2008年06月10日
音楽が呼び起こすもの
NLPではアンカリングを技術として学びます。
その他の分野においてもアンカーとトリガーの関係は知られているようです。
記憶は断片情報が関連付けて整理されているということから
ある情報をキッカケにネットワーク上で関連性の強い記憶が
引きずられて蘇ってくるということです。
そうした情報同士の繋がりがアンカーであって、
トリガー、つまり引き金となる情報によって別の情報が引き出されるわけです。
情報というのは映像であったり、音であったり、匂いや体の感覚だったりしますが、
トリガーとなる情報も種類は問いませんし、蘇ってくる要素もそれぞれです。
アンカーされて蘇ってくるものもまた、それぞれと言ったところでしょう。
ただ、アンカーされやすい情報の種類というのは、色々な人を観てきた結果からすると
人によって決まっているようにも思えますが、
一般に記憶と言ったときには状況を映像的に思い浮かべることが多いので
アンカーを実感しやすいものも状況や出来事の記憶になりそうです。
誰しもあるだろうと思いますが、何かの音楽を聴いたときに当時の状況を思い出したり、
懐かしい場所に行ったときに長らく忘れていた出来事を思い出したりするものですね。
で、僕は最近、まさにそのアンカーを思いっきり体験しました。
僕が使っているICレコーダーは音楽も入れられて、それをイヤホンで聴けるんですが
先日そのICレコーダーを使うためにデータを整理しようとしたんです。
それで、中に入っている情報をチェックしたわけです。
音楽以外の講演CDなども色々入っていましたが、音楽も入っていました。
そして、なんとなく他にも音楽を聴きたくなって、CDを引っ張り出して来たんです。
僕は決して音楽好きではないと思いますので、それほどの量のCDはありませんし、
持っているCDも結構、偏っているような気がします。
たぶん、一番偏っているだろうなぁと思うのは、
「タモリ」とか「清水ミチ子」とかでしょうか。
まぁ、それはさておき、僕が持っている音楽CDというのはチョット前のヤツばかりなんです。
最近は全然買ってないわけです。
そして、そのCDを見ていると、当時の自分が何を感じていたのかも思い出せます。
基本的には暗いヤツが多いですね。
聴いていて楽しくなるような曲はまずありません。
その中でも、僕が先日聴いたのは、
こういう心の勉強を始める前の時期に良く聴いていた歌手。
「柴田淳」という人です。
最近は全然聴いていませんが、会社にいた頃は頻繁に聴いていました。
山口にいた頃、車の中では必ず流れていましたから。
なぜかそのCDだけは買っていた記憶があります。
とにかく悲しい歌が多いんですね。
当時はそれが好きだったわけです。
今、それを聞くと印象は随分と違います。
好きな要素は沢山ありますし、それは今も変わらない僕の好みの部分なのでしょうが、
その暗さや悲しさは今となっては必要がなくなってきているようです。
むしろアンカーとして、当時の色々な記憶が蘇ってきたりしました。
景色、出来事、人、そして体の感覚。
久しぶりでした。
悲しいときに、あえて悲しい音楽を聴くという人は多いように思います。
感情というのは無視するよりも出し切ってしまったほうが切り替えやすいものです。
その意味では、悲しいときに悲しい音楽を聴いて
思いっきり悲しみを味わい尽くすというのも効果的な方法なわけです。
僕は個人的に悲しみが得意分野のようですから
自分の生活の中に悲しみに浸る時間を作っていたような気がします。
また、改めて聴いてみて感じたのは、音楽というのものが持つ性質に関してです。
音楽には不思議と人の心を動かす働きがあるようだということです。
だからこそ、人は自然と音楽を作り出し、伝統的に築き上げてきているのでしょう。
芸術の1つとして、音楽には人を感動させる何かがあるのだと思います。
僕の聴いていたその悲しい歌の数々は、いずれも歌詞を全て無視しても
音楽として表現されたものの中に悲しい景色を含んでいるように感じます。
その景色は曲を聴いていると自然と浮かんでくるイメージなんですが、
こういうのは人が誰しも元々持っていた共感覚的なものかもしれません。
なお「悲しい景色」という表現の中から既に、人が情景や音の響きに対して
感情を想起されやすい性質があることが推測できます。
人の感覚器官というのは、何やら不思議な繋がりを持っているのでしょうか。
そうした人の感覚器官同士の関連性に伴った身体感覚の変化が引き起こす心の動き。
それが芸術が人の心を動かすものではないかと思います。
芸術というのは人が生まれながらに持っている感覚的なアンカーなのかもしれませんね。
その他の分野においてもアンカーとトリガーの関係は知られているようです。
記憶は断片情報が関連付けて整理されているということから
ある情報をキッカケにネットワーク上で関連性の強い記憶が
引きずられて蘇ってくるということです。
そうした情報同士の繋がりがアンカーであって、
トリガー、つまり引き金となる情報によって別の情報が引き出されるわけです。
情報というのは映像であったり、音であったり、匂いや体の感覚だったりしますが、
トリガーとなる情報も種類は問いませんし、蘇ってくる要素もそれぞれです。
アンカーされて蘇ってくるものもまた、それぞれと言ったところでしょう。
ただ、アンカーされやすい情報の種類というのは、色々な人を観てきた結果からすると
人によって決まっているようにも思えますが、
一般に記憶と言ったときには状況を映像的に思い浮かべることが多いので
アンカーを実感しやすいものも状況や出来事の記憶になりそうです。
誰しもあるだろうと思いますが、何かの音楽を聴いたときに当時の状況を思い出したり、
懐かしい場所に行ったときに長らく忘れていた出来事を思い出したりするものですね。
で、僕は最近、まさにそのアンカーを思いっきり体験しました。
僕が使っているICレコーダーは音楽も入れられて、それをイヤホンで聴けるんですが
先日そのICレコーダーを使うためにデータを整理しようとしたんです。
それで、中に入っている情報をチェックしたわけです。
音楽以外の講演CDなども色々入っていましたが、音楽も入っていました。
そして、なんとなく他にも音楽を聴きたくなって、CDを引っ張り出して来たんです。
僕は決して音楽好きではないと思いますので、それほどの量のCDはありませんし、
持っているCDも結構、偏っているような気がします。
たぶん、一番偏っているだろうなぁと思うのは、
「タモリ」とか「清水ミチ子」とかでしょうか。
まぁ、それはさておき、僕が持っている音楽CDというのはチョット前のヤツばかりなんです。
最近は全然買ってないわけです。
そして、そのCDを見ていると、当時の自分が何を感じていたのかも思い出せます。
基本的には暗いヤツが多いですね。
聴いていて楽しくなるような曲はまずありません。
その中でも、僕が先日聴いたのは、
こういう心の勉強を始める前の時期に良く聴いていた歌手。
「柴田淳」という人です。
最近は全然聴いていませんが、会社にいた頃は頻繁に聴いていました。
山口にいた頃、車の中では必ず流れていましたから。
なぜかそのCDだけは買っていた記憶があります。
とにかく悲しい歌が多いんですね。
当時はそれが好きだったわけです。
今、それを聞くと印象は随分と違います。
好きな要素は沢山ありますし、それは今も変わらない僕の好みの部分なのでしょうが、
その暗さや悲しさは今となっては必要がなくなってきているようです。
むしろアンカーとして、当時の色々な記憶が蘇ってきたりしました。
景色、出来事、人、そして体の感覚。
久しぶりでした。
悲しいときに、あえて悲しい音楽を聴くという人は多いように思います。
感情というのは無視するよりも出し切ってしまったほうが切り替えやすいものです。
その意味では、悲しいときに悲しい音楽を聴いて
思いっきり悲しみを味わい尽くすというのも効果的な方法なわけです。
僕は個人的に悲しみが得意分野のようですから
自分の生活の中に悲しみに浸る時間を作っていたような気がします。
また、改めて聴いてみて感じたのは、音楽というのものが持つ性質に関してです。
音楽には不思議と人の心を動かす働きがあるようだということです。
だからこそ、人は自然と音楽を作り出し、伝統的に築き上げてきているのでしょう。
芸術の1つとして、音楽には人を感動させる何かがあるのだと思います。
僕の聴いていたその悲しい歌の数々は、いずれも歌詞を全て無視しても
音楽として表現されたものの中に悲しい景色を含んでいるように感じます。
その景色は曲を聴いていると自然と浮かんでくるイメージなんですが、
こういうのは人が誰しも元々持っていた共感覚的なものかもしれません。
なお「悲しい景色」という表現の中から既に、人が情景や音の響きに対して
感情を想起されやすい性質があることが推測できます。
人の感覚器官というのは、何やら不思議な繋がりを持っているのでしょうか。
そうした人の感覚器官同士の関連性に伴った身体感覚の変化が引き起こす心の動き。
それが芸術が人の心を動かすものではないかと思います。
芸術というのは人が生まれながらに持っている感覚的なアンカーなのかもしれませんね。