2019年11月
2019年11月25日
脂が合いません
コレステロールが問題になって、食生活を変え
半年以上になりました。
そろそろ一度病院に行って、血液検査をするタイミングです。
今の食事パターンにしてから一ヶ月半ぐらいで
許容範囲までコレステロールが下がったので、
まあ、おそらく大丈夫だろうとは思うんですが。
とはいえ、栄養のせいか、元気がないというか
カスカスな感じが続きまして、
最近は意図的に油分を取るようにしています。
ナッツ類とか、青魚とかの油です。
その意味で、違ってきてはいるんです。
厳格ではない。
そこが気になるところですね。
ダメだとしたら、相当に減らさないといけませんから。
一方、この食生活に馴染んできたと感じるのは
豚や牛の脂、乳脂肪が重たい印象になってきたからです。
とりわけ、先日
お付き合いで鉄板焼きの店に行ったとき
翌朝に吐き気が出てしまいました。
牛肉の脂が多かった気はしないんですが、
ソースに使うバターが多かったんでしょう。
身体は生活スタイルに適応するものなのかもしれません。
僕の場合、動物脂肪の摂取が控え目な状態が標準になった、
といいますか。
反面、肌がカサカサする度合いは上がったような気もします。
栄養分としての脂質は必要そうな印象を受けます。
身体にいいとされる油を取ろうかと考え中です。
個人的にはクルミあたりを視野に入れているんですが、
素焼きで無塩のヤツばかりなんです。
塩味が欲しい。
ネットで探してみます。
なんだか、こういうのを考えていると
食品の影響を自分で調べたくなってきます。
主観的に体調をチェックするのと、
客観的な血液のデータを見るのと、両方で。
結局、僕が一番手に入れたいのは
血液検査のキットなんだろうと思います。
半年以上になりました。
そろそろ一度病院に行って、血液検査をするタイミングです。
今の食事パターンにしてから一ヶ月半ぐらいで
許容範囲までコレステロールが下がったので、
まあ、おそらく大丈夫だろうとは思うんですが。
とはいえ、栄養のせいか、元気がないというか
カスカスな感じが続きまして、
最近は意図的に油分を取るようにしています。
ナッツ類とか、青魚とかの油です。
その意味で、違ってきてはいるんです。
厳格ではない。
そこが気になるところですね。
ダメだとしたら、相当に減らさないといけませんから。
一方、この食生活に馴染んできたと感じるのは
豚や牛の脂、乳脂肪が重たい印象になってきたからです。
とりわけ、先日
お付き合いで鉄板焼きの店に行ったとき
翌朝に吐き気が出てしまいました。
牛肉の脂が多かった気はしないんですが、
ソースに使うバターが多かったんでしょう。
身体は生活スタイルに適応するものなのかもしれません。
僕の場合、動物脂肪の摂取が控え目な状態が標準になった、
といいますか。
反面、肌がカサカサする度合いは上がったような気もします。
栄養分としての脂質は必要そうな印象を受けます。
身体にいいとされる油を取ろうかと考え中です。
個人的にはクルミあたりを視野に入れているんですが、
素焼きで無塩のヤツばかりなんです。
塩味が欲しい。
ネットで探してみます。
なんだか、こういうのを考えていると
食品の影響を自分で調べたくなってきます。
主観的に体調をチェックするのと、
客観的な血液のデータを見るのと、両方で。
結局、僕が一番手に入れたいのは
血液検査のキットなんだろうと思います。
2019年11月19日
見覚えのある顔
最近は単調な日々が続いているのか、
自分の中で思うことが減っているのか、
ブログを書く内容が頭に上がってきません。
いつの間にか季節は冬に近づいているようです。
そんな中、先日、ジムで気になることがありました。
1,2か月ぐらい前には、なんだかやたらと夜の時間が混雑して
同じような新しい顔ぶれが集まることが多かったんですが、
最近はまた混雑が落ち着いて人が減ってきました。
夜が寒くなったせいで来なくなったのか、
その時間を避ける人が出始めたのか、
あるいは新しい顔ぶれは既に退会したのか…。
体験入会があるジムではなさそうですが
最初の月ぐらいは価格が安かったりはするみたいなので
出入りは激しいのかもしれません。
もしかすると単純に、本人の中でブームが去って
会費を払いながらジムに来ていないだけかもしれませんが。
で、1、2週間ぐらい前から、また新しい顔を見るようになりました。
その一人が大柄なアフリカ系アメリカ人なんです。
坊主頭で、ボブ・サップほどの体格ではないものの
アメフトとかやっていそうな感じの人です。
この人が、すごく見覚えあるんです。
多分、高確率で、英会話学校の先生だと思います。
僕が一番最初に通った英会話学校のベルリッツで
何回かレッスンを担当した先生じゃないか、と。
名前も朧気に記憶しています。
最寄り駅前のベルリッツでしたから
講師が近所に住んでいる場合、僕と街中で遭遇する可能性はあります。
ただし、僕がベルリッツに通っていたのは2010年の夏。
もう9年前です。
身長はおそらく、あれぐらいだった気がします。
一方、体格はあそこまで大きくはなかった…。
まぁ、10年近く経てば、肉がつくことはあるでしょう。
だからこそジムに来始めたのかもしれませんし。
顔は多分、あんな感じだったはず。
ところがチョット自信がないんです。
ハリウッド映画なんかだと、日本人役を
中国人やアジア系アメリカ人が演じていたりするじゃないですか。
アメリカ人からすると見慣れない東アジア人の顔は似て見えてしまう。
区別をつけられるほど見ている経験の量がないんです。
犬も同じです。
同じ犬種で名前を呼び分けられるのは見慣れている人に限られます。
同様に、僕からするとアフリカ系の顔立ちは見慣れていません。
しかも当時は特に、英語を勉強し始めたところで
海外出身の人と接する機会も少なかった時期です。
おんなじ感じに見えてしまっていたかもしれません。
たぶん、あの先生だとは思うんですが…。
イマイチ自信が持てないんです。
思い切って話しかけてしまう手もあるでしょう。
しかしながら、24時間営業のジムで話をしている人は少ない。
一人で黙々と運動するために来ている人たちの集まりです。
そもそも話しかけるのが適切かどうか不明です。
実際、ジムにいるその人は常にイヤホンをしています。
それに、その人が僕を覚えていない可能性もあります。
10年近く前の英会話学校の生徒の一人です。
講師をしていれば多くの日本人と出会いますから
一人ひとりを覚えていない可能性も高いでしょう。
そんなに回数が多かったわけでもありません。
回数が多くなかったのに、なぜ僕が覚えているのか?
こんなにも気になっているのか?
それは当時の僕にとって、その先生のレッスンが合わなかったからです。
ベルリッツは基本的に先生を選べません。
時間だけ予約して、誰が担当になるかは当日に分かる仕組みでした。
ただ、よほどの場合、どの先生を充てるかを
事務の人に工夫はしてもらえました。
それで僕は、唯一、その先生だけ
レッスンから外してもらうようにお願いしていたんです。
今なら対応できるでしょうが、本当に英会話学校に通い始めたばかりでは
あの先生のレッスンスタイルは効果が感じられませんでした。
しかもベルリッツの授業料は、なかなか高額ですから。
せっかくなら納得できる授業数を重ねたかったのを覚えています。
僕がその先生を拒んだことが当人に伝わっているかは知りません。
伝わっていなかったとしても、薄々は分かるでしょう。
担当するレッスン数が変わると思います。
仮に、そのジムに来ているアフリカ系アメリカ人の大柄な人が
ベルリッツで何度かレッスンを受けていた先生だったとして…。
お互いに仲良く話すほどの間柄ではありませんし、
向こうが覚えていない可能性もありますし、むしろ覚えていたとしたら
良くない印象で覚えている場合も十分にあり得ます。
実際に僕だって、当時のベルリッツで出会った先生のうち
顔と名前を認識できるのは多分、数人です。
十数人の講師の中から2,3人なんです。
そのうち2人は高頻度だった先生。
何度かしかレッスンを受けていないのに覚えているのは
「レッスンが合わなくて断ってしまった」という
ちょっとした気まずさからです。
ネガティブな感情が記憶を強めたんでしょう。
なので、お互いに覚えている可能性があるとしたら
それはあまり良い意味ではないんじゃないか、と。
だとするとジムにいるその人が、あのベルリッツの先生だったとして
話しかけるのは避けておいたほうが無難かもしれない。
そんなことを思いながら、彼の存在を意識しつつ運動しています。
自分の中で思うことが減っているのか、
ブログを書く内容が頭に上がってきません。
いつの間にか季節は冬に近づいているようです。
そんな中、先日、ジムで気になることがありました。
1,2か月ぐらい前には、なんだかやたらと夜の時間が混雑して
同じような新しい顔ぶれが集まることが多かったんですが、
最近はまた混雑が落ち着いて人が減ってきました。
夜が寒くなったせいで来なくなったのか、
その時間を避ける人が出始めたのか、
あるいは新しい顔ぶれは既に退会したのか…。
体験入会があるジムではなさそうですが
最初の月ぐらいは価格が安かったりはするみたいなので
出入りは激しいのかもしれません。
もしかすると単純に、本人の中でブームが去って
会費を払いながらジムに来ていないだけかもしれませんが。
で、1、2週間ぐらい前から、また新しい顔を見るようになりました。
その一人が大柄なアフリカ系アメリカ人なんです。
坊主頭で、ボブ・サップほどの体格ではないものの
アメフトとかやっていそうな感じの人です。
この人が、すごく見覚えあるんです。
多分、高確率で、英会話学校の先生だと思います。
僕が一番最初に通った英会話学校のベルリッツで
何回かレッスンを担当した先生じゃないか、と。
名前も朧気に記憶しています。
最寄り駅前のベルリッツでしたから
講師が近所に住んでいる場合、僕と街中で遭遇する可能性はあります。
ただし、僕がベルリッツに通っていたのは2010年の夏。
もう9年前です。
身長はおそらく、あれぐらいだった気がします。
一方、体格はあそこまで大きくはなかった…。
まぁ、10年近く経てば、肉がつくことはあるでしょう。
だからこそジムに来始めたのかもしれませんし。
顔は多分、あんな感じだったはず。
ところがチョット自信がないんです。
ハリウッド映画なんかだと、日本人役を
中国人やアジア系アメリカ人が演じていたりするじゃないですか。
アメリカ人からすると見慣れない東アジア人の顔は似て見えてしまう。
区別をつけられるほど見ている経験の量がないんです。
犬も同じです。
同じ犬種で名前を呼び分けられるのは見慣れている人に限られます。
同様に、僕からするとアフリカ系の顔立ちは見慣れていません。
しかも当時は特に、英語を勉強し始めたところで
海外出身の人と接する機会も少なかった時期です。
おんなじ感じに見えてしまっていたかもしれません。
たぶん、あの先生だとは思うんですが…。
イマイチ自信が持てないんです。
思い切って話しかけてしまう手もあるでしょう。
しかしながら、24時間営業のジムで話をしている人は少ない。
一人で黙々と運動するために来ている人たちの集まりです。
そもそも話しかけるのが適切かどうか不明です。
実際、ジムにいるその人は常にイヤホンをしています。
それに、その人が僕を覚えていない可能性もあります。
10年近く前の英会話学校の生徒の一人です。
講師をしていれば多くの日本人と出会いますから
一人ひとりを覚えていない可能性も高いでしょう。
そんなに回数が多かったわけでもありません。
回数が多くなかったのに、なぜ僕が覚えているのか?
こんなにも気になっているのか?
それは当時の僕にとって、その先生のレッスンが合わなかったからです。
ベルリッツは基本的に先生を選べません。
時間だけ予約して、誰が担当になるかは当日に分かる仕組みでした。
ただ、よほどの場合、どの先生を充てるかを
事務の人に工夫はしてもらえました。
それで僕は、唯一、その先生だけ
レッスンから外してもらうようにお願いしていたんです。
今なら対応できるでしょうが、本当に英会話学校に通い始めたばかりでは
あの先生のレッスンスタイルは効果が感じられませんでした。
しかもベルリッツの授業料は、なかなか高額ですから。
せっかくなら納得できる授業数を重ねたかったのを覚えています。
僕がその先生を拒んだことが当人に伝わっているかは知りません。
伝わっていなかったとしても、薄々は分かるでしょう。
担当するレッスン数が変わると思います。
仮に、そのジムに来ているアフリカ系アメリカ人の大柄な人が
ベルリッツで何度かレッスンを受けていた先生だったとして…。
お互いに仲良く話すほどの間柄ではありませんし、
向こうが覚えていない可能性もありますし、むしろ覚えていたとしたら
良くない印象で覚えている場合も十分にあり得ます。
実際に僕だって、当時のベルリッツで出会った先生のうち
顔と名前を認識できるのは多分、数人です。
十数人の講師の中から2,3人なんです。
そのうち2人は高頻度だった先生。
何度かしかレッスンを受けていないのに覚えているのは
「レッスンが合わなくて断ってしまった」という
ちょっとした気まずさからです。
ネガティブな感情が記憶を強めたんでしょう。
なので、お互いに覚えている可能性があるとしたら
それはあまり良い意味ではないんじゃないか、と。
だとするとジムにいるその人が、あのベルリッツの先生だったとして
話しかけるのは避けておいたほうが無難かもしれない。
そんなことを思いながら、彼の存在を意識しつつ運動しています。
2019年11月08日
東京にいながら
今年の慌ただしさのピークは過ぎたような感じです。
10月末から11月の初めにかけて約一週間、
アメリカから招聘した先生のワークショップを手伝う機会がありました。
同じ内容の講座は過去にも開催していたため
事前準備として多くのことがあったわけではありません。
先生とも既に顔見知りでしたし、その点では気楽だったともいえます。
が、セミナーの開始時間が朝の9時などと早めだったうえに
会場がお台場だったこともあって、朝のスタートが早かったんです。
なので初めて、都内にホテルをとることになりました。
自宅から片道1時間ぐらいの場所とはいえ、
往復時間として毎日2時間が節約できるのは意外と大きかったです。
先生の接待で夕飯に同行したりもありましたから
睡眠時間を確保できたのは助かりました。
僕の仕事はワークショップ中に先生がホワイトボードに書いた内容を
その場で日本語に直して提示する担当。
通訳の方が口頭の作業に専念できるように、ということです。
あとは先生の送迎。
タクシーに同行するだけですが、
日本語が話せない先生を一人でタクシーに乗せるわけにもいきませんし、
支払いのことなんかも考えると送迎係は必要だったんでしょう。
おかげさまで僕自身は、先生と話す時間を多めにいただけました。
しかしながら、自分の興味で質問をしては先生に負担をかけそうですから
なるべく無難な話をしつつ、かつ先生が関心を持ちそうな
日本文化の話あたりに終始する、というのは意外と気を遣いました。
世界各国で講座をしているせいか、文化の違いにも興味があるようで
日本文化的な配慮についても実感ができる様子だったのも印象的です。
すべてを言葉にすることなく、行為や言葉の裏に込められた
相手への気配りや敬意を汲み取り、
それに対して同様の気配りで意図を伝え返す。
ちょうど茶道をやっている人たちが
作法に込められた意図を丁寧に感じ取りあいながら
間接的にお互いの気持ちを交流する、というような感じでしょうか。
アメリカ人でありながら、そのあたりを味わえる先生のようでした。
世界中を見て回っているのもあるでしょうが、
それ以上に人の心を理解しようというスタンスが大きいと思われます。
接待で同行した天ぷら屋でも、他のお客さんの様子を見ながら
その関係性なんかを観察から見立てて話したりしていましたし。
とはいえ、心理学の知識に当てはめて
客観的に「分析」や「診断」をするのとは違います。
その人がやっている行動から気持ちを汲み取り、
その人の内面を「分かろうとする」という主観的なスタンスです。
わざわざ相手の立場に入っていって、共感をして、状況理解に繋げる。
大学の先生には珍しい、実践的な人なんだと思われます。
実際、教授になるまでの経緯も異端だったそうです。
学会や教授会からの評価を求めて論文を書いて地位を高めるのではなく、
実社会で役に立つ情報を書籍で広めたり、
学生や企業と直接のワークショップで交流して成長を促したりするうちに
人気が出てきたから大学側も教授にせざるを得なくなった…
そんなことがあったんだとか。
アカデミックな世界に身を置きながらも
あえてアカデミックな人たちのほうに背を向け、
学生や社会のほうに向いて人と関わってきた人物。
もちろん、自分の伝えている手法を誰よりも多く実践し、
自らの内面と向き合ってきたとも言っていました。
だからこそ意図的に人と関わることができて、
相手の気持ちを汲み取りながらメッセージを届けることもできるんでしょう。
僕が付き人的に気を遣っていた日本文化的な意図についても
かなりの部分を汲み取ってくれていたようでした。
それに対して直接的に言葉でコメントをしてくれることもありましたし、
それに応えるような意図を間接的な表現で示してくれることもありました。
お互いに気を遣っていて、自覚的なコミュニケーションがなされていて、
それは漫然と気軽に過ごすタイプの時間ではありませんでしたが、反面
丁寧に心を込めた時間だったともいえるかもしれません。
いろいろな意味で貴重な時間を過ごさせていただきました。
ちなみに時間的余裕があるはずの都内のホテル滞在でしたが、
自分がセミナーをやっているのとは質の違う疲労感が大きくて
のんびりした時間にはなりませんでした。
疲れて眠るだけ、といった感じ。
ある日には、急に「講座中に動画を見せたい」という話になって
その内容の書き起こしと翻訳をホテルでやったりもしました。
こちらに関しては結局、睡眠時間がむしろ削られてしまう形。
まぁ、自宅に戻っていたら終わらなかった作業でしょうから
ホテルを取っていて大正解、といったところですが。
普段だったら電車で通うような場所に泊っていることも含め
なんだか非日常的な時間だった印象です。
10月末から11月の初めにかけて約一週間、
アメリカから招聘した先生のワークショップを手伝う機会がありました。
同じ内容の講座は過去にも開催していたため
事前準備として多くのことがあったわけではありません。
先生とも既に顔見知りでしたし、その点では気楽だったともいえます。
が、セミナーの開始時間が朝の9時などと早めだったうえに
会場がお台場だったこともあって、朝のスタートが早かったんです。
なので初めて、都内にホテルをとることになりました。
自宅から片道1時間ぐらいの場所とはいえ、
往復時間として毎日2時間が節約できるのは意外と大きかったです。
先生の接待で夕飯に同行したりもありましたから
睡眠時間を確保できたのは助かりました。
僕の仕事はワークショップ中に先生がホワイトボードに書いた内容を
その場で日本語に直して提示する担当。
通訳の方が口頭の作業に専念できるように、ということです。
あとは先生の送迎。
タクシーに同行するだけですが、
日本語が話せない先生を一人でタクシーに乗せるわけにもいきませんし、
支払いのことなんかも考えると送迎係は必要だったんでしょう。
おかげさまで僕自身は、先生と話す時間を多めにいただけました。
しかしながら、自分の興味で質問をしては先生に負担をかけそうですから
なるべく無難な話をしつつ、かつ先生が関心を持ちそうな
日本文化の話あたりに終始する、というのは意外と気を遣いました。
世界各国で講座をしているせいか、文化の違いにも興味があるようで
日本文化的な配慮についても実感ができる様子だったのも印象的です。
すべてを言葉にすることなく、行為や言葉の裏に込められた
相手への気配りや敬意を汲み取り、
それに対して同様の気配りで意図を伝え返す。
ちょうど茶道をやっている人たちが
作法に込められた意図を丁寧に感じ取りあいながら
間接的にお互いの気持ちを交流する、というような感じでしょうか。
アメリカ人でありながら、そのあたりを味わえる先生のようでした。
世界中を見て回っているのもあるでしょうが、
それ以上に人の心を理解しようというスタンスが大きいと思われます。
接待で同行した天ぷら屋でも、他のお客さんの様子を見ながら
その関係性なんかを観察から見立てて話したりしていましたし。
とはいえ、心理学の知識に当てはめて
客観的に「分析」や「診断」をするのとは違います。
その人がやっている行動から気持ちを汲み取り、
その人の内面を「分かろうとする」という主観的なスタンスです。
わざわざ相手の立場に入っていって、共感をして、状況理解に繋げる。
大学の先生には珍しい、実践的な人なんだと思われます。
実際、教授になるまでの経緯も異端だったそうです。
学会や教授会からの評価を求めて論文を書いて地位を高めるのではなく、
実社会で役に立つ情報を書籍で広めたり、
学生や企業と直接のワークショップで交流して成長を促したりするうちに
人気が出てきたから大学側も教授にせざるを得なくなった…
そんなことがあったんだとか。
アカデミックな世界に身を置きながらも
あえてアカデミックな人たちのほうに背を向け、
学生や社会のほうに向いて人と関わってきた人物。
もちろん、自分の伝えている手法を誰よりも多く実践し、
自らの内面と向き合ってきたとも言っていました。
だからこそ意図的に人と関わることができて、
相手の気持ちを汲み取りながらメッセージを届けることもできるんでしょう。
僕が付き人的に気を遣っていた日本文化的な意図についても
かなりの部分を汲み取ってくれていたようでした。
それに対して直接的に言葉でコメントをしてくれることもありましたし、
それに応えるような意図を間接的な表現で示してくれることもありました。
お互いに気を遣っていて、自覚的なコミュニケーションがなされていて、
それは漫然と気軽に過ごすタイプの時間ではありませんでしたが、反面
丁寧に心を込めた時間だったともいえるかもしれません。
いろいろな意味で貴重な時間を過ごさせていただきました。
ちなみに時間的余裕があるはずの都内のホテル滞在でしたが、
自分がセミナーをやっているのとは質の違う疲労感が大きくて
のんびりした時間にはなりませんでした。
疲れて眠るだけ、といった感じ。
ある日には、急に「講座中に動画を見せたい」という話になって
その内容の書き起こしと翻訳をホテルでやったりもしました。
こちらに関しては結局、睡眠時間がむしろ削られてしまう形。
まぁ、自宅に戻っていたら終わらなかった作業でしょうから
ホテルを取っていて大正解、といったところですが。
普段だったら電車で通うような場所に泊っていることも含め
なんだか非日常的な時間だった印象です。