2007年10月29日
共感するとき
先日、たまたま通りかかった動物病院の中が目に入りました。
一人の20代後半ぐらいの男性が獣医さんと話している様子が
窓ガラス越しに見えたんです。
獣医の先生は一通りの話をし終えたらしく、
奥の部屋へと入っていきました。
と同時に、その男性は外へ出るべく後ろを振り返りました。
そのときの男性の振り返りかた。
振り返った後の姿勢。
肩の辺りを中心に、腰ぐらいまでに現れた様々な情報が
その男性の胸中を表しているように見えました。
そして、その男性は肩を丸めたまま、動物病院のドアから出てきました。
夜だったので、暗くて顔は見えませんでしたが
なぜかとても悲しい気持ちが込み上げてきました。
そのとき、ふと僕の脳裏に浮かんだのは
「飼っていた動物を亡くしたのかな」
という思いでした。
それが合っていたかどうかは確かめようもないので分かりません。
ただ、なんとなくその男性の姿は落胆しているように見えました。
そして何より、その姿を目にした僕の中に悲しみが沸いてきました。
勝手な推測かもしれません。
全然落胆なんてしていなかったのかもしれません。
何があったかなんて分かるはずもありません。
でも悲しそうな感じがしたんです。
それは僕が小さい頃から犬を飼っているために
悲しそうな雰囲気を共感したということなのでしょうか。
悲しい出来事の話を聞いて共感したり、
悲しい出来事を目の当たりにして共感することは良くある話です。
事情を知らないで共感するというのは少し不思議なことにも思えます。
もらい泣きということがあります。
アクビがうつるということもあります。
NLPやカウンセリングでは「クライアントの感覚が伝わってくる」
というような表現をすることがあります。
「伝わる」という言い方をすると僕のように理系でやってきた人間は
どういう手段で伝わるのかと思ってしまいます。
でも、それを「伝わる」ものと考えずに、
単純に共感するものと考えれば随分としっくりくるんです。
意識的に事情を把握して理解して、自分のことと照らし合わせて
その結果として同じような気持ちを味わうということだけでなく、
もっと無意識的にも共感する能力があるだろうということです。
その無意識的な知覚の仕方は必ずしも視覚によらないのかもしれません。
そんな風に考えると、ある人の様子を見ていたり、近くにいたりすると
無意識的にその情報を受け取って自然と共感するようなことがあるのではないか。
それが、もらい泣きとかではないか。
そういうことを思います。
動物病院から出てきた男性が悲しみに暮れていたのかどうかは定かではありません。
でも、もしかすると僕は無意識的に悲しみに共感していたのかもしれません。
そして、それは思い込みだという可能性もあるんです。
分かったつもりだったのかもしれないんです。
伝わってくる感覚というのは本当かどうか分からないものだと思います。
ただ、その時に湧いてきた僕の中のもう1つの気持ち。
ペットのことに気持ちを強く向けられる心を持っている人に対する暖かい気持ち。
それは確実だったと思っています。
それは僕自身の肯定的な気持ちだからです。
僕自身が持っている、無意識というものへの信頼だと思うんです。
そこを大切にしていきたいものです。
一人の20代後半ぐらいの男性が獣医さんと話している様子が
窓ガラス越しに見えたんです。
獣医の先生は一通りの話をし終えたらしく、
奥の部屋へと入っていきました。
と同時に、その男性は外へ出るべく後ろを振り返りました。
そのときの男性の振り返りかた。
振り返った後の姿勢。
肩の辺りを中心に、腰ぐらいまでに現れた様々な情報が
その男性の胸中を表しているように見えました。
そして、その男性は肩を丸めたまま、動物病院のドアから出てきました。
夜だったので、暗くて顔は見えませんでしたが
なぜかとても悲しい気持ちが込み上げてきました。
そのとき、ふと僕の脳裏に浮かんだのは
「飼っていた動物を亡くしたのかな」
という思いでした。
それが合っていたかどうかは確かめようもないので分かりません。
ただ、なんとなくその男性の姿は落胆しているように見えました。
そして何より、その姿を目にした僕の中に悲しみが沸いてきました。
勝手な推測かもしれません。
全然落胆なんてしていなかったのかもしれません。
何があったかなんて分かるはずもありません。
でも悲しそうな感じがしたんです。
それは僕が小さい頃から犬を飼っているために
悲しそうな雰囲気を共感したということなのでしょうか。
悲しい出来事の話を聞いて共感したり、
悲しい出来事を目の当たりにして共感することは良くある話です。
事情を知らないで共感するというのは少し不思議なことにも思えます。
もらい泣きということがあります。
アクビがうつるということもあります。
NLPやカウンセリングでは「クライアントの感覚が伝わってくる」
というような表現をすることがあります。
「伝わる」という言い方をすると僕のように理系でやってきた人間は
どういう手段で伝わるのかと思ってしまいます。
でも、それを「伝わる」ものと考えずに、
単純に共感するものと考えれば随分としっくりくるんです。
意識的に事情を把握して理解して、自分のことと照らし合わせて
その結果として同じような気持ちを味わうということだけでなく、
もっと無意識的にも共感する能力があるだろうということです。
その無意識的な知覚の仕方は必ずしも視覚によらないのかもしれません。
そんな風に考えると、ある人の様子を見ていたり、近くにいたりすると
無意識的にその情報を受け取って自然と共感するようなことがあるのではないか。
それが、もらい泣きとかではないか。
そういうことを思います。
動物病院から出てきた男性が悲しみに暮れていたのかどうかは定かではありません。
でも、もしかすると僕は無意識的に悲しみに共感していたのかもしれません。
そして、それは思い込みだという可能性もあるんです。
分かったつもりだったのかもしれないんです。
伝わってくる感覚というのは本当かどうか分からないものだと思います。
ただ、その時に湧いてきた僕の中のもう1つの気持ち。
ペットのことに気持ちを強く向けられる心を持っている人に対する暖かい気持ち。
それは確実だったと思っています。
それは僕自身の肯定的な気持ちだからです。
僕自身が持っている、無意識というものへの信頼だと思うんです。
そこを大切にしていきたいものです。





