2018年01月
2018年01月29日
風邪予防は難しい
久しぶりに風邪をひきました。
11日間に7日のセミナーがあって、
そこに札幌やら大阪やらの移動も含まれていたので
疲労が限界を超えたのではないかと思われます。
できるだけのケアはしていたんですが…。
ホテルも飛行機も新幹線も乾燥していますし、
そこで多くの人がゲホゲホしている。
もらいやすい環境だったのでしょう。
そういえばセミナールームも肌や目が痛いほど
カラッカラに乾燥していました。
そのうえ、セミナーの内容そのものとしても
疲労の大きいものが重なりました。
10日とか8日とか続くコースでも
初日や2日目は全体の緊張感が大きいので
こちらとしても気を配る部分が大きくなります。
またこの時期は上級のコースが始まったりして
講座内容として効果を得てもらうために
こちらが頑張る度合いも大きいんです。
そのあたりを含め、一気に負担が重なったのでしょう。
首と肩の強張りから呼吸がしにくくなって
喉のあたりにもハリが残ってしまいます。
そこに乾燥した環境が加わると喉を傷めやすい。
セミナー内容としても、こちらが説明する量が多い日程だったので
余計に喉を悪くしてしまったんだろうと反省しています。
結構、のど飴は舐めていたんですが…。
一応スケジュール的なピークは過ぎたので今は休養中です。
スケジュール調整が自分主導ではない以上
僕自身でできる体調管理を、もっと気にする必要がありそうです。
持ち運び用の加湿器とか、うがい薬とかも必要でしょうか。
大丈夫なときは気にしていなくても平気なわけですから
予防にどれぐらい気を遣えるかは難しいものだと感じます。
自分の体調を感覚情報としてキッチリ捉えて
必要なケアを探せるようになりたいものです。
11日間に7日のセミナーがあって、
そこに札幌やら大阪やらの移動も含まれていたので
疲労が限界を超えたのではないかと思われます。
できるだけのケアはしていたんですが…。
ホテルも飛行機も新幹線も乾燥していますし、
そこで多くの人がゲホゲホしている。
もらいやすい環境だったのでしょう。
そういえばセミナールームも肌や目が痛いほど
カラッカラに乾燥していました。
そのうえ、セミナーの内容そのものとしても
疲労の大きいものが重なりました。
10日とか8日とか続くコースでも
初日や2日目は全体の緊張感が大きいので
こちらとしても気を配る部分が大きくなります。
またこの時期は上級のコースが始まったりして
講座内容として効果を得てもらうために
こちらが頑張る度合いも大きいんです。
そのあたりを含め、一気に負担が重なったのでしょう。
首と肩の強張りから呼吸がしにくくなって
喉のあたりにもハリが残ってしまいます。
そこに乾燥した環境が加わると喉を傷めやすい。
セミナー内容としても、こちらが説明する量が多い日程だったので
余計に喉を悪くしてしまったんだろうと反省しています。
結構、のど飴は舐めていたんですが…。
一応スケジュール的なピークは過ぎたので今は休養中です。
スケジュール調整が自分主導ではない以上
僕自身でできる体調管理を、もっと気にする必要がありそうです。
持ち運び用の加湿器とか、うがい薬とかも必要でしょうか。
大丈夫なときは気にしていなくても平気なわけですから
予防にどれぐらい気を遣えるかは難しいものだと感じます。
自分の体調を感覚情報としてキッチリ捉えて
必要なケアを探せるようになりたいものです。
2018年01月25日
パソコンの寿命
出先で使う目的のみのノートパソコンとして
ASUSの3万円ぐらい(当時)のものを持ち歩いています。
画面は11インチと小型ながら、その分軽量コンパクトで
出張や飛行機で移動するようなときは便利です。
ちょっとメールを書いたり、ネットで調べたりするぐらいなら問題なく
Youtube ぐらいだったら動画再生もできます。
もちろん安価な分、スペックは低めです。
CPUは遅いものですし、メモリも少ない。
ウェブサイトを沢山開いていると、その中に広告の動画があったりして
処理速度が追い付かなくなってくることもありますし、
キー入力の反映が少し遅かったりして違和感がある場合もあります。
とはいえ、気軽な使い方をするぐらいなら問題はありません。
一応、HDMIでプロジェクターや外部モニターに繋ぐこともできますし。
何より、バッテリーの持ちが良いのが好都合。
実働で7時間ぐらいは使えている気がします。
購入してから1年半ぐらい経っても長時間駆動ができていますから
これは思ったよりも高評価でした。
しかし残念ながら、データ保存の容量が極端に小さいんです。
USBとかで使われるフラッシュメモリの部類だと思います。
SSDと呼ぶんでしょうか?
モバイルのノートパソコンだと、ハードディスクではなくSSDが載っていて
その場合、少なくとも128GBぐらいからが一般的かと思われます。
前に使っていたのが実際に128GBのもので、それだと
iPhoneのバックアップとかをしようものなら一杯になってしまっていました。
128GBのモバイルはiPhoneと同期する余力がないのかもしれません。
それほど画像とか動画とかを保存するわけでもなく、
せいぜいワードとかパワーポイントのファイルぐらいですから
仕事用のデータが全体の容量を占めていた割合は低いはずです。
にもかかわらず、Windowsのアップデートとかウイルス対策ソフトとか
なんだかんだと容量を取られてしまっていたようで、
空き容量が足りなかったのを覚えています。
128GBというのは決して余力がある感じではないのかもしれません。
一方、今使っている持ち歩き用のパソコンの保存容量は
たった32GBしかありません。
一応すべての作業データをSDカードに入れて
少しでもメインのドライブの容量を開けようとしていますが、
徐々に色々なデータが貯まってきているようで、もう容量限界です。
できるだけ古いファイルとか余分なものを処理したり、
ディスククリーンアップをしたりして整理したんですが、
空き容量が数GBだけになってしまいました。
これは厄介です。
動きが悪くなるほどの問題ではありませんが、
Windowsアップデートが空き容量不足でできないんです。
古いバージョンを使い続けるだけなら気にならなくても
セキュリティ面で問題が起きてしまっては困ります。
そろそろ限界が近いような印象を受け始めています。
そういえば、そのノートパソコンの購入を検討していたとき
家電量販店の店員に相談をしたんです。
「このスペックで何年ぐらい使えるのか?」という質問です。
店員の答えは「2年ぐらい」とのことでした。
3万円、4万円ぐらいのを2年おきに買い替えるという人もいますよ、と。
10万円を超えるようなものを5年使っても、
やはり最近のIT業界の進歩のスピードを考えると
5年後ぐらいにはかなり機能的に見劣りしてくるだろう、ということでした。
長く使えるハイスペックなものも5年後には普通以下になりかねない。
だったら安いものを更新するのも1つじゃないか…。
そんなスタンスの人もいるらしいんです。
その話には納得でした。
実用面として使う頻度も決して高くありませんから、個人的には
持ち運び用だけのパソコンをハイスペックにする必要もありません。
最低限で、かつ持ち運びに便利なほうが良さそう。
そういう判断で購入したのが、3万円・32GBのものだったわけです。
そして案の定、家電量販店店員の予測通り
2年と経たないうちに限界が近づいています。
無理をすれば使えますし、まだストレスを感じるレベルでもありません。
週に一回、出張のときに使うぐらいなら軽さが役立ってくれています。
ですが…。
アップデートできない状態で長く使い続けるのも心配。
やはり2年を目途に買い替えが必要なのかもしれません。
また専門家の情報を活用しながら検討することになりそうです。
ハイテクを上手く付き合うのも簡単ではないんだなぁと実感します。
ASUSの3万円ぐらい(当時)のものを持ち歩いています。
画面は11インチと小型ながら、その分軽量コンパクトで
出張や飛行機で移動するようなときは便利です。
ちょっとメールを書いたり、ネットで調べたりするぐらいなら問題なく
Youtube ぐらいだったら動画再生もできます。
もちろん安価な分、スペックは低めです。
CPUは遅いものですし、メモリも少ない。
ウェブサイトを沢山開いていると、その中に広告の動画があったりして
処理速度が追い付かなくなってくることもありますし、
キー入力の反映が少し遅かったりして違和感がある場合もあります。
とはいえ、気軽な使い方をするぐらいなら問題はありません。
一応、HDMIでプロジェクターや外部モニターに繋ぐこともできますし。
何より、バッテリーの持ちが良いのが好都合。
実働で7時間ぐらいは使えている気がします。
購入してから1年半ぐらい経っても長時間駆動ができていますから
これは思ったよりも高評価でした。
しかし残念ながら、データ保存の容量が極端に小さいんです。
USBとかで使われるフラッシュメモリの部類だと思います。
SSDと呼ぶんでしょうか?
