心理学

2017年12月06日

振り返りのタイミング

年末が近づくと一年を振り返ることが増えてくるようです。

自分から振り返りたくなるときもあれば
他人から質問される形で振り返るときもあります。

ですが僕の場合、どうも社会的な出来事について関心が低いのか、
個人的な体験と比べると自分にとっての重要度が低いのか、
「今年印象に残ったニュースは何?」などと尋ねられても
2017年に何があったのかを思い出すことも困難です。

それと比べると、自分が今年何をしたかはスムーズに思い出されます。
自分にとってインパクトの大きかったものは特にそうです。

その意味では、今年は僕にとって
少し節目のタイミングだったような気がしてきました。

これまでの流れが一区切りついて
新しいことが始まったような印象です。

NLPを始めて丸12年が経ちましたし。
干支も一周したせいで、そんな風に感じるのでしょうか。

実際、ロシア語やジム通いなど、
新しく始めた小さいものも色々とあります。

それらが直接の「新しいこと」というわけではなく
むしろ新しい動きの一部といったことなのではないかと感じています。


今やっていることが先々でどうなっていくのかは知る由もありませんし、
もちろん、これまでのことをやめるという話でもありません。

それでも「これまでの直接的な延長線上のまま」というよりも、
「今までにないことを始めた」といった雰囲気のようなんです。

語学として新しいものを身につけていく実感や
身体を動かすことで健康度やパフォーマンスが上がる実感など、
実りのありそうなことをやれるのは意外と楽しいものですし。

もっと本格的に努力をしたい気持ちもある一方で、
必要性がないために、それもイマイチ踏み出せていません。

動き始めでフラフラしているような状態なのかもしれません。

焦りはないので、どんなことが起きるのか、
どんな気持ちが自分の中に湧いてくるのか、
自分は何をしたくなるのか…、
そういったところまで幅広く含めて
この先の展開を楽しみにしておきたいと思います。


まずは年末年始の期間で心身のリセットをしておくつもりです。

整体と運動のおかげで、体調を崩すことはなくて済むんじゃないか
と期待しているので、気分のリフレッシュが優先になりそうです。

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2017年12月03日

世のため人のため

先日、ある著名な仏教の僧侶の講演会に行ってみました。

医師をやっていた時期があるせいか
講演のスタイルはスライドを使ったプレゼンという感じ。

多くの学術的なデータを示しながら
「いかに瞑想やマインドフルネスが有効か」
を示す趣旨だったように思います。

もちろん、そのあとで実際に瞑想をする時間もありましたが。

そのうえで、生きる上での指針のようなものとして
思いやりや慈しみの重要性も説明していました。
瞑想はそれらを育む手段でもあるような位置づけだったと思います。

いずれにしても「幸せに生きるのに役立つもの」として
瞑想や思いやりを実践していきましょう、という位置づけなんでしょう。


本人は長く修行を積んできているそうですが、
こうした教えの内容を本人がどのように捉えているのかは
聴いているだけでは分かりませんでした。

もしかすると教えていることは一般向けに分かりやすいものだけにして
自分でやっていることは違う可能性もあります。

西洋的な価値基準が一般的になっている社会で
仏教的な内容を伝えようとすると、受け入れてもらうための工夫として
一般的な発想に合わせる形でアピールするのが必要なのではないか、と。

実際の中心的な教えとは異なる部分もあるけれど
多くの人に伝わりやすくするために、あえて入門的なものとして
本来とは違った角度を追加しているかもしれない、ということです。

その顕著な特徴が「役に立つ」という部分。

集中力が上がるとか、仕事の成果が上がるとか、
鬱が回復するとか、病気になりにくいとか、幸福度が上がるとか…。

そういう現実的な『メリット』を強調することで
瞑想に取り組むモチベーションを高める伝え方をしていました。

そういう理由がないと現代社会の人は実践しないでしょう。
興味すら持ってもらえないことが多いと思われます。

また、そうした現実的なメリットの部分を強調しておけば
瞑想やマインドフルネスが『方法』として有効だという話になって
その奥にある教えの部分まで取り入れる必要性は見えなくなります。

