バリバリの理系だから気づけた心とコミュニケーション
http://rikei.livedoor.biz/
典型的理系人間が人の心のメカニズムとコミュニケーションに、心を込めて取り組んでみました。NLP、コールドリーディング、心理療法、コーチング・・・。心に引っかかったものを取り除けば能力は今以上に発揮される可能性に気づいたのです。
ja
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ようやく
http://rikei.livedoor.biz/archives/51561603.html
随分と久しぶりにブログにログインしました。
一か月以上も更新しなかったのは初めての経験です。
やっと少しだけ、時間的にも頭にも余裕が出てきた感じで
とりたてて何かを書きたいわけではないものの
こうしてキーボードを打ち始めました。
ブログを頻繁に更新していた...
cozyharada
2020-02-15T08:16:13+09:00
コミュニケーション
一か月以上も更新しなかったのは初めての経験です。
やっと少しだけ、時間的にも頭にも余裕が出てきた感じで
とりたてて何かを書きたいわけではないものの
こうしてキーボードを打ち始めました。
ブログを頻繁に更新していた時期は
自分でも一番勉強していた頃というか、日々いろいろなことを発見して、
その頭の整理をしていたんだと思います。
最近はもう、そういうことが滅多にありません。
何か面白い発見があるわけではない感じ。
世情に対して自分の意見が出てくることも以前のほうが多かったものです。
「何かの出来事が、自分にとって意味のあることとして印象に残る」
という経験が少なくなってきた気がします。
そうやって振り返ると少し寂しいような気もしてきますが、
日々はそのまま振り返ることなく流れていきますから
その寂しささえも感じることがないんでしょう。
良く言えば安定しているし、
悪く言えば心が動かされないし…と。
とはいえ、こうして書き始めてみて
この一カ月ぐらいの間に何があったかと思い返してみると
それなりに書くネタはありそうな気もしてきます。
にもかかわらずブログを放置していたのは
やはり時間的な余裕の部分の関係と、何よりも
「書く」という行為への心理的ハードルがあったように感じます。
端的にいうと「書く」行為を人のためにやっていたんです。
ホームページとか広告とか、そういった内容。
自分のアウトプットではなく、誰かの考えを整理して書きまとめる…
といった作業が増えてくると、書く作業そのものの時間が増えて
その行為自体に頭の中が占有される比率が高まってきます。
頭の中に、他のことを探索するスペースがないような状態でした。
その一方で、無理やり自分の経験や考えを書く必要があったのは
フランス語の自習課題としてのライティング作業。
これについては月に2回程度、スピーキング中心のレッスンのために
A4一枚程度の内容を書いて、それについて話すトレーニングをしています。
近頃は多少、フランス語の発話にも慣れてきたので
書いて準備をしていなくてもフリートーク的に話せそうな気はします。
それでも語学力を向上させるのにライティングは非常に効果的で
書いた内容は話しやすくなる経験が多いですから
アウトプットのトレーニングとして書くことは続けるつもりなんです。
ただし…。
作業に時間がかかります。
書いたものをネイティブの先生にチェックしてもらうことも考えると
無駄に長いものにはできません。
また、そのフランス人の先生は、そもそも文章力が高い人のようで
学生時代も同級生から浮いてしまうぐらいに
ライティング課題を楽しみつつ好成績を収めていたそうです。
そんな先生にチェックしてもらう兼ね合いもあって
あまりに論理構成が適当だと、フランス語以前に修正が増えてしまいます。
かなり入念に話の構成を練って、説明の順番や情報量の調整も必要です。
やみくもに書いて長くなってしまったらA4一枚に収まらないし、
途中で無理やりA4一枚の量に調整したら内容がおろそかになる。
なので内容を大まかに考えて、段落構成を事前に想定して
それから書き始めることになります。
書きながらも情報量を考慮して、
さらに読んでわかりやすいように工夫して、
A4一枚で最終的に話がまとまるように展開させて…、
最後に量の再調整をするために見直しと修正を加える。
これをやると書き始めるまでにも時間がかかりますし、
書き始めてからも2,3時間はかかってしまいます。
時間的にも頭の作業としても、意外と負荷が大きいんです。
仕事関係のお手伝いで「書く」作業の比率が上がっていたところに、
フランス語のライティングのトレーニングとして
自分ごとと無理やり絡めながらネタを考えないといけないときがある…。
そうしていると、いくら気軽に日本語で書けるブログでも
「何を書こうかなぁ」と考え始めると、
なかなかネタが思いつかなくなってしまうんでしょう。
最近になってやっと、仕事絡みでの書く作業が下がってきて
自分の体験に意識を向ける余裕が出てきたようです。
ちなみに今は、名古屋のホテルです。
自宅のパソコンではないのも、書く行為への余裕を
高めてくれるのかもしれません。
二週間ぐらい前にも大阪のホテルに滞在していたとき
ブログを書いてみようかと思ったところもあったんですが、
その日はやっぱり、手伝いで整理しないといけない報告物があって
そっちを書きまとめるのに時間が取られてしまいました。
今日は本当に久しぶりの頭の使い方をしています。
こういう作業も始めてしまえば、それなりにネタが出てくるものですね。
いざとなればフランス語のライティング内容を翻訳しても良いでしょうし。
すごく基本的なNLPの話とかをしてみるのも良いかもしれません。
僕がNLPの講座で担当する内容も限られていますから
どこかでアウトプットしておくのも悪くない気がします。
あとは自宅のパソコンに向かう気力があるかどうか、ですが。
また少しブログを再開してみようと思っています。
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新年のご挨拶
http://rikei.livedoor.biz/archives/51560878.html
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
年賀状は平仮名にしてみました。
今年はセミナー関係の予定で少し変化がある見込みです。
個人的にはメインでやってきたNLPの内容について
もっと基本的な練習としてのトレー...
cozyharada
2020-01-05T23:16:06+09:00
本年もよろしくお願いします。
年賀状は平仮名にしてみました。
今年はセミナー関係の予定で少し変化がある見込みです。
個人的にはメインでやってきたNLPの内容について
もっと基本的な練習としてのトレーニングができる機会を
どのような形であれ提供したいとは考えています。
いわゆる資格取得コースでは、一通りの技術の手順と内容を紹介するばかりで
それぞれを練習する時間がなかなか取れない実情があります。
一部の手法は手順通りにやれば大丈夫ですから
テキストを見ながら自分で練習するということも可能ではあります。
ですがNLPには手順の決まった手法だけでなく、
コミュニケーションで用いる言葉の技術なども含まれています。
このあたりを練習する機会がほとんどないんです。
講座中の練習時間も少ないですし、
トレーニング方法としても入門的なところで終わってしまいます。
なので、多くの人にとっては練習の仕方さえも不明なままでしょうし、
技術の使い方も曖昧なままになってしまっていると思われます。
それで「自分で練習して身につける」というのも難しい話。
ということで、NLPの手法・技術の中でメインとなるものを
基礎固めの目的でトレーニングする機会があるといいのではないか?
と思っている次第です。
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進化と進歩
http://rikei.livedoor.biz/archives/51560275.html
世の中には、進化論の好きな人たちが結構いるようです。
とりわけアメリカなんかだと、
ダーウィンは科学の代表のように見られることがあるようで
そこから出てきた進化論も重視されやすいんでしょう。
聖書における生命の誕生と、生物学的な進化の歴史は別物ですから
宗教...
cozyharada
2019-12-07T23:39:38+09:00
NLP
とりわけアメリカなんかだと、
ダーウィンは科学の代表のように見られることがあるようで
そこから出てきた進化論も重視されやすいんでしょう。
聖書における生命の誕生と、生物学的な進化の歴史は別物ですから
宗教的な内容とは異なる話を全面的に押し出したダーウィンの進化論は
信仰とは別物の「科学」というものの象徴にもなりえるんだと思われます。
一方、この「進化」という考え方はなかなか曖昧で、
科学的な分野の中でも解釈が分かれているフシがあります。
ましてや日常的な言葉の使われ方となると、その意味は更に広がって
「進化」と「進歩」を混同したりもされます。
そのあたりのことが起こるのは、おそらく
「進化」を表面的な現象(「形質」と呼ばれる「遺伝子がもたらす結果」)
として見ていて、
「遺伝子の変異」として見ていないことに関係する印象です。
つまり、遺伝子はタンパク質を決めるだけであって
タンパク質の機能として説明できないことは「遺伝」ではない、という話。
仮に歴史的に親から子へと代々受け継がれてきたものであっても
それがタンパク質の機能として説明できないものだとすると、
遺伝子によって引き継がれたものではなくて、むしろ
経験を通した学習によって伝えられてきた情報だと考えられます。
例えば、猿から人間に進化して、文明を持ち始める前の時代、
小さな群れで狩猟採集の生活をしていたころを想像すると、
男性が外で狩りをして、女性が子育てをするといった姿が描かれます。
こういう生活パターンがあったから、例えば男性には
「外で狩りをしていた名残で、現代社会でも家庭への関心が女性より低い」
「獲物を取ってくる習慣から、現代でも何かを勝ち取ろうとする」
「獲物を持ち帰るところまでが目的だったため、
一度手に入れた獲物には関心がなくなる」
「獲物を手に入れる能力が高いほど必要とされていた名残で
他の男性よりも秀でようとする競争意識が強い」…
などの”ストーリー”が生まれます。
進化論では基本的に『適者生存』という考えを採用します。
生き延びるのに有利な性質が引き継がれていく、と。
上記の例は、たしかに狩猟採集の時代を考えると説得力がありそうです。
食料を手に入れるのが不安定だったことを想像すれば、
「外で効率的に狩りができる」能力は有利な性質として引き継がれ
その結果として上に書いたようなパターンが蓄積していきそうに思えます。
ですが仮に、歴史的にそういうことが引き継がれてきたとしても、
その内容は遺伝子に乗るタイプのものと考えるのは困難でしょう。
遺伝子はタンパク質を決めるだけですから、せめて
身体的な能力の違いとか、ホルモンの量の違いとかが限界のはずです。
もちろんホルモンの量で気質的なこと、つまり
起こりやすい生理反応の特徴は決まる可能性があるとはいえ、
それが行動パターンを直接的には決定しません。
行動は生まれた後に学習してパターン化されるものですから
文化的・習慣的に継承されて特徴として際立ってきたと考えるほうが妥当。
ちなみに、習慣として学習されて伝えられてきた情報は、
遺伝子(gene:ジーン)と対比させて
「meme:ミーム」とも呼ばれたりもします。
語源はギリシャ語で「模倣する」という単語にあるそうですが
英語でも「mimic」という単語が「マネする」という意味なので
おそらく同じような言葉のルーツなんでしょう。
とにかく、引き継がれる情報の全てが遺伝なわけではない、という話です。
つまり進化論は大雑把にいうと
・遺伝のように性質が引き継がれる
・特に生存に有利な性質が優先的に引き継がれる
・その結果、時間がたつにつれて徐々に変化していく
といった感じの捉え方だといって良さそうです。
遺伝子を分子レベルで見ていくスタンスからすると、先ほども言った通り
進化はタンパク質の性質の変化としてしか起こりえません。
そして遺伝子の突然変異は、一世代では確率的に
ほんの少ししか起きえませんから、
少しずつタンパク質の機能が変わって性質に変化が出る、
ぐらいの想定になります。
もともとあった性質が増えたり減ったりすることはあっても、
新たに性質が獲得されることは確率的に凄く低いわけです。
どちらかというと、今まであった機能が突然変異で失われる可能性のほうが高い。
ところが、進化論を表面的な性質として捉えていると
「進化の過程で生存に有利な性質が獲得されたから今に至る」
という発想になりやすいみたいです。
「獲得」とか「有利」とかいった捉え方は
『進化』を「向上」や「進歩」と結びついけやすいというか、
「人類の祖先が他の猿とは異なる”人間”へと進化した」といったような
優位性に似たニュアンスを含みやすい気がします。
例えば先日、こんな記事 を読みました。
これによると
人類の祖先にあたる類人猿の一種は、1000万年前に
エタノール(お酒のアルコール分)を代謝できるようになり、
そのおかげで過剰に熟した果物に含まれるアルコール分を分解できたため
アルコールを代謝できない猿よりも生存に有利だった
という趣旨のことが書いてあります。
詳しく他の論文とかも調べてみると、科学的な発見としては、あくまで
エタノール代謝の最初の段階に関わる酵素の遺伝子ADH4の配列を
人間と近縁の猿の仲間で一通り調べ、その類似性から系統樹を作ると
1000万年前ごろに枝分かれする時点から1つの変異が共通で見つかり、
その変異がエタノール代謝の機能を大幅に高めている
ということのようです。
この変異を持たない他の種の猿は、
お酒のアルコール分を効率的に代謝できない。
つまり血中アルコール濃度が上がりやすい、と。
これは、そもそもアルコール代謝の酵素ADH4というのが既にあって、
その酵素のエタノール代謝の機能が上がった、という話なんです。
「獲得」というよりは「上がった」と。
エタノールというお酒のアルコール成分に対しては機能が上がっていますが、
逆に、ゲラニオールなどの他のアルコール分には代謝機能が下がるそうです。
研究者たちは、このエタノール代謝機能の上昇が有利だった、として
それが現代の人類にまで引き継がれているように解釈しています。
ただ、果たしてそうなのか、明確な根拠は見つけにくそうです。
もしかすると、
ゲラニオールが分解できなくなったことで
他の猿とは違う食料に依存しなければならなくなったけれど、
たまたま他の食料が手に入る環境にいたため生き残ってこれた
という話だって考えられます。
他の猿にとっては、この変異は食性を変えてしまって致命的だった…
だから他の猿には見られない変異になっている、という可能性です。
色々な考察のしようがあるはずなんです。
なので、どれが正しい説か、ということを言いたいわけではありません。
ポイントは、
「人間はアルコールを分解できる」という特殊な性質に目を向けると、
他の猿にはない”有利な”性質を”獲得した”
のような優位性の視点になりやすいのではないか?
といったところです。
解釈や考察の視点が”優位性”を土台にしたものになりやすそう。
もっとハッキリ言ってしまえば、人間には
「自分は他の存在と違って、こんなに価値がある」
という証明をしたがるところがあるんじゃないか?と。
何かしらの手段で
「自分は他の人より…」
「自分たちは他のグループより…」
「自分たちは他と違って…」
といった比較をしながら、
自己の存在意義を示そうとしがちな気がするんです。
先ほどの記事においても、途中の言い回しでは元論文に近く
「エタノール代謝がより効率的になった」と書いてありますが、
冒頭の文章には
African apes (who lived around 10 million years ago) evolved to metabolise ethanol
つまり「アフリカのエイプはエタノールを代謝するように進化した」とあります。
微妙なニュアンスの違いではあるものの、ともすると
「今までなかった機能が獲得された」かのような印象になりかねません。
この記事の著者はライターであって研究者自身ではありませんから
科学的な観点で厳密に区別しようとはしていないのでしょう。
だからこそ「進化」という部分に「獲得」の雰囲気や
優位性のようなものを関連付けていそうな印象を受けます。
何か特別な意味を探そうとしがちで、
「別に何の意味もない、ただの偶然」
というのはチョット残念な気がしてしまう。
そのあたりの根底に、そもそも
自己という存在を特別な意味のあるものと捉えたい気持ち
みたいなのがあるんじゃないかと感じます。
ニュートラルに物事を捉えるのは、相当に難しいことなんでしょう。
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脂が合いません
http://rikei.livedoor.biz/archives/51560083.html
コレステロールが問題になって、食生活を変え
半年以上になりました。
そろそろ一度病院に行って、血液検査をするタイミングです。
今の食事パターンにしてから一ヶ月半ぐらいで
許容範囲までコレステロールが下がったので、
まあ、おそらく大丈夫だろうとは思うん...
cozyharada
2019-11-25T23:42:51+09:00
NLP
半年以上になりました。
そろそろ一度病院に行って、血液検査をするタイミングです。
今の食事パターンにしてから一ヶ月半ぐらいで
許容範囲までコレステロールが下がったので、
まあ、おそらく大丈夫だろうとは思うんですが。
とはいえ、栄養のせいか、元気がないというか
カスカスな感じが続きまして、
最近は意図的に油分を取るようにしています。
ナッツ類とか、青魚とかの油です。
その意味で、違ってきてはいるんです。
厳格ではない。
そこが気になるところですね。
ダメだとしたら、相当に減らさないといけませんから。
一方、この食生活に馴染んできたと感じるのは
豚や牛の脂、乳脂肪が重たい印象になってきたからです。
とりわけ、先日
お付き合いで鉄板焼きの店に行ったとき
翌朝に吐き気が出てしまいました。
牛肉の脂が多かった気はしないんですが、
ソースに使うバターが多かったんでしょう。
身体は生活スタイルに適応するものなのかもしれません。
僕の場合、動物脂肪の摂取が控え目な状態が標準になった、
といいますか。
反面、肌がカサカサする度合いは上がったような気もします。
栄養分としての脂質は必要そうな印象を受けます。
身体にいいとされる油を取ろうかと考え中です。
個人的にはクルミあたりを視野に入れているんですが、
素焼きで無塩のヤツばかりなんです。
塩味が欲しい。
ネットで探してみます。
なんだか、こういうのを考えていると
食品の影響を自分で調べたくなってきます。
主観的に体調をチェックするのと、
客観的な血液のデータを見るのと、両方で。
結局、僕が一番手に入れたいのは
血液検査のキットなんだろうと思います。
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見覚えのある顔
http://rikei.livedoor.biz/archives/51559961.html
最近は単調な日々が続いているのか、
自分の中で思うことが減っているのか、
ブログを書く内容が頭に上がってきません。
いつの間にか季節は冬に近づいているようです。
そんな中、先日、ジムで気になることがありました。
1,2か月ぐらい前には、なんだかやたらと夜の...
cozyharada
2019-11-19T23:40:18+09:00
NLP
自分の中で思うことが減っているのか、
ブログを書く内容が頭に上がってきません。
いつの間にか季節は冬に近づいているようです。
そんな中、先日、ジムで気になることがありました。
1,2か月ぐらい前には、なんだかやたらと夜の時間が混雑して
同じような新しい顔ぶれが集まることが多かったんですが、
最近はまた混雑が落ち着いて人が減ってきました。
夜が寒くなったせいで来なくなったのか、
その時間を避ける人が出始めたのか、
あるいは新しい顔ぶれは既に退会したのか…。
体験入会があるジムではなさそうですが
最初の月ぐらいは価格が安かったりはするみたいなので
出入りは激しいのかもしれません。
もしかすると単純に、本人の中でブームが去って
会費を払いながらジムに来ていないだけかもしれませんが。
で、1、2週間ぐらい前から、また新しい顔を見るようになりました。
その一人が大柄なアフリカ系アメリカ人なんです。
坊主頭で、ボブ・サップほどの体格ではないものの
アメフトとかやっていそうな感じの人です。
この人が、すごく見覚えあるんです。
多分、高確率で、英会話学校の先生だと思います。
僕が一番最初に通った英会話学校のベルリッツで
何回かレッスンを担当した先生じゃないか、と。
名前も朧気に記憶しています。
最寄り駅前のベルリッツでしたから
講師が近所に住んでいる場合、僕と街中で遭遇する可能性はあります。
ただし、僕がベルリッツに通っていたのは2010年の夏。
もう9年前です。
身長はおそらく、あれぐらいだった気がします。
一方、体格はあそこまで大きくはなかった…。
まぁ、10年近く経てば、肉がつくことはあるでしょう。
だからこそジムに来始めたのかもしれませんし。
顔は多分、あんな感じだったはず。
ところがチョット自信がないんです。
ハリウッド映画なんかだと、日本人役を
中国人やアジア系アメリカ人が演じていたりするじゃないですか。
アメリカ人からすると見慣れない東アジア人の顔は似て見えてしまう。
区別をつけられるほど見ている経験の量がないんです。
犬も同じです。
同じ犬種で名前を呼び分けられるのは見慣れている人に限られます。
同様に、僕からするとアフリカ系の顔立ちは見慣れていません。
しかも当時は特に、英語を勉強し始めたところで
海外出身の人と接する機会も少なかった時期です。
おんなじ感じに見えてしまっていたかもしれません。
たぶん、あの先生だとは思うんですが…。
イマイチ自信が持てないんです。
思い切って話しかけてしまう手もあるでしょう。
しかしながら、24時間営業のジムで話をしている人は少ない。
一人で黙々と運動するために来ている人たちの集まりです。
そもそも話しかけるのが適切かどうか不明です。
実際、ジムにいるその人は常にイヤホンをしています。
それに、その人が僕を覚えていない可能性もあります。
10年近く前の英会話学校の生徒の一人です。
講師をしていれば多くの日本人と出会いますから
一人ひとりを覚えていない可能性も高いでしょう。
そんなに回数が多かったわけでもありません。
回数が多くなかったのに、なぜ僕が覚えているのか?
こんなにも気になっているのか?
それは当時の僕にとって、その先生のレッスンが合わなかったからです。
ベルリッツは基本的に先生を選べません。
時間だけ予約して、誰が担当になるかは当日に分かる仕組みでした。
ただ、よほどの場合、どの先生を充てるかを
事務の人に工夫はしてもらえました。
それで僕は、唯一、その先生だけ
レッスンから外してもらうようにお願いしていたんです。
今なら対応できるでしょうが、本当に英会話学校に通い始めたばかりでは
あの先生のレッスンスタイルは効果が感じられませんでした。
しかもベルリッツの授業料は、なかなか高額ですから。
せっかくなら納得できる授業数を重ねたかったのを覚えています。
僕がその先生を拒んだことが当人に伝わっているかは知りません。
伝わっていなかったとしても、薄々は分かるでしょう。
担当するレッスン数が変わると思います。
仮に、そのジムに来ているアフリカ系アメリカ人の大柄な人が
ベルリッツで何度かレッスンを受けていた先生だったとして…。
お互いに仲良く話すほどの間柄ではありませんし、
向こうが覚えていない可能性もありますし、むしろ覚えていたとしたら
良くない印象で覚えている場合も十分にあり得ます。
実際に僕だって、当時のベルリッツで出会った先生のうち
顔と名前を認識できるのは多分、数人です。
十数人の講師の中から2,3人なんです。
そのうち2人は高頻度だった先生。
何度かしかレッスンを受けていないのに覚えているのは
「レッスンが合わなくて断ってしまった」という
ちょっとした気まずさからです。
ネガティブな感情が記憶を強めたんでしょう。
なので、お互いに覚えている可能性があるとしたら
それはあまり良い意味ではないんじゃないか、と。
だとするとジムにいるその人が、あのベルリッツの先生だったとして
話しかけるのは避けておいたほうが無難かもしれない。
そんなことを思いながら、彼の存在を意識しつつ運動しています。
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東京にいながら
http://rikei.livedoor.biz/archives/51559764.html
今年の慌ただしさのピークは過ぎたような感じです。
10月末から11月の初めにかけて約一週間、
アメリカから招聘した先生のワークショップを手伝う機会がありました。
同じ内容の講座は過去にも開催していたため
事前準備として多くのことがあったわけではありません。
先...
cozyharada
2019-11-08T23:47:09+09:00
コミュニケーション
10月末から11月の初めにかけて約一週間、
アメリカから招聘した先生のワークショップを手伝う機会がありました。
同じ内容の講座は過去にも開催していたため
事前準備として多くのことがあったわけではありません。
先生とも既に顔見知りでしたし、その点では気楽だったともいえます。
が、セミナーの開始時間が朝の9時などと早めだったうえに
会場がお台場だったこともあって、朝のスタートが早かったんです。
なので初めて、都内にホテルをとることになりました。
自宅から片道1時間ぐらいの場所とはいえ、
往復時間として毎日2時間が節約できるのは意外と大きかったです。
先生の接待で夕飯に同行したりもありましたから
睡眠時間を確保できたのは助かりました。
僕の仕事はワークショップ中に先生がホワイトボードに書いた内容を
その場で日本語に直して提示する担当。
通訳の方が口頭の作業に専念できるように、ということです。
あとは先生の送迎。
タクシーに同行するだけですが、
日本語が話せない先生を一人でタクシーに乗せるわけにもいきませんし、
支払いのことなんかも考えると送迎係は必要だったんでしょう。
おかげさまで僕自身は、先生と話す時間を多めにいただけました。
しかしながら、自分の興味で質問をしては先生に負担をかけそうですから
なるべく無難な話をしつつ、かつ先生が関心を持ちそうな
日本文化の話あたりに終始する、というのは意外と気を遣いました。
世界各国で講座をしているせいか、文化の違いにも興味があるようで
日本文化的な配慮についても実感ができる様子だったのも印象的です。
すべてを言葉にすることなく、行為や言葉の裏に込められた
相手への気配りや敬意を汲み取り、
それに対して同様の気配りで意図を伝え返す。
ちょうど茶道をやっている人たちが
作法に込められた意図を丁寧に感じ取りあいながら
間接的にお互いの気持ちを交流する、というような感じでしょうか。
アメリカ人でありながら、そのあたりを味わえる先生のようでした。
世界中を見て回っているのもあるでしょうが、
それ以上に人の心を理解しようというスタンスが大きいと思われます。
接待で同行した天ぷら屋でも、他のお客さんの様子を見ながら
その関係性なんかを観察から見立てて話したりしていましたし。
とはいえ、心理学の知識に当てはめて
客観的に「分析」や「診断」をするのとは違います。
その人がやっている行動から気持ちを汲み取り、
その人の内面を「分かろうとする」という主観的なスタンスです。
わざわざ相手の立場に入っていって、共感をして、状況理解に繋げる。
大学の先生には珍しい、実践的な人なんだと思われます。
実際、教授になるまでの経緯も異端だったそうです。
学会や教授会からの評価を求めて論文を書いて地位を高めるのではなく、
実社会で役に立つ情報を書籍で広めたり、
学生や企業と直接のワークショップで交流して成長を促したりするうちに
人気が出てきたから大学側も教授にせざるを得なくなった…
そんなことがあったんだとか。
アカデミックな世界に身を置きながらも
あえてアカデミックな人たちのほうに背を向け、
学生や社会のほうに向いて人と関わってきた人物。
もちろん、自分の伝えている手法を誰よりも多く実践し、
自らの内面と向き合ってきたとも言っていました。
だからこそ意図的に人と関わることができて、
相手の気持ちを汲み取りながらメッセージを届けることもできるんでしょう。
僕が付き人的に気を遣っていた日本文化的な意図についても
かなりの部分を汲み取ってくれていたようでした。
それに対して直接的に言葉でコメントをしてくれることもありましたし、
それに応えるような意図を間接的な表現で示してくれることもありました。
お互いに気を遣っていて、自覚的なコミュニケーションがなされていて、
それは漫然と気軽に過ごすタイプの時間ではありませんでしたが、反面
丁寧に心を込めた時間だったともいえるかもしれません。
いろいろな意味で貴重な時間を過ごさせていただきました。
ちなみに時間的余裕があるはずの都内のホテル滞在でしたが、
自分がセミナーをやっているのとは質の違う疲労感が大きくて
のんびりした時間にはなりませんでした。
疲れて眠るだけ、といった感じ。
ある日には、急に「講座中に動画を見せたい」という話になって
その内容の書き起こしと翻訳をホテルでやったりもしました。
こちらに関しては結局、睡眠時間がむしろ削られてしまう形。
まぁ、自宅に戻っていたら終わらなかった作業でしょうから
ホテルを取っていて大正解、といったところですが。
普段だったら電車で通うような場所に泊っていることも含め
なんだか非日常的な時間だった印象です。
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札幌に来ました
http://rikei.livedoor.biz/archives/51559483.html
とても慌ただしい日が続いていました。
たまたま多くのことが重なっている感じですが。
セミナーだけなら体力の問題ですから
休むことに注力すれば対応可能です。
そこにデスクワークが重なると回復が追いつかなくなるというか、
手が回らない印象が出てきてしまいます。
...
cozyharada
2019-10-25T23:02:14+09:00
NLP
たまたま多くのことが重なっている感じですが。
セミナーだけなら体力の問題ですから
休むことに注力すれば対応可能です。
そこにデスクワークが重なると回復が追いつかなくなるというか、
手が回らない印象が出てきてしまいます。
例年通り、この時期は書道の作品制作なんかも重なって
時間をとるのが大変になりがちです。
今年は11月の頭に、アメリカから講師を招いて行うセミナーがあって
そちらのお手伝いが予定されてまして、その関係で
とりわけ慌ただしさが増しているような印象です。
準備もさることながら、その期間に動けないのも
前倒しでバタバタした時間を増やしている気がします。
そんなこともあって今回の書道の作品は、一枚書き上げるのに
あまり時間のかからないものを選んではいるのですが…。
それでも余裕はなくなっているのを実感します。
珍しく語学で欠席することも増えてしまいました。
日本語から離れるとリフレッシュできる部分があるのは知っていても
身動きが取れなくなると休息が優先されがちです。
混んでいる電車に乗らないといけないのも
語学を休む大きな理由かもしれません。
近頃は、平日にセミナーがある日に
朝早く自宅を出るようになりました。
集合時間に丁度いい時間を狙って行こうとすると
どうしても朝の通勤ラッシュの影響を受けてしまいます。
以前はそれでも我慢して乗っていたんですが
最近は早く行くほうが楽に思えてきた形です。
セミナー会場はビジネス街にある建物を利用することが大半のため
近所の店も7時からしかオープンしません。
なので7時に現地に到着して、コーヒーでも飲みながら待機する。
その間、パソコンで作業をしたりして。
…そんなスタイルなら良いかと思っていました。
が、実態はそんなに甘くありません。
7時に到着する時間だと、すでに電車は混み始めています。
ギュウギュウ詰めではないものの、
すぐ近くに人が複数立っているような状態にはなってしまいました。
ちょっと揺れると隣の人と当たってしまうぐらいの混み具合。
6時台の電車はすでに混んでいるようなんです。
7時ごろに都心に到着して時間を潰すスタイルの人は
それなりに多いんでしょう。
ということで仕方なく、僕は5時半ごろに出て
セミナー会場の最寄り駅には6時半前に到着するスタイルとなりました。
これなら、まぁ多少は電車内も余裕があります。
僕が乗る駅で、運が良ければ座席が車両に1,2か所あいているぐらい。
とはいえ、大体そういう空席は、体格の大きい人の影響で
スペースが狭めになっていて敬遠されている空間です。
ですから空席があっても、当然、立っている人たちもいます。
多少はパーソナルスペースを保ったまま目的の駅まで辿り着ける。
そのぐらいの混雑度合いです。
6時前の時点でこんなにも利用客が多いのかと思うと
東京の電車事情はスゴイものだなぁと感じます。
そして会場の最寄り駅に到着する時刻では
どこの店も開いていませんから、
7時の開店まで時間を潰さなくてはいけません。
セミナー会場の建物については、入館証があるので
とりあえず非常口を通って入ることまではできます。
しかし電気がついていないんです。
なので、ここで暗い中を待機をするか。
あるいは駅のホームで時間を潰すか。
あとはコンビニあたりでウロウロしているか、でしょうか。
今のところ選択肢はこれぐらいです。
ということで、平日のセミナーの日は早起きなんです。
10年以上前、名古屋で平日にセミナーをやっていたころは
自宅の最寄り駅に6時に着くぐらいの出発時刻だったものです。
それで名古屋駅に8時半過ぎに着いて、
セミナー会場の集合時刻9時には余裕がある感じ。
その頃よりも出発が早まっているんだから妙な気分です。
で、講師が眠気を我慢しながらセミナーをやるわけにはいきませんので
前日も早めに就寝するようにしています。
これもまた全体的なスケジュールを慌ただしくさせている要因でしょう。
そしてセミナー終了後、帰宅するための電車も、混雑を避けるために
空いている電車が来るまで乗らずに待っていたり、
少しでも混雑が少ないルートに迂回したりして余計に時間がかかります。
なんとも都会の生活が厳しくなってきたようです。
11月頭にお手伝いするアメリカ人講師のセミナーに関しても
平日の日程が入ってしまいますから、通勤が少し心配なところ。
それと比べると、札幌は時間がゆっくりな気がします。
特に10月末のこの時期は観光客も少なめなようで
なんだか落ち着いた印象を受けます。
空港からの電車も、あんなに空いていたのは初めてでした。
外国人観光客が少ないのでしょうか。
雪もまだなく、気温も都内とさほど変わらず、まだ秋の様子です。
慌ただしい日が続いていただけに、いくらか気が楽になる感じがします。
残念なのは、たまたま泊まったホテルに団体客がいて声が大きいのと、
ホテルの全館空調が強烈な暖房として入っていて
暑苦しくて眠れないところぐらい。
北海道の人は暖房の設定が強めのようです。
一長一短ですね。
外国人観光客が少なめの時期だから、国内の団体客が入る。
まだ冬にならないから暖房が効きすぎて暑い。
そんなに都合よくはいかないものなんでしょう。
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比べると気づける
http://rikei.livedoor.biz/archives/51559245.html
数年前までは海外ドラマの『メンタリスト』のDVDが
一年に一度、1シーズン分として発売されていて、
これを毎年購入して見ていたんです。
内容はもちろん毎回、展開がありますが
メインとなる登場人物は基本的に同じ。
ボキャブラリーも似通ったものになりやすいと...
cozyharada
2019-10-13T23:56:27+09:00
コミュニケーション
一年に一度、1シーズン分として発売されていて、
これを毎年購入して見ていたんです。
内容はもちろん毎回、展開がありますが
メインとなる登場人物は基本的に同じ。
ボキャブラリーも似通ったものになりやすいと思われます。
なので、一年に一度、このDVDシリーズを見ると
自分の英語のリスニング力をチェックできていたんです。
一年ぶりに同じシリーズに接したとき
前よりも内容が英語のまま入ってきやすい。
となると聴解力が上がっているのではないか。
そんな判断材料でもあったわけです。
ところが最近は海外ドラマのDVDを買うこともありません。
たまにアメリカに行ってテレビを見れば
確かに英語のチェックにはなります。
ただ、これは比較が難しいんです。
同じシリーズだから比べる基準があったんだと実感します。
また先日も海外のトレーナーを招待して
そのコーディネーター役をやったんですが、
こちらもやはり初対面なので対比は難しい。
むしろ事務的なやりとりをするための日常的なボキャブラリーが
使えるものになっていないためにスムーズでない体験をして
そちらばかりが際立って印象に残ったりもしました。
というわけで自分の英語について振り返る機会もなく、
英語力が伸びているのか自覚できていなかった、という話です。
で最近、11月に再来日するアメリカ人講師の講座について
テキストの一部をチェックする機会があったんです。
そのテキストも翻訳は、前書きを除いて僕が数年前にやりました。
もうハッキリとは覚えていないため、前書きの日本語を見たとき
「こんな訳を自分がするかな?」と感じることがあったんですが、
調べてみたら、その部分に自分の関与はありませんでした。
むしろ本文に入ると、なんとなく見覚えがある。
完成版を見て違和感のあるところをチェックすると、
自分の翻訳とは少し表現が変わっている部分でした。
最後にまとまて編集をした方が、
用語の統一や日本語の理解しやすさのために
手を入れたんだろうと思われます。
そう考えると、意外と記憶に残っているものなんだと思えました。
英文のほうに変更点があるということで
一通り元の文章をチェックしながら見直してみると、
自分の日本語訳なので、奇妙なところはすぐに見つかります。
こんな訳をするかな?と思って
古いテキストの英文と、新しい英文とを比べると
その部分に変更が見つかる。
そんな感じでチェックを進めました。
すると、そもそも英語の訳のニュアンスとして
あまりシックリこないところもあったんです。
英文のほうで変更はないけれど、
数年前の自分の訳の仕方がイマイチ。
その理由で手を入れ直した部分があります。
これは数年前に自分が翻訳したものだから
今の自分と対比させることができた、と言えそうです。
英語の理解力として、数年前よりも、いくらかは
細かい意味を捉えられるようになったのかもしれません。
当時は馴染みがなくて
適切な日本語を見つけられなかった英語のフレーズも、
ここ数年のうちに何度も接して、自然と意味を掴んでいた…
そんな可能性もありそうです。
いずれにしても、自分のやったことを改めてチェックすると
改善点の形で「新たに気づけるようになったこと」が
浮き彫りになってくるようです。
おそらくこれは翻訳だけではないでしょう。
自分が英語で書いた文章も何年後かにチェックすると
自分の英語力の伸びを自覚する材料になりそうです。
語学だけにも限らないはずです。
自分が過去に作った資料を数年後に見直す、なんていうのも
自分の理解の深まりを知る機会になるんじゃないでしょうか。
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ポイントが失効するまで
http://rikei.livedoor.biz/archives/51559021.html
随分とブログを放ったらかしにしていました。
二週間ぶりぐらいでしょうか。
ですが、それ以上に久しぶりだったのが本屋です。
先日、新宿の大型書店で本を買いました。
以前は頻繁に通っていた、お気に入りの本屋。
そこは書店には珍しくポイントカードがあって
大量に本...
cozyharada
2019-10-03T23:15:50+09:00
NLP
二週間ぶりぐらいでしょうか。
ですが、それ以上に久しぶりだったのが本屋です。
先日、新宿の大型書店で本を買いました。
以前は頻繁に通っていた、お気に入りの本屋。
そこは書店には珍しくポイントカードがあって
大量に本を買い込んでいた時期には、いくらかお得に利用できたんです。
しかもそちらには併設のカフェもあって、一定額以上を購入すると
そこで使えるコーヒー一杯無料券をサービスしてもらえました。
(多分、今でもあるんじゃないかと思いますが)
本をたくさん読んでいた頃の僕は、3,4冊をまとめ買いしては
そのままカフェに移動して、そちらで買った本を読む…
なんてパターンをよくしていたんです。
大型書店には喫茶店併設のことは意外とあるものですから
この「まとめ買い→もらったチケットでコーヒーを飲みつつ読書」
の行動パターンは、何軒かの本屋でやっていたものです。
ですが新宿のその書店は、店内の雰囲気がオシャレな感じだったり、
本の探しやすさ、中身をチェックするときの空間的余裕があったり、
大型の割りに人が少なめだったりと、
色々な点で他の書店よりも僕の好みに合っていたようなんです。
ですから僕の住まいには、そちらの書店のブックカバーがついた本とか
そちらの書店のビニール袋に入れて小分けにした物とか、
ヘビーユーザーだった痕跡が沢山あります。
当然、そちらで発行しているポイントカードには
それなりの額のポイント残高があったと記憶していました。
ところが先日、久しぶりにそちらの書店に足を運び、
三冊ぐらい本を買ってみて驚きました。
ポイントが全て失効していたんです。
随分と久しぶりの気がしていましたが、
どうやら年単位で行っていなかったみたいです。
こんなにも時間の経過が速いとは…。
そして、こんなにも長い間、本から離れていたとは…。
もちろん、本を全く読まなかったわけではありません。
たまにAmazonで購入したりはしていましたし、
洋書をKindleで読むことはありました。
それでも量は確実に減っています。
何より、読む本のジャンルが変わってしまっていますから
それで本屋に行く頻度も下がったんだろうと思います。
思い返せば、僕が最初に本を読むようになったのは
大学生の頃、心理読み物の本でした。
一般教養で精神分析の授業を取って、その教授が加藤諦三氏だったので
そこからその先生の本を読むようになりました。
応用化学科に在籍していた当時から、心のことは好きだったんでしょう。
キャンパス内にも教科書をメインで販売する大学生協の書店がありましたが
一般書も一部売られていたので、そこでも本を見ていた思い出があります。
大学院の頃だったか、今でこそ大人気の内藤誼人氏が最初の本を出版して
平積みになっていた本を立ち読みして、すぐに購入、
これも夢中で読んだ記憶があります。
おそらく僕が心理系の技術、コミュニケーションの”方法”というものに
興味を持ったのは、この本からだったはずです。
そして心理系・コミュニケーション系に興味を持ったまま
会社員になって、山口県に3年ほど住みます。
このとき、初めて尽くしのストレスが重なり、
気分転換に利用できる娯楽が本ぐらいしか見つからなかったため、
一気に本を読む量が増えました。
本当は運動でもすれば気分も発散できたのでしょうが、
鬱々とした時期は、意識が内攻的になる分
体を動かすよりも本を読みたくなっていたんだろうと思われます。
その後、転勤で東京に戻ってきて、なんとなく速読教室に通い始めます。
当時の動機は「英語の論文を早く読みたい」というものでした。
まだ研究を頑張るつもりでしたから。
このときが「お金を払って何かを勉強しに行く」初めての体験です。
小田急線で新宿に出て、JRで池袋に移動、
そこにあった速読教室に行っていました。
当然、道中には大型書店が数軒あります。
速読のトレーニングをしているわけですから
自分で買って本を読む「実践」の頻度も上がりました。
そのときにビジネス書や自己啓発書を読むようになったんです。
そして少しして、NLPの講座に参加しました。
割りと高額のセミナーに参加する決意ができたのは、それ以前に
速読教室で「お金を払って勉強する」下地を作っていたからでしょう。
そしてNLPを一気に一通り学び、あとは専門的な知識を得るために
NLP関連の本、心理学の本、心理療法の本、脳科学の本などを読み漁りました。
専門書が増えた時期です。
しかし、そういう専門書の購入量も数年前から減ってきていました。
良くいえば、ある程度は自分の中で理解がまとまってきた、ということでしょう。
専門家として自分の見解がまとまり、他の専門家を対等に見るようになった…
とも言えるかもしれません。
研究職時代に論文を読むのは、あくまで他の研究者の事情を把握して
世の中全体で得られている情報をシェアするためでした。
何かを教わろう、学び取ろう、という話ではありません。
そんな感じに似ていると思います。
他の専門家の見解や、新たに発見された科学的な裏付けを
情報としてチェックすることはあっても、
「専門家が書いた本から学ぶ」というスタンスは減ったみたいです。
自然と「インプットのための読書」をする機会は少なくなりました。
むしろ娯楽としての読書の側面が高まったかもしれません。
が、娯楽の頻度は決して高くありません。
本屋を離れるのも不思議ではないでしょう。
最近になっても購入することがあったのは語学関連の本。
これは「本から学ぶ」とか「読んで楽しむ」とかよりも
語学のトレーニングのための練習素材として、の趣旨が強いです。
あまり読書とは言えない気がします。
自習教材を買っているだけ。
そして自習教材となると、書店が全てではなくなります。
むしろ評判のいいものを手に入れるには、通販が都合が良かったり。
なので書店で本を買うことも減っていたんでしょう。
数年間もお気に入りの本屋で購入しなかったのも納得です。
買う本の種類によって
どのように自分の興味の対象が移り変わっているか
を客観的に把握することも可能です。
同時に、書店の利用目的によっても
自分の「本に対するスタンス」がどのように変わっているか
を振り返ることもできるようです。
本が密接に関わっていた過去があるからこそ
本との関わりを通じて振り返れる内容も大きいのかもしれません。
ちなみに先日久しぶりに買った本は、すべて仏教系のものでした。
そのあたりも自分の変遷を感じさせます。
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【札幌開催セミナー】第3回実践心理学研修会
http://rikei.livedoor.biz/archives/51558815.html
10月26日、27日の土日に、札幌で講座をします。
(詳細はこちら>>
メインテーマは『心理分析』です。
心理分析といっても精神分析のようなものとは異なります。
分析という観点では共通する部分もありますが
もっとも大きく異なるのは「心」そのものの取り扱いです。
基...
cozyharada
2019-09-21T23:52:34+09:00
セミナー情報
(詳細はこちら>>
メインテーマは『心理分析』です。
心理分析といっても精神分析のようなものとは異なります。
分析という観点では共通する部分もありますが
もっとも大きく異なるのは「心」そのものの取り扱いです。
基本的に「心」を扱うものは、「心」を1つのモノと捉えます。
1つの身体に1つの心。
そういう発想です。
そしてその1つの心の性質を見ようとするわけです。
「こういう人には、どんな心理があるのだろうか?」と。
ここが人の心を理解するのを難しくする要因です。
心を1つのものと想定すると、
1つのものとして一貫した性質を知りたくなります。
一人の人なのだから「この人は~な人」というパターンは変わらない。
そんな前提が生まれがちです。
しかし実際には、その時々で違ったパターンの行動をすることもあります。
いつもと違うとか、地雷を踏んで感情が激変するとか。
昨日と言っていることが違うとか、意外な一面が出るとか。
「え?こんなはずでは…」と、驚きとともに
パターンが崩れることに戸惑うわけです。
そして「あの人の気持ちが分からない」という結論に至る、と。
「いったい、あの人の本音は何なんだ?」と分からなくなるんです。
1つの本音というものを探すから見つからないんです。
そうではなくて、「心は1つのもの」と想定する代わりに
「心は集合体」と想定する。
心という容れ物の中に、様々な意見をもった役割が集まっている。
これをNLPでは『パート』という呼び方をしています。
喩えるなら、中学校の1クラスのようなものです。
様々な生徒がいます。
それぞれが違った意見を持っています。
そして場面ごとに主に活躍する生徒が決まっているんです。
授業中によく発言する勉強の得意な子、
サッカーのときに司令塔役をやる子、
生徒会のときにクラスの意見を提出する学級委員、
他校とケンカになったときに先頭に立つ番長…。
違った性格、違った特技をもった生徒が
ある場面で前面に出てくる感じです。
それぞれの意見や考えが違っても不思議ではありませんし、
まったく違った性格をしていても不思議ではないでしょう。
個人の心と、中学校の1クラスが異なるのは
中学校だと全員がバラバラに同じタイミングで話すことができますが、
個人の場合には口が1つしかないので同時に複数の意見は話せない、
ということです。
だから生徒が一人ずつマイクを渡し替えて
そのそきに前面に出ている生徒が話をする形になる。
一人ずつしか意見を聞くことができないクラスのようなイメージです。
決まった条件になると前面に出てくる生徒が入れ替わるんです。
そのとき、さっきまでと意見や態度が変わって聞こえます。
「あれ、急に別人のようだ…」と。
別人なんです。
別パートなんです。
1つの本音を探すのではなく、
登場してくる「心の中の担当者」全員分について
それぞれ意見を聞き分ける。
そうやって、心という容れ物の中で展開している
「動き」を捉えます。
これが今回紹介する心理分析の第一歩です。
他の種類の心理分析やプロファイリングと異なる特徴です。
そして心を集合体として、その中での動きを捉えられたら、
それぞれの担当者の心理分析をします。
では、このときの心理分析で何をするか?
原則的に心理分析をするのは、理解したいからでしょう。
相手のことを理解したい。
人の気持ちを知りたい。
その先には多くの場合
「理解できれば、うまく対応できるはずだ」
という見込みを持っているはずです。
つまり自分が望む結果に繋がるように、相手に働きかけたい、と。
セールスであれば、買ってもらう方向へ。
頼みごとをするのであれば、引き受けてもらえる方向へ。
クレーム対応であれば、落ち着いて納得してもらえる方向へ。
部下に指示するのであれば、指示通りに動いてもらえる方向へ。
子供との関りであれば、素直に言うことを聞いてもらえる方向へ。
気まずい間柄であれば、仲良く打ち解けられる方向へ。
…さまざまな思惑があるはずです。
相手の行動が、自分の望むほうへ向いてくれるように働きかける。
これを『動機づける』と言います。
英語でいうと motivate ですから、
「動機づけること」が「motivation」となります。
よく日本語では「モチベーションを高める」のような言い方をしますが、
それはまさに、
自分の望む方向へ相手を『動機づける』
ことだと言っていいでしょう。
ここで本講座が、心理分析とモチベーションを同時に扱う理由です。
相手の心理を理解して、相手を適切に動機づける。
少なくとも、自分の想定通りに動かない人について
その心理を理解することができる。
そういう趣旨で講座を進めます。
動機づけをゴールとして相手の心理をするのだとしたら、
では具体的に何を「分析」して、何を理解すればいいのでしょうか?