モバイルのノートパソコンだと、ハードディスクではなくSSDが載っていて
その場合、少なくとも128GBぐらいからが一般的かと思われます。
前に使っていたのが実際に128GBのもので、それだと
iPhoneのバックアップとかをしようものなら一杯になってしまっていました。
128GBのモバイルはiPhoneと同期する余力がないのかもしれません。
それほど画像とか動画とかを保存するわけでもなく、
せいぜいワードとかパワーポイントのファイルぐらいですから
仕事用のデータが全体の容量を占めていた割合は低いはずです。
にもかかわらず、Windowsのアップデートとかウイルス対策ソフトとか
なんだかんだと容量を取られてしまっていたようで、
空き容量が足りなかったのを覚えています。
128GBというのは決して余力がある感じではないのかもしれません。
一方、今使っている持ち歩き用のパソコンの保存容量は
たった32GBしかありません。
一応すべての作業データをSDカードに入れて
少しでもメインのドライブの容量を開けようとしていますが、
徐々に色々なデータが貯まってきているようで、もう容量限界です。
できるだけ古いファイルとか余分なものを処理したり、
ディスククリーンアップをしたりして整理したんですが、
空き容量が数GBだけになってしまいました。
これは厄介です。
動きが悪くなるほどの問題ではありませんが、
Windowsアップデートが空き容量不足でできないんです。
古いバージョンを使い続けるだけなら気にならなくても
セキュリティ面で問題が起きてしまっては困ります。
そろそろ限界が近いような印象を受け始めています。
そういえば、そのノートパソコンの購入を検討していたとき
家電量販店の店員に相談をしたんです。
「このスペックで何年ぐらい使えるのか?」という質問です。
店員の答えは「2年ぐらい」とのことでした。
3万円、4万円ぐらいのを2年おきに買い替えるという人もいますよ、と。
10万円を超えるようなものを5年使っても、
やはり最近のIT業界の進歩のスピードを考えると
5年後ぐらいにはかなり機能的に見劣りしてくるだろう、ということでした。
長く使えるハイスペックなものも5年後には普通以下になりかねない。
だったら安いものを更新するのも1つじゃないか…。
そんなスタンスの人もいるらしいんです。
その話には納得でした。
実用面として使う頻度も決して高くありませんから、個人的には
持ち運び用だけのパソコンをハイスペックにする必要もありません。
最低限で、かつ持ち運びに便利なほうが良さそう。
そういう判断で購入したのが、3万円・32GBのものだったわけです。
そして案の定、家電量販店店員の予測通り
2年と経たないうちに限界が近づいています。
無理をすれば使えますし、まだストレスを感じるレベルでもありません。
週に一回、出張のときに使うぐらいなら軽さが役立ってくれています。
ですが…。
アップデートできない状態で長く使い続けるのも心配。
やはり2年を目途に買い替えが必要なのかもしれません。
また専門家の情報を活用しながら検討することになりそうです。
ハイテクを上手く付き合うのも簡単ではないんだなぁと実感します。
2018年01月22日
2018の作品
毎年恒例、新年の書道展覧会が今年も終わりました。
といっても僕は一点を出品しているだけ。
数千点のうちの1つです。
比較的大きな書道会なんですが、
メンバーの分類は大きく3つです。
1つが会員。
2つめが準会員。
それから会友。
僕も最初は「会員」なんて申し込みさえすればなれそうな印象でしたが
実際は会員になるには相当なハードルを越える必要があります。
書道をやる人の平均年齢は高いと思われる中で、
会員の平均年齢となると、かなり高いだろうと予想されます。
ちなみに書道業界において「〇〇書道会・会員」などとあれば
かなりのベテランであることがうかがえるぐらい、
この分類は一般的なようです(小さい団体は別にして)。
世間一般には知られていないので
プロフィールに「会員」などとあっても
そのインパクトが薄いのが実情だとは思いますが。
「〇〇段」とか「師範」とかいった肩書と比べると
はるかに客観的な評価として厳しい関門を突破した証が「会員」だ、と。
この3種類で出品の部門が分類されていて
当然、会員の部の作品はどれも見事なものばかり。
美術館の中のスペースも部門ごとに分かれていますから
各スペースで雰囲気に違いがあるのが感じられてしまうほどです。
最初に出品するときは「一般」扱いで、
これは「会友」と一緒に審査されます。
一般で審査されて賞に選ばれると、会友になる権利がもらえます。
そして一般と会友の段階では賞が細かく分類されていて
それぞれに得点が設定されているんです。
その得点が一定に達すると「準会員」になる権利がもらえます。
ただし準会員以降は、審査はあっても賞の分類が少なく
大まかに評価が高かったかどうかぐらいしか分かりません。
僕が書道をやっている理由は、書道業界で活躍するためでも
書道という芸術で自己表現するためでもありません。
達人は何をしているのか?
歴史上の達人たちは何をしていたのか?
