2009年12月

2009年12月14日

500回記念!

このブログの記事の総数が、今回ので500になりました。

僕のブログは一回あたりの文字数が多いので、
多分、今までの総文字数をカウントすると相当な量になる気がします。

2007年の4月から始めたものですから、ここまでに2年8カ月。
3年経っていないんですね。

今にして、書き始めた時期の内容を読み返したりすると、
当時はこんなことを思っていたんだなぁ、という内容もあったりします。

自分自身の興味の方向が移り変わってきたこと、
技術面、知識面で取り組んできたこと、自分の内面的な変化など
このブログの中に色々と反映されているわけです。

僕のブログは、あまりプライベートな生活記録を書くタイプのものではありませんが、
それでも自分の内側に沸き起こるものを書き留めてきている以上、
以前のものを見返すというのはチョット気恥ずかしさを感じたりもします。


しかしながら、それ以上に、僕にとってブログを書くという作業は
大いに役立つものだったと断言できます。

僕の場合、ブログを書くときには、あまりハッキリと書く内容を決めずに
テーマだけを設定したところからキーボードを打ち始める方法を取ります。

その時の書き始めは、設定したテーマに関係しそうで
かつ少し離れたところにする。

そうすると、書いているうちに色々と連想されるように文章が紡ぎ出され
自分でも予測していなかったような内容が出来上がっていくんです。

だから文章が長くなるわけですけど。

で、この「書く内容をハッキリ決めずに書き始める」というスタイルが
僕にとって重要になっています。

頭の中で考え事をしているだけでは自覚できないような気づきや理解の内容が
ブログの形に書き起こそうとした時に、整理された形になることがあるからです。

おそらく、既に頭の中では繋がって関連付けられている情報が
文章にするときに、今まで意識したことのない連想で整理されて
1つの新しい形を作るんでしょう。

これは、手書きで整理しようとしても無理なんです。
手書きだとスピードが出ませんし、キーワードだけを書きやすくなってしまいます。
主題の連想だけで進んでしまって、細部の情報整理が起きにくい印象があるんです。

また、話しながら整理するというのも、僕の場合は意味が違います。
話しながらの場合にも連想の感覚はありますが、
文章を書くときとは違った繋がり方をしている感じがします。

それに話をしながらの場合には、話すテーマを集中させるのが難しいところもあります。
質問に答える形になったときに新しい連想が形になる経験は何度もしていますが、
自分主導で情報提供のための説明をするセミナーのような場合では
話をしているうちに新しい気づきが生まれるということは滅多にありません。

むしろブログで文章化したことで、セミナーの話のネタにしやすくなる
というケースのほうが圧倒的に多いようです。


「書く」という行為自体がセラピーでも技法として使われるぐらいに
情報を整理するのに効果的なものですが、僕の場合には、
キーボードを叩いて情報の繋がりを形にする方法が上手く作用しやすいのでしょう。

それは持ち味とも言えますし、
聴覚的に整理するストラテジーを持っているとも言えます。

文章をキーボードで打っている時、僕は頭の中に聞こえてくる心の声を
聞くのとほぼ同時にタイピングしているようです。
僕の文章は考えているというよりも、聞いている感覚なんです。

頭の中だけで考えていると、雑念の声が思考を邪魔したり、
メインで考えている内容が頭の中に居座り続けて
新たな展開が生まれなかったりしますが、
キーボードを打っていると、頭の中に聞こえてきた内容を外に出せるので
次の内容が続いて聞こえてきやすいのかもしれません。


自分の中の情報整理において、ブログを書く行為は非常に役立っています。
勉強したことも、思いついたことも、ブログがブラッシュアップしてくれます。

一回あたりの文章を書ききるのに結構な時間がかかりますし、
書くテーマを見つけるのにも苦労がありますから、決して楽な作業ではありません。
面倒臭く感じるときもあります。

中には「読んでくれる人のことへの感謝の気持ちが書く意欲を上げてくれる」
というタイプの人もいるかもしれませんが、僕の場合は違います。

ブログは、自分の中にある複雑に絡み合った情報を外に出して並べ替える作業です。
読んで下さる人がいるのは光栄なことですが、
読んでもらうつもりで文章を書いているわけではありません。

