2014年03月

2014年03月09日

新・カウンセリング講座

4月、5月でカウンセリング講座をやります。

これまでの内容とは少し違ったスタイルの予定です。
感情の把握を中心におきながら焦点化を進める形。

実際のところ、これまでのカウンセリング講座で使ってきた
「どのようなお手伝いをご希望ですか?」
という質問は、カウンセリングのゴールとして答えてもらいたいもので、
逆にいうと第一声でスムーズに答えられるケースは多くないわけです。

繰り返しのセッションを通じて、クライアントの自立を促していくと
第一声で「今日はどのようなお手伝いをご希望ですか?」と聞いたときに
「今日は、この問題について、ここを自分では対処できないので
 こういった形のお手伝いをお願いしたいんです」
と、スムーズに返ってくるようになります。

しかし、現実に”カウンセリング”という呼び名でセッションをやったり、
より日常的なコミュニケーションの中で悩み事を聞いたりする場合、
「どんなお手伝い?」というニュアンスが難しいことがあるものです。

かなりクライアントの力を要求しているともいえます。

そこで、よりマイルドで汎用的な方法を紹介するつもりです。

クライアントに無理をかけることもなく、
カウンセラーの勝手な見立てで問題に当てはめることもなく、
カウンセラーが頑張ってクライアントの状況を整理してあげるのでもない。

それでいてクライアント自身が気づいていない気持ちも整理され、
話が逸れないままで中核となるテーマに絞り込むことができる。

そして、最も特徴となるのは、焦点が絞られたテーマに対して
具体的なお手伝いの指針があるところでしょう。

NLPや心理療法の技法によって扱われることの多い
行動パターンや思考パターンへのアプローチは
実際のカウンセリング場面では決して多くありません。

「行動パターンや思考パターンを変えたい」という部分に焦点化されるケースより
もっと感情的な”わだかまり”を解消することが求められる場合が多いようです。

その意味で、感情の取り扱いが重要。
今度のカウンセリング講座では、そうした感情のケアを入念に扱う予定です。


4月の日程は、6日(日)と13日(日)。
5月にも2回開催するつもりです。

4月を第一回、5月を第二回として
各月の2日間では同じ内容になるはずです。

2日間用意したのは、同じ内容を今後やるかどうか分からないから。

復習したい方は再受講として2週ともお越しください。

カウンセリングの技術がスッキリまとまるものと期待しています。

詳しいご案内は近日中に掲載します。
全2回(?)。

ご検討ください。

2014年03月07日

速読のはなし

すごく丁寧に、心を込めて作ってくれた料理を食べる機会があったとします。

どれだけ気持ちの入ったものかも分かっていて、
しかも滅多に食べることのできないものだと知っている。

それはもう焦がれるように待ちわびていた料理。

そんな料理を食べるとき、どのような食べ方をするでしょうか?

きっと食べる側も心をこめて、全身全霊で食べるんじゃないかと思います。

食べるスピードは噛む回数や一口のサイズとかもあるでしょうから
一概には言えませんが、それでも普段よりはゆっくりになりそうです。

僕なら、一品ずつ丁寧に味わい、その見た目にも気を配りながら、
どれだけの手間をかけてくれたのかを察するように食べるでしょう。

もう二度と食べられないかもしれない…ぐらいの覚悟で
いつまでも記憶に留めておけるように、集中して食べます。

もしかすると、普段よりも作法にも気を配り、
食べ方の見た目としても美しくなるように心がけるかもしれません。
あたかも、そうした食べ方が、心を込めた料理へのお返しであるかのように。

少なくとも、新聞やマンガを読みながら食べたりはしない気がします。
急いで食事を済ませて、作業に戻るなんてこともないと思うんです。


また、自分の一番好きな映画を見るとき、大好きな音楽を聞くときには
2倍速で時間を節約したりはしないものでしょう。

2時間の映画なら、2時間かけて見ることで感じられるものがあります。
あらすじを知りたいだけなら早送りでもダイジェストでも良いでしょうが、
好きなものだったら、何度でも2時間かけて見るんじゃないでしょうか。

