2015年11月

2015年11月29日

よく夢に出てくる場面

セミナーで研究職時代のエピソードを話すと、決まって
その日の夜、夢に研究の場面が浮かんできます。

夢ですから、当時の状況が思い出されるわけではありません。
実際には経験したことのないヘンテコな話ですが、
場面だけが研究所だったり、職場の同僚が登場したりする。

ときには大学の研究室の様子が夢に出ることもあります。

これもやはり研究の話題が上がったときが多いですが
同様に場面と一部の人物が共通するだけで内容は架空です。

場所を知っていること、一部の人がその場面に合っていることあたりから
「ここは大学のときの研究室だ」とか「会社の研究所だ」などと
目が覚めたときに判別をしているのでしょう。

まったく関係のない人が出ていることもあるので奇妙な感じです。
まぁ、それが夢の性質なのかもしれませんが。


で、このように昼間に話題としたことが夢に影響するのは
どうやら丁度良い思い出され方をしたときのようなんです。

あまりにしっかりと思い出を語ったり、
特定の人物について話をしたりした場合には、
意外と夢には出てこない。

かといって全く思い出されることがなければ
それもまた夢には影響を与えない。

「意識に上がるかどうか」を
「注意が向いて、意識体験として起きたと自覚している」こととするなら、
少しだけ意識に上がったものぐらいが夢に影響しやすい印象があります。

話をしていて、自然に連想されて意識に上がりかけたけど
話の内容に集中していたので、あまり自覚はしていなかった。
でもチラッと頭をよぎったのは辛うじて思い出せる。
…それぐらいの意識への近づき方です。

例えば、他の人が「うちの研究室が〜」などと話をしているのを聞いていて
「研究室」という単語から記憶が連想されながらも
会話の流れに注意が向いていたようなときには、
その日の夜に研究室の場面が夢に出やすいようです。


しかも、その夢の場面に無関係な人や物についても
「何から連想されたんだろう?」と探っていくと
昼間に少しだけ頭をよぎったものがあることに気づけます。

どうも、夢のかなりの部分は、そのように
 昼間、意識に近づいた連想記憶の一部
が部品となって
無理やり組み合わさった形で作られるものが多いと感じます。

そう考えると、
相手にとって意識に上がりやすそうなことがらを
本題とは直接関係しない形で単語として散りばめながら話をしていけば、
相手の夢の内容に影響を与えられる可能性が出てきそうです。

ただ、自分の意識に上がるか上がらないかのところでは
題材を思い出すレベルを調節できませんから、
自分で夢をコントロールするのは難しいかもしれません。

分かっていないことだらけの夢ですが
細かく内省していくと発見はありそうな気がします。

cozyharada at 23:11|Permalinkclip!NLP | 心理学

2015年11月26日

焼肉と幸せ

「幸せになりたい」という気持ちは
「焼肉を食べたい」に似ていると思います。

肉が好きで、いつでも肉を食べたいと思っている。
できれば肉じゃが、ハンバーグよりも、焼肉がいい。

もちろん毎日は食べられないのを知っていますが、焼肉が最高だ、と。

今までに行ったことのある焼肉屋を思い出して
「どこどこの店は美味しかった」なんて言うわけです。


それで他の人から「あそこの焼肉が美味しい」なんて話を聞くと
ぜひ、自分も食べてみたいと思うんです。

自分が行ったことのない高級焼肉店を見れば
「良いなぁ。自分も行ってみたいなぁ。」なんて思う。

あるときは他人に「この間、叙々苑に行ってきたぜ」なんて自慢をしたり
「やっぱり焼肉はA5ランクに限るな」なんて言ってみたり。

他の人から最高級の焼肉を食べているなんて話を聞こうものなら
もう羨ましくて仕方なくて、自分がいつも行っているチェーン店では
なんだか負けた気がするし、美味しくも感じられなくなってしまうことも。


そんな風にいつも、もっと美味しい焼肉を食べたいと願っていると
両方向の話が耳に入ってきます。

「強くイメージしたら実現するから、しっかりと目標を立てて
 最高の焼肉を食べよう!」
と言われると、
「そうだ!そのとおりだ!」
と日本中の焼肉の名店を制覇してやろうなんて考えます。

