2018年05月
2018年05月31日
帰ってきました
この間の火曜日、日本に到着しました。
メインの目的は瞑想の修行で、そちらは丸一週間だったんですが
そのあとでサンディエゴまで足を延ばしてきたので
比較的長めの滞在となりました。
瞑想をしてきた場所は大きな湖まで歩いて30分ぐらいのところで、
山奥ではないですが、山の中にあるとは言えそうな場所です。
標高は1900mほど。
スキーでは有名な場所なんだとか。
気温は当然、標高が高い分だけ下がりますが
今年は思ったほど寒くはありませんでした。
建物の中にいる分には不自由はありません。
周りを針葉樹林に囲まれています。
木の高さに歴史と山奥の雰囲気を感じます。
基本的には杉と松が入り混ざっているようでした。
杉は日本の印象と大差ないものの、松は種類が違うのか
ビックリするほど真っすぐに高く育っています。
遠目だと杉と松の区別がつかないぐらいの生え方。
枝が下向きなのが杉で、枝が上向きだと松…そんな区別でしょうか。
もちろん葉っぱの形も違いますが。
当然かもしれませんが、松が大きくなれば
松ぼっくりも大きくなるようです。
比較のためにペットボトルと並べてみました。
ペットボトルより大きな松ぼっくりが大量に落っこちていました。
アメリカ大陸の自然の雄大さを感じるところです。
到着初日はチェックインとガイダンスぐらいだったんですが、
今年は早めに現地入りしたので、チェックインまでの間
近所を歩いてみることにしました。
といっても林の間の道を歩くだけのことです。
日差しは暖かめではあっても気温は20度ないぐらいでしたから
気楽に散歩をしてしまったんですが、これが少し失敗。
よもやあんなに紫外線が強かったとは。
1時間半ほど歩いただけにもかかわらず、
3日目の朝ぐらいからオデコの皮膚が剥け始めました。
明らかに日焼けによる皮のはがれ方です。
こんな露骨な日焼けは子供の頃以来じゃないかと思います。
オデコの皮膚が入れ替わる頃には頭頂部の皮も剥けてきて
数日間は頭から皮がポロポロと剥がれ落ちる状態になっていました。
その状態だとチョットした日差しも頭にヒリヒリとした刺激になり
宿舎からホールまでの徒歩移動の間、頭を抱えないといけないほど。
まぁ、瞑想の期間中は口を聞いてはいけないルールなので
誰からもそのことを指摘されはしませんでしたが。
日本とは違うんですね。
同じぐらいの太陽の明るさでも、
空気の質が違うと紫外線の届く量が異なってくるようです。
乾燥していると大気中に紫外線を散乱させる水分が少ないので
おそらく、そのために紫外線が地面まで届きやすくなるんでしょう。
また空気がキレイなのも紫外線の散逸を減らすはずです。
標高が高いのも太陽に近づく分、日差しを強くしているかもしれません。
澄んで乾いた清々しい空気だからこそ、
紫外線も強くなるということでしょうか。
それでもアメリカ人は日光浴が好きなので
テラスのようなところでサングラスをかけながら
日に当たっている姿をよく見かけました。
メラニンの少ない人たちですが、
火傷みたいにはならないのか気になります。
「日光浴は体にいい」というシンプルなビリーフがあるみたいです。
「朝のフルーツは体にいい」とか
「フレッシュジュースを飲んでおけば野菜の代わりになる」とか
健康に関しての考え方は随分と単純化されている印象は受けます。
ともかく、環境も考え方も含めて
色々な違いを感じられるのも面白いものです。
ヨーロッパとも違うようですし。
自分の常識を見直すにも、普段と違う環境に行ってみるのは良さそうです。
メインの目的は瞑想の修行で、そちらは丸一週間だったんですが
そのあとでサンディエゴまで足を延ばしてきたので
比較的長めの滞在となりました。
瞑想をしてきた場所は大きな湖まで歩いて30分ぐらいのところで、
山奥ではないですが、山の中にあるとは言えそうな場所です。
標高は1900mほど。
スキーでは有名な場所なんだとか。
気温は当然、標高が高い分だけ下がりますが
今年は思ったほど寒くはありませんでした。
建物の中にいる分には不自由はありません。
周りを針葉樹林に囲まれています。
木の高さに歴史と山奥の雰囲気を感じます。
基本的には杉と松が入り混ざっているようでした。
杉は日本の印象と大差ないものの、松は種類が違うのか
ビックリするほど真っすぐに高く育っています。
遠目だと杉と松の区別がつかないぐらいの生え方。
枝が下向きなのが杉で、枝が上向きだと松…そんな区別でしょうか。
もちろん葉っぱの形も違いますが。
当然かもしれませんが、松が大きくなれば
松ぼっくりも大きくなるようです。
比較のためにペットボトルと並べてみました。
ペットボトルより大きな松ぼっくりが大量に落っこちていました。
アメリカ大陸の自然の雄大さを感じるところです。
到着初日はチェックインとガイダンスぐらいだったんですが、
今年は早めに現地入りしたので、チェックインまでの間
近所を歩いてみることにしました。
といっても林の間の道を歩くだけのことです。
日差しは暖かめではあっても気温は20度ないぐらいでしたから
気楽に散歩をしてしまったんですが、これが少し失敗。
よもやあんなに紫外線が強かったとは。
1時間半ほど歩いただけにもかかわらず、
3日目の朝ぐらいからオデコの皮膚が剥け始めました。
明らかに日焼けによる皮のはがれ方です。
こんな露骨な日焼けは子供の頃以来じゃないかと思います。
オデコの皮膚が入れ替わる頃には頭頂部の皮も剥けてきて
数日間は頭から皮がポロポロと剥がれ落ちる状態になっていました。
その状態だとチョットした日差しも頭にヒリヒリとした刺激になり
宿舎からホールまでの徒歩移動の間、頭を抱えないといけないほど。
まぁ、瞑想の期間中は口を聞いてはいけないルールなので
誰からもそのことを指摘されはしませんでしたが。
日本とは違うんですね。
同じぐらいの太陽の明るさでも、
空気の質が違うと紫外線の届く量が異なってくるようです。
乾燥していると大気中に紫外線を散乱させる水分が少ないので
おそらく、そのために紫外線が地面まで届きやすくなるんでしょう。
また空気がキレイなのも紫外線の散逸を減らすはずです。
標高が高いのも太陽に近づく分、日差しを強くしているかもしれません。
澄んで乾いた清々しい空気だからこそ、
紫外線も強くなるということでしょうか。
それでもアメリカ人は日光浴が好きなので
テラスのようなところでサングラスをかけながら
日に当たっている姿をよく見かけました。
メラニンの少ない人たちですが、
火傷みたいにはならないのか気になります。
「日光浴は体にいい」というシンプルなビリーフがあるみたいです。
「朝のフルーツは体にいい」とか
「フレッシュジュースを飲んでおけば野菜の代わりになる」とか
健康に関しての考え方は随分と単純化されている印象は受けます。
ともかく、環境も考え方も含めて
色々な違いを感じられるのも面白いものです。
ヨーロッパとも違うようですし。
自分の常識を見直すにも、普段と違う環境に行ってみるのは良さそうです。
2018年05月15日
一年ぶりの渡米
去年参加した坐禅(瞑想?)の集まりに
今年も行ってきます。
何かが得られるわけではないでしょうし
何かをまなぶわけでもありません。
ただのプラクティス。
修証一等ということで。
昨年は初めての参加でしたし