たとえば典型的な心理分析として挙げられそうな精神分析では
『欲求』や『原因』を理解しようとします。
欲求とは、人間に備わった基本的な性質ということですから、
「人間は基本的にこういうことを求めて行動する」のような情報として
理解をするうえでの土台となる知識になります。
原因はストーリー展開です。
「こういうことがあった。だから、こういう風になった。」
のように妥当な因果関係を見つけようとするやり方です。
現在の心理について、そうなるに至った過去の出来事を見つけて
「過去にこんな体験をしていれば、今こういう考えになるのは当然だ」
という形で分析を行うわけです。
あるいはプロファイリングなんかも典型的な心理分析のイメージでしょう。
こちらはパターンを把握します。
行動パターン、思考パターンなど、
その人の中にある決まった傾向を調べる。
そうすると、
「この傾向の人は、こういうことがあると、こんな反応をする」
などの予測がつくようになります。
原因は気にせず、とにかく傾向が調べられればいい、というスタンスです。
プロファイリングの場合は、認識できるパターンの数が多いほど
精度高く人を分析することが可能になります。
なのでコンピューターを使って数百もの行動パターンを把握して
その人の行動を予測しようとするようなものまであります。
実用的には個人が把握できる数には限度がありますから
主な数パターンから、十数個のパターンぐらいを見ようとする
というのが一般的でしょう。
それに対して、今回の講座で行う心理分析は
原因分析や欲求の理解でもなければ、
複数のパターンを調査するプロファイリングでもありません。
『目的』の分析をします。
そのような振る舞いをする目的を理解しようとするんです。
「何のために?」と。
相手の振る舞いの目的が分かれば、
その目的を満たすように対応することで
相手の気持ちを落ち着けることができます。
そもそも動機づけをするときには
「こちらが望む方向へ」動いてもらう狙いがありますが、
その前提には「なかなか望むように動いてくれない」状況があります。
なぜ動いてくれないのか?というと、それは
相手には相手の望む方向があるからです。
自分と相手、それぞれが別のことを望んでいる。
そこで自分の望む方向にだけ無理やり動かそうというのは
いささか都合が良すぎます。
相手には相手の言い分があり、相手の望むことがある。
その相手の望んでいることが「相手の目的」です。
なぜこちらの望む方向へ動かないのか?
その心理として「そちらへ動かない目的」を理解する必要があります。
目的を理解できれば、その望んでいることを満たしてあげられる。
相手の望んでいることを満たしつつ、
こちらの望んでいることを満たしてもらう。
相手にとっても自分にとっても望む方向に動いてもらうわけですから
納得して動いてくれるようになる可能性は格段に高まります。
だから相手の振る舞いの『目的』を知りたいんです。
相手の望んでいることを満たせるように心理分析をしたいんです。
原因分析だと、これは簡単には成り立ちません。
原因分析が適切にできると、自分の側に納得感が起こります。
現状の振る舞いの理由が妥当なものに見えてくる。
「そういう事情があったんなら当然だなぁ」と。
自分の望むように動いてくれていない現状が
「それだったら、やらなくて当然か」と納得してしまう。
諦めがつくという意味では役立ちますが
望む方向には進んでいきません。
原因分析をベースに動機づけようとしたら、そこからもう一度
「だったら、どうしたら動いてもらえるだろうか?」と
効果的な対処法を新たに考え始める必要が出てきます。
それが目的分析だと、もっとシンプルなんです。
最初から相手が望んでいることを理解しようとする。
理解できたら、その望んでいることを満たしてあげればいい。
分析結果と対応が直結しているところが大きなメリットだといえます。
ということで、この講座の趣旨は…。
自分が望むほうへ相手に動いてもらいやすくするために
相手の現状の心理を分析する。
そのとき心という容れ物の中で起こっている「動き」を捉え
それぞれの担当者に注目する。
その担当者の「目的」を捉える。
そしてその目的を満たすように、自分の関わり方を調節する。
…このようなものだといえます。
理解するために必要な知識を紹介することもありますが
大部分は実習の予定です。
さまざまな実習を通して経験的にコツを身につけていただく狙いです。
講座に参加するだけで巧みな分析ができるまでは到達できないでしょうが、
最初の一歩としては相当な”大股の一歩”を踏み出すことにはなるはずです。
あとはどれだけ実践を重ねるか。
トレーニング法は講座中に紹介する実習そのもので十分でしょう。
必要なレベルまで、人の心を理解する技術を高めて頂ければと思います。
そんな講座です。
詳しい情報とお申込みはこちら をご覧ください。
https://hsmana.com/kenshukai3?fbclid=IwAR19JT-ull1MvfpvmqvBEzMBGehAh8EHOGNbP8XqvEJwq3w_09Pywu_1Te0
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干からびる理由
http://rikei.livedoor.biz/archives/51558615.html
食事を変えてから「痩せた?」と聞かれることが増えてきました。
それで体重を測ってみることに。
まあ、少し減ったようです。
が、それ以上にビックリしたことがありました。
週末に2日セミナーをやると、
月曜日の体重が1.5キロぐらい減っているんです。
...
cozyharada
2019-09-11T23:42:13+09:00
NLP
それで体重を測ってみることに。
まあ、少し減ったようです。
が、それ以上にビックリしたことがありました。
週末に2日セミナーをやると、
月曜日の体重が1.5キロぐらい減っているんです。
セミナーの日も普通に食べます。
むしろ食べる量は増えているぐらい。
何より、2日で1.5キロも肉が減るわけはなさそうですから、
おそらくは水分で体重が変わるんでしょう。
実際、一日休むと、次の日には戻りますし。
どおりでセミナー翌日は全身がカサカサになっているわけです。
しかしながら、セミナーの日は水分も採っているんです。
それもかなり多めに。
食べ物の分を除いて、飲み物として3リットル以上。
それが汗と尿で排泄されてしまうようです。
体重が減るということは、まだ足りないのか…。
でも飲んでとしても出てしまいそうな気がします。
そもそも代謝が変わるんでしょう。
セミナーのときは自律神経の働きが変わるのかもしれません。
まあ、たいした問題ではありませんが。
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調べれば見つかる
http://rikei.livedoor.biz/archives/51558546.html
調べてみると世の中には便利なものがあるんですね。
インターネットがあるからこそ見つけられるわけですが、
今のような情報化がなされる前には
詳しい人に直接教えてもらうぐらいしか方法が無かったのかもしれません。
僕の出張用のカバンには、
移動中に使う用途のイヤ...
cozyharada
2019-09-07T23:56:21+09:00
NLP
インターネットがあるからこそ見つけられるわけですが、
今のような情報化がなされる前には
詳しい人に直接教えてもらうぐらいしか方法が無かったのかもしれません。
僕の出張用のカバンには、
移動中に使う用途のイヤホンを入れっぱなしにしてあります。
随分と前に購入して、普段使いには少しだけ不便なものだったので
使用頻度の少ない出張用にしてしまった形です。
どうもケーブルが細いのか、クルクルと丸まってしまったり、
絡み合ったりして使い勝手がよろしくないんです。
そもそも音色へのコダワリはあまりないので
高級品を買う必要もないんですが、
丸まったり捩じれたりしたケーブルが首に当たるのがどうも好きではない。
それでも新幹線とか飛行機の中だけのつもりだったので
我慢して使い続けていました。
ただ最近は、コンビニでも安いイヤホンが売っているぐらいですし、
安くてもケーブルが丈夫そうなのがありますから
わざわざ不快な思いをし続ける必要もなさそうに思ってきました。
それで少しだけネットでイヤホンを調べてみたんです。
主な用途は出張を中心にした長距離移動の最中。
乗り物の中が前提です。
そうすると、ノイズキャンセリング機能というのが良さそうな話が見つかります。
とくに飛行機の中だと、常になり続けている「ゴーッ」という低音が
大部分をキャンセルして静かになるとのことでした。
体で感じる振動だけでなく、耳から感じる振動もストレス要因らしく
人によってはノイズキャンセリングのイヤホンやヘッドホンを使うだけで
疲労感が激減するらしいんです。
これは試してみたい。
ヘッドホンは耳が圧迫されて痛くなるので
イヤホン形式で調べてみると、
比較的リーズナブルなものもあるようでした。
ここ数年は、年に1,2回、海外に行く機会がありますから
長時間のフライトにも望ましいのではないかと思えてきます。
ひょっとしたら飛行機の中で寝られたりして…なんて
甘い期待も少し持っているところです。
で、飛行機と関係させながら気にして調べ続けていると
飛行機用のイヤホンジャックなんてのも見つかりました。
国際線の場合、だいたいは、各座席に専用モニターがついています。
その音声は、同じく各座席のイヤホンジャックから
ヘッドホンやイヤホンを使って聞く形式です。
前述のとおり、僕はヘッドホンで圧迫されて耳が痛くなるのが苦手です。
2時間の映画一本をヘッドホン使用で見ようものなら
その痛みから高確率で片頭痛に発展するんです。
なので通常は自分のイヤホンを使います。
ところが、飛行機の種類によっては
座席に設定されているイヤホンの差込口が2穴のことがあります。
普通のイヤホンジャックは一本の棒ですが、
飛行機によっては日本の棒が差し込まれる形なんです。
先端が枝分かれしている、と。
そこに普通のイヤホンを差し込むと
音が片耳からしか聞こえません。
2つの穴が、それぞれの耳の音に対応しているんでしょう。
それでステレオ音声を作り出す仕組みなんだと思います。
厳密には、片方が普通の音量で、もう一方がすごく小さい音
なだけですから、まったく映画が楽しめないわけではありません。
なので僕は音質が悪くても我慢して
片耳メインでイヤホンを使っていました。
そうやって長時間のフライトの間、映画を見ていたわけです。
しかしながら世の中には、
飛行機の2穴の差込口に対応した変換プラグが存在するようです。
これを接続すれば、普通のイヤホンを使って
飛行機のモニター用の音声をステレオで両耳で聞くことができる。
しかも数百円程度です。
別に新発明なわけでもないんでしょう。
ただ僕が知らなかっただけ。
それで僕は数年にわたって、片耳の音で何時間も我慢していたんです。
知らないだけで損をするというか、
知っていさえすれば簡単に対応できたというか。
調べてみれば便利なものがあるんだ、という話です。
これとノイズキャンセリングのイヤホンを組み合わせたら
もしかすると国際線の飛行機移動も随分と快適になるのではないか…
そんなことを想像して、少し楽しみになってきています。
自分が思いついて対処する範囲なんて限られているものなんでしょう。
詳しい人だったら簡単に、もっと効果的な解決策を知っているかもしれない。
自分の思いつく「その場しのぎ」に固執せず、
よりよい解決策を探してみるのも良いような気がします。
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通訳に向いているかどうか
http://rikei.livedoor.biz/archives/51558456.html
インターネットの検索結果が広告内容と関連するのは
もうすっかり当たり前になった感じもしますが、
広告の閲覧履歴なんかも、次の広告表示に影響するようです。
スマホでうっかり触ってしまって偶然に広告を開いてしまったりすると
その後、似たような内容のものとして表示...
cozyharada
2019-09-02T23:50:17+09:00
NLP
もうすっかり当たり前になった感じもしますが、
広告の閲覧履歴なんかも、次の広告表示に影響するようです。
スマホでうっかり触ってしまって偶然に広告を開いてしまったりすると
その後、似たような内容のものとして表示されたりしますし。
僕の場合、外国語関連の検索をしたりすることが多く、
自然と広告にも外国語のものが多い印象を受けます。
そうはいっても英語のニーズの高さは
他の外国語と比べものになりませんから、
表示されてくる広告も当然、英語関連ばかり。
勉強法やら英語コーチングやら、英会話カフェやら、スクールやら。
先日は通訳学校の広告も出てきました。
英語力を土台から高める、という観点では
通訳のトレーニングは効果的かもしれないと感じるところもあります。
実際、チョット興味があるんです。
一方で、英語と日本語が常に行ったり来たりする状態になっていると
切り替えがどうなるのか、という心配もあります。
「通訳モード」みたいなのが出来上がるのかもしれませんが
普段、英語だけ、日本語だけを話しているときには
どういう感じになるんでしょうか?
僕が見ている感じでは、通訳をやっている人には
NLP的にいうと、1つの体験にアソシエイトしやすく
同時に抽象度の高い作業に意識が向きやすい傾向がありそうな印象です。
目の前のことに集中することができて、
しかも法則やパターンとして持っているものを
堅実に使い続けることができる。
また、要領がよくて、瞬間的にポイントを掴む能力にも長けた傾向です。
細かいことを考えすぎて進めなくなるタイプではない感じ。
実際、通訳をしている最中に、
「もっとこっちのニュアンスのほうが近いかも…」
なんて気にしている時間的余裕はないのかもしれません。
一字一句を覚えて、翻訳をするわけでもないようですし。
話の内容を押さえて、それに対応する日本語の文章に変換する。
その意味で、通訳は「translator」ではなく
「interpreter」と呼ばれるのかもしれません。
フランス語からスペイン語のように、近い言語であれば
単語と単語で一対一の変換を行って、
同じ構文を使って正確な翻訳作業もできる可能性はありそうですが、
日本語と英語のように文法的にも単語としても大きく異なる言語では
会話の最中に「翻訳」をすることは困難だと想像されます。
むしろ意味合いを理解して、元の意味合いに近い内容を
日本語に置き換える作業のほうがスムーズなんじゃないでしょうか。
だから「解釈」の意味を持つ「interpret」が使われる、と。
調べてみると、通訳学校でも要約のトレーニングをするらしいです。
一字一句を正確に覚えることより、意味を捉えることが現実的には重要…
ということを示唆しているような気がします。
ですから、ポイントを掴みとる能力が高い傾向、
チャンクアップ能力が求められる分野なのではないか、という話です。
通訳のトレーニングをするうちに、その能力が高まる人もいるでしょうし、
もともとその傾向が高い人が通訳になりやすいとも言えそうですが。
じゃあ、僕はどういう傾向かというと、
ちょうど真逆なフシがあります。
細かい違いに目が向きやすく、要領が良い方ではありません。
1つの言葉についても、極力、元の意味に近いものを探したくなってしまう。
翻訳作業なんかをすることもありますが、この理由で時間はかかるとはいえ
自然な日本語に近い言い回しで、かつ元の意味合いを維持する
という方向性のほうが得意なように思います。
よく使われる日本語の意味として曖昧なものがあったりすると、
そういう単語は選ばないように気をつけたくなってしまうんです。
例えば、NLPとか瞑想とかで出てくる「awareness」という単語。
辞書では「気づき」という訳語が与えられることが多いですが、
これは「気づいている aware」という形容詞の名詞化されたものです。
だから「気づいていること」のほうが正確なんです。
「気づき」と言ってしまうと、一般的な日本語では
「気づく」という一瞬の変化を説明する動詞が想定されやすいはずです。
「今日は、こんな気づきがありました」
「やってみて、どんな気づきがありましたか?」
のようなニュアンス。
「発見」に近いんです。
finding とか realization とかのほうが日本語の「気づき」に近い。
すごく訳しにくい言葉だと思います。
翻訳であれば、訳注をつけたり、元の単語を併記したりして
誤解を防ぎやすくすることも可能でしょう。
ですが、通訳の場合、そこまでの時間的余裕はないんだろうと思われます。
結果、多くの場合、一般的に使われる単語に置き換えて話が進む。
細部の正確さよりも、聞いている人が全体として理解できる方が
重視されるところもあるんでしょうし、なにより
聞いている側がそんなに細かいところを気にしているわけではない、
というのも大きいと思います。
話を聞いていて、一字一句を覚えている人なんていませんから。
全体の内容が掴めるようにするほうが重要なんだろうと想像します。
(もちろん、一流の通訳者になると
全体のスムーズさと、細かな単語のニュアンスと
両方を扱えるんだろうとは思いますが)
それに対して、僕の傾向としては、そういう細かい単語の意味の違いとか
理解しやすい日本語の文章構造とか、自然な言い回しとか、
全体からしたら大して重要ではない詳細に意識が向きやすいところがあります。
これだと翻訳はできても、通訳は難しいのではないか?
という気がしてなりません。
また僕は、1つのことに集中しにくい傾向も強いんです。
集中するというよりは、常に意識が分散していて
色々なことが複数、頭の中で展開している印象があります。
目の前の作業に集中できれば、少し前のことは終わったこととして
1つ1つ目の前で話されるものを着実に翻訳しやすいだろうと想像できます。
一方、複数のことを同時に意識する傾向があると
目の前の作業をやりながらも、以前のことも常に気にしている感じになる。
訳し方として複数のアイデアが浮かんできたら、
その全てを同時に意識してしまうので、選ぶ作業も負担になります。
多分、スムーズに口から言葉が出てきにくいと思います。
実際、英語のスピーキングのテストの対策講座なんかでも、何度となく
講師から「話す前にも、話しながらも、考え過ぎている」と指摘されます。
英語力を測るテストなのであって、内容は重視されていない。
だから適当に話し続けることのほうが大事。
…そうは言われても、質問されると沢山の考えが頭に浮かんできますし、
話しながらでも自分が言ったことが頭から離れません。
常に複数のことを同時進行で意識しているため
発話のスムーズさが妨げられる傾向があるようです。
まぁ、これは日本語でも起こっていることなんですが。
質問されると答えを見つけるまでに時間がかかります。
この意識を分散させやすい傾向は、物事の関連性を見つけるのに役立ちます。
なので「ポイントを掴む」という意味での要領はよくありませんが、
他のことと関連づけながら「理解する」というのには有利なようです。
ところが通訳は、自分が理解することが目的ではありません。
むしろ自分の知っている他のことが浮かんできたら、
それは気が散るだけのことになってしまいそうです。
通訳しながら「あれ?じゃあ、あれとの関連はどうなっているんだろう?」
なんて質問をするわけにはいかないわけです。
通訳としては1つ1つの話を着実に変換することが重要で、
その話の内容に疑問をもつ必要はないはずです。
…というより、むしろ疑問をもつことは
スムーズに発話するのを妨げるものにしかならないでしょう。
そして心配材料。
日本語への影響はどうなのか?ということ。
これについても、意識が分散しているのが懸念のポイントとなります。
複数が同時に意識に浮かびやすいので、
日本語を話していても頭の片隅に英語が出てくるとか、
英語を話していても日本語も同時に意識しているとか、
そういうことが起きてくるのではないか?と推測されます。
実際、英語を話していてもフランス語は浮かんでくるんです。
逆もしかり。
現時点では英語と日本語の違いの大きさからか、
英語と日本語が混ざることは少ないです。
しかし通訳トレーニングをやったら、両者の距離が近づくというか
相互変換がスムーズになるほど、混在しやすくなりそうにも思えます。
頭の裏側で常に別言語が進行するような感じになったら…。
まぁ、慣れるのかもしれませんが
意識に上がることが増えるのは負担にもなりそうですし。
ということで、通訳に向いていない個性が僕にありそうだということと、
頭の中がややこしくなりそうだということで、
今のところ通訳のトレーニングについては二の足を踏んでいる状況です。
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病院の世界
http://rikei.livedoor.biz/archives/51558153.html
ここ最近、病院で何度か検査をしてきました。
二か月ほど前に気を失ったことについての話です。
僕自身は心配していなかったんですが、家族が「どうしても」というので
知人の縁を通して大学病院に紹介状を書いてもらって診察を受けることに。
色々な検査データを見ても異...
