2015年08月

2015年08月29日

英語のアクセント

僕が最後にTOEICを受けたのは、もう10年以上前だと思います。

当時、会社で義務として全職員が受験する必要がありました。
随分前のことになりますが、試験の形そのものはあまり変わっていないようです。

その語、しばらく英語のテストなんて受けるつもりもないまま時間は流れ、
2010年にあるキッカケで英語の勉強を始めました。

そのときに必要だったのはTOEICではなく、TOEFLのほう。
アカデミックな場で必要とされる英語能力を測るテストです。

TOEICもTOEFLも、ETSという会社が主催していて
どちらも英語を母国語としない人向けのテストとして知られます。

が、アメリカでは留学の基準となる英語力をTOEFLの点数で決めることが主流のため
世界的にはTOEFLのほうが使われることが多いらしいです。

そしてアメリカでのアカデミックな環境を想定していますから
TOEFLで使われる英語はアメリカ英語です。

スペルもアメリカ英語ですし、リスニングの問題もアメリカ英語。
内容もアメリカの大学で行われる授業の一部とか
アメリカ人学生同士の会話や、アメリカの大学でよくある場面などがメインです。

TOEICのようなビジネスの場面を想定した会話や文章は少ないんです。

それでも日本人が馴染んでいる英語はアメリカ英語ですから、
僕にとってTOEFLの英語は、それまでの英語の勉強の延長線上に思えていました。
違和感がなかったわけです。

実際、日本人が学校教育で学ぶ英語はアメリカ英語で、
一般的な英語学校でもアメリカ英語が中心ですし、
テレビやラジオで扱われる英語教育もアメリカ英語が多いように感じます。
(NHKの英語教育番組には世界中の英語が登場しますが
 実際に練習させるフレーズはアメリカ英語になっている)

テレビのコマーシャルで流れる英語もアメリカ英語の比率が高いようですし、
映画でも「洋画」といえばハリウッドのアメリカ英語が使われるものでしょう。

日本にいると「英語といえばアメリカ英語」といった前提のような印象があって、
だからこそ僕がTOEFLの勉強をしているときも
 英語の勉強
というイメージに沿ったまま取り組めたんだろう、と今にして思います。


それから英語を使い続けてきましたが、相変わらず僕にとっての英語環境は
ほぼ全てアメリカ英語だったようです。

たまにイギリスの映画を見たりすると全然と言っていいほど聞き取れません。
オーストラリア人のセミナーのDVDを見たときも、
その独特のアクセントにとても苦労したものです。

逆にいえば、それだけアメリカ英語に親しんできたということなのかもしれませんが、
それだけ僕の英語はアメリカナイズされていたわけです。

で、英語を使う機会は維持してきたものの、
久しく集中して「英語を勉強する」ことがなかったので
単語力とかリスニング力とかが落ちているのではないかと気になって
またチョット英語を勉強してみようかと思うようになりました。

そのためには英語のテストを仮目標にするのが好都合。

ということで少し英語の教材を調べてみたんです。

残念ながら、週末のほとんどがセミナーで埋まってしまう僕にとって
土日開催のTOEICやTOEFLは受験することも難しいのが現状ですが、
「まぁ、勉強ぐらいはしてみようか」と、手始めにTOEICの教材を見てみました。

10年ぶりのTOEICが、どれぐらい変わっているかを見てみようか、と。

リーディングセクションは大きく変わっていない気がしましたし、
リスニングのほうも全体構成は似たようなものに思えました。

しかし、です。

リスニングの音声が違う。
(と思います。)

聞き慣れない発音が混ざっています。


多分、以前のTOEICはアメリカ英語だけのリスニングだった気がします。
気になったことさえなかったものですし。

しかし今のTOEICのリスニングにはイギリス英語のアクセントが混ざっています。

リスニング問題を吹き込んでいる人たちがイギリス人なんでしょう。

より国際的に対応できるように…ということで幅を広げる変更だったのかもしれません。

そしてイギリス発音になると、途端に聞き取りが難しくなる。
これは衝撃的でした。

現実的に考えてみると、世界中の英語話者の中では
イギリス英語に近い発音をする地域のほうが多いらしいです。

アメリカ英語は日本にいると英語の主流のように見えそうですが
実際はそれほどでもない、と聞いたこともあります。

アメリカ英語は、イギリス北部やアイルランドの発音に近いといいます。
アメリカへの移民の大部分が、その地域から来ているからです。

一方、イギリスという島国の中で発展していった英語は地域ごとの訛りも多い。
大航海時代に世界中へ植民地を広げたイギリス人たちは南部の人たちみたいですから、
当然、世界中に広がっている英語圏は、南部の「いわゆるイギリス英語」に近い。


