2008年02月16日
OKな状態
人は他人との関わりの中で、とかく何かを求めがちですね。
自分が嫌な思いをしたり、不満を抱いたり、傷ついたりするとき、
それは相手に期待をしていたからです。
意識していなくても、期待を裏切られたから嫌な感じになるわけです。
そして相手という人に対して、不満をためていくわけです。
場合によっては、そうやって壊れていく人間関係もあるでしょう。
要するに「嫌いな人だ」と。
そういった「自分の思い通りになる」ことを期待するのは
生まれたときから始まっているように思います。
我々は、思い通りにいかないことを学んできているわけです。
自分の思い通りにならないとき、色々な工夫をします。
泣いたり、怒ったりして、相手を操作しようとする。
自分の感情を歪めて、上手くやり過ごすために自分に嘘をつく。
ごまかしている自分の中にある葛藤を見てみぬフリをする。
そんな風にして生き延びてくるんです。
これは社会で生きていく上で必要な「意識」というものの学習とも言えるでしょう。
世渡りの方法なんです。
ただ、それが時に自分を束縛し、相手との関係を厄介なものにしてしまいます。
思い通りにいかない感じがしたときに自分の取る行動パターンが
相手との関わりを歪んだものにしていくわけです。
自分が相手に向ける期待と、相手が自分に向ける期待。
それぞれがすれ違い、それぞれが満たされないとき、
嫌なパターンが始まっていきます。
互いに感情をむき出しにしてケンカをする。
片方が泣いたりスネたりして相手を動かそうとする。
どちらも相手を自分の思い通りにしようと、
小さい頃に身につけた処世術を使っているんです。
そして一方が相手を思い通りにしようと怒りをぶつけたり、悲しみを表したりしたとき、
その相手がとる行動パターンも、その人が身につけてきた方法です。
相手の怒りに対して、
自分も怒りを表してケンカをする。
怒られた相手に謝って許してもらおうとする。
「勝手にしろ!」といって、その場を捨てる。
相手が泣いたり、スネたりしたとき、
相手が自分をコントロールしようとする感じを察知して、あえて何もせずに自分を守る。
相手の機嫌を直そうと、相手を甘やかす。
相手の感情を無視して、合理的な解決策を提案する。
どれも歪んだ対応です。
全て、相手をOKだとして扱っていません。
そして、そのときは自分もOKな状態ではないはずです。
交流分析では「I'm OK, you're OK.」という心構えを大切にしています。
しかし、これは頭で分かっても実感するのは大変だと感じます。
この心構えは、なんというか、安定感を醸し出す気がするんです。
日本にNLPを最初に持ち込んだ、故・国谷誠朗先生は著書の中で、こう書いています。
『私はOKであるという感じは、ある他者によって真実に信頼された時におこります。
相手を心から信頼するには、「私はOK」という自己信頼が必要なのです。
今のありのままの私をうけとめてくれる一人の他者、あなたの存在によって、
私は自分の本当の姿に気づきます。
そして、自分の姿に気づくと、あなたを信頼し、
あなたの存在をありのままに受けとめやすくなっているのです。』
まずは自分から自分を信頼し、同時に相手も信頼する。
それによって相手も相手自身と自分を信頼しやすくなる、ということでしょう。
信頼と期待は大きく違います。
信頼は裏切られません。
期待が裏切られるんです。
自分を誰かから信頼してもらおうと思ったり、愛されたいと思っても
それは誰もしてくれることではありません。
100%満たされることは絶対にありません。
親ですら満たしてくれなかったから、処世術を身につけざるを得なかったんです。
他人が満たしてくれるわけがないんです。
まして、その他人だって満たされていないのですから。
であれば、自分で自分を信頼し、愛していく、ということになるのでしょう。
そして、こういうことを考えていると僕は分からなくなる部分があるんです。
「I' OK」のOKとはどいういう状態でしょうか?
自分が苦しい思いをするとき、それはOKな状態ではないのでしょうか。
「苦しい思いをしていても、それでもいいんだ」と思えば「OK」なんでしょうか。
「こんな苦しい思いはしたくない」と努力を続けるのは「OKではない」のでしょうか。
「幸せになりたい」と言う人は、今の幸せに気づいていない、
なんて言われることがあります。
今の幸せに気づくことが大切だ、と。
不満ばかりに目を向けてはいけないんだ、と。
「足るを知る」などという言葉もあります。
今の自分を愛する、ダメな自分を愛する、ということも大切でしょう。
言葉で表したら、僕もそういう表現になるかもしれません。
今が幸せだから未来も幸せになれる、そんな話も納得できる気はします。
ただ、僕には片寄りが感じられるんです。
確かに今が幸せで、もうそれで充分なら、その人は幸せでしょう。
でも、口ではそう言いながらも、まだ何かを求めている人がいるわけです。
不満に目を向けて嫌な思いを感じ続けるなら、
満たされている部分に目を向けて満足感を味わうのは大切です。
でも、不満があるから努力できるという側面もあるわけです。
「苦しい思いをしている自分もOKだ」と心から思えたとき、
そのときは必ず苦しさが減って楽になるはずなんです。
「苦しいけれど、そんな自分もOK」と言いながら苦しんでいるなら、
それは「OK」な状態ではないように感じます。
OKなら苦しまないんです。
苦しい状態から抜け出すために努力をするのも素晴らしいと思います。
1つの結論として僕が思うのは、この「I'm OK, you're OK.」の心構えは
人間関係における心構えだ、ということです。
人との交流において、自分の心構えとして大切なことだと言われれば納得です。
そして、自分の人生という範囲に拡大して「I'm OK」を考えてみると
僕は「OK」という状態を安定した状態ではないかと感じます。
楽な状態だと思うんです。
「苦しい状態も仕方ない」と思って楽になれるならOKでしょうし、
「苦しいからこそ努力する」と考えて努力をしていると楽になれるなら、それもOKでしょう。
不満から満たされた部分に目を向けて楽になれるならOKでしょうし、
不満をパワーにして上を目指す自分が楽なら、それもOKでしょう。
口先で「今の自分はOKだ」と言うことよりも
実感として「今の自分が楽だ」と思えることが大切だと思うんです。
なぜなら「今の自分が楽」なとき、人には余裕が出てくるからです。
余裕があれば、他人へも余裕をもって接することができる。
「I'm OK」が「You're OK」の始まりであるならば
他人へ余裕を持って接することができる状態、
つまり自分自身が楽な状態こそ「I'm OK」なのではないかと思います。
人それぞれ考え方も好みも違うわけです。
教えの受け取り方だって違うわけです。
そして、世の中の教えは片寄りながら、両面の話があると思います。
両面に対して、それぞれ片寄った教えがある。
どちらを好むかは人それぞれです。
自分が好んだほうを誰かに伝えようとする人もいるようですが、
相手がそれを好む人かどうかは分かりません。
大切なのは楽でいられるかどうか。
自分自身が楽でいられるかどうか。
その実感が大切なのではないかと思うんです。
そういったOKの実感こそ、心の関わるものが目指すところかもしれません。
自分が嫌な思いをしたり、不満を抱いたり、傷ついたりするとき、
それは相手に期待をしていたからです。
意識していなくても、期待を裏切られたから嫌な感じになるわけです。
そして相手という人に対して、不満をためていくわけです。
場合によっては、そうやって壊れていく人間関係もあるでしょう。
要するに「嫌いな人だ」と。
そういった「自分の思い通りになる」ことを期待するのは
生まれたときから始まっているように思います。
我々は、思い通りにいかないことを学んできているわけです。
自分の思い通りにならないとき、色々な工夫をします。
泣いたり、怒ったりして、相手を操作しようとする。
自分の感情を歪めて、上手くやり過ごすために自分に嘘をつく。
ごまかしている自分の中にある葛藤を見てみぬフリをする。
そんな風にして生き延びてくるんです。
これは社会で生きていく上で必要な「意識」というものの学習とも言えるでしょう。
世渡りの方法なんです。
ただ、それが時に自分を束縛し、相手との関係を厄介なものにしてしまいます。
思い通りにいかない感じがしたときに自分の取る行動パターンが
相手との関わりを歪んだものにしていくわけです。
自分が相手に向ける期待と、相手が自分に向ける期待。
それぞれがすれ違い、それぞれが満たされないとき、
嫌なパターンが始まっていきます。
互いに感情をむき出しにしてケンカをする。
片方が泣いたりスネたりして相手を動かそうとする。
どちらも相手を自分の思い通りにしようと、
小さい頃に身につけた処世術を使っているんです。
そして一方が相手を思い通りにしようと怒りをぶつけたり、悲しみを表したりしたとき、
その相手がとる行動パターンも、その人が身につけてきた方法です。
相手の怒りに対して、
自分も怒りを表してケンカをする。
怒られた相手に謝って許してもらおうとする。
「勝手にしろ!」といって、その場を捨てる。
相手が泣いたり、スネたりしたとき、