大げさに言えば、例えばキリスト教が主流のアメリカ社会だと
仏教として教えを広めようとしたら宗教的な話が避けられないでしょう。

それが瞑想やマインドフルネスという手法の話になれば
信念の部分はそのままにしておくことも可能です。

受け入れてもらいやすいと考えられます。


角度を変えて言えば、それだけ
 瞑想やマインドフルネスを広めようとしている
という意図があるとも考えられそうです。

実践すれば本人にとってメリットがある。
幸せになったり、楽になったり、人間関係が良くなったり。

と同時に、それで気づきと思いやりが育まれれば
社会全体にも影響が出るだろう。

そういう話は実際に出ていました。

世の中を変えたいようではあったんです。
だから講演活動にも積極的なのだろうとは窺えます。

現実的なメリットをアピールして動機づけることで
瞑想やマインドフルネスに取り組んでもらって
本人や社会が幸せで思いやりのあるものになってもらいたい…
といった趣旨があるのかもしれません。

実用的な視点があるように感じました。

僕には社会を変えたい想いはありませんが
こういう人たちが活動していることもまた
世の中にとって自然な動きなのだろうと思います。

なんとも色々と考えさせられる機会でした。

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2017年11月27日

疲労の種類

ここ数日、小忙しい状態が続いていました。

セミナーのようにまとまった予定ではなく、
頭脳労働や移動が多い感じで、こまごまと時間を気にしながら
電車のなかでも作業を続けるような種類の慌ただしさ。

僕はどうも、頭脳労働そのものは嫌いではないようで
忙しくなっても、それなりにスムーズに進めることはできる感じです。

が、時間的な制約が多くなることと、
空いた時間は睡眠に充てないとパフォーマンスが落ちることから、
ブログを書くとかメールの返信をするとか
本来は腰が重くないはずの作業に取り掛かれない感じでした。

逆に、セミナーが重なって忙しいような時期だと
空き時間にパソコンに向かうのは、むしろ気分転換になるというか
うまく時間を使える印象になるんですけれど。

頭脳労働の合間に別の頭脳労働を挟むのは
なんだか内面的な負担が重なるようです。


また肉体的にもセミナーとは違った負担がかかるみたいです。

1つは姿勢。
人と会う頻度が多くなると、ペーシングが癖づいているせいか
普段の自分とは違う姿勢を取っている時間が長くなるようです。

首の位置や腰の状態など、負荷が大きくかかった実感があります。

これがペーシングのせいだろうと判断できるのは、なんのことはなく、
自宅に帰ってくるとすぐに体が楽になるからです。

一人の状態になると姿勢が元に戻るんでしょう。

とはいえ、無理をかけた姿勢を長時間続けた後は
肉体疲労として負荷が蓄積しているようなので
そこをほぐすための時間も必要になりました。

頭脳労働が重なったときの肉体的負担のもう1つは
自分ひとりで作業しているときにも起こるものですが、
パソコン作業の時間が続くことによる不調です。

画面を見続けるために目が疲れたり、
キーボード入力が続いて腕、肩、首が固まったり。

そして考えるスピードを上げた状態が長引くために
睡眠と覚醒のサイクルが狂いがちになります。

寝ようと思っても眠れなかったり、眠っても睡眠が浅かったり、
逆に強烈な睡魔に襲われて短時間だけ眠ってしまったり。

運悪く、住宅の解体工事が近所で行われているので
睡眠事情は随分と無理がかかった感じがします。


こういう状態と比べると、
セミナーのスケジュールがタイトなときの肉体疲労とは
随分異なっていることを実感します。

頭脳労働が慌ただしい感じは嫌いではありませんし、
セミナーの日程が詰まっているのも悪い気分ではありませんが、
いずれにしても、どれか一方だけがずっと続くのは
かなり無理なことなんだろうと思います。

ほどよく交互に違った種類の忙しさがあったり、
その間に忙しくない時期があったり、
ランダムにメリハリが効いているぐらいが
心身のバランスにとっては望ましいのかもしれません。

