーヒーからコーヒーに慣れてきた僕は
コーヒー牛乳よりもコーヒーの味が強いほうを好むようになりました。

ここで牛乳やコーヒークリームを加える習慣がなくなります。

父がコーヒーに砂糖だけを入れて飲むタイプだったため
僕も牛乳を入れずに、砂糖だけで飲むのを試してみたわけです。

この変化は意外とすんなり受け入れられました。

ミルクチョコレートとビターチョコレートの違いぐらいなものです。

チョコレートに関しては、ホワイトチョコを食べたときに
チョコレートに「あるべき」カカオの風味がないことへ衝撃を受け、
「甘味と苦みの組み合わせがチョコレートのはずなのに…」と
ホワイトチョコが好きになれなかったんです。

その対比があって余計に、チョコレートはビターなほうが
「ちゃんとチョコレートだ」と認識するようになったのでしょう。

ビターチョコレート好きだった僕としては、コーヒーにしても
砂糖だけ入れたときの「甘味と苦みの組み合わ」の感じが
おそらく受け入れやすかったんだと思われます。

それまでの慣れの部分と、父親がコーヒーに砂糖だけ入れていたことから
僕もコーヒーには砂糖だけを入れるようになっていったんです。


そして今も僕は、コーヒーに砂糖だけを入れて飲みます。
コーヒーを飲む頻度は高いですが、だいたい砂糖を入れます。

大人になって周りを見てみると実は、砂糖だけなのは少数派のようです。

ブラックの人が多く、ミルクだけの人も多く見かけます。
その次がミルクと砂糖の両方でしょうか。
砂糖だけが多分、一番の少数派のように見えます。

たぶん、ほかの人たちも慣れでそれを好むようになったと想像できます。

ブラックで飲むのは、お茶に近い捉えかたをしているんでしょうか。

お酒が好きになってくると甘くない飲み物に慣れてきて
苦みと香りを優先したブラックのほうに好みがシフトするのかもしれません。

僕もアメリカンや、それに近いぐらい薄めのコーヒーの場合は
ブラックで飲んでも楽しめます。

ですが普段はかなり濃いめにコーヒーを淹れて
砂糖を足して飲むことが大半です。

慣れの問題が大きそうです。


一方で、最近発見したのは、
僕のコーヒーの飲み方が砂糖入りに合わせて設定されていた
ということ。

コーヒーを口に入れてから、口の中な留めておく時間が長いんです。

特に舌の前側に置く傾向が強い。
味覚としてコーヒーをフルに感じようとしているようです。

それと比べると、かなりの人がコーヒーを早く飲み込みます。

試しに…と僕もやってみると
早く飲み込んでしまったほうが苦味や渋み、エグ味を感じにくく
むしろコーヒーの香りや後味を楽しめる気がしました。

これならブラックでも美味しく感じられます。

慣れによって味の好みのが生まれ、
その好みの体験を強めるような味わい方が身につき、
より好みがハッキリしてくる。
…そんな部分があるのかもしれません。

ブラックの楽しみ方も知った気がしますが
それでもやっぱり慣れ親しんだ砂糖入りを飲みそうです。

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2017年01月24日

飛行機の中で

先日、札幌に出張に行ったとき、帰りがけから雪が強まって
東京行きの飛行機が大幅に遅れる事態に巻き込まれました。

ちょうど一か月前に行ったときも記録的な大雪のタイミングで
多くの便が欠航になった日でしたから
二回続けてということになります。


前回はもう、大雪が続いている影響で
そもそも飛行機が新千歳空港にやってこれない
という状況も起こっていました。

そのため大部分が欠航。
新千歳空港に停まっている飛行機が飛ぶのも遅れが続いていました。

空港内は人でごった返し、
搭乗口で長時間待たなければいけない状況だったんです。

実際、僕が飛行機に乗り込んだのは確か夜11時半ぐらい。
羽田に着いたのは1時を回っていたと思います。

それでも待つ場所が空港内の搭乗口だったというのは
意外と逃げ場が多く、待つことそのもののストレスは小さかった気がします。
(もちろん欠航にならないかどうかは心配でしたが)


一方、今回は雪が強まったタイミングが遅く
事前から心配していたわけではありませんでした。

飛行機に登場するところまでは、ほぼ予定通り。
数十分の遅れはありましたが、まぁそれぐらいは良くある話です。

そして飛行機が滑走路に向かって移動。
時間がかかったのはここからでした。

滑走路付近で離陸待ちをしている間に雪がドンドン強くなり、
前の飛行機の順番待ちが長引きました。

すると、機体や羽にかける融雪剤の効果時間を越えたとかで
もう一度、発着所まで戻ることに。

そのあたりから時間がかかり始め、
滑走路の除雪が追いつかないだとか、燃料補給がどうとか、
色々な理由で飛行機の中で缶詰状態のまま4時間。

こうなると乗客の苛立ちが増してきます。

狭い空間にいることのストレスや、
何もすることができない不満、
一向に進展が見られない状況、
もしかしたら欠航になって飛行機から降ろされるかもしれない可能性、
羽田での乗り継ぎに間に合わないとクレームをいう人、
耐えきれずグズり出す子供…、
徐々に苛立ちが増幅されていったようでした。


同じぐらいの時間を待合室で過ごしていた前回は
ここまでの苛立ちは出ていなかった気がします。

前回は空港到着前から大雪で
遅延に対して心の準備ができていたのが1つでしょう。

そして飛行機の中は制限が多い。
自由にできない感じ、束縛された感じもまた
不満を高めたと思われます。

心の準備というのも、いわば
自ら諦めることで自分のコントロール感を高める行為
と捉えることもできそうです。

いかに人が、コントロールを奪われることに対して
大きな不満を抱くかを実感する出来事でした。

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2017年01月18日

足の指のそりかえり

大した話ではないんですが、
もうすっかり足の指が地面に着くようになりました。

以前は立っていてもイスに座っていても、
地面につけた足の指が少し浮いていたんです。

足の指の付け根あたりに重心をかけて
足の裏全体が接地しないようにしていた感じ。


書いていて思い出しましたが、そういえば
小さい頃、親から「偏平足だ」と言われ
それでは良くないという思い込みを持っていた記憶があります。

足の指の付け根あたりと踵だけを地面につける感じにすると
足に緊張感が生まれてアーチが強くなります。
足裏全体がベタっと地面に着くような偏平足ではなくなるだろう、と。

小さいながらにそんな工夫をしていたのかもしれません。


それからもう1つ。

幼稚園とか、もっと小さい頃、どういう理由か分かりませんが
僕は足を泥まみれ、砂まみれにして家に帰ってきていた記憶があります。

砂場で遊んだのか、公園を裸足で駆け回っていたのか…
ともかく家に帰ってきたときに足が汚れていた日がありました。

そうすると母は、家の中が汚れるといって嫌がり
玄関先の水道で足を洗うか、雑巾で拭くか、風呂場に直行するか、
とにかく足を綺麗にする必要がありました。

決して嫌々やっていたわけではなく、何も疑わず
むしろ母を喜ばせようというぐらいの童心から
無邪気に足を洗っていたのを覚えています。

で、冬になると流石に外の水で足を洗うのは嫌。
お湯で足を洗うために、風呂場に直行するときも多かった気がします。

雑巾が毎日用意されているわけではなかったですから
汚れた足で廊下を通って風呂場に行くときが多々あったんです。

このとき、廊下を汚さない精一杯の努力として
足の接地面を減らすようにして歩いていたのを思い出します。
(結局あとから雑巾がけをしていたんですけれど)

踵しかつかないように爪先を上げるとか、
爪先立ちで背伸びをするようにしながら、かつ足の指先も上げるとか。

まさに足の指の付け根部分だけで地面に接していた状態です。


偏平足対策や汚れた足を地面につかない対策が
どれだけ癖になっていたのかは分かりませんが、
少なくとも僕の以前の足は、そのときの状態と似ていました。

別に怒られてやっていたことではないんです。
むしろ善意からやっていたつもりでした。

「幼少期のトラウマ体験が身体に残っていた」なんていう
大それた話ではないかもしれません。

しかし僕の中にあった他者(とくに幼少期は親がメイン)への気遣いは
迷惑をかけないようにする形で色々と身体を緊張させていたように感じます。

自分が力を入れて踏ん張ることで他人に負担をかけない。
そういう発想がベースにあった気がします。

足の指の緊張感は、その一部だったのでしょうけれど
1つの象徴的な部分でしょう。


心身の色々な取り組みを通じて
徐々にそういった緊張感が取れてきたようです。

足の指で地面を掴む感じ、
足全体で地面を押している感触、
足に体重がかかっている印象…、
いずれも以前はなかった体験です。

なんとなく、以前は地球にさえ遠慮をしていたような気もします。
自分の重さを地球に預けることさえ控えて
足を地面につけないように、重心位置を上げるようにしていたような。

そんな子供心の無邪気で無知な心身の癖が
大人になっても沢山残ってるものなのかもしれません。

別に問題でなければ気にしなくてもいいとはいえ、
必要のないことをしている側面もある。

僕はそういうのを整えていく方向性みたいです。

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2017年01月05日

今年は…

2016年の末に、数年間レッスンを受け続けてきた英会話の先生が
退職することになりました。

まぁ、何かを習うというよりは、スピーキングのトレーニングとして
とにかく発話に慣れるのが事実上の目的だったと思います。

自分が考えとして持っている頭の中の情報の繋がりを
英語という言語と結びつけていく作業が中心でした。

ボキャブラリーや表現の範囲を含めて、
自分に親しみのある分野のほうがスムーズに話せる。
これは外国語でも母国語でも同じようです。

ですから外国語学習において、話し慣れた分野を作っておくのが
会話をスムーズにしてくれる効果的な手段だと考えられます。

その意味で、その先生のレッスンは会話のトピックが幅広く、
しかも僕の興味に合った範囲で話を弾ませることができたので
とても有意義な時間だったんです。

科学的な観点でも、芸術的な観点でも、哲学的なところまで
かなり深く考えをアウトプットさせてもらえました。

年齢のこともあり、余生を考えて辞めることにしたそうです。


とはいえ、僕が英会話をやめるわけではありません。
英語を使う時間は欲しい。

マンツーマンの英会話スクールなので他にも先生はいます。

同じような会話ができる先生は滅多にいないでしょうから
今後レッスンを受ける先生を選ぶ基準は別のところになると思います。

テスト対策なんかも興味はありますが、テストを受けるタイミングが合いません。
(だいたいのテストは週末に行われているのでセミナーと重なってしまう)

文法を復習したり、スピーキングの際の正確さを意識したりも良さそうですが、
この辺の基準を満たす英会話講師となると、そちらも限られるはずです。

今のところ、無難な範囲としてイギリス発音に慣れる目的で
イギリス人の先生を選ぼうかと考えています。

今までの先生はアメリカ人で、ペーシングをしながら話していると
ついアメリカ発音とイギリス発音が混ぜこぜになってしまうことがありました。

だいぶイギリス発音に慣れてきたところなので
定着させるにはイギリス人講師だけを選ぶのも良いような気がしています。

英語のトレーニングは続けていくことになると思いますが
特定の目標があるわけではないですし、
一生懸命にボキャブラリーを増やそうというつもりもありません。

その時その場で興味があることと、活用できる環境とを加味して
流れに任せるような形になるんでしょう。


思い返してみると、いつの頃からかこうやって
ハッキリした目標を立てなくなってきたようです。

英会話に行けば1月頃だと、たいてい「新年の誓い」について質問されます。
年の初めに一年の目標を立てるのは、欧米文化の1つみたいです。

そういうときに改めて意識させられます。
あまり方向性を設定していないんだ、と。

予定として設定しているものはあります。
もちろん予定が変更になることもありますから
あくまで「やるつもりのこと」です。

「やりたいこと」という意味での目標と
実情はそれほど変わらないような気もします。

予定が変更になるのと、目標を達成できないのも
中身としては似たようなものでしょう。

捉え方が違うだけかもしれません。

長期的な目標に関しても、「こうなりたい」と方向性を設定するよりは
「なんか、こっちのほうに進んでいきそうだな」と予想している感じです。

例えば英語についてなら、イギリス発音への興味が続いていますし
トレーニングをする環境が限られていることから、
「海外のコーチにスカイプレッスンを受けてみようかな」
という気持ちが湧き始めていることを自覚しています。

これが大きくなっていきそうな予想をしているので、
今年はどこかで、そんなスカイプレッスンを始めるかもしれません。

ただ、そのスカイプレッスンは「やりたいこと」というほど強くもないし
頑張ってチャレンジするような「新年の誓い」や「目標」でもないんです。

ヤル気が大きくなったら、そのときにやる。
現状は、そのヤル気が大きくなりそうな予感を持っているけれど、
今は始めるタイミングでもなさそうに感じている。
だからやっていない。

そんな風に、流れに身をゆだねるような雰囲気が高まっているみたいです。


なので、長くレッスンをとってきた英会話の先生が退職したのは残念でしたが
方向性の変化という意味で受けるショックはありませんでした。

単純に寂しいだけ。
深い話をする相手がいなくなって寂しいだけ。

友人に会えなくなるのは寂しいけれど、そういうものでしょう。
避けられないものについては事前に覚悟をしています。

何が起きるか分からないことについては
気楽に流れへ委ねるスタイルになっていました。

かといって何もヤル気がないわけではないんです。
目の前に楽しみなことがやってくればヤル気は高まります。
方向性を決めて、そっちに向かって頑張ることが減ったという話です。

目標に向けてガムシャラに頑張るのも懐かしいですが、
先に何が起こるのかを楽しみにしておくのも悪くないと感じています。

ということで、ここに今年の目標を書くことはできませんが、少なくとも
年末に一年を振り返って感想を書くことにはなるでしょう。

それが多分、一番確実性の高い予想だと思います。

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2016年12月06日

都会のヤモリ

先日の出張帰り、最寄駅から雨の中を歩いていたところ
地面にヤモリがいました。

指がプックリしていて、なかなか可愛らしかったです。

セミナーで人の内面にばかり注意を向けて
色々な匂いが入り混じった新幹線でグッタリした後だったので、
人間以外の動物がなんとも穏やかに見えたものです。

都会のアスファルトの上を歩くのは、一般的なヤモリの生態からすれば
あまり望ましい環境とはいえないのかもしれません。

それでも不平不満とは無関係に、ただ偶然めぐりあったその環境で
ただ生きているヤモリの姿には、世間一般の人間とは違った魅力を感じます。

目標や夢を抱いたり、問題を解決したり、自己成長したり…と
置かれた状況を打破しようとするスタンスが多い世の中だからこそ、
その場所で生きるだけのヤモリに、多少の憧れも抱いてしまうのかもしれません。

ヤモリ

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2016年12月03日

観光客向け

大阪出張のときの滞在場所は、だいたい心斎橋近辺です。

このあたり、外国人観光客が非常に多い。
西洋人もいますが、アジア人が中心の印象を受けます。

コンビニに行っても中国語での表記があちこちにあったり、
コンビニの店員も中国人だったり、
ときにはコンビニ店員と観光客が中国語でやりとりしていて
こっちが異国情緒を感じたりもするぐらいです。

先日、セミナーで使うプロジェクターの接続用に
コネクターを購入する必要があって、心斎橋近辺で探し回っていました。

そもそも心斎橋には大型家電量販店も、小さな電気屋も少ないみたいで
唯一見つかったのがデパートの半分ぐらいを閉めるラオックスだったんです。

ラオックスなら配線機器ぐらい打っているだろうと高をくくっていましたが、
店内に入ってみてビックリ。

もうそのデパートの建物1つ分すべてが外国人向けでした。
日本語を探すほうが大変なほど。

ラオックス以外のフロアも家電以外の外国人観光客向けの商品で占められ
中には「こんなデザインの着物は日本人だったら着ないだろう」というような
一風変わった和服の店なんかもありました。

くだんのラオックスについても、売っているのは中国人に人気の家電が中心で
単価の安いケーブル類やアクセサリー類なんかは扱っていない様子。

店員に一応聞いてみようと話しかける相手を探したところ
店内にいたのは一人残らずアジアの国出身の人ばかりでした。

結局、近くにいた中国人らしき二人組(名札の名前を見る限り)に聞いたところ
あまり日本語が分からないのか、店内のことに詳しくないのか、
一人が店の奥にいた別の店員を呼びに行きました。

連れてこられた人も、やっぱり日本人ではない。
東南アジア系で、名札と顔から察するにタイかベトナムか、そのあたりでしょうか。

とにかく店員として見当たるのはアジア各国出身の人ばかり。
店内の商品も外国人観光客向けのものばかり。
案内表記も外国語がたくさんの感じ。

建物1つがすべて免税店になっていたようなので
そもそもの想定が日本人向けではなかったんでしょう。

むしろ僕が行くべき場所ではなかったようです。

大阪の心斎橋あたりは、外国人観光客向けのビジネスも重要みたいです。

外国人向けとして特化したほうが商売はしやすいのかもしれませんが
こちらからすると、いささかやりすぎなようにも感じられます。

外国人に合わせるために、基準が日本のスタンダードから外れてきて
もはや日本らしさが失われてさえいる印象を受けます。

仮に、利用者の求めるものに合わせるのがビジネスのコツだったとしても
利用者の都合に振り回されることとは別物のような気もします。

なんだかエスカレートしていきそうな予感もしますし、
ブームが去ったときにどうなるのかも気になっがりします。

同じく心斎橋で、少し前に建てられた(改装された?)ホテルがこちら。

外国人がイメージする日本の雰囲気を強調したような
なんとも不思議な外観に見えます。

きっと、このホテルなんかもスタッフは外国人向けを想定しているのでしょう。
案内表記なんかも興味がわきます。

日本よりも日本らしさが強調されつつ、
でもスタッフや表記が日本ではない…。
そんな不思議な日本があるのかもしれません。

まぁ、僕が宿泊することはないでしょうから
実情を知ることもできませんが。

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2016年12月01日

言語のメタ認知

母国語であっても間違って覚えていることは意外と多いもののようです。
しかも間違っているかどうかにも本人は気づけません。

僕の場合、学生時代から「傾向性」という単語が気になっていました。
研究発表でデータを解説するときに「〜な傾向性が見られます」
のように言う人がいたんです。

「性」の部分は「〜な性質」、「〜な特徴」を述べています。
例えば「積極性」となれば「積極的な性質」つまり「積極的に行動する傾向」です。
「性」は「傾向」と同じような意味だといえます。

いわば「〜な傾向がある傾向が見られます」のような感じ。

実際に辞書で「傾向性」をひくと単語そのものは存在していて
それはもっと抽象度の高い意味、つまり
「傾向を持っている性質」ということになります。

例えば「動物の行動には傾向性がある」など。
「動物の行動はランダムではなく、ある傾向を示す」という性質を述べる場合です。

もちろん僕が研究発表で聞いた「傾向性」はこっちのニュアンスではなく
「傾向」そのものの意味で使われていました。

このあたりのことは「なんとなく多くの人の使い方と違う気がする」という
違和感のレベルで気づくことはできます。

が、そこから辞書で調べようとでもしない限り
違和感のままで流されてしまうことが多いのではないでしょうか。

違和感さえも抱かなければ、意識にさえ上がりません。

僕の場合、「傾向性」は違和感として記憶に残っていたんです。
そのあとも何人か「傾向性」ユーザーと出会いました。
もちろん指摘しませんし、そのことについて話すこともありません。

ところが英語を勉強するようになって
「傾向」にあたる単語「 tendency 」を使おうとするうちに、
外国語だからこそ言葉の使い方に慎重になってきたようです。

「 tendency =傾向」という翻訳だけでは使い方がよく分からず
結局のところ、英語のままで「 tendency 」の使い方を気にするようになりました。

結果として日本語での「傾向」についても理解が深まったわけです。

日本語でも気になりますから「傾向性」についても調べてみようと思えましたし、
「じゃあ英語でも”傾向性”にあたる単語があるのか?」と調べたりもしました。

ちなみに調べた範囲では、「傾向性」にあたるのが「 tendentiousness 」のようですが、
意味合いは日本語の「傾向性」とはチョット違う印象を受けます。

「 tendentiousness 」は「偏向性」のような感じみたいです。
「特定の方向に強く偏っていること・性質」といったニュアンス。


なんとなく気になっていたレベルの言葉が
外国語を勉強することでハッキリしてくるみたいです。

同様に母国語だけだと、
似たような言葉の意味の違いが分かっていないこともあるようです。

例えば「関係」と「関係性」。

「夫婦関係」と「夫婦の関係性」はどのように意味が違うでしょうか?

「関係」は「関係がある」という動詞から派生しているものだと思いますが、
「AとBには関係がる」なんて表現を当たり前にしておきながら
「関係」と「関係性」の違いは、よく分かっていないまま過ごしていました。

これも英語で勉強しているうちに納得できた部分です。

英語の場合、「関係」は「 relation 」で、「 relate 」という動詞が名詞化したものです。
一方「関係性」は「 relationship 」。

つまり「 A relates to B」が「AはBに関連している、AはBと関係している」なので
「AとBとの間には何らかの関わりがあって、独立にバラバラなわけではない」
という話をしていることが分かります。

その「 relate 」が名詞になったので、「 relation (関係)」は
「何かと何かが関係していること(独立してバラバラではないこと、影響があること)」
だといえます。

ですから「AとBの関係」となると、
「AとBは互いに独立で影響し合っていませんか?
 それとも何かしらの関わりがあって影響が及ぶ範囲にいますか?」
のような話だと考えられます。

そうなると「AとBは夫婦という関係です」のように
「二人が近い距離にいて、家族を構成するメンバー同士」の意味が出てくる。

「親子の関係」、「友人の関係」、「教師と生徒の関係」のような使い方です。
お互いが独立ではなく、それぞれが相手に対して役割や立場を持っている。
そんな話になる、と。

一方「 relationship (関係性)」は、
「その関係( relation )がどのような性質をもっているか」の話。
「How does A relates to B?」を説明する内容です。

なので「AとBは親密な関係性にある」とか、「関係性が良好・悪い」
「関係性が改善する・悪化する」などのように使われるはずです。

AとBが関わりを持っていることを前提として、
「じゃあ、その関わりの様子はどんな感じですか?」
という話が「関係性」の中身ということでしょう。

僕のこの理解は日本語の辞書で調べたものではありません。
英語学習者として大人になってから「 relation 」と「 relationship 」について
客観的に理解しようとしたために見えてきた部分です。

おそらく英語ネイティブの人でも、
日本人が「関係」と「関係性」の使い分けを曖昧にしているのと同様に
「 relation 」と「 relationship 」の使い分けが曖昧な人もいると想像します。

大人になっての語学は、客観的に分析する視点が身についているからこそ
言語そのものの性質にも学びをもたらしてくれるように感じます。

そしてそれは母国語にも影響する。

外国語学習は、母国語も含めて
言語能力そのものを上げてくれるような気がします。

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2016年11月25日

地域の名産

出張が増えて面白いと感じるのは、
さまざまな所で地方色が感じられることです。

なかでもコンビニは同じように見えるからこそ
その中身の違いに気づくことができます。

もちろんコンビニの種類そのものにも地方色があるようです。

札幌にはセイコーマートという北海道を起点とするチェーンがあるようですし、
名古屋はサークルKが他よりも多い印象があります。

それ以上に品揃えの違いが興味深いんです。


名古屋では自然と、いわゆる「名古屋メシ」の種類のものが目につきます。

パンのコーナーにも小倉マーガリンがよく見られたり、
赤味噌系のものも見受けられたりします。
豚汁なんかも赤味噌なのは、いかにも名古屋という感じでしょうか。

大阪はレジ横の揚げ物コーナーに種類が多いようです。
とり天とか、ちくわ天とか、天ぷらものも並んでいます。

もしかすると麺類の味付けなんかも違うのかもしれません。
食べる機会がないので分かりませんが。

札幌の場合、ほかの地域にはないぐらいバリエーションが豊富です。
羊羹パンとか、ガラナとか、ラーメンサラダとか、やきそば弁当とか
地域色の強いものもコンビニにありますが、
セブンイレブンのオリジナル商品でも種類が多いんです。

パンなんかは他では見ないものが色々。
なんでも新商品を試す場所でもあるんだという話を聞きました。

さらに、他と同じ商品でも名称が違っている場合があります。
トウモロコシは「とうきび」と表記されています。
から揚げは「ザンギ」です。

あとは原材料の産地で北海道が強調されていたり。
「十勝産あずき」なんてのは良く見かけます。


そういえば山口に住んでいた時は
広島近辺で有力な「ポプラ」というコンビニが沢山あったものです。

地域ごとの文化の違いは、コンビニでも見て取れるようです。

輸送の手間を考えれば、地域ごとに基点を作って展開するのが妥当でしょうから
各地に合わせたものが生まれてくるんだろうと思います。

店内を見ているだけでも意外と楽しいものです。

cozyharada at 23:43|Permalinkclip!

2016年11月21日

寝心地と夢

最近気付いたんですが、
どうもホテルに泊まると悪夢を見る確率が高いんです。

覚えている夢の多くが、日中に意識へ上がった内容から
連想されるようなものだなのに対して、
なぜかホテルだと変な夢が多いようです。

僕にとっての「悪夢」は、だいたいが虫の類い。

ウジャウジャした感じ。

…今こうして「ウジャウジャ」という文字を書いても
不快な気分になるぐらいなので、
夢に見た後の目覚めは良くありません。

まあ、そもそもホテルでは熟睡できていない気がしますし、
途中で起きるとこが多いのも関係するかもしれません。

ふと思ったのは、
隣の部屋からの騒音の影響もあるかもしれない
ということ。

イビキや水回りの男が漏れ聞こえてくると
そこから不快なイメージが連想されるんじゃないか?と。

寝返りも打ちにくかったり、
乾燥も酷かったり、
寝起きで身体が痛いことも多いですから、
悪夢が加わると体力が回復しない感じがします。

近頃はホテルの予約も取りづらいようなので
あまり贅沢は言えませんが、
疲れを溜める要因は避けたいものです。

cozyharada at 23:38|Permalinkclip!
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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