一方で
「肉の美味しさは焼肉だけではないんです。
 今ある肉の美味しさに気づきましょう。
 ”もっともっと”と無いものに目を向けるのではなく
 今ある肉に目を向けるのです。」
などという意見も耳にします。

それで
「そうか。牛丼の肉だって美味しいもんな。
 高い焼肉だけが全てではない。
 牛丼の肉が食べられれば十分だ。」
なんて考えたりもして、
ときには
「なんだ…。今日は五目焼きソバか。
 いやいや、五目焼きソバにだって、ちゃんと肉が入っているんだ。
 豚肉がチョット入っているだけだけど、今ある肉で十分だ。
 この肉を美味しくいただくとしよう。」
と思ったりもするんでしょう。


牛丼には焼肉にはない美味しさがありますし、
五目焼きソバの美味しさは肉だけのものではありません。

豚肉の美味しさは牛肉とは別の質のものですし
野菜の美味しさも、麺の香ばしさもあるわけです。

魚だってそれぞれ違った美味しさがあるし、
あらゆる食材には、それぞれの味わいがあります。

焼肉の美味しさと同様に、いろいろな美味しさがある。
そのことが分かってくると、焼肉だけにこだわらない
豊かな食生活を満喫できるようになるのではないでしょうか。

食べている瞬間は美味しいんです。
違った種類の美味しさがあるんです。

何を食べても肉の味を探すわけではありません。
牛肉を豚肉で代用するわけでもありません。

毎日を焼肉にしようと頑張ったり
焼肉を少しでも多く食べられるように食事を我慢したり…
というスタンスも好みの問題でしょうが、
世の中には様々な美味しさがあります。


「幸せになりたい」も似たようなものかもしれません。

cozyharada at 23:34|Permalinkclip!NLP | 心理学

2015年11月22日

迷惑かけたもん勝ち?

「良い人でないといけないと思っているから
自分が苦しみ、幸せになれない」
という考え方があるようです。

だから積極的に悪いと思っていたこともしてしまおう、と。

どんなに周りから悪く言われても関係ない、
自分の好きなことを遠慮なくしよう
…そんな話を目にします。

一つの考え方として役に立つのでしょうし、実際、必要以上に気を遣って苦しんでいる人もいるでしょう。

確かに
人に迷惑をかけてはいけない
自分勝手にしてはいけない
正しくなければいけない
と、過剰に制約をかければ苦しいと思います。

もしかしたら
人に迷惑をかけるほど自分は幸せになれる
のかもしれません。

人生は迷惑かけたもん勝ちかもしれない。


しかし、幸せが全てではない。
人生は勝ち負けでもありません。

大切な誰かのためなら
自分の個人的な願いよりも
相手を優先したい場合もあるはずです。

相手が大切だからこそ
相手に何をされても受け入れられることもある。

迷惑を迷惑とさえ感じないこともあるものでしょう。

つまり自分の幸せのためではなく
相手の幸せのために迷惑を進んで被る
というスタンスもある、ということです。


人に迷惑をかけたほうが幸せになれる
という側面があるからといって、
一方向だけの見解は偏りを生みます。

極論で楽になる人がいる一方、
必要のない極論を信じて余計に苦しむ人もいる。

幸せな人が増え、同時に不幸な人も増える。

幸せな人が増えるためなら
不幸な人が増えてもいい…
という考えなんでしょうか?

一方向の意見発信は、だから難しいと感じます。

cozyharada at 23:19|Permalinkclip!心理学 | NLP

2015年11月19日

一年の流れ

どういうわけか、ここ数年
10月ごろから年末にかけて慌ただしいことが続いています。

勉強のスケジュールとしても予定が固まりやすいのに加えて、
毎年、11月末が書道作品の締め切りなので
一週間のうちの何時間かを書道に向けるのも慌ただしさの理由でしょう。

そのうえ、なぜか仕事が固まりやすい時期でもあるみたいです。

「睡眠時間がとれない」ような種類の忙しさではないんですが
気分が落ち着くときが少ない感じ。
ですから「忙しい」というよりも「慌ただしい」なんです。


しかしながら11月が過ぎると年末に向けて少し落ち着きが出始めます。

書道作品も提出してしまえば頭から片づきます。
部屋の中に置かれていた書道用具も片づけられます。

勉強のスケジュールも一段落するのが11月末から12月頭にかけて。

外に出ていって勉強するスタイルから
自分でトレーニングする感じにシフトするので、
なんとなく自分でコントロールできる印象で気楽になります。

この気楽さが出ると同じようなスケジュールでも
仕事を忙しいものと感じなくなるので不思議です。

きっと体力的なことではなく、意識を活性化させる度合いというか
集中力を高める度合いというか、気を張る時間のバランスなんでしょう。

時間の長さとは関係なしに、気を張って取り組む度合いが高いままだと
無理がかかっているような気分になってくるのかもしれません。

そう考えると、僕が勉強するときは
短時間でも結構ヘトヘトになるぐらいの集中力で取り組んでいますから
同じクラスの人たちに比べて上達が早めなのも納得できそうです。

それぐらいの疲労感は一人で勉強している分には出ないんです。
どんなに時間をかけても、そこまではいかない。

慌ただしさを我慢すれば、勉強の効果は自習よりも大きいように思えます。
是非とも上手くバランスとをって、上達を速めたいものです。


最近はイギリス英語とフランス語に関心が向いているようなので
まずは気軽にその辺りの配分を上げてみようと考えています。

たぶん12月に入ったら調べることになるんでしょう。

2015年11月16日

咳が止まらない

今年の風邪はノドにくるようです。

少し前からノドがカサカサすると感じていたら
急に腫れ上がって大変なことになってきました。

腫れはすぐに引いたようなんですが、それでも咳は残ります。

電車の中でも同じような咳をしている人が大勢いることからしても
どうやら流行りものの風邪を引いてしまったんだろうと思われます。


声が出なくなるような種類ではないのは一安心。
とはいえ、咳が一度出始めると、なかなか止まらないのは厄介です。

黙って口を開かないで安静にしている分には大丈夫なのに
少しでも話そうとして声帯あたりに力を入れると
急にノドがくすぐったいような乾燥したような感じになります。

最初は扁桃腺あたりの腫れが気になっていたことを考えると、今は
声帯付近の気道の粘膜あたりでウイルスが広がっているのかもしれません。

ノドの辺りが圧迫されるように少し下を向いたり、横を向いたりしても
そのあたりからイガイガした感じが広がってきます。

そして、ひとたび咳が出ると、今度は収まらない。

話しているときに始まりますから、仕事には支障があります。
セミナーをする分にはチョット厄介です。


熱があるとかであれば、熱さえ下がってくれたら楽になりますが
咳が出るタイプの症状は長引く印象があります。

そういえば、何年か前にも同じような状態になったことがありました。

催眠のデモをやっていて、その最中に咳が出てきてしまって
トランスどころの騒ぎではなくなってしまったものです。

今はとりあえず、そうならないようにと願うばかりです。

cozyharada at 23:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2015年11月13日

夢の意識

明晰夢という状態があるそうです。

僕自身は体験したことがありませんが
夢を見ている最中に「これは夢だ」と自覚する状態。

夢の中でもメタ認知が働いているともいえますし、
出来事の連続性を保つための記憶の機能も働いているんでしょう。

普通の夢であれば、目が覚めたあとに
記憶の中に残っている流れを振り返って
「あれは変な夢だったなぁ」と感じます。

明晰夢では「これは夢だ」という自覚がありますから
出来事の進み方が不自然なことに気づきつつ、
かつ現実では起きないことが起きている不自然さにも気づけます。

つまり明晰夢の中では、その瞬間の体験を
記憶と比較する機能が動いていることになります。

これがつまり体験している内容を「意識している」ということで、
細かく言えば「意識として体験されている内容を意識している」状態でしょう。

この部分に『意識』という概念の曖昧さがあって
意識を研究テーマとしている人たちの中でも当たり前のように
それぞれが「意識」と呼んでいる内容に違いが見受けられます。

内的表象として作り上げられた一瞬の体験を「意識」と捉える人もいますが
この場合は、すべての生き物には意識があることになります。

しかし一般的に「意識」と呼ばれることが多いのは
「意識される」という意味で、「気づいている」に近い印象があります。

まぁ、この「気づいている(awareness)」についても
「寝ているか、起きているか」という意味で「意識がある」というのと
近い使われ方をすることもありますから、さらに定義が曖昧になります。

とはいえ、意識体験(内的表象)は
夢であってもイメージであっても現実の体験であっても
頭の中に作られるものとして意識の内容だとするのは妥当だと思われます。

普通の夢であっても意識体験として夢を見ているわけです。

しかし夢の内容に対して意識的であるか、気づいているか、という話になると
普通の夢では意識的とは言いにくいはずです。

夢だと気づいていませんし、そのストーリーの不自然さにも気づいていませんから。
夢の内容に対して意識的になるのは、夢から覚めた後。
つまり夢を思い出したときです。

逆に言えば、普段の生活で体験内容に意識的になっているのは
記憶を頼りにしながら、少し前の体験を常に思い出し続け(覚えておいて)
その流れをモニターしているからだと考えられます。

この出来事の記憶の連続性を維持するために使われる記憶の機能が
意識体験を「意識している」という状態に関わっていると僕は考えています。

いかにも人間らしい「意識」、つまり「気づいている」主体がある感じは
この状況や出来事の連続性を保ちつつ、過去の記憶と参照する仕組みに
強く依存しているだろうという考え。

そしておそらく、普通の夢と明晰夢の違いが
出来事の連続性を維持するための記憶の仕組みと関わっているでしょうから、
その記憶機能と対応した脳機能もあるのではないかと想像しています。

普通の夢と明晰夢のときの脳の働きの違いを調べたら
「意識」と関わる機能が見つかるかもしれない、と。

心理学で言われるような短期記憶とか長期記憶といった性質の違いではなく、
内的表象(意識体験)を作るために必要な機能として
記憶の性質を調べてみるのも意味のあることではないかと思います。

…という話を2年前ぐらいから考えていたんですけど
まぁ、自分で調べるほどの興味ではなくなってしまいました。


さらに明晰夢をトレーニングしていくと
夢をコントロールできるようになるそうですが、それについても
「コントロールしている感覚」との関連を調べたら面白いかもしれません。

ガザニガのいう「インタープリターモジュール」が夢のコントロールと関わっていたら、
いわゆる「意識の心」の性質として語られることの多い「意図的であること」
つまり「自分の意思でコントロールしている」という感覚についても、
脳の機能のレベルから見えてくることがあるんじゃないかと思います。

そこまでいくと知りたくないことが結論されてしまう可能性があるので
科学者たちには怖くて踏み込めないような気もしますけど。

cozyharada at 23:59|Permalinkclip!NLP | 心理学

2015年11月10日

正義と思いやり

いつの間にか、僕の中からは正義感が薄れてしまったようです。

念のため「薄れた」という単語を選びましたが
最近は、正義を意識することがありません。

むしろ正義のために裁かれる『悪』を見たときに、なんとも
いたたまれない感じがしてしまいます。

ニュースでは当然、犯罪が紹介されますし
いろいろな制裁や刑罰が与えられる話も耳にします。

そこには犠牲者がいる場合も多いですし、
その人たちの立場を考えれば罰する必要性もあるんでしょう。

とはいえ、犠牲者を気の毒に感じるのと同時に
犯罪者としてニュースで報道される人たちに対しても
なんだか気の毒な気持ちが沸いてしまうんです。


たしかに本人の意志があるとして、本人に責任を求めるのは
社会として効果的な方法だと思います。

現実的には、そこしか罰することができないのかもしれません。

その一方で、学習や発達の観点からすると、
「意志の力」と呼ばれる自分の行動をコントロールする能力もまた
経験を通じて身につけられるものだとも考えられます。

ある程度は遺伝的な要因で気質が決まっているところもあるでしょうし、
行動や衝動をコントロールする能力を身につけるための学習も
どういった環境で、どんな経験をしてくるのかによって決まるわけです。

どれだけの「意志の力」が身につくのかは
かなりの部分、偶然の要因によっているということです。

どんな遺伝子を持って生まれるかや、どんな環境で生まれ育つかは
本人の意志で選択したといえるのでしょうか?

いろいろな偶然が重なって、結果的に
社会が認めていない行動をする事態にまで至ったとも解釈できます。

いったいどこまでが本人の責任で、
どれだけ裁かれる必要があるんだろうか?
という疑問が沸いてしまうみたいです。

と同時に、マスコミで犯罪者として取り上げられることにも
可哀想な印象を抱きます。

裁判で決められた罰だけで、本来は十分だとされているはずです。
それが社会的な決めごとでしょう。

ところが今のマスコミの報道の仕方からすると
犯罪者というレッテルを過剰にアピールされて
社会から吊るし上げられているような気もしてしまいます。

世間の目にさらされて、犯罪者として非難されて、
社会からも迫害される方向で広められているようです。

その社会的制裁だって十分な罰になっています。
裁判で決まる刑罰に加えて、マスメディアの影響で
世間からも罰を受けることになる。
なんだか過剰なように感じられます。


繰り返しますが、
だからといって野放しにしていいという意見ではありません。

被害者が気の毒で、
なぜその人が犠牲にならなければならなかったのかと思うと
そちらにももちろん、いたたまれない思いがあります。

被害にあった側の感情を楽にするためにも罰は重要でしょうし、
被害を生まないようにする抑止力として罰則を用意しておくのも
社会として効果的な方法でしょう。

ただ、犯罪に至るまでのすべてのプロセスを考えると
正義だけを基準にして人を裁く様子に、引っかかるところがあるんです。

「犯罪とはいえ、その人にも気の毒な部分がある。
 しかし社会全体のことを考えると罰を受けてもらう必要がある。」
そういう同情の気持ちを出発点とすることもできるんじゃないでしょうか。

少なくとも今の僕には、ただ正義だけを基準として
人を裁くことは難しくなってきているようです。

なんだか世間に馴染みにくい感じがします。

cozyharada at 23:40|Permalinkclip!心理学 | NLP

2015年11月07日

映画だと分かっていても

最近上映中の映画で『アントマン』というのがあるそうです。
予告編しか見たことがありませんが、どうしても気になってしまいます。

アントマンはマーベル・コミックを原作にしたアメリカのスーパーヒーロー。
身体縮小スーツを着ると、1.5cmに縮むんです。
そして潜入などのミッションをこなすとのこと。

どうも、この「縮む」という部分が引っかかるんです。

化学、生化学、細胞生物学あたりを勉強していたせいでしょうか、
映画だと分かっていても「縮んだら生物的な機能はどうなるんだ?」
と考えてしまいます。

予告編を見る限りでは、人の肩の上に乗っかったり
オモチャの電車と衝突して大変な目にあったりしていますから、
身体が縮んだのに合わせて体重も軽くなっているんでしょう。

身長1.5cmですから大体1/100のサイズ。
長さが1/100ということは、体積は3乗の1/1000000。
60kgだったら60mg(ミリグラム)、0.1グラム以下の計算です。
(ちなみに蚊の体重が3mgぐらい)

一般的に動物細胞1つ分の大きさは同じぐらいのはずですから
小さくなるときに細胞の数が減ってしまうのでしょうか?

細胞の数を変えないまま、1つの細胞あたりのサイズが小さくなるとしたら
水分が減ることになって、密度の高い部分が残りますから
体重はもうちょっと重いかもしれません。

細胞が減ってしまってはどうやって戻れるのかが気になるし、
減らないんだしたら小さいときの生体活動がどうなるのかが不思議。

そもそもフィクションですし、
「どうやって小さくなるんだ?」という疑問のほうが根本的です。

ただ「特殊なスーツがあって縮むことができる」という仮定を受けると
「小さくなった後は生物としてどうなんだ?」という疑問のほうが大きくなります。


もちろん他のヒーローだって、あらゆるフィクションは考えればキリがありません。

猿の惑星でサルが話せるのも分かりませんし、
スターウォーズも不思議なことばかりです。

いちおう地球が設定されている仮面ライダー、ウルトラマン、ゴジラなども
科学的に考えようとすると意味の分からないことだらけ。

同じマーベルのX−MENだってスパイダーマンだって
突然変異では理解できないことが数え切れませんが、
なぜかそっちは僕にとって疑問にならないんです。

あまりにも突拍子がなさ過ぎて、完全なフィクションとして捉えてしまうんでしょう。

その点、アントマンは微妙に科学の雰囲気が残っています。
フィクション部分が少ない。

だから気になるのかもしれません。

また「小さくなる」という特徴が、僕の経験の中から
生物化学分野の視点を引き出しやすい可能性もありそうです。

ついついズームインして細胞とか分子とかが意識に上がってくる感じがします。


映画だから気にすることではないんでしょうけれど、
習慣が刺激されてしまう分野なんだろうと思われます。

映画として見たいかどうかではなく、設定が気になってしまって
頭に強く残っている映画なんです。

cozyharada at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2015年11月05日

日本全国ホテル事情

なんだか何かとバタバタしています。

出張が重なったり、いろいろな作業があったり
なんというか頭の中のスピードが速いままで
時間が流れていっているような感じです。

そんな理由の1つでもあったのが
出張先のホテルが予約できない問題。


偶然にもセミナーの開催日程が嵐のコンサートと重なってしまったようで、
もうありとあらゆるホテルが満室でした。
これがたまたま2週連続で。

嵐のファンはコンサートツアーに全国どこからでも参加するみたいです。
札幌でコンサートがあるからといって、北海道の人が集まるとは限らず
それこそ沖縄や九州からやってくる人もいるという噂を聞きました。

ただでさえ最近はビジネスホテルとは名ばかりで
外国人観光客にかなりの部屋が予約されているそうですから、
コンサートに集まる人までが加われば予約が大変になるのも当然でしょう。

驚いたのは、インターネットでホテル予約をしようとしたときの検索画面。
1つも該当のホテルが出てこないんです。

どんなにホテルが取れないといっても、
高額のところぐらいは出てくるのが普段の状態。

「連休でホテルが埋まっている」ぐらいの状況であれば、「ホテルが取れない」とは
「一泊10万円近いようなホテルしか開いていない」という意味ですが、
「嵐のコンサートがあるからホテルが取れない」ときは
「一泊10万円近いようなホテルさえも残っていない」という意味になります。

これはさすがにキャンセル待ちも厳しいのではないかと想像していました。

で、結局はカプセルホテルを予約しておくのが精一杯の状況。

札幌にいたっては、あやうく旭川に宿泊するしかなさそうでした。
所要時間でいえば新大阪のホテルが取れないから
新山口(山口県)に泊まるようなもの。

ちょっと厳しいだろうということで多くの方に協力してもらいながら
なんとかしてホテルの空きが出るのを待ち続けました。


で、ギリギリのタイミングでようやく見つかったんです。

連泊はできませんし、ホテルの場所もセミナー会場からは離れますが
そんな文句は言えない状況です。

少しだけ漫画喫茶の可能性まで考えたぐらいです。
「でも、もしかしたら漫画喫茶さえ最悪、嵐ファンで埋め尽くされているかも…?
 仮に入れたとして、周りが嵐ファンの二次会のようなムードだったりして?」
なんて心配をしていましたから、ホテルが見つかって一安心という感じ。

最近の国内のビジネスホテル事情は結構大変だと実感します。

慌てなくても大丈夫だろうとか考えて悠長に待つぐらいなら
予定が決まった瞬間に予約だけ入れておくほうが無難かもしれません。

そしてそうやって予約が取れないからと早めに対応した人が
直前でキャンセルをしたりするから、今回のように乗り切れたともいえますし、
ホテルが予約できにくくなっていることを知って皆が早めに対処するから
早めにすべてのホテルが埋まってしまうともいえそうです。

なんだか複雑な話。

うまくホテル側に対応してもらいたい気もしますが、
外国人観光客の集まる流れがいつまで続くかも分からないわけで
ホテル側も無理なことはできないでしょうし。

つくづく世の中は微妙なバランスの上に成立しているんだと思いました。

cozyharada at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | 心理学

2015年11月02日

音を真似る

高校の第二外国語としてやっていたフランス語を再開したのが今年の春。

ちょっとずつ慣れて思いだしてきたところもありますし、
当時よりも進んでいる部分もあります。

10月ぐらいから始まったコースでは
これまでの延長の初級編に加えて、
ちょっと負荷をかけるために中級も取ってみました。

初級コースには前シーズンで一緒だった人たちも何人かいて
教室へ早めに着いたりすると世間話をすることもあります。

すると「どれぐらいフランス語をやっているんですか?」
みたいな話になることが自然な流れ。
僕は「高校の第二外国語でやっていた」ということを伝えます。

そこで返ってくるのが
 「だから発音が綺麗なんですね」
というコメント。

僕自身はそれほど気にしていたつもりはなく
一応の音の違いを注意していたぐらいなんですが、
割と良い発音として認識されるみたいです。

確かに他の人の発音を聞いていると
かなり日本語の音を引きずっている印象があります。

どちらかというと、
 せっかく語学をやろうというのに
 発音は語学の範囲に含めていない
かのようでさえあります。

中級のほうのクラスには長いことフランス語をやっている人もいますし、
フランスに5年住んでいた人とか、フランスに留学していた人もいますが、
それでも発音はかなりルーズに感じます。

まぁ、文法が分かって、文章が読んで理解できて、
話を聞いて会話が成立すれば良いという考え方もあるんでしょう。

日本で生活する外国人でも、日本語の発音が綺麗な人は少ないですから
外国語をやるときに発音を気にする人のほうが少数派なのかもしれません。


一方、僕はどういうわけか、そこそこ発音が自然と身につきやすいらしく
発音の良い人として認識されることが多いんです。

初めて本格的に英語を勉強し始めたTOEFL対策講座のときも
スピーキング担当の先生からは、それほど修正されることがありませんでした。

「発音で加点されるだろうから、どのように答えていいか分からないときでも
 適当に話し続ければ点数が上がる」と言われたときは
そんなものかと不思議に思ったぐらいです。

英語ネイティブの人からすると違和感のあるところも多いようですから
アメリカ生まれと勘違いされることはありませんが、
「若い頃に海外にいたんでしょ?」と言われることはありました。

特に一生懸命に発音をトレーニングしたわけでなくても
帰国子女と勘違いされるぐらいの発音にはなっていたみたいです。


おそらく音を細かく聞き分けているんだろうと思われます。

そのうえで、
 どういう筋肉の使い方をすると、どんな音が出るか
という対応をイメージしているようです。

口のどの片に力を入れるとか、どこで響かせるとか、
どこに向かって声を出すとか、喉をどれぐらい絞るとか、
そのあたりを調整する方法も、どこかでトレーニングされていたのでしょう。

別にそれほどモノマネが上手いわけではないですし、
発生のトレーニングを受けたことがあるわけでもないんですが。


音の聞き分けについては、細かいことを気にする性質が関係していそうです。

apple の「ae」の音が「アとエの中間」と説明されたときも、
その説明を鵜呑みにしなかった記憶があります。

発音記号と音色をそのまま対応させようとしていたというか、
日本語の発音との違いは意識していたと思います。

「 book 」は「ブック」に近いけれど、この辺がチョット違う
…なんて考えながら中学英語をやっていたものです。

ですが、本格的に発音が変わってきたのはNLPをやってからでしょう。

とくにモデリングをしっかりと意識するようになって
ペーシングの練習を徹底的にやって、
それから相手の声の出し方を真似することへ敏感になった気がします。

相手の体の使い方と、注意の向け方を想像しやすくなってきた。
だから発音に関しても、どういう風に音を出しているかを
真似しやすくなったんだろうと思われます。

もしかすると、カウンセリングのトレーニングとして
ビデオや録音で自分のセッション中の声を聞いていたのも、
自分の声を耳から捉える訓練になっていたかもしれません。

イメージの中の声や、骨伝導の声ではなく、
実際に耳から入ってくる音を捉えられるようになれば、
自分の声と他人の声を客観的に比較しやすくなります。

できているつもりで、できていない…というのも減らしやすいはずです。

地味なコミュニケーションのトレーニングをやったことが
発音を真似する能力も高めてくれたのかもしれません。

そのあたりのコツや練習方法を組み合わせれば
発音の指導なんかもできそうです。


ただし弱点もあるんです。

自分が外国語の中で捉えている音が
日本語の発音で使われている音とは別物のせいで、
日本人の話す英語やフランス語を聞きとるのが大変。

中身を理解するのだって大変なのに
そのうえに何て言っているのかを変換しないといけませんから、
処理が追いつかなくなることがあります。

同じ学習者同士だからといっても日本人とは会話の練習をしたくない。
ネイティブと練習がしたい。
そう感じられてしまうのが少し厄介です。

おしらせ
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  2019年6月16日(日)
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【場所】 
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 〜期待の手放し方と
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  2019年7月6日(土)
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【場所】 
  滝野川会館

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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