2008年06月

2008年06月04日

久しぶりのエゴグラム

交流分析は非常に実用的な考え方だと思います。
自分自身を理解するにも、他人を理解するにも、指標として用いやすいものに感じます。

その基本とも言える部分に「自我状態」のモデルがありますが、
これは心理学一般にありがちな推論によって作られた理論ではありません。

外部から人を観察していると、姿勢・表情・動作などから
実感的に3つの状態へと分類できるというものです。

この「実感」という部分が特に重要で、
誰しもが「なんとなく」納得できる分類になっているわけです。

その自分自身の状態(=自我状態)は大きく、親(P)、成人(A)、子供(C)の3つに分けられ、
Pは親の振る舞いを取り入れたもの、
Cは子供のときの記憶が蘇ったように反応するもの、
Aは社会人として理性的に上手くやっていこうとするもの、
と考えられています。

人はP、A、Cの3つの状態を行ったり来たりしていると考えるわけですが、
同じ人でも状況によって親が子供に接するような態度になったり、
子供っぽい表情や声、振る舞いをしたりすると説明すれば
思い当たる節は色々とあるのではないでしょうか。


で、詳しく分けるとP(親)の自我状態にも、
批判的な面と、思いやりのある面とが見えてきます。
批判的な親の自我状態はCP(批判的な親)、
思いやりがあって優しい親の自我状態はNP(養育的な親)と呼ばれます。

一般的に批判的な要素は厳格な父親像に似ていて、
養育的な要素は優しい母親像に似ているわけですが、
必ずしも父親からCPの要素を取り込むわけではありません。
父母の役割が逆転することもあるでしょう。

また、C(子供)の自我状態にも2つの側面が見られます。
親の前に立ったときの子供として振舞うAC(順応した子供)と、
親を意識せずに自然の中を遊びまわるFC(自由な子供)です。

FCは「自然な子供」という意味でNC(Natural Child)と呼ばれることもありますし、
またAC(Adapted Child)は、CC(Compliant Child)とRC(Rebellious Child)とに
さらに細かく分類されることもあります。
CCは「従順な子供」ということで、いわゆるイイ子の状態、
RCは「反抗的な子供」ということです。

交流分析の創始者エリック・バーンの初期モデルでは
Cの自我状態はNC、CC、RCの3つに区別されていたそうですが、
現在ではFCとACの2種類に分けるのが一般的なようです。

ACは親の前にいるときの子供で、従順にも反抗的にもなるということですね。
どちらも親への順応の仕方の問題と考えられるわけです。


そんな風な自我状態の考え方に納得できるようになってくると
誰かのコミュニケーションの一場面を見ているときに、それが実感できるものです。

そして、人によって5つの自我状態のどの部分にいやすいかというのも見えてきます。

自我状態は状況によって変わるものですが、
同じような状況であっても人によって違う自我状態で対応するから面白いんです。

得意・不得意があるということですね。

で、その自我状態のパターン、つまり自分がどの状態になりやすいかを分析すると
人の特性を自我状態という1つの判断基準で見られるようになるわけです。

そのために心理テストのような形をとったものがエゴグラムです。

自我状態の得意・不得意は簡単な実習をしてみると実感をともなって理解できますが
テストを用いて調べてみると客観的にデータとして視覚化できるので面白くもあります。

エゴグラムは色々なサイトで体験することもできますし、
本や教材などでも体験することができます。

エゴグラムだけで性格判断をすることには個人的に疑問がありますが
1つの指標としては十分に面白いと思いますし、
何よりも自分自身の内面を客観的に見つめるには便利なツールでしょう。


最近、知人がエゴグラムを久しぶりにやってみたという話を聞いて
僕もつい先日、エゴグラムをやってみたんです。

数年ぶりの気がします。

学生の頃に初めてやったときは、Aが極端に高く、FCが低いという
まるでロボットやコンピューターのような結果でしたが…。

その後も多少変動はあっても、Aがほぼ満点で、FCが半分以下、
というのは変わりませんでした。
CP、NP、ACが平均以上の高さを維持しながら変動する、といった感じ。

ところが。

先日やってみたときは大きく変わっていました。

CPとACが激減していました。

批判的な要素は自分の中にハッキリと自覚できますが、
それを表現しなくなってきたということのように思います。
抑えているというよりは、他人だから諦めているというところ。

ACの要素は今でも自覚できる場面が多々ありますが、
人に合わせるという部分が減ってきたという結果です。

一方、FCはかなり増え、NPも少し増えていました。
多少は人間らしくなってきたということでしょうか。

NPは職業柄という部分もあるでしょうが、
FCが増えたというのは自分の気持ちの表現に変化が出てきたとも理解できます。

他人は他人として諦めるようになってCPが減少し、
ACで他人に合わせるということも減り、
FCで自分を素直に表現し、奔放に行動するようになってきた。
…この部分だけ見ると、えらく自分勝手になったような気がします。

まぁ、好意的に解釈すれば、自分の人生を自分で選択するようになっているとも言えますが。


こんな風に自分の変化を客観的に知るのにもエゴグラムは使えますね。
久しぶりに楽しかったです。

もちろん、Aは相変わらずの高得点でした。

2008年06月02日

自分を見つめる

つい最近に整理したことを書いてみようと思います。
少し難しい内容かもしれません。


仏教に「空」という概念があります。
これは数字の「0」(ゼロ)を生み出したインド人だからこそ生み出せた発想かもしれませんが、
とても大切な概念です。

「無」とは違います。
無いわけではありません。
でも、実体がない。

例えば、「愛」と言われれば、理解もできるし実感もできるはずです。
しかしながら「愛」そのものが現実的に存在するかと言われると
それを見たり触ったりすることはできないわけです。

同様に「人間」と言っても、人間そのものというのは実在しません。
日本人もいれば、インド人もアメリカ人もいるわけです。
「人間」じゃない動物と「人間」を区別できるのは、
「人間」というものを理解しているからと言えます。

そんな風に、全ての物事は自分が認識して理解しているから意味を持つんです。
認識できないものが存在しないという考え方とは違いますが、
自分に認識できないものは自分にとって無いことと同じなわけです。

自分にとっての世界とは、自分が認識できる全てのことで出来上がっていると言えます。

その自分の世界は全て「空」だという考え方です。
自分が認識するから意味があって、全ての物事は自分の認識の仕方次第ということです。
自分にとっての全ては、認識できるけれど実在はしない、と考えるわけですね。

「般若心経」で言うところの「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」です。


様々なことは自分の中にあるのであって、そのものの実体があるわけではない。
自分の気持ちも、悩みも、苦しみも、自分の中にあるものです。

色々なものが全て自分の一部なんです。

ところが、悩んでいる時や、苦しんでいる時は
その状態の自分が全てであるかのように感じてしまいがちです。

自分の中には色々なものがあるのに、悩みや苦しみだけしか認識しなくなってしまうんです。

そこで、修行によって悩みや苦しみ、あるいは欲望など、
煩悩と呼ばれるものを無くしていこうとすることがなされます。
煩悩を止めようとする修行ですね。
「止」というものです。

ただ、自分の中には色々なものがあるわけですし、
それは周りとの関わりによっても変化するわけですから、
簡単に無くすことはできないはずです。

すると大切になるのは「観る」ということです。
煩悩に気付く。
自分の中の気持ちを「観る」。

悩んでいるときに、「今、自分は悩んでいるなぁ」と気付ける自分になるということです。

そう思えたとき、自分は悩んでいる状態からは抜けられます。
悩んでいる状態を一度「止めて」、その状態を「観て」みるわけです。
これを「止観」と言います。

自分の中を客観的に見つめなおすことができたら、
他にも色々なものがあることに気づけます。
このように自分の中を「観る」視点をトランスパーソナル心理学では「セルフ」と呼びます。

そして、トランスパーソナルな心理療法の一派であるサイコシンセシスでは
「セルフ」に自分の中の様々な自分を統合していくことを目指します。


この「セルフ」の視点にいられると、かなり安定した状態でいられるわけです。
自分の中に色々な気持ちが沸きあがってきても、
それを「セルフ」の視点から「観る」と、その気持ちから離れられるからです。

そして、「セルフ」の視点から自分の中のネガティブなものや相反する要素を、
全て受け入れて「色々あるけど、全部あって自分だなぁ」と許せるようになると
非常に安心していられる状態になります。

この状態は、自分の中の部分を「セルフ」に統合したものと言えます。
ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズが「ミニ・サトリ」と呼んだように
体験として味わえる内面的安定で、全てを受け入れられるような状態です。

仏教の修行の過程で、例えば座禅の最中とか、朝起きて外を見たときとかに、
自分が自然と一体であるような心地よい状態を体感することがあるようですが、
これも「ミニ・サトリ」に近い状態と考えられます。

僕はその程度を「悟り」とは捉えません。

社会生活のしがらみや、現実的な障害から離れた修行の世界で
「ミニ・サトリ」を体感できても、社会的な他人との関わりの中で
その状態を維持できるかどうかは疑問が残ることろです。

ましてや、そうした話をいくら高名なお坊さんに教えてもらったところで
知識として知っていることと実感できていることでは全く別物だと思います。

実感できていることが大切だと思うんです。

「止観」によって「セルフ」の視点で自分を見つめなおし、
色々な自分の部分が大切だと実感できる体験によって「セルフ」と統合していく。
こうしたことを繰り返すと、実社会の様々な場面において
自分自身を安定して受け入れられるようになっていくわけです。

そうした人間成長の方向性は、仏教にも心理療法にも共通しているようです。

そして、そのキッカケとなる「ミニ・サトリ」の体験は
心理療法を受けてみることで短期的に得られるはずです。
瞑想もいいですが、心理療法も非常に効果的です。

その意味でも、心理療法をベースに作られたNLPというのは便利ですね。
「セルフ」や「ミニ・サトリ」の状態を実感できますから。

cozyharada at 23:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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