NLPの基本情報

2018年08月11日

原因と責任と可能性のはなし

先日、フェイスブックのコメントで
我ながら上手くまとまった内容があったので
切り出して加筆しながら転載しておこうと思います。


苦しみには自分の歪み、自分の心の癖が関わっています。
その意味で、全ての苦しみには自分の責任がある。

ここで「責任」とか「原因」という言葉を使うと
0か100かで考えられることがあるようなんですが、
責任や原因は、1つのことに100%集まるわけではありません。

「自分に責任がある」「本人に原因がある」というのは、
他に主要な責任の所在があったり、他人が大きな原因だったりしても
一部は少なくとも自分の範囲が含まれている、という意味です。

特に、出来事として「厄介なことが起きる」場合については
そのことが起きることの責任や原因は
限りなくゼロに近いこともありえます。

(ゼロと言わないのは、自分について向き合っていくと、最終的には
 自分と世の中との区別がなくなって、あらゆることに対して
 他人事として切り離して判断することができなくなるからです)

厄介な出来事が起こることには自分の責任や原因がほぼゼロだとしても
それをどれぐらい、どのように苦しむのかには
自分の心の癖が関与する度合いが大きくなってきます。

明らかにゼロよりも大きくなる。

例えば、悲惨なニュースを見ていて犯罪者に対して怒る人もいれば
犯罪に走るまでに至ったその人の境遇を悲しむ人も、あるいは
自分とは関係ないということでそれほど心を痛めない人もいますから、
どれぐらいの大きさで、どんな苦しみを体験するかには
かなりの個人差があるわけです。

そして体験の仕方に個人差があるということは、
そこに本人ならではの要因、つまり本人の責任の範囲が
少なからず含まれている、といえます。


また、自分にとって厄介な出来事が起きているときは
必ずと言っていいほど、どちらか一方だけに責任があることはなく
何か1つだけのことが原因になっていることはありません。

ニュートラルに、客観的に、網羅的に状況を捉えて
何にどれぐらいの責任と原因があるかを列挙するのが
悩まないためのコツの1つでしょう。

全部を自分のせいにして苦しむ必要はありません。
客観的に見たら、自分が原因、自分の責任という部分は
実際にはそれほど大きくない場合もあります。
困るべき人が別にいるケースです。

また、全部を他人のせいにしてしまっては
苦しみを減らせる可能性から逃げてしまうことになります。
これは苦しんでいる自分を楽にしてあげるチャンスから目を背ける点で
自分が自分を苦しめていることとも捉えられます。

何かに取り組むのは、それ自体がエネルギーを要求しますから
苦しみが大きすぎて何一つ元気がないときには
まず気持ちを楽にすることが最優先にはなりますが、
自分が取り組める課題を見つけられれば気力が高まる効果もあり得ます。


「原因」という言葉は、それが「根本原因」だと言っているのではない。
「責任」という言葉は、「その人のせいだ」と言っているのでもない。

あくまで
 沢山の要因が絡み合って物事は起こっていることを認め、
 その中で様々な原因と責任の所在を適切に分配して判断する
ということです。

複数の要因の中から「主要な原因」を特定することはできるかもしれません。
だからといって、主要な原因に対処するだけが解決方法でもありません。

様々な要因が絡んでいるのであれば、原因として小さなことでも
そこを変えることで全体が変わっていく可能性はありえます。

主要な原因が他人や、何か他の環境要因にあったとしても
自分が関わっている部分があるのだとしたら、
原因となっていることの小さな1つを自分に見つけられるかもしれない。

そしてそれが見つかれば、その「自分が原因」の部分は、
自分の責任の範囲として、自分がコントロールできる範囲として
主体的に取り組んでみることが可能になります。

このとき、自分の態度が変わるんです。
能動的、主体的になる。

そして実際に、自分が原因となっている部分に取り組めば
「自分のできる範囲の全てに対して、自分の責任を果たした」
と自然に思えるようになります。

最善を尽くしたと感じられてくるんです。

結果として望ましい方向には変わらなかったとしても
「できることは全部やった」と確信して言えるようになる。

残念な気持ちや悲しい感じは出てくるかもしれません。
しかし苦しみの種類が、以前とは別物になっています。
ずっと受け入れやすい形になっています。

これが自分の責任の範囲を明確にする効果です。


ある出来事に対して苦しむとしても、
その責任の全てが自分にあるわけではない。
もしかしたら相手に99%の責任があるかもしれません。

ただし、残りの1%の自分の責任が自分の側にあるのだとしたら、
その残りの1%に取り組む自由は、自分に100%あります。

とりわけ苦しみについては
自分の歪み、自分の心の癖が関わる度合いも大きいものです。

そこには結構な割合で、自分が取り組める範囲があるんです。

自分の問題の度合いが1%しかなくて、
客観的には99%相手のせいだとしても、
その問題で苦しむことには自分の範囲がもう少し大きく関わります。

苦しまないための取り組みには自分が取り組める余地が結構あるんです。
かなりの可能性が残されているんです。
その可能性に対して自分が100%扱うことができるんです。

苦しいのは自分のせいではなくても、
苦しまないのは自分の範囲で取り組む「ことができる」。

『全ては本人の受け取り方の問題』と言って、
不幸が本人のせいだとか、本人が不幸を引き寄せているとか、
そのように考える人もいるようですが、そうではないと思います。

どんな不幸に苛まれても、
その中で自分の責任の範囲については
自分で何とかできる「余地」が残されている。

そこに希望があるんです。

cozyharada at 23:20|Permalinkclip!

2018年08月04日

無意識の深さと遠さ

無意識に「深さ」があるという発想が誤解を招きやすいと思います。

ある意味、フロイトやユングのやらかしちゃったところというか。
まあ、鵜呑みにした後続もでしょうけれど。

特に「氷山」をモデルにするような形だと、
「深い無意識」は表面に上がってこないイメージになります。

結果として、「深い無意識」(=「潜在意識」)は
「意識」の本人には計り知れないものとなって
「潜在意識に支配されている」とか
「潜在意識が90%以上」とか
「潜在意識に暗示を入れる」とか
「潜在意識を活用する」とか、
どこか他人事の対象になってしまうようです。


無意識のアクセスしやすさは、ただの距離。
深さはなく、遠いか近いかだけ。

言い換えると、
 親しみのある範囲ほど意識に近く、
 慣れていない(親しみのない)範囲ほど
 アクセスしにくい「遠い」ところの無意識になる
ということ。

深さで無意識のアクセスしにくさをイメージすると、
深いところはいつまでたっても意識できないかのように考えがちです。

氷山の水面下、深いところは水面に上がってこなそうですし、
水面に上がれるのは浅いところが浮上する程度の感じでしょう。

しかも表面に出た意識を「顕在意識」などと読びながら
「顕在意識」の内容が万人に共通しているかのように想定すると、
対応する「潜在意識」のほうにも万人に共通した性質があるかのように
仮定したくなるのかもしれません。

これはある程度、仕方のないことだと思われます。

人は基本的に、他人の内面を想像できるようになる過程で
自分の経験を参照しながら
「これが仮に自分だったとしたら、こういう風に思うはずだ。
 だったらこの立場の人は、こんな風に感じるのだろう。」
といった視点の切り替えをしていくといえます。

こういうのは小学校の道徳の授業でやるような訓練です。
「自分だったら、どう思う?」みたいな作業。

その想像の積み重ねによって、他人の行動を見たときに
「一般的にこういう風に考えたり、感じたりするものだ」
という知見が作られていって、
自動的に他人の気持ちを汲み取ることに慣れてくるわけです。

ですが同時に、「自分だったら」をベースにしている以上
「その立場にいる自分」を想像しているに過ぎなくて、
「その立場にいる相手」の気持ちを想像しているわけではありません。

相手の気持ちを想像するには、相手の「立場」をもとに考えるのではなく、
相手の表情や非言語メッセージから感情を読みとって
相手の「感情」をもとに想像する必要があります。

これはまた別の訓練を求められます。

しかしいずれにしても、自分の体験をベースにして察するので
「他人にも自分と同じ心の動きがある」と想定したくなるのが
自然な発想だといえます。

だから人間には共通した心の動きがあるという前提で
人は心理学を研究し始めたのでしょうし、
動物にだって人間と同じような心があると想定したくなるんです。

犬が走り回っていたら「楽しそう」だと想像しますが
果たして犬が体験しているものが、人間と同じ「楽しさ」かどうか
それは定かではないはずです。

動物だったら人間と同じような仕組みがある可能性もあるでしょうが、
それがアンドロイドだったりしたら、もっとハッキリすると思います。

明らかにアンドロイドだと知っていて、
プログラムされた通りに動いているだけだと知っていて、
そのアンドロイドが他のアンドロイドが壊れるのを見て
涙を流し、泣き声を上げ、人間と同じような表情や姿勢をしたら
きっとそこに「悲しんでいる」という解釈をするのではないでしょうか。

本当にアンドロイドの反応がプログラムなのか、
もしかしたら本当に心があるのか、
その判断ができなくなりそうなのは、結局
 人が他者の内面を、自分の体験をもとに想像するのが根本にあるから
だといえるでしょう。

そういう仕組みがある以上、
人に共通する「顕在意識」や「潜在意識」がある
と考えたくなるのも分からなくはありません。

そして共通すると想定するからこそ生まれてくる
氷山のような「無意識の深さ」のモデルについても。


でも実際に内面を探る作業を重ねていくと
そうじゃないことが沢山見えてきます。

「深い無意識」だと思っていたものも、
やり方を工夫すれば意識に上げることができます。

つまり、普段の意識状態ではアクセスされない情報だっただけで
意識の仕方を変えるだけで、意識に上げることは可能なんです。
その意味ではもう、「無意識」ではなくなります。

そして一度でも意識に上げたものは、
「深い」無意識ではなくなります。
すぐにアクセスできるものになる。

意識に近いところにやってくるんです。

より正確には、「意識」の範囲が広がるということです。

無意識と呼ばれているのは、意識に上げる方法に馴染みがないだけのこと。
アクセスするルートがないんです。

そしてそのルートの道のりが遠いほどアクセスしにくい。
近ければ、うろうろしている間に偶然たどり着けることもありますが、
遠くにあればチョットうろうろしたぐらいでは到着しません。