読んでもらう想定で文章を書くのなら、この形にはなっていません。
もっと分かりやすい文章になるように工夫します。
具体例を交えながら、論理展開も意識しながら、構成も工夫するでしょう。

ですから、「読んで下さる方々のことを想像しながら」というモチベーションは
僕がブログを書く場合には効かないみたいです。

チョット無理をしながら、自分に負担をかけながら、
ブログを書き続けてきたんです。

記事を更新する頻度を上げるだけだったら、方法は別にもあります。
ただ、僕にとってブログを書くことのメリットが分かっているので
チョット負荷になると分かっていても、今の形を続ける気がします。

まぁ、こうして500回分を振り返って、
ブログを書いてきたことのメリットをヒシヒシと感じる時間を取ることで
今後のブログに対する意欲が上がったようにも思えますから、
なるべくネタを探しながらブログを更新していきたいものです。

cozyharada at 23:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2009年12月12日

年の瀬のざわめき

名古屋行きの新幹線は、非常に混雑していました。
名古屋の街も。

セミナーが終わった夕方にも駅からの大勢の人並みとすれ違いました。
普段の3倍ぐらいは人がいたような印象。

東京に戻ってきてからも、人々が集団で歩いている様子が目に付きます。
忘年会の人たちでしょうか。

街が普段と違う雰囲気に変わってきているのを感じます。

年賀状関連の商品や、イルミネーションや、テレビ番組よりも
人々の発する雰囲気のほうが印象の違いを強く感じる。
人の動きや表情、声からは、内面に訴えかけるリアルな体験があるようです。

年末なんですね。
なんとなく、この一年を振り返ったりします。

もしかすると毎年そう感じているのかもしれませんが、
今年は特に一年が速かったように思います。


僕の場合、勉強会の資料を振り返ってみると
自分が何に興味を持ち、何を整理してきたかが思い返せます。

リフレーミング、人の特性の分類、変化の技法、論理と質問、
夢の実現方法、聞き方の技術、才能の作り方、コーチングとブリーフセラピー…。
前半にやっていたものは自分の中で磨かれ、大切な基礎となっているようです。

この一年の印象としては、「無意識」という一言で片付けていたものを
別の表現方法で説明して、扱えるようになった部分が大きいと感じます。

「無意識」という言葉で曖昧に済ませていたものを
意識化できるようになってきたことで、多くのことを感じ取れるようになり
意識的に扱えるようになったんでしょう。

技術として取り組んできたものが整理されて、
世の中を見るときの着眼点として意識できるようになった印象です。

一年前はペーシングの技術の本質を学び、
それを磨くことで大きな変化を実感していました。
内面的にも大きな変化を体験した記憶があります。

それと比べると、この一年のほうが整理や理解という方向に進んでいる。
理解したことを活かせるようになったという感じでしょうか。

3月のある日、おぼろげな全体像が見えたような気がしたときの衝撃は今も覚えています。
その全体像をブラッシュアップしながら実世界と結びつけて応用し、
そこから得られたものが再び全体像の精度を上げていく。
そんなサイクルを回しているイメージです。

理解が深まることを楽しめていながら、自分自身の内面的変化の実感は小さい。
そのことが一年に進みをスムーズなものに感じさせ、
時間の流れを速く体感させたように考えています。

いや、もしかすると「理解を深めていくことが楽しい」という自覚を強めたのは
この一年の大きな内面的変化の1つだったかもしれません。
やりたいことの方向性が掴めたような安定感はあるようです。


そして一年を別の角度から振り返ると、出会った人々の顔が次々に浮かんできます。

仕事上、ある期間に集中して顔をあわせる方々がいますから、
時期を思い返すのと一緒に、そのときに関わっていた人の顔が浮かぶんだと思います。

どういうわけか、カレンダーの数字を見て
自分のしていたことを思い返して感じる時間経過よりも、
「この時期に誰々と会ったんだなぁ」と、
人のことを思い返して感じる時間経過のほうが遥かに速く思える。

