心理学

2017年01月24日

飛行機の中で

先日、札幌に出張に行ったとき、帰りがけから雪が強まって
東京行きの飛行機が大幅に遅れる事態に巻き込まれました。

ちょうど一か月前に行ったときも記録的な大雪のタイミングで
多くの便が欠航になった日でしたから
二回続けてということになります。


前回はもう、大雪が続いている影響で
そもそも飛行機が新千歳空港にやってこれない
という状況も起こっていました。

そのため大部分が欠航。
新千歳空港に停まっている飛行機が飛ぶのも遅れが続いていました。

空港内は人でごった返し、
搭乗口で長時間待たなければいけない状況だったんです。

実際、僕が飛行機に乗り込んだのは確か夜11時半ぐらい。
羽田に着いたのは1時を回っていたと思います。

それでも待つ場所が空港内の搭乗口だったというのは
意外と逃げ場が多く、待つことそのもののストレスは小さかった気がします。
(もちろん欠航にならないかどうかは心配でしたが)


一方、今回は雪が強まったタイミングが遅く
事前から心配していたわけではありませんでした。

飛行機に登場するところまでは、ほぼ予定通り。
数十分の遅れはありましたが、まぁそれぐらいは良くある話です。

そして飛行機が滑走路に向かって移動。
時間がかかったのはここからでした。

滑走路付近で離陸待ちをしている間に雪がドンドン強くなり、
前の飛行機の順番待ちが長引きました。

すると、機体や羽にかける融雪剤の効果時間を越えたとかで
もう一度、発着所まで戻ることに。

そのあたりから時間がかかり始め、
滑走路の除雪が追いつかないだとか、燃料補給がどうとか、
色々な理由で飛行機の中で缶詰状態のまま4時間。

こうなると乗客の苛立ちが増してきます。

狭い空間にいることのストレスや、
何もすることができない不満、
一向に進展が見られない状況、
もしかしたら欠航になって飛行機から降ろされるかもしれない可能性、
羽田での乗り継ぎに間に合わないとクレームをいう人、
耐えきれずグズり出す子供…、
徐々に苛立ちが増幅されていったようでした。


同じぐらいの時間を待合室で過ごしていた前回は
ここまでの苛立ちは出ていなかった気がします。

前回は空港到着前から大雪で
遅延に対して心の準備ができていたのが1つでしょう。

そして飛行機の中は制限が多い。
自由にできない感じ、束縛された感じもまた
不満を高めたと思われます。

心の準備というのも、いわば
自ら諦めることで自分のコントロール感を高める行為
と捉えることもできそうです。

いかに人が、コントロールを奪われることに対して
大きな不満を抱くかを実感する出来事でした。

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2017年01月18日

足の指のそりかえり

大した話ではないんですが、
もうすっかり足の指が地面に着くようになりました。

以前は立っていてもイスに座っていても、
地面につけた足の指が少し浮いていたんです。

足の指の付け根あたりに重心をかけて
足の裏全体が接地しないようにしていた感じ。


書いていて思い出しましたが、そういえば
小さい頃、親から「偏平足だ」と言われ
それでは良くないという思い込みを持っていた記憶があります。

足の指の付け根あたりと踵だけを地面につける感じにすると
足に緊張感が生まれてアーチが強くなります。
足裏全体がベタっと地面に着くような偏平足ではなくなるだろう、と。