この距離とルートがあるからこそ、
意識と無意識のモデルは「氷山」よりも
平面的な「ジグソーパズル」のようなイメージのほうが
近いんじゃないかと感じます。

ピースが繋がって絵柄が分かっているところが「意識」。

その範囲に隣接するピースだったら、端っこの形と絵柄をもとに
次に当てはまるものを見つけやすいはずです。

これが近くてアクセスしやすい「無意識」の範囲。
そして一度ピースがくっつけば、繋がった面積が大きくなりますから
「意識」の範囲が広がったことになります。

一方、完全にピースが連続していなくても、
ちょっと離れた場所に小さな塊を作ることはできます。

ピースの形同士を繋げて、少ない数のピースのまとまりができる。
特にそれが主要な絵柄と関係するように見えれば
全体に対しての配置も想像できるようになります。

この場合、少し離れた”島”のような形で
「意識」が広がっているといえそうです。

そして隣り合うピース同士を繋げていくと
面積として広げなくても、細い道のように遠くまで
「意識」の行き先を進めていくことができます。

これが「無意識」を探るルートのようなもので、
その先に何か、全体の絵柄を決めるうえで重要な部分が
ピースの模様として見えてくることがあります。

こうなると「無意識」の意味に気づけたり、
過去の重要な記憶が戻ってくることになったりして、
遠い無意識にアクセスできたことになります。

つまり遠くにある情報にアクセスするには、
主要な意識の範囲である絵柄の分かった塊から
少しずつ隣のピースを繋げていって
遠くまでルートを伸ばしていく必要がある、ということです。

実際に無意識の範囲にアクセスる手法は、
こういう連想の広げ方をします。

沢山のピースからなるジグソーパズルにおいて
すでに絵柄の分かった塊の範囲がある。

そのメインとなる面積の大きな塊を「意識」として、
そこから近い場所のピースはアクセスしやすく、
遠い場所のピースにアクセスるには
隣接するピースをコツコツ繋げて
遠くまでルートを伸ばす必要がある。

そういうイメージが理解しやすいと思います。


なので実態としても、ある人にとっての意識に近い情報が、
その人にとってアクセスしやすくても、
同じ情報が、別の人にとってはアクセスしにくいことがあるんです。

つまり、ある人にとっては完全に無自覚な「潜在意識」の記憶や行動も、
別の人にとっては常日頃から自覚している「顕在意識」ということがある、と。

例えば…。

寂しいときに心の隙間を満たすために甘い物を食べる、という人は
自覚しながら甘い物を食べます。

寂しいときほど、それに気づいて、甘い物を食べたい気持ちが大きくなる。
だから、食べたいときに食べる。
逆に寂しくない日は、別に食べなくていい。

そもそも「なぜか食べてしまう」のではなく、
食べたいから食べているだけなんです。

一方、同じ理由なのに自覚できていないで、
「なぜか甘い物をやめられない」という人もいます。

すごく寂しい日も、あまり寂しくない日も
「なぜか」甘い物を食べる。
で、「また食べちゃった」と後悔する。

この人にとって、甘い物を食べるのは
『潜在意識に勝てない』というヤツなんでしょう。

ところが、「なぜか甘い物を食べてしまう」ほうの人が、
物事をコンスタントに予定通りこなしたりする。

そして「甘い物を食べたいときにだけ食べる」ほうの人が、
物事を先送りにすることもあり得ます。

前者は「やろうと思ったからやる」だけのことで、
そこに「つい先送りにする」という発想さえありません。

後者は「やらなきゃ」と思っても、なぜか「つい先送りにしてしまう」。
すぐやるか、後でやるかの決定プロセスが無自覚なんです。
だから『潜在意識に勝てない』。
「つい先送りにする」ことの『深層心理』が分からない、と。

ある人にとっては当たり前で、日ごろから意識的なわけです。
理由は明白で、そこに『深層心理』もありません。

でも同じことが別の人には
なぜか分からない『潜在意識』のことになっていて、
そういうときにだけ『深層心理』が登場する。

こうしたことも、単純に距離の近さ・遠さだけで考えればスムーズでしょう。

そもそも「意識」の範囲に個人差がある。
ジグソーパズルの中で見えている絵柄の部分が違うんです。

そこから近い範囲もあれば、遠い範囲もある。

そういう考え方のほうが上手く説明できますし、
個人差についても理解もしやすいでしょう。


無意識は「深さ」ではなく、
平面的な場所の「遠さ」で考える。

それがオススメです。

cozyharada at 23:23|Permalinkclip!

2018年07月28日

体感を区別する

疲労というのも一言で片づけずに
ちゃんと中身を気にしてみると区別がついてくるようです。

少なくとも僕の場合、
・持久的な意味での筋肉疲労の蓄積
・運動を長時間続けたことでのエネルギー源の枯渇
・注意を配り続けたことによる精神的ストレスの蓄積
・注意を配る際に使う筋肉の過労的強張り
・特定のことをし続けるために動かなくなる部位の固まり
・集中的な作業に伴うエネルギー消費に対して
エネルギー生産が追いつかず全身が酸欠気味になること
・自律神経系のバランスに伴う代謝変化によって起きる脱水症状
…などがありそうです。

セミナーの場合だと、それぞれ
・歩き続けた後のような足の痛み
・全身の動きが鈍く、力が出ない感じ
・反動として気が抜け、内にこもりたくなる状態
・目の周りの筋肉、顎周りの筋肉の重苦しさ
・首と背中の硬直
・呼吸が荒くなり、息切れする感じ
・喉の渇き、肌の乾燥
に対応しそうです。

もちろん、相互に関連し合うものもあるでしょう。
背中の強張ると、呼吸筋の動きも悪くなりますから
息切れしやすくなると思われます。

とはいえ、それぞれに対して効果的なことを考えると
回復のために何をすればいいかが選びやすそうです。

食事なのか、水分補給なのか、サプリメントなのか、
有酸素運動なのか、筋肉を動かすために負荷をかける運動なのか、
リラックスするための休息なのか、瞑想なのか、睡眠なのか。

ちゃんと疲労感の種類を感じ分けてから
対応を決められたら良さそうな気がしています。

まあ、選ぶこともままならない日もありますから、
そういうときは諦めることになりそうですが。

同様に考えれば、空腹感なども
きちんと感じ分けることで
自然な食事管理ができるのかもしれません。

cozyharada at 23:00|Permalinkclip!

2018年07月22日

湿度への対応

日本人は一般的に湿度に対しての感度が低い印象を受けます。

もともと夏は高温多湿になりますし、
梅雨や秋の長雨の時期も湿度が高いですから
慣れてしまっているのかもしれません。

その点、日本在住のアメリカ人などは
湿度に慣れていないらしく、湿度の高さを不快に感じるそうです。

実際、湿度が高いと熱がこもった状態になって
頭がボーッとして疲れた感じになります。

いわゆる夏バテというのも、ある程度の割合は
この湿度の高さによるものじゃないかと僕には思えます。
慢性的に熱っぽくなってボーッとした感じ。

寒さを嫌がって冷房を好まない人もいますが、
湿度は気にしないようで、湿度の高さのために
パフォーマンスが落ちたり、元気が出なかったりする場合も
結構あるように見受けられます。

アメリカ人は湿度の高さを嫌うだけでなく、
太っている人が多いとか、普段から薄着の人が多いとか、
気温が低い方がシャキッとした気分になりやすいとか、
そういった理由で、アメリカのセミナー会場は、空調の設定を
16度ぐらいにするのが標準だと聞いたこともあります。

その温度設定だと湿度が下がり、頭がボーッとなりにくい。

もちろん寒がる人もいますが、そういう人は上着を着ればいい。
エコではないものの、セミナーを受ける人のパフォーマンスを
優先した設定だとはいえるのかもしれません。

湿度が高いと気化熱で体温が奪われにくいので
ジワジワと汗が出続けることがよくあります。

発汗は体温を下げるためのものでしょうから
汗をかいても体温が下がらず、ずっと熱がこもり続ければ
汗を出し続けるようなことがあると聞きます。

これが日本の夏における熱中症の原因の1つだとか。

アメリカだと湿度が嫌いなだけでなく、もしかしたら
そういう汗のかき方も嫌がるのかもしれません。

飲み物のサイズも大きいですし。

全般的に水不足になりやすいアメリカ国土を考えると
電気より水を大切にする方が重要な可能性もありそうです。

広い国土を使えば風力発電も効果的らしいので
日本人とはその辺の発想も違うのでしょうか。


僕自身は個人的にアメリカ人の対応のほうに近いです。
湿度の影響を体感するため、寒く感じたとしても
湿度が低いほうを優先します。

それは実際に起きている体験として
湿度の高さ自体も感知しているのと
そのときのパフォーマンスも意識に上げているからです。

一方、日本の湿度に慣れている人ほど
実際の体感よりも知識や常識を優先するのかもしれません。

近所のお爺さんは、近頃毎日、
玄関先の道に水を撒いています。
いわゆる打ち水です。

気化熱で気温が下がって涼しくなるという考えに基づく
昔ながらの生活の知恵ですが、
最近の気候で果たしてどれだけ効果があるのでしょう?

舗装されたアスファルトは黒い色が太陽光を吸収し、かつ石の冷めにくさの性質も加わって、
昔の土の道よりも多くの熱を溜め込みます。

水を撒いた瞬間、アスファルトに触れた水が蒸発し
まるで焼けたフライパンに水を落としたように
空気中に湯気が立ちのぼる。

一気にムワッとした熱気が充満するんです。

地面の温度は文字通り「焼け石に水」で下がらないでしょう。

気化熱で下がる気温がどれだけかは分かりませんが、
それ以上に一気に上がる湿度のほうが顕著です。

サウナで石に水をかけるようなもの。

体感温度は明らかに上がります。

実際、僕はその家の玄関先、水を撒いた道を通るとき
サウナのような熱気を感じます。

でもそのお爺さんは、昔の人知恵を信じてやっていて
実際の効果を体感で評価していないんでしょう。

湿度が上がる影響も感じないんだと思われます。

それだけ慣れと思い込みの影響は大きい。

空調メーカーのダイキンは湿度にこだわっているようですが、
全体的にもっと湿度を気にしてもいいんじゃないかと思います。

せめて安易に「暑い」「寒い」の一言で片づけないように
感じた温度と湿度を言葉にするとか。

cozyharada at 23:48|Permalinkclip!

2018年04月27日

相談援助のポイント

僕が相談を受けるときの土台は、文字通りペーシングです。

観察力と共感力を活用して本人の中で起きていることを捉える。
そのことが9割ぐらいの割合を占めていると思います。

言葉の内容は、その人の内面で実際に起こっていることを
補足説明するためのものでしかありません。

なんなら本人よりも僕の方が上手く言葉にできる自信があることも。


そうやって本人の中で起きていることを把握しながら
現状の不具合として、本人にとって気がかりなものを探ります。
これは主にネガティブな感情の動きの強さとして判断します。

で、感情が大きく動く要因を捉えながら
相談内容としての話題を絞り込みます。

この段階ではあくまでテーマの候補が出ているところまで。


それと並行して現状の不具合を生み出している心の癖に注目します。
これは「どういうプログラムが関わっているか?」という話。

「何を学習してきて、どの学習結果が上手くいっていないか?」
「何を学習してこれなかったために上手くいっていないのか?」
といった発想がメインです。


そして現状の中から本人が気にかけている部分のいくつかを踏まえつつ、
どういう学習・再学習をしたら、気がかりなことが改善しそうかを
話し合いながら決めていく。

ここでコントラクトとなります。

そうしたら後はもう、必要な学習・再学習を
ワークやトレーニング、課題としてやるだけ。


つまり、
_燭魍惱・再学習したら問題状況が改善しそうかを特定する
△匹Δい取り組みをしたら、その学習・再学習が可能かを考える
3惱・再学習の取り組みをして、その進行をチェック
こ惱・再学習の効果を予測して大丈夫そうであれば終了
(ジ綟、その効果を検証)
といった流れ。

大きなポイントは,鉢△任靴腓Α

何を学習・再学習したら改善するのかを話し合う段階と、
その学習・再学習をするための手法をか考える段階。

,里曚Δ倭綾劼猟未
 治
「何を相談のテーマにするか?」
「絡み合った困りごとのうち、どの部分を解決したいか?」
を決める作業と、
 治
「その困りごとを生み出しているのは
・何を学習していないからか?
・過去に学習したパターンのどれが空回りしているからか?」
を判断する作業、
の2つからなります。

が、自分の心の癖を「学習」という観点で捉えないクライアントには
 治欧里曚Δ枠獣任任ないほうが一般的です。

なのでそこは援助者側が積極的に見ていく必要がある部分でしょう。

そしてカウンセラーやコーチでも、
この「学習・再学習」という観点で取り組む内容を整理しないために
効果をだすための手法の選び方が曖昧になるケースが多いようです。

実際はそれほど取り組む内容を特定していなくても
セラピー的な手法をやっていくうちに
自然な流れで適切な落としどころに辿り着きますから、
それでも問題は起きにくいとは思いますが。

僕も振り返ると、
「とりあえずワークを初めてみて、様子を見ながら
クライアント自身が納得いくところに繋げていく」感じの
『結果オーライ』にする力に頼っていた時期がありました。

それは端的に、
「どの学習不足、どの学習の空回りが問題か?」
を見られていなかったのが理由の一つ。

もう一つの理由は、それが分かっても
「どういう手法で、どんな作業をしたら
その学習・再学習が可能か?」
を想定できていなかったことだと考えられます。

このことが⊆衙〜択の段階で困難さを生むようです。


ですから課題となるのは
学習・再学習の観点で取り組む内容を絞り込むことと、
学習・再学習のやり方を身につけること
でしょう。

様々な心理療法的手法がありますが、
それらが学習・再学習の観点ていえば何をしているのか?

その仕組みを理解した上で
効果を狙って手法を選べるようになれば、
『結果オーライ』ではない見立て通りの効果を
出しやすくなってくるはずです。

そしてこの部分こそ、学習・再学習を
「プログラム」として理解するNLPの特徴だと思うんですが、
残念ながらこの部分をトレーニングする機会は
滅多にないような気がします。

今度、手法の仕組みと効果を解説したり
効果を出すために必要な流れを練習するような
トレーニングをしてもいいかもしれません。

cozyharada at 23:17|Permalinkclip!

2018年02月21日

音楽の力

先日、フランス語教材のCDを取り込んだときのことです。

やるときはまとめてやってしまいたかったのと、
取り込み作業をやると決めたことで
「せっかくなら」という気分が出てきたため、
音楽のCDも取り込むことにしました。

気になっていたものを数本レンタルしてパソコンに取り込み。

まんまとレンタルショップの策略にはまっているわけですが、
まとめて借りると得になるシステムを利用するために
予定していなかったものも借りることになりました。

以前よく聞いていた歌手のCDです。
ベストアルバムが出ていたので懐かしさとともにレンタルしたんです。


取り込んで聴いてみると、これがなんとも不思議な気分。

懐かしさは大きかったです。
よく聴いていた当時の記憶が蘇ります。

その頃は新曲が出ると追いかけてCDを購入していたものですから
曲と時期がリンクしているんです。

聴く曲によって思い出される記憶が異なります。
思い浮かぶ景色や場面が色々あるんです。

車の中で聴くことが多かったものですから
多くは車内から見た景色ですが、
どこに出かけていた時期の記憶かは特定できました。

「そういえば、こんなことをしていたなぁ」と。

いわゆるアンカーという仕組みですね。

そういう思い出がある一方で、
その頃に心を動かされていた部分はあまり反応しませんでした。

当時の状況、心境で感じ入っていた曲は
あの頃の僕の苦しさや悲しさに響いていたのでしょう。
今はもう、その感情がないみたいです。

それが寂しいようでもあり、
以前の自分に同情するようでもあり、
時間の移ろいと状況の変化を実感するキッカケになりました。


15年も前だということにも驚きます。

そして15年前の記憶でも思い出させてくれる音楽に
その力のほどを感じ入りました。

毎日を重ねていると意識されない時間の流れですが、記憶を辿ると、
その思い出から引っ張り出される気持ちもあるようです。

過去を思い返すからこそ未来も同時に意識しましたし。
長さとしての時間を感じる機会になりました。

cozyharada at 23:46|Permalinkclip!

2018年02月15日

片付けのパターン

僕のiPhoneの中に入っている音楽ファイルは
かなりの割合が語学のリスニング教材です。

近頃はフランス語の割合が高まってきていますが
CD音源のパソコンへの取り込みや、iPhoneとの同期、
リスト作成やデータの整理など、伴う作業を考えると、
僕にとって音声ファイルの取り込みは少し面倒に感じるんです。

パソコン本体にCDドライブがついていないのも関係します。
外付けドライブを用意して…なんていう作業を想像すると、
「ここは1つ、CDでも取り込むか!」などと
しっかりした意欲が高まってからでないと動けないようです。

どの作業も1つ1つは些細なことだとは分かっていても
積み重なったときに億劫な気がしてくる。

NLP的にいうと、時間把握のプログラムとして
スルータイムと呼ばれる長さ感覚を利用する癖があるからでしょう。

目の前の作業1つに集中すればパッと取り組めて
1つ1つ表れてくる作業をこなすだけでいいはずですから、
逆のインタイムと呼ばれるプログラムだったら
もっと気軽に沢山の音源を取り込んでいたと思われます。

そういえば僕の知り合いのインタイムの人は
物凄く大量の音源をiPhoneに入れていました。


で、先日、ようやく重い腰を上げて
CD音源の取り込みをやることにしたんです。

時間意識の使い方は変わっていません。

面倒臭い作業の積み重ねがヤル気を減退させる一方で、
音源を取り込みたい動機というのもあります。

今回はその動機が高まったわけです。
必要性が面倒臭さを上回った、と。

フランス語のリスニング教材がちょうど1つ終わって
次のものに移ろうというタイミングだったのが大きそうです。

CDのまま聴き取りをするよりもパソコンから行うことが多いので
次の教材に取り組むためには取り込む必要がありました。

他にも今までに買っていた教材の付録のCDが残っていたのもあります。
フランス語の聴き取り練習を移動中にもできそうでしたし、
一度やったものの復習は電車の中などだと好都合だったので
一気に取り込んでしまおうという気になったんです。

このように必要性が少しずつ積み重なって
面倒臭さを上回ると、行動に移ることができる。

部屋の片づけをやるときも同じパターンです。

ある程度、本が積みあがってきた時点で整理しようとする。

典型的なやり方なんでしょう。


そして一気に音源を取り込んで、そのままの流れで
教材の整理まで一緒にすることになりました。

始めると一気にやってしまうのも良くある傾向です。

そして以前に購入した教材の中に
今の自分のタイミングにちょうど良さそうなものを発見。

良さそうだと思って購入しても、あまり取り組まずに
放ったらかしになってしまうものも時々あります。

そういうのが一気に整理するこのタイミングで
必要そうなものとして見つかってくることもあるんです。

時間の流れを先まで考えてから行動するパターンは
教材を購入するときにも、その時点の実力だけを反映せず
「いつか役に立ちそう」、「質の高いものだから使えそう」
といった先取りで買ってしまう行動とも関係するのかもしれません。

そして実際にしばらくしてから役に立ち始める。

今回は特に掘り出し物を見つけたような気分なので
その教材にも力を注いでみようと思っています。

cozyharada at 23:07|Permalinkclip!

2018年02月01日

風邪が治りません

どうも調子が戻りません。

ダルさと節々の痛みが続きます。
喉の痛みは引いてきていますが、
ときどき咳が止まらないときも。

これは一応、病院に行って
喉に巣くいやすい細菌を殺すタイプの抗生物質を
もらってきたおかげではないかと思われます。

何より、インフルエンザではなかっただけでも安心。


熱は出たり下がったりを繰り返していて
症状が移り変わっていく感じです。

ただ寝て養生しているだけでも、変化はあるものなんですね。
むしろ何もしていないからこそ
変化に敏感になっているのかもしれません。

もしかしたら昔よりも体の内側の変化に敏感になっていて
体調をモニターできるようになっている可能性もあります。

以前は鈍感だったというか、気にしていなかったから
体調を変動するものとして捉えていなかっただけだろう、と。

「体調が悪い」という判断を「良い」〜「悪い」の数段階だけで
評価していたような気もします。

いや実情は「悪くない」〜「すごく悪い」ぐらいだったかも。

「体調が良い」の基準がなかったようにも思いますし、
「悪い」についても「熱があるかどうか」とか
「どこかが痛いかどうか」ぐらいしか気にしていませんでした。

今は重みや動きの悪さ、熱が籠った感じ、強張り…など
体の内側がスッキリとクリアになっていないことで
「良くない」と判断していることを自覚します。

「体調が良い」の設定値ができたんでしょう。


それはそれで体調維持にはメリットがありそうですが
ひとたび体調を崩すと苦痛が強く意識に上がって
なんとも過ごしにくくもあります。

何事も裏表ですね。

cozyharada at 23:26|Permalinkclip!

2018年01月19日

感覚刺激への感度

今年最初の出張は札幌です。

値段の関係で普段よりも早い便に乗りました。
日中の飛行機はあまり利用していなかったのですが
日差しのまぶしさが厳しかったです。

窓際の人が景色を眺めたり、かと思うと眠りについたりして
日よけを閉めてもらうこともできず、自分の顔を隠すので精一杯。

どうも僕は子供のころから日差しが苦手で、記念写真は決まって
まぶしそうな顔をして写っていたものです。

飛行機の中でも他の人は日光を気にしていない様子でしたから
僕の個人的な傾向として光が得意ではないのかもしれません。

冬でも日中の飛行機はサングラスが必須だと感じました。
でないと本も読めません。

寝るならアイマスクが必要そうにも思えますが、かといって
耳にゴムを引っかけるのが痛くて嫌だというワガママもあります。

鼻と口を覆うための普通のマスクにしても耳が痛くて嫌ですし、
帽子も耳の上に加わる感触が苦手です。

耳栓も痛いから本当は嫌なんです。
騒音の音圧の強さを避けるか、耳の穴の痛みを避けるか…。
耳栓を使うかどうかは迷うところです。

イヤホンも痛くて苦手でしたが、カナル型(深く差し込むタイプ)が出て
だいぶ楽になりました。

随分と目や耳の周りについて好みがうるさいことを自覚します。

小さいころは苦手な刺激が多くて、それでも
大人になって我慢できるようになってきていました。

ですが最近また苦手意識が高まってきている印象があります。

我慢して気にしないようにしていた感覚刺激が
改めて意識に上がるようになってきたんでしょう。

NLPでは「五感を鋭敏に」なんてことも言われたりしますが
敏感さは強い刺激への脆さにも繋がるようです。

メリットとデメリットは裏表なのかもしれません。


この辺の「感覚刺激への過敏さ」については
「HSP(Highly Sensitive Person)」という概念が提唱されています。

臨床心理学者のエレイン・アーロンという人が決めたものですから
生きにくさの1つの指標として、その基準を設定したといえます。

ネット上にもアーロンが作った測定法(質問リスト)がありますから
すぐに自分でも調べてみることができます。

心理学においては、この手の測定法の研究は
統計的に一貫していて妥当かどうかを調べますが、
実際に本人の中で何が起こっているかどうかは無関係です。

「こういう質問をすれば、この特徴が調べられるだろう」という想定で
工夫しながら質問集を作っているだけのこと。

調べたい特徴は既に、測定法の設計者の中で決まっているわけです。

その意味では、このHSPという個性は
「HSPに分類されるかどうか」で評価されるのであって、
それ以外の特性との関係などは気にされていない、ともいえそうです。

どのような生物学的な仕組みが関係しているか?などは
後の研究者が考える可能性はありますが、
そこが前提になっているわけではないはずです。

一方、僕の個人的な印象といいますか、NLP的な視点を踏まえてみると
HSPは2つの要素の組み合わせで説明ができそうです。

1つは五感刺激への感度そのもの。
情報を細かく知覚して、意味づけの少ない五感情報のまま処理がされる度合い。
感覚情報に対して直接的に反応が起こる傾向ともいえます。

その対極は五感情報を組み合わせて社会的に意味づけして
その意味に対する反応を学習する傾向。

心の中には様々な処理が同時並行で起こっていますから
両方の傾向の反応がどちらも進んではいますが、
感覚情報に直接反応する度合いが大きい、ということです。

もう一方は、反応が表に強く表れる度合い。
これは1つの「刺激−反応」に集中して意識体験が起こる傾向です。

対極は、同時に複数の処理が意識される体験の傾向。

HSPは「感覚刺激に圧倒されやすい」という意味で
「感覚刺激への感度の高さ」と
「圧倒のされやすさ」
の2つが含まれるとも考えられる、という話です。


僕は個人的に感覚刺激への感度は高そうですが、
1つの反応に集中して意識化するほうではなく、
好ましくない反応があっても「数多くの心の動きの1つ」と捉え
それに集中することがありません。

ですから「嫌い」ですが
「圧倒される」ことはないんです。

その意味では僕は「HSP」の分類には入りません。

感覚刺激への感度は高くても、
それだけが「HSP」の基準ではないからでしょう。

「五感刺激への感度」と「1つの意識体験への集中度(強さ)」。
この2つがHSPには含まれていそうに思えます。

実際、僕が測定法に沿って質問に答えてみると
半分だけが当てはまりますし。

名称は「Highly Sensitive(高感度)」ですが
それだけではなさそうだということです。

逆に、僕はただの高感度だ、と。

cozyharada at 23:50|Permalinkclip!

2017年12月25日

ホワイトクリスマス

今年はクリスマスのタイミングで知人を訪問しました。

メインの目的は、その人が飼っている犬に会うことですが。

この写真の犬です。
皆でドッグカフェ(屋内)に行ったときの一枚。

グレートピレニーズという種類で、
体重は45kgぐらいじゃないかと思います。

メスなので少し小さめ。
オスだと60kgぐらいにまでなる犬種です。

Jolly


























ラブラドールやシェパードのように
人間の仕事の手伝いをする種類ではありませんから、
一般にはそれほど賢いとはされていません。

が、この犬はとても穏やかで賢かったです。
マイペースな部分もあるとはいえ
気遣いの部分が大きいように見えました。

この写真のときは、もう一匹のヤンチャな若い犬が
暴れまくっていて飼い主の手を煩わせている最中。

そのヤンチャなほうを大人しくさせるために
遊んであげたりオヤツをあげたりしているところ。

その様子を羨ましそうに眺めた後、
「こっちにはオヤツないの?」
とでも言わんばかりの表情に見えました。

それでも欲しがりはしないし、
飼い主のほうに行こうともしません。

ジッと待つ。
たまにオヤツを貰えていましたし。


犬でもやはり個体差は大きいように感じました。

もちろん年齢的に落ち着きが出てくるとかもありますし
小型のほうがチョコマカした動きが増え、
大型犬のほうが、ゆったりした雰囲気も多い傾向はあるようです。

ただ、それ以上にも個体差があるんじゃないか、と。

この犬はトレーニングに出して躾を受けたそうですが、
もう一匹のヤンチャなほうも同じ訓練をしたらしいので
躾をすれば皆が同じように振る舞うわけではないはずです。

この犬が、個性として、すごく温厚で
周りに気を遣いながら行動するんだろうと思われます。

決して物凄く知的で賢いわけではないのでしょうが
(もっと知的な印象の犬も見たことがあります)
持っている賢さを温厚な気配りに費やしている感じかもしれません。

とても健気な犬だと感じました。

そしてそういう個性、リズムなどがある以上、
人間との関係性・ラポールにおいても相性があるようです。

僕はこっちの白い大型犬については
自分からペースを合わせる必要はありませんでしたが、
もう一匹のヤンチャなほう(オス)には
少しスピードを上げて力強く振る舞うことで
ペースが合うような印象を受けました。

「犬は飼い主に似る」なんて言葉もありますが
ラポールや同調、ペーシングといった観点で考えてみても
人間と犬の関係性は説明できそうな気がします。


ちなみに僕が1つ後悔しているのは、帰りがけに
この犬が一人で脱走していたのを見つけたときのこと。

皆で犬小屋を見学しながら会話をしていたとき
玄関が空いていたせいもあって、
この犬が脱走して向かいの公園のほうに行っていたんです。

たまたま玄関に一番近いところにいた僕が
犬がいなくなっていることに気づき、
外を見に行って公園に大きな白い犬影を発見しました。

「脱走」とはいっても、ただ佇んでいるだけ。
逃げている感じではありません。

僕は咄嗟に、常識で判断して
すぐにその犬を連れて帰りました。

呼んでも来ないので首輪を掴んで連れてくるだけですが。
距離にしたって道一本隔てるぐらいですから数メートルでしょう。

なんとなく寂しそうな雰囲気ではあったんです。

呼んでも来ないところを踏まえても、もしかすると
自分なりの気晴らしだったのかもしれない、と今にして思います。

一日中、気を遣い、もう一匹のヤンチャぶりに付き合わされ、
我慢することが多かったのかなぁ、と。

人間に言われたことを守り、ちゃんと振る舞った一日だったとしたら
少しぐらい気晴らしとして自由な時間が欲しかったのかもしれません。

2,3分でも、外で自由に遊ばせてあげたら良かった気がしています。

犬でも心の動きは人間と共通しているところがあるでしょうから。

cozyharada at 23:27|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

次回は10/21です

《コミュニケーション講座》
丁寧なストレスの取り扱い方


【日時】 
  2018年9月9日(日)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回は2018年10月21(日)


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード