2009年11月01日
主役と背景
CMの効果を調べる目的で、接触頻度が好感にもたらす影響を調べた研究があります。
新規性と親近性の効果を調べたわけです。
馴染み深いものを好む傾向と同時に、馴染みがあり過ぎると飽きてしまう傾向がある。
馴染みが合って親しみを覚えることと、新しいことへの刺激と両方があるようです。
こういう傾向は人なら出しもが持っているものだと思います。
しかも色々な場面で出てくる。
発達心理的にいえば、親しみを覚える対象に対して、
十分な安心感というベースを体験してきた土台が弱い場合には
新しいものに飛びついていく冒険心は大きくない傾向があるようです。
で、調べられた内容というのは、
「人の顔」と「景色」と「幾何学模様」のパターンを沢山用意して、
2つの画像のうち「どちらが好ましいか」を調査するもの。
顔写真を二枚見せられて「どちらが好ましいですか?」というように
それぞれのカテゴリーで比較をしてもらう形です。
このとき、「好ましい」という答えが得られたほうは、
そのまま勝ち残って、次の画像と比較されることになります。
そういうテストを何度も繰り返していくと、
見慣れた画像というものが出てきます。
画像によって、目にする回数に片寄りが出てくる。
顔や景色の場合には、そもそも被験者の好みが反映されますから、
何度も勝ち残って選ばれ続けるもの、つまり目にする回数が多いものは
最初から好みの対象だったという可能性は十分に想定されます。
幾何学模様を2つ見せられて「どちらが好きか」を答える場合には
その人の過去の経験から作られる好みは反映されにくいと考えられますが、
「顔」という調査対象は、明らかに個人の過去を反映しすぎると僕には思えるので、
調査内容に「顔」を入れるのは難しい気もします。
実際の結果としては、「顔」の場合においてのみ
何度も見せられる顔に対して「好ましい」という判定がされることが多い
というデータが得られたといいます。
個人的には、そのデータは「最初から好みだった顔が選ばれ続けた」
という結果を示しているような気もしますが、
「何度も目にしている顔には好ましさを感じる」という結果と解釈する人もいます。
幾何学模様を使って同様の調査をしたときには、
「目にする回数と好ましさには相関がない」という結果だったそうです。
そして、僕が重要だと思うのは、「景色」を2つ見せて比較させた場合の結果。
このときには、「見せられる回数が少ないものほど好ましいと判断される」
データが得られたということです。
この結果を、他の2つと関連付けて解釈するのも色々な可能性が想定されますが、
少なくとも、「新しさ」や「珍しさ」に好意を持つときを示している
とは考えられるでしょう。
研究者たちによると、「顔」の場合には「親近性」が重視され、
「景色」の場合には「新規性」が重視される、
という結論になっていました。
これは普通に放送されているCMを思い出してみると、
実際によく行われるパターンだというわけです。
有名人が何度も登場するのは「顔」に対する「親近性」の効果。
背景になる場面が色々と工夫されるのは「景色」に対する「新規性」の効果。
その組み合わせがCMで使われている、と。
個人的には、「顔」というターゲットは既に好みの要素が強く反映されるものなので
その結果が「親近性が重視されている」という結論に結びつけるのは抵抗がありますが、
それを差し置いてでも景色のほうで「新規性」が強調された結果になったのは
非常に興味深いところだと思います。
僕が重要だと思うのは、どんな結果であれ
「顔」と「景色」では違う結果が得られたということです。
それは「顔」と「景色」では認知の仕方が違う可能性を示していると考えられるからです。
このことを別の言い方で説明すると、「前景」と「背景」ということになるでしょう。
「顔」は「前景」になりやすく、「景色」は「背景」になりやすい。
景色が景色だけである状態、例えば風景画とか、展望台からの眺めとか、
そういうときには景色も「前景」になるとは思いますが、
その中に特定の興味の対象が加わると景色は「背景」に追いやられやすいはずです。
ビルの窓から景色を眺めていたら、電車や飛行機が視野の中を横切ったとき。
動いているものは、動かない景色よりも「前景」になりやすいでしょう。
意識の中心になりやすいわけです。
この区別の仕方は、言語にも表れていると思います。
意識の中心になりやすいもの、「前景」になりやすいものは
動作を伴っていることが多い。
だから「動詞」を伴って、文章の「主語」になるのではないでしょうか。
映像的に思い浮かべたとき、「景色」と比べて「顔」は前景になりやすく、
その映像を文章で説明しようとした時には
「顔」に関する部分が「主語」として表現されるだろう、ということです。
例えば、公園という「景色」と、子供という「顔」があったとき、
両方が含まれる映像を想い浮かべて、その状況を説明すると
「子供が公園で遊んでいる」などの文章が作られやすいでしょう。
同じ場面を「公園の地面が子供に踏みしめられている」と言う人は少ないと思います。
言語の構造から考えると、主格は動作の主体なので、
認知のレベルでも、動作の主体になりやすい「顔」と
主体になりにくく背景になりやすい「景色」とでは
違いがあるのではないかと考えられます。
研究結果が「新規性」と「親近性」という関係を示しているかどうかは置いておいても、
主格になりやすいもの(顔)と、なりにくいもの(景色)とでは
認知の仕方が違うという結果を示しているのは興味深いと思います。
こういう結果は、NLPで映像を想い浮かべたときのサブモダリティを調べていても
普通に観察されることです。
思い浮かべた映像の中にも主格と感じられる部分と、
背景と感じられる部分が分けられているようなんです。
場合によっては背景なしで思い浮かべられるものもありますし、
背景がぼやけていたり、主格となる対象物だけが背景から浮き出ていることもあります。
主格(前景)と背景が別物として整理されていることが実感できる結果だと思います。
視覚の仕組みとしても、前景と背景は分けているという知見もあるそうです。
本を読むときに、文字を追いかけてもページの端は止まったままなのは
文字を前景として捉え、本のページを背景として捉えているためです。
ビデオカメラで本のページを録画することを想い浮かべると分かりやすいと思います。
カメラで文字を上から下に動かしながら録画したら、
本のページは相対的に上に上がっていくはずです。
でも肉眼で本の文字を追いかけるときには、本のページは固定されたまま。
背景と切り分けられて処理されているからでしょう。
NLPの考え方を取り入れていくと、こうした認知科学の知見と言語の関係を
上手く説明していくことができるような気がします。
言語活動にしても、潜在認知に裏付けられた行動にしても、
普段の生活では人が意識しない部分を沢山含んでいます。
その意識していない部分を意識化するためのツールとして
NLPで扱われている概念は意外と使い勝手が良いと思うんです。
そのあたりの発想で色々と活動できると面白いような気がしています。
新規性と親近性の効果を調べたわけです。
馴染み深いものを好む傾向と同時に、馴染みがあり過ぎると飽きてしまう傾向がある。
馴染みが合って親しみを覚えることと、新しいことへの刺激と両方があるようです。
こういう傾向は人なら出しもが持っているものだと思います。
しかも色々な場面で出てくる。
発達心理的にいえば、親しみを覚える対象に対して、
十分な安心感というベースを体験してきた土台が弱い場合には
新しいものに飛びついていく冒険心は大きくない傾向があるようです。
で、調べられた内容というのは、
「人の顔」と「景色」と「幾何学模様」のパターンを沢山用意して、
2つの画像のうち「どちらが好ましいか」を調査するもの。
顔写真を二枚見せられて「どちらが好ましいですか?」というように
それぞれのカテゴリーで比較をしてもらう形です。
このとき、「好ましい」という答えが得られたほうは、
そのまま勝ち残って、次の画像と比較されることになります。
そういうテストを何度も繰り返していくと、
見慣れた画像というものが出てきます。
画像によって、目にする回数に片寄りが出てくる。
顔や景色の場合には、そもそも被験者の好みが反映されますから、
何度も勝ち残って選ばれ続けるもの、つまり目にする回数が多いものは
最初から好みの対象だったという可能性は十分に想定されます。
幾何学模様を2つ見せられて「どちらが好きか」を答える場合には
その人の過去の経験から作られる好みは反映されにくいと考えられますが、
「顔」という調査対象は、明らかに個人の過去を反映しすぎると僕には思えるので、
調査内容に「顔」を入れるのは難しい気もします。
実際の結果としては、「顔」の場合においてのみ
何度も見せられる顔に対して「好ましい」という判定がされることが多い
というデータが得られたといいます。
個人的には、そのデータは「最初から好みだった顔が選ばれ続けた」
という結果を示しているような気もしますが、
「何度も目にしている顔には好ましさを感じる」という結果と解釈する人もいます。
幾何学模様を使って同様の調査をしたときには、
「目にする回数と好ましさには相関がない」という結果だったそうです。
そして、僕が重要だと思うのは、「景色」を2つ見せて比較させた場合の結果。
このときには、「見せられる回数が少ないものほど好ましいと判断される」
データが得られたということです。
この結果を、他の2つと関連付けて解釈するのも色々な可能性が想定されますが、
少なくとも、「新しさ」や「珍しさ」に好意を持つときを示している
とは考えられるでしょう。
研究者たちによると、「顔」の場合には「親近性」が重視され、
「景色」の場合には「新規性」が重視される、
という結論になっていました。
これは普通に放送されているCMを思い出してみると、
実際によく行われるパターンだというわけです。
有名人が何度も登場するのは「顔」に対する「親近性」の効果。
背景になる場面が色々と工夫されるのは「景色」に対する「新規性」の効果。
その組み合わせがCMで使われている、と。
個人的には、「顔」というターゲットは既に好みの要素が強く反映されるものなので
その結果が「親近性が重視されている」という結論に結びつけるのは抵抗がありますが、
それを差し置いてでも景色のほうで「新規性」が強調された結果になったのは
非常に興味深いところだと思います。
僕が重要だと思うのは、どんな結果であれ
「顔」と「景色」では違う結果が得られたということです。
それは「顔」と「景色」では認知の仕方が違う可能性を示していると考えられるからです。
このことを別の言い方で説明すると、「前景」と「背景」ということになるでしょう。
「顔」は「前景」になりやすく、「景色」は「背景」になりやすい。
景色が景色だけである状態、例えば風景画とか、展望台からの眺めとか、
そういうときには景色も「前景」になるとは思いますが、
その中に特定の興味の対象が加わると景色は「背景」に追いやられやすいはずです。
ビルの窓から景色を眺めていたら、電車や飛行機が視野の中を横切ったとき。
動いているものは、動かない景色よりも「前景」になりやすいでしょう。
意識の中心になりやすいわけです。
この区別の仕方は、言語にも表れていると思います。
意識の中心になりやすいもの、「前景」になりやすいものは
動作を伴っていることが多い。
だから「動詞」を伴って、文章の「主語」になるのではないでしょうか。
映像的に思い浮かべたとき、「景色」と比べて「顔」は前景になりやすく、
その映像を文章で説明しようとした時には
「顔」に関する部分が「主語」として表現されるだろう、ということです。
例えば、公園という「景色」と、子供という「顔」があったとき、
両方が含まれる映像を想い浮かべて、その状況を説明すると
「子供が公園で遊んでいる」などの文章が作られやすいでしょう。
同じ場面を「公園の地面が子供に踏みしめられている」と言う人は少ないと思います。
言語の構造から考えると、主格は動作の主体なので、
認知のレベルでも、動作の主体になりやすい「顔」と
主体になりにくく背景になりやすい「景色」とでは
違いがあるのではないかと考えられます。
研究結果が「新規性」と「親近性」という関係を示しているかどうかは置いておいても、
主格になりやすいもの(顔)と、なりにくいもの(景色)とでは
認知の仕方が違うという結果を示しているのは興味深いと思います。
こういう結果は、NLPで映像を想い浮かべたときのサブモダリティを調べていても
普通に観察されることです。
思い浮かべた映像の中にも主格と感じられる部分と、
背景と感じられる部分が分けられているようなんです。
場合によっては背景なしで思い浮かべられるものもありますし、
背景がぼやけていたり、主格となる対象物だけが背景から浮き出ていることもあります。
主格(前景)と背景が別物として整理されていることが実感できる結果だと思います。
視覚の仕組みとしても、前景と背景は分けているという知見もあるそうです。
本を読むときに、文字を追いかけてもページの端は止まったままなのは
文字を前景として捉え、本のページを背景として捉えているためです。
ビデオカメラで本のページを録画することを想い浮かべると分かりやすいと思います。
カメラで文字を上から下に動かしながら録画したら、
本のページは相対的に上に上がっていくはずです。
でも肉眼で本の文字を追いかけるときには、本のページは固定されたまま。
背景と切り分けられて処理されているからでしょう。
NLPの考え方を取り入れていくと、こうした認知科学の知見と言語の関係を
上手く説明していくことができるような気がします。
言語活動にしても、潜在認知に裏付けられた行動にしても、
普段の生活では人が意識しない部分を沢山含んでいます。
その意識していない部分を意識化するためのツールとして
NLPで扱われている概念は意外と使い勝手が良いと思うんです。
そのあたりの発想で色々と活動できると面白いような気がしています。