そう考えると、研究職時代の単調な繰り返しは
負担の大きいものだったんだろうと思われます。

より正確には、無理のかかった状態を続けることで
常にパフォーマンスの低い状態を保っていただけ
ということなんでしょう。

毎日長時間、研究所で過ごしてはいたけれど
今と比べたら効率の悪いものだったんだろうと感じます。

僕の生活スタイルは社会一般でいえば平均的ではないでしょうが
不規則さゆえに短期間のパフォーマンスを上げやすい
といった性質もあるような気がしてきました。

その分、体が資本という度合いも大きそうなので
身体のケアは怠らないようにしたいものです。

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2017年11月23日

街並みの変化

また近所で家の建て替え工事が始まりました。
同時に二軒です。

1つは以前に古い家を壊して空き地になっていたところに
基礎工事が始まったところ。

もう1つは、古い家を建て替えるらしく
現在、解体作業中です。

解体の騒音と振動はスゴイですね。
朝から夕方までずっと続きます。

特に午前中にデスクワークをすることが多い僕にとって
朝の早い時間から始まる解体作業は厄介です。

最近、鼻炎気味なのも解体に伴う化学物質やホコリへの
アレルギー反応なんじゃないか?という気もします。


江戸時代の宿場町だった地域の名残があるらしく
狭い路地で隔たられただけで家が密集していますし、
古い区画のままで昭和の時代の家が残っているあたりですから
時期が来れば改修が行われるのは当然ともいえそうです。

これまでに近所で何度も建て替えや取り壊しがあって
ここ3年ぐらいは平均で年3回ぐらいは建築工事をしています。

時期が重なるものなんでしょうか。

いずれも立て直しのたびに家のサイズが縮小するばかりか
前の道路から離れるように建設されているので
古い法律の時点か、あるいは規制の弱い時期に建てたものなんでしょう。

そういう家が同時期に作られていたとすると
耐久年数とかを考慮しても、再び同時期に建て替えになるのも
やはり自然な流れなのかもしれません。

おそらく住民の高齢化に伴う転居や、
家族構成で世代交代が起こることでも
建て替えが起きやすいのだろうと想像しています。

裏を返すと、それだけ似たような年代の人たちが
近い時期に一気に移り住み、長く家を保ちながら
同じようなサイクルを続けてきたとも考えられそうです。


実家のあたりでは、こんなにも頻繁に建て替えを目にしませんから
地域ごとの差は大きそうです。

実家の近所は元々、いくつもの分家がある大地主が3つぐらいあって
そこが持っていた農地を切り売りしながら住宅地として
開発が進んでいった地域だそうです。

農地が減って家が建ち、分譲住宅に若い家族が移り住んでくる。
そんなことが繰り返されていたようで、
住民の年齢構成は結構バラバラだった記憶があります。

土地の歴史が、その地域の様子にも反映されるんでしょうね。

引越し当初は、古い家が残るけれど静かで良さそうだ、
と思っていたんですが…。

賑やかさとは別の騒音が頻繁にするところでした。
見立てが甘かったようです。

とはいえ、話し声が騒音になるのは思考を邪魔されるので
それと比べれば家を取り壊す騒音ぐらい問題ではありませんが。

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2017年11月17日

久しぶりに催眠

催眠のトレーニングの機会が久しぶりにありました。

僕自身はそれほど催眠を積極的につかう機会はありませんが、
過去には集中的に学んだこともある分野です。

催眠の効果への理解が深まるにつれ
催眠でなければならないところが減ってきた分
使う頻度が下がったようにも思われますが、
一方でその効果を上手く活用すると
より効果的にできるものも多いようには思います。

今回のトレーニングで、そういう補助的な活躍の仕方も
工夫しても良いのかもしれないと感じました。


しかし、それ以上に僕が今回発見した大きなポイントは
自分が思いの外、英語で催眠ができそうだ 、ということ。

外国からの参加者がいた関係で、
僕も英語で催眠セッションをする機会があったんです。

催眠の型式だと普段よりゆっくり話せること、
考え過ぎずに自然な流れで口から言葉を出すこと、
内容の論理性が重要ではないこと、
ボキャブラリーとしても馴染みのある分野だということ、
…そのあたりの影響でスムーズな感じを体験できたんでしょう。