僕にとって人の重要性は、また違った形で捉えられているみたいです。

自分の中の大切な2つの流れ。

それぞれが絡み合いながら進んでいく喜びを感じていきたいものです。

cozyharada at 23:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2009年12月09日

褒めるか、叱るか

人の能力は成長していくものですが、
成果は必ずしも上がり続けるわけではないようです。

実力はついてきているのに成果に結び付いてこないとか、
実力があっても結果が出ない時期に入り込んでしまうとかいったケースは
仕事でも趣味でもスポーツでも、様々な場面で起こります。

能力があっても、他の要因で結果が望ましくない形になってしまったりする。
いわゆる調子の悪い時期というのが見受けられます。

仮に能力が一定だったとしても、結果は変動するということです。

能力が上がっていくと、成果は変動する中で平均的に上がっていき、
長い期間で見たときに平均的な結果が良くなっている。
そういうことが良くあるという話です。


ここで言う「能力」というのは、例えば野球であれば
ボールにバットを当てる技術とか、バットを速く振る力とか、
ボールを遠くに飛ばすバットの振り方とか、狙った方向にボールを打ち返す技術とか、
見ていて「上手い」のは分かっても数字に表わしにくいような個別の力量のことです。

一方、「成果」とか「結果」と言っているのは
ヒットの数とか、打率とか、ホームランの数とかいった
具体的に数字として評価される内容のこと。

記録に残り、年俸に影響していくのは、もちろん「成果」のほうです。

そして、この「成果」は、同じ人でも変動することがあるというわけです。

プロ野球のシーズンが開幕して、最初の二週間ぐらいで打率5割を残しても、
一年を通したら打率が2割程度だったとしたら、実力は2割のほうで評価される。

それが一年間通して3割の打率を残せるようになると
「あの選手は成長した」などと言われるようになります。

そのように成長するのは、結局のところ個別の能力が上がったということでしょうから、
選手は皆、練習をして能力を上げようと努力します。

ここでは、上手くいった時のやり方を学習して、
本人にとって上手くいく方法を身につけていくことが求められるでしょう。

上手くいかない方法を知ることも役には立ちます。
自分にとって向いている方法を見つけられます。
しかし短期的に技術を向上させるには、
上手くいくパターンを記憶させていくほうが効率が良いはずです。

その意味では、上手くいったケースを着実に記憶させる必要があることになります。

記憶の定着には、回数と感情体験の大きさが関わりますから、
上手くいったときにポジティブな感情を強く味わえると
そのパターンを早く記憶していきやすいと考えられます。

上手くいったときにポジティブな評価を得られることも
精神的な報酬として喜びの感情が強まって、学習に効果的でしょう。

上手くいったときに「褒める」というのは
能力を向上させていくのに効果がありそうなわけです。


にも関わらず、多くの指導者は実感レベルとして
褒めるだけではダメで、叱ることに効果があると感じていると言います。

叱り方について書いている本も見かけますし、
叱って育てる方針の人もいるようです。

確かに叱られた内容は、次回以降に意識的にそれを避けようとするでしょうから
同じミスを繰り返さないようにさせる効果はあると思います。

その一方で、上手くいかない方法を分かったところで
上手くいく方法が分からずじまいになっている部分は残ります。

仮に100通りの方法があるとして、
上手くいかない方法を選択したときに叱られるよりも、
上手くいく方法を選択したときに褒められるほうが効率的だと思うんです。

おそらく、叱ることを大切だと考える人は、叱って上手くいった経験を持っているか、
自分が叱られたときに上手くいった経験を持っているか、
自分が叱られて育ってきたから他の方法を知らないか、
この辺のうちのいずれかでしょう。

他の方法を知らないというは横に置いておくとして、
「叱ると上手くいく」あるいは「叱られたときに上手くいった」
という経験が叱ることのメリットを感じさせることは多いようです。