日本でいうなら…、

 京都を中心とした関西語圏が政治経済の中心だった時代があって、
 それこそが「日本語」で、抑揚の小さい関東の日本語は”主流”ではなかった

 それが江戸に幕府が開かれて政治の中心が関東に移り、
 そのまま明治以降も東京が首都機能として発展していくことになる

 結果として江戸弁から移り変わっていった東京の言葉が「標準語」になった

という感じでしょうか。

英語では…、

 イギリス国内ではロンドン近郊の上流階級が話す英語こそが美しいとされていて
 その近くにあったアクセントを「標準語」としてラジオで採用した

 イギリスでは南部上流階級の英語が標準語、上流階級の言葉であって
 北部やアイルランドの方言を話す人たちが北米大陸に移民していった

 そしてアメリカ合衆国で、元々アイルランド訛りだった英語が標準語として整えられ
 アメリカが世界経済の中心を担うようになった結果、
 アメリカ英語が「英語」の代表のような印象を持つようになった
 
という流れ。

特に日本は戦後にアメリカの影響を強く受けたこともあって
より「英語=アメリカ英語」という認識を強めたんでしょう。

今の日本人が
 標準語=東京の日本語
のような認識を持つ一方で、
京都の人たちの中に
 京都弁=やまと言葉の最高峰
のような印象を持っている人たちがいるのと似ている気がします。

まぁ、どちらが本流かとか、どちらが標準的かというのは抜きにして、
 アメリカ英語とイギリス英語の間には、
 東京弁と京都弁ぐらいの違いがある
というのは確実でしょう。


ともあれ、
世界情勢としてはイギリス英語に近い英語を話す人たちが多いこと、
それから、英語力を測るテストとしては
IELTSという試験のほうが国際的に広く使われていること、
日本で行われるTOEICにおいてもイギリス英語が混ざっていること…
などを考慮しても、
イギリス英語が聞き取れないのは困りどころだと感じたわけです。

ですからイギリス英語を勉強してみることにしました。

発音できてしまったほうが聞き取りも楽になる経験があったので
イギリス英語の発音を習いに行ってみたんです。

しかし、これが思いのほか難しい。

実際、アメリカ人がイギリス英語のアクセントを習得するのは大変らしいです。
逆に、イギリス人がアメリカ英語で話すのはそれほどでもない、と。

ハリウッド映画に出演してアメリカ英語を話しているイギリス人は沢山います。
ビートルズもイギリス人ですが、歌のアクセントはアメリカ英語です。

ところがアメリカ人でイギリスのアクセントをやろうとすると
どうも不自然になってしまうんだとか。

ここも日本語と似ているようです。

関西の人が東京にやってきて東京弁を話すようになることは多いものです。
関西出身だということが全く分からないような人も大勢います。

一方、関東の人が関西に行って関西弁を話そうとすると
とても不自然な感じになる。
「エセ関西弁」として嫌な印象を与えることも。

発声の癖の問題なのか、独特の抑揚のつけ方があるのか、
東京の人が京都弁を話そうとするのと同じように
アメリカ人がイギリス英語を話すのは大変らしいんです。

はたして僕はどれぐらいできるようになるんでしょうか。

長年の癖を変えるわけですから、ちょっと工夫が必要かもしれません。

2015年08月26日

本当の犬食い

「犬食い」という言葉があります。

マナーとして良くないと判断されることもあるようです。

犬が「犬食い」をしていても当然なのに
人間が「犬食い」をするのは良くないというのですから
実に人間らしい基準なんでしょう。

僕は個人的に「犬食い」と呼ばれる食べ方について
そのことだけで何か特別な気持ちになることはありません。

むしろ気になってしまうのは
 美味しそうに食べているかどうか
です。


厳密にいえば、味覚としての美味しさに限りません。

たくさん食べられる嬉しさ、
ご飯が喉を通る楽しさ、
胃が膨れる満足感、
お腹が暖かくなる充実感、
好きなものが目の前にある興奮…、
どんな種類の喜びでもいいんです。

とにかく食べる人の中に喜びの体験があるか。
僕にはこれが気になります。

そして食べる喜びが溢れている人は、見ていて自分も嬉しくなります。

それは犬がご飯を食べているときも同じ。
犬は「犬食い」ですけど、食べる喜びが全身に表れています。

まぁ、うちにいた犬は舌が肥えてきて、お気に入りではないドッグフードのときは
しぶしぶ食べてるようなフシの見えていましたが。

それでも食べたいものを食べているとき、
喉が渇いて水を飲んでいるときの犬は、
なんとも喜びに溢れた体験をしているように見えます。

それを見ているのは心地いい。
綺麗な食べ方とか、汚い食べ方とか、そんな話とは関係ありません。


ところが最近は、スマートフォンの普及のせいもあってか
食べている最中もスマホを触りながら、という人が少なくないようです。

そのように「〜しながら」食べる人たちの中には
食べる喜びがほとんど体験されていない様子の人もいます。

まるで、運ばれてきた料理を写真に撮るところが喜びのピークかのように。

マナーの観点からしたら綺麗な食べ方の人でも、食べる喜びが少ないひともいます。
健康に気を遣いながら食事をする人でも、食べる喜びが少ないことがあります。

ダイエットや健康のためと言いながら、知識として正しい食事をしていて
食べる喜びが体験されていないように見える人もいます。

減量中のボクサーなんて、きっとほんの少しの食事が
とてつもない喜びに溢れていることでしょう。

食べ方がどうとかではなく、食べる喜びを体験しているか?という話です。


僕には「食べる喜びが見てとれるかどうか」が気になります。

犬食いと呼ばれる食べ方をするの人の中にも
食べる喜びを満喫している人もいれば
食べることについての体験がほとんど意識されていない人も見受けられます。

犬がするような本当の犬食いは、見ていて喜ばしいんです。
食べるのが嬉しくて仕方ないわけですから。

cozyharada at 23:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2015年08月23日