cozyharada
2019-08-27T23:28:30+09:00
コミュニケーション
二か月ほど前に気を失ったことについての話です。
僕自身は心配していなかったんですが、家族が「どうしても」というので
知人の縁を通して大学病院に紹介状を書いてもらって診察を受けることに。
色々な検査データを見ても異常が見当たらないとのことで
結局は「何が理由か分からないから静観」と。
ちょうど時を同じくして母が手術で同じ病院に入院していたため
診察や検査に行ったときに、そのままお見舞いに行くこともできました。
まぁ、その意味では良いタイミングだったのかもしれません。
それにしても外科というのは検査データが重要なんですね。
最初に行った病院は同じ「脳神経〇〇科」でも「内科」だったので
検査データだけでなく、時間をかけて問診をされました。
どういうことが内側で起こっているか、因果関係を調べようとする感じ。
刑事とか探偵とかに近いイメージでしょうか。
それが脳神経外科となるとアプローチも異なってくるようです。
こちらのほうが器質的な問題というか、問題のある身体的部位を特定して
そこを”治療”しようという発想がベースなのかもしれません。
たとえば僕の現状が疑われていた「てんかん」についていえば
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮によって起こる反復性発作」
と考えられていますから、
「脳細胞の過剰な電気的興奮」というのが問題だとされるわけです。
そして
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮によって起こる反復性発作」
のように言うと、あたかも
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす
かのように見えます。
確かに時間経過を見ると、脳の電気的興奮が伝わって
意識消失や筋肉の硬直や痙攣を引き起こすまでには
微妙な時間差があるでしょうし、
脳→身体のように部位が移るところにも順序の関係は見てとれます。
その意味では
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす
のように言うことも不可能ではありません。
しかし見方を変えると、
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」に引き続いて
身体に表れる観察可能な発作が起こる
というのは、
現象を違うレベルで説明しているだけ
とも言えそうです。
温度と分子の運動の関係のようなものです。
分子が速く振動しているときが高温。
「高温」という温度計で測定可能なデータは、
細かいレベルで起こっている現象としていうと
「分子が速く振動している」ことと一致するんです。
「分子が速く振動する」から「高温」になる
のではなく、
「分子が速く振動している状態」が「高温」に相当する
というほうが正確。
「分子が速く振動する」のは「高温」の原因ではなく、
「温度」という1つの現象を
・分子レベルで説明するか
・温度計で測定可能なデータのレベルで説明するか
の違いでしかありません。
同様に、「てんかん発作」というのも
・神経系統のレベルで説明するか
・観察可能な身体状態のレベルで説明するか
の違いだとも言えるはずなんです。
神経のレベルでいえば、
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮が全身の神経系統にまで伝播する状態」
と表現できる。
身体状態のレベルでいえば、
「痙攣や筋肉の硬直や脱力、意識消失が発作的に起こる症状」
と表現できる。
説明している対象は同じ現象のはずなんです。
ですから「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」というのは
てんかんの『原因』ではなく、解剖学的な『メカニズム』です。
ただし、意識消失や痙攣そのものは
「脳神経系の過剰興奮」というメカニズムで起きるとは限りません。
なので、意識消失や痙攣のような身体的発作の種類を、
どういうメカニズムで起きるのかによって分類するのは有用でしょう。
ですから、
意識消失や痙攣のような身体的発作のうち
「脳神経系の過剰興奮」というメカニズムで起きるものを
『てんかん』と呼ぶ
のような説明の仕方になります。
まとめると、
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす原因
なのではなく、
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が起きているときに
「身体レベルで観察される反復性発作」
のような同時性を表現する方が
言語的な定義としては正確じゃないか、ということです。
このように捉えると、てんかんが起きる『原因』は、
神経系統のレベルで捉えるなら
「そもそも何が『大脳神経細胞の過剰な電気的興奮』を生み出しているのか?」
という部分に行きつきます。
外科は、その部分をあまり考えないのでしょうか。
メカニズムに対して外的な介入をして制御・修正する。
すると身体的に観察可能なレベルでは症状がなくなる。
そんなスタンスなのかもしれません。
『原因』と『メカニズム』は別物です。
原因は「同じ抽象度における因果関係の繋がりとして説明されるもの」です。
メカニズムは「1つの現象を別の抽象度で説明したもの」です。
この違いはあまり厳密に使い分けられていないのかもしれません。
どちらも「なぜ?」「なんで?」の質問の答えとして許容されてしまっています。
典型的なのは「なんで空は青いの?」という質問。
「なんで今日はスーパーに買い物に来たの?」も、同じ「なんで?」の質問です。
「空が青い」のに原因はありません。
強いていうと、
「今、空が青いのは、雲が通り過ぎて行ったから」
「さっきまで黒かったのに今、空が青いのは、太陽が昇ってきたから」
ぐらいでしょう。
「空気中の水によって太陽光が散乱するときに
波長の短い青系統の光ほど良く散乱するから
青の光が目に届きやすくなる」
のような説明は『メカニズム』の説明なんです。
「なんで今日はスーパーに買い物に来たの?」は
「冷蔵庫の中身が空っぽになってしまったから」という『原因』でも説明可能ですし、
「他の店でも買えるのに、あえてスーパーに来たのは
一度に必要なものを全て買いそろえて時間を短縮したいから」
という『目的』でも説明可能です。
こうした説明の仕方の区別を明確にしておくと
目の前の『問題』についても様々な観点から捉えられるようになるはずです。
身体症状という問題を、原因で見るのか、メカニズムで見るのか。
医学の世界では、どれぐらい明確に区別しているのでしょう?
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知らなかった音楽の世界
http://rikei.livedoor.biz/archives/51557911.html
先日テレビを見ていたら、お笑い芸人で音楽もやっている
「こまつ」という人が、テレビゲーム「ドラゴンクエスト」について、
その音楽の素晴らしさを熱く語っていました。
作曲家の すぎやまこういち さんが凄すぎる!と。
とりわけファミコンにおけるドラゴンクエストシ...
cozyharada
2019-08-17T23:44:53+09:00
NLP
「こまつ」という人が、テレビゲーム「ドラゴンクエスト」について、
その音楽の素晴らしさを熱く語っていました。
作曲家の すぎやまこういち さんが凄すぎる!と。
とりわけファミコンにおけるドラゴンクエストシリーズの最後の作品
『ドラゴンクエストⅣ』の中で使われている「変拍子」が凄い、
とのことでした。
変拍子というのは、オーソドックスな
2拍子、3拍子、4拍子とは異なる拍のパターンのことだそうです。
ちなみに、3連符を組み合わせると、それぞれ
6拍子、9拍子、12拍子になりますが、
変拍子は3連符を使うタイプとは違うらしいです。
有名なのは「スパイ大作戦」のテーマ。
これが5拍子です。
(最近の「ミッションインポッシブルのテーマは
アレンジが入って4拍子に変換されています。)
で、ドラゴンクエストⅣの中で
モンスターと遭遇したときに流れる戦闘中の曲があるんですが、
ここに変拍子がやたらと使われている、と。
基本的に4拍子で進んでいて、
途中で9拍子や7拍子が移り変わりながら入り込んでくる。
曲中に変拍子が入れ替わりつつ入っているのに
不自然さが一切ないというのが凄いんだそうです。
どのぐらい自然かというと、当時の小学生が当たり前に口ずさめるぐらい。
曲のリズムとして完全にマッチしているわけです。
YouTubeで探してみると、いくつか動画も見つかりました。
まずは曲そのものを聞いていただくと良いかと思います。
ドラゴンクエストⅣをやったことのある人なら懐かしい音楽でしょう。
オーケストラバージョンで豪華ですが、こちらです。
VIDEO
開始から39秒までは4拍子で進みます。
ドラムの音や、低音の管楽器を聞いていると4拍子は掴みやすいと思います。
そして 0'40"~0'58" の間に変拍子が登場します。
9/8, 9/8, 9/8, 2/4, 7/8, 7/8
というサイクルが二回。
9/8は8分音符で9拍ということですから、そこまでの半分の長さを1と数えて
それが9回で1小節になる形。
なので最初から0'39"までは
「1-,2-,3,-,4-」「1-,2-,3-,4-」…と来ていたのが 0'40"から倍の速さで
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1-,2-」
「1,2,3,4,5,6,7」
「1,2,3,4,5,6,7」
と進みます。
これが2回。
こちらの動画には右下に拍子のカウントが出ているので
こっちのほうが視覚的に理解はしやすいと思います。
VIDEO
これを見た後で、もう一度、耳を頼りに…
できればリズムを取りながら
最初の動画↓を見ていただくと、
より変拍子のカッコよさが感じられるんじゃないでしょうか。
VIDEO
テレビを見ながら僕も感動してしまいました。
知らないと察知することすらできないで
当たり前に「ドラクエの音楽」ぐらいにしか捉えていませんでしたが、
少しでも専門的な知識を教えてもらえると
今まで見えていなかった世界が見えてくるようです。
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