好きな音楽を聞くときだってそうです。
音楽には、そのテンポだからこその魅力があるはずです。
テンポが違えば、曲の雰囲気は別物になってしまいます。

ましてその映画に自分の好きな俳優が出ていたり、
その映画が、好きな映画監督の作った作品だったり、
自分の親友が初出演している映画だったりした場合には、
もうそれは食い入るように映画を見ると思います。

売れない頃からずーっと応援していたミュージシャンのデビュー曲だったら
姿勢を正して深呼吸をしてから聴き始めるぐらいするかもしれません。


『フランダースの犬』の最終回で、主人公・ネロが
ずっと見たかったルーベンスの絵を見られたときのように、
憧れの名画をやっと見られたとしたら、
そこに立ち止まって眺めていたい衝動に駆られることでしょう。

間違ってもパッと一瞥して前を通り過ぎることはないはずです。

注意されるまでずっと留まって絵を眺めたいでしょうし、
何度でも美術館を訪れて絵を見ようとすると思います。


大切な人から送られてきた手紙だって同様です。

とても丁寧に、一単語ずつ噛みしめるように読むものでしょう。

文章の意味を誤解しないように注意深く読みながら、
同時に行間に込められた気持ちにも想いを馳せる。

紙を傷めないように丁寧に扱って、
折り目さえも価値のあるものに感じられて…。

何度も何度も読み返しては、箱にしまって大切に保存する。

読まないときだって、その手紙の保管してある場所を眺めては
手紙を送ってくれた人のことを想ったりもするかもしれません。


大切な人が心を込めて作ってくれた物には
誠心誠意、丁寧に関わりたくなるものだと思うんです。

適当に流して、何かのついでに体験したりはしないでしょう。
全力で、じっくり時間をかけて正面から向き合うものじゃないでしょうか。

速読や速聴は、目的によっては役立つ技術だと思います。

そして多くの場合、
「できるかどうか?」、「使えるかどうか?」の議論になるようです。

しかし、「できる」としても、目的を明確にして「役立てられる」としても、
そこには決定的に欠けているものがあります。

捨てているものがあるんです。


以前に YouTube の動画で見たCMだったと思いますが、
こんなエピソードが描かれていました。

高齢の男性が語学学校のようなところに通うんです。
英語を話せても、読み書きができない人のようでした。
小さな子供や外国人に混ざって、ABCから習い始め
少しずつ文章を読めるようになっていく。

最初は子供向けの絵本を読み、そこから徐々に難しい内容へと進む。
ついに、一冊の厚い本を読破するんです。

そしてある日、その本をもって酒場へ足を運ぶ。

そこには友達と酒を酌み交わす若い男性がいます。
その人は、読破したその本を持って、その若者に話しかける。
「読んだよ」と。

酒場にいた若者は、その人の息子で
本を出版したようでした。

その男性は、自分の息子が書いた本を読むために
イチから読み書きを習い始め、その本を読破するんです。

一冊の本のために、どれだけの時間と労力が割かれたことか。


作品には作者の想いが込められています。
多くの時間をかけ、何度も推敲を重ね、やっと形になるんです。

その作者が自分にとって大切な相手だったら、
仮に興味のない分野だったとしても、時間をかけて堪能しようとするでしょう。

絵を鑑賞するのは、何が描かれているかを認識するのとは別物です。
一本の映画を見るのは、あらすじを読むのとは意味が違います。
料理を味わうのは、空腹を満たすのとは異なる体験です。

本を読むのは、情報収集のためだけではないはずです。

理想的には、大切な人間関係における手紙のような意味もある。
大切な相手を想って手紙を書き、大切な人からの手紙を心をこめて読む。
…そんなやり取りに近いものが、本にも含まれる可能性があります。

速読は『それ』を捨てている。

情報収集のためと割り切って、読むスピードを上げるとき、
僕は「大事なものを捨てている」ことを心に留めておきたいと思っています。

2014年03月05日

違いが分かる

「天然」や「自然」と呼ばれるものと
「人工」と呼ばれるものとは、
何が違うんでしょうか?