小さいながらにそんな工夫をしていたのかもしれません。


それからもう1つ。

幼稚園とか、もっと小さい頃、どういう理由か分かりませんが
僕は足を泥まみれ、砂まみれにして家に帰ってきていた記憶があります。

砂場で遊んだのか、公園を裸足で駆け回っていたのか…
ともかく家に帰ってきたときに足が汚れていた日がありました。

そうすると母は、家の中が汚れるといって嫌がり
玄関先の水道で足を洗うか、雑巾で拭くか、風呂場に直行するか、
とにかく足を綺麗にする必要がありました。

決して嫌々やっていたわけではなく、何も疑わず
むしろ母を喜ばせようというぐらいの童心から
無邪気に足を洗っていたのを覚えています。

で、冬になると流石に外の水で足を洗うのは嫌。
お湯で足を洗うために、風呂場に直行するときも多かった気がします。

雑巾が毎日用意されているわけではなかったですから
汚れた足で廊下を通って風呂場に行くときが多々あったんです。

このとき、廊下を汚さない精一杯の努力として
足の接地面を減らすようにして歩いていたのを思い出します。
(結局あとから雑巾がけをしていたんですけれど)

踵しかつかないように爪先を上げるとか、
爪先立ちで背伸びをするようにしながら、かつ足の指先も上げるとか。

まさに足の指の付け根部分だけで地面に接していた状態です。


偏平足対策や汚れた足を地面につかない対策が
どれだけ癖になっていたのかは分かりませんが、
少なくとも僕の以前の足は、そのときの状態と似ていました。

別に怒られてやっていたことではないんです。
むしろ善意からやっていたつもりでした。

「幼少期のトラウマ体験が身体に残っていた」なんていう
大それた話ではないかもしれません。

しかし僕の中にあった他者(とくに幼少期は親がメイン)への気遣いは
迷惑をかけないようにする形で色々と身体を緊張させていたように感じます。

自分が力を入れて踏ん張ることで他人に負担をかけない。
そういう発想がベースにあった気がします。

足の指の緊張感は、その一部だったのでしょうけれど
1つの象徴的な部分でしょう。


心身の色々な取り組みを通じて
徐々にそういった緊張感が取れてきたようです。

足の指で地面を掴む感じ、
足全体で地面を押している感触、
足に体重がかかっている印象…、
いずれも以前はなかった体験です。

なんとなく、以前は地球にさえ遠慮をしていたような気もします。
自分の重さを地球に預けることさえ控えて
足を地面につけないように、重心位置を上げるようにしていたような。

そんな子供心の無邪気で無知な心身の癖が
大人になっても沢山残ってるものなのかもしれません。

別に問題でなければ気にしなくてもいいとはいえ、
必要のないことをしている側面もある。

僕はそういうのを整えていく方向性みたいです。

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2017年01月05日

今年は…

2016年の末に、数年間レッスンを受け続けてきた英会話の先生が
退職することになりました。

まぁ、何かを習うというよりは、スピーキングのトレーニングとして
とにかく発話に慣れるのが事実上の目的だったと思います。

自分が考えとして持っている頭の中の情報の繋がりを
英語という言語と結びつけていく作業が中心でした。

ボキャブラリーや表現の範囲を含めて、
自分に親しみのある分野のほうがスムーズに話せる。
これは外国語でも母国語でも同じようです。

ですから外国語学習において、話し慣れた分野を作っておくのが
会話をスムーズにしてくれる効果的な手段だと考えられます。

その意味で、その先生のレッスンは会話のトピックが幅広く、
しかも僕の興味に合った範囲で話を弾ませることができたので
とても有意義な時間だったんです。

科学的な観点でも、芸術的な観点でも、哲学的なところまで
かなり深く考えをアウトプットさせてもらえました。

年齢のこともあり、余生を考えて辞めることにしたそうです。


とはいえ、僕が英会話をやめるわけではありません。
英語を使う時間は欲しい。

マンツーマンの英会話スクールなので他にも先生はいます。

同じような会話ができる先生は滅多にいないでしょうから
今後レッスンを受ける先生を選ぶ基準は別のところになると思います。

テスト対策なんかも興味はありますが、テストを受けるタイミングが合いません。
(だいたいのテストは週末に行われているのでセミナーと重なってしまう)

文法を復習したり、スピーキングの際の正確さを意識したりも良さそうですが、
この辺の基準を満たす英会話講師となると、そちらも限られるはずです。

今のところ、無難な範囲としてイギリス発音に慣れる目的で
イギリス人の先生を選ぼうかと考えています。

今までの先生はアメリカ人で、ペーシングをしながら話していると
ついアメリカ発音とイギリス発音が混ぜこぜになってしまうことがありました。

だいぶイギリス発音に慣れてきたところなので
定着させるにはイギリス人講師だけを選ぶのも良いような気がしています。

英語のトレーニングは続けていくことになると思いますが
特定の目標があるわけではないですし、
一生懸命にボキャブラリーを増やそうというつもりもありません。

その時その場で興味があることと、活用できる環境とを加味して
流れに任せるような形になるんでしょう。


思い返してみると、いつの頃からかこうやって
ハッキリした目標を立てなくなってきたようです。

英会話に行けば1月頃だと、たいてい「新年の誓い」について質問されます。
年の初めに一年の目標を立てるのは、欧米文化の1つみたいです。

そういうときに改めて意識させられます。
あまり方向性を設定していないんだ、と。

予定として設定しているものはあります。
もちろん予定が変更になることもありますから
あくまで「やるつもりのこと」です。

「やりたいこと」という意味での目標と
実情はそれほど変わらないような気もします。

予定が変更になるのと、目標を達成できないのも
中身としては似たようなものでしょう。

捉え方が違うだけかもしれません。

長期的な目標に関しても、「こうなりたい」と方向性を設定するよりは
「なんか、こっちのほうに進んでいきそうだな」と予想している感じです。

例えば英語についてなら、イギリス発音への興味が続いていますし
トレーニングをする環境が限られていることから、
「海外のコーチにスカイプレッスンを受けてみようかな」
という気持ちが湧き始めていることを自覚しています。

これが大きくなっていきそうな予想をしているので、
今年はどこかで、そんなスカイプレッスンを始めるかもしれません。

ただ、そのスカイプレッスンは「やりたいこと」というほど強くもないし
頑張ってチャレンジするような「新年の誓い」や「目標」でもないんです。

ヤル気が大きくなったら、そのときにやる。
現状は、そのヤル気が大きくなりそうな予感を持っているけれど、
今は始めるタイミングでもなさそうに感じている。
だからやっていない。

そんな風に、流れに身をゆだねるような雰囲気が高まっているみたいです。


なので、長くレッスンをとってきた英会話の先生が退職したのは残念でしたが
方向性の変化という意味で受けるショックはありませんでした。

単純に寂しいだけ。
深い話をする相手がいなくなって寂しいだけ。

友人に会えなくなるのは寂しいけれど、そういうものでしょう。
避けられないものについては事前に覚悟をしています。

何が起きるか分からないことについては
気楽に流れへ委ねるスタイルになっていました。

かといって何もヤル気がないわけではないんです。
目の前に楽しみなことがやってくればヤル気は高まります。
方向性を決めて、そっちに向かって頑張ることが減ったという話です。

目標に向けてガムシャラに頑張るのも懐かしいですが、
先に何が起こるのかを楽しみにしておくのも悪くないと感じています。

ということで、ここに今年の目標を書くことはできませんが、少なくとも
年末に一年を振り返って感想を書くことにはなるでしょう。

それが多分、一番確実性の高い予想だと思います。

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2016年12月06日

都会のヤモリ

先日の出張帰り、最寄駅から雨の中を歩いていたところ
地面にヤモリがいました。

指がプックリしていて、なかなか可愛らしかったです。

セミナーで人の内面にばかり注意を向けて
色々な匂いが入り混じった新幹線でグッタリした後だったので、
人間以外の動物がなんとも穏やかに見えたものです。

都会のアスファルトの上を歩くのは、一般的なヤモリの生態からすれば
あまり望ましい環境とはいえないのかもしれません。

それでも不平不満とは無関係に、ただ偶然めぐりあったその環境で
ただ生きているヤモリの姿には、世間一般の人間とは違った魅力を感じます。

目標や夢を抱いたり、問題を解決したり、自己成長したり…と
置かれた状況を打破しようとするスタンスが多い世の中だからこそ、
その場所で生きるだけのヤモリに、多少の憧れも抱いてしまうのかもしれません。

ヤモリ

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2016年12月03日

観光客向け

大阪出張のときの滞在場所は、だいたい心斎橋近辺です。

このあたり、外国人観光客が非常に多い。
西洋人もいますが、アジア人が中心の印象を受けます。

コンビニに行っても中国語での表記があちこちにあったり、
コンビニの店員も中国人だったり、
ときにはコンビニ店員と観光客が中国語でやりとりしていて
こっちが異国情緒を感じたりもするぐらいです。

先日、セミナーで使うプロジェクターの接続用に
コネクターを購入する必要があって、心斎橋近辺で探し回っていました。

そもそも心斎橋には大型家電量販店も、小さな電気屋も少ないみたいで
唯一見つかったのがデパートの半分ぐらいを閉めるラオックスだったんです。

ラオックスなら配線機器ぐらい打っているだろうと高をくくっていましたが、
店内に入ってみてビックリ。

もうそのデパートの建物1つ分すべてが外国人向けでした。
日本語を探すほうが大変なほど。

ラオックス以外のフロアも家電以外の外国人観光客向けの商品で占められ
中には「こんなデザインの着物は日本人だったら着ないだろう」というような
一風変わった和服の店なんかもありました。

くだんのラオックスについても、売っているのは中国人に人気の家電が中心で
単価の安いケーブル類やアクセサリー類なんかは扱っていない様子。

店員に一応聞いてみようと話しかける相手を探したところ
店内にいたのは一人残らずアジアの国出身の人ばかりでした。

結局、近くにいた中国人らしき二人組(名札の名前を見る限り)に聞いたところ
あまり日本語が分からないのか、店内のことに詳しくないのか、
一人が店の奥にいた別の店員を呼びに行きました。

連れてこられた人も、やっぱり日本人ではない。
東南アジア系で、名札と顔から察するにタイかベトナムか、そのあたりでしょうか。

とにかく店員として見当たるのはアジア各国出身の人ばかり。
店内の商品も外国人観光客向けのものばかり。
案内表記も外国語がたくさんの感じ。

建物1つがすべて免税店になっていたようなので
そもそもの想定が日本人向けではなかったんでしょう。

むしろ僕が行くべき場所ではなかったようです。

大阪の心斎橋あたりは、外国人観光客向けのビジネスも重要みたいです。

外国人向けとして特化したほうが商売はしやすいのかもしれませんが
こちらからすると、いささかやりすぎなようにも感じられます。

外国人に合わせるために、基準が日本のスタンダードから外れてきて
もはや日本らしさが失われてさえいる印象を受けます。

仮に、利用者の求めるものに合わせるのがビジネスのコツだったとしても
利用者の都合に振り回されることとは別物のような気もします。

なんだかエスカレートしていきそうな予感もしますし、
ブームが去ったときにどうなるのかも気になっがりします。

同じく心斎橋で、少し前に建てられた(改装された?)ホテルがこちら。

外国人がイメージする日本の雰囲気を強調したような
なんとも不思議な外観に見えます。

きっと、このホテルなんかもスタッフは外国人向けを想定しているのでしょう。
案内表記なんかも興味がわきます。

日本よりも日本らしさが強調されつつ、
でもスタッフや表記が日本ではない…。
そんな不思議な日本があるのかもしれません。

まぁ、僕が宿泊することはないでしょうから
実情を知ることもできませんが。

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2016年12月01日

言語のメタ認知

母国語であっても間違って覚えていることは意外と多いもののようです。
しかも間違っているかどうかにも本人は気づけません。

僕の場合、学生時代から「傾向性」という単語が気になっていました。
研究発表でデータを解説するときに「〜な傾向性が見られます」
のように言う人がいたんです。

「性」の部分は「〜な性質」、「〜な特徴」を述べています。
例えば「積極性」となれば「積極的な性質」つまり「積極的に行動する傾向」です。
「性」は「傾向」と同じような意味だといえます。

いわば「〜な傾向がある傾向が見られます」のような感じ。

実際に辞書で「傾向性」をひくと単語そのものは存在していて
それはもっと抽象度の高い意味、つまり
「傾向を持っている性質」ということになります。

例えば「動物の行動には傾向性がある」など。
「動物の行動はランダムではなく、ある傾向を示す」という性質を述べる場合です。

もちろん僕が研究発表で聞いた「傾向性」はこっちのニュアンスではなく
「傾向」そのものの意味で使われていました。

このあたりのことは「なんとなく多くの人の使い方と違う気がする」という
違和感のレベルで気づくことはできます。

が、そこから辞書で調べようとでもしない限り
違和感のままで流されてしまうことが多いのではないでしょうか。

違和感さえも抱かなければ、意識にさえ上がりません。

僕の場合、「傾向性」は違和感として記憶に残っていたんです。
そのあとも何人か「傾向性」ユーザーと出会いました。
もちろん指摘しませんし、そのことについて話すこともありません。

ところが英語を勉強するようになって
「傾向」にあたる単語「 tendency 」を使おうとするうちに、
外国語だからこそ言葉の使い方に慎重になってきたようです。

「 tendency =傾向」という翻訳だけでは使い方がよく分からず
結局のところ、英語のままで「 tendency 」の使い方を気にするようになりました。

結果として日本語での「傾向」についても理解が深まったわけです。

日本語でも気になりますから「傾向性」についても調べてみようと思えましたし、
「じゃあ英語でも”傾向性”にあたる単語があるのか?」と調べたりもしました。

ちなみに調べた範囲では、「傾向性」にあたるのが「 tendentiousness 」のようですが、
意味合いは日本語の「傾向性」とはチョット違う印象を受けます。

「 tendentiousness 」は「偏向性」のような感じみたいです。
「特定の方向に強く偏っていること・性質」といったニュアンス。


なんとなく気になっていたレベルの言葉が
外国語を勉強することでハッキリしてくるみたいです。

同様に母国語だけだと、
似たような言葉の意味の違いが分かっていないこともあるようです。

例えば「関係」と「関係性」。

「夫婦関係」と「夫婦の関係性」はどのように意味が違うでしょうか?

「関係」は「関係がある」という動詞から派生しているものだと思いますが、
「AとBには関係がる」なんて表現を当たり前にしておきながら
「関係」と「関係性」の違いは、よく分かっていないまま過ごしていました。

これも英語で勉強しているうちに納得できた部分です。

英語の場合、「関係」は「 relation 」で、「 relate 」という動詞が名詞化したものです。
一方「関係性」は「 relationship 」。

つまり「 A relates to B」が「AはBに関連している、AはBと関係している」なので
「AとBとの間には何らかの関わりがあって、独立にバラバラなわけではない」
という話をしていることが分かります。

その「 relate 」が名詞になったので、「 relation (関係)」は
「何かと何かが関係していること(独立してバラバラではないこと、影響があること)」
だといえます。

ですから「AとBの関係」となると、
「AとBは互いに独立で影響し合っていませんか?
 それとも何かしらの関わりがあって影響が及ぶ範囲にいますか?」
のような話だと考えられます。

そうなると「AとBは夫婦という関係です」のように
「二人が近い距離にいて、家族を構成するメンバー同士」の意味が出てくる。

「親子の関係」、「友人の関係」、「教師と生徒の関係」のような使い方です。
お互いが独立ではなく、それぞれが相手に対して役割や立場を持っている。
そんな話になる、と。

一方「 relationship (関係性)」は、
「その関係( relation )がどのような性質をもっているか」の話。
「How does A relates to B?」を説明する内容です。

なので「AとBは親密な関係性にある」とか、「関係性が良好・悪い」
「関係性が改善する・悪化する」などのように使われるはずです。

AとBが関わりを持っていることを前提として、
「じゃあ、その関わりの様子はどんな感じですか?」
という話が「関係性」の中身ということでしょう。

僕のこの理解は日本語の辞書で調べたものではありません。
英語学習者として大人になってから「 relation 」と「 relationship 」について
客観的に理解しようとしたために見えてきた部分です。

おそらく英語ネイティブの人でも、
日本人が「関係」と「関係性」の使い分けを曖昧にしているのと同様に
「 relation 」と「 relationship 」の使い分けが曖昧な人もいると想像します。

大人になっての語学は、客観的に分析する視点が身についているからこそ
言語そのものの性質にも学びをもたらしてくれるように感じます。

そしてそれは母国語にも影響する。

外国語学習は、母国語も含めて
言語能力そのものを上げてくれるような気がします。

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2016年11月25日

地域の名産

出張が増えて面白いと感じるのは、
さまざまな所で地方色が感じられることです。

なかでもコンビニは同じように見えるからこそ
その中身の違いに気づくことができます。

もちろんコンビニの種類そのものにも地方色があるようです。

札幌にはセイコーマートという北海道を起点とするチェーンがあるようですし、
名古屋はサークルKが他よりも多い印象があります。

それ以上に品揃えの違いが興味深いんです。


名古屋では自然と、いわゆる「名古屋メシ」の種類のものが目につきます。

パンのコーナーにも小倉マーガリンがよく見られたり、
赤味噌系のものも見受けられたりします。
豚汁なんかも赤味噌なのは、いかにも名古屋という感じでしょうか。

大阪はレジ横の揚げ物コーナーに種類が多いようです。
とり天とか、ちくわ天とか、天ぷらものも並んでいます。

もしかすると麺類の味付けなんかも違うのかもしれません。
食べる機会がないので分かりませんが。

札幌の場合、ほかの地域にはないぐらいバリエーションが豊富です。
羊羹パンとか、ガラナとか、ラーメンサラダとか、やきそば弁当とか
地域色の強いものもコンビニにありますが、
セブンイレブンのオリジナル商品でも種類が多いんです。

パンなんかは他では見ないものが色々。
なんでも新商品を試す場所でもあるんだという話を聞きました。

さらに、他と同じ商品でも名称が違っている場合があります。
トウモロコシは「とうきび」と表記されています。
から揚げは「ザンギ」です。

あとは原材料の産地で北海道が強調されていたり。
「十勝産あずき」なんてのは良く見かけます。


そういえば山口に住んでいた時は
広島近辺で有力な「ポプラ」というコンビニが沢山あったものです。

地域ごとの文化の違いは、コンビニでも見て取れるようです。

輸送の手間を考えれば、地域ごとに基点を作って展開するのが妥当でしょうから
各地に合わせたものが生まれてくるんだろうと思います。

店内を見ているだけでも意外と楽しいものです。

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2016年11月21日

寝心地と夢

最近気付いたんですが、
どうもホテルに泊まると悪夢を見る確率が高いんです。

覚えている夢の多くが、日中に意識へ上がった内容から
連想されるようなものだなのに対して、
なぜかホテルだと変な夢が多いようです。

僕にとっての「悪夢」は、だいたいが虫の類い。

ウジャウジャした感じ。

…今こうして「ウジャウジャ」という文字を書いても
不快な気分になるぐらいなので、
夢に見た後の目覚めは良くありません。

まあ、そもそもホテルでは熟睡できていない気がしますし、
途中で起きるとこが多いのも関係するかもしれません。

ふと思ったのは、
隣の部屋からの騒音の影響もあるかもしれない
ということ。

イビキや水回りの男が漏れ聞こえてくると
そこから不快なイメージが連想されるんじゃないか?と。

寝返りも打ちにくかったり、
乾燥も酷かったり、
寝起きで身体が痛いことも多いですから、
悪夢が加わると体力が回復しない感じがします。

近頃はホテルの予約も取りづらいようなので
あまり贅沢は言えませんが、
疲れを溜める要因は避けたいものです。

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2016年11月18日

予想外の感情

身体の固まったところには感情が溜まっているという考え方があります。

ライヒの『筋肉の鎧』という言葉を使っていたそうですし、
ハリウッドでやられる演技のトレーニングの中にも
個人の感情的な癖を取り除くために体の緊張に意識を向けて
そこを緩めていくものがあるらしいです。

実際、体の緊張した部位に注意を向けて、思い出される記憶を探っていくと
様々な感情的な出来事がよみがえってきます。

マッサージのような施術を受けていても
身体の固まりが緩むときに感情が沸いてきたり
昔の記憶がよみがえったりする経験があります。


自分で感情のわだかまりを解消しようとしたら
身体の緊張に意識を向けていくやり方もあるわけですが、
実際のところ、体の強張りに気づきにくい部位もあります。

そもそも体が固まるということは、その部分への意識の度合いが低く
普段から注意が向いていないから動かさないままで固まってしまい、
固まっていることにも気づきにくくなっている、というのが実情でしょう。

ですから「固まっている部分に意識を向ける」作業そのものが
それほど簡単ではないと思われます。

固まっている部分や緊張している部分を緩めようとしても
そもそも本当に固まっているところほど自覚すらできず、
緩める以前の段階で止まってしまいがちだ、と。

その点、マッサージのような施術を受けるのは効果的だと感じます。
自分では気づくことさえできない強張りを外からほぐしてもらえますから。

ただこの場合、本当にガチガチに固まっていることもあるようで、
「こんなところがこんなにも強張っていたのか!」と驚くほどです。
そして、強く押されると凄く痛い。


マッサージにおいて痛みを感じるほどの圧をかけるのかどうかには
流派や考え方によって違いがあるようですが、
自覚しずらい部位となると少しの刺激でも痛みが感じられるようです。

僕が最近発見したのは、脇のあたり(肩や腕の付け根近辺)には
自覚しにくいレベルで相当な固まりがあるということ。

しかも他の場所と違って、痛みの質が耐え難かったんです。

おそらく、ここには感情的なわだかまりも追加されていた気がします。

溜め込んでいた感情が強く結びついている場所。
ゆるめるときに感情が蘇る程度も大きかったようです。

他では感じたことのない「苛立ち」や「不満」が意識に上がりました。

別の場所だと痛みを堪えることもできますし、
痛くても気持ちがいい感じの場所もあれば、
痛くて逃げたくなるようなときも、謝りたくなるようなときもあります。

でも痛みに苛立ちが混ざったのは初めての体験でした。


どうも「脇のあたり」という場所が関係している気がします。

脇には内面の状態が色濃く表れるものです。
特に、生存レベルでの安心度合いが関係しそうな印象があります。

不安げな人や自信の小さい人ほど脇をしめている傾向が見受けられます。
ときにはギュッと脇の下の空間を閉めて、隙間をなくすようなことも。

逆に、地位や権力、格闘的な強さ、経済力などに自信がある人は
脇の下に空間を作っていたりします。

やってみると感じられるかもしれませんが、
脇の下を開けておくというのは意外と心細い感じがするものです。

実際、緊張した時には両肩が首の方向に近づくように力が入り、
脇の間がすぼまるようなことが頻繁に見受けられます。

おそらく僕の場合も、脇のあたりの強張りは
何らかの内面的な反応を反映していたんでしょう。

そこを緩めたときに苛立ちが出てきたということから推測すると
不満などを我慢して、グッと耐えていたような部分があったのかもしれません。

不満を感じても表に出さずに堪えるような傾向が
脇のあたりの痛みと連動した苛立ちに関係していた気がします。


自覚しずらい部分から出てきた反応だからこそ
普段は意識している以上の感情にも気づけたのだろうと思います。

自分だけで全てに気づくというのは難しいものだと実感しました。

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2016年11月12日

期間限定だから

今年の書道作品制作シーズンも残りわずかとなりました。

幅80cm、長さ180cmぐらいの紙に書くので
部屋中に大きく広げられるスペースが必要になります。

下敷きも大きいものを用意しますし、墨も多く使います。
準備がそれなりにかかる印象があるんです。
場所も取るので、常に出しっぱなしという余裕もありません。

なので作品の期間中は、書道用の物が部屋の端っこに置かれ続けます。
それなりに場所をとって、目につきやすいんです。

そして作品として提出した段階で、一通りの物を片づける。

スッキリもしますが、反面、なんだか寂しい印象にもなるものです。


普段の生活をしていると季節の移り変わりは急激に感じられず
気がついたら季節が変わっていたような印象を受けがちです。

夏と冬は2,3か月の間ずっと暑かったり寒かったりして変化を意識しませんが
春と秋は特に、知らない間に通り過ぎていたように感じているようです。

春や秋が暑い時期と寒い時期の通り道になっているイメージでしょうか。

春の入り口は寒くて冬と繋がっていて、春の終わりは暑くなって夏と変わらない。
秋も同様です。

いかにも春らしい・秋らしい時期というのは短いものなのかもしれませんし、
逆に常に移ろいでいくのが春や秋の特徴なのかもしれません。

その意味でいうと、僕の書道作品の制作シーズンは
まさに秋の期間に当てはまっているようで、
季節の移り変わりをしみじみと感じさせてくれるんです。

大体9月中旬から作品の準備に入る。

9月下旬あたりから書き始め、先生の指導を受けながら書き直し
仕上がるのが11月の中頃から下旬にかけて。

始まったあたりは、まだ夏の名残があって暑いぐらいなんです。
冷房をつけながら書いていて、少し汗ばんでいたのを覚えています。

ところが締め切りが近づいてくるあたりになると
もうすっかり寒さを感じるようになっていて、
暖房が必要になってきています。

墨の乾き方さえ違いを感じるほどです。


セミナーの仕事をしていると、いつも通りの終了時間が
明るかったり暗かったりして日照時間の変化を教えてくれます。

ここでも季節の移り変わりを感じますが
通年の変化でコンスタントに移り変わっていくため、
春や秋の印象は決して強くないみたいです。

「日が長くなった」、「日が短くなった」の二択といった感じ。

その点、秋の気温の変化を追いかけられるのが
僕にとっては、毎年の書道作品のシーズンとなっているんです。

秋の期間とピッタリ重なっているからこそ
移り変わりの大きい秋の時期を実感できるのかもしれません。

仕事の場合、一年中、似たような生活が続きますから
比較対象として際立って記憶に残ることが少ないのでしょう。

一年のうち、2か月程度。
それも秋という気温変化の大きい時期。

始まりと終わりのハッキリしていることが
違いを際立たせてくれると思われます。

意外と、僕が季節を実感する一番の要因が
書道の作品制作とかかわっているような気がしています。

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おしらせ
 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
〜心の動きを捉える〜


【日時】 2017年2月5日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    303集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


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次回開催は4月の予定


《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜

終了しました

【日時】 9月15日(月・祝)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
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《勉強会》 
終了しました
    
【日時】 3月16日(日)
  夜間 18:30〜21:30


【場所】 滝野川会館
     304集会室

     JR上中里駅より7分
     JR駒込駅より10分
     南北線西ヶ原駅より7分

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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