ところが。

成果は変動しやすいものです。
たまたま上手くいくときもあれば、運悪く失敗するときもある。
それでも平均的に見ると、実力に沿った結果に落ち着いてくる。

そう考えると、たまたま上手くいった後は、平均的には成果が下がる方向にいき、
たまたま失敗が続いた後には、平均的には成果が上がる方向にいくはずです。

一般的に、褒められるのは成果が出たときで、叱られるのは成果が出なかったとき。
すると、褒めた後には成果が下がる確率が高く、
叱った後には成果が上がる確率が高いわけです。

「褒めると調子に乗ってしまってダメになる」とか
「叱ったから成果が出るようになった」とか、
そういう因果関係があったかはどうかは分からないんです。

叱らなくても自然に成果が出ていたかもしれないし、
もしかしたら、叱らないほうが更に良い成果に結びついていたかもしれません。

確率的に見れば、因果関係がないと考えたほうが当然のことであっても
経験的には因果関係を感じてしまいやすい。
どうやら人には、そんな性質がありそうです。


叱ることにもメリットはありますから、「叱るのが良いか、悪いか」という話ではなく、
安易に因果関係を考えないようにするのが大切ではないか、ということです。

「関係があるかもしれない」ことと、「因果関係がある」ことは全く別物です。
そのことに気をつけるだけで、落とし穴を避けられることもあるように思います。

2009年12月07日

僕が習いに行っている書道の先生のところには
日本全国から色々な方が来ています。

大学で書道を教えている先生、自分の書道教室を持っている人、
小さいころからずっと書道をやってきた人、初めて書道をやる人。
様々な人が習いに来るそうですが、やる内容は全員同じステップで進むようです。

本当に基本となる「川」とか「三」あたりから始まり、
「いろは歌」の流れに沿って、楷書、行書、草書、仮名の練習をします。
それから古典の臨書に進んでいく。

「いろは」の練習ですから、48文字あります。
それを一通り。
結構な長い道のりですが、ようやく「ん」まで辿り着きました。

これからは臨書です。
まずは唐の三大家の一人「褚遂良」の「雁塔聖教序」から。

細かい筆使いまで学べるのが楽しみです。

先生は本を見ながらお手本を書いてくれますが、
本の文字には見えないような細かい筆使いまでを意識しているようです。

そこにあるのが達人の動き。
これを間近で見れて、その息づかいを横で体験できる。
一流に学ぶメリットは、この部分が大きいと思います。

多分、いずれ空海に入っていくだろうと思います。
そこが僕にとっての空海の入り口になるのかもしれません。

それまでに修行を積まなくては。

cozyharada at 23:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2009年12月06日

大切な本

僕にとって、とても大事な本があります。

レオナルド・ダ・ヴィンチの全作品集。

レオナルド・ダ・ヴィンチ全絵画作品・素描集 (25周年)
レオナルド・ダ・ヴィンチ全絵画作品・素描集 (25周年)
クチコミを見る


有名な絵から手稿まで、全てのコピーが見られます。
これは凄い。
見ていると、本物が見たくなってきます。

どのくらいのタイミングで、生きているうちに何回見に行くのかは分かりませんが、
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は、どうしても見たい気持ちがあります。

手稿と呼ばれるメモ書きは、何点か見てきましたが
こっちには絵画とは少し趣の違う雰囲気が感じられます。
習作なんだろうと思いますが、それ以上にマニアックな印象を受けるんです。

メモと言いながらもペンで清書をしてあって、
その一方で絵の横に添えられた文章には下書きがないようです。

マンガ家がキャラクター設定やストーリーの下書きを書いているノートのようでもあり、
それとはチョット違う印象を受けるところもある。
なんというか、緻密でマニアックで自分勝手な書き方のようなんですが、
創作のように作者の内面から溢れ出たものが書かれているのとは違う感じがします。

世界の一部を切り取って、自分の中に凝縮して、
それを紙の上に出したような感じ。

頭と体を、世の中を凝縮するためのレンズのように使って、
それをコンパクトに投影して書き出す。
僕には、そんな印象が感じられます。

手稿は非常に小さなノートに書かれています。
文字も絵も小さい。

かなり紙に顔を近づけて描いていただろうと推測されます。
その姿勢は、相当のめりこんでいる状態から生まれるものでしょう。
グッと紙面に描かれたメモ内容に集中して、その小さな世界に入り込んでいる。