考えさせない方法

なぜだか自宅のインターネット接続がおかしくて
パソコンからのブログ更新が困難な状況です。

とりあえず運に任せて書いてみるばかりですが
どうにもならなければスマホから投稿するほうが賢明かもしれません。



それはともかく、世の中には色々なルールがあるものだと実感します。

それも法律などに限らず、一般常識やマナーとして決められたルールが沢山あります。
中にはルールとして守る根拠が不明確なのに、守るのが当然とされるようなものも。

例えば「電車の優先席付近で携帯電話やスマートフォンの電源を切る」というのも
事実上は根拠のないもののようです。

僕は気になって総務省のホームページで調べたことがありますが、
相当古いペースメーカーの中の一部に、15cm(30cmだったかもしれません)以内で電波を受けると
「誤作動を起こす可能性が否定できない」ものが含まれている
といった程度だったものです。

距離的にいえば、ペースメーカーを心臓に入れている人自身が
携帯電話で通話をしたところで問題のない範囲のようでした。

しかも、一部の製品に「誤作動を起こす恐れがある」程度ですから
誤作動を起こす可能性は非常に低いような記載でした。

ただゼロではなさそうだから念のため、という感じだったのでしょう。

その頃からするとペースメーカーそのものだって技術的に進歩しているはずです。

その一方で、街中を飛び交う電波の量や強さは増していく一方だとも考えられます。
地下鉄でも携帯の電波が届き、至るところに無線WiFiが設定されている。

優先席付近で携帯電話やスマートフォンの電源を切ることに
一体どれだけの効果があるのか?と疑問です。

むしろ、ペースメーカーを入れている人の立場を想像したら
満員電車でスマートフォンを使われるほうがずっと心配ではないでしょうか。
必ずしも優先席へ行けるわけではないのですから。

実際、最近のニュースで
 今のペースメーカーで誤作動の起きる心配はない
という発表がなされたそうです。

しかしそんなことは関係ありません。
世の中には「優先席付近では携帯・スマートフォンの電源を切る」というルールを
「正しさ」として振りかざす人たちがいます。

「それはルール違反の正しくない行為だからダメだ」と注意をする人を見かけます。

先日も、音楽プレーヤーで音楽を聞いていただけの若い女性を
高齢の男性が叱りつけている場面を目撃しました。
「音楽を聞いているだけです」と説明しても聞く耳は持ちません。
結局、その女性は電車を降りていきました。

一度ルールが定着して、少なくともその人の中で正しいこととして設定されてしまったら
その内容の根拠については考えることさえなくなってしまうわけです。

厳しくいえば、
 ルールを信じるということは考えるのをやめる行為だ
とも考えられます。


ルールは便利なんです。
考えなくて済みますから。

一瞬一瞬、行動と状況の意味を考えながら、結果を予測して、行動を選択するのは大変です。

「青信号は進め、赤信号は止まれ」というルールだけを覚えて
赤信号では必ず止まると決めていれば、全員がルールに従っている限り
事故は起きにくくなるでしょう。

一人一人がその場で適切な判断をしても問題は起きないでしょうが、
全ての人が常に適切な判断ができるとは限りません。

だったらルールにしてしまったほうが『効率的』です。

もしかしたら、あらゆるルールは本来、いらないものなのかもしれません。
一人一人が全ての状況と行動を丁寧に判断して、
関わる他人を思いやりながら、その場で最適な行動をとれば、
何かを決めておく必要なんてないのかもしれません。

でもそれは大変。
現実的に厳しい。

できるだけ問題が起きないように、一部の人が考えた決まりごとが
ルールとして世の中で使われています。

ルールを決める人だけが考えて、他の人たちは考えなくていいんです。
それがルールを運用する段階で起きることです。

ルールを守る人たちは、そのルールの意味なんて考える必要もなく
ただ守って従っている限り大丈夫なんです。

「正しさ」を保証してもらえます。
「自分は正しい」という存在の拠り所を得られるんです。


裏を返せば、ルールを作る権利を持った人たちは
そのルールがどんなものでも、多くの場合は疑われることもなく作ることができます。

一度信じられたルールを変えようとする反発される場合もありますが、
気づかれずに使い続けられているルールも沢山あるはずです。

そしてルールを多く作り、
 「ルールに従うことを『正しさ』として尊重する」暗黙のルール
を浸透させられれば、
ほとんどの人はルールを疑うことがなくなります。

ルールについて考えることもなければ、
目の前の出来事についても深く考えなくなる。

極端にいえば
 考える必要性を奪うことで
 考える習慣や能力を制限している
とも考えられてしまいます。

そんな悪意があるかどうかは知りませんが、
仮に悪意があったとしても気づかなくなってしまうぐらいに
ルールを信じるというのはリスクも伴っている、ということです。

信じるのは楽ですが、ルールについて考えてみるのも意味のあることではないでしょうか。

2015年08月20日

引き寄せられの法則

以前、メンタリストがテレビで流行りました。
ドラマのほうではなくて、パフォーマーのほうです。

いわゆるメンタルマジックのことですが、
どれぐらいテレビ的な事情があったかは抜きにして、
マジックとしてのメンタリズムは実際に行われるものです。

特にメンタリズムで強調されるのは、「操る」という部分。
お客さんは自分の意思でやったつもりだけれども、実は操られていた、と。

例えば、何色ものペンを用意して、その中から一本だけを選ばせます。

「赤はやっぱり目立ちますよね。
 意外と紫は選ばれないことが多いんですけど、どうでしょう?
 あなたは紫のタイプではないですよね。
 それから一本だけ飛び出ている緑は気になりますよね。
 ただ、私のシャツの色が青ですから、
 知らないうちに青の印象を受けているかもしれません。
 もちろん、どれを選んでいただいてもいいんです。
 今まで言わなかった黄色を選んでも良いですし、
 最初に言った赤を選んでもいいんです。
 どうぞ好きな色を選んでください。」
…なんて混乱させるようなことを伝えながら
 選択をリードしていくわけです。

そして、目隠しをしている間に、お客さんは1つを選びます。
まあ、仮に赤を選んだとしましょう。

で、メンタリストはそれを当てます。
「いいですね?あなたが選んだのは…赤です!」

「えー!?なんで分かったんですか?」

こんなやりとりが起きます。

実際にはメンタリストが赤を選ばせているんです。
色々と工夫をして。

ところがお客さんのほうは、やっぱり自分が選んだと思いたい。
自分は自分の意思で選んだんだ、と。

メンタリストは心を読んで、それを当てた。
そういう風に理解しようとします。

実際に「心を読んでいる」風にマジックを進めることもありますが、
「実は、私が赤を選ばせたんです」と明かしても納得しない人がいます。

なんかタネがあるんだろう、と考えるんです。
なんとかして調べたとか、協力者がいるとか、そういう発想です。

なかには「本当に心が読めるんでしょう?」なんていう疑い方をする場合さえも。

それぐらい「操られる」というのは受け入れがたいようです。

操られるぐらいだったら、まだ心を読まれているほうがマシ。
それよりもさらに、分からないようにタネを使って騙されているほうがマシ。

どうもそんな傾向が見受けられます。

それぐらい人は、
 自分がコントロールの主体であって
 自分が自分の意思で結果を生み出している
と解釈したがるんです。


こういう発想はマジックだけに限定されません。

いわゆる「引き寄せ」とか「成功法則」にしても
暗黙のうちに「自分がコントロールしている」という前提になっています。

「強く願っていたら、○○を引き寄せた」とか
「具体的にイメージしたら、夢が叶う」とか。

偶然の可能性だってあります。
その観点で反論する人は少なくありません。

むしろ
 「自分がコントロールされていた」
という可能性だってあるはずなんです。

「強く願ったから、○○が引き寄せられた」のではなく、
「○○を願うようにコントロールされていた」のかもしれません。

自分が引き寄せたのではなく、
引き寄せられたのではないか?と。

「具体的にイメージしたら、夢が叶った」のではなく、
「叶うことになっていることが、夢として自然とイメージに浮かんでくる」
という可能性だって否定できません。

イメージしたら夢が叶うのではなく、
叶う夢ほど自然と思い浮かぶのではないか?と。

自分が引き寄せたとか
自分が夢をかなえたと考えたいのは、
コントロールの主体としての自分を想定しているからでしょう。


果たして「自分」には、それだけのコントロールがあるのでしょうか?

現実的に、メンタリストには選択をコントロールされるんです。

知らず知らずのうちに影響を受けて
自分が選ばされていることも多々あるものです。

本当に「自分」が引き寄せたのかは定かではありません。
解釈の1つに過ぎない。

起きた結果を
 「自分が願ったから」、「自分がイメージしたから」と
 自分が原因として解釈するのか、
それとも
 「自分が引き寄せられた」、「導かれた」と
 何か別の原因を想定して解釈するのか、
捉え方はいろいろあるはずです。

自分の力では及ばない何かのようなものを想定する一方で、
それでも自分の意思でコントロールしたいというのは
なんとも人間らしいことだと思います。

自分の力を超えた何かがあるのだとしたら
それに全ては導かれていると考えたって良さそうなものです。

でもやっぱり、
自分の力を超えた何かを利用してでも
自分の思い通りにコントロールしたいみたいです。

自分の思い通りにコントロールできている時点で
自分の力を超えていないような気がしなくもないんですが…。

cozyharada at 23:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

2015年08月17日

犬の気持ち

つい先日、姉が犬を飼い始めました。

プチ・バセット・グリフォン・バンデーンという犬種。
日本にはあまりいないらしいです。

姉には男の子が2人いますが、その子がとても気にいったそうで
飼うことにしたんだとか。

胴が長くて足の短いダックスフントのようなバランスですが、
もっと胴体がガッシリしていて、毛も長い種類です。

口の周りの毛が長くて、まるで口ヒゲを蓄えているかのような顔。
仔犬なのに、すこし老犬のような風貌にも見えます。

何より、耳がとても長い。
顔よりも長く垂れ下がっています。

いったい甥っ子は、この犬種の何に惹かれたのだろう?
と興味深いところではありますが、動物は基本的にカワイイものだと感じます。


で、この間、姉夫婦の家に集合して、皆でその犬を見てきました。

生後2カ月とのことで、まだまだ遊びたい盛りでしょう。
大らかな歩き方をしていましたが、元気は余っているようでした。

まだワクチンなどの関係で散歩には出られないというのも
元気があり余ってしまうところなのかもしれません。

ケージを寝床に、リビングで遊び回る生活が続いているみたいです。

人懐っこくて、誰にでも近づいてきました。

そして噛む。

手でも、足先でも、出っ張ったところは、とりあえず軽く噛みます。
顔を近づければ鼻だって噛もうとするぐらいです。

生後2カ月というと、噛んで遊ぶ時期なのかもしれません。

2か月までの間、ブリーダーの家で
同じときに生まれた兄弟犬と一緒に暮らしていたせいもあるのか、
軽く噛んでジャレあうのが、一番のコミュニケーションだったとも想像できます。

室内でもっと走り回るとか、外へ散歩に出るとかするようになったら
エネルギーが発散されて、噛む頻度は減っていくのかと感じました。

そのあたりの「行動の奥にある意図」については
人間でも犬でも変わらないような気がします。
全体としてバランスが取れれば、行動習慣は変わるでしょう。

まぁ、本気で噛んでいるわけではないので、カワイイものだともいえそうですが。


実家のゴールデン・レトリーバーが亡くなったのが2012年の9月でしたから、
犬と積極的に関わったのは約3年ぶりです。

この3年で自分のコミュニケーション能力が上がった気はしていなかったものの
犬の非言語メッセージから内面の状態を察するのは
前よりもスムーズになっているような印象を受けました。

犬の考えは分かりませんが、内面の状態は観察できるもののようです。

まだやってきて間もないにもかかわらず、
家族のメンバーそれぞれに対する接し方は違っていました。

やはり一番長く接していて、食事をくれる母親に
特別な対応をしているように見えます。

しつけに関しても、犬の発達段階で学習できる内容が異なるでしょうから
どんな風に犬が学習を進めていくのかを観察するのも面白そうです。

僕はたまにしか見る機会がないでしょうけれど
ときどき変化をチェックしてみたいものだと思います。

そして犬と一緒に成長する甥っ子のほうも楽しみです。

2015年08月14日

久しぶりの景色

久しぶりに水道橋・後楽園近辺を訪れました。

セミナー会場の関係です。
そちらも以前、頻繁に使っていた場所。

後楽園駅からラクーアの脇を通って
東京ドームを右手に通り過ぎながら歩きました。

外から見る限り東京ドームに変化はなかったですが
ラクーアの中に入っていた店などは大きく変わっていたようですし、
遊園地側のアトラクションは一部が建て替わっていたみたいです。

そして通い慣れた交差点へやってくると…。

その景色は全く違っていました。
いくつかのビルが壊され、ドン・キホーテと大きなホテルができていたんです。

Suidobashi2015


























以前、何年にもわたって通っていたビルは残っていましたし、
よく利用していた飲食店も残っていました。

懇親会で入ったチェーン店の居酒屋には
初めて行ったときからずっといた女性が今も働いていました。

当時から最高齢スタッフだったと思われるその女性は
少しだけ前よりも背中が曲がっていただけで、元気に歩きまわっていました。


入れ替わるものがあって、残り続けるものがあって…
それが自然なことだとは思う一方で、
思い出として振り返ると、そこには感慨深さがあるようです。

普段は意識に上がることのないものでも、
以前に足を運んでいた場所を訪れれば
自然と沢山の記憶が蘇ってきます。

ずっと思い出せずにいた名前も、ふと思い出せたりもしましたし
たくさんの人の顔が浮かんできたりもしました。

意外と長くやってきたものだと実感します。

たまには色々と思い返してみるのも良いものですね。

cozyharada at 23:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | NLPの基本情報

2015年08月11日

世界の中心で叫ばれていること

以前、「世界の中心で、愛をさけぶ」という映画やドラマが話題になりました。

が、実際に世の中で大部分の人が「さけんでいる」のは
 「もっと私を大切にしろ」
というメッセージのようです。


「私はもっと大切にされて当然だ。
 だから、こんな粗末な対応をされるのは許せない。
 私はもっと大切にされるに値するはずなのに
 どうして世の中は私を大事に扱ってくれないんだ?
 おかしいじゃないか!
 私をこんな目に合わせるヤツは間違っている!」

…そんな感じで不満を述べる人も少なくないように見受けられます。

一言でまとめてしまえば、承認欲求の高いケースが多い、ということ。

程度の差こそあれ、街中で見かける会話の大半は
いかに自分を認めてもらおうかという承認欲求の表れと解釈できます。

自慢話をするのも、愚痴をこぼすのも、
相手からの承認を求めたものといえます。

誰かに対して怒りをぶちまけたり、クレームをつけたりするのも
承認欲求が満たされなかった不満を取り戻そうという怒りの反応です。

自分の正しさや自分の存在価値を他人から認めてもらいたい
という願いが表れているわけです。

それはつまり、
 自分が正しいと確認して、自分の存在価値を確認して、
 その結果、安心したい
という動機に基づいています。

乱されたくないんです。
期待通りに進んでもらいたい。
いつも通りの状態から外れて不快になるのが嫌なんです。

期待通りの安心できる状態を維持したい。

そのためには、
他人に期待通りの対応をしてもらいたいし、(だから期待外れに不満が沸く)
期待通りでない場合には挽回したいし、(だから怒りを使ってクレームをいう)
自分の正しさを確認したいし、(だから嫌なことがあったら愚痴をいう)
自分の素晴らしさを認めてもらいたいんです。(だから自慢する)

自分の「正しさ」の基準に沿って期待通りに対応してもらったときが
「当然だ」という体験になり、
その基準から外れると「大切にされなかった」体験になる。

自分の「価値」を実感するための基準に沿って期待通りに対応してもらうと
「大切にしてもらった」という体験になる。

このように「大切にされる」感じを人は求めがちだ、ということです。


そして「大切にされる」感じを、いつの頃からか「愛」と結びつけるようになります。

おそらく自分が誰かに好意を持ち始めた頃から、
 好意を感じる相手を「大切にしたい」と思う
体験をし始めるからではないでしょうか。

「自分がこの人を大切にしたいと思うのは、『愛している』からだ」
といった解釈が始まるわけです。

どこかで知った「愛」という概念と、
「誰かを他の人よりも大切にしたい」という気持ちとを関連づける。

「大切にしたい」気持ちを「愛」の根拠とするんです。

裏を返せば、その発想は
「愛しているからには、大切にするものだ」
となって、
自分が「愛されている」かどうかの判断にも使われ始めます。

「自分のことを愛しているなら、大切にしてくれるはずだ。
 自分を大切にしてくれないのは、愛していないからだ。」
という具合に。

ですから、言い換えると
 「もっと私を大切にしろ」
という承認欲求のメッセージは
 「私を愛してくれ」
という表現にもなります。

「自分はもっと愛されて当然だ」という自己愛性傾向ともいえるんです。

まるで自分こそが世界で最も大切にされるべき中心人物であるかのように
「私をもっと大切しろ。私が愛されないのは間違っている。もっと愛してくれ。」
と主張している。

つまり、世の中の大部分は
「自分が世界の中心であるかのように、愛してくれと叫んでいる」
ということです。

cozyharada at 23:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

2015年08月08日

ホテルの消臭剤

出張でホテルに泊まることが結構ありますが、
サービスの一環として消臭スプレーが置いてあるときがあります。

何種類か見たことがある中で、一番よく見かけるのが
花王の「リセッシュ」です。

市販品とはボトルが違うようなので、もしかすると古いバージョンなのか
それともホテル用の製品なのかもしれません。

以前、メーカーで製品開発をしていた知り合いが言っていたことによると
ああしたスプレー物のコストとしてダントツで高いのが
スプレー器具部分だとのことでした。

ボトルではなく、噴霧器が一番コストがかかっている、と。

まして液体の薬剤部分はコスト的には非常に安く、
その人いわく「水みたいなもの」だそうですので
「詰め替え用」というのは、非常に利益率が高いらしいです。

当然、ホテルに置かれているリセッシュも詰め替えているでしょうから
その点では無駄な費用がかかっていないと思われます。

ホテルの全部屋にスプレーボトルを置いて、
毎日「詰め替え用」を補給することを考えれば
中身の液体としては相当量を消費すると想像できます。

おそらく詰め替え用としても市販品ではなく、
業務用のような大型容器で注ぎ足しまわっているんじゃないでしょうか。

そうなればメーカー側としても安く提供できるでしょうし、
ホテル側の詰め替え作業にも都合が良いかもしれません。

メーカーとしては、そのホテルの系列全館に入れてもらえたら
かなりの量を安定的に販売することができますから、
法人営業のような形で工夫をしただろうことがうかがえます。

どういうわけかライバル的な商品であるP&Gの「ファブリーズ」は
ホテルに置かれているのを見たことがありません。
(僕の泊まらないようなホテルにはあるかもしれませんが…)

ビジネスホテルへの営業ではリセッシュが強いんでしょう。


ともあれ、リセッシュをホテルに置いてもらうのは
そのものの売り上げだけでなく、メリットが大きそうに思えます。

シャンプーや化粧品の試供品のようなものをホテルに置いてもらうと
無料で提供しても宣伝効果があってメーカーとしてはメリットがある
…という話も聴いたことがありますから、
ホテルに置かれるリセッシュにも宣伝効果があると考えられます。

