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<title>バリバリの理系だから気づけた心とコミュニケーション</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/</link>
<description>典型的理系人間が人の心のメカニズムとコミュニケーションに、心を込めて取り組んでみました。ＮＬＰ、コールドリーディング、心理療法、コーチング・・・。心に引っかかったものを取り除けば能力は今以上に発揮される可能性に気づいたのです。
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<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50648008.html">
<title>納得感をもてるか</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50648008.html</link>
<description>何かの情報を理解するとき、自分にとって重要なことがあります。

『納得感』です。

これは感覚的な部分もありますが、同時に論理的でもあります。
内的な順番としては、「なんとなく」の納得感が先にあって、
それを言葉で説明しようとした時に論理が出てくる、とい...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-07-22T23:48:47+09:00</dc:date>
<dc:subject>全般</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[何かの情報を理解するとき、自分にとって重要なことがあります。<br>
<br>
『納得感』です。<br>
<br>
これは感覚的な部分もありますが、同時に論理的でもあります。<br>
内的な順番としては、「なんとなく」の納得感が先にあって、<br>
それを言葉で説明しようとした時に論理が出てくる、というところでしょうか。<br>
<br>
僕の中では全ての情報に辻褄があっていることを強く希望しているフシがあるんです。<br>
<br>
何かを学ぶ時には当然、情報の取捨選択をするわけですが、<br>
どうやら、残っていくものは、この納得感に裏付けされているようです。<br>
<br>
<br>
それは必ずしも科学的な説明ができるかどうか、ではありません。<br>
筋が通っているかどうか、です。<br>
<br>
例えば、植物に音楽を聞かせたり、話しかけたりすると成長が促進される、<br>
というような話に関しても、信じてみようと思える部分と、そうでない部分があるわけです。<br>
<br>
植物に毎日、「おはよう」とか、心を込めて話しかけているときと、<br>
「馬鹿」とかの罵詈雑言を浴びせるときで比較するような実験を耳にします。<br>
<br>
科学的に言えば、それは「実験」と呼んでいいものではありません。<br>
<br>
でも、僕の判断基準は「科学的かどうか」だけではないんです。<br>
「そういうのもあるかもしれない」と思う話と<br>
「それは、あり得ない」と思う話が両方あるんです。<br>
<br>
それに対して、僕の考えを聞きかじった人は、<br>
僕が科学的に判断しようとしているように受け取ることが多いみたいですが、<br>
断じて、そうではありません。<br>
<br>
植物に話しかけるときに優しい気持ちを向けたほうが成長が良い、<br>
それはなんとなく「あるかもしれない」と思える話です。<br>
<br>
ところが、そこから派生してきた話として、<br>
植物に文字を見せる、あるいは文字を書く、という内容まで出てくるんです。<br>
<br>
例えば、果物などに「ありがとう」って文字を書くと<br>
「馬鹿」って書いたものよりも長持ちする、というような話です。<br>
<br>
これは全く納得できません。<br>
筋が通っていないんです。<br>
<br>
「ありがとう」という気持ちを向けた植物の成長が良いことと、<br>
「ありがとう」という文字を書いた植物の生長が良いことでは意味が違いすぎます。<br>
<br>
「ありがとう」という文字には本来、意味がないわけです。<br>
<br>
英語であれば「Thank you」ですが、これは皮肉にも使われるものです。<br>
誰かがぶつかって、手に持っていたコーヒーをこぼしてしまった。<br>
その人は急いでいて、その場を走り去った。<br>
その状況で出てくる言葉も「Thank you」なんです。<br>
<br>
「ありがとう」と口では言いながらも、全然感謝していない状況だってあるはずです。<br>
<br>
文字情報だけには意味がないんです。<br>
それはコミュニケーションを考えれば当然のことです。<br>
<br>
そのこととの辻褄を考えれば、「ありがとう」と書いたものに<br>
何らかの効果があるという推測すら筋が通っていないことに気づけるはずです。<br>
<br>
仮に、水の瓶に「ありがとう」って書いたものと、「馬鹿」って書いたもので<br>
植物に水をやって、成長を見比べるような実験をしたとします。<br>
何度も実験を繰り返して再現性を確認できたとします。<br>
<br>
その結果、「ありがとう」の瓶の水のほうが成長が良いということになったとして、<br>
僕の解釈は「ありがとう」という言葉の大切さには結び付きません。<br>
<br>
そんな話には納得しません。<br>
<br>
僕の解釈は、<br>
「ありがとう」って書いた瓶だと認識して植物に水を与える人の気持ちと<br>
「馬鹿」って書いた瓶だと認識して植物に水を与える人の気持ちに差があるはず、<br>
というところへポイントが向きます。<br>
<br>
その実験をする人が「『ありがとう』のほうが成長するはず」と思い込んでいれば、<br>
その結果には差が出るかもしれません。<br>
<br>
でも、水を与える人と実験の提唱者を別の人にして、<br>
「こんな実験には意味がない」と思っている人に水を与える役目をしてもらったら、<br>
その結果には差が出ないような気がします。<br>
<br>
「植物にも気持ちが伝わる」と「植物にも『ありがとう』が分かる」のは別問題です。<br>
<br>
僕がそんな実験をするのであれば、「ありがとう」の瓶と「馬鹿」の瓶を<br>
もう一度上から紙を貼って実験者に見えない状態にして、<br>
そして水を与える人もボランティアで実験の意図を伝えずに集めた人たちを選び、<br>
毎日違う人に水を与えてもらうことをします。<br>
<br>
こういう実験のやり方をダブルブラインドと言いますが、<br>
影響しそうな要素は極力省かなくては論理的な力がないわけです。<br>
<br>
<br>
「植物にも気持ちが伝わる」ということは<br>
僕にとって「あるかもしれない」と思える内容です。<br>
<br>
でも「『ありがとう』と書いた水や植物にポジティブな効果がある」という内容は<br>
全く「納得がいかない」内容です。<br>
<br>
受け入れられない理由は科学的じゃないからではありません。<br>
筋が通っていないからです。<br>
<br>
僕がやるとしたら、全く逆の実験をして反論をするかもしれません。<br>
<br>
植物に「ありがとう」という文字を書く。<br>
一方のグループには「ありがとう」という気持ちを込めて丁寧に文字を書く。<br>
もう一方には「馬鹿じゃないの？」という気持ちを込めて雑に文字を書く。<br>
<br>
文字情報はどちらも「ありがとう」ですが、向ける気持ちを変えるわけです。<br>
<br>
この結果に差が出たとしたら、それは「納得がいく」タイプのものかもしれません。<br>
<br>
<br>
「信じる」のと「鵜呑みにする」のは違うと思います。<br>
「信じられる」と言いながら、「自分で考える」を放棄するのは<br>
僕の信念では絶対にできないことです。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50646865.html">
<title>『パート』という言葉</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50646865.html</link>
<description>自分の中には色々な自分がいるものです。

一人でノンビリとテレビを見ている自分、
いつもの職場の自分、
仕事の場面で初対面の人と接している自分、
尊敬する人物と話すことができたときの自分、
家族と一緒に話しているときの自分、
中学時代の友人と話していると...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-07-20T23:56:21+09:00</dc:date>
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[自分の中には色々な自分がいるものです。<br>
<br>
一人でノンビリとテレビを見ている自分、<br>
いつもの職場の自分、<br>
仕事の場面で初対面の人と接している自分、<br>
尊敬する人物と話すことができたときの自分、<br>
家族と一緒に話しているときの自分、<br>
中学時代の友人と話しているときの自分、<br>
車を運転しているときの自分、<br>
通勤ラッシュで揉みくちゃにされている自分、<br>
趣味の世界に没頭している自分…。<br>
<br>
どれも自分ですが、それぞれの自分には違いがあることに気づけるはずです。<br>
<br>
誰かとの関係であれば、それは役割を演じているとも言えるでしょう。<br>
八方美人という言葉もあるように、<br>
相手によってコロコロ態度を変えることを良しとしない見方もあるようですが、<br>
逆に全ての人に対して完全に同じ接し方をしていては社会性に問題も出てくるはずです。<br>
<br>
相手に合わせて振り回されすぎるのも自分にとってストレスとなるでしょうし、<br>
いつでも自分を一定に保っていくのもコミュニケーションという観点では<br>
困る状況が出てくるでしょうから、バランスが大事なことは言うまでもありません。<br>
<br>
相手によって態度が変わるというのは相手に合わせることが自然とできる、<br>
つまりペーシングが上手いという見方もできるわけです。<br>
<br>
ただ、注意したほうが良いのは、相手との関係が膠着していないかということです。<br>
ある程度、相手との関係が継続していくと、お互いに一定のパターンで<br>
コミュニケーションをとるようになっていく傾向があります。<br>
<br>
相手に合わせるところから出来上がってきた関係であったとしても<br>
自分のペースで関わってきた中で出来上がった関係であったとしても<br>
ある程度の時間が経過すると関係性が硬直しやすいわけです。<br>
<br>
自分の中にいる沢山の自分の中から、<br>
「その人と一緒にいるときの自分」というのが決まってくるんです。<br>
<br>
<br>
で、そういう色々な自分には、それぞれ個性があるようです。<br>
自分の中に様々な人格があると思ってもいいかもしれません。<br>
<br>
それをサイコシンセシスでは『サブパーソナリティ』と呼びます。<br>
日本語に訳して『副人格』というケースもあるようですが、<br>
多重人格のような印象を感じる言葉のようにも感じます。<br>
違いは、それぞれの人格のときの記憶が残っているか、です。<br>
<br>
NLPではサブパーソナリティと同じような考え方として<br>
『パート』というものを扱います。<br>
<br>
自分の中の一部分を色々な形でイメージしたりするんです。<br>
<br>
そこには身体感覚を視覚的にイメージする形でトランスを深めていく種類の、<br>
フォーカシングと似た手法も混ざっているように考えられます。<br>
<br>
エリクソンは、もっと無意識を全体的に信頼しながら関わっていたようですから<br>
身体的に表れる反応を無意識のメッセージとして<br>
コミュニケーションをとっていたのではないかと思います。<br>
<br>
自分の中には色々な自分がいる。<br>
その自分は時に、自分自身が望んでいないような行動をしてしまう。<br>
自分の中の一部の人格が勝手に困ったことをしてしまう、という感じです。<br>
<br>
もちろん大半の人はその時の記憶があるので、後で思い返して後悔するわけですね。<br>
困ったことの多くは、「つい、やってしまった…」という後悔を伴います。<br>
<br>
つまり、自分の中の「ある自分」がやってしまう行動。<br>
それは無意識の行動とも言えるわけです。<br>
<br>
だからこそ、その「ある自分」という無意識の部分に対して<br>
コミュニケーションをしていく手法が生まれるのでしょう。<br>
<br>
NLPでは、その「ある自分」のことを『パート』と呼ぶことにしましょう、と。<br>
<br>
そのこと自体は非常に重要な内容だと思います。<br>
<br>
<br>
パートという考え方の起源がどこにあるのかは知りませんが、<br>
家族療法家のヴァージニア・サティアはセラピー中の語りかけとして<br>
「それは、あなたの中の～というパートがしてくれてるのね」<br>
というような表現をしていたそうです。<br>
<br>
これは日本語に訳すときの問題も含むように思います。<br>
<br>
サティアの文脈を推測すると、それは素直に「部分」と訳して良いんじゃないでしょうか？<br>
「その行動をするのは、あなたの一部分なのね」というニュアンス。<br>
<br>
サティアの言っていた『パート(part)』という表現は<br>
「それは、あなたという人間全体が生み出している問題ではなくて<br>
　あなたのホンの一部分だけが生み出している問題なのね」<br>
と、部分化しながら受け止めていた、<br>
彼女の優しさの表れだったんじゃないかと思うんです。<br>
<br>
一人の人には色々な部分がある。<br>
自分勝手に振る舞うときもあれば、他人に優しく接するときもある。<br>
でも、それだって全て、その人の一部分なんです。<br>
<br>
色々な部分を持っているけど、その人という存在は素晴らしい。<br>
色々なところがあって、その人なんだ。<br>
そんな前提のもと、その人全部を受け入れるような姿勢が<br>
『パート』という言葉の裏側にあるような気がします。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50644198.html">
<title>心の交流を視覚化してみる</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50644198.html</link>
<description>僕には福祉関連の方々と出会う機会もありますが、
全体的な印象として大柄な人が少ないような気がします。

僕の勝手なイメージかもしれませんが、職種や立場ごとに
体格のデータを平均値として取ってみると意外と差があるんじゃないかと思うんです。

もちろん個人差...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-07-17T23:24:46+09:00</dc:date>
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[僕には福祉関連の方々と出会う機会もありますが、<br>
全体的な印象として大柄な人が少ないような気がします。<br>
<br>
僕の勝手なイメージかもしれませんが、職種や立場ごとに<br>
体格のデータを平均値として取ってみると意外と差があるんじゃないかと思うんです。<br>
<br>
もちろん個人差はあるはずです。<br>
ただ、全体的な印象として福祉の方々には大柄な方が少ないように感じるんです。<br>
<br>
それは誰かが言っていることではなく、僕がそう思っただけですから<br>
「福祉系＝小柄」という思い込みの目で見た歪んだ解釈ではないつもりです。<br>
<br>
福祉の方が集まる勉強の場に集まる人々であったり、<br>
「こういう人が援助職をすると援助を受ける側は幸せだろうなぁ」と思うような<br>
気配りの素晴らしい人を見てきた印象を総合した結果、<br>
そんな気がしてきたという話です。<br>
<br>
これは男性、女性を問わないようです。<br>
男性だと背の高い方にもお会いしますが、そんな方はスラッとしています。<br>
<br>
理学療法士などでは大柄な方も見た記憶があります。<br>
それも体を扱うという意味で、納得できる要素だと感じます。<br>
ただ、大柄なのに圧迫感がない感じがするんですね。<br>
<br>
福祉の方々は大抵、体が角ばってないんです。<br>
<br>
なんというか、人の懐に入り込むのが得意な方々というイメージを受けるわけです。<br>
<br>
小柄な方は人の気持ちの下側にスッと入り込むイメージ。<br>
ワンダウンポジションを地で行くことができるのかもしれません。<br>
<br>
背は高めでもスラッとした人は、人ゴミをすり抜けるような感じで<br>
人の心のガードの内側へ入っていけるイメージを受けます。<br>
プールの中を、体を横にしながらスーッと進むような。<br>
<br>
とにかく相手に近づきやすい印象が外見から受け取れる気がするんです。<br>
<br>
<br>
まぁ、これは僕個人の勝手な印象ですから、曖昧なものでしょうし<br>
同意してもらうことは難しいだろうと予測しています。<br>
<br>
　人の気持ちを静かにかき分けながら中に入り込んでいく。<br>
<br>
それ以外にも、心の交流の仕方に対して様々なイメージを持っています。<br>
人によって特徴があるように思うんです。<br>
<br>
　自分は動かずに人の気持ちを受け止める。<br>
　人の気持ちの正面に立たず、ヒョイヒョイとかわす。<br>
　自分の気持ちを強烈に発して相手を巻き込む。<br>
　人の気持ちの中にあっても自分は動かず、人の気持ちを受け流す。<br>
　人の気持ちを浸透させるように受け入れてから別のところへ流す。<br>
<br>
それぞれに向いている立場や職業があるように感じます。<br>
<br>
言葉に限らず、コミュニケーションというものを心の交流と捉えたとき、<br>
僕にはそんなイメージが視覚的に浮かんできます。<br>
<br>
絵に描いてみると面白いかもしれませんね。<br>
<br>
<br>
そんな風に、人の発している様々なメッセージを<br>
何らかの形で表現してみると、今までと違った整理の仕方ができるように思います。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50642630.html">
<title>鵜呑みにしない</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50642630.html</link>
<description>前回に引き続き、マナーに関して思うところを書いてみます。
デリケートな問題だとは思いますが、マナーに関して
考えてみるほうが良い部分があるとも思うんです。

例えば、小学校のときには「食べ物を残してはいけません」と習った人も多いと思います。
人によっては...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-07-15T23:45:25+09:00</dc:date>
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[前回に引き続き、マナーに関して思うところを書いてみます。<br>
デリケートな問題だとは思いますが、マナーに関して<br>
考えてみるほうが良い部分があるとも思うんです。<br>
<br>
例えば、小学校のときには「食べ物を残してはいけません」と習った人も多いと思います。<br>
人によっては、お茶碗のご飯粒を1粒も残さないように気をつけることもあるでしょう。<br>
<br>
ところが、中国や韓国では出された料理を残すほうがマナーなのだそうです。<br>
食べきれないほどの食事を出すことが、もてなしの心だということです。<br>
<br>
文化が違うわけですね。<br>
それは伝統的に長い年月をかけて積み重ねられてきた習慣であって、<br>
長い年月の間に暗黙の了解として、多くの人に受け入れられた考え方だと言えます。<br>
<br>
そうした習慣がマナーとして定着し、それを守ることが美徳だとされるようになると<br>
人は自らの判断や思考を失います。<br>
「マナーだから守る」ということに疑いが無くなるわけです。<br>
<br>
だからといって、一つ一つのマナーを「なんで？」と考えていると<br>
他の人からは「面倒臭い奴」として扱われるようになってしまう。<br>
<br>
僕はこの、「なんで？」という根本思考は大切なことだと考えます。<br>
その答えを他人に求めるから反感を買うんです。<br>
それは手抜きです。<br>
<br>
疑問を持ったら、自ら考えてみればいい。<br>
分からなければ、一生かけてでも考え続ければいいと思います。<br>
それだけ大切なテーマになるはずです。<br>
<br>
しかしながら、実際には大半の人がマナーや常識、文化という言葉で説明されるような<br>
暗黙のルールに関して、自らの頭で考えることをしません。<br>
<br>
誰かから言われたことだから、という理由で信じるわけです。<br>
<br>
ゲシュタルト療法のフレデリック・パールズは、<br>
そのように他人から言われた内容をそのまま受け入れてしまうパターンのことを<br>
『イントロジェクション（鵜呑み）』と呼び、神経症的メカニズムの１つと考えました。<br>
<br>
食事に限らず、マナーとか礼儀作法と呼ばれるものには様々なものがありますが、<br>
それはNLPで言えば、信念ということになります。<br>
ビリーフです。<br>
思い込みとさえ言えるんです。<br>
<br>
現代社会で通用するマナーは誰かから与えられたものですから、<br>
知識として与えられた経験がなければ、それを知ることは難しいものでしょう。<br>
<br>
そのマナーを知らなければ、偶然以外ではマナーを守れませんし、<br>
マナーを守っていなくても罪悪感を覚えることもないはずです。<br>
<br>
マナーを知っている人が、他人のマナー違反に対して不満を持つ。<br>
これが重要なポイントです。<br>
<br>
マナーに詳しく、マナーを守る人ほど、社会生活において他人への不満が大きくなる。<br>
不思議なことが起きているわけです。<br>
<br>
だから、マナーについて鵜呑みにせずに考えてみたほうが良いような気がするんです。<br>
<br>
<br>
たぶん、僕の実家はマナーにうるさい部類だったのではないかと思います。<br>
祖母はテレビで芸能人が食事をする場面を見ると、たいてい文句を言っていました。<br>
<br>
「アラアラ、左手で箸を持って」ということもありました。<br>
他の人からしたら気にならないことでしょうが、<br>
そういう文化の中で育ってきたのでしょうね。<br>
<br>
父は実際、左利きですが、ほとんどの作業を右手でこなします。<br>
強制されたようです。<br>
<br>
でも、僕はそういう発想が好きじゃなかったんです。<br>
だから僕のマナーは結構いい加減です。<br>
<br>
<br>
祖母のように、誰かのマナーが気になるというのは<br>
知識が信念になっているからだと思われます。<br>
「こうするのが普通だ」と思い込んでいるわけです。<br>
<br>
しかし、相手にしてみたら知らない情報ですから、認識すらできません。<br>
いたって普通の行為なんです。<br>
<br>
例えば、トーストやお餅を食べる時。<br>
普通にかぶりつくと、歯型が残りますね。<br>
当たり前だと思います。<br>
<br>
でも、この歯型を残さずに食べる人がいます。<br>
一回かじった後、すぐにその横をもう一回噛み切る。<br>
すると一直線に近い形に跡が残るわけです。<br>
<br>
これも１つのマナーだそうです。<br>
<br>
僕がテレビを見ていて、歯型を残さずに食べること気づいたのは、<br>
小泉孝太郎さんと藤井隆さんぐらいです。<br>
どちらも品のある人だと思います。<br>
<br>
ただ、多くの人がそのようなマナーを知らないような気がします。<br>
多くの人は歯型が残っても気にならないでしょう。<br>
自分の食べたトーストでも、他人のトーストでも。<br>
<br>
僕も気にしません。<br>
知識として聞いたことはありますが、絶対にそうすべきだとは思っていないからです。<br>
<br>
マナーの多くは、『そうするほうが良い』という類のものではないかと思います。<br>
このことが、僕がマナーに対して考え直してみたほうがいいと思う部分です。<br>
<br>
なぜなら、マナーや礼儀作法というのは、<br>
人を思う気持ちから生まれてきたものだと思うからです。<br>
<br>
一緒に同じ時間を過ごす相手に対する心配り。<br>
その心配りを合理的に形にしたものがマナーだと思います。<br>
<br>
小笠原流の礼法も、茶道の作法も無駄がありません。<br>
無駄のない動きは美しい。<br>
そういう観点もあるように感じます。<br>
<br>
西洋のマナーがどうかは分かりませんが、<br>
例えば「スープを飲んで残り少なくなったとき、皿を傾けるのは手前から奥」<br>
というのも皿の裏側を相手に見せないようにという配慮が元だとは聞きます。<br>
<br>
フランス式のマナーではスプーンは奥から手前に動かしますが、<br>
これも誤って向いの相手へスープを飛ばさないようにという配慮だそうです。<br>
<br>
そして、茶道の作法の根底には相手への心遣いが満ちているように感じます。<br>
ふすまの開け閉め一つとっても、季節によって作法が違うわけです。<br>
それは冬の寒さを考えた心配りを反映したものです。<br>
<br>
作法という型の中に込められた心。<br>
そのことを知っている人の作法は洗練されているように見えます。<br>
絶対に手を抜きません。<br>
相手が作法のことを知っていようが、知っていまいが関係なく、<br>
自分ができる最大限に心をこめて振舞います。<br>
<br>
そのことが作法を知る人には分かるわけです。<br>
知っている程度によって、受け取れる量も違います。<br>
<br>
だからこそ、分かる人同士は作法という型を徹底することを通じて、<br>
お互いに相手が込めている心の度合いを知ることができるわけです。<br>
<br>
言葉を使わずに、気持ちの交流をしているということです。<br>
<br>
そうしたマナーや作法に込められた心を知る人は、<br>
相手にマナーを押し付けないように感じます。<br>
<br>
相手が快適にその場を過ごせるようにするための心配り。<br>
マナーや作法の裏にあるその心を知る人は、相手のマナーがどうかよりも<br>
相手にその場を快適に過ごしてもらうほうを大切にするはずです。<br>
<br>
<br>
とはいえ、いつでも相手が快適に過ごすことが優先かといえば、そうではありません。<br>
<br>
相手をもてなす場、相手と一緒に快適な時間を過ごす場であるなら<br>
相手に作法やマナーを押し付けることはないでしょうが、<br>
人には当然、自分の時間というものもあるわけです。<br>
<br>
公共の場というのは、そこにいる全員と快適に過ごすことを目的にはしていません。<br>
自分は自分として確保しながら、全員と折り合いをつける場です。<br>
<br>
公共の場で、全員がそれぞれの個人的な希望を優先していたら<br>
その場はメチャクチャになってしまいます。<br>
トラブルが絶えません。<br>
<br>
公共の場では、自分の個人的な要望をある程度抑え、<br>
不特定多数の他人への迷惑を考えるべきところです。<br>
それが社会性であって、人間が人間として成立しうる要素です。<br>
<br>
人間は意識で社会性をコントロールするわけです。<br>
自分の本来の欲求をコントロールするから、社会は成り立っているんです。<br>
<br>
そこでは、ある程度の我慢と他人への配慮が必要なわけです。<br>
<br>
それも礼儀作法やマナーとして考えることもできますが、<br>
マナーを守ること以上に本質的な部分があります。<br>
<br>
それは誰もが我慢しているということです。<br>
<br>
我慢しているから、他人のワガママに不快感を抱くわけです。<br>
「自分は我慢しているのに、あの人ったら…」ということです。<br>
<br>
自分は公共の場だから静かにしている。<br>
皆も暗黙の了解として静かにしている。<br>
だから、自分のスペースと自分の時間をある程度確保できるわけです。<br>
<br>
公共の場の中で、自分の空間と時間を維持するために<br>
自分も他の人の空間と時間は邪魔しませんよ、という交換条件が働いているとも言えます。<br>
<br>
電車の中で、誰かが携帯電話で話していたり、イヤホンから音漏れしていたり、<br>
大きな声で会話をしていたりすると腹が立つのは、<br>
自分は他人を邪魔しないことで自分のプライバシーを維持しようとしているのに<br>
他の誰かが自分のプライベートを優先して声や音で侵害してくるからです。<br>
<br>
それに対して不満が沸くのは当然でしょう。<br>
ただ、それは相手がマナー違反だから不満を感じるわけではないんです。<br>
<br>
ここを区別する必要があると思います。<br>
<br>
自分が努力して維持している公共性をないがしろにして<br>
公共性の代わりに得られるはずのプライバシーを侵害する相手の<br>
公共性のなさが不満の対象なんです。<br>
<br>
「自分は気を遣っているんだから、お前も気を遣えよ」という交換条件です。<br>
<br>
食事やビジネスなど、個人的な人間関係におけるマナーと<br>
公共の場でのマナーでは意味が違うんです。<br>
<br>
個人的な人間関係では、相手との関係の構築が目的になります。<br>
だから相手への心配りが前提になるわけです。<br>
マナーを通じて相手への気持ちを示すということです。<br>
<br>
その意味では、相手と良い関係を作りたいと思うのであれば、<br>
相手のマナーは問題ではないはずです。<br>
<br>
<br>
それでも個人的な人間関係で相手のマナーが気になってしまうのは、<br>
そのマナーという信念に自分自身が凝り固まっているからです。<br>
<br>
「マナーは守るべきだ」という信念が固まっている可能性があります。<br>
<br>
自分が知らないマナーは守っていないかもしれないのに、<br>
他人のマナーが気になるのは、そのマナーに対して思い込みが強いのかもしれません。<br>
<br>
そういう時には、相手との関係と自分のマナーに対する思い入れと<br>
どちらが大切かを考えた上で、責任ある行動をとればいいはずです。<br>
<br>
どうしても自分にとって大切なマナーであれば、相手へ正直に言う選択もあります。<br>
相手のマナーが気になる場には同席しないという選択もあります。<br>
<br>
もし正直に言うなら、本当に自分の気持ちを正確に伝える必要があります。<br>
「それはマナー違反だからやめて欲しい」というのは自分の気持ちに嘘をついています。<br>
<br>
「マナー違反だから」ではありません。<br>
<br>
「自分がそのマナーを守ることを大切だと思っているから、<br>
　それに反した振る舞いを見ていると不愉快な気持ちになってしまう。<br>
　あなたとは良い関係を築きたいのに、それができなくて残念だ。<br>
　その原因は自分の思い込みにあるのだけど、それを変えるのは難しいから<br>
　出来れば、その振る舞いを変えてもらえないだろうか？」<br>
という提案が正確でしょう。<br>
<br>
<br>
一方、公共性の高い場で、他人のマナーに不満が沸いてきたら<br>
それは自分の領域を侵害されたように感じている可能性が高いでしょう。<br>
<br>
電車の中で誰かが居眠りしていても不愉快にはならないと思います。<br>
それは自分を邪魔されていないからです。<br>
<br>
でも、居眠りをしている人がイビキをかいていたら不満を感じるでしょうし、<br>
自分の隣で居眠りをしている人が寄りかかってきたら不満だろうと思います。<br>
<br>
公共の場で感じる不満には「自分が邪魔された」という気持ちの<br>
関わっている部分が大きいということです。<br>
<br>
それは当然のことでしょう。<br>
<br>
そこで考えることは「あの人はマナーが悪い」と<br>
ルールを振りかざすことではないように思います。<br>
本来は「あの人は私を邪魔するから不愉快だ」という考えのはずです。<br>
<br>
どちらも不快な気持ちは変わりません。<br>
ですが、自分の気持ちに気づけているかという点では違いがあります。<br>
<br>
ルールやマナーを振りかざすことを続けていると<br>
裏にある自分の正当なワガママの気持ちを無視することになります。<br>
<br>
すると「マナーだから守るべき」という信念が強固になっていってしまいます。<br>
<br>
マナーを守っていないから不愉快なのか、<br>
自分の時間と空間を邪魔されているから不愉快なのか。<br>
<br>
誰のためのマナーなのかを考えてみる必要があるように思います。<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50641579.html">
<title>予想外の行動</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50641579.html</link>
<description>先日、食事に出かけた時のことです。
ファミレスのような気軽な店でした。

一人のキャリアウーマン風の女性が颯爽と店に入ってきました。
服装も歩き方も、気品がある感じでした。

席に着く時も、注文するときも、料理が運ばれてくるのを待つ間も、
まるで高級フラ...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-07-13T23:40:23+09:00</dc:date>
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[先日、食事に出かけた時のことです。<br>
ファミレスのような気軽な店でした。<br>
<br>
一人のキャリアウーマン風の女性が颯爽と店に入ってきました。<br>
服装も歩き方も、気品がある感じでした。<br>
<br>
席に着く時も、注文するときも、料理が運ばれてくるのを待つ間も、<br>
まるで高級フランス料理店にいるかのように振る舞っていたんです。<br>
<br>
きっと色々と気を遣って自分の見せ方を考えているんでしょう。<br>
一人だけ別世界というほど。<br>
<br>
しばらくして料理が運ばれてきました。<br>
店員さんは普通のバイトでしょう。<br>
ごくごく一般的なマニュアル通りの対応です。<br>
<br>
料理をテーブルの上に置かれると、その女性はまたもや品のある仕草で<br>
店員さんのほうへ小さくお辞儀をしました。<br>
<br>
そして、料理に正対して再び小さくお辞儀。<br>
それから割り箸に手を伸ばしました。<br>
<br>
おもむろに割り箸を割ると、なんと…。<br>
<br>
その女性は体を右へねじり、席の横で割り箸の断面同士を擦り合わせました。<br>
シャッ、シャッ、シャッ…。<br>
<br>
僕はビックリしました。<br>
<br>
そして何事もなかったかのように女性は正面へ向きなおり、食事を始めました。<br>
その仕草は当然のように気を遣ったものでした。<br>
<br>
姿勢もよく、食器を持つ仕草も、口に食べ物を運ぶ量すらも色々と気を配って<br>
自分がいかに品良く見えるかということを心がけているようでした。<br>
<br>
なのに、唯一。<br>
割り箸を割ったときだけ。<br>
<br>
きっとナイフとフォークであれば、隙のない作法で食事をされる方なんでしょう。<br>
<br>
別に、割り箸を擦り合わせる行為がダメだと言っているわけではありません。<br>
その女性の他の行動があまりにも頑張っている様子だったため<br>
他とのギャップが大き過ぎたということです。<br>
<br>
マナーに対する僕の考えは後日書こうと思っていますが、<br>
僕がその時に感じたのは、自分のことは意外と気づかないものなんだ、ということです。<br>
<br>
その人にとっては、当たり前の行為だったんでしょうね。<br>
<br>
立ち方、歩き方、座り方…、そういったことは一生懸命に磨いてきたのかもしれません。<br>
美しく見えるための行動を追求してきたのかもしれません。<br>
<br>
割り箸を擦り合わせてケバだったところを取る行為がマナーとしてどうかは、<br>
僕にとってはあまり気にならないことなんですが、<br>
単純に美しい所作には見えなかったという話です。<br>
<br>
それだけ美しく見える振る舞いを追求してきたような方なのに<br>
気づくことのできないほど、当たり前の行為だったのでしょうね。<br>
<br>
当たり前だと思っていると気づくことができません。<br>
知らないことも気づくことができません。<br>
<br>
自分の行動を客観的に振り返ってみると意外なことにも気づけるでしょうが、<br>
それ以上に他人に指摘してもらうのは重要な気づきにつながりそうです。<br>
<br>
厳しい指摘は苦しいものですけど。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50638588.html">
<title>特別なお客様として</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50638588.html</link>
<description>以前にもブログに書きましたが、近所の飲食店に非常に接客の素晴らしい方がいます。

僕の見立ては、接客業というよりも対人援助職向けの気配りを持つ人、という印象。

先日などは、その店員さんがいなかったときに、
わざわざ１人のお客さん(70～80歳位)が他の店員さ...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-07-09T23:20:52+09:00</dc:date>
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[以前にもブログに書きましたが、近所の飲食店に非常に接客の素晴らしい方がいます。<br>
<br>
僕の見立ては、接客業というよりも対人援助職向けの気配りを持つ人、という印象。<br>
<br>
先日などは、その店員さんがいなかったときに、<br>
わざわざ１人のお客さん(70～80歳位)が他の店員さんに質問をするほどでした。<br>
「今日は、あの娘はいないの？」<br>
「ええ、今日は３時までの日なんです」<br>
<br>
案の定、お年寄りにモテるんですね。<br>
<br>
で、しばらくしたら、その店員さんが私服で店に入ってきました。<br>
聞こえてきた会話の内容からすると、早く仕事を終えて休憩した後、<br>
事務所で雑用をこなしに戻ってきていたのだとか。<br>
<br>
それでもう一度、店に入ってくるというのが凄いと思いました。<br>
<br>
わざわざ一人のお客さんのために、仕事時間外なのに<br>
会話のためだけにやってきたわけです。<br>
<br>
そうすることで、お得意様になるかとか、そんな算段はきっと無かったことでしょう。<br>
単価の安い店です。<br>
<br>
何より、そうやって会いたがっているお客さんは、<br>
既にその店員さんのファンになっているわけですから。<br>
ますますファンになったかもしれませんね。<br>
<br>
<br>
そうやって、そのお客さんと話した後、店員さんは私服のままで<br>
別のお客さんのところへ近寄って行きました。<br>
今度はお婆さんです。<br>
<br>
またまた聞こえてきた会話によると、そのお婆さんは、たまにしか来店しない方のよう。<br>
でも、しっかりと覚えていて会話を始めるわけです。<br>
<br>
私服のままメニューを持って行き、近くで話を続けていました。<br>
お婆さんが注文を考えている間、その相談相手にもなっていたんです。<br>
色々と事情を聴いた上で、２人で注文を決める。<br>
そんな感じでした。<br>
<br>
その作業はニーズの把握から自己決定までのプロセスを踏んでいたと言えます。<br>
もちろん対人援助に求められるレベルの内容ではありませんが、<br>
自然とその流れをやってのけるのはセンスの現れだろうと思います。<br>
<br>
素晴らしいコミュニケーションは、見ていても心地いいものですね。<br>
空いている時間だからこそ可能な場面だったのでしょうが、<br>
それでもなかなか出来ることじゃないように感じます。<br>
<br>
<br>
後日、僕の隣の席に、一人の初老の女性が座りました。<br>
<br>
念のため言っておきますが、決してその店がお年寄りばかりということではありません。<br>
色々な方がお客さんとして入っていますが、<br>
お年寄りが１人で入れる店だということが重要なポイントだと思うんです。<br>
<br>
で、僕の隣にその初老の女性が座ったところ、<br>
いつもの店員さんが、他のどの店員さんよりも早くやってきました。<br>
<br>
そしてメニューを差し出しながら、口を大きく動かしました。<br>
<br>
普通は何かしら声をかける場面です。<br>
「いらっしゃいませ」とか「お決まりになりましたらお呼びください」とか、<br>
何らかのマニュアルがあるものでしょう。<br>
<br>
その店員さんも普段なら言葉をかけます。<br>
でも、その時は声を出しませんでした。<br>
<br>
その代わり、大きく口を動かしていたんです。<br>
たぶん、その形は「どうぞ」だったように見えました。<br>
<br>
その表情には暖かい笑顔が溢れていました。<br>
<br>
しばらくして、その店員さんが再び席に寄ってくると<br>
隣の席の女性は手荷物から何かのカードのようなものを取り出し、<br>
それを店員さんに見せました。<br>
<br>
店員さんはニッコリとほほ笑みながら大きくうなずき、<br>
メニューを下げて去って行きました。<br>
<br>
後ほど食事が運ばれてきたわけですから、おそらくそのカードで注文したのでしょう。<br>
推測ですが、その女性は耳の不自由な方だったのではないかと思います。<br>
<br>
その方が何度、その店に来ているのかは分かりません。<br>
頻繁に来る方だから、そういう暗黙の了解が出来ていたのかもしれません。<br>
<br>
仮にそうだったとしても、その方への心配りは素晴らしいものでした。<br>
１人の人として個別に見ているわけです。<br>
かといって、過剰な特別視があるのでもないんです。<br>
混雑時に相応しい、適格な対応だと感じました。<br>
<br>
そして、そうした暗黙の了解ができるまでのプロセスにも関心がわいてきます。<br>
当然のように、その女性の事情に合わせた対応をとっているんです。<br>
その方も安心して食事をしていかれるのでしょう。<br>
<br>
少なくとも数回は来店している方だからこそ、<br>
可能なコミュニケーションだと考えられます。<br>
<br>
その方が何度も店に来るに至るまでに、その店員さんが<br>
どれだけ安心感をもたらしていたのかという部分が素晴らしいと思うんです。<br>
<br>
<br>
その飲食店はチェーン店です。<br>
特別なサービスが売りの店ではありません。<br>
<br>
ただ、その店舗の個性を生み出しているのは、その店員さんじゃないかと僕は思います。<br>
凄い人がいるものです。<br>
<br>
ちなみに、最近その店が改装工事中で、僕は残念な思いをしています。<br>
<br>
誰よりも僕自身が、その店員さんに引きつけられて店に行っているのかもしれませんね。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50637152.html">
<title>『コールドリーディング』</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50637152.html</link>
<description>久しぶりに『コールドリーディング』の新刊が出ました。
今回もキャンペーンを交え、力を入れているようです。

コールドリーディング~ニセ占い師に学ぶ! 信頼させる「話し方」の技術 (FOREST MINI BOOK)

石井裕之さんの『一瞬で信じこませる話術コールドリーディング...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-07-07T23:45:37+09:00</dc:date>
<dc:subject>コールドリーディング</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[久しぶりに『コールドリーディング』の新刊が出ました。<br>
今回もキャンペーンを交え、力を入れているようです。<br>
<br>
<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%7E%E3%83%8B%E3%82%BB%E5%8D%A0%E3%81%84%E5%B8%AB%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6-%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%80%8C%E8%A9%B1%E3%81%97%E6%96%B9%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%8A%80%E8%A1%93-FOREST-MINI-BOOK/dp/4894513099%3FSubscriptionId%3D15JBHWP7TH9QYT1RMHG2%26tag%3DLvdrfree-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4894513099"><img border="0" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/512GKzyTujL._SL160_.jpg" align="left" style="margin-right:5px;" /></a><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%7E%E3%83%8B%E3%82%BB%E5%8D%A0%E3%81%84%E5%B8%AB%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6-%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%80%8C%E8%A9%B1%E3%81%97%E6%96%B9%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%8A%80%E8%A1%93-FOREST-MINI-BOOK/dp/4894513099%3FSubscriptionId%3D15JBHWP7TH9QYT1RMHG2%26tag%3DLvdrfree-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4894513099">コールドリーディング~ニセ占い師に学ぶ! 信頼させる「話し方」の技術 (FOREST MINI BOOK)</a><br clear="all" /><br>
<br>
石井裕之さんの『一瞬で信じこませる話術コールドリーディング』が出版されて<br>
もう３年にもなるんですね。<br>
早いものです。<br>
<br>
僕にとって占い師の話術というのは非常に面白く、<br>
単なる好奇心や、遊びとしてやってみたい程度の気持ちで石井道場に申し込み、<br>
自分で実践を重ねていきました。<br>
<br>
楽しかったんですね。<br>
それまでとは人の見方が変わってきたわけですから。<br>
<br>
それは話術としてのコールドリーディングの部分ではなく<br>
観察から読み取るという部分での効果でした。<br>
<br>
コールドリーディングにおいては、今回の本にも書かれていますが<br>
ストックスピールという、誰にでも当てはまる内容の言葉が大きな意味合いを持ち、<br>
海外では「コールドリーディングを学ぶ＝ストックスピールを覚える」というほどに<br>
中心部分を占めているのだそうです。<br>
ストックスピール集のような本もあるんだとか。<br>
<br>
ストックスピールはネタとして一生懸命考えたり、集めたりするのもいいと思いますが、<br>
そういった誰にでも当てはまる内容に説得力を持たせる言い回しそのものが<br>
経験的に蓄えていくべきコミュニケーションの技術だと思うんです。<br>
<br>
ポイントは言葉の抽象度。<br>
<br>
フェラーリよりもスポーツカー、スポーツカーよりも自動車、自動車よりも乗り物、<br>
といったほうが抽象的な言葉と言えます。<br>
<br>
抽象度を上げた言葉を使うことで聞き手が勝手に、<br>
自分の具体的体験と結び付けてくれる効果があるわけです。<br>
<br>
抽象度が高い言葉でリーディングすれば外れにくいわけです。<br>
「最近、何か乗り物で失敗しませんでしたか？」<br>
と聞けば、電車の乗り過ごしかもしれないし、自転車で転んだかもしれないし、<br>
車をぶつけてしまったかもしれないし、幅が広いわけです。<br>
<br>
内面的な記述は基本的に、抽象度が高い言葉でされますので<br>
外れにくい特性があるようにも考えられます。<br>
自分の内面ですから言われたほうも当てはめようとするでしょうし、<br>
人間の無意識のバランスを考えれば全く当てはまらない特性も少ないでしょう。<br>
<br>
ただ、抽象度が高過ぎると当たり前になってしまう側面もあるわけです。<br>
具体的なほどリアリティが高まるんです。<br>
<br>
そのバランスを取りながら、言葉を選ぶ。<br>
この技術が役に立ちます。<br>
<br>
相手を完全に理解することは絶対にできないわけです。<br>
相手を理解しようとするほどに、膨大な量の情報を話してもらう必要が出てきます。<br>
時には過去の苦しい体験も聞いてしまうことになるかもしれません。<br>
<br>
それは負担をかける行為です。<br>
<br>
大切なのは、自分が相手を理解することよりも<br>
相手が理解されていると感じてくれること。<br>
<br>
いかに負担をかけずに必要な信頼関係を築いていくかと考えると<br>
コールドリーディングの話術における抽象度のコントロールは<br>
非常に役立つと思うんです。<br>
<br>
…石井裕之さんは、そういう説明の仕方ではありませんが。<br>
<br>
<br>
ちなみに、今回の新刊はコールドリーディングが実践しやすい形に<br>
まとめられているように感じますので、初めてでも読みやすそうです。<br>
<br>
僕個人としては、コールドリーディングの話術としての凄さは<br>
以前の作品のほうが充実していると思います。<br>
<br>
リーディングにはミスがつきものですから、<br>
そこをどのように利用していくかという発想が重要だと考えます。<br>
その意味でも、以前の本は高度なんです。<br>
<br>
でも、それだと「凄い話術なのは分かったけど、実際にできそうな気がしない」<br>
ということになってしまう場合があったのかもしれません。<br>
<br>
その点、新刊はコールドリーディングを実践してみるのに<br>
とても使い勝手がいい形になっているように思います。<br>
<br>
NLPのミルトンモデルは不特定さや曖昧さで相手に考えさせる部分がありますが、<br>
コールドリーディングは特定していきます。<br>
特定するから「当たっている」と感じるわけです。<br>
<br>
特定しながら外さないための話術。<br>
それさえあればコミュニケーションが上手くいくとは言い切れませんが、<br>
ある場面では非常に役立つ技術じゃないでしょうか。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50634587.html">
<title>テクニックと技術</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50634587.html</link>
<description>書店の心理読み物のコーナーやビジネス書のコーナーには
心理テクニックを扱っている本が結構見受けられます。

読んでいて面白いですね。
心理学を学んでいない人からすると興味を引く内容だろうと思われます。

そういった心理テクニックの大半は、何らかの心理学の...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-07-04T23:56:14+09:00</dc:date>
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[書店の心理読み物のコーナーやビジネス書のコーナーには<br>
心理テクニックを扱っている本が結構見受けられます。<br>
<br>
読んでいて面白いですね。<br>
心理学を学んでいない人からすると興味を引く内容だろうと思われます。<br>
<br>
そういった心理テクニックの大半は、何らかの心理学の文献を参考にしていたり、<br>
有名な法則を元にしていたりするようですが、１つの仮説を語っているわけです。<br>
<br>
過度に一般化した解釈や、特定の状況に左右される内容など<br>
読んでいると誰もが「なるほど、そうかも」と思ってしまうような、<br>
いわば「あるあるネタ」の様相を呈しているとも言えるでしょう。<br>
<br>
中には、催眠的な手法であったり、心理臨床や心理操作、交渉術の達人が<br>
経験的に使っていた方法や技法として活用されるものを<br>
心理テクニックとして紹介しているものも見受けられます。<br>
<br>
確かに、こういうのは面白いんです。<br>
使ってみようかな、という気になったり、好奇心をかきたてられたりします。<br>
<br>
ただ、あくまでテクニックであって、個別の技法だという部分もあります。<br>
本質的な要素というよりは細かい部品ということです。<br>
<br>
<br>
すると、「テクニックではなくて心が大切だ」という主張も出てくるわけです。<br>
テクニックの対極として、気持ちや心のあり方を見ているんです。<br>
うわべのテクニックなどなくても、本当に気持ちがあれば伝わる、<br>
相手へ心を向けるほうが大切だ、と。<br>
<br>
それは素晴らしい考え方です。<br>
確実にイイ話です。<br>
心が暖まるようです。<br>
<br>
では、テクニックと気持ちの２つに分類すればいいのでしょうか？<br>
大まかに分類すれば、確かに２つに分けられると思います。<br>
２つの対極として、テクニックと気持ちを設定するわけです。<br>
行動と、あり方。<br>
DoingとBeingと言ってもいいでしょう。<br>
<br>
その分け方は気をつけないと落とし穴にはまるように思うんです。<br>
<br>
テクニックという言葉が良くない。<br>
「Doing＝テクニック」とした結びつけ。<br>
それによって、Doing、つまり行動レベルのことが<br>
表面的で本質的でないかのように思われてしまう危険性があるんです。<br>
<br>
僕はそうではないと思います。<br>
むしろ、行動に表せなければ意味がない状況さえあります。<br>
<br>
良く言うじゃないですか？<br>
「根は良い人なんだけどねぇ…」って。<br>
<br>
逆に聞きたいぐらいです。<br>
根が悪い人ってどういう人ですか？どれくらいいるんですか？って。<br>
<br>
根が良い人だって、悪気が無かったって、良かれと思ってやったって、<br>
人を傷つけたとしたら、それは傷をつけたことに変わりないんです。<br>
<br>
交通事故が起きた時、悪気はなかったって主張しても<br>
その事故で失われたものは戻らないんです。<br>
<br>
気持ちが大切だ、あり方が大切だって言うのであれば、<br>
それを行動のレベルで表して、相手に伝えられるほうが良いと思います。<br>
<br>
別に伝える必要がないのであれば構いません。<br>
<br>
でも、心理とかコミュニケーションとかに興味のある人というのは<br>
現状で自分の身の回りに起きている人間関係をより良くしたい思いがあるから<br>
何かを学ぼうとするんじゃないかと思うんです。<br>
<br>
そういう人たちは既に、素晴らしい気持ちを持っているんじゃないでしょうか。<br>
相手を思う気持ちを持っているんじゃないでしょうか。<br>
<br>
「どうしても人を好きになれないんです」とか、<br>
「なぜか他人を悪く思ってしまうんです」とか、<br>
そういった気持ちの部分を変えたくて本を読んだり、<br>
セミナーに行ったりする人は滅多にいないと思います。<br>
<br>
もしいたとしても、その人の気持ちは既に素晴らしいじゃないですか。<br>
人を好きになれない自分を悪いと考えられる気持ちがあるんですから。<br>
<br>
<br>
確かに、究極的には気持ちや自分のあり方に行きつくと思います。<br>
相手を大切に思うことがポイントだというのなら、<br>
その度合いをどれだけ高められるかということになるでしょう。<br>
<br>
でも、それが通用しない分野もあります。<br>
福祉や介護といった分野ではコミュニケーションの技術が必要とされます。<br>
<br>
相手の本当の気持ちを汲み取り、相手の望む対応をする。<br>
言葉だけでなく、全身の表情で相手に伝える。<br>
これも全て技術です。<br>
Doingの内容です。<br>
<br>
こういった技術は、心理読み物に出ているような表面的なテクニックとは違います。<br>
きわめて高度な技です。<br>
コミュニケーションという行為における本質的な技術です。<br>
<br>
本で軽く紹介されるようなテクニックというのは、喩えて言えば<br>
野球ならバックハンドトスや、ジャンピングスローのようなものです。<br>
<br>
そればかり練習してもゲームには大きく影響しないでしょう。<br>
<br>
一方、気持ちが大切だという考えは、<br>
野球で言えば「状況を考えて走塁する」「仲間を信じる」というようなもの。<br>
<br>
大切なのは間違いないですが、上達しようというレベルにおいては<br>
また別の方法も必要だろうと思うんです。<br>
<br>
野球で言えば、ボールをしっかり捕る技術、狙ったところに投げる技術、<br>
遠くまで、速く投げる力、バットをボールに当てる技術、バットを力強く振る力…、<br>
身につけるべきポイントは沢山あるわけです。<br>
だから練習するんです。<br>
キャッチボールをして、ノックを受けて、素振りをして、打撃練習をして技術を磨き、<br>
それとは別にランニングやトレーニングをして筋力もつけるんです。<br>
<br>
テクニックがなかったら、ゲームには勝てません。<br>
スポーツなら当たり前なのに、人間関係になると<br>
テクニックよりも気持ちが大切だという考え方が主流になってくるようです。<br>
<br>
それは人間関係の主軸が気持ちという内面の部分にあって、<br>
表面に現れる行動はその表現だ、という前提によるところがあるのかもしれません。<br>
<br>
人の心を大切にしようという気持ちが、テクニックに目を向けることに対して<br>
罪悪感のようなものを感じさせるのかもしれません。<br>
人の心はテクニックで扱うような軽々しいものじゃない、とでも言うような。<br>
<br>
それはテクニックという言葉の意味を浅く捉えているんです。<br>
テクニックは小手先だけではありません。<br>
本質的な技術だってあるんです。<br>
<br>
自分の気持ちをストレートに伝える方法でコミュニケーションをとる人がいたとしましょう。<br>
相手を想う気持ちは溢れんばかりです。<br>
好きだ、好きだと全力で伝えます。<br>
<br>
それは野球なら、ストレートをキャッチャーミットめがけて投げるだけのようなものです。<br>
そんなピッチャーはなかなか勝てないでしょう。<br>
<br>
そこで仲間を信じて、全力で投げ込むことに集中するのも手です。<br>
投げる間合いを不規則に変えるようなテクニックを使うのも手です。<br>
<br>
もし、そのピッチャーが勝てるピッチャーに成長したければ、<br>
球速やキレを増すようなトレーニング、フォーム改造、コントロールを磨く、<br>
決め球となる変化球を身につける、などの技術的、能力的トレーニングをするはずです。<br>
<br>
ストレートに気持ちを伝えるコミュニケーションしかしない人は、<br>
一週間だけ連絡を取るのを止めるとかいうテクニックに走ったり、<br>
もっと相手を大切に思うように気持ちを向けたりすることもできます。<br>
<br>
でも、相手を大切にできるようなコミュニケーション技術を学ぶこともできるんです。<br>
相手の気持ちを感じ取って、対応する技術を学ぶこともできるんです。<br>
<br>
そして、さらには自分自身の人間的魅力を高めるような<br>
（ピッチャーなら球速を上げるような）トレーニングだってできるんです。<br>
<br>
<br>
うわべのテクニックではない、本質的なコミュニケーション技術。<br>
その素晴らしい気持ちを相手に届けられるように、<br>
技術を磨くのも大切なことだと思います。<br>
<br>
これまでは、そういった発想が少なかったのかもしれません。<br>
コミュニケーションは心のもの、気持のものという前提があったのかもしれません。<br>
<br>
あたかもスポーツでは技術が大切だということのように。<br>
<br>
それでも最近は、スポーツにおいてメンタルトレーニングが盛んになってきています。<br>
心の重要性が認められてきたのでしょう。<br>
<br>
コミュニケーションは、ある意味でスポーツとは逆の見方を受けていたように思います。<br>
技術よりも心が大切だと捉えられてきた。<br>
<br>
これからは、コミュニケーションの技術も注目されるようになるような気がします。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50633832.html">
<title>都合のいい学び</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50633832.html</link>
<description>僕はマンガが結構好きなんです。

社会人になるまで、家には大量のマンガがありました。
今では大半を処分してしまいましたが、好きなものは少し残っています。

絵画でも、文章でも、書でもない。
その表現技法は実に素晴らしい可能性を秘めていると思います。


...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-07-02T23:53:58+09:00</dc:date>
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[僕はマンガが結構好きなんです。<br>
<br>
社会人になるまで、家には大量のマンガがありました。<br>
今では大半を処分してしまいましたが、好きなものは少し残っています。<br>
<br>
絵画でも、文章でも、書でもない。<br>
その表現技法は実に素晴らしい可能性を秘めていると思います。<br>
<br>
<br>
で、僕の好きなマンガの中に、「ゼロ　THE MAN OF THE CREATION」というのがあります。<br>
<br>
ストーリーは各回完結で、主人公である天才贋作者「ゼロ」が<br>
芸術作品や破損した物品を複製しながら謎解きが進むようなパターン。<br>
<br>
この物語自体が雑学的に面白い上に、芸術的要素も入っているので<br>
僕の興味を俄然ひきつけてくれます。<br>
<br>
しかも、主人公が孤高の天才というあたりも僕の心を打つようです。<br>
<br>
その主人公の天才性を語るエピソードが盛り沢山なわけですが、<br>
彼の特技は「本物を複製する」というところにあります。<br>
<br>
初期には人間をも複製するようなエピソードもありましたが、<br>
最近では美術品、骨董品が中心になってきています。<br>
<br>
どうやって本物を複製するかというと、原材料から同じものを集めることに始まり、<br>
作者になりきって作品に魂を込めるところまでやるんです。<br>
<br>
この魂を込めるってのがカッコイイんですけど、<br>
ここで強調したいところは別の部分です。<br>
<br>
それは超人的な記憶力。<br>
<br>
主人公は一度見たものを克明に記憶しています。<br>
その記憶のみを頼りに、本物を複製することまでやるわけです。<br>
<br>
映像記憶、フォトメモリー、直観像記憶などと呼ばれる能力です。<br>
<br>
図書館の蔵書も全て暗唱できるレベルで記憶していたりします。<br>
どこの図書館の何番の棚の、何段目の何冊目にある本の何ページかまで覚えていると。<br>
<br>
実際、このような超人的な能力を持った人というのもいるそうです。<br>
サヴァン症候群など、自閉的な傾向となることが多いと言われます。<br>
<br>
<br>
そして、こうした直観像記憶というのは抽象化能力の反対にあるものです。<br>
克明に詳細を記憶するということは大体の意味合いを掴むことと対極にあります。<br>
<br>
直観像記憶ができるということは、シンプルなマンガが描けないということです。<br>
実物どおりに描くことはできても、デフォルメした絵は描けないんです。<br>
<br>
一般に人は、丸の中に点が２つあるだけで、それを顔として見てしまいがちです。<br>
目が２つあるだけで、顔に見えてしまうんです。<br>
<br>
車を正面から見ると顔っぽく見えますし、壁のシミが顔に見えたり、<br>
木の凹凸が顔に見えたり、とかく顔を見つけたがる傾向があるようです。<br>
<br>
それだけ人の顔というものに敏感にできているという意味かもしれませんが、<br>
そのように顔を認識できるのは、顔というものを抽象化して認識しているからです。<br>
<br>
「人の顔を描いて」と頼まれれば、特定の誰かの顔ではない<br>
デフォルメしたマンガの顔を描くことができるのも、<br>
顔を抽象化して理解しているからだということです。<br>
<br>
それは直観像記憶とは逆のことです。<br>
<br>
詳細な情報から意味を読み取るのも抽象化です。<br>
<br>
「愛」と聞いて理解できるのは、「愛」にまつわる体験を抽象化して<br>
「愛」という概念を抽象的に理解しているからです。<br>
<br>
過去の体験を「こんなこともあったなぁ」と何らかの意味付けをするのも<br>
体験を出来事の記憶から、意味の記憶へと抽象化していることになるんです。<br>
<br>
直観像記憶の場合、それが起こらない（非常に起こりにくい）と考えられます。<br>
<br>
詳細な情報を記憶することには、意味を理解するのが難しいという側面が付随するわけです。<br>
<br>
「ゼロ」というマンガの主人公は直観像記憶もありながら、<br>
同時に超人的な抽象化能力で誰にも思いつかないような発想をも生み出します。<br>
正反対の特性を併せ持つ、天才なんです。<br>
…まぁ、だからマンガなのかもしれませんが。<br>
<br>
<br>
このように詳細な情報を正確に認識して整理・記憶する能力と、<br>
情報を抽象化して意味を読み取り、意味ネットワークを作り上げる能力と、<br>
両方に秀でているのが最高なわけですが、実際にはそれが難しいので<br>
我々一般人は両方向を努力する必要があると思うんです。<br>
<br>
現代社会においては、情報を正確に記憶する必要があるかと考えると<br>
膨大な情報量をすぐに取り出せるIT関連技術があるわけなので、<br>
記憶するよりは正確に整理することが実践的なように考えられます。<br>
<br>
例えば、本から何かを学ぶ時、本一冊を暗唱できるようになるよりも、<br>
その本一冊から意味を読み取って理解するほうが実用的かもしれないということです。<br>
<br>
その時に気をつけなければならないのが、飛ばし読みのような理解です。<br>
速読の技法の多くは、断片的な情報を集め、それを再構成する方法を取ります。<br>
<br>
これにはリスクが伴う気がします。<br>
<br>
情報を自分の持っている意味ネットワークでつなぎ合わせ、<br>
自分の理解している内容に当てはめて納得してしまう可能性があるからです。<br>
<br>
具体的に考えると、こういうことです。<br>
<br>
　「怒りの感情を抱えたまま人と接すると、相手に怒りが伝わってしまうので<br>
　　怒りの感情は吐き出してしまったほうがいい」ということを学ぶ。<br>
　ここから「怒りは抱えたままにしないほうがいい」と理解する。<br>
　誰かに対して怒りの感情を持った時に、相手に対して吐き出す。<br>
　怒りをぶつけられた相手は不愉快になり関係が悪化する。<br>
<br>
こういうことは情報を正確に把握していないことで起こります。<br>
もっと詳しい内容として、場面や人間関係などを把握していれば、<br>
相手に直接怒りをぶつけるという内容ではないことが分かります。<br>
目的は相手に怒りの感情をぶつけないところにあるわけです。<br>
<br>
部分的な情報だけが印象に残り、それを普段の自分がやっている行動や<br>
自分がどこかで学んだ内容に結びつけてしまうと、情報の意味が変わってしまいます。<br>
新たなことが学べなくなってしまいます。<br>
<br>
<br>
新たなことを学ぶ時、何とも関連づけずに個別のこととして理解すると<br>
本質を理解することができません。<br>
<br>
同じ事例のときに、学んだことをソックリそのまま真似をすることになります。<br>
うわべで知識を仕入れるということです。<br>
<br>
一方、新しい情報を自分の知っていることに当てはめて解釈すると、<br>
新しいことを学ぶことはできません。<br>
自分の理解と考えを他人の情報の断片を使って補足しているだけです。<br>
<br>
「～さんもこういっていた」と言いながら自信を補っているわけです。<br>
元の情報で重要だったポイントとは無関係かもしれないにも関わらず。<br>
<br>
どちらも新たに学ぶ情報を正確に理解しようとしていないんです。<br>
<br>
興味深いのは、うわべだけで理解するのも、自分に都合よく当てはめるのも、<br>
どちらか一方の傾向が出やすいということではなさそうだという点です。<br>
<br>
気をつけないと、どちらもやってしまいがちなんですね。<br>
<br>
つまるところ、両方とも、良く考えていないんだと思います。<br>
<br>
自分に全くない情報が入ってきたときには<br>
関連付けられないから個別の情報としてソックリそのまま覚える。<br>
まだ理解できていない状態なんだろうと思います。<br>
<br>
本質的な意味がつかめていないから、似た状況でのマネしかできないわけです。<br>
<br>
ところが、自分の理解している範囲に関わる情報が入ってきたら、<br>
自分の理解している部分だけが飛び込んでくるんでしょう。<br>
他の知らない部分は途端に目に入らなくなり、断片的な解釈が始まる。<br>
<br>
その断片情報は捻じ曲げて解釈され、新しい学びにはならない。<br>
これも分かったつもりになって本質的な意味を理解しようとしないからです。<br>
<br>
全ての情報を正確に把握し、その意味を理解しようとする。<br>
分かったつもりにならないことが大切なんだろうと思います。<br>
<br>
うわべだけの知識を仕入れて分かったつもりにならない。<br>
分かるまで、その意味を考える。<br>
<br>
分かったつもりになって、新たな情報を曲げて解釈しない。<br>
本当に分かるまで、その意味を考える。<br>
<br>
「分かりたい」という気持ちが強ければ、<br>
分かったつもりになることもないんでしょうね。<br>
<br>
何者かの権威にすがり、その情報を鵜呑みにすることで安心したいのか。<br>
自分で考えて、自分で答えを見つけたいのか。<br>
<br>
目的が違うんだろうと思いました。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50631536.html">
<title>TOTEモデル</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50631536.html</link>
<description>名前をつけると「それ」っぽくなるケースって結構ありますね。

言われてみれば当たり前のことと思えるような内容を
１つの法則のように簡略化して名前をつける。
心理学とかビジネス分野で多く見られるような印象があります。

理系はこのあたりがシビアですね。
法...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-06-30T23:23:36+09:00</dc:date>
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[名前をつけると「それ」っぽくなるケースって結構ありますね。<br>
<br>
言われてみれば当たり前のことと思えるような内容を<br>
１つの法則のように簡略化して名前をつける。<br>
心理学とかビジネス分野で多く見られるような印象があります。<br>
<br>
理系はこのあたりがシビアですね。<br>
法則とか定理の類は本質的な情報として整理されていなければ受け入れられませんし、<br>
新規制と進歩性がなければ特許としても採用されません。<br>
<br>
オリジナルというのは本来、とても困難なことなはずです。<br>
<br>
心理療法では、特に欧米の研究者たちによって<br>
オリジナルの手法が発表されるケースが多いそうですが、<br>
コミュニケーションという人と人との関わりは曖昧なものでもあって<br>
１００％同じ内容になることは決してあり得ないわけです。<br>
<br>
そのためオリジナルと称される手法の内訳を分析していくと<br>
本質的には似たものになっていることは想像に難くないでしょう。<br>
<br>
つまり、やり方として手順をまとめ上げたものというのは<br>
説明の仕方によって変わる可能性が高く、実際の内容として<br>
客観的に見て取れる交流の方向性には通じるものが多いだろうということです。<br>
<br>
コミュニケーションにおいて「自分が何を意識して人と関わるか」という部分は<br>
人によって、やりやすさに違いがあるんでしょう。<br>
それが数多くの手法が生み出される理由だろうと考えられます。<br>
<br>
相手の目を見て話を聞くことを意識すると良好な関係を築きやすい人もいれば、<br>
相手の立場になって話を聞くことを意識するほうが上手くいく人もいます。<br>
相手の肩に手を置いている想像によって心を通わせる人もいれば、<br>
相手の幸せを祈りながら話を聞くことを大切にする人もいるわけです。<br>
<br>
どういう意識を持つか。<br>
それに名前をつけると１つのテクニックになってしまうのかもしれません。<br>
<br>
<br>
NLPとして本に記載される内容の中にも、名前の効果を強く感じるものがあります。<br>
<br>
例えば、「TOTEモデル」です。<br>
<br>
聞いたことのない人にとっては凄そうな印象を与えるかもしれません。<br>
でも実際は、ごくごく当たり前の内容です。<br>
<br>
TOTEというのはTest-Operate-Test-Exitの頭文字。<br>
入力（Input）から出力（Exit）までの間にTestとOperateを繰り返すというもの。<br>
満足のいく結果が得られるまで、よくチェックして、やり方を変えてみよう、<br>
そんな内容のことです。<br>
<br>
失敗ではなく、フィードバックだということですが、<br>
まさに、このプロセスはシンプルなフィードバック制御そのものです。<br>
<br>
面倒臭いまでに詳細に説明すれば、大きな意味を持つ部分もあるのかもしれませんが、<br>
詳細に説明しなければならない時点で便利なモデルではないわけです。<br>
<br>
<br>
上手くいくまで、やり方を変えてみる。<br>
当たり前のことですが、実際には難しいところがあるからこそ<br>
こういったシンプルなモデルが「TOTEモデル」などと名付けられているのでしょう。<br>
<br>
人は不思議なもので、上手くいかないときほど特定のパターンで硬直してしまいます。<br>
交流分析でいうゲームなどは、この典型ですね。<br>
<br>
ちなみに、目標に対してチェックして、やり方を変えるという手順は<br>
ビジネス分野で良く使われるPDCAサイクルと似ています。<br>
<br>
説明の図が違うので、どちらもオリジナルを主張するでしょうが、<br>
僕にとっては同じ内容としか思えません。<br>
<br>
どちらにもメタレベルからの学習のステップが入っていない点で<br>
実用性に欠けた説明モデルだと判断します。<br>
<br>
<br>
TOTEモデルはシンプルなフィードバック制御のモデルだと思います。<br>
サーモスタットと似たようなもの。<br>
<br>
例えば、お湯の温度を４０℃にキープしようとしたとき、<br>
最初の温度が２５℃だったら加温するわけです。<br>
で、温度を計る。３５℃。<br>
まだ低いから加温する。温度を計る。今度は４５℃。<br>
高くなり過ぎた。加温をやめる。待つ。<br>
温度を計る。４２℃。まだ待つ。<br>
計る。３９℃。<br>
また加温する。４９℃。高過ぎる。<br>
待つ。待つ。待つ。<br>
計る。と、４０℃。目標温度達成。<br>
<br>
とまぁ、こんな感じですね。<br>
実際には、すぐにまた温度が下がって加温、放置を繰り返すわけですが。<br>
<br>
シンプルなフィードバック制御であれば、熱量と加温時間と制御下限を設定して、<br>
３９℃以下になったら５秒加温する、というようなルールを作るわけです。<br>
すると４０℃付近の温度を行ったり来たりする制御ができます。<br>
<br>
でも、実際に人間が考える場合であれば、もっと上手くやるはずです。<br>
<br>
最初にある程度の時間で加温して温度を測定し、時間と温度上昇の関係を予測する。<br>
で、設定温度よりも少し手前になると予測される時間だけ加温して、温度測定。<br>
そこからは、こまめに短時間の加温と温度測定を繰り返す…。<br>
<br>
といった感じでしょうか。<br>
<br>
これもまだTOTEモデルで説明できる範囲です。<br>
<br>
ところが、制御工学ではもう少し巧みなことをします。<br>
設定温度との差に応じて加温条件を変えるということです。<br>
PID制御と呼ばれるような方法でしょうか。<br>
<br>
温度が低いうちは一気に加温して、温度が設定値に近づいてきたら少しずつにする。<br>
人間が考えそうなパターンをプログラムとして作ったわけです。<br>
<br>
こういう具合に、実際にやってみた結果を一通り分析して、<br>
そのプロセスをパターン化することが、学習において非常に重要なんです。<br>
<br>
確かにTOTEモデルを繰り返していれば必ず成果には結び付きます。<br>
しかし、より短期間で成果を上げるためにはTOTEモデルで試行錯誤したプロセスを<br>
一通り分析して、そこから上手くいくパターンを学習する必要があります。<br>
<br>
具体的な例で説明するとしたら、こういうことです。<br>
<br>
例えば、訪問での営業を考えてみます。<br>
<br>
まず初対面。礼儀正しく話しかけて「忙しい」と断られる。<br>
二回目の訪問。今度は気さくな雰囲気で話しかけてみる。が、断られた。<br>
三回目の訪問。担当者が不在。対応してくれた若手社員と話す。<br>
　身につけていた腕時計で趣味が合い、話が盛り上がる。<br>
四回目の訪問。先日の若手社員と話しているところへ担当者が来る。会話がはずむ。<br>
　チャンスと踏んで、商談に持ち込む。が、断られる。<br>
五回目の訪問。担当者との話の中から、困っていることが聞き出せた。<br>
　それに見合った商品を販売できた。<br>
<br>
これをTOTEモデルという観点で見たら、毎回違うアプローチをしています。<br>
礼儀正しいのはダメ。気さくなのもダメ。不在じゃ話にならない。<br>
会話が盛り上がっても商談とは無関係。困っていることを聞けたら、上手くいった。<br>
<br>
結果的には上手くいったので、TOTEモデルとしては完結しています。<br>
目標達成です。<br>
<br>
では、別の機会にはどうなるか。<br>
このプロセスで何を学んだかが重要です。<br>
<br>
何も学んでなければ、初対面の対応は同じでしょう。<br>
間違った学習をしていたら、上手くいったポイントとして<br>
「困ったことを聞けばいい」という内容を学んでしまいます。<br>
<br>
TOTEモデルでは、上手くいくまで違うやり方をすればいい、<br>
というシンプルな考えに基づいて進めていきますが、<br>
その発想で行くと上手くいったときのやり方にポイントがあると考えがちです。<br>
<br>
でも実際は、そうとは限りません。<br>
<br>
先の例で言えば、何度も足を運ぶうちに<br>
良好な人間関係ができたことがポイントだったかもしれないわけです。<br>
<br>
上手くいくまで結果をフィードバックとして活用し、やり方を変えていく。<br>
その途中では、これまでの経緯を全てフィードバックとして活用しなければなりません。<br>
<br>
そして上手くいった最後の段階で、<br>
これまでの全てのプロセスを振り返る必要があります。<br>
<br>
ここが重要だと思います。<br>
上手くいった時こそ、そこに至るまでのプロセスから本質を学ぶ必要があるはずです。<br>
<br>
原因と結果を短絡的に結び付けるのではなく、<br>
複雑なプロセスから意味を見出すということです。<br>
<br>
以前に上手くいった方法や、他の誰かが上手くいった方法が<br>
同じように上手くいくわけではないんです。<br>
<br>
名前のついた手法を学ぶ時、名前の知れた人の技術を学ぶ時には、<br>
鵜呑みにしてしまうのは危険な気がします。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50630550.html">
<title>７月の勉強会</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50630550.html</link>
<description>７月の勉強会のお知らせ

６月の勉強会は土曜日の夜という日程にも関わらず
多くの方にご参加いただきました。

リフレーミングというテーマは非常に奥深く
3時間では短すぎる印象もありましたが、１つの形にまとめたつもりです。

特に、話し手のフレームを変えるこ...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-06-28T23:38:14+09:00</dc:date>
<dc:subject>セミナー情報</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b><font color="000066" size="3">７月の勉強会のお知らせ</font></b><br>
<br>
６月の勉強会は土曜日の夜という日程にも関わらず<br>
多くの方にご参加いただきました。<br>
<br>
リフレーミングというテーマは非常に奥深く<br>
3時間では短すぎる印象もありましたが、１つの形にまとめたつもりです。<br>
<br>
特に、話し手のフレームを変えることなく、<br>
聞き手が自分のフレームを話の内容からリフレーミングするという手法は<br>
話し手に受け入れられやすく、かつ効果的なコミュニケーションだと思われます。<br>
<br>
プロセス・リフレーミングにも通じる部分がありますが、<br>
「分かってもらえた」という思いを感じてもらうためには必須かもしれません。<br>
<br>
<br>
７月の勉強会では、そのリフレーミングとも関連する形で<br>
<font color="000066"><b>「ねぎらい」</b></font>を中心に扱ってみようと考えています。<br>
<br>
一般的な言葉の使われ方としては、「ねぎらい」と言った場合<br>
「がんばってるね」とか<br>
「大変だったね」とか<br>
「よくやったよ」とか<br>
そういった言葉がけとして捉えられることが多いようです。<br>
<br>
「ほめる」のは目に見える成果や、良いところがないと難しいと考えられがちですが、<br>
「ねぎらう」のは結果が伴わなくても可能だという意味で使い勝手が良いと言われます。<br>
<br>
ところが、実際には「良いところがない」という事態は滅多にありません。<br>
例えば、犯罪者を取り調べしていて反省の色すら全く見えない時であっても、<br>
取り調べの席で座っていてくれている部分に対しては評価ができるわけです。<br>
<br>
すると「ねぎらい」というのは目につきにくい良いところ、<br>
あるいは結果以外で評価に値するところに言葉をかける、ということになるでしょうか。<br>
<br>
良いところを評価するわけですから、「ほめる」との違いは不明確です。<br>
辞書で使われる言葉の説明と一致させるのは難しいところがあります。<br>
<br>
辞書で説明されるような一般的な言葉の使い方として<br>
「ねぎらい」と「ほめる」が曖昧な定義をされているということです。<br>
<br>
「ねぎらい」の言葉が日常的には、「よく頑張ったね」という程度の<br>
表面的なコミュニケーションでしか使われていないことを物語っていると思われます。<br>
<br>
<br>
勉強会で扱いたい「ねぎらい」の技術は日常的に使われるような<br>
「大変だったね」や「よくやってきたね」という言葉とは違います。<br>
<br>
もっと相手の心の深い部分に語りかけるコミュニケーションです。<br>
<br>
そこには共感的な要素が含まれます。<br>
<br>
「共感」と「ねぎらい」の違いも曖昧に感じられるかもしれません。<br>
そこは明確に説明ができます。<br>
<br>
と言っても、それはロジャース派が使うような共感という言葉の意味とは違います。<br>
<br>
「ほめる」と「ねぎらう」と「共感する」。<br>
勉強会では、これらの言葉の使い分けを説明したうえで、<br>
「ねぎらい」を技術として身につけるためのトレーニングを行います。<br>
<br>
そこには「リフレーミング」や「保証」などのコミュニケーション技法も関わります。<br>
併せて整理したいところです。<br>
<br>
<br>
では、なぜ「ねぎらい」が重要かということです。<br>
<br>
この理由はハッキリしています。<br>
<br>
それは、ある割合の人々は自分の苦しみや問題、悩みを解決したいと<br>
本心では思っていないからです。<br>
<br>
悩みや愚痴や苦労話を聞く時、そこに解決は求められていないことが多いんです。<br>
そんなときにコーチングなどされたら不愉快以外の何物でもありません。<br>
<br>
ロジャース派の傾聴なら救われる部分もあるでしょう。<br>
話を聞いてもらえた、ということだけで楽になれます。<br>
でも、話は終わりません。<br>
<br>
人が困ったことや悩み事、苦労話などを話すとき、<br>
その裏には分かってもらいたい気持ちがあるんです。<br>
ある感情と結びついたその気持ち。<br>
それをケアしてもらうことを、知らず知らずのうちに求めているんです。<br>
<br>
話している本人すら意識できていない分かってもらいたい気持ち。<br>
それを言葉を通じてケアしてもらう。<br>
カタルシスと呼ばれるものは、この段階で起きます。<br>
楽になれます。<br>
<br>
そのための言葉がけを「ねぎらい」として扱いたいわけです。<br>
<br>
日常的なコミュニケーションでコーチングはしません。<br>
心理療法の技法も使いません。<br>
変化のためのお手伝いは、本人の意思を確認した上でしか行わないのが原則です。<br>
<br>
日常的なコミュニケーションで可能な最大限の援助が「ねぎらい」だということです。<br>
<br>
<br>
３連休の真ん中になりますが、深い心の交流を目指す方には<br>
是非とも学んでいただきたいスキルだと考えています。<br>
<br>
日曜日の開催ですので、午前と午後、内容を関連させながら<br>
個別参加が可能なテーマで進めていきます。<br>
<br>
詳細は以下のとおりです。<br>
<br>
<br>
<br>
※勉強会の趣旨に関しましては<br>
<a href="http://rikei.livedoor.biz/archives/50205495.html">勉強会070725 ( http://rikei.livedoor.biz/archives/50205495.html )</a>をご覧下さい。<br>
<br>
<br>
<font size="3" color="ff0000"><b>【勉強会の詳細】</b></font><br>
<br>
【日時】　<b>7月20日(日)  <br>
　　　　午前の部　10:00～12:30<br>
　　　　午後の部　13:30～16:30</b><br>
<br>
【場所】　<a href="http://www.kitaku-town.com/map/ki007302"><b>滝野川会館　304集会室</b></a><br>
　　　　（JR京浜東北線・上中里駅より徒歩7分）<br>
　　　　（JR山手線・駒込駅より徒歩10分）<br>
　　　　（東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分）<br>
<br>
【参加費】当日、会場にてお支払いください。<br>
　　　　　初めてのご参加の方は、お試し割引きとなります。（ほんのチョットですけど）<br>
<br>
　　　　　<b>◆午前の部　・・・2,000円</b>　（午前の部にお試し割引はありません）<br>
<br>
　　　　　<b>◆午後の部</b><br>
　　　　　《通常のご参加の方》　・・・ <b>5,000円</b><br>
<br>
　　　　　《初回のご参加の方》　・・・ <b>4,000円</b><font color="ff0000">（お試し割引が適用されます）</font><br>
　　　　<br>
　　　　<br>
テーマ：　◆午前の部　<b>『話の聴き方トレーニング』</b>～リフレーミングを目指して～<br>
　　　　　◆午後の部　<b>『ねぎらいの技術』</b><br>
　　　　<br>
<b>＊多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、<br>
　学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。<br>
　ご了承ください。</b><br>
<br>
<br>
<br>
「気づき」さえあれば成長できる人は、ごくわずかしかいません。<br>
<br>
「気づき」を促進する取組みはストレスをかけます。<br>
ストレスをかけ、袋小路に追い詰められた時に、<br>
今までとは違うやり方に「気づく」ことができるんです。<br>
<br>
質問もまたストレスです。<br>
一般的には、質問されて答えないということはありません。<br>
少なくとも答えようとして、考えることはしてしまうわけです。<br>
<br>
ストレスをかけ続けていたら、気持ちは離れていってしまいます。<br>
<br>
飲み会の席でコーチングをされると不愉快になるのは<br>
相手に質問という暗黙のコントロールを受け、ストレスを感じるからです。<br>
<br>
問題の焦点化をするというのは、さらにストレスをかける行為です。<br>
気持ちのレベルで苦しみを抱えたまま、その問題を明確にする。<br>
余計に苦しくなるはずです。<br>
<br>
問題を焦点化するときには、必ず「ねぎらい」でバランスを取る必要があるんです。<br>
<br>
「ねぎらい」によって気持ちをケアされて初めて、<br>
自分自身で問題を焦点化する力が湧いてくるものです。<br>
<br>
気持ちがケアできていないタイミングでの気づきは苦しさを伴います。<br>
気持ちが満たされる関係の中での気づきだからこそ、成長に活かせるわけです。<br>
<br>
<br>
相手を思う気持ちは素晴らしいものでしょう。<br>
優しさのかたまりのような人もいるでしょう。<br>
<br>
全ての人が言葉以外の部分から気持ちを汲み取ることをしていれば<br>
世の中は今よりも円滑で穏やかに動くことだろうと思います。<br>
<br>
しかし、残念ながら現実は違います。<br>
思いは言葉にしなければ伝わらないのです。<br>
<br>
だからこそ、相手の気持ちを受け取り、言葉として「ねぎらい」を伝える。<br>
<br>
相手を思う気持ちの深さも、内に秘めたる優しさも<br>
言葉にして伝えられなければ、なかなか人は受け取ってはくれません。<br>
<br>
優しい人ほど言葉にできない想いを沢山抱えているものです。<br>
<br>
それを言葉にするのにもトレーニングが必要だと考えますが、いかがでしょうか？<br>
<br>
<br>
当日、ご一緒に学べることを楽しみにしております。<br>
<br>
<br>
<br>
<font size="3" color="ff0000"><b>参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。</b><br>
（*は必須項目です）</font><br>
<!--ninja_style_mailform--><br>
<div id="SMFkkk">Powered by <a href="http://www.ninja.co.jp/" target="_blank">NINJA TOOLS</a></div><br>
<script type="text/javascript" src="http://mf1.shinobi.jp/call/f9cfa524238206e6769ea88c7f84e773/080720gr-study.js" charset="utf-8"></script><br>
<noscript>[<a href="http://mf1.shinobi.jp/stat/f9cfa524238206e6769ea88c7f84e773/080720gr-study.js" target="_blank">NINJA_STYLE_MAILFORM</a>]</noscript><br>
<!--ninja_style_mailform--><br>
トレーニングには色々あります。<br>
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。<br>
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。<br>
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。<br>
<br>
<br>
<b>是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。</b><br>
<br>
今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。<br>
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。<br>
<br>
いずれの回からのご参加でも、初めて起こしになるときはお試し価格を適用いたします。<br>
その旨をお伝えください。<br>
<br>
<br>
また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。<br>
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを<br>
心から願っているためです。<br>
<br>
<br>
【その他のご連絡事項】<br>
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は<br>
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。<br>
お時間などの相談をさせていただきます。<br>
<br>
<br>
勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。<br>
話題を遮っていただいて構いません。<br>
<br>
その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。<br>
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。<br>
<br>
<font color="000066">また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら<br>
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。</font><br>
調査して勉強会にあたります。<br>
<br>
<br>
<br>
それでは当日お会いできることを楽しみにしています。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50628760.html">
<title>使役動詞</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50628760.html</link>
<description>使役動詞。
　「～させる」


喜ばせる、
楽しませる、
笑わせる、
感動させる、
元気にさせる、
気づかせる、
決定させる、
変化させる、
成長させる、…。

どれも相手を変えようとしている。
操作しようとしている。

「…を幸せにする」も「…を幸せな...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-06-26T23:20:22+09:00</dc:date>
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[使役動詞。<br>
　「～させる」<br>
<br>
<br>
喜ばせる、<br>
楽しませる、<br>
笑わせる、<br>
感動させる、<br>
元気にさせる、<br>
気づかせる、<br>
決定させる、<br>
変化させる、<br>
成長させる、…。<br>
<br>
どれも相手を変えようとしている。<br>
操作しようとしている。<br>
<br>
「…を幸せにする」も「…を幸せな気分にさせる」という意味では同じです。<br>
<br>
<br>
ここには「相手はそのままではダメだ」という前提があるように感じます。<br>
相手がその状態であることを自分が許せないように感じるんです。<br>
<br>
使役動詞を使うとき、根本には「相手を自分の思い通りにしたい」<br>
という気持ちがあるような気がします。<br>
自分の都合を相手に押し付けていないかということです。<br>
<br>
自然と使役動詞が口をつくこともあるでしょう。<br>
別にそんなつもりで言ったんじゃない、ということもあるでしょう。<br>
<br>
でも、言葉は体験と結びついたものです。<br>
無意識のうちに、過去の記憶にある気持ちに適切な言葉を選ぶということもあります。<br>
<br>
自分勝手な思いがないか。<br>
使役動詞に気づいたとき、それを振り返ってみるのもいいのではないでしょうか。<br>
<br>
<br>
少なくとも、僕が尊敬する心の専門家の方々の口から<br>
使役動詞を聞いた記憶は滅多にありません。<br>
<br>
指示の内容として「～させて下さい」と言うことはあっても、<br>
自分が誰かを～させる、という意味合いでは耳にしないんです。<br>
<br>
専門家として相手のニーズを満たすために<br>
「気づかせ」たり、「考えさせ」たり、「答えを出さ」せたりすることはあるようです。<br>
でも、そこにはハッキリとした覚悟を感じるんです。<br>
<br>
相手のニーズに応えるため、相手への専門的援助のプロセスとして、<br>
戦略的で作為的な関わりをすることもあります。<br>
ただ、それは責任を伴った行為です。<br>
<br>
人と人が関われば、そこにコミュニケーションが生まれ、<br>
その結果としてお互いに何らかの変化が生じるものです。<br>
<br>
その変化が大きいか微々たるものかは別にして、変化は必ず起こります。<br>
少なくとも体験の記憶は変わるはずです。<br>
絶対に変化が起こるんです。<br>
<br>
そして、その変化が一度起きてしまったら、二度と元には戻れません。<br>
<br>
そのことを分かった上での関わりには責任が生まれます。<br>
分かった上で積極的・作為的な関わりをするとしたら、覚悟がなければできません。<br>
<br>
自分の関わりによって相手に起こる変化へ責任を取る覚悟です。<br>
<br>
もちろん、全ての責任を取るわけではありません。<br>
相手の意思が前提です。<br>
だからこそ、責任の範囲を明確にするために、相手へ確認する必要があるわけです。<br>
<br>
「～させる」と、使役動詞で話すとき、<br>
その内容は相手に確認をとったものでしょうか。<br>
他人の人生を勝手に変えようとしていないでしょうか。<br>
<br>
<br>
特に「気づかせる」には注意が必要だと思います。<br>
<br>
気づくのは時に苦しいものです。<br>
気づきすぎるのも大変なんです。<br>
<br>
そして何より、気づいてしまったら、気づく前には戻れないわけです。<br>
<br>
自分自身が気づく体験を繰り返してきたら、<br>
自分自身が気づきの苦しみの部分を実感してきていたら、<br>
他人を「気づかせよう」とは考えないものだろうと思うんです。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50626169.html">
<title>場の力</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50626169.html</link>
<description>コミュニケーションにおいては「場」も大切です。

話の内容は文脈によって決まってきますが、
言語的な文脈だけでなく状況に埋め込まれた多くのメッセージを受けて
コミュニケーションの意味が変わってくるんです。

そうした「場」の持つ効果というのは、テレビ番組...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-06-23T23:51:44+09:00</dc:date>
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[コミュニケーションにおいては「場」も大切です。<br>
<br>
話の内容は文脈によって決まってきますが、<br>
言語的な文脈だけでなく状況に埋め込まれた多くのメッセージを受けて<br>
コミュニケーションの意味が変わってくるんです。<br>
<br>
そうした「場」の持つ効果というのは、テレビ番組に強く反映されるように思えます。<br>
<br>
<br>
最近、このブログに訪れる人の中には「Yahoo!」のキーワード検索で<br>
「深イイ話」と入力して見つけてくる方が結構いるようですが、<br>
この「深イイ話」というテレビ番組では、「場」の効果が顕著に表れています。<br>
<br>
「深イイ話」というのは、深くて良い話ということだそうですが<br>
番組中では、ある話題を1分間にまとめたVTRを放映して、<br>
審査員となっている出演者たちが「深イイ」かどうかを判断する形式です。<br>
<br>
これが強烈に「場」を形成しているわけです。<br>
<br>
普通に考えると1分間の話で感動するというのは難しいものがあります。<br>
感情移入するポイントや、前提情報が不足がちだからです。<br>
<br>
その点は、テレビというメディア形態の中で映像表現として工夫されている部分や、<br>
また話題自体も有名人を中心としたものが多いので<br>
前提情報として登場人物の背景を視聴者が知っているということで緩和はされています。<br>
<br>
それでも映画で受けるような感動は、通常では得られないわけです。<br>
映画は2時間近くその世界に入り込むことで十分に背景を理解し、<br>
感情移入する準備をさせてくれます。<br>
<br>
どんなに「深イイ」話であったとしても、1分間で涙することは難しいはずです。<br>
<br>
<br>
そして、1分間の話では決して結論は語られません。<br>
それは映画と同じでしょう。<br>
<br>
話題を提供する側としては「深イイ」ポイントがあるはずですが、<br>
それはあくまでクライマックスとして終盤に盛り込まれるまでに留められ、<br>
「だから～ということなんです」とは説明されないんです。<br>
<br>
すると必然的に、出演者を含め、1分間の話のVTRを見ていた視聴者自身が<br>
その話から意味を読み取る必要があるわけです。<br>
<br>
これが日常会話であったら、まず間違いなく物足りない話題になります。<br>
情報不足の感が否めないでしょう。<br>
自然と聞き手は話を詳しく聞こうとして質問をしたりすると予想されます。<br>
<br>
ところが、この番組には1分間で「深イイ話」かどうかを判定するルールがあります。<br>
<br>
ある話題を1分間のVTRにまとめ、それだけを見て、出演者が判定をする。<br>
この流れが「場」ということです。<br>
<br>
その上、メインパーソナリティーでもある島田紳助氏のコメントが<br>
また「場」を強めています。<br>
それは番組の初回放送時と比べ、ハッキリと強まってきた傾向だと考えられます。<br>
<br>
視聴者は察しなければならないんです。<br>
<br>
そういう雰囲気が「場」として出来上がっています。<br>
どれだけ深読みできるかが求められているように見えるんです。<br>
<br>
<br>
つまり、1分間の話をVTRで見て、それだけで感動するかどうかではないということです。<br>
<br>
その内容に対して、受け取る側である視聴者(出演者を含む)が<br>
自分の想像力と理解力を活用して、周辺情報を付け足し、心情を推測し、<br>
そこにあるドラマを自分なりに描く。<br>
<br>
こういうことが暗黙の了解として求められているわけです。<br>
そういう「場」が出来ているように思います。<br>
<br>
それはNLPで考えると、ミルトン・モデルに近い働きです。<br>
<br>
あるメッセージを受け取り手が自分なりに解釈する。<br>
曖昧さや情報の省略、不特定さによって、受け取り手が不足分を自分で補う。<br>
それには補いたくなるような「場」が重要だということです。<br>
<br>
ちなみに、メタファーというのも通常は、話の長さが大切になります。<br>
そこに含まれるプロセスをパターンとして読み取りたくなるだけの長さが必要なんです。<br>
<br>
長めの話を聞いたときに、聞いていた側が自分なりに結論を見出そうとするとき<br>
それを自分の体験や状況と照らし合わせるのがメタファーの効果です。<br>
<br>
例外的に、非常に短いメタファーというのも作り得ます。<br>
その場合には、話題が非現実的で、物語としての象徴性を持っていることが必要になります。<br>
<br>
例えば、勉強会のときに話題として提供して頂いたもので、こんな話がありました。<br>
<br>
　　イモ虫が蝶を見上げながら『蝶は空が飛べていいなぁ』と言っていた。<br>
<br>
たったそれだけの話です。<br>
でも、これには多くの前提情報があって、それを元にして意味を感じ取れるわけです。<br>
<br>
で、この話が少し変わると、意味は全く別になります。<br>
<br>
　　カタツムリが蝶を見上げながら『蝶は空が飛べていいなぁ』と言っていた。<br>
<br>
いかがでしょうか？<br>
登場人物が変わっただけです。（人物という言い方が正しいかは微妙ですが）<br>
<br>
さらに少し付け加えたら、また意味が違って感じる方もいるかもしれません。<br>
<br>
　　カタツムリが蝶を見上げながら『蝶は空が飛べていいなぁ』と言っていた。<br>
　　蝶は空からカタツムリを見ながら『カタツムリは家があっていいなぁ』と言っていた。<br>
<br>
こんな風に、短い話というのは受け取り手が状況を推測する度合によって<br>
意味合いが変わってくるわけです。<br>
<br>
ということは、1分間の話で「深イイ」と感じるかどうかは<br>
受け取り手である視聴者自身に依存していると言えるわけです。<br>
<br>
1分間の話だけから「深イイ話」かどうかを判別するという形式は、<br>
視聴者から暗黙のうちに、その話を適当に流すという選択を奪い、<br>
その話を深く受け止めようと意識させる「場」を作っています。<br>
<br>
むしろ、出演者が「深イイ話」として受け取れるかどうかを<br>
判別されるようなことになっている。<br>
「よく分からなかった」とは言いにくい状況。<br>
<br>
あなたには、この話が「深イイ話」として受け取れるだけの<br>
想像力と感受性と人生経験がありますか？<br>
…出演者はそういう風に問われている、とも解釈できると思うんです。<br>
<br>
「場」には強制力があります。<br>
コミュニケーションにおいて「場」の持つ力は大きいわけです。<br>
<br>
知らず知らずに従ってしまう「場」の力。<br>
それを客観的に理解できるようになることで、自分にかかる力を弱められます。<br>
<br>
そうすることで、自分自身が「場」を作り出すことすらも可能になってくるはずです。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50623466.html">
<title>うわべの行為</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50623466.html</link>
<description>ホスピタリティという言葉が知られるようになり、
インターネットビジネスの普及によってマーケティングの手法が一般化してくると、
顧客フォローと呼ばれるような事柄も、型として有名になっていくようです。


僕が会社にいながら色々なセミナーで勉強していた頃、
...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-06-20T16:59:43+09:00</dc:date>
<dc:subject>コミュニケーション</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[ホスピタリティという言葉が知られるようになり、<br>
インターネットビジネスの普及によってマーケティングの手法が一般化してくると、<br>
顧客フォローと呼ばれるような事柄も、型として有名になっていくようです。<br>
<br>
<br>
僕が会社にいながら色々なセミナーで勉強していた頃、<br>
出会う人同士で集まるような機会にも自然と顔を出すようになっていました。<br>
<br>
セミナーで仲良くなった人同士で開催した飲み会に誰かの友達が来たり、<br>
逆にこちら側が友達として他の会合に呼ばれたり、<br>
新しい出会いが数多くあったわけです。<br>
<br>
そういう場所には異業種交流会が好きな人とか、<br>
人脈作りを頑張っている人とか、<br>
名刺交換をお願いされることもありました。<br>
<br>
僕自身は、そうした人のつながりを目的に参加していたわけではないので<br>
会社の名刺しか持っていませんでしたし、<br>
名刺だけ交換してロクに話もせずに他のところへ行く人のことを<br>
覚えていることはなかなか難しいところがありました。<br>
<br>
そんな人たちの中には独立してビジネスをしている人や<br>
人脈づくりの達人として活動をしている人などもいたようです。<br>
<br>
熱心に勉強していたのでしょうね。<br>
本に書いてあることや、誰かに教わったマーケティングの手法を実践していたみたいです。<br>
<br>
顔を合わせてしばらくしたころ、会社に手紙が届きました。<br>
手紙をくれたのは一人ではありませんでした。<br>
<br>
直筆なのでしょうか、葉書に殴り書きをしたかのような文字で宛名が書かれており、<br>
中身にはパソコンで作ったらしきゴチャゴチャしたものが描かれていました。<br>
<br>
内容は挨拶文のような短いもの。<br>
この間はありがとう、とかそんな程度です。<br>
それに加えて、キメ言葉らしきメッセージがついている。<br>
<br>
そんなものを一度手書きで書いて、スキャナで取り込んだものが<br>
彼自身の意味のわからない写真とともに、妙なデザインに紛れながら載っているんです。<br>
<br>
「誰だ？」と思って差出人を見ると、名刺交換をした相手。<br>
<br>
そういうことが何度かありました。<br>
中には名刺に載せていたのと同じ、ペンネームで送りつけてくる人までいました。<br>
<br>
<br>
すごく困ったのを覚えています。<br>
<br>
職場の机の上に置かれていたんです。<br>
当時、会社宛に送られてきた訳の分からない葉書は、<br>
他の公的文書とともに各職場のメールボックスに入れられる仕組みでした。<br>
<br>
その後で、職場ごとに郵便物を個人に再配分。<br>
<br>
当然、そうなれば多くの人がその葉書を目にするわけです。<br>
場合によっては中身の側が目に留まることだってあったでしょう。<br>
<br>
会社宛てに葉書を送るということの意味が全く分かっていないんでしょうね。<br>
<br>
その後も、しばらくして同じ人から何回か同様の葉書が届きました。<br>
それと並行して、形式だけのステップメールも。<br>
<br>
「出会ってから数か月の間に、連絡をとって印象を残しましょう」<br>
とでも習ったのでしょうか？<br>
接触頻度を上げて、親近感を残す。<br>
そのこと自体は重要だろうと思います。<br>
<br>
僕も何かのビジネス書で同様のことを読んだ記憶はあります。<br>
<br>
でも会社宛てに葉書を送ることとは意味が違うように思います。<br>
<br>
<br>
中には、本当に丁寧に手書きで書かれた葉書をくれた人もいました。<br>
出会った場所での内容や、個人的なメッセージなども入っていました。<br>
絵手紙になっている人もいました。<br>
<br>
心を込めて、ということが似合う人からだったので<br>
「ご丁寧にありがとう」という気持ちが沸いてもきました。<br>
…が、会社宛ては、やっぱり困りました。<br>
<br>
年賀状くらいなら良くあることかもしれません。<br>
挨拶状として見受けられやすい形だからです。<br>
<br>
それをパーソナルなものにしていったときに考慮すべきことがあるというわけです。<br>
<br>
事務的なものと違って、心を込めた手紙はパーソナルな度合が増していきます。<br>
会社に送るということは、ある程度、公的な要素が出てきます。<br>
公私混同ということが、相手の会社でどれだけ重要かを知っておく必要があるはずです。<br>
<br>
名刺交換に応じてくれたから、そこの住所には何を送ってもいい、<br>
そんなはずはないと思うんです。<br>
<br>
相手の事情が良く分からなければ、リスクを考える必要があると思います。<br>
<br>
封書で送っていれば、意味が全然違うのではないでしょうか。<br>
<br>
確かに値段は葉書よりも高いです。<br>
でも逆効果な葉書を送るくらいなら、送らないほうが良いでしょう。<br>
「郵便物で印象を残す」という戦術を使う決断をしたのなら、<br>
中途半端なことをしてリスクを抱えるのは困りものだと考えられます。<br>
<br>
<br>
メルマガやニュースレターには接触頻度を上げて<br>
印象を残すという意味があるのだろうと思います。<br>
<br>
それは、対多数の関わり方です。<br>
<br>
受け取る側も、大勢に向けて書かれていることが分かっています。<br>
雑誌を読むような気分に近いだろうと思います。<br>
<br>
どんなに心を込めようとしても、特定の誰かを相手にはできないわけです。<br>
内容や体裁に心を込めることが精一杯かもしれません。<br>
<br>
事務的な要素が強い郵便物も同様です。<br>
受け取る側は多数が相手になっているのを前提とするはずです。<br>
<br>
そんな事務的な郵便物だろうと思って開いたとき、<br>
そこに、小さな紙切れ１枚に一言個人的なメッセージが添えられていると<br>
それは喜びを感じられます。<br>
<br>
僕の臨床催眠の先生はそういう人でした。<br>
たった一言ですが、直筆でメッセージを添えてくれていました。<br>
<br>
<br>
直筆というのはパーソナルな関係を示唆しているわけです。<br>
<br>
だからこそ、ホスピタリティを大切にしているようなサービス業では<br>
顧客に対してパーソナルな関係を続けようと努力するのでしょう。<br>
<br>
商品を購入してもらった後に、担当者が直筆の手紙を送る。<br>
そこには個人的なメッセージも含むわけです。<br>
<br>
手紙をもらった側は、その人のことを思い出します。<br>
自分を気にかけてくれたことを感じるでしょう。<br>
<br>
その人を思い出しながら、その人だけのために、<br>
その人だけへのメッセージを送る。<br>
心をこめて、ということです。<br>
<br>
当然、時間はかかります。<br>
<br>
もしかすると、誰かと同じ内容でもバレないかもしれません。<br>
それでも、その人だけのためのメッセージを考える。<br>
<br>
その時間が相手への想いとして反映されるんでしょう。<br>
<br>
その人を個人として対象にしているというのが前提になるんです。<br>
<br>
たとえば、クレームに対して返ってきた手紙が、印刷の封筒だったりすると<br>
それは個人扱いをしていないということになります。<br>
<br>
直筆にしてこそ、個人扱いということです。<br>
<br>
<br>
「直筆」と「手書き」を勘違いすると逆効果になりますね。<br>
<br>
送り主が相手のことを考えて、相手一人のために、というのが直筆です。<br>
「印刷よりも手書きのほうがいい」という意味ではありません。<br>
<br>
印刷だったら、最初から受け取り手は多数を相手にしていることが分かります。<br>
手書きということは「相手一人のために」という前提を含んでいるわけです。<br>
<br>
手書きなのに、内容が不特定多数を相手にしているのも意味がないですね。<br>
<br>
封筒の綺麗さ、文字の美しさが手書きの良さではありません。<br>
本人が心を込めているから「直筆」として良さがあるわけです。<br>
相手その人だけのために直接書かれているから「直筆」なんです。<br>
<br>
「手書きの手紙がいい」とか、表面的にしか物事を捉えられないと<br>
他人にやり方を真似した時に逆効果になることさえあるようです。<br>
<br>
誰かの言ったことを鵜呑みにする。<br>
すると本質を逃し、上っ面ばかりを捉えることになります。<br>
<br>
情報の本質をつかむことが大切だと思います。<br>
<br>
有名になったやり方をそのまま真似る。<br>
まさにそれこそ、「有名無実」の行為じゃないでしょうか。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://rikei.livedoor.biz/archives/50620170.html">
<title>冒険の主人公たち</title>
<link>http://rikei.livedoor.biz/archives/50620170.html</link>
<description>エリクソン催眠で有名なスティーブン・ギリガンは人生を旅のようなものと捉え、
そのために必要な３つのエネルギーとして「力・思いやり・ユーモア」を挙げています。

この３つのエネルギーをバランスよく活用していくことが大切だということです。

これはセラピー的...</description>
<dc:creator>cozyharada</dc:creator>
<dc:date>2008-06-15T23:46:41+09:00</dc:date>
<dc:subject>NLP</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[エリクソン催眠で有名なスティーブン・ギリガンは人生を旅のようなものと捉え、<br>
そのために必要な３つのエネルギーとして「力・思いやり・ユーモア」を挙げています。<br>
<br>
この３つのエネルギーをバランスよく活用していくことが大切だということです。<br>
<br>
これはセラピー的な視点からでも、自己成長的な視点からでも<br>
人を見ていく上で有効な指標になるように感じます。<br>
結局、バランスが大事だということになるわけです。<br>
<br>
で、こういった素養が人生という冒険の旅に必要だという考え方は<br>
冒険モノのストーリーを見ていくと同様に見て取れることがあるようです。<br>
<br>
たとえば、有名なゲームでドラゴンクエストというシリーズがありますが、<br>
その中では登場人物のキャラクター設定以外にも職業という要素があります。<br>
（僕がやったのはファミコンのドラクエⅣぐらいまでだった気がしますが…）<br>
<br>
その職業と呼ばれるものに、３つのエネルギーが反映されている印象を受けるんです。<br>
<br>
おぼろげにしか記憶していませんが、たとえば<br>
戦士とか武道家とか、そういった格闘を得意にする性質は「力」、<br>
僧侶や占い師などの回復や癒しに関わるのが「思いやり」、<br>
魔法使い、踊り子などが「ユーモア」といった感じでしょうか。<