アメリカ自体が10年以上ぶりだったので
なんとなく特別な感じもありましたが、
今回は淡々としています。
これがレギュラーのイベントになるかは分かりませんが
なんとなく昔を思い出します。
毎年、夏に箱根のワークショップに参加して
温泉で宿泊しながら、ひたすら個人ワークをやるもの。
年に一度ぐらい、しっかりと自分に向き合うというのも
味わい深いものだなぁと感じます。
ちなみに今年のアメリカ西海岸は涼しいみたいで
20度台前半みたいです。
去年は5月でも30度以上ありましたから
寒さ対策が必要そうです。
ちなみに山の上は、夜に0度ぐらいまで下がるとか。
そこまで含めて非日常の時間になるのかもしれません。
今年も行ってきます。
何かが得られるわけではないでしょうし
何かをまなぶわけでもありません。
ただのプラクティス。
修証一等ということで。
昨年は初めての参加でしたし
アメリカ自体が10年以上ぶりだったので
なんとなく特別な感じもありましたが、
今回は淡々としています。
これがレギュラーのイベントになるかは分かりませんが
なんとなく昔を思い出します。
毎年、夏に箱根のワークショップに参加して
温泉で宿泊しながら、ひたすら個人ワークをやるもの。
年に一度ぐらい、しっかりと自分に向き合うというのも
味わい深いものだなぁと感じます。
ちなみに今年のアメリカ西海岸は涼しいみたいで
20度台前半みたいです。
去年は5月でも30度以上ありましたから
寒さ対策が必要そうです。
ちなみに山の上は、夜に0度ぐらいまで下がるとか。
そこまで含めて非日常の時間になるのかもしれません。
2018年05月12日
ほうじ茶の匂い
茶香炉というのを買いました。
お茶っ葉に熱を加えて、お茶を焙煎する匂いを出すものです。
まぁ、普通にフライパンで炙っても良いんでしょうが、
もう少しジワジワとゆっくり加熱できるので
軽めの匂いで長続きしやすいらしいんです。
住まいが集合住宅で、以前から
タバコの臭いが入ってくるのが耐えられず、
いろいろな臭い対策をしてきました。
脱臭機を使ったり、芳香剤を大量購入したり、
消臭スプレーを使ったり。
タバコはそれでも、比較的短い時間で臭いがなくなります。
近隣住民もずっと吸い続けるわけではありませんから。
その人が吸っていない時間なら臭いも入ってこない。
ですが、夏になると蚊取り線香を焚く人がいるんです。
僕は蚊取り線香の焦げ臭いのが苦手で、おそらく
ヤニの粘っこい感じが鼻にへばりつく感じが嫌なようです。
この臭いが手ごわい。
蚊取り線香ですから一晩中ずっと臭いがし続けます。
脱臭機でも芳香剤でも対応しきれません。
消臭スプレーは短時間なら効きますが、すぐに効果が失われます。
次から次に臭いが来るんですから当然です。
それで対策として考えたのが茶香炉、と。
アロマも考えたことはありましたが、
焦げ臭さが含まれるタバコや蚊取り線香には
アロマでは種類が違いすぎてカバーできなそうだったんです。
その点、茶香炉は、お茶を煎るときの匂いがしますから
香ばしさがあって、質的な共通点もありそうなんです。
系統が似ているから、匂いの上書きができるんじゃないか。
そのような発想で茶香炉に至りました。
使ってみると、さほど香りが強いわけでもなく
10分ぐらいしか持続しないんですが、
茶葉の量を工夫したら改善の余地はありそうに思っています。
お茶屋さんの前を通ると、焙じ茶を作るのに
大きな釜で茶葉を煎っていることがありますが、
あの匂いのソフトなやつがするんです。
なかなか僕の好みに合うようです。
もしかしたらコーヒー豆を煎っても良いかもしれません。
果たして、夏の蚊取り線香に対抗できるのか?
効果があると良いんですが。
お茶っ葉に熱を加えて、お茶を焙煎する匂いを出すものです。
まぁ、普通にフライパンで炙っても良いんでしょうが、
もう少しジワジワとゆっくり加熱できるので
軽めの匂いで長続きしやすいらしいんです。
住まいが集合住宅で、以前から
タバコの臭いが入ってくるのが耐えられず、
いろいろな臭い対策をしてきました。
脱臭機を使ったり、芳香剤を大量購入したり、
消臭スプレーを使ったり。
タバコはそれでも、比較的短い時間で臭いがなくなります。
近隣住民もずっと吸い続けるわけではありませんから。
その人が吸っていない時間なら臭いも入ってこない。
ですが、夏になると蚊取り線香を焚く人がいるんです。
僕は蚊取り線香の焦げ臭いのが苦手で、おそらく
ヤニの粘っこい感じが鼻にへばりつく感じが嫌なようです。
この臭いが手ごわい。
蚊取り線香ですから一晩中ずっと臭いがし続けます。
脱臭機でも芳香剤でも対応しきれません。
消臭スプレーは短時間なら効きますが、すぐに効果が失われます。
次から次に臭いが来るんですから当然です。
それで対策として考えたのが茶香炉、と。
アロマも考えたことはありましたが、
焦げ臭さが含まれるタバコや蚊取り線香には
アロマでは種類が違いすぎてカバーできなそうだったんです。
その点、茶香炉は、お茶を煎るときの匂いがしますから
香ばしさがあって、質的な共通点もありそうなんです。
系統が似ているから、匂いの上書きができるんじゃないか。
そのような発想で茶香炉に至りました。
使ってみると、さほど香りが強いわけでもなく
10分ぐらいしか持続しないんですが、
茶葉の量を工夫したら改善の余地はありそうに思っています。
お茶屋さんの前を通ると、焙じ茶を作るのに
大きな釜で茶葉を煎っていることがありますが、
あの匂いのソフトなやつがするんです。
なかなか僕の好みに合うようです。
もしかしたらコーヒー豆を煎っても良いかもしれません。
果たして、夏の蚊取り線香に対抗できるのか?
効果があると良いんですが。
2018年05月09日
とっさに口をつく言語
語学をやっていると言語のしくみや
言語を使う頭の中の整理のされ方などにも
色々と気づくことがあります。
ロシア語とスペイン語を始めてみて発見したのは
授業中とか休憩時間に先生からロシア語・スペイン語で質問されると
とっさにフランス語が口から出てきてしまう
ということでした。
文章を組み立てる練習として取り組んでいるときも
まず先に、フランス語の単語が浮かんできてしまったりします。
ところがフランス語で話しかけられたとき
とっさに英語が出てしまうということは滅多にありません。
もちろんフランス語でも、言いたいことが全て
すぐに自然と口から出てくるレベルではありませんから、
単語を探すのに時間がかかってしまったり、
探しても見つからなかったりすることはあります。
そういう場合、英語の単語のほうが先に浮かんできて
その英単語に相当するフランス語を思い出そうとする状態になります。
こうなる理由の大きなものとして、僕がフランス語を勉強するとき
単語の意味を仏英辞典で調べることがありそうです。
もう1つの理由は、英語とフランス語のほうが近いから。
記憶の中から探索しようとしたとき、近い情報として整理されている
英語のボキャブラリーが引っ張り出されやすいんでしょう。
あとは、英語が僕にとって外国語であることも関係する気がします。
フランス語の単語を探索しているときも、同じ「外国語」という分類で
記憶の検索が行われているんだろうと思われます。
ですが、フランス語で話しかけられたときに
混乱して英語が出てしまうということはなくなりました。
最初の頃は、つい「Yes」と返事してしまった記憶もありますが
もうそれはなくなったようです。
外国語モードとして、英語とフランス語が分かれたんでしょう。
フランス語を話しているときに、英語モードの記憶は
ある程度、抑え込まれるのかもしれません。
だから混ざってしまうことがない、と。
おそらく英語を話しているときにも
日本語モードは抑え込まれているように感じられます。
一方、言いたいことにマッチした単語を探す作業に入ると
これらの”言語モード”の壁は減ってしまうみたいです。
英語を話している最中に適切な単語を記憶の中から探していると、
日本語の単語が先に浮かぶこともありますし、
フランス語の単語が浮かぶこともあります。
もちろん、英語で見つかることもあります。
逆に日本語で適切な言葉を探しているときに
最初に英語が浮かんでくることもあります。
言葉を記憶の中から探す作業は、
自然と言葉を口から出しながら会話をするのとは
違った作業をやっているんだろうと思える部分です。
また、ロシア語やスペイン語を勉強している最中に
ついフランス語が口をついてしまったり
フランス語の単語が先に思い出されてしまったりするのは、
僕の中でフランス語もロシア語もスペイン語も
「外国語」というカテゴリーの中で同類に扱われている
ということの表れかもしれません。
このときに英語は浮かんでこないわけですから
英語を「外国語」と捉えている度合いは弱いのでしょう。
日本語は完全に母国語として独立していて、
英語は1つの別の言語として整理されている。
その他に、フランス語、スペイン語、ロシア語が
「外国語」という1つのカテゴリーになっていて
しっかりと区別されないままに記憶されているような気がします。
その外国語カテゴリーの中で一番進んでいるのがフランス語なので
とっさに「外国語」の中のどれかで話しかけられたりすると
真っ先にフランス語が口をついてしまう、
といった事態になっているんじゃないか、と。
きっとこの先、それぞれの言語の習得が進んでいくと
区別がつくようになってきて、混乱が減っていくだろうと想像しています。
そうなって「外国語」カテゴリーから外れた言語の数が
僕の中で「身につけた」外国語と呼べるものになるのかもしれません。
言語を使う頭の中の整理のされ方などにも
色々と気づくことがあります。
ロシア語とスペイン語を始めてみて発見したのは
授業中とか休憩時間に先生からロシア語・スペイン語で質問されると
とっさにフランス語が口から出てきてしまう
ということでした。
文章を組み立てる練習として取り組んでいるときも
まず先に、フランス語の単語が浮かんできてしまったりします。
ところがフランス語で話しかけられたとき
とっさに英語が出てしまうということは滅多にありません。
もちろんフランス語でも、言いたいことが全て
すぐに自然と口から出てくるレベルではありませんから、
単語を探すのに時間がかかってしまったり、
探しても見つからなかったりすることはあります。
そういう場合、英語の単語のほうが先に浮かんできて
その英単語に相当するフランス語を思い出そうとする状態になります。
こうなる理由の大きなものとして、僕がフランス語を勉強するとき
単語の意味を仏英辞典で調べることがありそうです。
もう1つの理由は、英語とフランス語のほうが近いから。
記憶の中から探索しようとしたとき、近い情報として整理されている
英語のボキャブラリーが引っ張り出されやすいんでしょう。
あとは、英語が僕にとって外国語であることも関係する気がします。
フランス語の単語を探索しているときも、同じ「外国語」という分類で
記憶の検索が行われているんだろうと思われます。
ですが、フランス語で話しかけられたときに
混乱して英語が出てしまうということはなくなりました。
最初の頃は、つい「Yes」と返事してしまった記憶もありますが
もうそれはなくなったようです。
外国語モードとして、英語とフランス語が分かれたんでしょう。
フランス語を話しているときに、英語モードの記憶は
ある程度、抑え込まれるのかもしれません。
だから混ざってしまうことがない、と。
おそらく英語を話しているときにも
日本語モードは抑え込まれているように感じられます。
一方、言いたいことにマッチした単語を探す作業に入ると
これらの”言語モード”の壁は減ってしまうみたいです。
英語を話している最中に適切な単語を記憶の中から探していると、
日本語の単語が先に浮かぶこともありますし、
フランス語の単語が浮かぶこともあります。
もちろん、英語で見つかることもあります。
逆に日本語で適切な言葉を探しているときに
最初に英語が浮かんでくることもあります。
言葉を記憶の中から探す作業は、
自然と言葉を口から出しながら会話をするのとは
違った作業をやっているんだろうと思える部分です。
また、ロシア語やスペイン語を勉強している最中に
ついフランス語が口をついてしまったり
フランス語の単語が先に思い出されてしまったりするのは、
僕の中でフランス語もロシア語もスペイン語も
「外国語」というカテゴリーの中で同類に扱われている
ということの表れかもしれません。
このときに英語は浮かんでこないわけですから
英語を「外国語」と捉えている度合いは弱いのでしょう。
日本語は完全に母国語として独立していて、
英語は1つの別の言語として整理されている。
その他に、フランス語、スペイン語、ロシア語が
「外国語」という1つのカテゴリーになっていて
しっかりと区別されないままに記憶されているような気がします。
その外国語カテゴリーの中で一番進んでいるのがフランス語なので
とっさに「外国語」の中のどれかで話しかけられたりすると
真っ先にフランス語が口をついてしまう、
といった事態になっているんじゃないか、と。
きっとこの先、それぞれの言語の習得が進んでいくと
区別がつくようになってきて、混乱が減っていくだろうと想像しています。
そうなって「外国語」カテゴリーから外れた言語の数が
僕の中で「身につけた」外国語と呼べるものになるのかもしれません。
2018年05月06日
ゴールデンウィーク
ゴールデンウィークの間、僕も仕事が少なくて
世間と同じタイミングで休暇をとっていました。
今年も5月後半にアメリカへ行ってくる予定なので
その準備を色々としていました。
何かを買いに出かけたりすると
街中には大勢の人が溢れていて、
賑やかな人の雰囲気に圧倒されるようでした。
普段、週末にセミナーが入って
平日に休むことが多い僕としては
久しぶりの体験に感じられました。
周りのテンションが高くて、
個人的には気が休まらない時間。
少し買い物をするだけで、ドッと疲れた感じでした。
街中の人たちは疲れないんでしょうか?
せっかくの連休なのに普段よりも疲労が溜まりそうでしたが。
それよりも気分をポジティブな方向に上げておくのが
日頃のストレスから離れる意味で大事なのかもしれません。
日常とのギャップの大きさに
考えさせられることが大きい期間になりました。
世間と同じタイミングで休暇をとっていました。
今年も5月後半にアメリカへ行ってくる予定なので
その準備を色々としていました。
何かを買いに出かけたりすると
街中には大勢の人が溢れていて、
賑やかな人の雰囲気に圧倒されるようでした。
普段、週末にセミナーが入って
平日に休むことが多い僕としては
久しぶりの体験に感じられました。
周りのテンションが高くて、
個人的には気が休まらない時間。
少し買い物をするだけで、ドッと疲れた感じでした。
街中の人たちは疲れないんでしょうか?
せっかくの連休なのに普段よりも疲労が溜まりそうでしたが。
それよりも気分をポジティブな方向に上げておくのが
日頃のストレスから離れる意味で大事なのかもしれません。
日常とのギャップの大きさに
考えさせられることが大きい期間になりました。
2018年05月03日
"Afternoon"の訳
少し前に『ダンケルク』という映画がありました。
戦場をリアルに描いたとして知られていますが、この中のワンシーンで
墜落した戦闘機から脱出するところがあります。
パラシュートでは墜落前に脱出することができず、
海に落下してしまう。
パイロットはハッチを開けて飛行機から抜け出そうとしますが、
ハッチが故障していて開かず、飛行機に閉じ込められてしまいます。
そして飛行機はそのまま海に沈んでいく。
どんどんコクピット内に海水が流れ込んできて、
必死にハッチを壊して開けようとしても開かない。
ついにコクピット内は海水で一杯になり、
パイロットは溺れかける…そんな緊迫のシーン。
そのとき、墜落の様子を目撃していた船が近づいてきて
ハッチのガラスを叩き割ってパイロットを助けてくれます。
以下の動画は、その部分だけをカットしてあります。
字幕なしの英語ですが、言葉がなくても分かるほどの緊迫感です。
そして最後、助かったパイロットが
船から差し出される棒を掴みながら一言
「Afternoon.」と言うんです(3'08"のシーン)。
ちょっと聴き取りにくいかもしれませんが
イギリス人特有の発音です。
で、なぜ「Afternoon.」なのか。
これは"Good Afternoon."を簡略化した"Afternoon."ですから
いたって普通の挨拶なんです。
とはいえ"Hello."や"Hi."ではない。
少し行儀のいい、紳士的・社交的な挨拶としての"Afternoon."。
まして助けてもらったのに"Thank you."でもないわけです。
もうギリギリのところで助けてもらって
まさに九死に一生を得たという状況で、
あえて何事もなかったかのように
公共の場での社交的な挨拶として"Afternoon."と言う。
こういう発想が、実にイギリス文化なんだとか。
イギリス人の好きなSarcasm(皮肉)というヤツです。
お互いに皮肉が皮肉だと理解しているからこそ
その意味がただの「こんにちは」ではないことも伝わる。
けれど、そんなときでも皮肉を忘れない。
このあたりの感じを、どう訳したらいいのかと考えると
すごく難しいだろうと思います。
字幕にしたら1秒分の4文字しか使えないので
実際に関わった翻訳者は苦労したことでしょう。
文化と結びついた言葉を外国語として理解するのは
一見すると簡単そうな言葉ほど、難しいものなのかもしれません。
戦場をリアルに描いたとして知られていますが、この中のワンシーンで
墜落した戦闘機から脱出するところがあります。
パラシュートでは墜落前に脱出することができず、
海に落下してしまう。
パイロットはハッチを開けて飛行機から抜け出そうとしますが、
ハッチが故障していて開かず、飛行機に閉じ込められてしまいます。
そして飛行機はそのまま海に沈んでいく。
どんどんコクピット内に海水が流れ込んできて、
必死にハッチを壊して開けようとしても開かない。
ついにコクピット内は海水で一杯になり、
パイロットは溺れかける…そんな緊迫のシーン。
そのとき、墜落の様子を目撃していた船が近づいてきて
ハッチのガラスを叩き割ってパイロットを助けてくれます。
以下の動画は、その部分だけをカットしてあります。
字幕なしの英語ですが、言葉がなくても分かるほどの緊迫感です。
そして最後、助かったパイロットが
船から差し出される棒を掴みながら一言
「Afternoon.」と言うんです(3'08"のシーン)。
ちょっと聴き取りにくいかもしれませんが
イギリス人特有の発音です。
で、なぜ「Afternoon.」なのか。
これは"Good Afternoon."を簡略化した"Afternoon."ですから
いたって普通の挨拶なんです。
とはいえ"Hello."や"Hi."ではない。
少し行儀のいい、紳士的・社交的な挨拶としての"Afternoon."。
まして助けてもらったのに"Thank you."でもないわけです。
もうギリギリのところで助けてもらって
まさに九死に一生を得たという状況で、
あえて何事もなかったかのように
公共の場での社交的な挨拶として"Afternoon."と言う。
こういう発想が、実にイギリス文化なんだとか。
イギリス人の好きなSarcasm(皮肉)というヤツです。
お互いに皮肉が皮肉だと理解しているからこそ
その意味がただの「こんにちは」ではないことも伝わる。
けれど、そんなときでも皮肉を忘れない。
このあたりの感じを、どう訳したらいいのかと考えると
すごく難しいだろうと思います。
字幕にしたら1秒分の4文字しか使えないので
実際に関わった翻訳者は苦労したことでしょう。
文化と結びついた言葉を外国語として理解するのは
一見すると簡単そうな言葉ほど、難しいものなのかもしれません。