ビジネスホテルともなれば、移動の過程でスーツがシワになったり、
仕事終わりで居酒屋に行ってタバコ臭くなったり、
という利用者が多いと想像できます。

そんなとき部屋に消臭・シワ取りの効果のあるスプレーが置かれていたら
使ってみようと思う人は多いのではないでしょうか。

実際、使ってみたらシワは取れますし、ニオイもなくなります。

今まで使ったことのなかった人でも、ホテルで使ったのをキッカケに
自宅でも使うようになる人が出てくるかもしれません。

そうなればビジネスホテルにリセッシュを置いてもらうのは
それだけで宣伝として大きなメリットがあるはずです。

であれば、ホテルに出しているリセッシュの詰め替え用は
ものすごく安価であってもメーカー側としては得をする可能性があります。

ホテルとしてもコストをかけずにサービスを向上できて
メーカーは商品を使ってもらう形での宣伝ができる。

製造業としては大量に生産するほど固定費を下げられてメリットが出るので
ホテルで使ってもらう業務用に関しては、
とにかく多くの場所に置いてもらうほうが得をするとも考えられます。

利用客はホテルのサービスとして無料でリセッシュを使えるわけですから
そちらとしてもありがたいところ。

ホテルに置かれるリセッシュは、そういう意味で
ホテル側にもメーカー側にも利用客にもメリットのあることだと思います。


ただ唯一残念なのが、リセッシュは香りが残るんです。

ホテルに置かれている製品だけの特徴かもしれませんが、
タバコの臭いやシワが取れる一方で、リセッシュの香り成分が残ります。

それも、かなり長期間にわたって。

大量にかけてしまった場合には洗濯をしても抜け切らないことまでありました。
個人的には好きなニオイでないので、それが手放しで喜べない部分です。

ファブリーズのほうが香料が抑え目なのか
衣類へのニオイ残りは少ない印象があります。

しかも、ファブリーズではリセッシュの匂いは取れません。

タバコの臭いはリセッシュでもファブリーズでも落ちます。
ですが、リセッシュの臭いはファブリーズでは落ちない。

ある意味ではタバコ臭よりも強いということになりそうです。

あの匂いが好きな人は良いんでしょうけれど。

2015年08月05日

目的のための手段

催眠でよく使われる単語、「トランス」。

学術的には「変性意識状態」と呼ばれますが、
催眠の分野では日常的な親しみを引き出すためか
「トランス」という言葉が選ばれます。

普段の意識とは違って、何かに集中している、もしくは
ボーっとして意識全体が低下している状態を示します。

「普段」というのが、日常生活の中では緊張感をともなった人づきあいや
周囲の安全を警戒しながら歩いているような場面を想定していますから
トランスとは、周囲や他者への警戒心を解いて
目の前の作業に集中したり、ボーっとしたりできる状態だともいえます。

とりわけ、ボーっとするほうのトランスは安心している状態ですから
 社会生活のストレスから解放されて、リラックスした体験
といった捉え方をしても良いでしょう。

その意味で、トランス状態は心身を休めて
回復させてくれるような機能を持っていると考えられます。

実際、催眠療法の効果の大きな位置づけとして
トランスを体験することそのものも含まれるはずです。

心身にストレスを抱えている人が、催眠療法家という他者との関わりの中で
リラックスしてボーっとした時間を過ごすことができる。
それだけで人と関わる上でのストレスを軽減させられる、ということです。

睡眠中に記憶の整理をするのと同様に
トランスの最中にも心身の調整がなされるのかもしれません。


瞑想もまたトランスの一種です。

瞑想には流派がありますし、目的を持った取り組み方もあるようですから
全ての瞑想を同じように語ることはできないのでしょうが、
いずれもトランス状態になっているのは確かだと思われます。

催眠は定義上、「他者の手助けを通してトランスに入るプロセス」なので、
一人で静かに行うタイプの瞑想は催眠ではありません。

しかしながら、到達する状態そのものには共通した性質があるわけです。

そして瞑想の効果は医学的、心理学的にデータとして取られています。
瞑想をするとクリエイティブになれるとか、健康度が上がるとか、
そういった「効果」が示されつつある、と。

そして最近では、
「googleの社員が瞑想を取り入れている」とか
「アメリカの企業のエグゼクティブの間では瞑想が流行っている」とか
西洋文化の中での瞑想の効果がアピールされる機会も増えているようです。

西洋文化を経て入ってくると、その手法が評判になる…
というのは日本によくある話ですが、瞑想についてもそうなんでしょう。
「アメリカで流行っているから、日本でもやろう」という話の展開です。


ただし、西洋文化の発想からすると
とかく「効果」に注目しやすくなる傾向があります。

「効果」があるから「意味がある」。
だから「価値がある」。
それゆえに「やるほうが良い」。
そういう論法です。

「やるべき」ことは、「効果のある」ものだ、という発想があって、
それは最近の日本社会でも一般的なものとして根付いているのかもしれません。

僕自身も「たまにはトランスの時間を取ってみたらどうでしょう?」と
提案することがありますが、それについて「何の役に立つのか?」と
質問を受けることは少なくありません。

「役に立つ」、「効果がある」ことだけが取り上げられがちなようです。

催眠のトランスや、瞑想が「効果がある」からやるもの、として認識されやすい。
そういう風潮のようです。

何かのために瞑想をする、何かの役に立つから瞑想をする
といったように、瞑想やトランスが手段として捉えられやすいんです。

しかし、現代人は過剰に目的を意識しているようにも思えます。

常に、「未来の何か」のために今の行動を手段としようとしているのではないか?

瞑想やトランスとは、
未来をより良くするとか、過去のトラウマを解消するとかの手段ではなく、
ただ今を丁寧に体験するというものでもあるようです。

健康になるための食事とか、痩せるための運動といった手段ではなく
食事そのものや運動そのものが喜びとして体験され得るのと同様に、
トランスや瞑想そのものが今を体験する喜びを感じさせてくれる。

そういう側面もまた含まれているはずなんです。

2015年08月03日

飛行機頭痛

どうやら飛行機は偏頭痛によくないらしいです。

気圧が下がると血管が広がります。
偏頭痛の理由として説明されるのが
 拡張した頭の血管が三叉神経を圧迫して痛みを生む
ということですから、血管が広がる低気圧はよろしくない、と。

ペットボトルやお菓子の袋なんかでもパンパンに膨れ上がりますから
その広がりは大きいのかもしれません。

膨らんだペットボトルやお菓子の袋も、一度開封してしまえば
機内の気圧と同じになりますから、「膨らむ」ということはなくなります。

ということは頭にしても、上手く体の気圧を調整して
体内の気圧を機内と合わせてあげられれば負担は減るはずです。

そのため、耳抜きや鼻の通りが重要になるんだとか。

しかしながら、ちく膿や鼻炎を持っていると鼻腔内が埋まってしまって
頭の中の気圧調整がされにくくなるという話もあるようです。

僕は耳鼻科に行くと「ちく膿」だと言われますから
その点でも注意が必要なタイプなんでしょう。


案の定と言いますか、よく飛行機を利用していた会社員時代を思い返しても
飛行機の中で頭痛を感じることは多かったものです。

当時は長期休暇のときに東京へ戻ってきて体を休め
また実験三昧の日々へと帰っていくのがパターンでしたから
心身のバランスの変化も急激だったんでしょう。

偏頭痛はストレスとの関連も言われますし、
緊張が解けて血管が緩んだときに起きるという話も聞いたことがあります。

その意味では、最近、セミナーの関係で飛行機を利用するのは
偏頭痛が起きやすい状態なんだろうと考えられます。

セミナー中は観察や気配りの量が増えますから、
終了後には目や首の疲労が溜まっていることが多いんです。

まばたきの回数も減るみたいですし、酸欠気味にもなります。
とにかく注意を払う程度が高まっている状態です。

それが終わってからの帰りの移動では、緊張が急激にほどけます。
新幹線でも、都内の電車でも、強い睡魔に襲われるのも少なくありません。

この急激な緊張の緩みが偏頭痛を起こしやすくするのだとしたら、
そこに飛行機の移動が加わるのは偏頭痛の可能性は更に上がる。

緊張が緩むところへ、飛行機で気圧が下がる。
頭の血管は拡張して神経を圧迫し、偏頭痛を生む。
…そんな影響が伺えます。


おまけに、偏頭痛が起きるときには
光や騒音のような刺激が良くないそうです。

飛行機の中は常にエンジン音があり、振動も多いですし、
先日は、ずっと子供が全力で泣いていましたから、
偏頭痛はエスカレートしやすいと想像できます。

狭い座席で肩をすぼめ、身動きも取れずに体を固めるのも
肩や首の緊張を高めて頭の血流に影響を及ぼし、
頭に血がのぼったような状態が続きやすい感じがします。
そしてこのときに頭痛が長続きする。

ちく膿についても、思い当たるフシがありました。

セミナー中は水分の循環が普段と変わるようで、かなり多めに水を飲みます。
ですが、排出される程度が高いのか、脱水気味の状態になりがちです。
水をたくさん飲んでもトイレで出るほうが多いような感じ。

だから喉が渇きますし、鼻の中も渇いて
少し鼻が詰まった感じにもなりやすいんです。

鼻が詰まれば頭の中の気圧調整は妨げられます。
よろしくない。
偏頭痛を引き起こしやすかったみたいです。

混雑した飛行機でトイレに行きたくないからと、
搭乗前には水分を控えていたのも逆効果だったかもしれません。


色々と考えてみると、セミナーを終えてから飛行機で移動するのは
偏頭痛のリスクを非常に高めていたことがうかがえます。

実際、飛行機で戻ってきた日は、偏頭痛でうめくことが多かったものです。
飛行機と偏頭痛の関係を調べてみて、妙に納得するばかりでした。

最近は体のケアのおかげで偏頭痛の頻度が減っていたので
逆に安心して気にかけないでいたんですが、
飛行機に関しては注意が必要なんだろうと思います。

せめて鼻の通りを良くするために点鼻薬を使ってから飛行機に乗るとか
騒音対策で耳栓をするとか、メガネをはずしてアイマスクをつけるとか、
そういった工夫ぐらいはしても良いのかもしれません。

本当は非常用の酸素マスクを使わせてもらいたいぐらいです。

自分の都合では変えられない要素が多すぎるので
改善できる範囲での工夫が必要なんだろうと思います。

cozyharada at 23:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | 心理学
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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