全体構成としても、与えられた課題としても
クライアントの個性への合わせ方としても
日本語でやるのと大きな違いがなかったのではないかと思われます。

裏を返すと、日本語で催眠をやるときも
言葉そのものよりも重要な要素が多い
という話でもあるのかもしれませんが。

あとはペーシングによる同調でしょうね。

相手が英語話者だからこそスムーズにできた、と。

そこは自分の力ではなさそうなので、
一人だけでやるのとは事情が違いそうです。

とはいえ、ネイティブ相手だったら
それなりにやれそうな気もしたのはチョットした発見でした。


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2017年11月14日

おもてなしの言葉

外国人講師の接待で和食に行く機会がありました。

料亭と呼ぶほどのものかは分かりませんが
外国人向けに設定されているフシは多々見受けられました。

部屋の内装は、ただ和室というだけでなく
茶室としても使えそうな作りになっていて、
床の間には掛け軸なんかもあったりしました。

トイレの草履を含めて、全体的に日本文化を強調した感じ。
それでも和室の中央は掘りごたつのようになっていて
座椅子と合わせ、外国人の人が和室を楽しめるような
工夫を色々と重ねていたんだろうと思います。

実際、外国人のお客さんを連れてきている人が多い様子で
少し強調された日本の伝統が見せ場なのかもしれません。


当然、接客担当の人(仲居さん?)も和服です。

しかしながら今どきの若い日本人女性を教育するのは大変なんでしょう。
畳の部屋そのものに慣れていない人も多いと思われますし
家族旅行で旅館に行ったことだってない人もいる可能性さえありそうです。

若い仲居さんたちの所作が期待に追いついていないだけでなく、
仲居頭の人がやってもらいたいクオリティのサービスは
十分に得られていないようでした。

教育上のお叱りの声なんかもあったりしましたし。

それでも、10年も勤めてくると仕事の安定感は増すみたいです。
なかには自信と安定感を携えた人もいました。


また、外国人のお客さんが多いということで
英語の教育も多少はしているように見えました。

その中に一人、かなり流暢に英語を使える仲居さんがいたんです。
前述の10年勤務の人。
英語が話せることも自信の一因かもしれません。

実感したのは、サービス業における言葉というのは
 「業務として何をするか」以上にトレーニングしにくいのだろう
ということです。

ときどき妙な言い回しが聞こえてきてしまいました。

例えば
「当店の料理長はフランス料理あがりなもので…」
とか。

「あがり」は、あまりフォーマルでない気がしますが
そんなことはないんでしょうか?

僕は、あまりポジティブなニュアンスで使われない印象を持っています。
(僕の理解が届いていないかもしれませんけれど)

また英語についても流暢ではあるものの
フォーマルさが一切出ていない種類のものでした。

アメリカの接客業ならフレンドリーで済むところでしょうけれど
和風の「おもてなし」をしている様子とはミスマッチです。

声のトーンにしてもアメリカの女子高生ぐらいの雰囲気。

発音は奇麗だったんです。
だからこそ余計にネイティブからすると
相応の年代を思い起こさせてしまいそうな気がします。

きっと高校生のときにホームステイや留学をしていたとか
大学の時に交換留学で行ったとか、そんな感じじゃないかと思われます。

小学校や中学校ぐらいの時期の帰国子女の可能性もありそうです。

しかし確実性が高いのは、海外で生まれ育ったわけではないこと、
そしてある程度若い時期だけで日本に帰ってきていること、でしょう。

ネイティブ感覚があるわけではなく、また
大人の英語に接していない可能性も高そうです。

そうなると流暢だけれどもフォーマルさが一切ない子供っぽい雰囲気が
接客としてしていることと不一致感を生み出します。

ちょうど日本語でも、丁寧な言葉遣いができているのに、
その中に「フランス料理あがり」という言葉があると
異質に感じられるようなもの。

むしろ、おぼつかない日本人英語だけれど
一生懸命に話そうとしている方が好印象を与えられるかもしれません。

話の内容そのものではなく、言葉の選び方とか
声のトーンとかにも、メッセージ性が出てしまうんだろうと思われます。

自分でも気をつけたいものです。

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2017年11月10日

スピーキングのトレーニング

外国語をやっていて、おそらく一番もどかしいのは
言いたいことが言葉にできない瞬間ではないでしょうか?

