2007年06月07日
自分の価値
コア・ビリーフという考え方があります。
生育過程で手に入れてきた根本にある信念。
僕の場合はこれでした。
「自分には価値がない」
妙にシックリくる言葉だったんです。
頭では、もう大丈夫だと思っていても、確信が持てていませんでした。
自信を持つために、頑張って、能力で自信を補ってきていました。
能力が拠り所だったような気がします。
そこに自分の存在価値を求めていたようです。
だから、できないことが大嫌いでした。
とんでもない負けず嫌いです。
負ける勝負だったら逃げる主義でした。
小学校で一輪車が流行ったとき、僕は負けるのが嫌で乗ろうともしませんでした。
ここでは言いませんが、自分の中の色々な傾向が
「根本的に自分に自信が持てない」ということで説明できてしまっていたんです。
自分で自分を愛する、ということを頭で分かっていても
なかなか出来ていませんでした。
今、自分は幸せだなぁと思っていても、
同時に「自分には意味がない」と思っていた部分もありました。
喜びも苦しみも、生きているから感じられる、
生きていて良かったなぁ、と思っている一方で、
「自分の存在には価値がない」というような思いもあったようです。
もちろん100%ということはありません。
そんな風に自分を受け入れられない自分もいるんだと許している部分もありました。
くれぐれも、両親を責めているわけではありません。
両親の愛情には感謝しています。
自分は恵まれていると思って生きてきました。
頭でそう分かっていても、どうしても感じてしまう根本的な思い。
いつもどこかポッカリしている感覚。
それは誰かに埋めてもらうものではない、
自分で自分を愛することで埋めていくものだ、と気づいていました。
でも、できていなかった。
自分には価値がない。
自分の価値を感じたい。
自分が生きている価値を感じたい。
自分が生きていることそのものを大切な価値だと思いたい。
孤独に似たこの感覚。
幸せだと思うんだけど・・・。なんでだろう?
それが分かった気がしました。
自分の中ではそうとしか思えなかった。
自分が生きていることが価値あることだと思いたい・・・
そうではありませんでした。
自分が生きていることに感謝したい。
僕は両親に感謝がしたかったみたいです。
自分が今、生きていることを。
それを堂々と感謝したかった。
だから直接伝えました。
やっと言えました。
ありがとう。
僕にはずっと自信がありませんでした。
でも、これからは少し自信を持ち始めることができるのかもしれません。
・・・この記事、いずれ恥ずかしくなって削除するかもしれません。
生育過程で手に入れてきた根本にある信念。
僕の場合はこれでした。
「自分には価値がない」
妙にシックリくる言葉だったんです。
頭では、もう大丈夫だと思っていても、確信が持てていませんでした。
自信を持つために、頑張って、能力で自信を補ってきていました。
能力が拠り所だったような気がします。
そこに自分の存在価値を求めていたようです。
だから、できないことが大嫌いでした。
とんでもない負けず嫌いです。
負ける勝負だったら逃げる主義でした。
小学校で一輪車が流行ったとき、僕は負けるのが嫌で乗ろうともしませんでした。
ここでは言いませんが、自分の中の色々な傾向が
「根本的に自分に自信が持てない」ということで説明できてしまっていたんです。
自分で自分を愛する、ということを頭で分かっていても
なかなか出来ていませんでした。
今、自分は幸せだなぁと思っていても、
同時に「自分には意味がない」と思っていた部分もありました。
喜びも苦しみも、生きているから感じられる、
生きていて良かったなぁ、と思っている一方で、
「自分の存在には価値がない」というような思いもあったようです。
もちろん100%ということはありません。
そんな風に自分を受け入れられない自分もいるんだと許している部分もありました。
くれぐれも、両親を責めているわけではありません。
両親の愛情には感謝しています。
自分は恵まれていると思って生きてきました。
頭でそう分かっていても、どうしても感じてしまう根本的な思い。
いつもどこかポッカリしている感覚。
それは誰かに埋めてもらうものではない、
自分で自分を愛することで埋めていくものだ、と気づいていました。
でも、できていなかった。
自分には価値がない。
自分の価値を感じたい。
自分が生きている価値を感じたい。
自分が生きていることそのものを大切な価値だと思いたい。
孤独に似たこの感覚。
幸せだと思うんだけど・・・。なんでだろう?
それが分かった気がしました。
自分の中ではそうとしか思えなかった。
自分が生きていることが価値あることだと思いたい・・・
そうではありませんでした。
自分が生きていることに感謝したい。
僕は両親に感謝がしたかったみたいです。
自分が今、生きていることを。
それを堂々と感謝したかった。
だから直接伝えました。
やっと言えました。
ありがとう。
僕にはずっと自信がありませんでした。
でも、これからは少し自信を持ち始めることができるのかもしれません。
・・・この記事、いずれ恥ずかしくなって削除するかもしれません。
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この記事へのコメント
1. Posted by さっちゃん 2007年06月21日 17:31
はじめてコメントさせていただきます。
自分の価値・・・。
私も、すごく低いと感じます。
だからと言って、全否定的なわけでもなく、
根拠の無い自信はあったり、傲慢だったり・・・。
では、どんな所で感じているかというと、
なかなか自己主張できない。って所です。
例えば、
「自分が何をしたいか?」
食べたいもの、やりたいこと、生き方・・・etc.
自分の欲求を押さえつけて我慢して生きてきた気がします。
こんな風に自分を大切に出来ていないってことは、
自分に価値を感じていないことへの裏返しではないかな?と。
だから、原田さん、このスレッドは削除しないでくださいね!
これを励みに、自分を大事にできるよう頑張りたいから・・・。
自分の価値・・・。
私も、すごく低いと感じます。
だからと言って、全否定的なわけでもなく、
根拠の無い自信はあったり、傲慢だったり・・・。
では、どんな所で感じているかというと、
なかなか自己主張できない。って所です。
例えば、
「自分が何をしたいか?」
食べたいもの、やりたいこと、生き方・・・etc.
自分の欲求を押さえつけて我慢して生きてきた気がします。
こんな風に自分を大切に出来ていないってことは、
自分に価値を感じていないことへの裏返しではないかな?と。
だから、原田さん、このスレッドは削除しないでくださいね!
これを励みに、自分を大事にできるよう頑張りたいから・・・。
2. Posted by 原田幸治 2007年06月25日 01:59
さっちゃんさん
暖かいコメントをありがとうございます。
じゃあ、消去しません。
僕も時間がたってから見直して、
大切な気持ちを再確認してみようと思います。
暖かいコメントをありがとうございます。
じゃあ、消去しません。
僕も時間がたってから見直して、
大切な気持ちを再確認してみようと思います。