2009年01月19日
勘違いかもしれませんが
どうも僕の中には「全てを理解したい」という気持ちが強いようです。
これを読んでいる方の中には「まぁ、そうでしょうね」と
思われる方もいるかもしれませんが、その傾向が最近では
「1つの統一的な枠組みの中で理解する」という方向に進んでいるのを感じます。
思い返すと、会社の採用面接の時にも、志望動機を
「発酵という題材を分子レベルの相互作用から、製品という手に触れられる形になるまで
全てのプロセスで起きていることを理解したい。
それは自分一人の努力では不可能かもしれないけれど、
世の中がどこまで進むかを知るためにも同じ分野に身を置きたい」
というようなことを言った記憶があります。
今にして振り返ってみても、修士課程の一年生にしては
大それたカッコイイことを言っていたものだと思います。
実際に入社した後も、そうした思いは継続していたので
自分の中に1つの型とも枠組みとも言える仮説を作り、
それを絶えず更新するように研究生活を送っていました。
僕にとっては自分の実験結果も他人の実験結果も価値は同じで、
全体の論理に筋が通っているかどうかが重要でした。
そういう新年を元に論文や学会、実験などから情報を集めていたわけです。
ところがアカデミックな世界に目を向けるほどに、
世の中の流れは僕の求める全体的理解とは違っていることを痛感するようになります。
学術的な研究を進める専門家は自分の専門分野を細かく調べ、
全体をシステム的に理解しようと試みる人たちは不十分なデータと
計算しきれない要素をシミュレーションという形で妥協しながら表現する。
実際に工業レベルの応用を進める人は不明な点には目をつぶり、
結果として求めるものが得られる方法を追求する。
どうあっても僕の求める全体像の理解へは辿り着かないと思いました。
まぁ、そう思えたから今の道へ進むのに未練がなかったわけですが。
そうした本質的な特性は人を相手にするようになった今も全く変わりません。
むしろ、人間、心、人生…と追求したい方向は大きな枠のものへと移っています。
より「全てを理解する」という方向へ進んでいる感じがあります。
先の新春ワークショップでもお伝えしたことと関係しますが、
そのような人間というものへの理解にはNLPが大いに役立ちます。
同時にNLPでは不十分にも感じられます。
NLPよりも抽象度の高いものを求めるわけですから当然ですが、
それはNLPをさらに外から説明できる枠組みである必要があります。
で、誤解を恐れずに大胆なことを言わせていただくと
最近の僕の中にはそのような統一理論とも言うべき枠組みが
なんとなく出来上がりつつあるような感じがあるんです。
入浴中にそれを感じたとき、少し恐怖に似た思いを抱きました。
早すぎるんじゃないか、と。
大それた感じを持ってしまっているという客観的な感想と、
「それが分かり切ってしまったら後の人生どうしよう」という主観的な感想と、
両方が入り混じった感じ。
きっと、その感じは誤解に近く、遥かに深遠な先が待っているとは思います。
そんなに簡単なものではないでしょう。
勘違いだろうと思いますが、それぐらいインパクトのある納得感だったということです。
ただ、少なくとも多くの人間関係やコミュニケーションで表れることについては
1つの枠組みで理解を深めることができそうな印象だけはあります。
特にコミュニケーション技術として見たときには相当役立つはずです。
これまでのコミュニケーション技術の多くは偏りが見られます。
ビジネスの場でのコミュニケーションで不足していたものを補うように
カウンセリングや傾聴の技術が学ばれるわけです。
コーチングが受けるのも援助的過ぎない部分が影響している気がしますが、
それでも主役を相手にするという意味では同じです。
現在の主流のコミュニケーション技術は、多くが
相手を主役にすえるものだということなんです。
強いて言うと、ディベートは相互の主張がありますから形態が違いますが、
こちらのケースは主体が自分自身にあると考えられます。
コミュニケーションというのは本来、相互作用を言うものだと思うんです。
にも関わらず、相互作用を扱うコミュニケーションを学ぶものが少ない。
心理臨床に携わるコミュニケーションの達人は、実は相互作用を活用しています。
その相互作用はクライアントのために活用されるものです。
この相互作用の技術を利用しない手はないと思うわけです。
コミュニケーションを相互作用として最大限に活用できれば、
様々な人間関係や、集団をとりまく問題を
複数の人間のリソースを用いて解決の方向に向けられると思うんです。
新しいアイデアや解決策が生み出せると考えられます。
よく「1+1を3にも4にもする」などと言いますが、
まさにそういうことが可能になるということです。
相手を主体にしたコミュニケーションでは、利用できるリソースは相手のものだけです。
自分が主体のコミュニケーションでは、利用できるリソースは自分のものだけです。
コミュニケーションで相互作用が可能になれば、
お互いが相手のリソースも利用できるようになるんです。
それぞれが1のリソースを持っていたら、自分のリソースと相手のリソースを合わせた
2のリソースを両方が利用できるということです。
そういう状態の人が2人いたら、2+2で4になるという計算です。
お互いが相手のリソースを100%活用できれば、1+1が4になるわけです。
これからは、そんな相互作用的なコミュニケーションが武器になるように思います。
そして、それは技術として身につけられるものなんです。
今後の勉強会では、その辺も含めて扱っていければと考えています。
これを読んでいる方の中には「まぁ、そうでしょうね」と
思われる方もいるかもしれませんが、その傾向が最近では
「1つの統一的な枠組みの中で理解する」という方向に進んでいるのを感じます。
思い返すと、会社の採用面接の時にも、志望動機を
「発酵という題材を分子レベルの相互作用から、製品という手に触れられる形になるまで
全てのプロセスで起きていることを理解したい。
それは自分一人の努力では不可能かもしれないけれど、
世の中がどこまで進むかを知るためにも同じ分野に身を置きたい」
というようなことを言った記憶があります。
今にして振り返ってみても、修士課程の一年生にしては
大それたカッコイイことを言っていたものだと思います。
実際に入社した後も、そうした思いは継続していたので
自分の中に1つの型とも枠組みとも言える仮説を作り、
それを絶えず更新するように研究生活を送っていました。
僕にとっては自分の実験結果も他人の実験結果も価値は同じで、
全体の論理に筋が通っているかどうかが重要でした。
そういう新年を元に論文や学会、実験などから情報を集めていたわけです。
ところがアカデミックな世界に目を向けるほどに、
世の中の流れは僕の求める全体的理解とは違っていることを痛感するようになります。
学術的な研究を進める専門家は自分の専門分野を細かく調べ、
全体をシステム的に理解しようと試みる人たちは不十分なデータと
計算しきれない要素をシミュレーションという形で妥協しながら表現する。
実際に工業レベルの応用を進める人は不明な点には目をつぶり、
結果として求めるものが得られる方法を追求する。
どうあっても僕の求める全体像の理解へは辿り着かないと思いました。
まぁ、そう思えたから今の道へ進むのに未練がなかったわけですが。
そうした本質的な特性は人を相手にするようになった今も全く変わりません。
むしろ、人間、心、人生…と追求したい方向は大きな枠のものへと移っています。
より「全てを理解する」という方向へ進んでいる感じがあります。
先の新春ワークショップでもお伝えしたことと関係しますが、
そのような人間というものへの理解にはNLPが大いに役立ちます。
同時にNLPでは不十分にも感じられます。
NLPよりも抽象度の高いものを求めるわけですから当然ですが、
それはNLPをさらに外から説明できる枠組みである必要があります。
で、誤解を恐れずに大胆なことを言わせていただくと
最近の僕の中にはそのような統一理論とも言うべき枠組みが
なんとなく出来上がりつつあるような感じがあるんです。
入浴中にそれを感じたとき、少し恐怖に似た思いを抱きました。
早すぎるんじゃないか、と。
大それた感じを持ってしまっているという客観的な感想と、
「それが分かり切ってしまったら後の人生どうしよう」という主観的な感想と、
両方が入り混じった感じ。
きっと、その感じは誤解に近く、遥かに深遠な先が待っているとは思います。
そんなに簡単なものではないでしょう。
勘違いだろうと思いますが、それぐらいインパクトのある納得感だったということです。
ただ、少なくとも多くの人間関係やコミュニケーションで表れることについては
1つの枠組みで理解を深めることができそうな印象だけはあります。
特にコミュニケーション技術として見たときには相当役立つはずです。
これまでのコミュニケーション技術の多くは偏りが見られます。
ビジネスの場でのコミュニケーションで不足していたものを補うように
カウンセリングや傾聴の技術が学ばれるわけです。
コーチングが受けるのも援助的過ぎない部分が影響している気がしますが、
それでも主役を相手にするという意味では同じです。
現在の主流のコミュニケーション技術は、多くが
相手を主役にすえるものだということなんです。
強いて言うと、ディベートは相互の主張がありますから形態が違いますが、
こちらのケースは主体が自分自身にあると考えられます。
コミュニケーションというのは本来、相互作用を言うものだと思うんです。
にも関わらず、相互作用を扱うコミュニケーションを学ぶものが少ない。
心理臨床に携わるコミュニケーションの達人は、実は相互作用を活用しています。
その相互作用はクライアントのために活用されるものです。
この相互作用の技術を利用しない手はないと思うわけです。
コミュニケーションを相互作用として最大限に活用できれば、
様々な人間関係や、集団をとりまく問題を
複数の人間のリソースを用いて解決の方向に向けられると思うんです。
新しいアイデアや解決策が生み出せると考えられます。
よく「1+1を3にも4にもする」などと言いますが、
まさにそういうことが可能になるということです。
相手を主体にしたコミュニケーションでは、利用できるリソースは相手のものだけです。
自分が主体のコミュニケーションでは、利用できるリソースは自分のものだけです。
コミュニケーションで相互作用が可能になれば、
お互いが相手のリソースも利用できるようになるんです。
それぞれが1のリソースを持っていたら、自分のリソースと相手のリソースを合わせた
2のリソースを両方が利用できるということです。
そういう状態の人が2人いたら、2+2で4になるという計算です。
お互いが相手のリソースを100%活用できれば、1+1が4になるわけです。
これからは、そんな相互作用的なコミュニケーションが武器になるように思います。
そして、それは技術として身につけられるものなんです。
今後の勉強会では、その辺も含めて扱っていければと考えています。