一番分かりやすい区別は
 人の手が加わったら「人工」
だと思いますが、
世間的にはそういう認識ではないようです。

例えば、「天然素材で作った〜です」と言ったりします。
人の手で加工しているけれども「天然」、「自然」ですよ、
といっているわけです。

もともと自然界になかったものを作り出したら「人工」というのだとしても、
やっぱりほとんど全ての「手を加えたもの」が人工になってしまいますから
この区別も世間一般の区別とは違うと思えます。

「もともと自然界になかったもの」だと例えば
品種改良した作物は人工になりますし、
発酵食品なんかも人工ということになりそうです。


では、
人の手が加わっても、もともと自然界にあったものを原料としていれば「天然」、
もともと自然界になかったものを原料としていれば「人工」だとしたら?

今度は逆に、「自然界になかったもの」の境目が難しい気がします。

例えば、石油は大昔の生物の死骸が変性してできた有機物だとされますから
石油製品だって「天然」の区分になってしまいます。
これも世間一般の印象とは違うのではないでしょうか。

石油そのものは自然によって作られますから、
それを精製して純度を上げるプロセスが入ったら
「人工」の雰囲気がするのかもしれません。

確かに自然には純度が上がることは、あまり起きません。
海水が凍るときに、塩分が含まれずに純度の高い氷ができることがありますし、
塩や水晶などの結晶ができるときにも純度が上がりますが、
多くの場合は、混ざりあったり化学変化したりして、雑多な状態になろうとします。

とはいえ、例えば石油を蒸留してエチレンを分離精製するのと
葡萄酒のアルコール成分を蒸留・精製してブランデーを作るのとでは
同じプロセスですが、
エチレンが人工的、ブランデーには自然な感じ
のイメージを持ちやすいところではないかと思われます。


人為的に化学反応を加えたら「人工」と呼んだとしても、今度は
料理の多くが「人工」になってしまいます。

熱を加えて香ばしい色と匂いがつくのはメイラード反応と呼ばれる化学反応。
これが人工だとすると、パンもキャラメルもビーフシチューも人工です。

手作りか機械かというのも微妙です。
大規模で流通する食品の多くは機械生産だと考えられます。


人為的に高分子を作らせたら「人工」だとすると、例えば
エチレンは天然で、ポリエチレンは人工ということになります。

グルタミン酸は天然で、ポリグルタミン酸は人工でしょうか?
ポリグルタミン酸は納豆のネバネバ成分ですから、
天然っぽい印象がありそうです。

何より、生物を形作っているタンパク質が高分子です。
DNAだって高分子です。

農業や畜産業が「人工」だという印象は難しそうです。


それでもプラスチック製品は、いかにも人工なイメージがある気がします。

有機化学の化学反応を組み合わせて作ったら「人工」とすると
今度は無機化学のセラミックが「天然」になってしまう。

プラスチックは自然でなかなか分解されませんから
そういう分類も良さそうにも思えるかもしれませんが、
すると、石や金属の加工品も「自然」の分類に含まれてしまいます。

鉄筋コンクリートのビルが「自然」や「天然」かというと、これも微妙なところ。
木造建築に「自然の温もり」などと説明するのを聞いたことがありますから。


こんなことを考えていくと、結局
 何が自然・天然で
 何が人工なのか?
が分からなくなります。

もちろん、なんとなくのイメージはあります。
日常生活で他の人が「人工」とか「天然」という言葉を使っているときには
何を言おうとしているのかの想像はつきます。

その言葉の使い分けが状況によって異なっている可能性もありそうです。
食べ物において「天然」か「人工」かを考える場合と
身の回りのものにおいて考える場合とでは、意味合いが違うのかもしれません。

