心理学

2019年05月18日

瞑想してきます(5/18-25)

不在のお知らせ】
5/17〜5/25 の期間、海外出張にともない
お返事ができなくなります。

当該期間中にメールや
問い合わせフォームからご連絡くださった場合には
お返事が26日以降になってしまう見込みです。

ご了承ください。


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アメリカにやってきました。
昨日、ロス・アンゼルスに到着して
数時間の空港待機のあと乗り換え。

ロス・アンゼルス国際空港を出発した直後の空です。

今年は気温が低い。
去年、一昨年と30℃ぐらいだった気がするんですが。

それでも乾燥して砂ぼこりっぽい印象は変わりません。
飛行機から見ても空のかすんだ感じは相変わらずです。

だだっ広い地平線を見ると、アメリカ大陸の広大さを感じると同時に
日本が島国で、いかに平野が少ないかを思い返します。

LAX02


























LAX01



























そしてこちらはロス・アンゼルスから飛行機で一時間ちょっと離れただけの
ネバダ州の空港近くの景色。

空も緑もクッキリと色鮮やかな感じです。

空港から歩いて数分のところに最寄りのホテルがあります。
ここは日本の相場よりも安いぐらい。

木曜日の夜というのもあるかもしれませんが、
日本国内で出張の時には、この価格は見つかりません。

同系列を札幌で探すと、2倍ぐらいの値段。
ちょっとした田舎町なのかもしれません。

古い木造のホテルですが、広さも清潔感も十分です。
というより、広さに関していえば相当なもの。

中庭を取り囲むように3階建ての建物があるだけですが
十分な部屋数があるようです。

1フロア90部屋ぐらいでしょうか。

ベッド1つのいわゆるシングルルームが
30〜40平米ぐらいの広さです。

無駄にでかいキングベッド。
クイーンベッドが2つの部屋もあるようですが
部屋の敷地面積は変わらないようでした。

まぁ、十分でしょう。

国内出張でホテルを選ぶときは
11平米か13平米かで、随分な違いを感じます。

15平米だったらビジネスホテルとしては十分だと僕は受け取りますが
アメリカで大都市ではないところだと、3倍ぐらいの広さでも
かなりリーズナブルな値段になるようです。

そもそもホテルを高層化する必要がないぐらい土地があるわけですから
広さに関しては当然だと言えるのかもしれません。

RNO01


























で、ホテルで一泊して空港の前に戻り、
そこからバスで目的地に移動します。

その先は日常社会から離れることになりますので
インターネットやパソコンなどのIT機器は電源を切った状態。

本やテレビなどの娯楽も禁止されています。
他人とのコミュニケーションも無し。

せっかくアメリカに来ても、英語を使う機会は少ないんです。

瞑想して、少し講義を聞く。
講義中のメモもダメなので、あとで思い返してノートを整理する。

なので瞑想や講義以外の時間は、自分でノートを書くぐらいなものです。
あとは食事とシャワーと睡眠。

他の流派と比べると全体にゆるゆるなスタイルではありますが
いわゆる「リトリート」のカテゴリーのようです。

リトリート(retreat)という単語の一般的な意味は
「避難」や「退却」のはずです。

そこから「避難所」「静養所」のような意味合いが生まれ、
集中的に瞑想に取り組むような活動も「リトリート」と呼ばれます。

日常の喧騒から離れ、静かに過ごす…といったニュアンスなんでしょう。

しかしそこには本来の意味として「避難する」「退く」雰囲気が含まれます。

ですから、実社会のしがらみや、仕事に追われる状態、
複雑な人間関係のストレスや、ネット社会による拘束…
そういったものを断つという趣旨は、まさに
「避難」や「一時撤退」の感じにも通じるんだろうと思われます。

つまり実社会や日常生活を、ある種の困難と捉え
その「難」から「退避」するような意味合いが
リトリートという言葉にあるようだ、ということです。


一方、禅の伝統からすると、一年のうち数カ月の間だけ
日々の暮らしを成り立たせる仕事を一休みして
徹底的に修行だけに集中する期間があるんだそうです。

こちらの意味だと、「避難」とか「退避」とかよりも
もっと積極的に「修行に専念する」スタンスだといえるでしょう。

そしてこの修行を100%にする取り組みそのものが
仏性を顕現させる時間として重視される、と。

その意味では、別の僕はリフレッシュのために来ているわけではなく
むしろ日常よりももっと本気に時間を過ごすため、
わざわざアメリカの山の中に来ているつもりなんです。


ということで、これから修行をしてきます。

トレーニングではなく「修」を行う時間です。

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2019年04月27日

連休の流れ

大型連休に入って世間の様子も普段と違って見えます。

僕はそもそも、いわゆる休日・平日というのとは
あまり関係のない生活をしていますから、
むしろ会話の中で「連休はどうするの?」みたいな質問が増える
こういう時期のほうが少し戸惑うことも多い気がします。

メリットは『通勤ラッシュがなくなる』ことでしょうか。
電車でギュウギュウ詰めになるのは心地よくはありません。


しかしながら、ここまでの大型連休となると事情は甘くないようです。

通勤ラッシュとは性質が違うとはいえ混雑具合は相当なもの。
それも時間帯に関わらず、ずっと人が多いような印象を受けます。

普段の日曜日よりも人が多く出てきている感じ。

外に出てくる人が増えるのか、移動に伴って駅近辺の人が増えるのか。
あるいは住宅地から市街地に出てくる人が増えるのか。

定かではありませんが、近所の様子も、電車の中も
普段の平日とも休日とも違った人ごみ具合です。

おそらく通勤ラッシュのときのほうが人数は多いはずです。
それでも通勤ラッシュのときは人の流れが定まっているんです。

駅に向かう流れ、乗り換える流れ、駅から出る流れ…と。
ランダムな動きは少ないですし、立ち止まる人も滅多にいません。

それと比べると連休中は、特に行動が決まっていない人も増えるんでしょう。
立ち止まったり、キョロキョロしたり、ランダムに向きを変えたり、
歩くスピードも人によってバラバラだったりします。

仕事で出かけるときには、このあたりの条件は少し不向きです。
世の中全体の流れと違ったことをしているんだなぁと感じる瞬間です。

通勤ラッシュの時間帯に立ち止まってキョロキョロしている人でもいれば
周囲はその人に冷たい視線を投げかけることが多いようですが、
連休の最中であれば、そうはならない。

むしろ大勢が、いつもよりゆっくりと雑踏に滞在している感じです。
そっちが標準として見なされているのだろうと思われます。


やはり社会は決まりごとの中で、多くの人の行動が定まっているほうが
スムーズに機能しやすいんでしょう。

ビジネスをやる人たちも、この連休に合わせた動きが見受けられます。
セールをやったり、キャンペーンをやったり、
観光客を想定した土産物を展開したり。

最寄り駅でも新しく駅近くのビルに
いくつか新しい店がオープンがしました。

ゴールデンウィークに向けて新規オープン、リニューアルできるように
計画を進めていたんでしょう。

案の定、新しく開店したところは特別セールをやっています。

連休中は安い。
しかもこの時期だけ。
新しいところだから見てみたい。
駅前でチラシをもらった。

そんな考えからか、新しい店にも人がごった返していました。
僕は他の店で買うものがあって通りかかったんですが。

レジ待ちの行列もすごいことになっていましたし、
新しくできたGUというUNIQLOの系列店では
試着待ちの整理券番号がアナウンスされているのを聞きました。

僕が買い物したかった店も、普段はガラガラなのに
レジ待ちの行列ができてしまっていましたから、
安売りや新規オープンに集まってきた人たちが
他の店舗にも流れて行っていたということなんでしょう。

ビジネスというのは、こうやって
人の動きに合わせて工夫するものなのかもしれません。


心理やコミュニケーションに関わる分野に携わっていると
「自分のやりたいことを見つける」とか
「自分軸で生きる」とか
周りに流されないような話が多い気がします。

ですが世の中の大部分は同じような動きをしているというのが現状。
本人が周りに合わせている意識があるかどうかは別にして
周りと同じような考え、行動パターンで生きているわけです。

経済もそれに応じて回っている。

そういうことを考えると、
 周りのことを気にせずに自分の気持ちだけを重視する
というやり方が、どれぐらい効果的なのかは分かりません。

「自分が好きなことをやりたい」という気持ちは
言葉にされ切れていませんが、その前提として
「自分が好きなことをして、やりがいとしても経済的にも人間関係でも
 あらゆる面で臨む結果が出て欲しい」
という考えが含まれていると思われます。

「好きなことをやって、誰から見向きもされなくても
 日常がどんなに苦しくても、それでも構わないから
 自分軸で生きるんだ」
という話ではないでしょう。

その意味では、世の中の動きに合わせるというのも
自分のやりたいことの1つに含まれる必要があるのかもしれません。

少なくとも望む結果を出すために必要な範囲では。

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2019年04月23日

久しぶりのMRI

久しぶりにMRIをやってもらいました。

瞑想に慣れてきているつもりだったので
30分ぐらいジッとしているのなんて大したことないだろう、と
高をくくっていたというのが正直なところ。

実際は瞑想とは大違いでした。

一番の印象は、MRIでかける磁場そのものが
脳の機能に影響しているのではないか?ということです。


姿勢の影響もあるとは思います。
横になる姿勢は、枕の高さが合わないと呼吸しにくくなりますので。

座禅なら自分でベストな姿勢を調えられるのに
MRIは機会の都合に合わせなければならず、
かつ外部から動作を固定されてしまいます。

座禅の最中の姿勢は主に「運動」としてキープされます。
”動かない”というのは全身の筋肉の自然な動きを微調整する動作を続けて
結果的に”動いていない”状態が作られ続けるわけなので、
その意味で「姿勢を保持する運動」をしているといえます。

これは外から動きを止められるのとは違います。
外から止められると自然な筋肉の動きは、むしろ妨げになってしまう。

特に最近は、なんとなくの息苦しさとか喉の詰まりの感じもあって
横になった状態で固定されているのはチョット大変でした。


あとは音も関係しそうです。
全体に機械音が大音量で鳴り響きます。

放射線技師からは「寝られたら寝てください」と言われますが
あの騒音で寝られたら大したものでしょう。

僕が最初にMRIを受けたのは研究職時代。
転倒してCTを撮って、「血管の細さが気がかり」ということで
大学病院に行ってMRIを取ることになりました。

そのときに「椎骨動脈が機能していないかも」と言われ
「脳幹への血流が少ない可能性があるから注意して」と指示されたんですが、
その当時は一日3、4時間の睡眠で毎日寝不足の感じでした。

昼休みのような小休憩でも、すぐに仮眠が取れるぐらい
いつも寝不足だったわけです。

それでもMRIの騒音では寝られませんでした。

ちなみに、装置が測定を始める前にも
装置そのものの運転音はずっと鳴っていました。

この音が一定のテンポで「ズンチャカ、ズンチャカ」鳴っていて
結構ノリノリのリズムだったんです。

それが妙に可笑しくて、落ち着く心境ではなかった気もします。


にもかかわらず、MRI撮影が始まって少ししたら
急に心拍数が上がって、息苦しくなり、過呼吸気味になってきました。
このままいくとパニックになりそうな感じ。

僕は別に閉所恐怖症ではないので、
空間的な狭さは引き金ではないはずです。

姿勢の苦しさで呼吸がしにくかったのはありますが
測定が始まってから苦しくなってきたことを考えると、
測定のときに追加された要因が関係していると想定できます。

測定開始から加わったことの1つは騒音。
もう1つは磁場です。

騒音は確かに耳元でガンガン鳴りますから
けたたましさだけでも心理的な影響はあるかもしれません。

ですが、音が鳴っていても苦しくない時もあるんです。
むしろ音の大きさや質に関わらず、ときどき苦しくなるときがある。

ということを考慮すると、磁場そのものが
脳の特定の部位の機能に影響するんじゃないか?と。

その程度や範囲は定かではありません。

一方で、TMSという装置は、磁場を脳の局所に当てることで
脳神経に電流を作り出し、脳の機能を一時的に変化させられます。

こちらも厳密な仕組みは不明らしいですし、
MRIの磁場が脳の機能に影響しても不思議ではないでしょう。

個人的な見解としては、「心」というものは
そもそも磁場によって動かされているような印象さえ持っています。

ラポールによる同調の仕組みは不明ですが、
僕はこれも磁場が関係するのではないかと想像しています。

犬がウンチをするときは南北方向に向くことが多いとか、
パワースポットと呼ばれるところも「ゼロ磁場」と呼ばれたりとか、
通常は南北方向に向きやすいウシやシカの群れも
磁場が発生する送電線の近くでは身体の向きがバラバラになるとか…。

とにかく心の中に起こるものは、
そもそも磁場から影響されている可能性があるのではないか?と。

そう考えるとMRIの磁場が心理的に影響しても妥当でしょう。


実際、僕の場合、測定からしばらくして息苦しくなって
途中から落ち着きを取り戻し、そこからは瞑想的に
意識を広げることができるようになりました。

それでも時折、また少し苦しくなることがあったんです。

おそらく最初の頃の苦しかった時、
唾液を飲み込むような動きを何度もしてしまったことで
きちんと撮影できていなかったんでしょう。

最後のところで撮り直しを指示されました。

今度はかなり落ち着いた状態だったので
瞑想の感じを維持しながらスムーズに受けられるだろう、と
思ったんですが、そうはいきませんでした。

やっぱり呼吸と心拍数が上がって、苦しくなる。

今度は僕の生理状態の土台が安定していたので
動かずに撮影できただろうと思いますが、
それでもやっぱり苦しくはなりました。

脳幹あたりに影響が出るのかもしれません。


MRIの磁場がむしろパニックの原因になっていたりすると
「MRIを受けたのがキッカケで閉所恐怖症になった」
という人も多いのではないかと想像してしまいます。

とはいえ、この検証は非常に難しいでしょう。

”MRIによる脳機能への影響を調べるためにfMRIを使う”
なんてことは無理な話ですし、
他の装置で測定しようとしても、MRIの磁場で壊れてしまいます。

主観的に報告してもらう以外にデータは取れなそうです。

cozyharada at 23:14|Permalinkclip!

2019年04月16日

世界が違って見える

久しぶりに病院に行ってきました。
いわゆる総合病院のような大きな病院は、
もしかすると10年ぶりぐらいかもしれません。

手の震えが続くので、ちょっとした検査です。

待ち時間の長さが凄まじく、賞味3時間ぐらいかかってしまいましたが
おそらくあの病院では普通の状況なんでしょう。

それなりにサラリーマン風の人もいるとはいえ
もちろん大部分は高齢者でした。

コンスタントに通っている高齢者が大半を占めていて
だからいつも混んでいる、ということかもしれません。


なんというか、病院の雰囲気は独特ですね。

来ている人たちは基本的に具合が悪いわけですから
表情も歩き方も座っている姿勢からも、そんな状態がうかがえます。

そういう人たちに囲まれて待っているだけで
なんだか僕まで具合が悪くなってきそうな感じ。

また建物自体が古いせいか、廊下も狭く、天井も低いので
余計に息が詰まるような感じが見受けられます。

ここで働くのは自分には無理だろうなぁという印象を持ち始めました。


そもそも僕が病院を訪れた理由は、一か月前ぐらいから起こっている
手の震えの症状が気になったからです。
念のため検査をしておこう、と。

昨年の12月に札幌出張中、凍った雪道で真後ろに転んで
頭を打ったというのもありましたし、
まぁ何があるか分からない、ということで。

他にも手汗が流れるぐらいに出たり、
セミナーの最中の水分補給量が増えていたり、
翌日の脱水状態が酷くなっていたり、
いくつか気になることが重なっています。

自律神経のバランスがおかしいのかもしれませんが、
医療レベルのリスクがないことは確認しておけると
何かと気がかりがなくなりますので。

とはいえ、この手の震えの症状も脱水状態も
基本的にはセミナーが重なったときに起こり始めて
自宅で過ごす日が3,4日続くと落ち着き始めます。

なので3時間も待ち時間に拘束される病院に行けるほど
時間的な余裕のあるタイミングとなると、自動的に
セミナーから離れた状況となってきてしまうわけです。

果たして検査に行ったところで、その症状は診てもらえるのか?
主に口頭での説明と、自覚症状レベルの問診ぐらいになってしまうのでは?

そんな懸念がありました。

こっちから積極的に色々な検査を「念のため」やってもらうよう
依頼することになるかもしれないと想定はしていたんです。


しかし、そんな心配は無用でした。

大勢の人に囲まれて待っている間、
具合の悪い人たちを眺めている間に、
いつの間にか手が震え始めていました。

なので診察の順番がやっていて医師に診てもらったときにも
色々な検査の最中、目視できる程度の震えは確認できたようです。

あとは手足の発汗も。

脳の障害や運動神経の問題を疑うようなものはなかったみたいですが
念のためMRIを取ることにして、その日は血液検査もすることになりました。

医師の話だとホルモン系を疑っていそうな様子。

久しぶりの採血は、思ったよりも痛くありませんでした。

数年前の僕は、注射針が刺さる痛みさえも
勝手に記憶で増幅して作り上げていたようです。

改めて新鮮な体験でもありましたし、
今の僕は病院内では普通に起きていることから
随分と違った状態になっているような印象も持ちました。

なんだか異世界にやってきたかのよう。
不思議な気分を味わいました。

次に行くのはMRI。
これも10年ぶりぐらいでしょうか。

以前は時間の長さが耐えられない不快な体験でしたが
瞑想にも慣れてきた今、感じるものは違ってくるかもしれません。

心配以上に、どういう体験をするのかへの関心のほうが高いぐらいです。

cozyharada at 23:24|Permalinkclip!

2018年12月27日

フェルメール見てきました

先日、フェルメール展を見に行ってきました。

すごい混雑ぶり。
ピークを外した平日の午後のつもりでしたが甘かったです。

入場時間帯が分けられていても
各時間帯の初めは行列になるとのことで、
少しズラしたタイミングで入場したんですが…。

作品の点数も決して多くなく、
開催の美術館そのものも上野の中では小さいもの。

その割には、一般的な相場を大きく超える価格設定で
フェルメールを8点も集めたら、それだけで
相当な金額を所蔵元の美術館に支払っているのがうかがえます。

通常は数百円支払うことになっている音声ガイドも
無料で全員に配布していて(音声ガイド込みの入場料ともいえますが)、
しかもその音声に石原さとみを起用しているあたりも
なんとかして入場者を集め、元を取ろうという様子が感じられました。


僕は美術館では音声ガイドは使いません。
絵を見に行っているのであって、
絵画の歴史を知りに行っているわけではありませんから。

NLPの観点で、強調されたサブモダリティを見つけ
画家の視点と視線の方向、焦点距離と視野の広さを捉えて、
それで画家が見ていたのと同じ見方を模倣します。

すると絵の中に描こうとしていたものが感じ取れてきます。

一般にはフェルメールの光の描き方が解説されたりしますけれど、
そういう見方をするとフェルメールの絵には
本来は制止した紙の上の絵には表れないはずの
『時空』を描こうとしていた雰囲気が感じられます。

そういう見方をするためには、絵を見る角度と距離が大事になります。
混雑した美術館では、なかなか厳しいものです。


おそらく今回のフェルメール展は、
かなり特殊な展示の仕方になっているのでしょう。

通常よりも作品数が全体的に少なく、
それでも物足りなく見せないためには
美術館のスペースは狭いほうが良い、と。

それでいて経費の元を取るには入場者数は稼がないといけません。
身動きが取れない状況は避けながらも数を入れる。
それには回転は速い方がいいはずです。

日本人は勉強好きが多いのか、美術館で見かける大部分の人は
絵を見るよりも、文字情報に関心が向くようです。

なので音声ガイドで解説を聞きますし、
絵の横に貼られた作品解説を読みます。

この時間が結構かかるんです。
大体、絵の横に貼られた解説の字は小さいですから。

回転をよくするためには、その字を全員に読まれては困る。
だからでしょう。
このフェルメール展には、絵の横に解説が貼られていません。

代わりに展示作品全ての解説が書かれたパンフレットが
無料で全員に配られていました。

とはいえ、決して詳しい解説ではなく
通常は絵の横に貼られている程度の簡易なもの。

絵の横に文字情報を置いてしまうと、
一人ひとりが読むための時間で全体の回転が落ちる。
それを防ぐための工夫だろうと思われます。

音声ガイドは聞いていないので内容は定かではありませんが
ほとんどの人はガイドの解説が終わった瞬間に
次の絵に移動すると想像できます。

全員に音声ガイドを配るのも、全員の動きを均一化して
一定のペースで大勢が回転するのを狙ったものではないでしょうか。


ですが僕は、フェルメールの絵を見に行ったので
そういう全体の流れとは無縁です。

美術館に入るなり、入り口付近の解説文章に
それを読むための人だかりができていましたが、
当然それは無視して通り過ぎます。

しかし一点目、二点目あたりの作品近くから、もう大渋滞。

絵が見えるとか見えないとかのレベルではありませんでした。
通勤ラッシュかと思うほど。

その人ごみから滲み出てくるイライラと不満…、
にもかかわらず、たとえ絵が見えくても音声ガイドは聞く人たち。

その集団に巻き込まれると身体にストレスが起きてくるので
とにかく人ごみを避けるために、奥へと進んでいきました。

最悪の想定として、もう全てが混雑しているのだとしたら
何も見ないで帰ってくるぐらいのつもりで。
それぐらいの混雑ぶりだったんです。

そして出口近くまで一気に進むと、人の数が激減しました。

不思議なことに、そのゾーンにフェルメールが集まっていたのに。

つまり、美術館のルートの最後のあたりに
目玉のフェルメールが集結している構成だったんです。

ですが大部分の人は、入り口付近の絵のところに長く滞在して
丁寧に音声ガイドを全部聞いて渋滞を作り出し、
目玉ではないフェルメール以外の作品近くでラッシュを体験する。

そして先に進むにつれて、人ごみと立ちっぱなしと
見えもしない絵に対する不満と、解説に対しての飽きが出てくるのか…、
徐々に移動スピードを上げていったようです。

絵もチラッと見るだけ。
音声ガイドも全部は聞かずに先へ進む。
だんだんと疲れてきて長く居座るのも嫌になってくる。

そうして最後の目玉、フェルメールの作品が集まった区画に着くころには
もう絵を見る気力も、解説を聞く意欲も失われ始めている、と。

おまけに今回、一番有名だろうと思われる
『牛乳を注ぐ女』のすぐ先には、出口の案内表示と
出口に繋がる光が見えているんです。

薄暗く、狭く、人がひしめき合ったところを通ってきて、
ようやく有名な作品が出口近くにあって、
出口の先には明るい外の世界が予感される状態になっています。

それは早く出たくもなるでしょう。
最後の絵はサラッと見て、もう美術館を出てしまいたい。
解放されたい。
そんな心境の人が多かったのではないでしょうか。

ですからフェルメールの作品が集まった最後の部屋は
意外と人が少なく、流れも良く、強制的に一列に並ばされるムードもなく
割りと普通の美術館と同程度には絵を見ることができました。

なんとも皮肉な話です。

大行列の入場者は「有名なフェルメールだから」と来場したはずなのに
入り口近くの絵でもない文字情報の理解に力を注ぎ、
前半のフェルメールではない絵のところに時間をかけ、
ようやくお目当てのフェルメールに着くころには
絵を見る気力なんてなくなってサッサと出て行ってしまう。

まぁ、そのおかげで、僕はフェルメールの絵のところに直行して
比較的人が少ないゾーンだけに滞在しながら
ちゃんとフェルメールの視点にペーシングしつつ絵を堪能できました。

フェルメール以外は何一つ見てもいませんが、それもいいでしょう。


それにしても本当にすごい人数でした。

美術館は海外が良いなあと痛感します。

cozyharada at 23:53|Permalinkclip!

2018年12月17日

オシャレのために

外来語を使うとオシャレになる、という日本文化は
これだけ外国人観光客が増えている昨今でも根強いようです。

例えば、スターバックスの商品名なんて
不思議なカタカナ語の羅列になっていたり。
英語とフランス語が混ざって使われていることもありました。

まぁ、そもそもアメリカのスターバックスでも、
サイズ表記はShort, Tall, Grande, Venti, Trentaとなっていて、
Grande以降の大きいサイズはイタリア語になっています。

(Grandeは「大きい」、Ventiは「20」、Trentaは「30」。
 Ventiサイズは、20オンスなので約570mlという意味のようです。)

外国語がカッコイイと思うのは、
日本に限ったことではないのかもしれません。


ですが、外国語がカッコイイとしても、それは自国の人にとっての話。
日本人にとっての英語、アメリカ人にとってのイタリア語は
外国語だからカッコよく映るんでしょう。

外国語が使われているけれど、その表記を目にする対象は
主に現地の人であって、外国人ではないわけです。

一方、最近は外国人観光客や海外からの移住者が増えていることもあって
街中に外国語表記の看板や注意書きが増えてきています。

新大久保駅構内のアナウンスは、十か国語以上で流れていますし、
モノレールのアナウンスや電光掲示板は、
日本語、中国語、韓国語、英語の4か国語で表されています。

最近は、小田急線の車掌が英語アナウンスを自力でやっていて、
これなんかは、かなり勉強した形跡が認められるものです。

新幹線は以前から上品なオーストラリア英語のアナウンスがありましたが
この頃は車掌や乗務員が肉声のカタカナ英語で、
わざわざ毎回決まったアナウンスを読み上げています。

ホテルには当然のように英語表記の注意書きが多いですし、
飲食店などでもトイレに英語の注意書きが増えてきた気がします。

こういうのは日本人のためのオシャレな外国語ではなく、
外国人のために書かれた内容のはず。

だったら、ちゃんと、その言語が分かる人に依頼するとか
少なくともネイティブにチェックしてもらうとか、
それぐらいの工夫はしても良さそうなものです。

ところが実態は…。
結構、「なんじゃこりゃ」みたいのも多いようです。


先日、打ち合わせで
地下鉄の四ツ谷駅出口の近くにあるカフェを利用しました。

店の名前は東京メトロなので、「Marche de Metro」。

Marcheはフランス語で市場、マーケットのことです。
その店はカフェだけではなく、フードコートになっていて
多くの種類の飲食店が集まっていますから、Marcheにしたんでしょう。

フランス語にしたのは、オシャレの要素ということで
これもよくある範囲だと思います。

「Metro」の部分は、フランス語だと「Metro」という綴りですが、
まあ、東京メトロは英語表記が「Tokyo Metro」らしいので
固有名詞の一部としての「Metro」を使っていると考えれば
「Marche de Metro」ではなく「Marche de Metro」なのは問題なさそうです。
(フランス語話者が見たら気になると思いますけど)

で、その店はフードコート形式なので
座席は利用者が自由に選んで座る仕組みになっています。

かといってセルフサービスではないので、
食べ終わった食器はテーブルの上に残していくルール。

なので、食べ終わってもう帰ったのか、
一時的に席を離れているだけでまだ途中なのか、
を示す必要があるようです。

その意思表示をするためのカードがありました。
それがこちら。

Marche de metro



















上から、英語、日本語、フランス語で書かれています。

内容に全く統一感がありません。
が、英語だけ分かる人、日本語だけ分かる人にとっては
問題なく意味を汲み取れる表記にはなっていると思われます。

英語のほうは
「この面を上にしてあったら、私どもでテーブルを片づけます」
といった感じの意味。

お客さんが読んで、
「ああ、この店は食器をそのまま置いていって構わないけれど
 このカードを使って食事が終わったことを示す必要があるんだな」
というルールは伝わるでしょう。

文章の主体は、店側になっています。
店側からお客さん側にアナウンスをしている形。


一方、日本語は「食器を下げてください」と
お客さん側の状態を代弁するメッセージになっています。

日本人であれば、これを読めば
「自分が食事を終えたときに、このカードを使って
 終わったという状態を伝えてあげる必要があるらしい」
と汲み取れます。

自分の状態に合ったほうの面を選んでテーブルに置いておく。
そういうルールが伝わる表記でしょう。


ところが一番下のフランス語は…。

「Debarassez pas la table, s'il vous plait. J'ai finis mon repas.」
とあります。

まずフランス語表記としてエラーがあります。
フランス語だと
「Debarassez pas la table, s'il vous plait. J'ai fini mon repas.」
のはずです。

アクセント記号が足りないのと、
「fini」が「finis」になってしまっているのが間違い。

アクセント記号については、このカードを作った人のパソコンで
記号つきのアルファベットを出せなかった可能性がありますから
まぁ、目をつぶることはできるでしょう。

「fini」と「finis」は、どちらも不定形が「finir」ですが
文法上、かなり使われ方が異なります。

「fini」は過去分詞、「finis」は一人称現在形。
「J'ai fini」で「私は終わりました」という過去形になります。
「Je finis」だと「私は終えます」という現在形。

ここは混ぜてはいけないところ。

それでもまだ、タイピングミスとかの可能性はあります。

ですが、文章全体の意味を考えると、これは明らかに問題です。

一文目
「Debarassez pas la table, s'il vous plait.」
は、
「テーブルを片付けないでください」
という意味です。

ここまでだと、誰から誰に対してのメッセージなのかも分かりません。

店側からお客さんへのメッセージだとすると
「テーブルはそのままにしていってください」
とお願いしている、ルール説明だと受け取れます。

英語と日本語の意味から考えると、この解釈になりそうです。

にもかかわらず次の文、
「J'ai fini mon repas.」
は、
「私は食事を終えました。」
という意味です。

主語は私という単数形ですから、店側ではありません。
食事を終えるのもお客さん側の立場。

となると、この2文は
お客さん側の状態を代弁する形式だといえそうです。

日本語表記のスタンスと同じ、英語表記とは逆だ、と。

そうすると2つを組み合わせたときの意味、
「テーブルを片付けないでください。私は食事を終えました。」
は、
なんだか意味がよく分かりません。

「テーブルを片づけてください。私は食事を終えました。」
だったら、
お客さん側の状態を代弁する意思表示のカードなんだと伝わりそうです。

逆に
「食べ終わってもテーブルはそのままにしておいてください。
 私たちで片づけます。」
というメッセージなら、店側からお客さんへのルール説明として伝わります。

そのどちらでもないわけです。

元のメッセージをできるだけ残すとしたら、
「テーブルを片づけてください。私は食事を終えました。」
のほうになるでしょう。

おそらく「片づけてください」を
「片づけないでください」と書き間違えたと想像できます。

本来は
「Debarassez la table, s'il vous plait. J'ai fini mon repas.」
にしたかったんだと思います。

否定文と肯定文の間違えは、意味が真逆になりますから
かなり大きなミスではないかと…。

誰にもチェックを依頼していないんでしょうね。


そう考えると、
一見したらお客さんのための注意事項のようなカードも
その実態にはオシャレ目的の内容が含まれている、
ということなのかもしれません。

本当に注意書きとして店のルールを伝える目的なのだとしたら
オシャレ要素のために情報を混乱させるのは避けた方が無難かもしれません。

そもそも最後のフランス語の文章がいらない。

日本に来ているフランス語話者でも英語を分かる人は多いでしょうから
英語とフランス語の2つを見たときに、
わざわざ余計な混乱をさせるだけになってしまいます。

英語だけだったら、最初からそちらしか読もうとしないはずなので
むしろ逆効果とも言えそうな気がします。

日本人の立場に置き換えてみると、
ハリウッド映画に出てくる”日本人街”に
ちょっとおかしな日本語が書かれているのを見たときのような感じ。

あるいは変な意味の日本語のタトゥーを見たときとか。

突っ込みたくなるとか、気恥ずかしくなって目を背けてしまうとか。

そんな気持ちにさせている可能性があります。

オシャレのための外国語と、
情報伝達のための外国語とは、
目的が異なります。

情報伝達を目的とするなら、それなりのチェックをするほうが
目的に沿っていると言えるんじゃないでしょうか。

cozyharada at 23:53|Permalinkclip!

2018年12月11日

『ヤル気を削がない』コミュニケーション

他人をヤル気にさせたい人って、多いようです。

上司が部下をヤル気にさせるとか、
親が子供をやる気にさせるとか。

簡単にヤル気が上がる「ヤル気スイッチ」のようなものを
期待することも少なくないように見受けられます。

ヤル気の上げ方や、モチベーションの理論など
心理学やマネジメントの分野でも注目される分野のようですし。


僕が思うのは、
 いずれも前提がズレているんじゃないか
ということです。

「どうすればヤル気(モチベーション)が上がるか?」
と問うのは、
そもそも「人はヤル気がない状態が通常」という前提を含みます。

ヤル気が上がらないと、やらない。

あるいは少なくとも
「ヤル気が上がらないと、自分が期待した通りには
 他人が行動してくれない」
という発想を含むはずです。

むしろ逆なんじゃないでしょうか。


つまり、人は放っておけばヤル気は出す。
人は何かをする性質を基本的に持っている、と。

誰かに関わって、その人のヤル気に影響を与えるのは
むしろ『ヤル気を下げる』側のコミュニケーションかもしれません。


ある作業に対して「ヤル気がない」ように見えるのは
そのこと以外のことにヤル気が向いているから。

もしくは全てのことにヤル気がない状態だから。
…こちらは心身が疲れていますから休息が必要なタイミング。

休みが必要ではないのに、特定のことにヤル気が出ていないとすると
それ以外のことに気持ちが向いている、と考えられます。
優先順位が低いんです。

本人の中で優先順位を上げる理由が把握できていない可能性があります。
だとすると理由が伝わっていないわけです。
伝え方の問題が考えられます。


あるいは優先順位の高さが分かっていても
期待するような行動にならないこともある。

スピードが遅いとか、質が足りないとか、自主性がないとか。

このレベルの話だと、本人がやり方を熟知していない懸念があります。
上手くない。
やり方がよく分かっていない。

求められることのレベルを把握していないか
そのレベルが必要な理由が分かっていないか
そのレベルのパフォーマンスを出す技量が足りないか。

だとすると、これはヤル気の問題ではないんです。
やっているんですから。

やり方、パフォーマンスが期待に沿わないだけ。

この場合は、話し合いが求められます。
本人の中に困っているところがあるはずです。

もし困っていないとすると、困らせることが上手くいっていません。

求められる基準があって、そこに達していない。
そして「求められることがあるなら、やらなければいけない」
とは本人も理解はしている。

だとしたら少なからず本人が困っているでしょう。
勉強のヤル気がでない子供なんかは、このケースが多いかもしれません。

何が分かっていて、何が分かっていないのか?
何が分からないのかも分かっていないのか?
何が上手くできないのか?
喜びが分かっていないのか?

そのあたりのことを話し合って共有できれば、
かなり具体的な指導が可能になります。

この段階だと教育・指導が求められるわけです。

ヤル気がないから、やらないんじゃない。
できないから、やらない。

だから、できるようになるサポートが先決です。


そして、上手にできるようになると、一般的には
そこに上達する喜びや、自主的に工夫する喜びが生まれます。

できるようになると、それなりに楽しさが出てくるわけです。

そうすると今度は、
ヤル気を削ぐコミュニケーションが課題になりがちです。

せっかく頑張ったのに頭ごなしに否定されるとか、
自主性を発揮したのに非難されるとか、
頑張っている部分を認めてもらえないとか、
数少ないミスだけを怒られるとか、
その作業以外の部分として、人間関係にストレスが強いとか。

こうなってくると不満が増えます。
以前のようなパフォーマンスが出なくなったり、
それ以上の努力をしようとしなくなったり。

結果は出しているのに、態度が悪くて、職場の雰囲気を壊す…
なんていうときは、ヤル気を削いでいる可能性がありそうです。

こうした範囲は、関わり方の工夫で対処する必要があります。


ポイントは、
 どのレベルで「行動」に繋がっていないのかを判断する
ということでしょう。

「ヤル気」とは、行動の原動力です。

「ヤル気がない」と評価するときには、
その人の行動を元にしているはずです。

本当にヤル気が全く無いとしたら、そこに行きません。
学校にも、会社にも行かない。

来ているということは、ある程度の必要性は理解しているということ。
その先に繋がっていないのが現状だと考えられます。

まずは「分かってもらう」ように伝えられるか。
それから、「できる」ように指導できるか。
その後が、「ヤル気を出して頑張ってくれる」ように
関わり方を工夫できるか。

そんなステップを考慮してもいいんじゃないでしょうか。

いずれかをやっていないとすると、それは
 最低限のヤル気を先に繋げていくプロセスを妨げている
可能性がありそうです。

そういう意味で「ヤル気を削いでいる」とも考えられると思うんです。

cozyharada at 23:02|Permalinkclip!

2018年12月08日

久しぶりの東北新幹線

札幌にやってきました。
なんとか到着できました。

今までも交通のトラブルは何度もありましたが
それでも大半は帰りの飛行機関係だったんです。

東京から札幌へ向かう分には、何度か遅れたことがあるのと、
一度だけ大幅に飛行機が遅れて空港からタクシーで
札幌市内に移動したことがあるぐらいなものです。

帰りのほうは、終電に間に合わないのは何度もあっても
まぁ大きな問題にはなりません。

当日に帰れなくなって余分に一泊することになったのも2回だけです。

JRの電線にトラックがぶつかったために停電になり
札幌市内から空港まで移動ができなかった、というのが1回。
台風で飛行機が欠航になって札幌待機になったのが1回。

月曜日の仕事があったときも、大きな問題にはなりませんでした。


ですが今回、初めて札幌行きの飛行機が欠航になりました。
空港近辺の雪が強く、除雪が間に合わないという理由でした。

実際には、離陸の様子を見ながら運航遅れを繰り返し
多くの便が札幌にまで来れたようです。

ただ僕が予約していた便は正式に欠航。
前後の便は飛んだのに不思議な話です。

キャンセル待ちやら、不確定な飛行には賭けられないということで
陸路で札幌までやってきました。

とはいえ、札幌までの直行はないですから
東京駅から函館まで新幹線。
あとは主催の方のご厚意で、車で送っていただきました。

空港に到着してから欠航が確定し、東京駅に引き返し
札幌のホテルに着いたのは、羽田空港に着いてから12時間後でした。


長時間の移動は疲労も大きいかと心配していたんですが、
意外と大丈夫そうです。

新幹線は函館まで行くのが2時間に一本しかないのと
冬の金曜夕方の東北新幹線は大混雑らしく、
直行での座席が空いていませんでした。

東北新幹線には自由席がないみたいで
立ち乗りの特急券が用意されているだけ。

直前に辛うじて、途中駅からのグランクラスが1席空いたとのことで
半分ぐらいは座って移動することができました。

ちなみにグランクラスは東海道新幹線にはない座席で
グリーン車よりも広々としてサービスの良いクラスです。

サンドイッチみたいな軽食と、お代わりできる飲み物もついています。
ちょっと豪華な気分で過ごせました。

しかしリクライニングだと今一つ寝られません。

一方、函館に着いてからの車移動は、
いろいろとお気遣いいただいたおかげで多少は寝ることできました。

寝られるかどうかは座席よりも、僕の場合、移動速度が大事みたいです。
電車でもスピードの速い乗り物ほど寝られない傾向があります。

在来線より新幹線、新幹線より飛行機が寝にくい。

加速度でかかる重力は影響はないようです。
なぜか乗り物が速く動いていることを体が感じ取って
意識を活発にしてしまうみたいで。


ということで車の移動は、とても快適に過ごさせていただけました。

高速バスは試したことが少ないですが、苦手かもしれません。

同じ距離を移動するなら、バスよりもタクシーが快適に感じるのは
おそらくプライバシーの問題なんでしょう。

車はその意味で、気持ちが休まるところが大きいんだろうと思います。

移動疲れが心配でしたが、予想よりもずっと大丈夫でした。

「移動が多くて大変ですね」なんて言われることも多いものの
そもそもセミナー自体の疲労感とは比べ物にならないようです。

まとめて振り返ってみると、一人を感じられる度合いが
僕の疲労感と関わっているんだろうと思われます。

国際線のエコノミークラスが疲れるのも、座席うんぬんより
満員電車が疲れるのと似ているんでしょう。

自分が相当に一人の時間を大事にしているんだと実感します。

cozyharada at 09:09|Permalinkclip!

2018年12月05日

リラックスしても寝つかない

なんだか最近、自律神経のバランスがおかしいようです。

布団の中で一睡もできない日もあれば
予定よりも3時間寝過ごしてしまうこともありました。

まあ、寝過ごしたとは言っても
ギリギリ予定には間に合いましたし、
寝られなかった日もパフォーマンスはもんだなかったり。

大きなトラブルには繋がっていないので
まあ、さほど心配はしていません。

NLP的にいうと、ほとんどの寝付きの悪さは
頭に偏った意識が速く活動し過ぎて
軽い興奮状態にあるのと関係するようです。

そういうときは、その頭の回転をゆっくりにしたり
意識の中心をズラしたりするのが効果的です。

一方、最近の僕の状態はそうではありません。
ただ眠くなかったり、寝ても起きてしまったり。
逆に寝たら起きなかったりも。

寝られないときは、意識を広げても寝つけません。

瞑想のときにも寝ないようになってきていますし、
催眠でも記憶が残り続けやすくなってきていますから、
どんな意識状態でも眠りにくくなっているのかもしれません。

物事には一長一短がありますね。


とはいえ、基本的に眠りが浅く、ろくに寝られない状態が続くと
どこかでやらかしてしまうのではないか?とは心配です。

普段以上に目覚ましを追加したりしているところ。

気候の不安定さもあるのかもしれませんが…。

無事に年末まで乗り切りたいところです。

cozyharada at 23:23|Permalinkclip!

2018年11月25日

自転車

そういえば、11月の頭に渡米していたとき
久しぶりに自転車に乗ったんです。

よく言う話ですが、運動のやり方は忘れないというのが実感されました。

バランスを取るのも、ハンドル操作も全く問題ありませんでした。
ペダルをこぐのだけは、エアロバイクでやっていますが。


ただ、自転車を借りたのがホテルのもので
無料貸し出しのヤツだったせいか質がよろしくなかったんです。

そんなに滅茶苦茶ボロボロなわけではありません。
どこでもレンタル自転車なんて、そんなに高品質ではないでしょう。

比較として最近増え始めているレンタルサイクルのシステムを見ると
そちらのほうが設備がしっかりしているようではあります。

レンタルサイクルのほうはお金を払うわけですから
維持のためのコストもかけられるはずなので
クオリティが高めになるのは当然かもしれません。

日本にも時々レンタルサイクルのスタンドがありますが
コロラドは特に観光地だったせいか
かなりそちらのレンタルサイクルは量が充実していました。

料金もそこそこする上に、使い勝手はよろしくなくて
とりわけ僕の場合、クレジットカードが対応していないらしく
なぜか支払いができなかったんです。

なのでホテルで無料の自転車を借りられるのは助かりました。


ところが、借りてみると驚いたことに
ブレーキレバーがついていないんです。

置かれている全ての自転車に。

しかしそれを堂々と貸しているということは
法的には問題がない形になっているはず。

ということで駐車場内で試しに乗ってみました。

が、やはり止まりません。
危うく転びかけました。

念のため足を地面について停車できるようにとサドルを下げ、
もう一度挑戦してみることに。

もしかしたら自然にブレーキがかかったりするかも…、と思いきや
どうやらペダルを逆回転させると後輪にロックがかかる仕組みらしい。

いくらか”遊び”がありますから、
ペダルとタイヤが直結なわけではありません。

漕がずに、逆回転もしなければ、フリーの状態になって
慣性で走り続けることもできるようでした。
(だから最初に転びそうになったんですが)

とはいえ、ブレーキをかけるためにペダルを逆回転させるのは
初めての体験です。

厄介なのは、タイヤにロックがかかるということ。

ハンドルについているブレーキであれば
圧の強さを変えることでブレーキの利き具合を調整できます。

ところが、その自転車では「ブレーキ=後輪がロック」なんです。

車でいうと、サイドブレーキみたいなものでしょう。

サイドブレーキだけで車を運転するのは
なかなか怖いものだと想像してもらえるんじゃないかと思います。

結局、こまめにブレーキと解除を繰り返し
徐々にスピードを緩めるという方法に辿り着きました。
慣れるまでには結構な時間がかかりました。

直感的にもハンドルにブレーキが着いていないのは心細くもありましたし。

なんだか体力的なことより、緊張が強くて精神的に疲れた気がします。


もしかしてアメリカの自転車は、このタイプのブレーキが主流なのか?
と走りながら、すれ違う自転車を見てみましたが、結局
ハンドルにブレーキレバーが無い自転車は見かけませんでした。

アメリカでもマイナーなスタイルなんでしょう。

日本でこんな自転車に乗っていたら、多分
警察官に止められると思います。

とはいえ、そんな不思議な仕組みの自転車でも
同じ自転車として乗りこなすことができるというのは
人間の学習能力の汎用性を感じさせてくれました。

原理が同じであれば、一か所ぐらい違っているところがあっても
そこは意識的に取り組むことで対応できるみたいです。

複数個所を心がけないといけなかったとすると
もっと大変だったんじゃないかと想像しています。

なかなか新鮮な体験でした。

まぁ、安全性から言えば
推進力を生み出すペダルの部分と
制止させるためのブレーキの部分は、
別の個所で分割して対応させた方がスムーズでしょう。

手と足で分業する一般的な自転車は
足だけで2つの作業をする種類よりも
理にかなっているんじゃないでしょうか。

cozyharada at 23:20|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細は後日


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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  執筆・講演…

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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