2007年06月14日
覚えられたいこと
スピリチュアルブームだそうです。
それは実感します。
書店に行っても、テレビを見ても、
以前では考えられなかったような内容が普通に取り扱われています。
それどころか、かなり人気があるようです。
で、スピリチュアルというと神秘的なものとか、
幽霊とか前世とかオーラとか、そういった印象が強いようですが、
割りと伝統的な心理学でも宗教でもスピリチュアルということは考えられてきました。
「自分を超えた何か」というような捉え方が分かりやすい気がします。
西洋的な宗教では比較的なじみのあるものなのかもしれませんが、
仏教でも根本的な部分では「霊性」として重視されるものでもあるようです。
人の意識ということで突き詰めていくと、
自分以外の何かというのが必ず重要な位置を占めてくる。
それは大切な家族であったり、国であったり、人類全般であったり、
どこまで強く意識できるかは人によりますが、誰もが持ちうるものなのだと思います。
NLPではニューロロジカルレベルといって、
意識を、環境、行動、能力、価値観、自己認識、の五段階と、
それに加えて、自分を超えた存在としてのスピリチュアルに分類します。
この環境というのが誤解を生みやすい気はしますが、
自分以外の大切な何かというのは環境ではなく
スピリチュアルなものとして考えるわけです。
心理学で有名なマズローの欲求段階説でも、
本によっては五段階だけではなく、自己実現欲求を超えた位置に
「自己超越欲求」というのを置く場合もあります。
トランスパーソナル心理学なんていうのは
まさに自分を超えたものとの統合を狙ったものと言ってもよいかもしれません。
そして、自分を超えた何か、という意味でのスピリチュアルなものに意識が向くと
自分が他者のために何をすべきか、という視点に立てると思うんです。
「自分は他者との関係のなかで、どのようにありたいのか?」
そのことを考えていくことが、
自分の人生をどう生きていくかという意味において1つ重要な要素かと思います。
僕は自己認識として、
「可能性と本質を追究することにおいて、あきらめが悪い」
というものを持っていますが、
これは直そうったって直せるものじゃない気もします。
それぐらいに染み付いた感じのするものです。
一方、自分がこれから『どうしていきたい』か、という観点からはどうか。
それについて先日、なんとなく1つの想いに気づきました。
自分は、どうありたいか?
「自分が人に伝えることを、自分で出来ている人」
になりたいんです。
そういう人として、他人に見られたいんです。
もしかすると、それは変わってしまうこともあるかもしれません。
でも、それは僕にとって非常に重要な要素であることに違いはありません。
自分への課題だと言っても良いのでしょうね。
それは実感します。
書店に行っても、テレビを見ても、
以前では考えられなかったような内容が普通に取り扱われています。
それどころか、かなり人気があるようです。
で、スピリチュアルというと神秘的なものとか、
幽霊とか前世とかオーラとか、そういった印象が強いようですが、
割りと伝統的な心理学でも宗教でもスピリチュアルということは考えられてきました。
「自分を超えた何か」というような捉え方が分かりやすい気がします。
西洋的な宗教では比較的なじみのあるものなのかもしれませんが、
仏教でも根本的な部分では「霊性」として重視されるものでもあるようです。
人の意識ということで突き詰めていくと、
自分以外の何かというのが必ず重要な位置を占めてくる。
それは大切な家族であったり、国であったり、人類全般であったり、
どこまで強く意識できるかは人によりますが、誰もが持ちうるものなのだと思います。
NLPではニューロロジカルレベルといって、
意識を、環境、行動、能力、価値観、自己認識、の五段階と、
それに加えて、自分を超えた存在としてのスピリチュアルに分類します。
この環境というのが誤解を生みやすい気はしますが、
自分以外の大切な何かというのは環境ではなく
スピリチュアルなものとして考えるわけです。
心理学で有名なマズローの欲求段階説でも、
本によっては五段階だけではなく、自己実現欲求を超えた位置に
「自己超越欲求」というのを置く場合もあります。
トランスパーソナル心理学なんていうのは
まさに自分を超えたものとの統合を狙ったものと言ってもよいかもしれません。
そして、自分を超えた何か、という意味でのスピリチュアルなものに意識が向くと
自分が他者のために何をすべきか、という視点に立てると思うんです。
「自分は他者との関係のなかで、どのようにありたいのか?」
そのことを考えていくことが、
自分の人生をどう生きていくかという意味において1つ重要な要素かと思います。
僕は自己認識として、
「可能性と本質を追究することにおいて、あきらめが悪い」
というものを持っていますが、
これは直そうったって直せるものじゃない気もします。
それぐらいに染み付いた感じのするものです。
一方、自分がこれから『どうしていきたい』か、という観点からはどうか。
それについて先日、なんとなく1つの想いに気づきました。
自分は、どうありたいか?
「自分が人に伝えることを、自分で出来ている人」
になりたいんです。
そういう人として、他人に見られたいんです。
もしかすると、それは変わってしまうこともあるかもしれません。
でも、それは僕にとって非常に重要な要素であることに違いはありません。
自分への課題だと言っても良いのでしょうね。