2015年12月
2015年12月04日
サティアの動画
どういう理由か分からないんですが、
YouTube のオススメ動画のところに
NLP関係のものが久しぶりに出てきました。
一時期、翻訳の仕事の関係で見ていた動画のシリーズがあって
そこのリンクが一気に出てきたんです。
日本ではあまり紹介されていない手法とか
NLP周辺の情報とかが集められているシリーズ。
おそらくNLPコンプリヘンシブという団体の関係です。
その動画の中にヴァージニア・サティアのセミナーの模様がありました。
サティアはNLPの開発初期にモデルとして研究された家族療法家です。
NLPのモデルとなった3人の心理療法家のうち、
一番有名なのはフリッツ・パールズかもしれません。
ゲシュタルト療法は心理療法の一派として知名度があるみたいですし、
その創始者として心理学・心理療法の分野にいる人なら知っているようです。
有名な「グロリアと3人のセラピスト」というビデオシリーズでも
・来談者中心療法のカール・ロジャース
・論理療法のアルバート・エリス
・ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズ
という組み合わせです。
ミルトン・エリクソンは催眠の分野では有名かもしれませんが
心理学全般としていえばマイナーな部類のようです。
僕の知っている心理学の教授や
アメリカでカウンセリング心理学を学んで州認定のカウンセラーをしていた人も
ミルトン・エリクソンの名前は知らないようでした。
むしろ心理学でエリクソンといえば、発達心理学のエリク・エリクソンです。
とはいえ、ミルトン・エリクソンはその業績とアプローチの特殊さから人気があって
エリクソンについての本は多いですし、手法を研究する人も多いようです。
NLPをやった後でミルトン・エリクソンに興味を持つ人の話は僕もよく聞きます。
そう考えると日本では、NLPのモデルとなった3人の心理療法家のうち
ヴァージニア・サティアが一番、知られていないのではないかと思われます。
家族療法の分野でも決して有名なわけではないみたいです。
もっと有名な家族療法家は沢山いますし、
流派が多岐にわたる家族療法の中でも
調べていてその名前に行き当たることは滅多になかった気がします。
逆に僕はNLP経由でサティアの名前を知っていたから
意図的にサティアの本を読んだり、ビデオを見たりしました。
日本語訳を見つけられなかったことからも
日本における知名度がうかがえるかと思います。
で、そのサティアの動画がこちら。
日本語字幕さえありませんが
サティアの人柄ぐらいは伝わるのではないでしょうか。
何より背が高い。
人との距離が近い。
圧迫感がありそうなぐらいです。
なのに、すぐに手をつなぐんです。
そうとう特殊な日言語コミュニケーションではないかと思うんですが。
僕なら言語パターンよりも先に、接し方のほうが気になってしまいます。
セラピストとしてのスタンスを考えてみるだけでも面白いかもしれません。
YouTube のオススメ動画のところに
NLP関係のものが久しぶりに出てきました。
一時期、翻訳の仕事の関係で見ていた動画のシリーズがあって
そこのリンクが一気に出てきたんです。
日本ではあまり紹介されていない手法とか
NLP周辺の情報とかが集められているシリーズ。
おそらくNLPコンプリヘンシブという団体の関係です。
その動画の中にヴァージニア・サティアのセミナーの模様がありました。
サティアはNLPの開発初期にモデルとして研究された家族療法家です。
NLPのモデルとなった3人の心理療法家のうち、
一番有名なのはフリッツ・パールズかもしれません。
ゲシュタルト療法は心理療法の一派として知名度があるみたいですし、
その創始者として心理学・心理療法の分野にいる人なら知っているようです。
有名な「グロリアと3人のセラピスト」というビデオシリーズでも
・来談者中心療法のカール・ロジャース
・論理療法のアルバート・エリス
・ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズ
という組み合わせです。
ミルトン・エリクソンは催眠の分野では有名かもしれませんが
心理学全般としていえばマイナーな部類のようです。
僕の知っている心理学の教授や
アメリカでカウンセリング心理学を学んで州認定のカウンセラーをしていた人も
ミルトン・エリクソンの名前は知らないようでした。
むしろ心理学でエリクソンといえば、発達心理学のエリク・エリクソンです。
とはいえ、ミルトン・エリクソンはその業績とアプローチの特殊さから人気があって
エリクソンについての本は多いですし、手法を研究する人も多いようです。
NLPをやった後でミルトン・エリクソンに興味を持つ人の話は僕もよく聞きます。
そう考えると日本では、NLPのモデルとなった3人の心理療法家のうち
ヴァージニア・サティアが一番、知られていないのではないかと思われます。
家族療法の分野でも決して有名なわけではないみたいです。
もっと有名な家族療法家は沢山いますし、
流派が多岐にわたる家族療法の中でも
調べていてその名前に行き当たることは滅多になかった気がします。
逆に僕はNLP経由でサティアの名前を知っていたから
意図的にサティアの本を読んだり、ビデオを見たりしました。
日本語訳を見つけられなかったことからも
日本における知名度がうかがえるかと思います。
で、そのサティアの動画がこちら。
日本語字幕さえありませんが
サティアの人柄ぐらいは伝わるのではないでしょうか。
何より背が高い。
人との距離が近い。
圧迫感がありそうなぐらいです。
なのに、すぐに手をつなぐんです。
そうとう特殊な日言語コミュニケーションではないかと思うんですが。
僕なら言語パターンよりも先に、接し方のほうが気になってしまいます。
セラピストとしてのスタンスを考えてみるだけでも面白いかもしれません。
2015年12月01日
慣れの力
慣れというのはスゴイものだなぁと実感します。
色々なことが重なってバタバタしていた時期も
そろそろまとまりが見え始めてきました。
もうじき平常運転といった感じのところだと考える一方で
慌ただしい時期を過ごしていると、そっちが「平常」になるようです。
ちょっと前まで「この時間にあれをやらなきゃ」と思っていたのが無くなると
何をしてもいいはずの時間がポッカリと退屈なものに感じられてしまいます。
余裕のある時期が続いていれば、むしろ当たり前で安心しながら
「じゃあ、今日はこれをやっておこう」なんて気軽に思えるのに
忙しさが続いてくると、少しの余裕さえも逆に落ち着かなくなる。
いかに人が『慣れ』を元に安心感を設定しているか、ということでしょう。
そして僕は、またすぐに平常運転の基準がズレるんだと思います。
知識として知っている平均値としての「平常」に慣れてきて
そこを当たり前の「平常」に設定するようになるはずです。
年末年始の休みの時期も同じです。
休みながらも落ち着かないところが混ざり、
休みに慣れてきたころには、活動に戻るのにも慣れないといけなくなる。
そういうことを考えると、自信を失って何もできなくなっている時期ほど
具体的な心の悩みを解決するようなセラピーよりも、
日々の生活スタイルを徐々に変えていって
社会の平均的な範囲に慣らすようにサポートするほうが
効果的だろうと思えてきます。
慣れないことを始めるのには勇気や覚悟がいりますから、
一歩を踏み出すための力を与えるキッカケになれるかどうかが
サポートする側として求められることなのかもしれません。
色々なことが重なってバタバタしていた時期も
そろそろまとまりが見え始めてきました。
もうじき平常運転といった感じのところだと考える一方で
慌ただしい時期を過ごしていると、そっちが「平常」になるようです。
ちょっと前まで「この時間にあれをやらなきゃ」と思っていたのが無くなると
何をしてもいいはずの時間がポッカリと退屈なものに感じられてしまいます。
余裕のある時期が続いていれば、むしろ当たり前で安心しながら
「じゃあ、今日はこれをやっておこう」なんて気軽に思えるのに
忙しさが続いてくると、少しの余裕さえも逆に落ち着かなくなる。
いかに人が『慣れ』を元に安心感を設定しているか、ということでしょう。
そして僕は、またすぐに平常運転の基準がズレるんだと思います。
知識として知っている平均値としての「平常」に慣れてきて
そこを当たり前の「平常」に設定するようになるはずです。
年末年始の休みの時期も同じです。
休みながらも落ち着かないところが混ざり、
休みに慣れてきたころには、活動に戻るのにも慣れないといけなくなる。
そういうことを考えると、自信を失って何もできなくなっている時期ほど
具体的な心の悩みを解決するようなセラピーよりも、
日々の生活スタイルを徐々に変えていって
社会の平均的な範囲に慣らすようにサポートするほうが
効果的だろうと思えてきます。
慣れないことを始めるのには勇気や覚悟がいりますから、
一歩を踏み出すための力を与えるキッカケになれるかどうかが
サポートする側として求められることなのかもしれません。