しかし、そうやって相手の言葉の意味合いを察しようとするのと同時に
僕の中では「自然」と「人工」とで差を感じていないんです。

実際には「自然」と「人工」だけの話ではありません。
多くの区別は、注意深く違いを考えていくと、良く分からなくなります。

そうすると、その区別についてまわる「良い」/「悪い」の判断も
つかなくなってくるようです。

元々曖昧な区別のものに、便宜的な区別をつけているということなんでしょう。
そしてその区別への認識を曖昧にしないように心がけるほど、逆に
「実は区別そのものが曖昧だった」と気づくようになる。

区別を吟味せずに「別物だ」と認識しているほうが、むしろ
その区別を受け入れて「良い」/「悪い」の判断まで繋げやすくなるのだとしたら
なんだか皮肉なことに感じられます。

cozyharada at 23:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2014年03月02日

【セミナー】コミュニケーション・トレーニング&勉強会

ご案内: 3月16日(日)開催

 日中:《コミュニケーション実践トレーニング》
 夜間:《勉強会〜変化の流れを考える〜》


2つの講座、同時のご案内です。
日中と夜間とで別の内容を開催します。


【コミュニケーション実践トレーニング】

日中の『コミュニケーション実践トレーニング』では
リアルタイムのコミュニケーションを通じて、
コミュニケーション技術の練習と、自分自身の言動を意識化する練習をします。

一般にコミュニケーション系のセミナーというと
何かの技法を扱ったり、コーチングやカウンセリングの形式をとったりと、
ある程度の形を設定して行われます。

これまでにも何度も開催してきているカウンセリング講座であれば、
そこで行われるコミュニケーションはカウンセリングの場が想定されています。

一方、例えば「伝え方」の技術を扱うとしたら、
実用的な観点を除いた基礎トレーニングと、
典型的な「伝える」場面を設定した実践練習との両方を行います。

それに対して、今回の『コミュニケーション実践トレーニング』では、
特定の技術に焦点を当てて基礎トレーニングをするわけでもなければ
コミュニケーションの形式を限定して会話の練習をするわけでもありません。

むしろ、コミュニケーションそのものは自然な会話とします。
二人でクライアントと聞き役とに分かれるのではなく、
グループの中で自然に起きる会話を利用します。

時には誰かが話して、時には誰かが質問したり、話を広げたり…。
何が起きるかは分かりません。

そうしたリアルなコミュニケーションの中で、
自分自身のコミュニケーションの仕方を自覚するようにトレーニングします。

具体的には、
 ・その場で起きているコミュニケーションをどのように理解して
 ・他の人たちの感情と意図を踏まえたうえで
 ・自分がどのような結果を期待して
 ・どんなメッセージを発するか
に注意しながら練習を進めます。

その過程では、リフレーミングや質問など、特定のコミュニケーション技法に
重点を置いて練習することもできますし、
観察に重きをおいて人を理解するトレーニングをすることもできます。

実習では、コミュニケーションの流れを中断しながら
フィードバックとやり直しの練習を通じて、
自覚のレベルと技術向上の両方を図っていきます。

こちらからフィードバックや介入が入る場合もあるはずです。

ある程度の目的意識をもっている場合には
その目的に沿ってフィードバックすることもできます。


とにかくリアルな会話の流れの中で
コミュニケーションのトレーニングを行うのが特徴です。

おそらく、リアルな会話を中断してフィードバックしたり、
ある部分をやり直したりするケースは、日常のコミュニケーションでは無いでしょう。

その意味で、実践的な効果が大きいトレーニングだといえます。

これまでにコミュニケーションと向き合ってきた方には
格好の実践練習の機会となると考えられますし、
コミュニケーションに課題意識のある方には
知的な学びと練習とを同時に体験できる機会になると思われます。