そのあたりをモデリングするのが目的。
ですから書道業界で「美しい」「芸術的」とされるものや
そのような表現のための技術を習得しようとしています。
この目的には、自分だけの評価では不十分なんです。
業界標準、会派の標準となる「良い」ものの基準を知るために
作品を出して審査をしてもらいたいわけです。
その意味では、準会員に進むというのは
あまり魅力的ではありませんでした。
それで会友にもならず細かい審査を求めていたんです。
が、昨年の秋に会友の申し込みを決めたんです。
どうも技術的に停滞している感じがあって、
何か大きな転換点があったほうが良いような気がしたためです。
会友になると色々な作品集とかが貰えて
研究がしやすいだろう、といった趣旨でした。
ところがこれまでに一般の段階で貰っていた賞の得点が
一気に加算されることになって、会友になった途端に
「準会員昇格内定」という扱いになってしまいました。
そのため審査対象外に。
なんだか残念なお話。
ちょっと毛色を変えてやってみただけに
どんな風に見られていたのかは気になります。
それがこちらの感じ。
ただ、今回自分で気づいたのは
全体に縮こまって、まとまり過ぎた印象が出る理由の1つに
筆遣いの特徴がありそうだ、ということです。
その点について先生と話してみたんですが、
先生としてはあまり重視していない様子でした。
それが筆を突く動作です。
線を引くときの筆の進行方向に対して
筆が先に行くように倒すと、
筆先が後からついてくるような形になります。
こうすると奇麗だけれど優しい線になりがちな気がしたんです。
一方、筆の軸を進行方向と逆側に倒すと
筆の軸で紙を突き刺すような動きが生まれます。
とにかく摩擦を大きくする。
すると力強くて、紙の奥まで墨がしみ込んだ線になりやすい。
紙面の範囲の外側に向かって飛び出るような雰囲気も出ますし、
実際、会員の人たちの筆遣いには、そういう線が多そうに見えたんです。
あとは荒々しく適当に書く雰囲気でしょうか。
奇麗にまとめ過ぎない、というところ。
普段の練習では、古典から細かな筆遣いやバランスのとり方を学び、
作品の段階ではスケールの大きさを出すために細かさを抑える。
そんな感じのことも求められるのかもしれません。
縮こまった印象が出るのは長くからの課題だとは思っていました。
ですが、今回はチョット重要な発見があった気がします。
そのあたりも心がけながら練習してみようと思います。
といっても僕は一点を出品しているだけ。
数千点のうちの1つです。
比較的大きな書道会なんですが、
メンバーの分類は大きく3つです。
1つが会員。
2つめが準会員。
それから会友。
僕も最初は「会員」なんて申し込みさえすればなれそうな印象でしたが
実際は会員になるには相当なハードルを越える必要があります。
書道をやる人の平均年齢は高いと思われる中で、
会員の平均年齢となると、かなり高いだろうと予想されます。
ちなみに書道業界において「〇〇書道会・会員」などとあれば
かなりのベテランであることがうかがえるぐらい、
この分類は一般的なようです(小さい団体は別にして)。
世間一般には知られていないので
プロフィールに「会員」などとあっても
そのインパクトが薄いのが実情だとは思いますが。
「〇〇段」とか「師範」とかいった肩書と比べると
はるかに客観的な評価として厳しい関門を突破した証が「会員」だ、と。
この3種類で出品の部門が分類されていて
当然、会員の部の作品はどれも見事なものばかり。
美術館の中のスペースも部門ごとに分かれていますから
各スペースで雰囲気に違いがあるのが感じられてしまうほどです。
最初に出品するときは「一般」扱いで、
これは「会友」と一緒に審査されます。
一般で審査されて賞に選ばれると、会友になる権利がもらえます。
そして一般と会友の段階では賞が細かく分類されていて
それぞれに得点が設定されているんです。
その得点が一定に達すると「準会員」になる権利がもらえます。
ただし準会員以降は、審査はあっても賞の分類が少なく
大まかに評価が高かったかどうかぐらいしか分かりません。
僕が書道をやっている理由は、書道業界で活躍するためでも
書道という芸術で自己表現するためでもありません。
達人は何をしているのか?
歴史上の達人たちは何をしていたのか?
そのあたりをモデリングするのが目的。
ですから書道業界で「美しい」「芸術的」とされるものや
そのような表現のための技術を習得しようとしています。
この目的には、自分だけの評価では不十分なんです。
業界標準、会派の標準となる「良い」ものの基準を知るために
作品を出して審査をしてもらいたいわけです。
その意味では、準会員に進むというのは
あまり魅力的ではありませんでした。
それで会友にもならず細かい審査を求めていたんです。
が、昨年の秋に会友の申し込みを決めたんです。
どうも技術的に停滞している感じがあって、
何か大きな転換点があったほうが良いような気がしたためです。
会友になると色々な作品集とかが貰えて
研究がしやすいだろう、といった趣旨でした。
ところがこれまでに一般の段階で貰っていた賞の得点が
一気に加算されることになって、会友になった途端に
「準会員昇格内定」という扱いになってしまいました。
そのため審査対象外に。
なんだか残念なお話。
ちょっと毛色を変えてやってみただけに
どんな風に見られていたのかは気になります。
それがこちらの感じ。
ただ、今回自分で気づいたのは
全体に縮こまって、まとまり過ぎた印象が出る理由の1つに
筆遣いの特徴がありそうだ、ということです。
その点について先生と話してみたんですが、
先生としてはあまり重視していない様子でした。
それが筆を突く動作です。
線を引くときの筆の進行方向に対して
筆が先に行くように倒すと、
筆先が後からついてくるような形になります。
こうすると奇麗だけれど優しい線になりがちな気がしたんです。
一方、筆の軸を進行方向と逆側に倒すと
筆の軸で紙を突き刺すような動きが生まれます。
とにかく摩擦を大きくする。
すると力強くて、紙の奥まで墨がしみ込んだ線になりやすい。
紙面の範囲の外側に向かって飛び出るような雰囲気も出ますし、
実際、会員の人たちの筆遣いには、そういう線が多そうに見えたんです。
あとは荒々しく適当に書く雰囲気でしょうか。
奇麗にまとめ過ぎない、というところ。
普段の練習では、古典から細かな筆遣いやバランスのとり方を学び、
作品の段階ではスケールの大きさを出すために細かさを抑える。
そんな感じのことも求められるのかもしれません。
縮こまった印象が出るのは長くからの課題だとは思っていました。
ですが、今回はチョット重要な発見があった気がします。
そのあたりも心がけながら練習してみようと思います。
2018年01月19日
感覚刺激への感度
今年最初の出張は札幌です。
値段の関係で普段よりも早い便に乗りました。
日中の飛行機はあまり利用していなかったのですが
日差しのまぶしさが厳しかったです。
窓際の人が景色を眺めたり、かと思うと眠りについたりして
日よけを閉めてもらうこともできず、自分の顔を隠すので精一杯。
どうも僕は子供のころから日差しが苦手で、記念写真は決まって
まぶしそうな顔をして写っていたものです。
飛行機の中でも他の人は日光を気にしていない様子でしたから
僕の個人的な傾向として光が得意ではないのかもしれません。
冬でも日中の飛行機はサングラスが必須だと感じました。
でないと本も読めません。
寝るならアイマスクが必要そうにも思えますが、かといって
耳にゴムを引っかけるのが痛くて嫌だというワガママもあります。
鼻と口を覆うための普通のマスクにしても耳が痛くて嫌ですし、
帽子も耳の上に加わる感触が苦手です。
耳栓も痛いから本当は嫌なんです。
騒音の音圧の強さを避けるか、耳の穴の痛みを避けるか…。
耳栓を使うかどうかは迷うところです。
イヤホンも痛くて苦手でしたが、カナル型(深く差し込むタイプ)が出て
だいぶ楽になりました。
随分と目や耳の周りについて好みがうるさいことを自覚します。
小さいころは苦手な刺激が多くて、それでも
大人になって我慢できるようになってきていました。
ですが最近また苦手意識が高まってきている印象があります。
我慢して気にしないようにしていた感覚刺激が
改めて意識に上がるようになってきたんでしょう。
NLPでは「五感を鋭敏に」なんてことも言われたりしますが
敏感さは強い刺激への脆さにも繋がるようです。
メリットとデメリットは裏表なのかもしれません。
この辺の「感覚刺激への過敏さ」については
「HSP(Highly Sensitive Person)」という概念が提唱されています。
臨床心理学者のエレイン・アーロンという人が決めたものですから
生きにくさの1つの指標として、その基準を設定したといえます。
ネット上にもアーロンが作った測定法(質問リスト)がありますから
すぐに自分でも調べてみることができます。
心理学においては、この手の測定法の研究は
統計的に一貫していて妥当かどうかを調べますが、
実際に本人の中で何が起こっているかどうかは無関係です。
「こういう質問をすれば、この特徴が調べられるだろう」という想定で
工夫しながら質問集を作っているだけのこと。
調べたい特徴は既に、測定法の設計者の中で決まっているわけです。
その意味では、このHSPという個性は
「HSPに分類されるかどうか」で評価されるのであって、
それ以外の特性との関係などは気にされていない、ともいえそうです。
どのような生物学的な仕組みが関係しているか?などは
後の研究者が考える可能性はありますが、
そこが前提になっているわけではないはずです。
一方、僕の個人的な印象といいますか、NLP的な視点を踏まえてみると
HSPは2つの要素の組み合わせで説明ができそうです。
1つは五感刺激への感度そのもの。
情報を細かく知覚して、意味づけの少ない五感情報のまま処理がされる度合い。
感覚情報に対して直接的に反応が起こる傾向ともいえます。
その対極は五感情報を組み合わせて社会的に意味づけして
その意味に対する反応を学習する傾向。
心の中には様々な処理が同時並行で起こっていますから
両方の傾向の反応がどちらも進んではいますが、
感覚情報に直接反応する度合いが大きい、ということです。
もう一方は、反応が表に強く表れる度合い。
これは1つの「刺激−反応」に集中して意識体験が起こる傾向です。
対極は、同時に複数の処理が意識される体験の傾向。
HSPは「感覚刺激に圧倒されやすい」という意味で
「感覚刺激への感度の高さ」と
「圧倒のされやすさ」
の2つが含まれるとも考えられる、という話です。
僕は個人的に感覚刺激への感度は高そうですが、
1つの反応に集中して意識化するほうではなく、
好ましくない反応があっても「数多くの心の動きの1つ」と捉え
それに集中することがありません。
ですから「嫌い」ですが
「圧倒される」ことはないんです。
その意味では僕は「HSP」の分類には入りません。
感覚刺激への感度は高くても、
それだけが「HSP」の基準ではないからでしょう。
「五感刺激への感度」と「1つの意識体験への集中度(強さ)」。
この2つがHSPには含まれていそうに思えます。
実際、僕が測定法に沿って質問に答えてみると
半分だけが当てはまりますし。
名称は「Highly Sensitive(高感度)」ですが
それだけではなさそうだということです。
逆に、僕はただの高感度だ、と。
値段の関係で普段よりも早い便に乗りました。
日中の飛行機はあまり利用していなかったのですが
日差しのまぶしさが厳しかったです。
窓際の人が景色を眺めたり、かと思うと眠りについたりして
日よけを閉めてもらうこともできず、自分の顔を隠すので精一杯。
どうも僕は子供のころから日差しが苦手で、記念写真は決まって
まぶしそうな顔をして写っていたものです。
飛行機の中でも他の人は日光を気にしていない様子でしたから
僕の個人的な傾向として光が得意ではないのかもしれません。
冬でも日中の飛行機はサングラスが必須だと感じました。
でないと本も読めません。
寝るならアイマスクが必要そうにも思えますが、かといって
耳にゴムを引っかけるのが痛くて嫌だというワガママもあります。
鼻と口を覆うための普通のマスクにしても耳が痛くて嫌ですし、
帽子も耳の上に加わる感触が苦手です。
耳栓も痛いから本当は嫌なんです。
騒音の音圧の強さを避けるか、耳の穴の痛みを避けるか…。
耳栓を使うかどうかは迷うところです。
イヤホンも痛くて苦手でしたが、カナル型(深く差し込むタイプ)が出て
だいぶ楽になりました。
随分と目や耳の周りについて好みがうるさいことを自覚します。
小さいころは苦手な刺激が多くて、それでも
大人になって我慢できるようになってきていました。
ですが最近また苦手意識が高まってきている印象があります。
我慢して気にしないようにしていた感覚刺激が
改めて意識に上がるようになってきたんでしょう。
NLPでは「五感を鋭敏に」なんてことも言われたりしますが
敏感さは強い刺激への脆さにも繋がるようです。
メリットとデメリットは裏表なのかもしれません。
この辺の「感覚刺激への過敏さ」については
「HSP(Highly Sensitive Person)」という概念が提唱されています。
臨床心理学者のエレイン・アーロンという人が決めたものですから
生きにくさの1つの指標として、その基準を設定したといえます。
ネット上にもアーロンが作った測定法(質問リスト)がありますから
すぐに自分でも調べてみることができます。
心理学においては、この手の測定法の研究は
統計的に一貫していて妥当かどうかを調べますが、
実際に本人の中で何が起こっているかどうかは無関係です。
「こういう質問をすれば、この特徴が調べられるだろう」という想定で
工夫しながら質問集を作っているだけのこと。
調べたい特徴は既に、測定法の設計者の中で決まっているわけです。
その意味では、このHSPという個性は
「HSPに分類されるかどうか」で評価されるのであって、
それ以外の特性との関係などは気にされていない、ともいえそうです。
どのような生物学的な仕組みが関係しているか?などは
後の研究者が考える可能性はありますが、
そこが前提になっているわけではないはずです。
一方、僕の個人的な印象といいますか、NLP的な視点を踏まえてみると
HSPは2つの要素の組み合わせで説明ができそうです。
1つは五感刺激への感度そのもの。
情報を細かく知覚して、意味づけの少ない五感情報のまま処理がされる度合い。
感覚情報に対して直接的に反応が起こる傾向ともいえます。
その対極は五感情報を組み合わせて社会的に意味づけして
その意味に対する反応を学習する傾向。
心の中には様々な処理が同時並行で起こっていますから
両方の傾向の反応がどちらも進んではいますが、
感覚情報に直接反応する度合いが大きい、ということです。
もう一方は、反応が表に強く表れる度合い。
これは1つの「刺激−反応」に集中して意識体験が起こる傾向です。
対極は、同時に複数の処理が意識される体験の傾向。
HSPは「感覚刺激に圧倒されやすい」という意味で
「感覚刺激への感度の高さ」と
「圧倒のされやすさ」
の2つが含まれるとも考えられる、という話です。
僕は個人的に感覚刺激への感度は高そうですが、
1つの反応に集中して意識化するほうではなく、
好ましくない反応があっても「数多くの心の動きの1つ」と捉え
それに集中することがありません。
ですから「嫌い」ですが
「圧倒される」ことはないんです。
その意味では僕は「HSP」の分類には入りません。
感覚刺激への感度は高くても、
それだけが「HSP」の基準ではないからでしょう。
「五感刺激への感度」と「1つの意識体験への集中度(強さ)」。
この2つがHSPには含まれていそうに思えます。
実際、僕が測定法に沿って質問に答えてみると
半分だけが当てはまりますし。
名称は「Highly Sensitive(高感度)」ですが
それだけではなさそうだということです。
逆に、僕はただの高感度だ、と。
2018年01月16日
緊張と頭痛
幼少期から偏頭痛持ちでした。
とはいえ「偏頭痛」という言葉を知ったのは大人になってからですから
なぜ頭が痛いのかも良く分からず、ひたすら親に迷惑をかけるだけ。
あまりにも頻繁に強い頭痛を訴えるので
「病院で検査してもらったら?」と何度も言われました。
精神的なものも関係しているようです。
確か、小・中学校の頃は毎週日曜日に頭が痛くなったものでした。
過度にリラックスしたり、普段と違う状態になっても
偏頭痛は起きると言われています。
また、会社に入って最初の3年は山口県に住んでいたため
東京へ帰省するタイミングには飛行機を利用していたんですが、
そのたびに頭が痛くなっていました。
ストレスや気圧の変化も影響するとのこと。
振り返ってみると典型的な偏頭痛の兆候だといえます。
そしてセミナーの仕事をするようになってからも
依然として偏頭痛は続いてました。
というより実際には症状が強くなっていたかもしれません。
気分が悪くなって吐くことも何度かあったように記憶しています。
随分と無理をかけながらやっていたんだなぁと感じます。
それが最近は、体のケアをしてもらうようになって
随分と減ってきていました。
たまに頭が痛くなることはありますし、
セミナーの翌日あたりは体の負荷が強く出て
頭痛に繋がることもそれなりにあります。
ただ程度はずっと下がっていたんです。
仕事から帰ってジムに行って
有酸素運動と肩回りのトレーニングをすることでも
翌日の肩と背中の強張りは随分と減らせるようにもなりましたし。
しかし先日、久しぶりにかなりの負荷が出てきました。
首回りへの負荷が大きすぎたようです。
このあたりは人数と、扱う内容と、場の安心感に関係するようです。
特に場の安心感は重要だと感じます。
時間がかかる部分と、僕にはどうにもできない個人の領域と
どちらもが関係します。
誰でも人と接するのは基本的にストレスフルなんです。
一人のときとは違うストレスがかかる。
いくら命の危険を感じてないとしても
自分の心が傷つくかもしれない可能性は常に伴います。
言い換えると「緊張する」ということ。
その場にいながら緊張する状態がどれぐらい起こっているか。
会社に勤めていれば、社内外の人間関係でも通勤中でも
緊張しながら人間関係に耐える度合いが大きくなります。
緊張に慣れてしまうんでしょう。
だからこそ
「ただ、その場にいる」ことに安心できるかどうか
が大きな意味を持ちます。
それだけで凝り固まった心の緊張がほぐれます。
温泉に浸かって体がほぐれるようなものです。
その状態は目に見えるものではありませんが
そういう場になっていくと楽になります。
一方で、そのような場になるまでの間は
僕の身体にも緊張感が起こってきます。
久しぶりの強い偏頭痛は、その緊張が関係していそうです。
対処の方法は、自分の身体をケアするぐらいしか思いつきません。
とはいえ「偏頭痛」という言葉を知ったのは大人になってからですから
なぜ頭が痛いのかも良く分からず、ひたすら親に迷惑をかけるだけ。
あまりにも頻繁に強い頭痛を訴えるので
「病院で検査してもらったら?」と何度も言われました。
精神的なものも関係しているようです。
確か、小・中学校の頃は毎週日曜日に頭が痛くなったものでした。
過度にリラックスしたり、普段と違う状態になっても
偏頭痛は起きると言われています。
また、会社に入って最初の3年は山口県に住んでいたため
東京へ帰省するタイミングには飛行機を利用していたんですが、
そのたびに頭が痛くなっていました。
ストレスや気圧の変化も影響するとのこと。
振り返ってみると典型的な偏頭痛の兆候だといえます。
そしてセミナーの仕事をするようになってからも
依然として偏頭痛は続いてました。
というより実際には症状が強くなっていたかもしれません。
気分が悪くなって吐くことも何度かあったように記憶しています。
随分と無理をかけながらやっていたんだなぁと感じます。
それが最近は、体のケアをしてもらうようになって
随分と減ってきていました。
たまに頭が痛くなることはありますし、
セミナーの翌日あたりは体の負荷が強く出て
頭痛に繋がることもそれなりにあります。
ただ程度はずっと下がっていたんです。
仕事から帰ってジムに行って
有酸素運動と肩回りのトレーニングをすることでも
翌日の肩と背中の強張りは随分と減らせるようにもなりましたし。
しかし先日、久しぶりにかなりの負荷が出てきました。
首回りへの負荷が大きすぎたようです。
このあたりは人数と、扱う内容と、場の安心感に関係するようです。
特に場の安心感は重要だと感じます。
時間がかかる部分と、僕にはどうにもできない個人の領域と
どちらもが関係します。
誰でも人と接するのは基本的にストレスフルなんです。
一人のときとは違うストレスがかかる。
いくら命の危険を感じてないとしても
自分の心が傷つくかもしれない可能性は常に伴います。
言い換えると「緊張する」ということ。
その場にいながら緊張する状態がどれぐらい起こっているか。
会社に勤めていれば、社内外の人間関係でも通勤中でも
緊張しながら人間関係に耐える度合いが大きくなります。
緊張に慣れてしまうんでしょう。
だからこそ
「ただ、その場にいる」ことに安心できるかどうか
が大きな意味を持ちます。
それだけで凝り固まった心の緊張がほぐれます。
温泉に浸かって体がほぐれるようなものです。
その状態は目に見えるものではありませんが
そういう場になっていくと楽になります。
一方で、そのような場になるまでの間は
僕の身体にも緊張感が起こってきます。
久しぶりの強い偏頭痛は、その緊張が関係していそうです。
対処の方法は、自分の身体をケアするぐらいしか思いつきません。
2018年01月13日
言葉の壁
語学について興味を持って取り組んでいると
その外国語のみについての話だけでなく、
外国語習得のプロセスについての情報も見つかってきます。
1つ興味深かったのは「言語的な近さ」の話。
どれぐらい似ているか、どれぐらいの共通点があるか、
といったことです。
例えばスペイン語はラテン語由来の言語なので
同じラテン語系列のフランス語、イタリア語とは近縁です。
しかし単語や発音の特徴からすると
スペイン語はフランス語よりもイタリア語、ポルトガル語に近いようです。
イタリア語、スペイン語、ポルトガル語はそれぞれの言葉で話しても
かなりの程度、相手の話が理解できるなんてことも言われます。
もちろんスペイン語は、英語よりもフランス語に近いはずです。
それでもアラビア語との差を考えれば、英語のほうがスペイン語に近い。
そのように類似性や歴史的なルーツで比較する観点があるわけです。
似たようなものとして「習得に必要な時間」という基準もあります。
例えば、英語ネイティブの人がフランス語を習得するのに
どれがぐらいの勉強時間を必要とするか?といった着眼点です。
何をもって「習得」とするかは微妙なところではありますが
同じレベルで揃えてはいるはずなので、
「ある程度のレベルになるまでの所要時間」と考えれば
比較の基準には使えそうです。
そうすると、英語ネイティブの人であれば
フランス語よりも中国語のほうが時間がかかる
といった話で比較が可能になります。
実際には、文法や単語など言語的な共通点の話だけでなく
個別の言語そのものの特徴としての複雑さなども含まれます。
文字の数や、表記のルール、音の種類や、
文法上の語形変化の複雑さ、ルールから外れる例外の多さ…、
などと「ややこしい言語かどうか」という特徴によっても
学習に必要な時間は変わってくる、と。
この複雑さの点で、できるだけ簡単なものにしようとして作られたのが
エスペラント語という人工の”世界共通語”のようです。
結果的にあまり広まってはおらず、英語が共通語のような実情ですが。
英語が世界共通語のような使われ方をするのは
歴史的な事情や経済力などの点も関係するでしょうが、
英語という言語がシンプルなところにも理由があるようです。
複雑さという意味では、英語は習得が楽な部類だということです。
例えばラテン語系のフランス語やスペイン語は
動詞の活用の種類が細かいんです。
一人称、二人称、三人称、そしてそれぞれの単数、複数で
動詞の形が少しずつ変形します。
かつ変形の仕方にも色々なパターンがある。
時制も過去、現在、未来と全て形が変わります。
また名詞に男性・女性の区別があり、その名詞の性と
単数か複数かに応じて、形容詞の語尾も変化します。
その点、英語の動詞は、ルールに沿った形であれば基本的に
動詞の語尾に「-ed」をつけるだけで過去形、過去分詞形になります。
未来を示したければ、ニュアンスに合わせて
助動詞の「will」を使うか、「be going to〜」を使うか、です。
単数か複数かの違いは語尾に「s」をつけるだけで
それに合わせて形容詞の形が変わったりもしません。
男性・女性の区別もない。
主語、動詞、目的語、補語など、単語の意味の区別は
単語の形そのものと、文章中の語順で示されます。
語順の使い方さえマスターして、単語を覚えさえすれば
かなりの表現ができるようになる言語だと言えます。
相当シンプルです。
ただし英語はルールからの例外が多い言語だとされます。
動詞の活用や、単数・複数の形などの例外は
フランス語だってかなりありますので
とりたてて特別なものではない気もしますが、
発音については表記との違いが多いようです。
単語の読み・書きまでマスターしようとすると
例外の多さで苦労する、というところなんでしょう。
このような言語としての複雑さと、母国語との類似性とが
どれぐらい習得に時間がかかるかに関係すると考えられます。
これを踏まえると、
例えば日本語に一番近いとされるのは韓国語だそうです。
文法的に近いところがあり、語順も同じ。
文字もハングルを一通り覚えれば
発音のルールに沿って読み書きもできるようになる。
類似性だけでいえば、日本人が韓国語を習得するのと
韓国人が日本語を習得するのは違いがなさそうに思えますが、
実際には言語の複雑さの点で違いがあります。
日本語のほうが文字のシステムが多いいために
(漢字・カタカナ・平仮名とがある)
読み書きとしてはハードルが高いわけです。
そして英語は日本語と遠い言語だとされます。
だから日本人が英語をマスターするのは大変だとされる。
オランダ人が英語をマスターするのとは訳が違います。
しかし言語の複雑さからすると
英語は日本語と比べると遥かにシンプルです。
日本語は例外が少ない言語だと聞きますが、それでも
文字や文法、擬態語など、複雑性の高い言語だといえます。
ですから英語が母国語の人が日本語をマスターするときのほうが
言語的な距離の遠さだけでなく複雑さも乗り越えなければならず、
日本人が英語を習得するよりもずっと大変なはずなんです。
ネイティブの英語話者にとって一番習得に時間がかかる言語が
日本語だという話は、実際によく見かけられます。
にもかかわらず、日本語がペラペラで
漢字の読み書きもできるアメリカ人だっています。
どれだけ大変だったことか。
英語が日本語と近縁ではないというだけで、日本人にとって
英語習得が大変だという結論は出しにくいと感じます。
社会には無数の英語表記がありますし、
カタカナ語として日常的に取り入れられている英単語も沢山ある。
覚えるハードルだって低いとも言えそうです。
少なくとも、「机」という単語を知らないアメリカ人の数より
「デスク」を知らない日本人の数のほうが
ずっと多いのではないでしょうか。
「デスク」を知っていれば、「desk」というスペルを覚えればいい。
アメリカ人だったら「つ・く・え」という音と
「つくえ」という平仮名表記と、
「机」という漢字を覚えないといけません。
英語の習得は日本人にとって、韓国語よりは大変かもしれませんが
実際のハードルはそれほど高くないんじゃないか
とも個人的には思えるんです。
日本人にとって特に厄介なのは、語順と発音でしょうか。
発音のシステムの差が大きいせいで聴き取りが難しい、
ということはあるような気がします。
フランス語やロシア語ほど複雑な文法事項はありませんから
語順のパターンに慣れるために多読するだけでも十分そうです。
話したり書いたりするアウトプットの作業で
言いたいことを表す表現が見つからないのはもどかしいものですが、
これは英語だけに限ったことではありません。
外国語習得にはつきものなんじゃないでしょうか。
トレーニングが求められるところだと思います。
そんな風に考えてみると、日本人が英語をやるうえで
注意深く取り組む必要があるのは、発音なんじゃないかと思えてきます。
スペイン語やイタリア語だったら発音のシステムが似ているので
この点で心配する必要性は大きく下がるはずです。
日本の英語教育を変えるのは事情が複雑すぎますが、
日本の英語教育に欠けた部分を自分で補えば、それだけでも
これまでに学校で勉強してきたことが活きると思うんです。
世の中にも発音指導の機会がもっと増えると良いなぁと感じています。
その外国語のみについての話だけでなく、
外国語習得のプロセスについての情報も見つかってきます。
1つ興味深かったのは「言語的な近さ」の話。
どれぐらい似ているか、どれぐらいの共通点があるか、
といったことです。
例えばスペイン語はラテン語由来の言語なので
同じラテン語系列のフランス語、イタリア語とは近縁です。
しかし単語や発音の特徴からすると
スペイン語はフランス語よりもイタリア語、ポルトガル語に近いようです。
イタリア語、スペイン語、ポルトガル語はそれぞれの言葉で話しても
かなりの程度、相手の話が理解できるなんてことも言われます。
もちろんスペイン語は、英語よりもフランス語に近いはずです。
それでもアラビア語との差を考えれば、英語のほうがスペイン語に近い。
そのように類似性や歴史的なルーツで比較する観点があるわけです。
似たようなものとして「習得に必要な時間」という基準もあります。
例えば、英語ネイティブの人がフランス語を習得するのに
どれがぐらいの勉強時間を必要とするか?といった着眼点です。
何をもって「習得」とするかは微妙なところではありますが
同じレベルで揃えてはいるはずなので、
「ある程度のレベルになるまでの所要時間」と考えれば
比較の基準には使えそうです。
そうすると、英語ネイティブの人であれば
フランス語よりも中国語のほうが時間がかかる
といった話で比較が可能になります。
実際には、文法や単語など言語的な共通点の話だけでなく
個別の言語そのものの特徴としての複雑さなども含まれます。
文字の数や、表記のルール、音の種類や、
文法上の語形変化の複雑さ、ルールから外れる例外の多さ…、
などと「ややこしい言語かどうか」という特徴によっても
学習に必要な時間は変わってくる、と。
この複雑さの点で、できるだけ簡単なものにしようとして作られたのが
エスペラント語という人工の”世界共通語”のようです。
結果的にあまり広まってはおらず、英語が共通語のような実情ですが。
英語が世界共通語のような使われ方をするのは
歴史的な事情や経済力などの点も関係するでしょうが、
英語という言語がシンプルなところにも理由があるようです。
複雑さという意味では、英語は習得が楽な部類だということです。
例えばラテン語系のフランス語やスペイン語は
動詞の活用の種類が細かいんです。
一人称、二人称、三人称、そしてそれぞれの単数、複数で
動詞の形が少しずつ変形します。
かつ変形の仕方にも色々なパターンがある。
時制も過去、現在、未来と全て形が変わります。
また名詞に男性・女性の区別があり、その名詞の性と
単数か複数かに応じて、形容詞の語尾も変化します。
その点、英語の動詞は、ルールに沿った形であれば基本的に
動詞の語尾に「-ed」をつけるだけで過去形、過去分詞形になります。
未来を示したければ、ニュアンスに合わせて
助動詞の「will」を使うか、「be going to〜」を使うか、です。
単数か複数かの違いは語尾に「s」をつけるだけで
それに合わせて形容詞の形が変わったりもしません。
男性・女性の区別もない。
主語、動詞、目的語、補語など、単語の意味の区別は
単語の形そのものと、文章中の語順で示されます。
語順の使い方さえマスターして、単語を覚えさえすれば
かなりの表現ができるようになる言語だと言えます。
相当シンプルです。
ただし英語はルールからの例外が多い言語だとされます。
動詞の活用や、単数・複数の形などの例外は
フランス語だってかなりありますので
とりたてて特別なものではない気もしますが、
発音については表記との違いが多いようです。
単語の読み・書きまでマスターしようとすると
例外の多さで苦労する、というところなんでしょう。
このような言語としての複雑さと、母国語との類似性とが
どれぐらい習得に時間がかかるかに関係すると考えられます。
これを踏まえると、
例えば日本語に一番近いとされるのは韓国語だそうです。
文法的に近いところがあり、語順も同じ。
文字もハングルを一通り覚えれば
発音のルールに沿って読み書きもできるようになる。
類似性だけでいえば、日本人が韓国語を習得するのと
韓国人が日本語を習得するのは違いがなさそうに思えますが、
実際には言語の複雑さの点で違いがあります。
日本語のほうが文字のシステムが多いいために
(漢字・カタカナ・平仮名とがある)
読み書きとしてはハードルが高いわけです。
そして英語は日本語と遠い言語だとされます。
だから日本人が英語をマスターするのは大変だとされる。
オランダ人が英語をマスターするのとは訳が違います。
しかし言語の複雑さからすると
英語は日本語と比べると遥かにシンプルです。
日本語は例外が少ない言語だと聞きますが、それでも
文字や文法、擬態語など、複雑性の高い言語だといえます。
ですから英語が母国語の人が日本語をマスターするときのほうが
言語的な距離の遠さだけでなく複雑さも乗り越えなければならず、
日本人が英語を習得するよりもずっと大変なはずなんです。
ネイティブの英語話者にとって一番習得に時間がかかる言語が
日本語だという話は、実際によく見かけられます。
にもかかわらず、日本語がペラペラで
漢字の読み書きもできるアメリカ人だっています。
どれだけ大変だったことか。
英語が日本語と近縁ではないというだけで、日本人にとって
英語習得が大変だという結論は出しにくいと感じます。
社会には無数の英語表記がありますし、
カタカナ語として日常的に取り入れられている英単語も沢山ある。
覚えるハードルだって低いとも言えそうです。
少なくとも、「机」という単語を知らないアメリカ人の数より
「デスク」を知らない日本人の数のほうが
ずっと多いのではないでしょうか。
「デスク」を知っていれば、「desk」というスペルを覚えればいい。
アメリカ人だったら「つ・く・え」という音と
「つくえ」という平仮名表記と、
「机」という漢字を覚えないといけません。
英語の習得は日本人にとって、韓国語よりは大変かもしれませんが
実際のハードルはそれほど高くないんじゃないか
とも個人的には思えるんです。
日本人にとって特に厄介なのは、語順と発音でしょうか。
発音のシステムの差が大きいせいで聴き取りが難しい、
ということはあるような気がします。
フランス語やロシア語ほど複雑な文法事項はありませんから
語順のパターンに慣れるために多読するだけでも十分そうです。
話したり書いたりするアウトプットの作業で
言いたいことを表す表現が見つからないのはもどかしいものですが、
これは英語だけに限ったことではありません。
外国語習得にはつきものなんじゃないでしょうか。
トレーニングが求められるところだと思います。
そんな風に考えてみると、日本人が英語をやるうえで
注意深く取り組む必要があるのは、発音なんじゃないかと思えてきます。
スペイン語やイタリア語だったら発音のシステムが似ているので
この点で心配する必要性は大きく下がるはずです。
日本の英語教育を変えるのは事情が複雑すぎますが、
日本の英語教育に欠けた部分を自分で補えば、それだけでも
これまでに学校で勉強してきたことが活きると思うんです。
世の中にも発音指導の機会がもっと増えると良いなぁと感じています。
2018年01月10日
泳いでみたい気がします
1月は新しいことを始めたくなる人も多いようですが、
僕も最近、プールに行きたい気持ちが高まっています。
とはいえ、なかなか都合のいいところが見つからず
なんだかんだと心理的なハードルが高くて行動に繋がっていません。
プールに行きたい理由は全身運動の効果についての期待です。
普段動かさない部位を積極的に使えそうだということ。
デスクワークで固まりがちな肩や首も、ほぐせそうですし。
行けそうな範囲にあるのは大きく2種類。
1つは駅に近いフィットネスクラブ。
もう1つは公共のプール施設。
公共の区民プールは自宅から遠いんです。
徒歩20分以上かかるかと思います。
そして営業時間が短く、レーンの数も多くありません。
子供向けの設備があることや、
高齢者向けのプログラムがあることを加味すると、
あまり積極的に泳ぐ感じではいないんでしょう。
メリットは利用料が安いこと。
空いている時期とか時間帯を見つけられれば良さそうではあります。
一方、フィットネスクラブのほうは利便性が高めです。
24時間だったら理想的なんですが、
安全性を確保するために監視員が必要になりますから
きっとそれは難しいんでしょう。
まぁ、プールの場合、強制的に着替えることになりますから
上手くロッカーなどを利用できれば、24時間営業でなくても
帰宅途中に立ち寄ることに不便はなさそうです。
あとは空いていれば望ましいぐらい。
時間も比較的遅くまでやっているようですから
帰りがけに立ち寄って泳ぐようなことができたら良い気がします。
が、こちらは値段も高め。
どのぐらいの頻度で通えるのかも気になるところですし、
一回あたりの価格を考えると頻度を上げる必要性を感じてしまいます。
せっかくならレッスンを受けて泳ぎのフォームからやるぐらいでしょうか。
思い返してみると、会社員時代の1つ上の先輩が
毎晩、駅前のフィットネスクラブで1km泳いでいたものです。
それぐらい利用すれば随分とメリットも大きそうですが…。
僕のスケジュールとしては、そこまでは難しいように想像します。
今通っているほうの24時間営業のマシン専用ジムは
価格と効果と利用頻度を考慮すると
それなりに活用できている印象です。
こちらの代わりにプール付きのフィットネスクラブにするというのは
今のところ選択肢としては入れにくいところ。
無難に公共施設から試してみるのが良いのかもしれません。
まずは何よりも情報集めからしてみようかと思います。
僕も最近、プールに行きたい気持ちが高まっています。
とはいえ、なかなか都合のいいところが見つからず
なんだかんだと心理的なハードルが高くて行動に繋がっていません。
プールに行きたい理由は全身運動の効果についての期待です。
普段動かさない部位を積極的に使えそうだということ。
デスクワークで固まりがちな肩や首も、ほぐせそうですし。
行けそうな範囲にあるのは大きく2種類。
1つは駅に近いフィットネスクラブ。
もう1つは公共のプール施設。
公共の区民プールは自宅から遠いんです。
徒歩20分以上かかるかと思います。
そして営業時間が短く、レーンの数も多くありません。
子供向けの設備があることや、
高齢者向けのプログラムがあることを加味すると、
あまり積極的に泳ぐ感じではいないんでしょう。
メリットは利用料が安いこと。
空いている時期とか時間帯を見つけられれば良さそうではあります。
一方、フィットネスクラブのほうは利便性が高めです。
24時間だったら理想的なんですが、
安全性を確保するために監視員が必要になりますから
きっとそれは難しいんでしょう。
まぁ、プールの場合、強制的に着替えることになりますから
上手くロッカーなどを利用できれば、24時間営業でなくても
帰宅途中に立ち寄ることに不便はなさそうです。
あとは空いていれば望ましいぐらい。
時間も比較的遅くまでやっているようですから
帰りがけに立ち寄って泳ぐようなことができたら良い気がします。
が、こちらは値段も高め。
どのぐらいの頻度で通えるのかも気になるところですし、
一回あたりの価格を考えると頻度を上げる必要性を感じてしまいます。
せっかくならレッスンを受けて泳ぎのフォームからやるぐらいでしょうか。
思い返してみると、会社員時代の1つ上の先輩が
毎晩、駅前のフィットネスクラブで1km泳いでいたものです。
それぐらい利用すれば随分とメリットも大きそうですが…。
僕のスケジュールとしては、そこまでは難しいように想像します。
今通っているほうの24時間営業のマシン専用ジムは
価格と効果と利用頻度を考慮すると
それなりに活用できている印象です。
こちらの代わりにプール付きのフィットネスクラブにするというのは
今のところ選択肢としては入れにくいところ。
無難に公共施設から試してみるのが良いのかもしれません。
まずは何よりも情報集めからしてみようかと思います。
2018年01月07日
寒さの影響で
先日、足元が冷える環境で打ち合わせをしていたとき
足先を温めるために、行儀悪く椅子の上で
あぐらを組んだり、片足だけお尻の下に敷いたりして
足を挟み込みながら座っていました。
腿の裏とか、お尻と椅子の間とかで
冷たくなった足先に熱を伝えていたわけです。
ずっと同じ姿勢をキープしていたわけではないですが、
合計で4時間ぐらいの打ち合わせだったので
結構な時間を変な座り方で過ごしたことになります。
あぐらのように膝を曲げて捻った状態を、冷える中で
長く続けたのが良くなかったのでしょうか。
その日の夜から膝が痛くなってきました。
特に膝を曲げた状態で力を入れるときが厄介で
階段の上り下りに痛みがありました。
で、突っ張っている部分を探しながら
マッサージやストレッチをして
痛みが減ることを試してみたんです。
すると、次の日の日中までは残っていた痛みも
夜ぐらいから楽になってきました。
実際、このタイプの膝の痛みは馴染みがあって、
長く歩いた時とか、重い荷物を長時間運んだ後とか、
そういう風に下半身に負荷がかかったときに
体験していた種類のものです。
以前はそういう痛みが出ると数日は続いて
階段の上り下りを中心に負担が出ていたものなんですが、
今回は1日経たずに収まったのでチョット驚きでもありました。
自分なりのケアがどれだけ効果を発揮したかは分かりません。
実感としては、むしろ、下半身のトレーニング効果のほうが
大きかったのではないかと思います。
半年以上続けてきたジムでの足腰のトレーニングが
筋力として負荷に耐えやすくしてくれたのか、と。
回復もしやすくなっているかもしれませんし、
ハリがほぐれやすい状態なのかもしれません。
地道に続けた効果は意外なところで
実感できるものかと感じました。
と同時に、普段と違う状況で無理をかけたり
不自然な姿勢をしたり、かばったりするのが
思いの外、悪影響を及ぼすのも痛感しました。
負荷に耐えやすい身体を心がけることと、
余分な負荷をかけないように労わることの両方が
大事なんでしょう。
これは心についても似たことが言えそうです。
トレーニングの側面とケアの側面。
それによってスムーズな状態に戻っていく。
自分を大事にするやり方も一面的ではないようです。
足先を温めるために、行儀悪く椅子の上で
あぐらを組んだり、片足だけお尻の下に敷いたりして
足を挟み込みながら座っていました。
腿の裏とか、お尻と椅子の間とかで
冷たくなった足先に熱を伝えていたわけです。
ずっと同じ姿勢をキープしていたわけではないですが、
合計で4時間ぐらいの打ち合わせだったので
結構な時間を変な座り方で過ごしたことになります。
あぐらのように膝を曲げて捻った状態を、冷える中で
長く続けたのが良くなかったのでしょうか。
その日の夜から膝が痛くなってきました。
特に膝を曲げた状態で力を入れるときが厄介で
階段の上り下りに痛みがありました。
で、突っ張っている部分を探しながら
マッサージやストレッチをして
痛みが減ることを試してみたんです。
すると、次の日の日中までは残っていた痛みも
夜ぐらいから楽になってきました。
実際、このタイプの膝の痛みは馴染みがあって、
長く歩いた時とか、重い荷物を長時間運んだ後とか、
そういう風に下半身に負荷がかかったときに
体験していた種類のものです。
以前はそういう痛みが出ると数日は続いて
階段の上り下りを中心に負担が出ていたものなんですが、
今回は1日経たずに収まったのでチョット驚きでもありました。
自分なりのケアがどれだけ効果を発揮したかは分かりません。
実感としては、むしろ、下半身のトレーニング効果のほうが
大きかったのではないかと思います。
半年以上続けてきたジムでの足腰のトレーニングが
筋力として負荷に耐えやすくしてくれたのか、と。
回復もしやすくなっているかもしれませんし、
ハリがほぐれやすい状態なのかもしれません。
地道に続けた効果は意外なところで
実感できるものかと感じました。
と同時に、普段と違う状況で無理をかけたり
不自然な姿勢をしたり、かばったりするのが
思いの外、悪影響を及ぼすのも痛感しました。
負荷に耐えやすい身体を心がけることと、
余分な負荷をかけないように労わることの両方が
大事なんでしょう。
これは心についても似たことが言えそうです。
トレーニングの側面とケアの側面。
それによってスムーズな状態に戻っていく。
自分を大事にするやり方も一面的ではないようです。