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<title>バリバリの理系だから気づけた心とコミュニケーション</title> 
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<modified>2009-11-22T04:42:25Z</modified> 
<tagline><![CDATA[典型的理系人間が人の心のメカニズムとコミュニケーションに、心を込めて取り組んでみました。ＮＬＰ、コールドリーディング、心理療法、コーチング・・・。心に引っかかったものを取り除けば能力は今以上に発揮される可能性に気づいたのです。]]></tagline> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada</id> 
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<name>cozyharada</name> 
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<copyright>Copyright (c) 2009, cozyharada </copyright>
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<title>眼の奥が</title> 
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<modified>2009-11-21T19:42:14Z</modified> 
<issued>2009-11-21T23:41:25+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50952752</id> 
<summary type="text/plain">以前から偏頭痛はあったんですが、
最近は今までにないタイプの痛みを感じることが多いので
チョット気になるところです。

大体、左目の奥から後頭部にかけて。
強くなると両目になることもある。

偏頭痛は脈打つ感じとか、症状の出るタイミングとかで
典型的な症...</summary> 
<dc:subject>全般</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50952752.html">
<![CDATA[以前から偏頭痛はあったんですが、<br>
最近は今までにないタイプの痛みを感じることが多いので<br>
チョット気になるところです。<br>
<br>
大体、左目の奥から後頭部にかけて。<br>
強くなると両目になることもある。<br>
<br>
偏頭痛は脈打つ感じとか、症状の出るタイミングとかで<br>
典型的な症状として納得感があって、この頭痛は「偏頭痛」だなと思えます。<br>
でも、最近の痛みは調べても良く分かりません。<br>
<br>
痛みの出る場所と、季節要因を考えると「群発頭痛」というヤツかとも考えられますが<br>
「非常に痛みが強い」という話にまでは当てはまらない気もしたり。<br>
偏頭痛のピークと同じくらいの痛みなので。<br>
<br>
<br>
そういえば、去年もこの時期ぐらいにヒドイ頭痛に見舞われたことがありました。<br>
それは確かに典型的な症状として記述されるように<br>
「じっとしていられず動きまわってしまう」という感じだったのを覚えています。<br>
<br>
あのときは本当に酷かった。<br>
深夜に救急外来へ行って、痛み止めの点滴を打ってもらいました。<br>
<br>
あれが群発頭痛の発作だと考えると、同じ時期に似たタイプの痛みが起きるのだから<br>
分類としては群発頭痛に当てはまるのでしょうか。<br>
<br>
<br>
頭痛で、うめき声をあげずにはいられないことは<br>
痛みのピークになると結構ありますし、<br>
主観的な体験に基準はつけられないものだとも思うので<br>
やっぱりなんとも言えないのかもしれません。<br>
<br>
重要なのは診断して名前をつけることではないはず。<br>
そうは考えても、症状がハッキリすると少し安心するのも正直なところ。<br>
<br>
激しい痛みは収まっても、目の奥の痛みが長く続くのは気になります。<br>
また痛みが来るのでは？なんて想像するのも嫌ですから。<br>
<br>
<br>
僕の注意は常に、目から額にかけての辺りに集中する傾向があるので<br>
疲労が蓄積してくると頭痛に繋がりやすいのは当然だろうと思います。<br>
感覚として自覚しやすいとも思われますし。<br>
<br>
意識をお腹のあたりにまで下げる時間を取るのが必要な気がしています。<br>
あとは、目を開けながらも自分の内側に籠っていく方法を身につけるか。<br>
<br>
頭痛の肯定的意図も自覚してはいるんですが…。<br>
自分の置かれているところを考えると対処が難しいかもしれません。]]> 
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<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
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<entry>
<title>誰が書いたのか</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50946401.html" />
<modified>2009-11-19T15:34:40Z</modified> 
<issued>2009-11-19T23:34:35+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50946401</id> 
<summary type="text/plain">コンビニの雑誌コーナーの前にある棚に
ビジネス書や実用書の類が置かれていることがあります。

過去に売れた商品をそのまま置いたり、印刷と製本の仕方を変えて置いたりして
売れ筋の本が販売されることが多いようですが、
先日、チョット気になる本を見かけました。...</summary> 
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50946401.html">
<![CDATA[コンビニの雑誌コーナーの前にある棚に<br>
ビジネス書や実用書の類が置かれていることがあります。<br>
<br>
過去に売れた商品をそのまま置いたり、印刷と製本の仕方を変えて置いたりして<br>
売れ筋の本が販売されることが多いようですが、<br>
先日、チョット気になる本を見かけました。<br>
<br>
『おとぎ話の深層心理』。<br>
<br>
これはメタファーの再学習としても、実際の物語を把握しなおす目的にも、<br>
その物語の意味合いを分析するにも、役に立つのではないかと思って購入しました。<br>
<br>
立ち読みするまでもなく、掘り出し物ではないかと期待して<br>
早速レジに持って行ったんですが、なんとも不思議な本でした。<br>
<br>
全体的にはユング心理学や精神分析の流れが色濃く出ているようにも感じるものの、<br>
解釈の方向性として極端な印象を受けるものもあったように思います。<br>
<br>
「この内容で出版して、それがコンビニに並んでいいのか」と<br>
僕の中には、その大胆さに対する驚きが生まれました。<br>
<br>
で、誰が書いた本かと本の中を探してみても<br>
どこにも著者の名前が見当たりません。<br>
<br>
一体、どういう位置づけの本なのでしょうか。<br>
なんだか興味がわいてきました。<br>
<br>
個人的には昔話そのもののストーリーを数多く読み直せましたし、<br>
その昔話や童話の成り立ちを知ることもできたので良かったんですが。<br>
<br>
<br>
いや、それにしても<br>
過激な解釈が多かった気がします。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
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<entry>
<title>「美人薄命」仮説</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50945983.html" />
<modified>2009-11-20T15:45:08Z</modified> 
<issued>2009-11-18T23:30:29+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50945983</id> 
<summary type="text/plain">人の注意は色々なところに向けられるものです。

意識は同時に２つのことをできないというのは必ずしもそうではない。
いくつかのことを同時に作業できます。

その中で、人によって意識しやすいところに個人差があります。
自分の体の外で起きている出来事を観察する...</summary> 
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50945983.html">
<![CDATA[人の注意は色々なところに向けられるものです。<br>
<br>
意識は同時に２つのことをできないというのは必ずしもそうではない。<br>
いくつかのことを同時に作業できます。<br>
<br>
その中で、人によって意識しやすいところに個人差があります。<br>
自分の体の外で起きている出来事を観察するのが好きな人もいれば、<br>
自分の頭の中に湧き上がるイメージに敏感な人もいます。<br>
自分の体の中に起こる身体反応を感じることを中心にする人もいます。<br>
<br>
このような意識の向く部分には個人差があっても<br>
注意の向け方を心がけていけば、あまり今まで意識していなかった情報にも<br>
気づけるようになっていくはずです。<br>
<br>
ただ、これは意識的な取り組みをすれば、という話。<br>
人が普段、生きている中で自分の注意が向いているものに<br>
個人的な偏りがあるなんてことを自覚する人は滅多にいません。<br>
<br>
僕がこういうことを知ったのは、NLPを体験して、<br>
それを自分なりに整理して、多くの人を見て、話を聞いて、<br>
その中で気づいてきた過程があるからです。<br>
<br>
僕の場合、感覚情報に注意を向けるという発想をNLPで学んでいなければ<br>
こんなことは知らなかっただろうと思います。<br>
<br>
ですから、自分の感覚情報への注意の向け方の癖を<br>
他人と比較することなく自覚できている人は少ないと思うんです。<br>
であれば、それを意図的に変えようとする人も少ないでしょう。<br>
<br>
<br>
ところが、直接的に感覚情報への注意の向け方を変えようとするのではなく、<br>
何かの目的のために、感覚情報に対する注意の癖が変わっていくことはあるようです。<br>
<br>
僕は元々、体の内側で起きる反応を素直に感じ取っていた時期がありますが、<br>
理系に進み、生物化学系という観察・分析主体の分野をやっていくうちに、<br>
自分の体の外側に注意の対象の大部分を向ける癖ができました。<br>
<br>
最近はコミュニケーションやら心理やらというのを仕事にするようになって<br>
自分の体の内側にも注意が向くようになりましたが、<br>
僕にとっては体の反応を比較的無視していた時期が長かったように思います。<br>
<br>
そのような職業的なトレーニングによって注意の方向が変わることはあります。<br>
<br>
自分の振る舞いをコントロールする仕事の人は<br>
否応なしに注意の方向が自分の体の外側に向かいやすいでしょう。<br>
<br>
自分の振る舞いの全てをコントロールするといえば、<br>
典型的にはミス・ユニバースの代表になるような人たちです。<br>
<br>
自分がどう見られているかを常に意識する人たちと言ってもいいかもしれません。<br>
指先の動きや細かな姿勢、体の動かし方の細部にまで注意を向ける人。<br>
<br>
それを「周りからどのように見られているか」という視点で観察しますから、<br>
注意は自分の体の外側を客観的にモニターするようなところに移ります。<br>
鏡に写っている自分をいつも見ている状態。<br>
<br>
意識的に「美人」を作り出そうとしていくと<br>
注意の大部分が体の外側に向いていくわけです。<br>
<br>
人によっては「内面からも美しく」ということを言ったりしますが、<br>
その場合の内面は、自分の考え方とか感情とかを指すことが多いようで、<br>
それもやはり外側からどのように見られるかという発想に繋がっていたりします。<br>
<br>
自分の感情さえも、その様子がどのように見られるかという観点で<br>
意識的にコントロールしていく人までいます。<br>
<br>
素晴らしいプロ意識だと思います。<br>
それは確かに一部のスキもない美しさに結びつくでしょう。<br>
<br>
<br>
しかし、感情は複雑なものです。<br>
日常の様々な場面で、自分の体の中には複雑な身体反応が表れます。<br>
生理的な反応が起こるわけです。<br>
<br>
このような生理的な反応は、ホルモン類が引き起こす体の状態として<br>
常に自分自身によってモニターできる仕組みがありますが、<br>
強く外側に注意を向けるということは、この反応を無視している傾向と言えます。<br>
<br>
体の外側に注意を向ける度合いが高いほど、<br>
体の内側に起きる環境適応のための自然な反応に気づきにくくなるんです。<br>
<br>
とりわけ、身体反応の変化は非常に複雑で、<br>
一言で「怒り」の身体反応と呼べないような<br>
色々な想いが入り混じった反応もあるものです。<br>
<br>
それを感じないようにするのは、自分の気持ちのある部分にフタをするようなもの。<br>
自分の本当の気持ちや体からのメッセージを聞いていない状態でしょう。<br>
<br>
すると、その身体反応がストレス対応のものとして重要であったりすると<br>
体はその反応というメッセージを自覚できるレベルにするために、<br>
反応を強めたり、何か違った形の反応に変えたりする傾向があるようです。<br>
<br>
つまり、体の痛みとして表れる。<br>
<br>
ストレスを無視していると、体に不具合が出てくるというわけです。<br>
<br>
程度問題の差はあれ、例えば、肩コリがあるというのは<br>
肩コリの状態になる前から、目や首や腕に疲労感の身体反応を出しているものです。<br>
<br>
それに気づかないか、気づいていても対処できない状況があって無視していて、<br>
その結果として疲労が蓄積してくると、分かりやすいメッセージとして<br>
肩コリという体の症状になって出てくる。<br>
そんな傾向かもしれません。<br>
<br>
肩コリになる前の体の反応を敏感に感じ取って、<br>
「疲れてきたから休もう」とか「少しリフレッシュしよう」とか<br>
そういう発想を抱ける人は肩コリになる前に体のケアができてるということです。<br>
<br>
弱い身体反応のレベルで意識できるぐらい、常日頃から体の内側に注意が向いていれば<br>
身体的な痛みにまで発展することは少ないと考えられます。<br>
<br>
痛みは人にとって自覚しやすい重要な感覚ですから<br>
ストレス対応のメッセージを痛みにして出してくるのは分かりやすい手段なんでしょう。<br>
<br>
その痛みにさえ気づかなかったりすると<br>
胃潰瘍のようなストレス性の病気になったりもするのだろうと思います。<br>
<br>
運動をすることは、そのようなストレスケアの方法の１つですが、<br>
体を動かして体に蓄積した疲労の状態を取り除く以外にも、<br>
自然の体の内側に意識がいきやすくなる効果もあると考えられます。<br>
<br>
僕はヨガを勧められたことが多いんですが、<br>
ヨガをやれば体の内側の状態に注意が向きやすくなり、<br>
それによって自然と体の内側とコミュニケーションする時間が取れるから<br>
という理由もあるようです。<br>
<br>
そして、美人の中にも同様にヨガをやる人がいます。<br>
セレブの間で流行っていたりするのも理由でしょうか。<br>
<br>
しかしながら、自分がどのように見られているかを常に意識する美人は<br>
ヨガをやっていても自分の体の内側に注意を向けるよりも<br>
自分のポーズが美しいかどうかに注意が向きやすいかもしれません。<br>
<br>
すると体を動かすことで疲労は軽減されたとしても、<br>
依然として体の内側に注意が向く機会は得られないままです。<br>
<br>
例えるなら、体が「大変だよ」と教えてくれているのに<br>
「まあまあ」と言って、なだめてしまう状態。<br>
表面的なケアはしてくれても本当に大事なメッセージは無視されてしまう。<br>
<br>
そういう状況が続くと、体のほうも最後の手段に出るのかもしれません。<br>
痛みでもってもストレス反応を自覚してもらえないとなると<br>
残りはもっと深刻な体の症状になってくる…。<br>
<br>
推測ですが、そんな可能性もあるんじゃないかと思います。<br>
<br>
<br>
美人は「自分がどのように見られるか」という外部の意識を高め過ぎるあまり<br>
自分の体の内側に注意がいかなくなり、体からのメッセージを受け止めず、<br>
体の内部に身体的な問題が蓄積していったりしやすいと考えてみる。<br>
<br>
すると「美人薄命」という言葉にも、シックリくる部分があったりします。<br>
<br>
全ての美人が短命ではありませんし、<br>
世間で美人と呼ばれる人たちの中にも体の反応を自覚している人もいます。<br>
<br>
実際には、自分の体の内側の反応と上手に関わり、<br>
自分の中の問題をケアしていくことで、内面が外見に影響するケースのほうが<br>
僕の身の回りでは頻繁に見て取れるんですが。<br>
<br>
プロ意識とはいえ、片寄りがある部分には気をつけるポイントがありそうです。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>涙の息づかい</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50943710.html" />
<modified>2009-11-19T03:48:40Z</modified> 
<issued>2009-11-15T23:03:03+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50943710</id> 
<summary type="text/plain">「僕の初恋をキミに捧ぐ」という映画が上映中だそうです。
見てはいませんが、ともて悲しげな内容のようです。

テレビでも予告が流れていたりしますが、
この映画の主題歌「僕は君に恋をする」も、また涙を誘う歌です。

僕は聞いていると泣きそうになります。

平...</summary> 
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50943710.html">
<![CDATA[「僕の初恋をキミに捧ぐ」という映画が上映中だそうです。<br>
見てはいませんが、ともて悲しげな内容のようです。<br>
<br>
テレビでも予告が流れていたりしますが、<br>
この映画の主題歌「僕は君に恋をする」も、また涙を誘う歌です。<br>
<br>
僕は聞いていると泣きそうになります。<br>
<br>
平井堅という歌手が、そういう系統の歌を歌うことが多いため<br>
その声を聞いた時に、すでに悲しみに浸りやすくなっている部分もあるでしょう。<br>
<br>
メロディーラインやアレンジの仕方も、涙を誘う歌に多い傾向かもしれません。<br>
<br>
こちらの<a href="http://www.youtube.com/watch?v=-5Lz_VC4Fnc&feature=related">youtube のページ</a>でも聞けますが、僕が推測するに<br>
この歌のポイントはサビの繰り返しのところでしょう。<br>
<br>
繰り返しが印象を強く植え付けるというだけではありません。<br>
<br>
この繰り返しのリズム、テンポ、息継ぎのタイミング。<br>
ここが大きいと考えています。<br>
<br>
特に、この歌手の歌い方の特徴がそれを強調します。<br>
かなり呼吸音を強く入れるんです。<br>
<br>
音楽を聞くこと自体が、もともとトランスに導きやすい効果を持っていますが、<br>
その中に一定のリズムと繰り返されるメロディーラインがあるので<br>
そのトランス誘導の効果は高いと言えます。<br>
<br>
さらに呼吸音が入る。<br>
<br>
聞いていると無意識に呼吸を合わせやすくなると考えられます。<br>
少なくとも、その呼吸をしている状態が引き出されやすくはなる。<br>
<br>
呼吸を中心にしてトランスに導かれ、その呼吸の状態が引き出されるわけです。<br>
<br>
そして、肝心の呼吸の状態に関して。<br>
ここで繰り返される音符の長さと呼吸のタイミング、肩で短く強く吸い込む息づかいが<br>
泣いている時の嗚咽の感じに近いように僕は分析をしています。<br>
<br>
呼吸に合わせているだけで、悲しい感じが体感できる人もいることでしょう。<br>
<br>
作曲の段階でそんなことを意識しているとは思えませんが、<br>
感情を乗せるように曲を作ると、自然に息づかいなども<br>
その感情を反映しやすいものになったりするのかもしれません。<br>
<br>
ヒット曲を息づかいで調べてみるのも面白いような気がしています。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
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<title>音源の場所</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50942364.html" />
<modified>2009-11-13T19:18:55Z</modified> 
<issued>2009-11-13T23:18:14+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50942364</id> 
<summary type="text/plain">最近は色々と無料ダウンロードの音声ファイルなどが手に入るので
たまにそういうのを聞くことがあります。

先日、移動中に音声を聞こうとしてＭＰ３プレイヤーに入れて持って行きました。
で、イヤホンを使って聞いてみたんです。

すると話し声が耳元で聞こえます。...</summary> 
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50942364.html">
<![CDATA[最近は色々と無料ダウンロードの音声ファイルなどが手に入るので<br>
たまにそういうのを聞くことがあります。<br>
<br>
先日、移動中に音声を聞こうとしてＭＰ３プレイヤーに入れて持って行きました。<br>
で、イヤホンを使って聞いてみたんです。<br>
<br>
すると話し声が耳元で聞こえます。<br>
頭の上というか、後頭部あたりというか、<br>
頭の中心よりも後ろ側から聞こえる感じがします。<br>
<br>
すると全然、内容が頭に入ってきません。<br>
<br>
同じ人の話を実際に聞いたこともありますし、<br>
同じく音声をＣＤ教材で聞いたこともあります。<br>
そのときは内容が入ってくる。<br>
<br>
なのに、イヤホンで聞くと途端に理解力が落ちる感じがします。<br>
<br>
なんというか、自分で頑張って音の聞き方を工夫しないと<br>
それを理解に繋げられない印象があったんです。<br>
まぁ、しばらく聞いているうちに慣れてきましたが。<br>
<br>
<br>
おそらく、僕は人の話を聞いて理解するときには<br>
自分の前側から声が聞こえてくる状態でインプットしているんだと思います。<br>
<br>
そして、そうやって前から音を受け取って、<br>
話の内容も自分の頭の外で組み立てる感じがあります。<br>
<br>
体の中に入れて感じるというよりも、目の前に話を組み立てていく印象。<br>
イメージや概念の組み合わせを顔の前に作り上げていくような方法です。<br>
<br>
なので、聞いた話というのは自分と違うものとして<br>
客観的に組み上げられていく感覚があるんです。<br>
<br>
ただし、僕の顔の前には多分、いつもそういう概念の組み合わせのような構造があって、<br>
それが僕の理解している客観的な情報体系になっているようです。<br>
<br>
話を聞くときは、相手の言葉の内容を、僕の顔の前にある情報の体系と重ね合わせて<br>
元あった情報の体系をリニューアルする形で内容が整理されていきます。<br>
<br>
そのときに聞いている内容に矛盾があったり、<br>
僕が作ってきた情報の体系に取り込もうとした時に繋がらない部分があると<br>
話の内容と議論するような声が内側から沸きあがるような気がしています。<br>
<br>
そういう話の聞き方をして、目の前に客観的な情報理解の体系を作るので<br>
話が聞こえてくる場所というのは、その情報体系を描く場所よりも奥のほう、<br>
前側にあるのが便利なんだと思います。<br>
<br>
声の聞こえてくる場所と、自分の顔との間に、理解した内容を浮かべる場所がある。<br>
そんな感じです。<br>
<br>
<br>
一方、自分の体の中で体験して感じている内容も言葉にするときはあって、<br>
その場合には目線を下げて、胸の中心か胃のあたりを眺めるような状態になり<br>
ノドの奥のあたりでお腹に向かって独り言をつぶやくような心の声が聞こえます。<br>
<br>
このノドの下あたりから腹部に向かって、体の中を通すような声を聞くやり方が<br>
僕にとっての主観的な想いを言語化するときなんでしょう。<br>
<br>
イヤホンを使って、耳元で声を聞く場合は、若干この印象に近いようです。<br>
<br>
実際にイヤホンで聞くときは、後頭部から口のほうへ向かって<br>
声が通っていく印象がありますが、声のトーンによっては<br>
もっと低いところを通ることがあります。<br>
<br>
なので、催眠的な声で語られる内容は、イヤホンのほうが体に染み込む感じはします。<br>
イヤホンを使って、お腹に響くような声でメッセージを聞くと<br>
なんだか自分を納得させられているような気分を感じます。<br>
<br>
後ろから押さえつけられる感じというか、押し込まれる感じというか、<br>
とにかく必要以上の説得力や受け入れやすさを感じてしまうんです。<br>
<br>
この印象が僕だけのものかは分かりませんが、<br>
他にも同じような聞き方をする人はいるだろうと推測されますから<br>
その点では目的に応じて音の聞き方を変えるというのも役に立つ方法でしょう。<br>
<br>
<br>
僕は本を読むときにも、目の前から心の声として本の内容を聞いていますので、<br>
本を読むという行為は、他の人の話を聞いているときと近いわけです。<br>
<br>
こういう理解の仕方をする人は、きっと音声教材をイヤホンで聞くのが<br>
あまり好きではないような気がします。<br>
むしろ自分で、その内容を文章から読んだほうが内容を理解しやすい。<br>
<br>
逆に、相手の話を聞くときにも、文字で書かれた内容を理解するときにも、<br>
自分の体の中に声を通して、自分が発話するようにして納得していくタイプの人は<br>
きっと本を読むよりも朗読してもらったのを聞くほうが効率が良いのではないでしょうか。<br>
<br>
人それぞれ、文章の内容の理解の仕方があって、<br>
その方法に近い形で情報を客観的にインプットできると<br>
きっと効率的な理解の仕方が可能になると思います。<br>
<br>
同じ内容を色々なパターンに合わせて表現して作れたら<br>
多くの人に伝わりやすいものになるかもしれません。<br>
まぁ、技術的にも労力的にも大変でしょうが。<br>
<br>
<br>
ちなみに、音を聞くという意味で言うと、音楽を聴くときも同様だと思われます。<br>
<br>
目の前に置いたスピーカーから聞こえてる音楽と<br>
イヤホンやヘッドホンで聞く音楽とでは随分と印象が違う気がします。<br>
<br>
僕は特に、音楽を見るように聞く癖があったので<br>
スピーカーのほうに向いて音楽を聞いていました。<br>
それをイヤホンやヘッドホンにするだけで、かなり体に響く感じになります。<br>
<br>
確かに、以前からイヤホンで聞くほうが気持ちが入りやすかったんですが、<br>
それは音の聞こえてくる場所の影響もあったんだろうと思います。<br>
<br>
音楽の場合には、体の後ろ側から聞くというケースもあります。<br>
楽器演奏を後ろ側に置いて歌うようなライブを行う人たちは<br>
背中側から音楽の響きを受けることになります。<br>
<br>
ＢＧＭを後ろ側から聞く状態というのは、かなり体に響きやすく<br>
その音楽の中に包み込まれて入り込みやすい状態だと考えられます。<br>
<br>
コンサートやライブで歌手がノリノリになるのには<br>
あのバックバンドの存在の意味もあるように思います。<br>
<br>
合唱の人たちが数列に並ぶのも、一体感とともに<br>
全員の声に体が包まれるようにして歌を聞けることで<br>
その歌の中に入り込みやすい効果がありそうです。<br>
<br>
後ろからの声というのは、それ自体が力づけの印象を与えるのかもしれません。<br>
<br>
こういう調査を実生活に利用できる形にしてみたいものです。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>道具選び</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50938859.html" />
<modified>2009-11-10T16:40:54Z</modified> 
<issued>2009-11-10T23:40:36+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50938859</id> 
<summary type="text/plain">最近のお買い物。

勉強しに行きたいセミナーに対してと、趣味に対してでは
金銭感覚が全く違うというのが、自分のことながら面白いものですね。

















趣味でやっている書道とはいえ、目的もあってのことなので
完全に仕事と切り離した内...</summary> 
<dc:subject>全般</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50938859.html">
<![CDATA[最近のお買い物。<br>
<br>
勉強しに行きたいセミナーに対してと、趣味に対してでは<br>
金銭感覚が全く違うというのが、自分のことながら面白いものですね。<br>
<br>
<img src="http://image.blog.livedoor.jp/cozyharada/imgs/4/c/4c7d9de4.jpg" width="480" height="269" border="0" alt="「昇雲」" hspace="5" class="pict" align="left"  /><br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
趣味でやっている書道とはいえ、目的もあってのことなので<br>
完全に仕事と切り離した内容ではありませんが。<br>
<br>
僕は結構、道具の違いを意識しやすいタイプのようです。<br>
<br>
これは書道に限ったことではなく、スポーツに関してもそう。<br>
道具にこだわっていると、「技術も大したことないのに…」というような<br>
チョット照れたような恥ずかしいような気持ちがしないでもありません。<br>
<br>
また、道具に対しても思い入れを持っているというほどでもなく、<br>
技術がないからこそ、道具が変わったときの結果に意識が行きやすいのかもしれません。<br>
<br>
どんな道具を手にしても、一応同じような動作をしようとするんだと思います。<br>
その動作を結果基準ではなく、自分の体の感覚を基準にして<br>
いつも通りのものにコントロールしようとする癖があるんでしょう。<br>
<br>
だから道具を変えた場合、同じような動作をしたつもりなのに<br>
道具から感じられる体の感覚へのフィードバックや、<br>
動作の結果として得られるものが変わってくることに違和感があるんだと思われます。<br>
<br>
書道でいえば、同じように手を動かして、同じように体感覚を感じようとしても、<br>
筆の硬さや筆先の動き、毛のまとまり、墨の柔らかさ、紙の滑り方など<br>
色々な感覚の違いが意識されてしまいます。<br>
<br>
道具が違うと、書いているときの感覚が全く別物なんです。<br>
<br>
仮に、文字が筆先によって描かれていく様子や、<br>
筆先と紙の触れ方、筆先の動き方といった視覚情報を基準にして、<br>
「書の出来栄え」という結果をコントロールしていたとしたら、<br>
道具が変わったとしても、道具に合わせて自然と動作を変えて<br>
いつも通りのパフォーマンスを発揮できると考えられます。<br>
<br>
スポーツでも同じでしょう。<br>
例えば、ゴルフや野球の場合、どんなゴルフクラブやバットを使っても<br>
いつも通りにクラブやバットの打球部を動かすことができれば<br>
道具を選ばずに同じような結果を出せると思います。<br>
<br>
一見すると、道具を選ばない器用なタイプと思えるかもしれませんが、<br>
実際には、道具の動き方をチェックポイントとして基準において、<br>
その基準に対するフィードバックで動作をコントロールしているのかもしれません。<br>
<br>
僕は、多分、その逆のタイプなんでしょう。<br>
道具の動き方をチェックポイントにせずに、自分の筋肉の使い方や<br>
体の各部の動き方、重さの感じ方などをチェックポイントとして、<br>
いつも通りの動作そのものを再現しようとする。<br>
<br>
だから道具が変わると、道具の動き方が全く変わってしまうわけです。<br>
<br>
ゴルフや野球であれば、いつもと違うゴルフクラブやバットを使うと<br>
同じようにスイングしたつもりでも、道具の挙動が予測と違っていて<br>
全然上手くいかなかったりするんです。<br>
<br>
バットが軽い場合など、当たっているはずの感覚でスイングしているのに<br>
バットの動きが予想よりも速くなりすぎてしまって空振りしたりするということです。<br>
<br>
道具を使って何かをする場合には、<br>
道具の動き方を基準において調整をしていくタイプと<br>
体の動き方や感じ方を基準において調整をしていくタイプと、<br>
両方があるんじゃないでしょうか。<br>
<br>
そして、道具にコダワリが出やすいのは、体基準のほう。<br>
<br>
不器用なところもあるのかもしれませんが、<br>
色々な違いを感じ取れて楽しい側面もあったりします。<br>
<br>
<br>
ちなみに、今回購入した筆は羊毛のわりには細い芯のような弾力があります。<br>
毛先の動きはハリがあるのに、全体としては柔らかい。<br>
<br>
食べ物に例えると、アルデンテの手打ちパスタみたいな感じでしょうか。<br>
<br>
軽く力を入れて穂先を操作しようとすると弾力があって揃いやすく、<br>
ちょっと力を入れて筆の根元まで使おうとすると柔らかくできる。<br>
<br>
強弱を表現しながら、線の端は綺麗に仕上がるような印象があります。<br>
<br>
なんとなく、同じ書き方をしても上手そうに書けてしまいそうな気がします。<br>
書きやすいし、楽なんですが、もうチョット難しいほうが<br>
のちのち上手くなりそうな気もしていて、悩ましいところです。<br>
<br>
そんな筆の個性を感じながら、書きたいものに合わせて筆が選べるようになったら<br>
かなり楽しいんじゃないかと予想しています。<br>
<br>
僕は少しピアノをやっていた時期もありますが、<br>
いわゆる習い事程度だったので、自分の気持ちをピアノで表現できたりはしません。<br>
「今日は気持ちを乗せてピアノでも弾いてみよう」なんてことはできないんです。<br>
<br>
自分の内面を自由に乗せられる媒体が欲しい想いはありますから、<br>
その意味でも筆には期待していたりもするのかもしれません。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>見えない世界</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50937710.html" />
<modified>2009-11-10T17:00:06Z</modified> 
<issued>2009-11-09T23:07:24+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50937710</id> 
<summary type="text/plain">風邪やらインフルエンザやらが流行っているようです。
ホテルやセミナー会場、店舗など、至る所に消毒薬が置かれているのを見かけます。

この消毒薬、大体の場合がアルコール系です。
病院で患部の消毒に使われるのもアルコールですが、
器具や設備の消毒には、通称「...</summary> 
<dc:subject>全般</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50937710.html">
<![CDATA[風邪やらインフルエンザやらが流行っているようです。<br>
ホテルやセミナー会場、店舗など、至る所に消毒薬が置かれているのを見かけます。<br>
<br>
この消毒薬、大体の場合がアルコール系です。<br>
病院で患部の消毒に使われるのもアルコールですが、<br>
器具や設備の消毒には、通称「オスバン」という消毒液が使われます。<br>
<br>
これは強すぎない界面活性剤。<br>
中性洗剤よりも弱い洗剤が薄められていると考えれば良いかと思います。<br>
<br>
薄めた洗剤で消毒ができるのは、細菌の細胞膜を界面活性剤の成分が破壊できるから。<br>
菌が洗剤で破裂するわけです。<br>
<br>
アルコールで殺菌できる理由は厳密には分かっていないようですが、<br>
７０％ぐらいのアルコールの殺菌力が強いことは知られていて<br>
よく使われる消毒用アルコールは大体この辺の濃度になっています。<br>
<br>
仮説として言われるのは、アルコールの分子が細胞膜の間に入り込んで<br>
細菌を破裂させるからだというもの。<br>
アルコールでも菌が破裂するから殺菌できる、と。<br>
<br>
<br>
僕は大学時代から会社にいた頃まで、ずっと微生物を使った研究をしていたので<br>
この辺りのことは知識レベルでも、実感的な体験のレベルでも<br>
それなりの情報を持っていると思います。<br>
<br>
専門知識に近かったということです。<br>
<br>
<br>
で、近頃よく見かける消毒液は、そのラベルから中身の成分を見てみると、<br>
アルコールと界面活性剤、それと手荒れを防ぐための保湿成分が入っているぐらい。<br>
<br>
殺菌力はあると考えて良いでしょう。<br>
<br>
ところが、多くの風邪の原因はウイルスだということが知られていて、<br>
冬に流行るインフルエンザも、ウイルスによって感染します。<br>
<br>
ウイルスは細菌とは違うんです。<br>
細胞ではない。<br>
細胞膜がないんです。<br>
もっと小さくて、タンパク質の塊に遺伝子が詰め込まれたような単純な形をしています。<br>
<br>
ということは、細胞膜を破裂させると考えられているアルコールでは<br>
ウイルスは破壊されない可能性が高いように考えられるわけです。<br>
アルコールが作用するタイプのウイルスも知られていますが、<br>
アルコールが全く効かないタイプのウイルスも知られています。<br>
<br>
界面活性剤の成分はタンパク質の構造を変えるように作用して<br>
ウイルスを破壊するのかもしれません。<br>
<br>
その辺は、実験的にウイルスを破壊できるか調査していることでしょう。<br>
<br>
きっと色々と検討して、最もウイルスを壊しやすい成分を選んではいるはずです。<br>
<br>
ただ、細菌に対して作用するよりは、ウイルスに対する効果はずっと小さい。<br>
一般的なウイルスが不活性化されるまでには、<br>
少なくとも結構な時間がかかるようです。<br>
<br>
１分間ずっと消毒液に手をつけていることはないでしょうから、<br>
実際の使用状況を考えるとウイルスへの効果は高くないように僕には思えます。<br>
<br>
商品には「ウイルス除去」と書いてあったりするので<br>
洗い流すような効果も含まれているのかもしれません。<br>
<br>
石鹸で丁寧に手を洗うのと、消毒薬を手にすりこむのと<br>
どちらが病原体を除去するのに効果的なんでしょうか？<br>
<br>
僕自身の体験的な知恵やイメージを含めると<br>
手の消毒ということに関していえば、良く手を洗うほうが優先度は高い気がします。<br>
水でも洗い流されることは十分にあるはずなんです。<br>
<br>
ウイルスの除去の意味では、昔ながらの「うがい・手洗い」というのが<br>
かなり効果的だと思われます。<br>
<br>
<br>
こういう話は、僕がある程度、専門として扱っていた時期があるから気になることで、<br>
僕なんかよりも、病原体の扱いを研究している人たちは遥かに詳しいでしょう。<br>
<br>
それでも、僕の中の情報量として、微生物に関するものの比率は高いと思います。<br>
消毒・殺菌の研究をする人たちには比べ物にならないとしても<br>
ウイルスと細菌では性質が違っていて、消毒の仕組みも違うのは頭にあります。<br>
<br>
そんな情報量があるからこそ、日常生活でも消毒液のことなんかが気にかかる。<br>
ラベルを見て成分を調べたり、「これで効果がどの程度あるのか？」なんて<br>
考えを巡らせてみたりするんだと思います。<br>
<br>
僕が会社にいたころ、職場のメインテーマは研究活動でした。<br>
会社がどうやって利益を上げているのかなんて、実感レベルでは感じられません。<br>
というよりも気にしてさえいない。<br>
<br>
それが会社を辞めたあたりから、世の中が違って見えました。<br>
街中を歩いていても目にする店舗の経営を<br>
「売り上げはどうか？」「単価はどれくらいか？」などと<br>
気になるようになりました。<br>
<br>
以前にあった店が違う店に変わったのを見たときも、<br>
そこに店舗経営に関する様々な考えが浮かぶようになりました。<br>
<br>
今、コミュニケーションや心理を扱うようになって<br>
日常生活で視野に入る人の行動や振る舞いが<br>
数年前とは全く違ったものとして見えている気がします。<br>
<br>
知識や知恵があるから初めて得られる視点というのがある。<br>
<br>
仕事の方向を変えたり、興味の方向が変わったりすると<br>
自分の視点が変わることを実感できるように思います。<br>
<br>
知らなかったことがあったという事実よりも、<br>
気にしてさえいなかったことが沢山あったことに気づけます。<br>
<br>
自分は世の中のことを全然知らないということを意識できます。<br>
<br>
今までの自分と大きく違うことをやってみるというのは<br>
その意味で学ぶことが多いようです。<br>
<br>
<br>
心理系の勉強をしていると、「他人をジャッジしない」ことの大切さを耳にします。<br>
自分の価値判断で他人を評価してはいけない、と。<br>
<br>
これは少し危ない考え方を含んでいるようにも思えます。<br>
<br>
他人を評価しないということは、何にも気づいていない可能性もあるからです。<br>
<br>
大事なのは、「自分が自分の判断基準で他人を見ていることに気づいていない」状態を<br>
自覚することではないでしょうか。<br>
<br>
例えば「あの人には優しさが足りない」という判断をしているとき、<br>
自分だけの判断基準で「優しい」かどうかを判断していることが多いでしょう。<br>
<br>
自分が知っている情報でしか物事に気づくことができないのですから、<br>
自分が知っている「優しさ」だけしか気づいていないかもしれないんです。<br>
<br>
むしろ、積極的にジャッジできる基準を増やしていくほうが<br>
役に立つ可能性もあると思います。<br>
<br>
「優しさ」であれば、その判断基準を増やしていく。<br>
自分が今まで「優しさ」として捉えていたことだけでなく、<br>
他のごく少数の人が「優しさ」と捉えるようなことまで気づけるようになっていく。<br>
<br>
もし、全ての人の持つ「優しさ」の基準を知り、<br>
誰を見ても、その人の中に「優しさ」を見出せるようになれば、<br>
そのとき初めて「あの人は優しい」と判断する必要がなくなるかもしれません。<br>
<br>
「ありのままに感じる」というのは「何も判断しない」ということではなく、<br>
「全てを知って、全てを自覚する」ということなのかもしれません。<br>
<br>
「何も判断しない」というのは「何も気づいていない」のかもしれません。<br>
「全てに気づいている」と「判断のしようがなくなる」のかもしれません。<br>
<br>
そんなことを思いました。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>砂を噛む思い</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50935095.html" />
<modified>2009-11-10T17:00:07Z</modified> 
<issued>2009-11-07T23:41:58+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50935095</id> 
<summary type="text/plain">アメリカと日本では随分と文化が違います。

僕は海外ドラマシリーズでは『LOST』だけは見ていますが、
そこにも普通にカウンセリングや精神科の場面が出てきますし、
メインの登場人物の中にも臨床心理士が入っていました。

職種的にも日本で受ける印象以上に一般的...</summary> 
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50935095.html">
<![CDATA[アメリカと日本では随分と文化が違います。<br>
<br>
僕は海外ドラマシリーズでは『LOST』だけは見ていますが、<br>
そこにも普通にカウンセリングや精神科の場面が出てきますし、<br>
メインの登場人物の中にも臨床心理士が入っていました。<br>
<br>
職種的にも日本で受ける印象以上に一般的なものなんでしょう。<br>
<br>
衆ごとに免許があったり、その資格の基準をチェックするような機関があったり、<br>
仕組みとしても習慣としても、困ったら相談に行くという流れが自然なのかもしれません。<br>
<br>
病気になったら医者に行く。<br>
内面や人間関係でトラブルがあったらカウンセラーのところに行く。<br>
そんな感覚なんでしょうか。<br>
<br>
この辺の一般認識は聞いてみたいものだと思います。<br>
<br>
ただ、そうした相談を受ける職業が一般的なのと同等か、それ以上に、<br>
アメリカでは訴訟が一般的なようです。<br>
すぐに裁判沙汰になる。<br>
<br>
そのような家族間のトラブルをめぐる訴訟においても<br>
判決の条件の中に「セラピーを受けること」という内容が入ったりもするそうです。<br>
<br>
セラピストやカウンセラーが訴えられることも当然あるでしょう。<br>
<br>
カウンセラーやセラピストが一般的である反面、<br>
彼らの負う責任やリスクも大きいように思えます。<br>
<br>
<br>
そういう背景においては、セラピーやカウンセリングの場面で<br>
取り返しのつかない失敗をしてしまって苦しむこともあると思います。<br>
<br>
何をもって失敗と呼ぶかは本人の受け取り方によるとは思いますが、<br>
コミュニケーションを介してする仕事である以上、<br>
ミスコミュニケーションとしての失敗は数えきれないぐらい含まれるはずです。<br>
<br>
ただ、それでも何とか「結果オーライ」に持っていく。<br>
その取り繕う能力というのも相談援助職に求められる技術でしょう。<br>
<br>
そうした複雑なコミュニケーションの中で<br>
間違いと自覚するほどのミスも避けられないのかもしれません。<br>
<br>
そこで感じる後悔や自責の念が成長に繋がっていく。<br>
失敗したことを反省して、技術を向上させていく。<br>
全ての職業において起こることでしょうが、他人の人生に深く関わる仕事においては、<br>
そこでの失敗の苦しみは相当強いものです。<br>
<br>
<br>
そうした失敗からの学びに関して、こんな意見を目にしました。<br>
<br>
アメリカのカウンセリングの大御所の一人、サムグレイディング。<br>
カウンセラー教育指導協会の会長を担ってきたり、<br>
カウンセリングの教科書を書いたりと、教育と実践に力を入れてきた人物です。<br>
<br>
彼はこう言っています。<br>
<br>
「セラピーにおける辛い経験というのは、貝のなかにある砂粒のようだ。<br>
　はじめは非常にいらだたしく感じる。<br>
　打ちのめされるほどのダメージを受けることもある。<br>
　しかし、忍耐強くジックリと時間をかければ、<br>
　真珠のように賢者の知恵にもなるものだと思う。」<br>
<br>
綺麗なメタファーだと感じます。<br>
<br>
失敗の痛みを自分の体の外に出そうとしないイメージなのが<br>
僕にとって腑に落ちる部分です。<br>
<br>
失敗したことや辛い気持ちを手放して<br>
学んだことだけを活かして前に進んでいくスタンスもあるでしょう。<br>
<br>
ですが、人と関わる以上、相手の心に対する自分自身の辛い体験は<br>
自分自身の中に残していきたいような気持ちもあります。<br>
<br>
じっくりと時間をかけて、小さな砂粒も真珠になるまで育んでいく。<br>
そこには「簡単に片づけて分かったような気にならない」<br>
という意味合いがありそうな気がします。<br>
<br>
心の痛みが長く続くことがあります。<br>
真珠になるまでは、それでいいのかもしれません。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
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<entry>
<title>本物よりもリアル</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50933272.html" />
<modified>2009-11-05T22:01:11Z</modified> 
<issued>2009-11-05T23:01:15+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50933272</id> 
<summary type="text/plain">『フォトリアリズム』あるいは『スーパーリアリズム』と呼ばれる画風があります。
非常に精密な風景画や静物画なんですが、写真をベースに絵を描くのが特徴だそうです。

とにかくリアルに描くことが重視されているようで、
まさに写真のような仕上がり。
（こちらのサ...</summary> 
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50933272.html">
<![CDATA[『フォトリアリズム』あるいは『スーパーリアリズム』と呼ばれる画風があります。<br>
非常に精密な風景画や静物画なんですが、写真をベースに絵を描くのが特徴だそうです。<br>
<br>
とにかくリアルに描くことが重視されているようで、<br>
まさに写真のような仕上がり。<br>
（<a href="http://www.museum.pref.kumamoto.jp/event/kikaku/1085992053-1543933/open_000.html">こちらのサイト</a>や、<a href="http://www.allposters.co.jp/gallery.asp?CID=BB25C9D1DA7342F59107651989AC315B&PPID=1&c=c&search=7442&parentpath=0-1013-19274-7442&startat=/GetThumb.asp">ここ</a>で数点を見ることができます。）<br>
<br>
それを芸術とは評価しない人もいるそうですが、<br>
ただ、「スゴイ！」という感じがあるのは間違いないように思います。<br>
<br>
<br>
ここで面白いのが、この絵は写真よりも、実物よりもリアルに感じられるということ。<br>
多くの人が、その絵の光の加減などを実際よりもリアルに感じるのは、<br>
光の具合を絵で表現するときに、その特徴を強調して描くからだと考えられます。<br>
<br>
最近の画像編集ソフトなどを使うと<br>
簡単な作業で質感を表現することが可能なようですが、<br>
同じ絵を金属的に感じさせたり、プラスチックっぽく感じさせたり、<br>
ガラスっぽく感じさせたりできるのも同じような方法なんだろうと思います。<br>
<br>
人が光の反射具合から生み出されるエッジを捉えていることが<br>
絵の表現方法からも実感できるようです。<br>
<br>
無意識のうちに映像の特徴をパターン化して認識しているからこそ、<br>
リアルな質感を感じられる典型的な特徴を感じ取れるんでしょう。<br>
<br>
金属っぽい光の見え方や、ガラスっぽい光の見え方のパターンが<br>
経験を通して頭の中に作られている。<br>
その典型的な特徴を大袈裟にしながら絵を描いてやると<br>
実物よりもリアルな感じで金属っぽく、ガラスっぽく受け取られる。<br>
<br>
NLPの言葉でいえば、サブモダリティとして<br>
質感を感じさせる光の反射の特徴が区別されているということになります。<br>
<br>
<br>
同様なことは広告写真やテレビCMなどでも活用されています。<br>
この場合、絵ではなく写真画像ではありますが、<br>
光の表現を利用して商品のイメージを強調する例は色々とあるはずです。<br>
<br>
ビールのCMのグラスに水滴をつけるとか、<br>
鍋のCMの湯気を大袈裟に表現するとか、<br>
ガラス細工や宝石には光を強く反射させて輝きを強調するとか。<br>
<br>
いわゆる「シズル感」を出すやり方は、経験によって生み出された技法でしょうが、<br>
人が質感やリアリティを感じる特徴をパターンとして巧みに抽出していると言えます。<br>
<br>
実物よりも本物っぽいものを表現するための特徴を<br>
視覚以外の要素でも色々と見つけることができたら、<br>
バーチャルな体験が更にリアルになっていくような気がします。<br>
<br>
これまでの方法では、そうした特徴に敏感な一部の達人的な職人が<br>
経験の中から工夫の仕方を見つけてきたことでしょう。<br>
<br>
そこでNLPの視点を利用して、内面で体験される内容から<br>
典型的な特徴を共通点としてピックアップしていく調査をすれば、<br>
もっと短時間に中心的な要素が見出せるかもしれません。<br>
<br>
これまでのNLPの研究の方向性はセラピー効果のほうに行っていたようですが、<br>
認知心理学的な方向で調査をしていくのにも大きな可能性がありそうに思います。<br>
<br>
<br>
ちなみに「シズル感」の「シズル」というのは英語の「sizzle」だそうです。<br>
ファミリーレストランの「Sizzler」も同じ「シズル」の意味から来ているんだとか。<br>
<br>
より美味しそうに見えるような光の強調方法を工夫できたら<br>
店舗にとっては役に立つかもしれません。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>「心がけ」が「とらわれ」になる</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50932759.html" />
<modified>2009-11-21T18:24:53Z</modified> 
<issued>2009-11-04T23:11:12+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50932759</id> 
<summary type="text/plain">アルフレッド・コージブスキーの『一般意味論』から
「地図は領土ではない」という言葉が引用され、
「NLPの前提」と呼ばれる考え方で、そのことが説明されます。

「領土」と訳される実際の土地は、同じ場所の「地図」とは違う。
「地図」は「領土」を簡潔に表現してい...</summary> 
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50932759.html">
<![CDATA[アルフレッド・コージブスキーの『一般意味論』から<br>
「地図は領土ではない」という言葉が引用され、<br>
「NLPの前提」と呼ばれる考え方で、そのことが説明されます。<br>
<br>
「領土」と訳される実際の土地は、同じ場所の「地図」とは違う。<br>
「地図」は「領土」を簡潔に表現しているけれども全ての情報が含まれているのではない。<br>
<br>
同様に、<br>
　同じ出来事でも、人それぞれ体験として受け取る内容が違う<br>
というわけです。<br>
<br>
意識される事柄そのものも違うし、そのことに対する意味づけも違う、と。<br>
<br>
なので、NLPをやる人の多くは、この「前提」と呼ばれる考え方を大切にして<br>
その心構えを意識的に守ろうとするようです。<br>
<br>
とりわけ、「地図は領土ではない」という発想は、コミュニケーションにおいて<br>
自分と他人の違いを意識する上では役に立つ言葉だと思います。<br>
<br>
自分は相手の話を聞いても、相手と同じように理解することはできない。<br>
相手と同じように体験をして、相手と同じ気持ちを味わうことはできないんです。<br>
<br>
NLPは、そういう『前提』で構成されていますよ、ということなんでしょう。<br>
<br>
<br>
ところが、このことは丁寧に言葉で説明してもらわなくても<br>
NLPを体験して、NLPの内容を理解していくと、実感を伴って納得できるものです。<br>
<br>
むしろ、人間の「無意識」という言葉で説明されている内容と詳細に向き合って<br>
どのようにして人が一瞬一瞬の行動をしているのかを経験的に理解できてきた後で、<br>
「地図は領土ではない」という説明を聞いたほうがシックリくると思います。<br>
<br>
言葉で説明された内容を頭で理解しようとするよりも、<br>
体験を通じて、それぞれの人間の違いを実感を伴って理解するほうが<br>
はるかに有意義でしょう。<br>
<br>
そして、そんな実感の後で「地図は領土ではない」という言葉を振り返れば<br>
「あぁ、たしかにそうだなぁ。当たり前だけど、その通りだ」といった具合に、<br>
特別に大切な考え方として大事にしようと心がけなくても<br>
シミジミと納得できるはずです。<br>
<br>
そんな言葉を忘れていたとしても、実感を伴って<br>
「人はそれぞれ違っていて、違った体験の仕方をしているから、<br>
　他人を理解することはできない」と当然のことのように思えている。<br>
<br>
そうなると「地図は領土ではない」という言葉が<br>
「NLPの基本」や「NLPの心構え」、「NLPの信条」などといった表現ではなく<br>
「NLPの前提」と呼ばれていることも腑に落ちるような気がします。<br>
<br>
「前提」になっているので、特に意識されることなく<br>
それが当たり前として進んでいくだろう、ということです。<br>
<br>
<br>
ことさらに「地図は領土ではない」という考え方を心がけて<br>
「今の自分に浮かんできた考え方は、自分の地図に過ぎない。<br>
　こんな風に自分の地図で受け取った考えは、相手に押しつけてはいけない」<br>
などと気をつけているのでは、「前提」じゃなくなっていると思うんです。<br>
<br>
もっと言えば、「地図は領土ではない」という考え方が<br>
特定の１つの考え方であって、それ自体が１つの地図でもあるわけです。<br>
<br>
「地図は領土ではない」という地図で、自分が判断しているんです。<br>
「この意見は自分の地図であって、自分の地図を相手に押しつけてはいけない」<br>
という地図を、自分に対して使ってしまっているということです。<br>
<br>
まして、他人の意見に対して「それは、あなたの地図でしょう」<br>
といった発想が生まれるようなら、<br>
「相手を自分の地図で見てはいけない」という自分の地図で<br>
相手の意見を見てしまっている場合さえあるはずです。<br>
<br>
「地図は領土ではない」という考えを意識的に心がけた途端に、<br>
「人それぞれの考え方の違いを受け入れなければならない」という自分の考え方で<br>
他人を判断してしまって、違いを受け入れられていないことになってしまいます。<br>
<br>
矛盾していると考えられます。<br>
<br>
<br>
相手の意見は、相手の意見として受け止める。<br>
正しいとか、間違っているとかではなくて、<br>
単純に世の中に沢山ある考え方の１つだというだけ。<br>
１つの可能性、１つの選択肢に過ぎないと思います。<br>
<br>
「あなたの言っていることは、あなたの価値観に基づいているのでしょうが、<br>
　私はその価値観を重視しないので、あなたの意見は受け入れません。」<br>
そんな答え方もあるでしょう。<br>
<br>
それは、<br>
「あなたの言っているのは、あなたの地図で受け取られた内容なので、<br>
　そんな風にあなた個人の地図を、別の人に押しつけるのは良くない」<br>
といって受け入れないよりも、ずっと素直な気がします。<br>
<br>
<br>
何かの心構えや考え方を強く意識しすぎると、<br>
逆に囚われ過ぎてしまって矛盾してしまうことは、意外と多いようです。<br>
<br>
　「相手の考えを尊重しなければならない」という意識が強すぎて<br>
　他人の考えを尊重しない人を見ると否定的な気持ちになる。<br>
　そのこと自体、自分が他人の考えを尊重していない状態。<br>
<br>
　「ポジティブに考えなくては」という意識が強すぎて<br>
　ネガティブな考えが浮かんでくることに対して否定的な気持ちになる。<br>
　そのこと自体、ポジティブな考えでいられていない状態。<br>
<br>
　「人をジャッジしてはいけない」という意識が強すぎて<br>
　他人を評価することを悪いものとして判断してしまう。<br>
　そのこと自体がジャッジしてしまっている状態。<br>
<br>
　「何事も遊び感覚で楽しんで取り組もう」という意識が強すぎて<br>
　必死に遊びを探してしまって義務になってしまっている。<br>
　そのこと自体、遊べていない状態。<br>
<br>
　「自分の気持ちに正直でいなくては」という意識が強すぎて<br>
　自分の中の出したくない気持ちさえ、無理やりに出そうとする。<br>
　そのこと自体、出したくない気持ちに正直でいられていない状態。<br>
　<br>
　「バランスを大事にしなくては」という意識が強すぎて<br>
　バランスが取れていない部分を許せなくなる。<br>
　そのこと自体、考え方が片寄りすぎていてバランスを取れていない状態。<br>
<br>
　「なにがなんでも自由に生きるんだ」という意識が強すぎて<br>
　自由でいられていない自分を受け入れられない。<br>
　そのこと自体、自由でいるべきという考えに縛られて不自由な状態。<br>
<br>
…何か特定の考え方に固執すると、その考え方が本質的で大切なものであるほど、<br>
自己矛盾に陥ってしまう可能性があるような気がします。<br>
<br>
意識的に考えすぎないほうが上手くいくこともあると思います。<br>
だから「前提」なんじゃないでしょうか。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>主役と背景</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50930015.html" />
<modified>2009-11-02T15:21:35Z</modified> 
<issued>2009-11-01T23:21:53+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50930015</id> 
<summary type="text/plain">CMの効果を調べる目的で、接触頻度が好感にもたらす影響を調べた研究があります。
新規性と親近性の効果を調べたわけです。

馴染み深いものを好む傾向と同時に、馴染みがあり過ぎると飽きてしまう傾向がある。
馴染みが合って親しみを覚えることと、新しいことへの刺激...</summary> 
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50930015.html">
<![CDATA[CMの効果を調べる目的で、接触頻度が好感にもたらす影響を調べた研究があります。<br>
新規性と親近性の効果を調べたわけです。<br>
<br>
馴染み深いものを好む傾向と同時に、馴染みがあり過ぎると飽きてしまう傾向がある。<br>
馴染みが合って親しみを覚えることと、新しいことへの刺激と両方があるようです。<br>
<br>
こういう傾向は人なら出しもが持っているものだと思います。<br>
しかも色々な場面で出てくる。<br>
<br>
発達心理的にいえば、親しみを覚える対象に対して、<br>
十分な安心感というベースを体験してきた土台が弱い場合には<br>
新しいものに飛びついていく冒険心は大きくない傾向があるようです。<br>
<br>
<br>
で、調べられた内容というのは、<br>
「人の顔」と「景色」と「幾何学模様」のパターンを沢山用意して、<br>
２つの画像のうち「どちらが好ましいか」を調査するもの。<br>
<br>
顔写真を二枚見せられて「どちらが好ましいですか？」というように<br>
それぞれのカテゴリーで比較をしてもらう形です。<br>
<br>
このとき、「好ましい」という答えが得られたほうは、<br>
そのまま勝ち残って、次の画像と比較されることになります。<br>
<br>
そういうテストを何度も繰り返していくと、<br>
見慣れた画像というものが出てきます。<br>
画像によって、目にする回数に片寄りが出てくる。<br>
<br>
<br>
顔や景色の場合には、そもそも被験者の好みが反映されますから、<br>
何度も勝ち残って選ばれ続けるもの、つまり目にする回数が多いものは<br>
最初から好みの対象だったという可能性は十分に想定されます。<br>
<br>
幾何学模様を２つ見せられて「どちらが好きか」を答える場合には<br>
その人の過去の経験から作られる好みは反映されにくいと考えられますが、<br>
「顔」という調査対象は、明らかに個人の過去を反映しすぎると僕には思えるので、<br>
調査内容に「顔」を入れるのは難しい気もします。<br>
<br>
実際の結果としては、「顔」の場合においてのみ<br>
何度も見せられる顔に対して「好ましい」という判定がされることが多い<br>
というデータが得られたといいます。<br>
<br>
個人的には、そのデータは「最初から好みだった顔が選ばれ続けた」<br>
という結果を示しているような気もしますが、<br>
「何度も目にしている顔には好ましさを感じる」という結果と解釈する人もいます。<br>
<br>
幾何学模様を使って同様の調査をしたときには、<br>
「目にする回数と好ましさには相関がない」という結果だったそうです。<br>
<br>
そして、僕が重要だと思うのは、「景色」を２つ見せて比較させた場合の結果。<br>
このときには、「見せられる回数が少ないものほど好ましいと判断される」<br>
データが得られたということです。<br>
<br>
この結果を、他の２つと関連付けて解釈するのも色々な可能性が想定されますが、<br>
少なくとも、「新しさ」や「珍しさ」に好意を持つときを示している<br>
とは考えられるでしょう。<br>
<br>
<br>
研究者たちによると、「顔」の場合には「親近性」が重視され、<br>
「景色」の場合には「新規性」が重視される、<br>
という結論になっていました。<br>
<br>
これは普通に放送されているＣＭを思い出してみると、<br>
実際によく行われるパターンだというわけです。<br>
<br>
有名人が何度も登場するのは「顔」に対する「親近性」の効果。<br>
背景になる場面が色々と工夫されるのは「景色」に対する「新規性」の効果。<br>
その組み合わせがＣＭで使われている、と。<br>
<br>
個人的には、「顔」というターゲットは既に好みの要素が強く反映されるものなので<br>
その結果が「親近性が重視されている」という結論に結びつけるのは抵抗がありますが、<br>
それを差し置いてでも景色のほうで「新規性」が強調された結果になったのは<br>
非常に興味深いところだと思います。<br>
<br>
僕が重要だと思うのは、どんな結果であれ<br>
<b>「顔」と「景色」では違う結果が得られた</b>ということです。<br>
<br>
それは「顔」と「景色」では認知の仕方が違う可能性を示していると考えられるからです。<br>
<br>
このことを別の言い方で説明すると、「前景」と「背景」ということになるでしょう。<br>
「顔」は「前景」になりやすく、「景色」は「背景」になりやすい。<br>
<br>
景色が景色だけである状態、例えば風景画とか、展望台からの眺めとか、<br>
そういうときには景色も「前景」になるとは思いますが、<br>
その中に特定の興味の対象が加わると景色は「背景」に追いやられやすいはずです。<br>
<br>
ビルの窓から景色を眺めていたら、電車や飛行機が視野の中を横切ったとき。<br>
動いているものは、動かない景色よりも「前景」になりやすいでしょう。<br>
意識の中心になりやすいわけです。<br>
<br>
この区別の仕方は、言語にも表れていると思います。<br>
<br>
意識の中心になりやすいもの、「前景」になりやすいものは<br>
動作を伴っていることが多い。<br>
だから「動詞」を伴って、文章の「主語」になるのではないでしょうか。<br>
<br>
映像的に思い浮かべたとき、「景色」と比べて「顔」は前景になりやすく、<br>
その映像を文章で説明しようとした時には<br>
「顔」に関する部分が「主語」として表現されるだろう、ということです。<br>
<br>
例えば、公園という「景色」と、子供という「顔」があったとき、<br>
両方が含まれる映像を想い浮かべて、その状況を説明すると<br>
「子供が公園で遊んでいる」などの文章が作られやすいでしょう。<br>
<br>
同じ場面を「公園の地面が子供に踏みしめられている」と言う人は少ないと思います。<br>
<br>
言語の構造から考えると、主格は動作の主体なので、<br>
認知のレベルでも、動作の主体になりやすい「顔」と<br>
主体になりにくく背景になりやすい「景色」とでは<br>
違いがあるのではないかと考えられます。<br>
<br>
研究結果が「新規性」と「親近性」という関係を示しているかどうかは置いておいても、<br>
主格になりやすいもの（顔）と、なりにくいもの（景色）とでは<br>
認知の仕方が違うという結果を示しているのは興味深いと思います。<br>
<br>
<br>
こういう結果は、NLPで映像を想い浮かべたときのサブモダリティを調べていても<br>
普通に観察されることです。<br>
<br>
思い浮かべた映像の中にも主格と感じられる部分と、<br>
背景と感じられる部分が分けられているようなんです。<br>
<br>
場合によっては背景なしで思い浮かべられるものもありますし、<br>
背景がぼやけていたり、主格となる対象物だけが背景から浮き出ていることもあります。<br>
<br>
主格（前景）と背景が別物として整理されていることが実感できる結果だと思います。<br>
<br>
視覚の仕組みとしても、前景と背景は分けているという知見もあるそうです。<br>
本を読むときに、文字を追いかけてもページの端は止まったままなのは<br>
文字を前景として捉え、本のページを背景として捉えているためです。<br>
<br>
ビデオカメラで本のページを録画することを想い浮かべると分かりやすいと思います。<br>
カメラで文字を上から下に動かしながら録画したら、<br>
本のページは相対的に上に上がっていくはずです。<br>
<br>
でも肉眼で本の文字を追いかけるときには、本のページは固定されたまま。<br>
背景と切り分けられて処理されているからでしょう。<br>
<br>
<br>
NLPの考え方を取り入れていくと、こうした認知科学の知見と言語の関係を<br>
上手く説明していくことができるような気がします。<br>
<br>
言語活動にしても、潜在認知に裏付けられた行動にしても、<br>
普段の生活では人が意識しない部分を沢山含んでいます。<br>
<br>
その意識していない部分を意識化するためのツールとして<br>
NLPで扱われている概念は意外と使い勝手が良いと思うんです。<br>
<br>
そのあたりの発想で色々と活動できると面白いような気がしています。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>聖者</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50926660.html" />
<modified>2009-10-30T17:34:28Z</modified> 
<issued>2009-10-30T23:34:50+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50926660</id> 
<summary type="text/plain">最近、チョット気に入っているマンガがあります。

『モーニング・ツー』で連載されている 『聖☆おにいさん』。

聖☆おにいさん 1 (モーニングKC)クチコミを見る
ブッダとイエスが主人公のギャグマンガ。
二人が現代の地上で、一緒にアパート暮らしをしている設定。...</summary> 
<dc:subject>全般</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50926660.html">
<![CDATA[最近、チョット気に入っているマンガがあります。<br>
<br>
『モーニング・ツー』で連載されている 『聖☆おにいさん』。<br>
<br>
<a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E2%98%86%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%95%E3%82%93-1-%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0KC-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E5%85%89/dp/4063726622%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3DLvdrfree-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4063726622"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51h51jwAt%2BL._SL160_.jpg" alt="聖☆おにいさん 1 (モーニングKC)" border="0" hspace="5" class="pict" /></a><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E2%98%86%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%95%E3%82%93-1-%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0KC-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E5%85%89/dp/4063726622%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3DLvdrfree-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4063726622">聖☆おにいさん 1 (モーニングKC)</a><br /><a href="http://blog.livedoor.com/review/asin/4063726622/" title="聖☆おにいさん 1 (モーニングKC)">クチコミを見る</a><br /><br>
ブッダとイエスが主人公のギャグマンガ。<br>
二人が現代の地上で、一緒にアパート暮らしをしている設定。<br>
<br>
普通の暮らしをしているようでも二人は聖者なので<br>
発想や神通力的な現象などで一般生活とギャップが生まれます。<br>
<br>
その前提になるキャラクター設定や弟子たちとの関係、<br>
二人の当然のような振る舞いの根拠など、<br>
仏教とキリスト教の伝説的なエピソードをパロディにしているので<br>
多少の知識があると楽しめると思います。<br>
<br>
「ブッダ」（手塚治虫）あたりを読むと、より面白いかもしれません。<br>
<br>
バチあたりな感じもしないではありませんが、<br>
冗談として笑い飛ばせる範囲なんじゃないでしょうか。<br>
<br>
オリコンでも１位になったそうです。<br>
<br>
ほのぼのと楽しめるマンガだと思います。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>芸術の秋</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50925980.html" />
<modified>2009-10-30T05:41:50Z</modified> 
<issued>2009-10-29T23:41:04+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50925980</id> 
<summary type="text/plain">先日、『藝大アーツ　イン　東京丸の内』というのを見てきました。

僕は芸大に入ろうと思ったことはありませんでしたが、
芸術全般は好きなようで、興味深く見られました。

学生らしき人たちにも随分と興味が沸きます。
いかにも芸大生らしい振る舞いをします。

...</summary> 
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50925980.html">
<![CDATA[先日、『藝大アーツ　イン　東京丸の内』というのを見てきました。<br>
<br>
僕は芸大に入ろうと思ったことはありませんでしたが、<br>
芸術全般は好きなようで、興味深く見られました。<br>
<br>
学生らしき人たちにも随分と興味が沸きます。<br>
いかにも芸大生らしい振る舞いをします。<br>
<br>
実際に芸術家として生活をしていけるようになる学生は少ないのでしょうが、<br>
素養という点で見たとき、そこには何か「表現」という部分で個性が感じられます。<br>
<br>
人は何かのメッセージを世の中に残して、語り継いでいってもらうために<br>
得意な表現方法の分野というのを持っているのかもしれません。<br>
<br>
芸術家は、言葉ではなく、多くの人に分かりやすい形で作品を残します。<br>
それができるということは、逆にいえば、<br>
言葉で何かを残すのには苦手意識があるケースも考えられるでしょう。<br>
<br>
文章で表現するのが得意な人は、自分の考えを文字に残すのだろうし、<br>
会話の言葉に表現するのが得意な人は、メッセージを自分の口で伝えることになる。<br>
<br>
表情や声のトーンなど、非言語メッセージで気持ちを表現するのが得意な人は、<br>
そういうコミュニケーションを通じて、関わった人たちに<br>
自分の気持ちを伝える方法や、その大切さを、間接的に発信しているのだと思います。<br>
<br>
芸術家として大成して、世の中に名を残していくレベルの人や、<br>
文学者として作品を残していく人、学者として研究の結果を残していく人たちは、<br>
その発信先が不特定多数の相手になります。<br>
<br>
言い換えれば、顔の見えない、見ず知らずの人に自分のメッセージを伝えている。<br>
<br>
世の中には、もっと身近な人との関わりを好む人もいます。<br>
家族や、地域社会、会社での人間関係。<br>
そういった直接的な触れ合いの中でも、人は自分のメッセージを<br>
他人に対して発信しているような気がします。<br>
<br>
伝える相手や、伝える内容に違いがあっても<br>
人は何かを他人に伝えて、それを残して、<br>
忘れないでいてもらうことを想いながら生きているのかもしれない。<br>
そんなことを思いました。<br>
<br>
<br>
ちなみに、これが芸大生の作っている『&#34042;大神輿』。<br>
今年は『最強オカン神輿』とかいう作品でした。<br>
<br>
大きさも相当ですが、作り方が非常にダイナミックで迫力があります。<br>
<br>
きっと、製作者が自分の内側で「迫力」や「強さ」を象徴するような<br>
サブモダリティの強調の仕方を鋭敏に感じ取って、<br>
それを作品にそのまま反映させたんだろうと思います。<br>
<br>
<img src="http://image.blog.livedoor.jp/cozyharada/imgs/5/1/51df9c13.jpg" width="269" height="480" border="0" alt="おかん神輿" hspace="5" class="pict" align="left"  /><br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
写真にすると迫力が落ちてしまうのは、見上げるような目線と<br>
視野の大部分を占有される圧迫感が無くなってしまうからでしょう。<br>
<br>
そして、僕はこういうものを楽しみながらも、<br>
同時に色々と考察してみたくなる特性を持っているようです。<br>
<br>
それは芸術家というよりも評論家に近いスタンスかもしれません。<br>
芸大を目指さなくて正解だった気がします。]]> 
</content>
<author>
<name>cozyharada</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>１１月の勉強会</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50923150.html" />
<modified>2009-10-28T10:14:06Z</modified> 
<issued>2009-10-27T23:13:36+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50923150</id> 
<summary type="text/plain">11月の勉強会のお知らせ

才能がない。
それなら才能を作ればいい。

大袈裟にいうと、それが今回のテーマです。


『才能』と呼ばれるものの一体どれがけの部分が遺伝的要因によるものなのでしょうか？

身体的特性が、そのまま才能と結びつくケースもあります。...</summary> 
<dc:subject>セミナー情報</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50923150.html">
<![CDATA[<b><font color="000066" size="3">11月の勉強会のお知らせ</font></b><br>
<br>
<font color="ff0000"><b>才能がない。<br>
それなら才能を作ればいい。</b></font><br>
<br>
大袈裟にいうと、それが今回のテーマです。<br>
<br>
<br>
『才能』と呼ばれるものの一体どれがけの部分が遺伝的要因によるものなのでしょうか？<br>
<br>
身体的特性が、そのまま才能と結びつくケースもあります。<br>
筋肉の付きやすさや体格の大きさは、ある種のスポーツで有利になります。<br>
相撲では体の大きさが求められますし、<br>
バスケットボールやバレーボールでは身長の高さはメリットでしょう。<br>
<br>
逆に、長距離走は筋肉ムキムキよりも、無駄のない体のほうが有利なようです。<br>
競馬の騎手にいたっては、体の大きさがデメリットにもなります。<br>
<br>
また、好奇心の強さなどは、遺伝子として知られ始めている部分もありますから、<br>
人の能力を決める要因として、遺伝が関わるところは少なからずあると言えるはずです。<br>
<br>
しかし、遺伝以外の要素で決められている『才能』もあると思うんです。<br>
<br>
分かりやすい例では「歌の上手さ」というものがあります。<br>
歌の上手い人と、苦手な人との決定的な違いは<br>
「自分の声を聞いているか」という部分です。<br>
<br>
歌うときに自分の声がどのように出ているかを聞いて確認をしていかないと、<br>
音程を取っていくことは難しくなります。<br>
<br>
そのため、歌が苦手な人のためのトレーニングとして<br>
バケツを頭にかぶりながら歌う練習をすることがあります。<br>
そうすると普段よりも音が反響して自分の声に意識が行きやすくなるわけです。<br>
<br>
実際には、頭の中で流すガイドメロディと、自分が出した声が合っているかを<br>
常に確認していかなくてはいけませんから、<br>
「頭の中にガイドメロディを流す」という作業も必須のはずです。<br>
<br>
歌は自分のノドや口の筋肉を使うという意味で、運動に近い能力を要求されます。<br>
運動においても、自分の体の状態を確認しながら体を動かすという意識が<br>
パフォーマンスに大きな影響を与えると考えられます。<br>
<br>
このように、「自分の体の使い方を予測して、確認しながら体を動かす」<br>
という頭の中の使い方は、誰かが教えてくれるものではありません。<br>
<br>
自然と、そうやって頭と体を使っていた人は、スポーツや音楽の分野で<br>
それなりの才能を持っている人として扱われたかもしれません。<br>
少なくとも、苦手分野にはならなかったことでしょう。<br>
<br>
もちろん、世界の一流として活躍するレベルになるには、<br>
それ相応の才能が求められる可能性があります。<br>
そこには遺伝の要因が関わる部分もあると思います。<br>
<br>
ただ、世界の一流には、また彼ら特有の頭と体の使い方があるかもしれないのです。<br>
一流と超一流を分ける「頭と体に対する意識の仕方」の違いがあるかもしれないのです。<br>
<br>
今回の勉強会で、そうした超一流の頭の使い方を扱うことはできませんが、<br>
自分にとって苦手意識のある分野や、才能がないと捉えていた分野に関して<br>
得意な人がやっている頭と体の使い方を学ぶチャンスは期待できます。<br>
<br>
<br>
スポーツや音楽に関していえば、苦手なものは「やらない」<br>
という選択も十分に可能な範囲かもしれません。<br>
自分の得意分野を磨くという選択は賢明です。<br>
<br>
ところが、文章を読んで理解するとか、話を聞いて理解するとか、<br>
計算問題を解くとか、物事を論理的に考えるとか、<br>
そういった能力は、仕事や日常生活の幅広いところで求められるものです。<br>
しかも、小学校に入る前から求められる場合すらある。<br>
<br>
幼稚園や小学校低学年ぐらいであれば、発達段階から考えて<br>
言語能力や思考力の成長度合いに差が出やすいことがあります。<br>
単純に４月生まれよりも３月生まれのほうが不利になることもあるわけです。<br>
<br>
その後、小学校の途中ぐらいからは、個人の頭の使い方の違いが<br>
成績や授業の理解力の差に表れてくる可能性があると思います。<br>
<br>
文章の読み方が効率的でなかったために<br>
勉強に苦手意識が生まれてしまうケースも十分に考えられます。<br>
<br>
そういう頭の使い方に違いがあることには、普通、誰も関心を向けません。<br>
当然、教える人もいないでしょう。<br>
<br>
それは問題の解き方よりも前の段階なんです。<br>
結果を出すための手順を教えても上手くいかないときには、<br>
その手順をする時に気をつけるポイントを学ぶ必要があるということです。<br>
<br>
このレベルで効果的な方法を学ぶと、今まで「才能」の違いと考えられていたところが<br>
トレーニングの仕方によって乗り越えられる可能性が出てくるかもしれません。<br>
<br>
人それぞれの持ち味があることを考慮すると、<br>
「才能」の中身を分析して、どのように頭を使えば良いかを教えてしまうことは<br>
教育として良い方向なのかどうかは分かりません。<br>
<br>
それでも、人間の可能性を知る上では、とても興味深いことだと思います。<br>
<br>
<br>
ここまでの話は、NLPで言うと、「ストラテジー」に当たる部分です。<br>
行動をするときに「どのように意識を向けていくか」という内容です。<br>
<br>
今回のテーマは、ストラテジーの範囲にとどまりません。<br>
<br>
「頭と体の意識の向け方」だけを真似しようとしても<br>
上手くいかないことがあるのも事実なんです。<br>
<br>
そこを改善する１つのキッカケになりえるのが「体の使い方」です。<br>
姿勢や筋肉の使い方といっても良いかもしれません。<br>
<br>
体そのものの使い方を変えて、姿勢や目線を変えることで<br>
頭の中の状態も変わってきます。<br>
意識が向くものや、意識の働く度合いが変わってくるのが実感できます。<br>
<br>
文章を読む場合で説明すれば、読むときの姿勢が<br>
集中力や理解の仕方に影響する、ということになります。<br>
<br>
体の使い方が能力に影響を与えることもあるわけです。<br>
<br>
<br>
まとめると、<font color="000066">「才能」と呼ばれていたものには、遺伝的な要因の他にも、<br>
　<b>その行動をするときに意識を向ける部分（頭と体への意識の向け方）　や<br>
　その行動をするときの体の使い方（姿勢や目線の使い方）</b><br>
なども含まれるのではないか</font>という話です。<br>
<br>
今回の勉強会では、そのあたりのことをテーマにして掘り下げてみる予定です。<br>
<br>
一般的に「頭が良い」と呼ばれる人たちの、頭の中の意識の向け方など、<br>
こちらからお伝えするつもりの内容もありますが、<br>
皆さんでディスカッションをさせて頂くこともあると思います。<br>
その中から想定外の大発見などがあったら、これほど面白いことはない気がします。<br>
<br>
何かのトレーニングをして、その場ですぐに才能が身につくとか<br>
ワークをして感動的な体験を味わえるとか、<br>
そういった類のセミナーではありません。<br>
<br>
自分や他の人がやっている行動と、その結果を生み出している才能の中身を<br>
細かく分析してみて、活かしていこうという内容です。<br>
<br>
行動を細かく意識していく地味な作業だと思います。<br>
人それぞれの違いを知る内容です。<br>
<br>
<b>才能のある人と、才能のない人では、<br>
一体どこが違うのか？</b><br>
<br>
そのことを知るのは興味深いことではないでしょうか。<br>
日程と関心が合いましたら、是非ご参加ください。<br>
<br>
<br>
　　<font color="ff0000">※最近は多くの方からお申し込みを頂いています。<br>
　　　定員を設けていますので、ご注意ください。<br>
　　　<b>定員を超える場合には先着順</b>での受付とさせて頂きますのでご了承下さい。</font><br>
<br>
　　※勉強会の趣旨に関しましては、<a href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50205495.html">こちら（勉強会070725）</a>をご覧下さい。<br>
<br>
<br>
詳細は以下のとおりです。<br>
<br>
<br>
<font size="3" color="ff0000"><b>【勉強会の詳細】</b></font><br>
<br>
<br>
【日時】　<b>11月23日(月・祝) <br>
<br>
　　　　　◆午前の部　10:00～12:30　　<br>
　　　　　◆午後の部　13:30～16:30</b><br>
<br>
　　　　　<font color="ff0000"><b>★午前、午後いずれかのご参加も可能です。</font></b><br>
<br>
<br>
【場所】　<b><a href="http://www.kitabunka.or.jp/data/sisetu/index.htm">北とぴあ</a>　806会議室</b><br>
　　　　（JR京浜東北線・王子駅北口より徒歩2分）<br>
　　　　（東京メトロ南北線・王子駅、5番出口直結）<br>
<br>
<br>
【参加費】当日、会場にてお支払いください。<br>
　　　　　<br>
<b>　　　　　◆午前の部　・・・4,000円<br>
　　　　　◆午後の部　・・・5,000円　　<br>
　　　　　◆午前・午後両方ご参加の場合　・・・7,000円</b><br>
　　　　<br>
　　　　<br>
テーマ：　<b>『才能を身につける』</b><br>
　　　　　～頭と体と意識の使い方～<br>
<br>
<br>
　<b>＊多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、<br>
　　学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。<br>
　　ご了承ください。</b><br>
<br>
<br>
<br>
誰かに料理を教わるとします。<br>
<br>
素材と調味料は用意されている。<br>
レシピを渡され、大体のやり方を聞きながら、順番通りに進めていく。<br>
<br>
レシピがあるので、出来上がる料理の味付けは同じようなものになるでしょう。<br>
火の通し方などで腕の差は出るはずですが、大失敗はないかもしれません。<br>
<br>
ところが、冷蔵庫の中に入っている材料とレシピを頼りに料理をするとなると、<br>
素材選びの部分が関わってきます。<br>
<br>
そこに教えてくれる人がいたとしても、素材の選び方を教えてくれなければ、<br>
レシピ通りに料理を進めることさえ難しいかもしれません。<br>
<br>
正しい素材が何かが分からないままでは、料理を進めるのは難しいでしょう。<br>
<br>
<br>
個人の遺伝の要素は、冷蔵庫の中身のようなものかもしれません。<br>
冷蔵庫の中に、超高級食材が入っている人もいる。<br>
魚は新鮮なものが取り揃えられていても、肉は良いものではないこともあるでしょう。<br>
<br>
良い材料がなければ、専門店で出すような料理にはならないかもしれませんが、<br>
安くても普通の素材があれば、料理の仕方次第で美味しいものは作れるはずです。<br>
<br>
ただ、初めて人が何かを学ぶときというのは、<br>
レシピを教えてもらったり、見本を見せてもらったりすることはあっても、<br>
自分の冷蔵庫の中から正しい素材を選ぶ作業は教えてもらえないことが多いようです。<br>
<br>
教える人も、自分の冷蔵庫の中から正しい食材を選ぶことはできても、<br>
相手の冷蔵庫の中の様子が分からないことは普通にあります。<br>
<br>
初めて何かを学ぶとき、素材の選び方を教えてもらえれば、<br>
そのあとの手順はレシピどおりに進みやすいように思います。<br>
<br>
才能の中には、良い食材を持っているかだけではなく、<br>
レシピに相応しい食材を選び出せるかという要素もあるわけです。<br>
<br>
<br>
料理であったら当たり前のことが、人の行動や才能に関しては<br>
多くの人の関心を集めていないのが現状のような気がします。<br>
<br>
それは勿体ないことだと思います。<br>
<br>
「才能」という便利な言葉で言い終えてしまわずに<br>
努力で対応できる部分が増えていくと<br>
可能性が広がると考えますが、いかがでしょうか？<br>
<br>
人に興味のある方のご参加をお待ちしております。<br>
<br>
<font size="3" color="ff0000"><b>参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。</b><br>
（*は必須項目です）</font><br>
<!--ninja_style_mailform--><br>
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<!--ninja_style_mailform--><br>
トレーニングには色々あります。<br>
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。<br>
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。<br>
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。<br>
<br>
<br>
<b>是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。</b><br>
<br>
今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。<br>
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。<br>
<br>
<br>
また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。<br>
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを<br>
心から願っているためです。<br>
<br>
<br>
【その他のご連絡事項】<br>
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は<br>
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。<br>
お時間などの相談をさせていただきます。<br>
<br>
<br>
勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。<br>
話題を遮っていただいて構いません。<br>
<br>
その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。<br>
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。<br>
<br>
<font color="000066">また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら<br>
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。</font><br>
調査して勉強会にあたります。<br>
<br>
<br>
<br>
それでは当日お会いできることを楽しみにしています]]> 
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<name>cozyharada</name> 
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<title>風味を再現する人たち</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50908532.html" />
<modified>2009-10-24T18:00:05Z</modified> 
<issued>2009-10-24T23:59:07+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cozyharada.50908532</id> 
<summary type="text/plain">最近発売された『ペプシあずき』を飲みました。



























僕は結構、「あずき」が好きなんです。
「こしあん」よりも「つぶあん」が好き。

パンを買うときは「あんぱん」の比率が高いと思います。
饅頭なども好きな部類...</summary> 
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://rikei.livedoor.biz/archives/50908532.html">
<![CDATA[最近発売された『ペプシあずき』を飲みました。<br>
<br>
<img src="http://image.blog.livedoor.jp/cozyharada/imgs/5/9/59f09ab6.jpg" width="269" height="480" border="0" alt="あずき" hspace="5" class="pict" align="left"  /><br>
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僕は結構、「あずき」が好きなんです。<br>
「こしあん」よりも「つぶあん」が好き。<br>
<br>
パンを買うときは「あんぱん」の比率が高いと思います。<br>
饅頭なども好きな部類。<br>
「あずき」の豆自体の風味が強く残っているものに惹かれます。<br>
<br>
で、この『ペプシあずき』ですが、それなりに「あずき」っぽさが出ています。<br>
和風かと言われると感じ方は人それぞれでしょうが、「あずき」の感じはあります。<br>
<br>
全体的な味の構成は「ドクターペッパー」に似た印象。<br>
それに「あずき」アイスを溶かしこんだような味だと想像すると良いかもしれません。<br>
<br>
<br>
ただ、原材料名のところを見ても、「小豆」の文字は一切見当たらないので、<br>
完全に香料を添加する配分だけで「あずき」風味を出していると想像されます。<br>
<br>
こういう風味の再現の作業は、きっと地道な試行錯誤の上にあるんでしょう。<br>
<br>
なぜなら、人間の嗅覚は非常に繊細で、ホンの少しの量があるだけで<br>
敏感に検出できるものがあるからです。<br>
<br>
人間が匂いを感じるのは、空気中に蒸発してきた分子が<br>
鼻の粘膜の中にある受容体細胞と結びついたときに神経が活性化されるため。<br>
匂いは、その物質の分子がセンサーにくっついたときに感じられるわけです。<br>
<br>
ですから、揮発性の高いものほど、一般的に匂いやすいと考えられますが、<br>
空気中にありふれていて無害なものには、匂いを感じないものもあります。<br>
それはセンサーがないということ。<br>
<br>
逆に、匂いがなくても有害なものもありますし、<br>
好ましい匂いと判断されやすい物質もあります。<br>
<br>
そして、少ない量でも匂いを強く感じるものもあります。<br>
有機酸の類は揮発性もありますが、微量でも非常に臭く感じられます。<br>
<br>
お酢のツーンとする匂いは強烈。<br>
有機酸の匂いは腐敗と関わっているせいでしょうか、<br>
人間はかなり敏感に感じられるようです。<br>
<br>
そして、化学薬品として、その匂いの強さで知られているのが『酪酸（butyric acid）』。<br>
試薬瓶は、とても厳重に梱包されて、匂いが漏れないように工夫されています。<br>
銀杏の匂いは酪酸が主成分だそうです。<br>
<br>
これもやっぱり人間には有害。<br>
犬は人間の１０００分の１の量でも感じ取れるとか。<br>
犬の嗅覚は人間の１０００倍というのは、こういう意味です。<br>
<br>
ちなみに犬は、足の裏の匂いに含まれる<br>
こうした微量な酸の匂いを嗅ぎ分けていると言います。<br>
<br>
人間も犬ほどではないにせよ、かなり鋭敏に感じられる匂い成分があるということです。<br>
<br>
ということは、成分として含まれる量によってのみで<br>
匂いの強さが決まるわけではないと考えられます。<br>
<br>
「あずき」の風味を再現しようとしたら、<br>
「あずき」を溶かした液の成分を分析して、<br>
沢山含まれるものだけを混ぜれば良いということではないはずです。<br>
<br>
少量でも匂いの中心になるものがあるかもしれない。<br>
<br>
液体中に含まれる物質の濃度を測定する装置として HPLC が一般的に使われますが、<br>
その感度は決して高いものではありません。<br>
<br>
少なくとも、僕が実験で使っていたころはそうでした。<br>
分析装置のキャッチコピーに「人の嗅覚並みの高感度！」などと書かれるぐらい<br>
人間の嗅覚が持つセンサーの感度は高いんです。<br>
<br>
そして、測定装置で測れる濃度の基準は、人間の嗅覚とは無関係ですから、<br>
人間にとっては微量でも重要な匂い成分が、<br>
装置の測定方法では調べにくいということもあるでしょう。<br>
<br>
<br>
なので、「ペプシあずき」の「あずき」風味を再現するときには<br>
「あずき」に含まれる成分を全て測定して、<br>
その成分を、そのままの量で配分すれば良いという単純な話ではないはずなんです。<br>
<br>
機械では分かりにくいのに、実際の匂いとしては重要な成分を見つけなければいけない。<br>
<br>
有名な話としては、加齢臭の主成分として知られる『ノネナール』が<br>
装置で測定しても特定しにくかったところを、<br>
資生堂の一人の研究員が「この匂いは多分、これだろう」と当たりをつけて<br>
『ノネナール』の存在を特定したということもあります。<br>
<br>
達人の嗅覚は、機械で測れる範囲を遥かに上回っているんです。<br>
人間の能力は文字通り「計り知れない」わけです。<br>
<br>
きっと「あずき」風味も、開発に関わった人たちが<br>
「ああでもない」「こうでもない」と香料を混ぜ合わせ、<br>
試行錯誤の末に「この組み合わせが一番あずきっぽいでしょう」と<br>
結論付けて製品化に至ったんだろうと思います。<br>
<br>
そんなプロセスを想像すると、<br>
美味しいかどうかという消費者にとって最もシンプルで本質的な基準だけで、<br>
味の評価をしてしまうことに少し抵抗が出てきたりもします。<br>
<br>
なので、僕は『ペプシあずき』を飲んだ時の最初の感想が、<br>
「あぁ、良くできているなぁ」だったんでしょう。<br>
<br>
それは別に無愛想なわけでも、素直さに欠けているわけでもない気がします。<br>
<br>
裏側にある開発のドラマを想像するのも、１つの楽しみ方かもしれません。]]> 
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<name>cozyharada</name> 
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