想像以上に人は、模倣から学習するものです。
見本がいなかったから、そのやり方しか知らない、ということは良くあります。

自分のやり方とも、普段接する人たちのやり方とも違うコミュニケーションの中で
体験的に得られるものが沢山あるのではないかと期待しています。

ご都合が合えば、お越しください。



【勉強会〜変化の流れを考える〜】

夜間の部は久しぶりの”勉強会”です。

気楽なスタンスでいきます。

意見交換をしたり、質疑応答をしたりしながら
知的な理解とご自身の体験とを結び付けていく時間となります。

これまで色々とやってきた方ほど、整理される部分が多いのではないでしょうか。

コミュニケーション全般や、カウンセリング、コーチング、心理療法、NLP、
心理学、催眠、成功法則、スピリチュアル、自己啓発全般…。
色々な角度から「人間の生き方」について説明がなされます。

どういう方法論であっても、入門的な内容があって、そこから深入りしていきます。
その過程で技術を身につけたり、自分の課題を解決したりして
「進んでいく」感じや、「変化する」感じを体験するようです。

ところが、人の興味は移ろいますし、多くを知り、多くを体験するほどに
様々な疑問や混乱、問題意識や不条理などが感じられることがあります。

入口は様々でも、進むにつれて共通点が見てくるところもある一方で、
特定の流派への関わり方へ慎重になったりもする。

実感を伴った理解が深まるほど見えてくるものも多いのでしょう。

そして見えるものが多いほど、人との関わり方に迷いが生まれる

他者と関わる上で、基準や正解などは無いものだとしても
一般的な流れを把握しておくだけで気が楽になるところは大きいはずです。

ですからこの勉強会では、様々な流派・分野を視野に入れながら
”その世界”に足を踏み入れた人たちが進んでいく『道のり』について
色々と考えてみることを趣旨とします。

講義だけではなく、ディスカッションの時間もある予定です。
体験や想いを口にすることでスッキリするものもあるかもしれません。

お越しをお待ちしています。



◆録音・録画に関しまして

個人的なご使用でしたら、録音や録画はご自由にどうぞ。
復習にご利用いただくのも良いかと思います。

特に日中の『コミュニケーション実践トレーニング』では
会話の流れと自分の振る舞いの両方を客観的にチェックするのに
記録したものを振り返るのが効果的だと考えられます。
プライバシーへご配慮の上でご活用ください。



講座の詳細は以下の通りです。



【セミナーの詳細】

 日中:≪コミュニケーション実践トレーニング≫
 夜間:≪勉強会≫〜変化の流れを考える〜


【日時】  3月16日(日)
     《日中:『コミュニケーション実践トレーニング』》  13:30〜17:30

     《夜間:『勉強会』〜変化の流れを考える〜》    18:30〜21:30 

       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。
       ★申し込みフォームに、ご希望の時間帯(日中/夜間/両方)をご記入ください。


【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)

【参加費】 
      《日中:『コミュニケーション実践トレーニング』》  ・・・8,000円 
      《夜間:『勉強会』〜変化の流れを考える〜》 ・・・5,000円

       当日、会場にてお支払いください。


    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。




終了しました

アウトプットが本当に勉強になるのは、聞いてくれる人がいるときです。

もちろん、整理するために紙に書いてまとめるのも有意義です。
それはそれで役に立ちます。

またブログやフェイスブックに意見を書いてみたり、
ニュースレターなどのような形で考えをまとめるのも意味のあるアウトプットでしょう。

しかし、口頭で伝える形のアウトプットは、リアルタイムに進行して
かつ双方向的なので、書く形のアウトプットよりも得られるものが多いようです。

その場で沸き上がってくるものを言語化して自らも発見したり、
聞き手の様子を見ながら伝わっているかどうかを判断しながら話したり、
聴衆の反応を観察しながら興味を引くように工夫したり…。

相手のいる進行形のコミュニケーションでアウトプットするからこそ
「自分がどんなメッセージを発するか?」への自覚が高まり、
それをコントロールしようという動機も上がりやすいのでしょう。

アウトプットの最中にも、伝える側のコミュニケーション技術と
受け取る側としてのコミュニケーション技術の両方を、同時に使うんです。

この実践は経験的にも役に立った実感があります。

実践的なコミュニケーションを活用していただければ幸いです。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード