2019年10月
2019年10月25日
札幌に来ました
とても慌ただしい日が続いていました。
たまたま多くのことが重なっている感じですが。
セミナーだけなら体力の問題ですから
休むことに注力すれば対応可能です。
そこにデスクワークが重なると回復が追いつかなくなるというか、
手が回らない印象が出てきてしまいます。
例年通り、この時期は書道の作品制作なんかも重なって
時間をとるのが大変になりがちです。
今年は11月の頭に、アメリカから講師を招いて行うセミナーがあって
そちらのお手伝いが予定されてまして、その関係で
とりわけ慌ただしさが増しているような印象です。
準備もさることながら、その期間に動けないのも
前倒しでバタバタした時間を増やしている気がします。
そんなこともあって今回の書道の作品は、一枚書き上げるのに
あまり時間のかからないものを選んではいるのですが…。
それでも余裕はなくなっているのを実感します。
珍しく語学で欠席することも増えてしまいました。
日本語から離れるとリフレッシュできる部分があるのは知っていても
身動きが取れなくなると休息が優先されがちです。
混んでいる電車に乗らないといけないのも
語学を休む大きな理由かもしれません。
近頃は、平日にセミナーがある日に
朝早く自宅を出るようになりました。
集合時間に丁度いい時間を狙って行こうとすると
どうしても朝の通勤ラッシュの影響を受けてしまいます。
以前はそれでも我慢して乗っていたんですが
最近は早く行くほうが楽に思えてきた形です。
セミナー会場はビジネス街にある建物を利用することが大半のため
近所の店も7時からしかオープンしません。
なので7時に現地に到着して、コーヒーでも飲みながら待機する。
その間、パソコンで作業をしたりして。
…そんなスタイルなら良いかと思っていました。
が、実態はそんなに甘くありません。
7時に到着する時間だと、すでに電車は混み始めています。
ギュウギュウ詰めではないものの、
すぐ近くに人が複数立っているような状態にはなってしまいました。
ちょっと揺れると隣の人と当たってしまうぐらいの混み具合。
6時台の電車はすでに混んでいるようなんです。
7時ごろに都心に到着して時間を潰すスタイルの人は
それなりに多いんでしょう。
ということで仕方なく、僕は5時半ごろに出て
セミナー会場の最寄り駅には6時半前に到着するスタイルとなりました。
これなら、まぁ多少は電車内も余裕があります。
僕が乗る駅で、運が良ければ座席が車両に1,2か所あいているぐらい。
とはいえ、大体そういう空席は、体格の大きい人の影響で
スペースが狭めになっていて敬遠されている空間です。
ですから空席があっても、当然、立っている人たちもいます。
多少はパーソナルスペースを保ったまま目的の駅まで辿り着ける。
そのぐらいの混雑度合いです。
6時前の時点でこんなにも利用客が多いのかと思うと
東京の電車事情はスゴイものだなぁと感じます。
そして会場の最寄り駅に到着する時刻では
どこの店も開いていませんから、
7時の開店まで時間を潰さなくてはいけません。
セミナー会場の建物については、入館証があるので
とりあえず非常口を通って入ることまではできます。
しかし電気がついていないんです。
なので、ここで暗い中を待機をするか。
あるいは駅のホームで時間を潰すか。
あとはコンビニあたりでウロウロしているか、でしょうか。
今のところ選択肢はこれぐらいです。
ということで、平日のセミナーの日は早起きなんです。
10年以上前、名古屋で平日にセミナーをやっていたころは
自宅の最寄り駅に6時に着くぐらいの出発時刻だったものです。
それで名古屋駅に8時半過ぎに着いて、
セミナー会場の集合時刻9時には余裕がある感じ。
その頃よりも出発が早まっているんだから妙な気分です。
で、講師が眠気を我慢しながらセミナーをやるわけにはいきませんので
前日も早めに就寝するようにしています。
これもまた全体的なスケジュールを慌ただしくさせている要因でしょう。
そしてセミナー終了後、帰宅するための電車も、混雑を避けるために
空いている電車が来るまで乗らずに待っていたり、
少しでも混雑が少ないルートに迂回したりして余計に時間がかかります。
なんとも都会の生活が厳しくなってきたようです。
11月頭にお手伝いするアメリカ人講師のセミナーに関しても
平日の日程が入ってしまいますから、通勤が少し心配なところ。
それと比べると、札幌は時間がゆっくりな気がします。
特に10月末のこの時期は観光客も少なめなようで
なんだか落ち着いた印象を受けます。
空港からの電車も、あんなに空いていたのは初めてでした。
外国人観光客が少ないのでしょうか。
雪もまだなく、気温も都内とさほど変わらず、まだ秋の様子です。
慌ただしい日が続いていただけに、いくらか気が楽になる感じがします。
残念なのは、たまたま泊まったホテルに団体客がいて声が大きいのと、
ホテルの全館空調が強烈な暖房として入っていて
暑苦しくて眠れないところぐらい。
北海道の人は暖房の設定が強めのようです。
一長一短ですね。
外国人観光客が少なめの時期だから、国内の団体客が入る。
まだ冬にならないから暖房が効きすぎて暑い。
そんなに都合よくはいかないものなんでしょう。
たまたま多くのことが重なっている感じですが。
セミナーだけなら体力の問題ですから
休むことに注力すれば対応可能です。
そこにデスクワークが重なると回復が追いつかなくなるというか、
手が回らない印象が出てきてしまいます。
例年通り、この時期は書道の作品制作なんかも重なって
時間をとるのが大変になりがちです。
今年は11月の頭に、アメリカから講師を招いて行うセミナーがあって
そちらのお手伝いが予定されてまして、その関係で
とりわけ慌ただしさが増しているような印象です。
準備もさることながら、その期間に動けないのも
前倒しでバタバタした時間を増やしている気がします。
そんなこともあって今回の書道の作品は、一枚書き上げるのに
あまり時間のかからないものを選んではいるのですが…。
それでも余裕はなくなっているのを実感します。
珍しく語学で欠席することも増えてしまいました。
日本語から離れるとリフレッシュできる部分があるのは知っていても
身動きが取れなくなると休息が優先されがちです。
混んでいる電車に乗らないといけないのも
語学を休む大きな理由かもしれません。
近頃は、平日にセミナーがある日に
朝早く自宅を出るようになりました。
集合時間に丁度いい時間を狙って行こうとすると
どうしても朝の通勤ラッシュの影響を受けてしまいます。
以前はそれでも我慢して乗っていたんですが
最近は早く行くほうが楽に思えてきた形です。
セミナー会場はビジネス街にある建物を利用することが大半のため
近所の店も7時からしかオープンしません。
なので7時に現地に到着して、コーヒーでも飲みながら待機する。
その間、パソコンで作業をしたりして。
…そんなスタイルなら良いかと思っていました。
が、実態はそんなに甘くありません。
7時に到着する時間だと、すでに電車は混み始めています。
ギュウギュウ詰めではないものの、
すぐ近くに人が複数立っているような状態にはなってしまいました。
ちょっと揺れると隣の人と当たってしまうぐらいの混み具合。
6時台の電車はすでに混んでいるようなんです。
7時ごろに都心に到着して時間を潰すスタイルの人は
それなりに多いんでしょう。
ということで仕方なく、僕は5時半ごろに出て
セミナー会場の最寄り駅には6時半前に到着するスタイルとなりました。
これなら、まぁ多少は電車内も余裕があります。
僕が乗る駅で、運が良ければ座席が車両に1,2か所あいているぐらい。
とはいえ、大体そういう空席は、体格の大きい人の影響で
スペースが狭めになっていて敬遠されている空間です。
ですから空席があっても、当然、立っている人たちもいます。
多少はパーソナルスペースを保ったまま目的の駅まで辿り着ける。
そのぐらいの混雑度合いです。
6時前の時点でこんなにも利用客が多いのかと思うと
東京の電車事情はスゴイものだなぁと感じます。
そして会場の最寄り駅に到着する時刻では
どこの店も開いていませんから、
7時の開店まで時間を潰さなくてはいけません。
セミナー会場の建物については、入館証があるので
とりあえず非常口を通って入ることまではできます。
しかし電気がついていないんです。
なので、ここで暗い中を待機をするか。
あるいは駅のホームで時間を潰すか。
あとはコンビニあたりでウロウロしているか、でしょうか。
今のところ選択肢はこれぐらいです。
ということで、平日のセミナーの日は早起きなんです。
10年以上前、名古屋で平日にセミナーをやっていたころは
自宅の最寄り駅に6時に着くぐらいの出発時刻だったものです。
それで名古屋駅に8時半過ぎに着いて、
セミナー会場の集合時刻9時には余裕がある感じ。
その頃よりも出発が早まっているんだから妙な気分です。
で、講師が眠気を我慢しながらセミナーをやるわけにはいきませんので
前日も早めに就寝するようにしています。
これもまた全体的なスケジュールを慌ただしくさせている要因でしょう。
そしてセミナー終了後、帰宅するための電車も、混雑を避けるために
空いている電車が来るまで乗らずに待っていたり、
少しでも混雑が少ないルートに迂回したりして余計に時間がかかります。
なんとも都会の生活が厳しくなってきたようです。
11月頭にお手伝いするアメリカ人講師のセミナーに関しても
平日の日程が入ってしまいますから、通勤が少し心配なところ。
それと比べると、札幌は時間がゆっくりな気がします。
特に10月末のこの時期は観光客も少なめなようで
なんだか落ち着いた印象を受けます。
空港からの電車も、あんなに空いていたのは初めてでした。
外国人観光客が少ないのでしょうか。
雪もまだなく、気温も都内とさほど変わらず、まだ秋の様子です。
慌ただしい日が続いていただけに、いくらか気が楽になる感じがします。
残念なのは、たまたま泊まったホテルに団体客がいて声が大きいのと、
ホテルの全館空調が強烈な暖房として入っていて
暑苦しくて眠れないところぐらい。
北海道の人は暖房の設定が強めのようです。
一長一短ですね。
外国人観光客が少なめの時期だから、国内の団体客が入る。
まだ冬にならないから暖房が効きすぎて暑い。
そんなに都合よくはいかないものなんでしょう。
2019年10月13日
比べると気づける
数年前までは海外ドラマの『メンタリスト』のDVDが
一年に一度、1シーズン分として発売されていて、
これを毎年購入して見ていたんです。
内容はもちろん毎回、展開がありますが
メインとなる登場人物は基本的に同じ。
ボキャブラリーも似通ったものになりやすいと思われます。
なので、一年に一度、このDVDシリーズを見ると
自分の英語のリスニング力をチェックできていたんです。
一年ぶりに同じシリーズに接したとき
前よりも内容が英語のまま入ってきやすい。
となると聴解力が上がっているのではないか。
そんな判断材料でもあったわけです。
ところが最近は海外ドラマのDVDを買うこともありません。
たまにアメリカに行ってテレビを見れば
確かに英語のチェックにはなります。
ただ、これは比較が難しいんです。
同じシリーズだから比べる基準があったんだと実感します。
また先日も海外のトレーナーを招待して
そのコーディネーター役をやったんですが、
こちらもやはり初対面なので対比は難しい。
むしろ事務的なやりとりをするための日常的なボキャブラリーが
使えるものになっていないためにスムーズでない体験をして
そちらばかりが際立って印象に残ったりもしました。
というわけで自分の英語について振り返る機会もなく、
英語力が伸びているのか自覚できていなかった、という話です。
で最近、11月に再来日するアメリカ人講師の講座について
テキストの一部をチェックする機会があったんです。
そのテキストも翻訳は、前書きを除いて僕が数年前にやりました。
もうハッキリとは覚えていないため、前書きの日本語を見たとき
「こんな訳を自分がするかな?」と感じることがあったんですが、
調べてみたら、その部分に自分の関与はありませんでした。
むしろ本文に入ると、なんとなく見覚えがある。
完成版を見て違和感のあるところをチェックすると、
自分の翻訳とは少し表現が変わっている部分でした。
最後にまとまて編集をした方が、
用語の統一や日本語の理解しやすさのために
手を入れたんだろうと思われます。
そう考えると、意外と記憶に残っているものなんだと思えました。
英文のほうに変更点があるということで
一通り元の文章をチェックしながら見直してみると、
自分の日本語訳なので、奇妙なところはすぐに見つかります。
こんな訳をするかな?と思って
古いテキストの英文と、新しい英文とを比べると
その部分に変更が見つかる。
そんな感じでチェックを進めました。
すると、そもそも英語の訳のニュアンスとして
あまりシックリこないところもあったんです。
英文のほうで変更はないけれど、
数年前の自分の訳の仕方がイマイチ。
その理由で手を入れ直した部分があります。
これは数年前に自分が翻訳したものだから
今の自分と対比させることができた、と言えそうです。
英語の理解力として、数年前よりも、いくらかは
細かい意味を捉えられるようになったのかもしれません。
当時は馴染みがなくて
適切な日本語を見つけられなかった英語のフレーズも、
ここ数年のうちに何度も接して、自然と意味を掴んでいた…
そんな可能性もありそうです。
いずれにしても、自分のやったことを改めてチェックすると
改善点の形で「新たに気づけるようになったこと」が
浮き彫りになってくるようです。
おそらくこれは翻訳だけではないでしょう。
自分が英語で書いた文章も何年後かにチェックすると
自分の英語力の伸びを自覚する材料になりそうです。
語学だけにも限らないはずです。
自分が過去に作った資料を数年後に見直す、なんていうのも
自分の理解の深まりを知る機会になるんじゃないでしょうか。
一年に一度、1シーズン分として発売されていて、
これを毎年購入して見ていたんです。
内容はもちろん毎回、展開がありますが
メインとなる登場人物は基本的に同じ。
ボキャブラリーも似通ったものになりやすいと思われます。
なので、一年に一度、このDVDシリーズを見ると
自分の英語のリスニング力をチェックできていたんです。
一年ぶりに同じシリーズに接したとき
前よりも内容が英語のまま入ってきやすい。
となると聴解力が上がっているのではないか。
そんな判断材料でもあったわけです。
ところが最近は海外ドラマのDVDを買うこともありません。
たまにアメリカに行ってテレビを見れば
確かに英語のチェックにはなります。
ただ、これは比較が難しいんです。
同じシリーズだから比べる基準があったんだと実感します。
また先日も海外のトレーナーを招待して
そのコーディネーター役をやったんですが、
こちらもやはり初対面なので対比は難しい。
むしろ事務的なやりとりをするための日常的なボキャブラリーが
使えるものになっていないためにスムーズでない体験をして
そちらばかりが際立って印象に残ったりもしました。
というわけで自分の英語について振り返る機会もなく、
英語力が伸びているのか自覚できていなかった、という話です。
で最近、11月に再来日するアメリカ人講師の講座について
テキストの一部をチェックする機会があったんです。
そのテキストも翻訳は、前書きを除いて僕が数年前にやりました。
もうハッキリとは覚えていないため、前書きの日本語を見たとき
「こんな訳を自分がするかな?」と感じることがあったんですが、
調べてみたら、その部分に自分の関与はありませんでした。
むしろ本文に入ると、なんとなく見覚えがある。
完成版を見て違和感のあるところをチェックすると、
自分の翻訳とは少し表現が変わっている部分でした。
最後にまとまて編集をした方が、
用語の統一や日本語の理解しやすさのために
手を入れたんだろうと思われます。
そう考えると、意外と記憶に残っているものなんだと思えました。
英文のほうに変更点があるということで
一通り元の文章をチェックしながら見直してみると、
自分の日本語訳なので、奇妙なところはすぐに見つかります。
こんな訳をするかな?と思って
古いテキストの英文と、新しい英文とを比べると
その部分に変更が見つかる。
そんな感じでチェックを進めました。
すると、そもそも英語の訳のニュアンスとして
あまりシックリこないところもあったんです。
英文のほうで変更はないけれど、
数年前の自分の訳の仕方がイマイチ。
その理由で手を入れ直した部分があります。
これは数年前に自分が翻訳したものだから
今の自分と対比させることができた、と言えそうです。
英語の理解力として、数年前よりも、いくらかは
細かい意味を捉えられるようになったのかもしれません。
当時は馴染みがなくて
適切な日本語を見つけられなかった英語のフレーズも、
ここ数年のうちに何度も接して、自然と意味を掴んでいた…
そんな可能性もありそうです。
いずれにしても、自分のやったことを改めてチェックすると
改善点の形で「新たに気づけるようになったこと」が
浮き彫りになってくるようです。
おそらくこれは翻訳だけではないでしょう。
自分が英語で書いた文章も何年後かにチェックすると
自分の英語力の伸びを自覚する材料になりそうです。
語学だけにも限らないはずです。
自分が過去に作った資料を数年後に見直す、なんていうのも
自分の理解の深まりを知る機会になるんじゃないでしょうか。
2019年10月03日
ポイントが失効するまで
随分とブログを放ったらかしにしていました。
二週間ぶりぐらいでしょうか。
ですが、それ以上に久しぶりだったのが本屋です。
先日、新宿の大型書店で本を買いました。
以前は頻繁に通っていた、お気に入りの本屋。
そこは書店には珍しくポイントカードがあって
大量に本を買い込んでいた時期には、いくらかお得に利用できたんです。
しかもそちらには併設のカフェもあって、一定額以上を購入すると
そこで使えるコーヒー一杯無料券をサービスしてもらえました。
(多分、今でもあるんじゃないかと思いますが)
本をたくさん読んでいた頃の僕は、3,4冊をまとめ買いしては
そのままカフェに移動して、そちらで買った本を読む…
なんてパターンをよくしていたんです。
大型書店には喫茶店併設のことは意外とあるものですから
この「まとめ買い→もらったチケットでコーヒーを飲みつつ読書」
の行動パターンは、何軒かの本屋でやっていたものです。
ですが新宿のその書店は、店内の雰囲気がオシャレな感じだったり、
本の探しやすさ、中身をチェックするときの空間的余裕があったり、
大型の割りに人が少なめだったりと、
色々な点で他の書店よりも僕の好みに合っていたようなんです。
ですから僕の住まいには、そちらの書店のブックカバーがついた本とか
そちらの書店のビニール袋に入れて小分けにした物とか、
ヘビーユーザーだった痕跡が沢山あります。
当然、そちらで発行しているポイントカードには
それなりの額のポイント残高があったと記憶していました。
ところが先日、久しぶりにそちらの書店に足を運び、
三冊ぐらい本を買ってみて驚きました。
ポイントが全て失効していたんです。
随分と久しぶりの気がしていましたが、
どうやら年単位で行っていなかったみたいです。
こんなにも時間の経過が速いとは…。
そして、こんなにも長い間、本から離れていたとは…。
もちろん、本を全く読まなかったわけではありません。
たまにAmazonで購入したりはしていましたし、
洋書をKindleで読むことはありました。
それでも量は確実に減っています。
何より、読む本のジャンルが変わってしまっていますから
それで本屋に行く頻度も下がったんだろうと思います。
思い返せば、僕が最初に本を読むようになったのは
大学生の頃、心理読み物の本でした。
一般教養で精神分析の授業を取って、その教授が加藤諦三氏だったので
そこからその先生の本を読むようになりました。
応用化学科に在籍していた当時から、心のことは好きだったんでしょう。
キャンパス内にも教科書をメインで販売する大学生協の書店がありましたが
一般書も一部売られていたので、そこでも本を見ていた思い出があります。
大学院の頃だったか、今でこそ大人気の内藤誼人氏が最初の本を出版して
平積みになっていた本を立ち読みして、すぐに購入、
これも夢中で読んだ記憶があります。
おそらく僕が心理系の技術、コミュニケーションの”方法”というものに
興味を持ったのは、この本からだったはずです。
そして心理系・コミュニケーション系に興味を持ったまま
会社員になって、山口県に3年ほど住みます。
このとき、初めて尽くしのストレスが重なり、
気分転換に利用できる娯楽が本ぐらいしか見つからなかったため、
一気に本を読む量が増えました。
本当は運動でもすれば気分も発散できたのでしょうが、
鬱々とした時期は、意識が内攻的になる分
体を動かすよりも本を読みたくなっていたんだろうと思われます。
その後、転勤で東京に戻ってきて、なんとなく速読教室に通い始めます。
当時の動機は「英語の論文を早く読みたい」というものでした。
まだ研究を頑張るつもりでしたから。
このときが「お金を払って何かを勉強しに行く」初めての体験です。
小田急線で新宿に出て、JRで池袋に移動、
そこにあった速読教室に行っていました。
当然、道中には大型書店が数軒あります。
速読のトレーニングをしているわけですから
自分で買って本を読む「実践」の頻度も上がりました。
そのときにビジネス書や自己啓発書を読むようになったんです。
そして少しして、NLPの講座に参加しました。
割りと高額のセミナーに参加する決意ができたのは、それ以前に
速読教室で「お金を払って勉強する」下地を作っていたからでしょう。
そしてNLPを一気に一通り学び、あとは専門的な知識を得るために
NLP関連の本、心理学の本、心理療法の本、脳科学の本などを読み漁りました。
専門書が増えた時期です。
しかし、そういう専門書の購入量も数年前から減ってきていました。
良くいえば、ある程度は自分の中で理解がまとまってきた、ということでしょう。
専門家として自分の見解がまとまり、他の専門家を対等に見るようになった…
とも言えるかもしれません。
研究職時代に論文を読むのは、あくまで他の研究者の事情を把握して
世の中全体で得られている情報をシェアするためでした。
何かを教わろう、学び取ろう、という話ではありません。
そんな感じに似ていると思います。
他の専門家の見解や、新たに発見された科学的な裏付けを
情報としてチェックすることはあっても、
「専門家が書いた本から学ぶ」というスタンスは減ったみたいです。
自然と「インプットのための読書」をする機会は少なくなりました。
むしろ娯楽としての読書の側面が高まったかもしれません。
が、娯楽の頻度は決して高くありません。
本屋を離れるのも不思議ではないでしょう。
最近になっても購入することがあったのは語学関連の本。
これは「本から学ぶ」とか「読んで楽しむ」とかよりも
語学のトレーニングのための練習素材として、の趣旨が強いです。
あまり読書とは言えない気がします。
自習教材を買っているだけ。
そして自習教材となると、書店が全てではなくなります。
むしろ評判のいいものを手に入れるには、通販が都合が良かったり。
なので書店で本を買うことも減っていたんでしょう。
数年間もお気に入りの本屋で購入しなかったのも納得です。
買う本の種類によって
どのように自分の興味の対象が移り変わっているか
を客観的に把握することも可能です。
同時に、書店の利用目的によっても
自分の「本に対するスタンス」がどのように変わっているか
を振り返ることもできるようです。
本が密接に関わっていた過去があるからこそ
本との関わりを通じて振り返れる内容も大きいのかもしれません。
ちなみに先日久しぶりに買った本は、すべて仏教系のものでした。
そのあたりも自分の変遷を感じさせます。
二週間ぶりぐらいでしょうか。
ですが、それ以上に久しぶりだったのが本屋です。
先日、新宿の大型書店で本を買いました。
以前は頻繁に通っていた、お気に入りの本屋。
そこは書店には珍しくポイントカードがあって
大量に本を買い込んでいた時期には、いくらかお得に利用できたんです。
しかもそちらには併設のカフェもあって、一定額以上を購入すると
そこで使えるコーヒー一杯無料券をサービスしてもらえました。
(多分、今でもあるんじゃないかと思いますが)
本をたくさん読んでいた頃の僕は、3,4冊をまとめ買いしては
そのままカフェに移動して、そちらで買った本を読む…
なんてパターンをよくしていたんです。
大型書店には喫茶店併設のことは意外とあるものですから
この「まとめ買い→もらったチケットでコーヒーを飲みつつ読書」
の行動パターンは、何軒かの本屋でやっていたものです。
ですが新宿のその書店は、店内の雰囲気がオシャレな感じだったり、
本の探しやすさ、中身をチェックするときの空間的余裕があったり、
大型の割りに人が少なめだったりと、
色々な点で他の書店よりも僕の好みに合っていたようなんです。
ですから僕の住まいには、そちらの書店のブックカバーがついた本とか
そちらの書店のビニール袋に入れて小分けにした物とか、
ヘビーユーザーだった痕跡が沢山あります。
当然、そちらで発行しているポイントカードには
それなりの額のポイント残高があったと記憶していました。
ところが先日、久しぶりにそちらの書店に足を運び、
三冊ぐらい本を買ってみて驚きました。
ポイントが全て失効していたんです。
随分と久しぶりの気がしていましたが、
どうやら年単位で行っていなかったみたいです。
こんなにも時間の経過が速いとは…。
そして、こんなにも長い間、本から離れていたとは…。
もちろん、本を全く読まなかったわけではありません。
たまにAmazonで購入したりはしていましたし、
洋書をKindleで読むことはありました。
それでも量は確実に減っています。
何より、読む本のジャンルが変わってしまっていますから
それで本屋に行く頻度も下がったんだろうと思います。
思い返せば、僕が最初に本を読むようになったのは
大学生の頃、心理読み物の本でした。
一般教養で精神分析の授業を取って、その教授が加藤諦三氏だったので
そこからその先生の本を読むようになりました。
応用化学科に在籍していた当時から、心のことは好きだったんでしょう。
キャンパス内にも教科書をメインで販売する大学生協の書店がありましたが
一般書も一部売られていたので、そこでも本を見ていた思い出があります。
大学院の頃だったか、今でこそ大人気の内藤誼人氏が最初の本を出版して
平積みになっていた本を立ち読みして、すぐに購入、
これも夢中で読んだ記憶があります。
おそらく僕が心理系の技術、コミュニケーションの”方法”というものに
興味を持ったのは、この本からだったはずです。
そして心理系・コミュニケーション系に興味を持ったまま
会社員になって、山口県に3年ほど住みます。
このとき、初めて尽くしのストレスが重なり、
気分転換に利用できる娯楽が本ぐらいしか見つからなかったため、
一気に本を読む量が増えました。
本当は運動でもすれば気分も発散できたのでしょうが、
鬱々とした時期は、意識が内攻的になる分
体を動かすよりも本を読みたくなっていたんだろうと思われます。
その後、転勤で東京に戻ってきて、なんとなく速読教室に通い始めます。
当時の動機は「英語の論文を早く読みたい」というものでした。
まだ研究を頑張るつもりでしたから。
このときが「お金を払って何かを勉強しに行く」初めての体験です。
小田急線で新宿に出て、JRで池袋に移動、
そこにあった速読教室に行っていました。
当然、道中には大型書店が数軒あります。
速読のトレーニングをしているわけですから
自分で買って本を読む「実践」の頻度も上がりました。
そのときにビジネス書や自己啓発書を読むようになったんです。
そして少しして、NLPの講座に参加しました。
割りと高額のセミナーに参加する決意ができたのは、それ以前に
速読教室で「お金を払って勉強する」下地を作っていたからでしょう。
そしてNLPを一気に一通り学び、あとは専門的な知識を得るために
NLP関連の本、心理学の本、心理療法の本、脳科学の本などを読み漁りました。
専門書が増えた時期です。
しかし、そういう専門書の購入量も数年前から減ってきていました。
良くいえば、ある程度は自分の中で理解がまとまってきた、ということでしょう。
専門家として自分の見解がまとまり、他の専門家を対等に見るようになった…
とも言えるかもしれません。
研究職時代に論文を読むのは、あくまで他の研究者の事情を把握して
世の中全体で得られている情報をシェアするためでした。
何かを教わろう、学び取ろう、という話ではありません。
そんな感じに似ていると思います。
他の専門家の見解や、新たに発見された科学的な裏付けを
情報としてチェックすることはあっても、
「専門家が書いた本から学ぶ」というスタンスは減ったみたいです。
自然と「インプットのための読書」をする機会は少なくなりました。
むしろ娯楽としての読書の側面が高まったかもしれません。
が、娯楽の頻度は決して高くありません。
本屋を離れるのも不思議ではないでしょう。
最近になっても購入することがあったのは語学関連の本。
これは「本から学ぶ」とか「読んで楽しむ」とかよりも
語学のトレーニングのための練習素材として、の趣旨が強いです。
あまり読書とは言えない気がします。
自習教材を買っているだけ。
そして自習教材となると、書店が全てではなくなります。
むしろ評判のいいものを手に入れるには、通販が都合が良かったり。
なので書店で本を買うことも減っていたんでしょう。
数年間もお気に入りの本屋で購入しなかったのも納得です。
買う本の種類によって
どのように自分の興味の対象が移り変わっているか
を客観的に把握することも可能です。
同時に、書店の利用目的によっても
自分の「本に対するスタンス」がどのように変わっているか
を振り返ることもできるようです。
本が密接に関わっていた過去があるからこそ
本との関わりを通じて振り返れる内容も大きいのかもしれません。
ちなみに先日久しぶりに買った本は、すべて仏教系のものでした。
そのあたりも自分の変遷を感じさせます。