2007年04月27日
最大の命題について思うところ
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おしらせ
緊急開催! NLP特別セミナー
早期割引期間 残り3日
受講料の早期割引は4月30日までとなっております。
初級 :(通常)20,000円 → (早期割引)15,000円
中級 :(通常)40,000円 → (早期割引)30,000円
初級+中級:(通常)55,000円 → (早期割引)40,000円
迷われていた方はお早目のご決断をお勧めいたします。
お申し込みとセミナー詳細はこちらから
セミナー内容の説明はこちら
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セミナーの案内から始まってしまって恐縮ですが
まだ多少の残席がありますので、お早めにお申し込みいただけたらと思います。
さて。
つい先日、とても重要なことを学びました。
それは僕が心に正面から向き合うキッカケとなったことと深く関係していることです。
僕自身がいつも問い続け、考え続けている重要な命題と言ってもいいでしょう。
本当に慎重に考えていながらも、自分自身を突き動かす原動力ともなっているものです。
それは「変化」ということです。
NLPにせよ、コールドリーディングにせよ、心理療法にせよ、
人と関わっていくことが本質です。
これは断言できます。
無人島に一人きりなら絶対にいらない技術です。
そして人と人が関わりあう以上、必ずお互いに影響が出ます。
必ず何らかの変化が生じるんです。
その時、NLPもコールドリーディングもコーチングもカウンセリングも心理療法も、
ある目的をもって相手と接することになるわけです。
悩みを解消することであったり、
自分を癒すことであったり、
目標を達成することであったり。
なんらかの変化が目的になっていると言えるのではないでしょうか。
ここで重要なのは、「相手が変化を望んでいる」ということです。
変化を望んでいる人がやってくるわけです。
心を扱うプロとしては、変化を望んでいる人を相手にすることになります。
・・・言っている内容が本心かどうかは抜きにして。
ところが。
日常ではどうでしょうか?
相手が変化を望んでいないことなんてザラにあります。
相手は好きなように行動したい。
でも、自分はそれが気に入らない。
仕事でも家庭でも社会生活でも。
「なんでそんなことするんだろう?もっとこうして欲しいのに」
それは相手に変化を求めているのかもしれません。
僕が色々と心のことなどを学び始めたころ、
あるセミナーで石井裕之先生に質問をしました。
100人弱の会場の一受講者として質問をしました。
どんな質問でもいい、という話でしたので。
その時に、石井先生から言われた一言が、今も心に深く刻まれています。
「人を変えようとしてはいけません」
そのときの質問はかなり曖昧だったはずです。
困っている人にどう接したらいいか?ぐらいに。
その回答は予想と大きく違いました。
「どうして困ってるって分かるんですか?好きでやってるかもしれないじゃないですか?」
「泣いているからって、どうして悲しいって分かるんですか?
泣くのが趣味かもしれないじゃないですか?」
それ以来、僕は「変化」ということに対して真剣に考えています。
「人を変えようとしてはいけない」
でもまだ、正直なところ、全然分かっていないと思います。
車椅子の方がいたとき、どう接したらいいのか?
街中で、目の不自由な方と出会ったとき、どうするのがいいのか?
道で、うずくまっている方がいたとき、どうすべきなのか?
泣いている人を見かけたとき、どうしたらいいのか?
大きな荷物を抱えたお年寄りと出会ったとき、手伝うべきなのか?
何かの形で関わろうとするとき、それは人を変えようとしているのではないだろうか?
その時に選択する行動は、本当に相手のためを思ってのことなのか?
その状況に自分が我慢できないから、自分のためにしているのではないのか?
ひねくれた見方でしょうか?
でも僕は、自分とは違う、他人という存在に対してだからこそ考えるんです。
だから僕は「おせっかい」という言葉に対して、いくらか過敏になっています。
「親切」と「おせっかい」の違いって何なのでしょう?
相手が何かの状態から「変わりたくない」ときには
「変えようとしない」方がいいのかもしれません。
でも、本当は変わりたいのに「変わりたい」って言わない人もいるでしょう。
本当は助けて欲しいときに「助けて」って言葉で言わないという人も。
そっとしておいて欲しいときもあれば
かまって欲しいときもある。
それが言葉で表されていないとき、どうすればいいのでしょうか?
いや、言葉になっていても、それが本心じゃない場合もあるでしょう。
誰かに対して、何かをするとき、それは相手が望む変化なのでしょうか?
変えようとしてはいけない。
だったら、人に対しては積極的には何も関わらないほうが良いのでしょうか?
親切って何ですか?
優しさって何なんですか?
人を幸せにするってどういうことですか?
僕はいつも自分に問いかけています。
変化、ということについて。
「人を変えようとしてはいけない」ということについて。
でも、この間、少しだけ理解できた部分があります。
それは・・・。
変化の前には必ず安定が必要だということです。
まずは安定すること。
安定した状態になれば勝手に望ましい変化は始まる。
まるで種から芽が出て、植物が成長していくように。
これは、基本的にはプロとして人と関わっていく上でのスタンスかもしれませんが。
色々学び、考えて、やっぱり分からないことだらけです。
だって、不安定な状態から安定することだって、変化には違いないわけですから。
それでも、ただひとつ、納得して言えるのは
僕の目指すべきところだけかもしれません。
変えようとすることもなく、何をするでもなく、
ただ自分がいるだけで、近くにいる人達の悩みが勝手に解消していく。
どこまで近づけるでしょうかね。
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僕自身がいつも問い続け、考え続けている重要な命題と言ってもいいでしょう。
本当に慎重に考えていながらも、自分自身を突き動かす原動力ともなっているものです。
それは「変化」ということです。
NLPにせよ、コールドリーディングにせよ、心理療法にせよ、
人と関わっていくことが本質です。
これは断言できます。
無人島に一人きりなら絶対にいらない技術です。
そして人と人が関わりあう以上、必ずお互いに影響が出ます。
必ず何らかの変化が生じるんです。
その時、NLPもコールドリーディングもコーチングもカウンセリングも心理療法も、
ある目的をもって相手と接することになるわけです。
悩みを解消することであったり、
自分を癒すことであったり、
目標を達成することであったり。
なんらかの変化が目的になっていると言えるのではないでしょうか。
ここで重要なのは、「相手が変化を望んでいる」ということです。
変化を望んでいる人がやってくるわけです。
心を扱うプロとしては、変化を望んでいる人を相手にすることになります。
・・・言っている内容が本心かどうかは抜きにして。
ところが。
日常ではどうでしょうか?
相手が変化を望んでいないことなんてザラにあります。
相手は好きなように行動したい。
でも、自分はそれが気に入らない。
仕事でも家庭でも社会生活でも。
「なんでそんなことするんだろう?もっとこうして欲しいのに」
それは相手に変化を求めているのかもしれません。
僕が色々と心のことなどを学び始めたころ、
あるセミナーで石井裕之先生に質問をしました。
100人弱の会場の一受講者として質問をしました。
どんな質問でもいい、という話でしたので。
その時に、石井先生から言われた一言が、今も心に深く刻まれています。
「人を変えようとしてはいけません」
そのときの質問はかなり曖昧だったはずです。
困っている人にどう接したらいいか?ぐらいに。
その回答は予想と大きく違いました。
「どうして困ってるって分かるんですか?好きでやってるかもしれないじゃないですか?」
「泣いているからって、どうして悲しいって分かるんですか?
泣くのが趣味かもしれないじゃないですか?」
それ以来、僕は「変化」ということに対して真剣に考えています。
「人を変えようとしてはいけない」
でもまだ、正直なところ、全然分かっていないと思います。
車椅子の方がいたとき、どう接したらいいのか?
街中で、目の不自由な方と出会ったとき、どうするのがいいのか?
道で、うずくまっている方がいたとき、どうすべきなのか?
泣いている人を見かけたとき、どうしたらいいのか?
大きな荷物を抱えたお年寄りと出会ったとき、手伝うべきなのか?
何かの形で関わろうとするとき、それは人を変えようとしているのではないだろうか?
その時に選択する行動は、本当に相手のためを思ってのことなのか?
その状況に自分が我慢できないから、自分のためにしているのではないのか?
ひねくれた見方でしょうか?
でも僕は、自分とは違う、他人という存在に対してだからこそ考えるんです。
だから僕は「おせっかい」という言葉に対して、いくらか過敏になっています。
「親切」と「おせっかい」の違いって何なのでしょう?
相手が何かの状態から「変わりたくない」ときには
「変えようとしない」方がいいのかもしれません。
でも、本当は変わりたいのに「変わりたい」って言わない人もいるでしょう。
本当は助けて欲しいときに「助けて」って言葉で言わないという人も。
そっとしておいて欲しいときもあれば
かまって欲しいときもある。
それが言葉で表されていないとき、どうすればいいのでしょうか?
いや、言葉になっていても、それが本心じゃない場合もあるでしょう。
誰かに対して、何かをするとき、それは相手が望む変化なのでしょうか?
変えようとしてはいけない。
だったら、人に対しては積極的には何も関わらないほうが良いのでしょうか?
親切って何ですか?
優しさって何なんですか?
人を幸せにするってどういうことですか?
僕はいつも自分に問いかけています。
変化、ということについて。
「人を変えようとしてはいけない」ということについて。
でも、この間、少しだけ理解できた部分があります。
それは・・・。
変化の前には必ず安定が必要だということです。
まずは安定すること。
安定した状態になれば勝手に望ましい変化は始まる。
まるで種から芽が出て、植物が成長していくように。
これは、基本的にはプロとして人と関わっていく上でのスタンスかもしれませんが。
色々学び、考えて、やっぱり分からないことだらけです。
だって、不安定な状態から安定することだって、変化には違いないわけですから。
それでも、ただひとつ、納得して言えるのは
僕の目指すべきところだけかもしれません。
変えようとすることもなく、何をするでもなく、
ただ自分がいるだけで、近くにいる人達の悩みが勝手に解消していく。
どこまで近づけるでしょうかね。