相手が自分をコントロールしようとする感じを察知して、あえて何もせずに自分を守る。
相手の機嫌を直そうと、相手を甘やかす。
相手の感情を無視して、合理的な解決策を提案する。
どれも歪んだ対応です。
全て、相手をOKだとして扱っていません。
そして、そのときは自分もOKな状態ではないはずです。
交流分析では「I'm OK, you're OK.」という心構えを大切にしています。
しかし、これは頭で分かっても実感するのは大変だと感じます。
この心構えは、なんというか、安定感を醸し出す気がするんです。
日本にNLPを最初に持ち込んだ、故・国谷誠朗先生は著書の中で、こう書いています。
『私はOKであるという感じは、ある他者によって真実に信頼された時におこります。
相手を心から信頼するには、「私はOK」という自己信頼が必要なのです。
今のありのままの私をうけとめてくれる一人の他者、あなたの存在によって、
私は自分の本当の姿に気づきます。
そして、自分の姿に気づくと、あなたを信頼し、
あなたの存在をありのままに受けとめやすくなっているのです。』
まずは自分から自分を信頼し、同時に相手も信頼する。
それによって相手も相手自身と自分を信頼しやすくなる、ということでしょう。
信頼と期待は大きく違います。
信頼は裏切られません。
期待が裏切られるんです。
自分を誰かから信頼してもらおうと思ったり、愛されたいと思っても
それは誰もしてくれることではありません。
100%満たされることは絶対にありません。
親ですら満たしてくれなかったから、処世術を身につけざるを得なかったんです。
他人が満たしてくれるわけがないんです。
まして、その他人だって満たされていないのですから。
であれば、自分で自分を信頼し、愛していく、ということになるのでしょう。
そして、こういうことを考えていると僕は分からなくなる部分があるんです。
「I' OK」のOKとはどいういう状態でしょうか?
自分が苦しい思いをするとき、それはOKな状態ではないのでしょうか。
「苦しい思いをしていても、それでもいいんだ」と思えば「OK」なんでしょうか。
「こんな苦しい思いはしたくない」と努力を続けるのは「OKではない」のでしょうか。
「幸せになりたい」と言う人は、今の幸せに気づいていない、
なんて言われることがあります。
今の幸せに気づくことが大切だ、と。
不満ばかりに目を向けてはいけないんだ、と。
「足るを知る」などという言葉もあります。
今の自分を愛する、ダメな自分を愛する、ということも大切でしょう。
言葉で表したら、僕もそういう表現になるかもしれません。
今が幸せだから未来も幸せになれる、そんな話も納得できる気はします。
ただ、僕には片寄りが感じられるんです。
確かに今が幸せで、もうそれで充分なら、その人は幸せでしょう。
でも、口ではそう言いながらも、まだ何かを求めている人がいるわけです。
不満に目を向けて嫌な思いを感じ続けるなら、
満たされている部分に目を向けて満足感を味わうのは大切です。
でも、不満があるから努力できるという側面もあるわけです。
「苦しい思いをしている自分もOKだ」と心から思えたとき、
そのときは必ず苦しさが減って楽になるはずなんです。
「苦しいけれど、そんな自分もOK」と言いながら苦しんでいるなら、
それは「OK」な状態ではないように感じます。
OKなら苦しまないんです。
苦しい状態から抜け出すために努力をするのも素晴らしいと思います。
1つの結論として僕が思うのは、この「I'm OK, you're OK.」の心構えは
人間関係における心構えだ、ということです。
人との交流において、自分の心構えとして大切なことだと言われれば納得です。
そして、自分の人生という範囲に拡大して「I'm OK」を考えてみると
僕は「OK」という状態を安定した状態ではないかと感じます。
楽な状態だと思うんです。
「苦しい状態も仕方ない」と思って楽になれるならOKでしょうし、
「苦しいからこそ努力する」と考えて努力をしていると楽になれるなら、それもOKでしょう。
不満から満たされた部分に目を向けて楽になれるならOKでしょうし、
不満をパワーにして上を目指す自分が楽なら、それもOKでしょう。
口先で「今の自分はOKだ」と言うことよりも
実感として「今の自分が楽だ」と思えることが大切だと思うんです。
なぜなら「今の自分が楽」なとき、人には余裕が出てくるからです。
余裕があれば、他人へも余裕をもって接することができる。
「I'm OK」が「You're OK」の始まりであるならば
他人へ余裕を持って接することができる状態、
つまり自分自身が楽な状態こそ「I'm OK」なのではないかと思います。
人それぞれ考え方も好みも違うわけです。
教えの受け取り方だって違うわけです。
そして、世の中の教えは片寄りながら、両面の話があると思います。
両面に対して、それぞれ片寄った教えがある。
どちらを好むかは人それぞれです。
自分が好んだほうを誰かに伝えようとする人もいるようですが、
相手がそれを好む人かどうかは分かりません。
大切なのは楽でいられるかどうか。
自分自身が楽でいられるかどうか。
その実感が大切なのではないかと思うんです。
そういったOKの実感こそ、心の関わるものが目指すところかもしれません。





