2007年05月
2007年05月01日
人は分からない
コールドリーディングは相手に対して
「この人は分かってくれている」
と思わせる技術だと思います。
実際に分かっている必要は全くないわけです。
それを「騙している」とか「冷たい」という声を聞くことがあります。
ところが、これはカウンセリングやセラピーでも重要なポイントだったりします。
大事なのはクライアントとの間に信頼関係を築くことであって、
クライアントの気持ちを完全に理解することではない、ということです。
これもやっぱり「冷たい」とか「ドライだ」とか言われるわけです。
「分かってくれている」というのは勘違いでも構わない。
それは大げさな言い方かもしれませんが、それ以上に大事なところもあるんです。
それは相手に共感しすぎて、相手の同じ視点で悩んではいけないということです。
コールドリーディングのポイントの一つは観察にあると思います。
そして相手の反応に応じて、臨機応変に対応する話術も沢山あります。
これは技術としてみた場合には少し難しい部分もあるわけですが、
臨機応変な対応を可能にする自分自身の状態を作り出すことにも意味があります。
臨機応変な対応をするためには、相手を客観的に見ていながら会話をする必要があるんです。
この状態はカウンセリングでもセラピーでも有効です。
相手を理解するために意識を向けながらも、同時に客観的な視点も持っておく。
それが効果的な関わり方だと考えられます。
だから、相手に100%意識を向けて、相手を100%理解しようとする姿勢は
必ずしも相手のためになっていないと思うんです。
「分かってくれている」と思ってもらえれば、十分素晴らしいことだと思います。
もっと言うと、人を理解するのは絶対にできないんです。
NLPでは地図という表現をしますが、人が見ている世界は
その人の頭の中に描かれた地図と考えられます。
で、人それぞれが地図を持っていて、実際の世界と地図とは違うわけです。
それは世界を認識するときには過去の経験が利用されるからです。
経験が違えば、認識する世界は絶対に違うんです。
遺伝子が全く同じ一卵性双生児が、違う人生を歩むのは経験の違いによるものです。
言葉もそうです。
言語は抽象化された経験を概念として扱うときに使われます。
何度も見たり触ったり味わったりしてきた数多くのリンゴから
「リンゴ」の概念が頭の中に出来上がります。
そして「リンゴ」の概念に「リンゴ」という単語を当てはめているんです。
それが言語活動ということになります。
だから人それぞれの「リンゴ」は違うんです。
まして感情や感覚、気分に関する言葉はどうでしょう?
「愛」なんて言葉は人によって捉え方が大きく違います。
であると、人の話を聞いていて、相手の話を理解することなんて絶対に出来ないんです。
相手が話した言葉の内容は、自分には絶対に分かっていません。
「つらい」と言ったからといって、相手の「つらさ」は絶対に分かりません。
相手の話を聞いていて、自分もつらくなってきたのだとしたら
それは自分のつらさを思い出しているだけなんです。
自分で勝手に作り上げた「つらさ」です。
仮に相手と同じ場所にいて、全く同じ出来事を味わったとします。
でも、その出来事の意味は人によって違うんです。
絶対に相手のことは分からないんです。
だからこそ、人は相手に分かってもらいたいんだと思います。
もっとも怖いのは、相手のことを分かったつもりになることではないでしょうか?
分かった気がしても、それは思い込みです。
絶対に100%は分からないんです。
「分からない」という前提に立つから、分かろうという努力を続けられ、
どうしたら「分かってくれている」と相手に思ってもらえるのか、と考えられる。
もし、仮に偶然、自分が相手のことを100%理解できた瞬間があったとしても
そのことを相手が「分かってくれた」と思わなければ意味がないじゃないですか。
相手のことを分かったつもりで話を聞くなら
「分かってくれている」と勘違いさせるために精一杯の努力をするほうが
僕には遥かに意味があることのように思えるんです。
「この人は分かってくれている」
と思わせる技術だと思います。
実際に分かっている必要は全くないわけです。
それを「騙している」とか「冷たい」という声を聞くことがあります。
ところが、これはカウンセリングやセラピーでも重要なポイントだったりします。
大事なのはクライアントとの間に信頼関係を築くことであって、
クライアントの気持ちを完全に理解することではない、ということです。
これもやっぱり「冷たい」とか「ドライだ」とか言われるわけです。
「分かってくれている」というのは勘違いでも構わない。
それは大げさな言い方かもしれませんが、それ以上に大事なところもあるんです。
それは相手に共感しすぎて、相手の同じ視点で悩んではいけないということです。
コールドリーディングのポイントの一つは観察にあると思います。
そして相手の反応に応じて、臨機応変に対応する話術も沢山あります。
これは技術としてみた場合には少し難しい部分もあるわけですが、
臨機応変な対応を可能にする自分自身の状態を作り出すことにも意味があります。
臨機応変な対応をするためには、相手を客観的に見ていながら会話をする必要があるんです。
この状態はカウンセリングでもセラピーでも有効です。
相手を理解するために意識を向けながらも、同時に客観的な視点も持っておく。
それが効果的な関わり方だと考えられます。
だから、相手に100%意識を向けて、相手を100%理解しようとする姿勢は
必ずしも相手のためになっていないと思うんです。
「分かってくれている」と思ってもらえれば、十分素晴らしいことだと思います。
もっと言うと、人を理解するのは絶対にできないんです。
NLPでは地図という表現をしますが、人が見ている世界は
その人の頭の中に描かれた地図と考えられます。
で、人それぞれが地図を持っていて、実際の世界と地図とは違うわけです。
それは世界を認識するときには過去の経験が利用されるからです。
経験が違えば、認識する世界は絶対に違うんです。
遺伝子が全く同じ一卵性双生児が、違う人生を歩むのは経験の違いによるものです。
言葉もそうです。
言語は抽象化された経験を概念として扱うときに使われます。
何度も見たり触ったり味わったりしてきた数多くのリンゴから
「リンゴ」の概念が頭の中に出来上がります。
そして「リンゴ」の概念に「リンゴ」という単語を当てはめているんです。
それが言語活動ということになります。
だから人それぞれの「リンゴ」は違うんです。
まして感情や感覚、気分に関する言葉はどうでしょう?
「愛」なんて言葉は人によって捉え方が大きく違います。
であると、人の話を聞いていて、相手の話を理解することなんて絶対に出来ないんです。
相手が話した言葉の内容は、自分には絶対に分かっていません。
「つらい」と言ったからといって、相手の「つらさ」は絶対に分かりません。
相手の話を聞いていて、自分もつらくなってきたのだとしたら
それは自分のつらさを思い出しているだけなんです。
自分で勝手に作り上げた「つらさ」です。
仮に相手と同じ場所にいて、全く同じ出来事を味わったとします。
でも、その出来事の意味は人によって違うんです。
絶対に相手のことは分からないんです。
だからこそ、人は相手に分かってもらいたいんだと思います。
もっとも怖いのは、相手のことを分かったつもりになることではないでしょうか?
分かった気がしても、それは思い込みです。
絶対に100%は分からないんです。
「分からない」という前提に立つから、分かろうという努力を続けられ、
どうしたら「分かってくれている」と相手に思ってもらえるのか、と考えられる。
もし、仮に偶然、自分が相手のことを100%理解できた瞬間があったとしても
そのことを相手が「分かってくれた」と思わなければ意味がないじゃないですか。
相手のことを分かったつもりで話を聞くなら
「分かってくれている」と勘違いさせるために精一杯の努力をするほうが
僕には遥かに意味があることのように思えるんです。