文章を読んでいて構造がややこしいのは
頑張って時間をかけて解読すれば、まだ対処できそうです。
何より、自分一人で読んでいるわけですから時間がタップリあります。

単語を知らなければ、それはもう調べるしかないですし、
逆にいえば知らないだけなので、気持ちを引きずらず、潔く次に進めます。

外国語である以上、聴き取りは常に大変なものだと思いますが、
こちらは聞けなかったときに意外と諦めがついてしまいがちです。
「あぁ、無理だ。分からない。」と。

聴くのは『必要性』があるから聴き取ろうとするのであって
「聞きたい」という自発的な『欲求』があるわけではありません。

その点、言いたいことが上手く言葉に言い表せない状況は
「言いたい」考えが頭に浮かんではいて、
「伝えたい」気持ちが起こっているときです。

話すときには「言いたい」欲求がある、と。

会話の流れの中だと尚更でしょう。
付け加えたい考えが浮かんだり、質問に答えようとしたり。
まず、言いたいことが浮かんでくる。

にもかかわらず、それを的確な言葉に変換できない。
…そういう”もどかしさ”です。


実体としては母国語でも同じようなことは起きていて、
ややこしい文章は理解が大変なものですし、
意味の分からない単語は調べるしかないですし、
滑舌によっては母国語でも聞き取れないこともあります。

母国語の会話でも、聴くのは多くの場合、必要性からであって
話すほうには、浮かんだ考えを口に出したい欲求が伴います。

そして母国語でも考えを的確に言葉に変換できなくて
「うーん、なんていったら良いか…。えーっと…。」
なんていうことはあるものです。

これもやはり、もどかしくはあると思われます。
とりわけ会話のテンポが速いときや、
質問されて「答えないといけない」プレッシャーを感じるときは
上手く言えない”もどかしさ”は大きくなるでしょう。

ただ外国語の場合、さらに
言いたい内容が母国語(別の話せる言語)で浮かんでしまって
「日本語だったらこう言うのに…。英語だと何て言うんだ?」
という感じの考えも同時に浮かんできます。

ただでさえ考えを言葉に変換できないのは”もどかしい”のに
母国語の場合との比較が加わってしまって
「言えるはずのことが言えない」という意味で
”もどかしさ”や悔しさが大きくなってしまうと考えられます。

これは学習の過程で避けられないところなのかもしれません。


ここで1つのやり方は、
浮かんだ考えを母国語の言葉そのものとして
対応する外国語に変換(翻訳)しようとせず、
むしろ
 一端その内容を、同じような意味で簡単な日本語に置き換えて
 それを簡単で自分の分かる外国語に変換する
というものです。

これだと知らない単語があっても何とか対応できますし、
最低限、自分の伝えたいことを言葉にすることができます。

例えば絵を見ていて「奥行きが上手く表現されている」と言いたいとき
「奥行き」に当たる単語が思いつかなかったとします。

そうしたら「近い」「遠い」といった単語を使って
「このものが遠くにあるように見える。リアルだ。」
などと言うようにする。

そういうやり方です。

これは現実的な対応力をつける上で重要な訓練だといえます。

全ての単語を覚えられるわけはありませんから
こういう表現方法を身につけられたら
少ないボキャブラリーでスムーズな会話ができるようになるでしょう。

別の言語を身につけようとした場合にも
ボキャブラリーは最低限のままで流暢に話せる可能性があります。


しかし、これだと自分の言いたい考えを
いつまでも的確に言葉にすることができません。

母国語に追いつかない、という”もどかしさ”が消えないわけです。

だったら、言いたいことが言えなかった瞬間に
その内容を、なんとかしてでも外国語に置き換えて
それを覚えて練習してしまえば効率的でしょう。

「奥行き」にあたる単語が分からなかったとき、
それをその場で調べるなり、教えてもらうなりして、
「奥行きが上手く表現されている」という日本語の内容を
もっとも的確に置き換えた表現を言えるようにしてしまう。

そういう作業を繰り返していくと、
自分が普段使っている母国語をそのまま外国語にできます。

個人の使う母国語には偏りがありますから
自分の母国語のパターンを外国語に置き換えようにするのは
かなり手っ取り早く、しかも”もどかしさ”を早く解消できる方法でしょう。

この作業を会話のレッスンの最中にできたら良いんですが、
なかなかそのトレーニングをさせてくれる講師はいません。

浮かんでしまった母国語の内容をそのまま言葉にして伝えても
それを外国語に変換できるバイリンガル講師でなくてはいけませんから。

しかも、母国語モードで考えるのではなく
極力、外国語で会話している状態を維持しつつ、
どうしても対応させられなくて”もどかしい”ときだけ
その言葉を母国語で言って、変換してもらう。

そしてその場で何度か言い直して使えるように記憶させる。

そういう臨機応変な対応が不可欠でしょう。

会話の流れをキープしたまま、語学トレーニングのモードと
自由に行ったり来たりできる柔軟性も必要だと思われますし。

何より、そういうトレーニング法を理解してくれたり
協力してくれたりする先生が少ないはずです。


なので比較的よく行われるのが
 自己紹介や自分にまつわる話を一度、母国語で書いたり、
 あるいは話したものを書き起こしたりして、
 その内容を外国語に訳してもらって、それを練習する
という方法です。

これだと自分の言いたいことをそのまま外国語に置き換えられます。

慣れてきたら、会話のトピックごとに自分の意見をまとめてみて
それを外国語に置き換えて覚えることを続けたらいいんでしょう。

様々な会話の内容について、自分が母国語で言いがちなことを
そのまま外国語で覚えられるようになります。

この作業のメリットは、会話のようにリアルタイムではないところ。

一人でやるなら、ライティングを中心にやっても良いのかもしれません。

まず日本語で書いてみて、それを英語にする、とか。

第二外国語をやるのであれば
英語で書いたものをフランス語やロシア語に置き換える、
といった感じでしょうか。


複数の言語を習得しようという場合にも良さそうな気がします。

ありがちな会話のトピックごとに母国語で自分の意見を書き、
それを常にストックしておいて、
全ての言語でその文章を言えるようにするトレーニングを行う。

自分の考えを、自分の言葉で表現するパターンを把握しておいて
それを言語化していくという内容です。

この勉強法(スピーキングのトレーニング法)、
勉強会のような形でやってみても良いかもしれません。

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2017年11月07日

集中的にトレーニングをしたい

例年、秋は忙しい印象があります。

その理由の1つは、きっと書道でしょう。
作品制作のために費やす時間が、普段よりも多めです。

とはいえ、今年の作品製作期間ももう少しで終わり。
納得のいく形になるかどうかは別にして
締め切りが迫っているところなんです。


それが終わったら少し時間的に余裕が生まれそうなので
そのあたりからフランス語を自分でトレーニングするのと
ロシア語の復習をキッチリするのとに力を入れたい気分。

ロシア語は文法中心で進んでいるため、
圧倒的に練習量が少ない。

単語や文法項目は覚えるだけですし、
それほど覚えるのにも時間はかからなそうな気はしていますが、
それでもまとまった時間が必要ではあります。

もう少ししたら、そこを追いつけそうだ、と。

フランス語については集中的にトレーニングをしたいところです。
一通りの文法は抑えられていると思いますから
運用力を高める目的で、とにかく練習が重要だろう、と。

スムーズにアウトプットできるようにするためのトレーニングと
地道な聴き取り力の土台作りが必要だと感じています。

教材は買い込んであるので、あとはコツコツやるだけ。
そのぐらいの時間はできるはずなので。


おそらくロシア語のほうは、本当に基礎ということで
今までの復習分を頑張って一通り覚えてしまえば
そのあとの理解も一気にスムーズになるのではないかと想像しています。

つまり効果が実感しやすいだろう、と。

その点、フランス語の方は効果の実感が微妙です。

地道なトレーニングが成果として感じられるのには
まとまった期間が必要だと思われます。

幸い、英語を勉強していたときに
振り返って「随分と分かるようになったなぁ」と
感じる経験はありましたから、
その意味で見込みをもって取り組めるとは思いますが。

それでも自分の技能の向上を感じられるかどうかで
ヤル気や楽しさが変わってくるのも実情で、
 どれだけ効果を実感するタイミングがあるか
も考慮する必要があるでしょう。

たまにではあっても、効果を感じるための場として
テストとか、実用的な会話の機会とか、
そういったものを取り入れられたら良いのかもしれません。

英語だとそういう機会も多く用意されているんですが…。
フランス語だと探すところから苦労しそうです。

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2017年11月01日

大きな感情が表れるとき

ロシア語の講座には全部で8人の生徒がいます。

大学の公開講座になっていますから、
OBには若干の割引があったり、そもそも結びつきの強さがあったり、
参加している方の中には結構な割合で卒業生がいそうです。

その中に一人、20代ぐらいの女性で
勉強の得意そうな雰囲気の人がいます。

実際、毎回の講座にはしっかりと予習をして臨んでいるようで
単語帳を見ながら暗記もしているし、
質問も積極的にして確実に身につけようとしている印象を受けます。


おそらく非常に負けず嫌いの傾向が強く
塾でも学校でも優等生で通してきたんでしょう。

質問をするときの言葉遣いや声のトーンからも
若干の敵対心というかケンカ腰というか
自分の正しさを示そうとするような雰囲気が感じ取れます。

で先日、その人が練習問題を当てられて答えるときに、
ちょっとした間違いをしたんです。

予習として解いてあったものを読みながらでしたから
それなりの自信とともに言っていたと思います。

確かに少しだけ複雑な部分ではありました。
英語にはない文法項目でしたし。

「あなたたちの辞書」という言い回しの訳なだけなんですが、
英語だと「your dictionary」か「your dictionaries」か
いずれかしかありません。

それがヨーロッパ言語になると、
フランス語でもスペイン語でもロシア語でも
2人称(あなた)にあたるところが
「君」と「あなた」のように親しみ度合いで2種類あるんです。

そして「君たち」のように2人称複数形になったものが
「あなた」という敬意のある2人称単数と同じ形になります。

もちろん「あなたたち」という2人称複数も同じ形です。

ですから「君」という親しい関係の2人称単数にあたる単語が1つ。
それとは別に、
 峽たち」(親しい2人称複数)
◆屬△覆拭廖雰桧佞里△襭何余涼運堯
「あなたたち」(敬意のある2人称複数)
の3つに対応する単語が1つある、ということです。

この問題では「あなたたちの」ですから
後半の3つのほうの話です。

さらにロシア語でもフランス語でも、
「誰々の〜」という所有形容詞は
あとに続く名詞が単数か複数かによっても形が変わります。

ですから「君の1本のペン」と「君の複数のペン」では
「君の」の形が変わるんです。

当然、もう一方の「君たち、あなた、あなたたち」に対応するほうでも
後に続く名詞が単数か複数かによって形の違いがある。

そういう意味で、「あなたたちの辞書」という日本語は
ロシア語に変換するときには少し複雑なわけです。

2人称単数のほうなのか、2人称複数(敬意のあるほう)なのか。
後に続く名詞は単数なのか、複数なのか。
この両者を同時に扱う必要がある。

そこでその負けず嫌いの人は、
2人称複数のほうにするのを見落としてしまっていたようなんです。

ですから実際には「君の複数の辞書」として訳してしまった。


かなり準備もしているし復習もしているし、
自信があって負けず嫌いの優等生といった感じですから
間違いが気に入らないわけです。
間違っていることを認めたくもない。

それで「いや、でも…」なんて食い下がりかけたんですが、
このロシア語の先生が一風変わったコミュニケーションの持ち主で
相手の気持ちを汲み取るとかは一切しないし、
オドオドしながらも自分のペースを崩さないような
いかにも大学教授といった人なんです。

そのため彼女の質問を途中で遮り、
上記の違いを独特のペースで説明し始めました。
かなり分かりにくい説明だったと思います。

途中、何度か答えを言い直させようとして問いかけるんですが
解説そのもののやり方がグチャグチャなうえに
間違えを指摘されたことで平常心を大きく失っている彼女は
まともに理解することもできなくなっていました。

ほとんど泣きそうな状態。
内側にもどかしい怒りも溜まっているので
ほとんど小さい子供の「癇癪」に近い状態だったと思います。

優秀さと正解を自分の存在の拠り所として育ってきたら
無理のない状況だったことでしょう。

はたから見ていれば
「たかがロシア語入門の練習問題の1つを
 半分だけ間違えただけなのに、そこまで…」
と感じた人もいたかもしれませんが
(その感情すら見ていない人もいたでしょうが)
本人にとっては重要な部分なんだろうと考えられます。


それで思い出したのは、
 僕は個人として、もうここ何年も
 そこまで強い感情を体験していない
ということでした。

先日、スカイプが動かなくて先方を待たせてしまったときと
寝坊をして遅刻してしまったときには焦りが出ました。

でも逆に言うと、大きな感情が起こっていないようです。

確かに以前はあったんですが。
他人から気づかされることは多いものですね。

cozyharada at 23:20|Permalinkclip!

2017年10月26日

トラブル続き

なんだか最近、トラブルが続きます。

よく分からないけれど上手くいかない結果に巻き込まれて
色々と手を打つ必要が出てきたり。

なぜかパソコン絡みで急なトラブルが起きて
大事なオンラインミーティングができなくなり、
スケジュールを改めてもらったり。

肉体的にも精神的にも負荷のかかる仕事が重なったり。

自分の不注意で先方に迷惑をかけてしまったり。

幸い破滅的な結果には結びついていませんが
振り返ってみるとトラブルが多い印象です。


不思議なもので、いろいろとスケジュールが重なって
気ぜわしくなっているときほどトラブルが多い気がします。

もちろん、忙しさから自分の落ち着きがなくなって
自分の不注意からしてしまうミスも含まれますから、
そちらのほうは、ありがちな話ともいえるかもしれません…
反省とは別のレベルとして。

しかし自分が起点になっていないトラブルに巻き込まれる。
普段だったらスムーズに進むところがそうならない。
これが重なるのは何とも奇妙な感じです。

秋の終わりに2週連続で台風が日本列島を直撃する…
なんていうのと同じぐらい、偶然かもしれないけれど
「滅多にない厄介なケース」として感じられます。

それによって自分の日々の行動に支障が出ないよう
しっかりと心身を調えるのが可能な範囲の最善でしょうか。


そういう意味でいうと、最近ふと目に留まったフレーズ
 『心の目を閉じる』
というのは意味がありそうです。

忙しさの理由の1つになっている資料の翻訳ですが、
その中でパッと目に留まった言い回しでした。

資料の本筋の内容とは無関係で、
ただの説明の一部に使われていた
資料を作成したご本人特有の言い回しなんだと思います。
(内容的に著作権に引っかかるとかいうものではないはず)

ただそれが今の僕の状態に役立ちそうだった。
それで印象に残ったんでしょう。

忙しい時ほど、目を閉じても
頭の中、心の中が動き続けるような感じがするものです。
眠れないときなんて、余計にそんな状態でしょう。

むしろ目を閉じることで一層、
頭の中の作業が意識に上がりやすくなって
さらに気ぜわしさを高めてしまうこともあるかもしれません。

そんなとき、心の中の目を閉じるような”つもり”になるだけで
スーッと落ち着いていく部分があるのにも気づけます。

そういうリセットの仕方も大事な時期という印象です。


まぁ、それ以上に慌ただしさに一区切りがついたあたりで
大きめのリフレッシュをする必要はありそうですが。

cozyharada at 23:27|Permalinkclip!
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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