描いているときの鼻息が聞こえてきそうな感じさえします。


それと比べると、作品として描かれた絵画は違った印象です。
もっと遠くにあるというか、全体的というか、抽象度が高いというか、
徹底的にズームインして捉えていた手稿の内容を反映させながら
全体として1枚の絵になっている雰囲気。

グーグルマップに喩えると、日本地図を描いていながら
ズームインしていくことでストリートビューまで見えてくるような、
そんな詳細で具体的なレベルのものも含みながら全体を描いている感じでしょうか。

見ていると、内部対話が消えてしまうような感覚を味わいます。
言葉で考えないような何かの印象に身体反応が動かされる気分です。

きっと、本物の作品は遥かに迫力があるだろうと思われます。
どれだけレオナルド・ダ・ヴィンチの想いを感じられるようになるのか、
実物を見る日までに僕は自分の力を磨いておきたいと思います。


ちなみに、彼は左利きなので線を引く向きが右利きと逆になっていますが、
その傾向を実感しやすいのは手稿やデッサンのときです。

とくに、手稿の場合には、見ていると自分と逆向きの視点があることに気づきます。
視野が普段と逆方向に曲げられる感じというか、
空間に対して、いつもと違った広がりを感じたりします。

対象物をのぞき込む方向が、一般的な右利きと逆なんでしょう。
少なくとも、僕が同じものを理解するときには
左右を逆に置いていると感じるケースが頻繁に見受けられます。

鏡に映して見たら、彼の見ていた世界に近づけるのかもしれません。

その意味で言うと、『モナ・リザ』の微笑み方は興味があります。
一般的に、右利きの人は向かって左側、つまり相手の顔の右側を見る癖があります。
これは認知科学的な実験で確かめられた結果です。

で、『モナ・リザ』の微笑みは向かって右側、
つまりモデルの顔の左半分が微笑んでいるんです。
右利きの人からすると、直観的に笑っている印象を受けにくい。

左右を反転すると、ずっと笑顔の印象が出てくるはずです。

一方、作者であるレオナルド・ダ・ヴィンチは左利き。
のぞき込む顔の向きも右利きと逆になっていたはず。
その意味では、彼からみると、『モナ・リザ』の顔は
右利きの人が見るよりも笑って見えていたのかもしれません。

ただ、彼の天才っぷりから考えると、
右利きの人が、向かって左側を注目しやすいことまで分かった上で
あえて顔の向かって右側だけを笑顔にしていた可能性もあると思われます。

今、僕が感じるのは、両方の意図があるかもしれないということ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を見ていて感じるのは
彼が愛に飢えていたのではないかという印象です。

手稿はそうでもない。
手稿は、好奇心や科学の目線を感じさせます。

ところが絵画になると、寂しい感じがしてきます。
愛を求めている感じがするんです。

『モナ・リザ』には諸説ありますが、僕の印象としては
あの絵には、彼の愛を求める気持ちが反映されている気がします。

実物のモデルを描いたかは分かりません。
むしろ、彼に愛をくれる人を描いたのかもしれません。

彼は左利き。
彼には、あの女性の笑顔が見える。

でも多くの人は右利きだから、あの女性には不思議な微笑みの印象こそあれ、
見ている自分に対して微笑みかけてくれている印象はない。

多くの肖像画と同じような向きにモデルを座らせ、
右利き目線で見るような構図を作っておきながら、
顔の表情だけは左利き目線のために作られている。

右利きには、笑っている印象が薄いということまで知った上で
左利きの自分にだけ笑いかけてくれている姿を描いたのではないでしょうか。

自分だけに愛をくれる人として。

本物を見るときには鏡を持って行きたいものです。
もしくは左利きモードを身につけておくか、ですね。

cozyharada at 23:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

補足

勉強会の内容に関してご質問をいただきましたので、
少しだけ説明を追加します。

内容に関しての説明の中で、ほとんどコーチングのことを触れずに
ブリーフセラピーに関する内容ばかりを書きましたので、
コーチングを知っていることが前提のような印象になってしまったかもしれません。

今回の勉強会では、コーチングの内容も基本的な部分で扱ってきますので
知識のない方でも取り組んでいただけるものだと考えています。

特に、ブリーフセラピーと対応させて意識することで
より理解しやすい形になるのではないかとも思います。

NLPの技法などはセラピーやカウンセリングなどの
特殊なコミュニケーションの場においては利用できるものの、
日常のコミュニケーションでは使いにくいトランスワークが沢山含まれます。

その点、会話や課題を中心に取り組んでいくことのできる技法は
現実的な利用価値の高いものでしょうから、
知識を手に入れていただくだけでも意味のあるものだろうと思われます。

興味とご都合が合いましたら、是非ご参加ください。

2009年12月03日

12月の勉強会

12月の勉強会のお知らせ

12月ぐらいは土曜日か日曜日に勉強会を開催したかったのですが、
他のセミナーの都合で結局、23日(水)の祝日開催ということになりました。

土日のほうが参加しやすい方も多いようですし、
こちらとしても色々な方に知ってもらいたい内容もあります。

この勉強会は、自分の中での意味合いとして、ある程度の割合で
「自分自身の研究成果を報告するような場」という部分もあるんです。

皆さんから参加費を頂くのも、そうした研究開発費として
勉強や調査目的のお金を貰っていると考えています。
その想いに至ってから、お代を素直に感謝しながら受け取れるようになった気がします。

大学の研究者などは、国や企業のスポンサーなどに研究内容をプレゼンして
そのテーマに対する研究費をもらう形で研究活動をするのが一般的ですが、
そんなスタンスも自分の中に根付いていたのでしょう。

ということで、12月の勉強会にも最近の勉強や調査の内容を反映させるつもりです。
先日のオハンロンのエッセンスも交えながらコミュニケーションを考えてみます。


12月のテーマは「目標達成と問題解決をサポートするコミュニケーション・スキル」
ということで『コーチングブリーフセラピー』を扱います。

ブリーフセラピーは心理療法の中でも会話のアプローチを主眼に
クライアントと周囲の関係性のリソースを引き出すことで
特別なトランスワークを行うことなく短期的な問題解決を目指す方法です。

傾聴を中心にクライアントの問題整理がなされることを期待するよりも、
もっと積極的に問題解決に役立ちそうな変化のポイントを探していきます。
そして解決のための取り組みを具体的な課題として取り組んでいく。

この課題を実践しながら問題を解決していくというスタンスが
目標達成へのアクションプランを実行して進んでいくコーチングのスタンスに
かなり近い印象があるように思えます。

解決のための方法をクライアントから質問によって引き出したりするあたりも
技術的な共通点を含んでいる印象が感じられると思います。

個人的には、企業研修でコーチングをやるときに
一緒にブリーフセラピーの技術をセットにして導入すべきだと考えていますが、
「セラピー」という用語はビジネス向きではないかもしれません。

特に、組織においては相互作用の結果として、ヤル気の高い人が2割ぐらい、
ヤル気のない人が8割ぐらいになる傾向がありますので、
多くの相手に対して利用しやすいのはブリーフセラピーという場合もあるはずです。

そうした理由から、コーチングを学んだ人には使いやすい手法でしょうし、
複雑なイメージワークなどを使わない分、日常のコミュニケーションにおいても
幅広い相手に応用しやすい技術だとも言えます。

意欲を失っていたり、目標を明確にしにくかったり、壁にぶつかっていたり
スタンダードなコーチングの流れでは機能しにくい相手に対して、
意図を持って関わっていく際の技術が明確なモデルになっているのは実用性が高く、
その問いかけの視点そのものもコーチングで利用可能なものでしょう。

指導、教育、育成という人間関係において、
相手の自発性を尊重しながら関わっていく技術として
コーチングとブリーフセラピーはセットにして知っておくと効果的だと考えられます。


そして、今回は2009年最後の勉強会でもありますので
質問やリクエストにお答えする形で、復習的な内容も扱うつもりでいます。
ご要望などがあれば、事前に「ご意見など」の欄にご記入ください。

他にも、一年間の振り返りの意味も込めて、
自分自身の整理や前に進むための力づけに役立つ内容も考えておきます。

仕事納めに近い時期に、一年分の取り組みを
まとめ上げるような時間になればと思います。

内容の都合上、今回は午後からのご参加という形はご遠慮頂きます。
午前中までで内容を一度整理しますので、午前の部のみのご参加は可能です。
お申込みの際には「午前」もしくは「両方」としてご記入をお願いします。



一年間、一生懸命に生活をしていると、
当たり前のように過ごしている部分が沢山あるはずです。

それが、自分の後ろ側に置いてきたような印象なのか、
無意識の中に置きっぱなしにしている印象なのか、
どのように捉えるかは人それぞれだろうと思いますが、
全てを自覚して意識できることはありえません。

無意識に委ね、身を任せることも自然な生活の仕方として大切ですが、
自分が無意識に過ごしてきていたことを一度意識してみるという方法も
大切なことではないかと思います。

自分の中にあるのに忘れていた大切な何か。
そうしたものを心の中で大切に扱いなおしてみると
自分にとって大事な未来の方向に進みやすくなるものではないでしょうか。

少なくとも、放っておいた何かに気づき、そこに気持ちを向けること自体が
そのものを大切にすることの第一歩ではないかと感じます。

自分の一年分の努力を無意識に置き去りにせず、
意識を向けてみることで、自分自身を大切にする。
ブリーフセラピーを通じて、そんな体験をすることは
未来に向けた1つの区切りとして意味のあることのように思えます。

年末のお忙しい時期かもしれませんが、
忙しさの中に忘れた何かを思い出す機会にご利用頂ければ何よりの喜びです。
ご都合の合う方は、是非お越しください。


  ※最近は多くの方からお申し込みを頂いています。
   定員を設けていますので、ご注意ください。
   定員を超える場合には先着順での受付とさせて頂きますのでご了承下さい。


  ※勉強会の趣旨に関しましては、こちら(勉強会070725)をご覧下さい。


詳細は以下のとおりです。


【勉強会の詳細】


【日時】 12月23日(水・祝)

     ◆午前の部 10:00〜12:30  
     ◆午後の部 13:30〜16:30


     ★午前の部のみのご参加も可能です。
      「午前」もしくは「両方」でお申し込み下さい。



【場所】 滝野川会館 303集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)


【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     
     ◆午前の部 ・・・4,000円  
     ◆午前・午後の両方 ・・・7,000円

    
    
テーマ: 『コーチングとブリーフセラピー』
     〜目標達成と問題解決をサポートするコミュニケーション・スキル〜


 *多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、
  学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
  ご了承ください。




目標達成と問題解決。
どちらに意識が向きやすいかは好みの部分もあるでしょう。

その一方で、多くの行き詰まりは、何か1つのやり方に片寄っていた時に起きるものです。
武器が強ければ強いほど、そのやり方で上手くいかない状況に出会ったときに
大きな行き詰まりになってしまう。

バランスが大事だと、片寄りない人になることを勧めるのではありません。
片寄りのない人は面白くない人です。

人は誰もが片寄りを持っています。
その片寄りという個性を活かすのが大切なのでしょうが、
同時に苦手分野を克服する方法を知っていることも大切なように思います。

やろうと思えばやれる。
でも、やらない。

そんな選択肢を持っていることが役立つ場面が多々あるはずです。

1つのことに両方の側面からアプローチできるようになれると
ものの見方も広がっていくことでしょう。

目標と問題。
両方への視点を持つことで、さらに統合的な視点にも
近づいていけるのではないでしょうか。

参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)


終了しました


トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています

2009年12月01日

無意識は賢いか

NLPや催眠をやっている人たちの中に「無意識」という言葉へ
過剰に頼っている印象を感じるケースがあります。

ミルトン・エリクソンは「自分の無意識を信頼しなさい」と
その弟子たちに教えていたそうですが、
僕がエリクソン催眠を教わった先生は
「エリクソンは無意識を重要視し過ぎていて、意識を軽んじ過ぎの傾向がある」
という持論を持っていました。

僕自身のスタンスは、「無意識」という言葉を使わずに説明すると
どういう内容になるかを考える方向性です。

そのスタンスからしても人間は良く出来ていると感じます。
「無意識が私を守ってくれている」と感謝の気持ちを持てることも素晴らしいですが、
もっとドライに仕組みとか性質とかの観点からでも驚きと好奇心は持てると思います。

僕が、無意識を過剰に期待して扱うことを好まないのは、
それによって深く理解しようという気持ちにストップをかけてしまうことと、
自分の無意識を自分以外の何か素晴らしいものであるかのように
切り離して扱ってしまう可能性があるところに理由があります。


先日、ワークショップに参加してきたビル・オハンロンは
ミルトン・エリクソンの直接の弟子でありながら、
催眠以外の方向で自分のスタイルを主張している人物です。

催眠のデモンストレーションは見事でしたが、
それでも催眠を使う場面を明確に限定しています。

彼は人間の意識も大切にしている。
というよりも、何か1つのことに片寄ることを嫌う傾向があるようです。
意識と無意識という2つの側面があるのなら、両方大事でしょう、と。

で、そのオハンロンがセミナー中に言っていた興味深い内容がありました。
催眠を使わないセラピストに、聞かれたことがあるんだそうです。
「催眠をやる人たちは『無意識は賢い』というが、
 そんなに無意識が賢いんなら、なぜ人々はこんなに悩みを抱えているんだ?」

このことについてオハンロンは色々と考えたそうです。
そして、ある1つの結論に行きついた、と。

「無意識は、それが賢い範囲のことに関しては、賢い。
 無意識は、それがバカな範囲のことに関しては、バカだ。
 そして無意識は、それがバカなほうが良い場面に関しても、賢い。」

なんだか良く分かりません。
このあたり、エリクソンの弟子らしい混乱技法のようでもありますが、
ちゃんとこの意図を説明してくれました。

これは学習という観点と結びついているようです。

分かりやすい例としては、
パソコンのキーボードをタイピングするときに、
無意識が十分に学習して賢くなっていれば、
その無意識は賢く、自然に目的を達成してくれる。

でもキーボードを打つことに慣れていないときには
何度も練習をして、意識的にキーの場所を探しながら努力をする必要がある。
これは無意識がタイピングに対してバカな状態ということ。
タイピングに対してバカなので、その範囲に関しては無意識は賢くない。

それが練習して無意識がタイピングに対して賢くなってくれたら、
あとは無意識を信頼していれば、自然にキーを打ってくれる。

で、最後の一文が複雑ですが、これは一度学習してしまったものが
別の相応しくない状況でも出てきてしまうというもの。

例えば、僕は子供の頃、風邪をひいたときに食べたカツ丼の玉ネギが生っぽくて
気持ち悪くなって戻してしまった経験があります。
その時以来、玉ネギが嫌いになりました。
あの歯ごたえを想像して、「ウッ」と気持ち悪さが戻ってくるようになったんです。

これは無意識が「玉ネギは危ない」ということを学習してくれたということ。
本来は「風邪をひいたときに、カツ丼のような重たいものを食べると良くない」
という限定された学習をしてくれれば良いんですが、
無意識はもっと一般的に学習をしてしまうわけです。

「玉ネギは危ない」。

で、僕は体調が良くて、カツ丼に入ってもいなくて、
火が通っていて柔らかい玉ネギまで、その見た目だけで嫌いになってしまいました。

これが、「バカなほうが良い場面に関しても賢い」ということです。

学習した内容を使わないほうが良いときにも
その内容を賢く使ってしまうことがある、という説明でした。

僕が説明をすると、もう少し違った形になるかもしれませんが、
こういうことを考えようとする姿勢に好感を覚えます。

言われたこと、誰かに習ったことを鵜呑みにするのではなく、
色々なことに対して対応できるように理解の内容を広げていく姿勢。

そもそも僕はオハンロンの本から、そのような姿勢を感じていたので
オハンロンの来日を心待ちにしていたわけなんですが。

顔の系統が似ていると、スタンスも似るものなんでしょうか。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード