2009年07月02日
骨
先日、『山中俊治ディレクション「骨」展』に行ってきました。
ディレクターの山中氏は慶応大学で教授も務めるプロダクトデザイナー。
JR 改札の SUICA のタッチセンサーを開発した方です。
初めて SUICA を導入するにあたって、カードをタッチするという作業を
誰もが直感的に行えるような形をデザインしたわけです。
その作業は単純な試行錯誤の連続だったそうですが、
結果として生まれた微妙な傾斜によって、日本全国の改札に広まることになりました。
最初は「慣れない人達が、いかに直感的に操作を理解できるか」が
デザインに求められていたわけですが、そのデザインが普及するほどに
誰もが操作法を覚えてしまうようになって、デザインの意味がなくなっていく。
その部分に刹那的なものを感じると語っていました。
製品をデザインする上では、外見の中に機能が含まれることが多く、
それが洗練されてくると何とも言えない美しさ、「用の美」が生まれるようです。
人にとって使いやすいものには美しさが宿るというのは
そもそも人間の持つ美意識というものが、どこからやってくるのかを
理解する1つのキッカケになるのかもしれません。
この展示会では「骨」がテーマになっていましたから
実際の生物の骨から、工業製品の「骨」と呼べるようなものまで
広い範囲で作品が展示されています。
一通り眺めてみて感じるのは、骨というものの機能に対する想いでした。
考えさせられたわけです。
特に、工業製品の骨と言われた場合には、
そこに動物の骨とは異質な何かを感じます。
自動車には骨格やフレームと呼ばれる土台のような部品があります。
これも展示されていましたが、「車の骨」と言われると直感的に、そんな気がします。
ところが椅子の骨、机の骨、掃除機の骨、時計の骨と言われると
なんだか理解しがたいところがある。
たしかに、機械式時計の中身を分解して展示してあるところは、
それはもうメチャクチャ美しいです。
意味の分からない小さな部品。
どうしてこんな形をしているのか理解ができないけれど、
それらが組み合わさって時計としての機能を生み出す数々の部品。
一つ一つが芸術品のようです。
僕は時計に興味がありませんでしたし、腕時計をつけるのも好きじゃありませんが、
ああいう機械式時計の中身を見せられると一気に関心が高まります。
たぶん、僕が機械式の時計を買ったら、外側から時計を眺めながらも
心の中で時計の中で動いている細かい部品同士のエレガントな動きを
勝手に想像して楽しむことになるんだろうと思います。
完全に中身が透けて見えるような時計があったら買っちゃうかもしれません。
文字盤は見ずらいでしょうけど。
ただ、そんなに美しい時計とはいえ、「時計の骨」と言われると
どれが骨と呼ぶに相応しいかは分かりにくくなってしまったんです。
そこで生物の骨のほうへと意識を向けてみました。
そこでは進化を踏まえた分子細胞生物学からも解剖学からも、
さまざまな観点から骨を眺めることができるでしょう。
骨は進化的に見ていったとき、カルシウムの貯蔵庫としての役割があります。
原始の海にはカルシウムイオンが豊富に存在していた。
そのなかで体内にカルシウムを蓄積させられた生物が
カルシウムの少ない淡水域に活動範囲を広げていったという説です。
その説の信憑性はともかく、カルシウムが細胞分裂を始めとして
あらゆる生物にとって不可欠であることは間違いないところでしょう。
もちろん、骨には形態を支えるためのフレームとしての働きもあります。
骨も生体の一部であって、細胞によって生み出される器官です。
骨は成長するし、生まれ変わっていく体の一部分でもある。
生物という1つのシステムの一部分なわけです。
皮膚や内臓、筋肉などと同様に体の一部分だということです。
ただ、骨はリン酸カルシウムの結晶を主成分に持つために
生命活動を終えたあとも形を残していきやすい性質を持っている。
そこに他の器官とは別の印象を感じるだけであって
生命というシステムとして見たときには他の器官と同様だという話になります。
僕個人としては、そうした生物的な意味合いの他に
形態や外見というデザインを含めた観点からすれば、
骨には他の身体器官にはない意味があるとも思うんです。
例えば、全身の血管を並べて眺めてみたとき
その人の外見を想像するのは難しいでしょう。
指紋や眼球は、個人を特定できる要素を含んでいますし、
DNAを調べれば誰であるかは特定できますが、その人の外見は分かりません。
その点、骨は骨だけを見て、その人の外見を想像できる部品だと思えます。
最近、ターミネーター4の映画が公開されていますが、
ターミネーターの頭の骨を見れば、シュワルツネッガーの顔が想像できます。
骨は、他の器官と比べて外見に対する影響が強いと思うんです。
そうやって考えると、工業製品の骨というものも少しイメージしやすくなります。
その製品らしい形を決める部品ということでしょうか。
近年に開発されていく電子工業製品は、小型・薄型という
省スペースの方向に進む傾向が見受けられます。
そこでは機能が優先されているわけです。
必要な機能を満たすために最適な骨格が決まっていく。
同時に、その骨格が全体のデザインにも大きな影響を与える。
デザインと機能は切っても切り離せない関係にあって、
それを繋ぐものが骨なのかもしれません。
生物の形は機能と密接に関係しているように思えます。
鳥は空を飛ぶために、魚は水中を泳ぐために適した形をしている。
その形と機能の両方を支えているのが骨ではないだろうか。
そんな風に思えてきたわけです。
これから先の製品には、そんな"骨のある"ものが増えていくのかもしれません。
ディレクターの山中氏は慶応大学で教授も務めるプロダクトデザイナー。
JR 改札の SUICA のタッチセンサーを開発した方です。
初めて SUICA を導入するにあたって、カードをタッチするという作業を
誰もが直感的に行えるような形をデザインしたわけです。
その作業は単純な試行錯誤の連続だったそうですが、
結果として生まれた微妙な傾斜によって、日本全国の改札に広まることになりました。
最初は「慣れない人達が、いかに直感的に操作を理解できるか」が
デザインに求められていたわけですが、そのデザインが普及するほどに
誰もが操作法を覚えてしまうようになって、デザインの意味がなくなっていく。
その部分に刹那的なものを感じると語っていました。
製品をデザインする上では、外見の中に機能が含まれることが多く、
それが洗練されてくると何とも言えない美しさ、「用の美」が生まれるようです。
人にとって使いやすいものには美しさが宿るというのは
そもそも人間の持つ美意識というものが、どこからやってくるのかを
理解する1つのキッカケになるのかもしれません。
この展示会では「骨」がテーマになっていましたから
実際の生物の骨から、工業製品の「骨」と呼べるようなものまで
広い範囲で作品が展示されています。
一通り眺めてみて感じるのは、骨というものの機能に対する想いでした。
考えさせられたわけです。
特に、工業製品の骨と言われた場合には、
そこに動物の骨とは異質な何かを感じます。
自動車には骨格やフレームと呼ばれる土台のような部品があります。
これも展示されていましたが、「車の骨」と言われると直感的に、そんな気がします。
ところが椅子の骨、机の骨、掃除機の骨、時計の骨と言われると
なんだか理解しがたいところがある。
たしかに、機械式時計の中身を分解して展示してあるところは、
それはもうメチャクチャ美しいです。
意味の分からない小さな部品。
どうしてこんな形をしているのか理解ができないけれど、
それらが組み合わさって時計としての機能を生み出す数々の部品。
一つ一つが芸術品のようです。
僕は時計に興味がありませんでしたし、腕時計をつけるのも好きじゃありませんが、
ああいう機械式時計の中身を見せられると一気に関心が高まります。
たぶん、僕が機械式の時計を買ったら、外側から時計を眺めながらも
心の中で時計の中で動いている細かい部品同士のエレガントな動きを
勝手に想像して楽しむことになるんだろうと思います。
完全に中身が透けて見えるような時計があったら買っちゃうかもしれません。
文字盤は見ずらいでしょうけど。
ただ、そんなに美しい時計とはいえ、「時計の骨」と言われると
どれが骨と呼ぶに相応しいかは分かりにくくなってしまったんです。
そこで生物の骨のほうへと意識を向けてみました。
そこでは進化を踏まえた分子細胞生物学からも解剖学からも、
さまざまな観点から骨を眺めることができるでしょう。
骨は進化的に見ていったとき、カルシウムの貯蔵庫としての役割があります。
原始の海にはカルシウムイオンが豊富に存在していた。
そのなかで体内にカルシウムを蓄積させられた生物が
カルシウムの少ない淡水域に活動範囲を広げていったという説です。
その説の信憑性はともかく、カルシウムが細胞分裂を始めとして
あらゆる生物にとって不可欠であることは間違いないところでしょう。
もちろん、骨には形態を支えるためのフレームとしての働きもあります。
骨も生体の一部であって、細胞によって生み出される器官です。
骨は成長するし、生まれ変わっていく体の一部分でもある。
生物という1つのシステムの一部分なわけです。
皮膚や内臓、筋肉などと同様に体の一部分だということです。
ただ、骨はリン酸カルシウムの結晶を主成分に持つために
生命活動を終えたあとも形を残していきやすい性質を持っている。
そこに他の器官とは別の印象を感じるだけであって
生命というシステムとして見たときには他の器官と同様だという話になります。
僕個人としては、そうした生物的な意味合いの他に
形態や外見というデザインを含めた観点からすれば、
骨には他の身体器官にはない意味があるとも思うんです。
例えば、全身の血管を並べて眺めてみたとき
その人の外見を想像するのは難しいでしょう。
指紋や眼球は、個人を特定できる要素を含んでいますし、
DNAを調べれば誰であるかは特定できますが、その人の外見は分かりません。
その点、骨は骨だけを見て、その人の外見を想像できる部品だと思えます。
最近、ターミネーター4の映画が公開されていますが、
ターミネーターの頭の骨を見れば、シュワルツネッガーの顔が想像できます。
骨は、他の器官と比べて外見に対する影響が強いと思うんです。
そうやって考えると、工業製品の骨というものも少しイメージしやすくなります。
その製品らしい形を決める部品ということでしょうか。
近年に開発されていく電子工業製品は、小型・薄型という
省スペースの方向に進む傾向が見受けられます。
そこでは機能が優先されているわけです。
必要な機能を満たすために最適な骨格が決まっていく。
同時に、その骨格が全体のデザインにも大きな影響を与える。
デザインと機能は切っても切り離せない関係にあって、
それを繋ぐものが骨なのかもしれません。
生物の形は機能と密接に関係しているように思えます。
鳥は空を飛ぶために、魚は水中を泳ぐために適した形をしている。
その形と機能の両方を支えているのが骨ではないだろうか。
そんな風に思えてきたわけです。
これから先の製品には、そんな"骨のある"ものが増えていくのかもしれません。