2009年11月23日
文章を速く読む人
今日の勉強会は刺激的でした。
個人的にも実りのある情報を沢山いただけたように感じています。
ご参加の方々、情報を共有して下さいまして、ありがとうございました。
以前から僕は、NLPの中の『チェイニング・アンカー』という技法は
ストラテジーのインストールのために利用するのが効果的だと考えていましたが、
今回、その考えをより実感できたと思います。
何かの作業を効率的にしたり、上達したりするために、
今までに自分がしていたのと違う意識の仕方を心がけるように努力すると、
確かに継続的な努力によって新しい手順(ストラテジー)を身につけることができますが
それは一般的なトレーニングで体験の量が必要なように時間を必要とします。
特に重要なのが、ストラテジーと呼べるぐらいまで
詳細な意識の向け方の手順を調べたものを取り入れていく場合、
その過程で余計な意識の仕方を入れては良くないわけです。
別のところへの意識が加わった瞬間に、意識の仕方の手順が変わってしまいますから。
せっかく新しい効果的な手順を身につけようとしているときに
目的とする意識の流れの中に含まれていない雑念が入ってしまっては
結果的に別の手順を進めていることになってしまうということです。
そういう意味では、最初に新しい意識の手順を身につけていくキッカケとして
無理やりに雑念を含まない目的通りの手順を記憶させてしまうほうが良い。
記憶させる効率は決して高くはないかもしれませんし、
それだけで完全に身につくわけではありませんが、
始めの一歩を正確に踏み出すことは大きなメリットになると考えられます。
0から100を目指すとき、1が生まれてしまえば流れに沿って進められる。
ところが、新しく何かを始めるときには、100に向かう道筋の1を踏み出すのが
意外と難しかったりするものです。
スポーツなどで基本をシッカリとトレーニングするのは
この最初の踏み出しの部分で余計な癖をつけない効果があるでしょう。
NLPでストラテジーを取り入れていく場合には、
上手くいっている人の意識を、正確な流れで再現する必要があります。
そうでないと別物を身につけて違う結果になる可能性があるからです。
そこで、始めの一歩として、正確な意識の流れを作るために
チェイニング・アンカーで意識の手順を繋げてしまうというわけです。
で、やってみるとコレが確かに効果がありそうな印象でした。
特に今回は、「本を速く読む」という方法が見えてきた部分があり
実りのある時間になったように感じています。
人は内的に感じられる五感の情報に対して
それぞれの得意・不得意があって、意識しやすい感覚情報と
気づきにくい感覚情報とがあるようです。
本を読んで文章を理解する、という一見するとシンプルな内容においても
自分の内側でどのように感覚情報を処理しているかは人それぞれ。
逆に、同じような情報処理をしていても
その処理が行われている際に感じられる感覚情報を
何を中心に意識していくかにも違いがあります。
僕は個人的に、内部の声を聞くの敏感なようです。
内部の映像は意識はしていますが、あまり詳細には捉えていない印象。
映像は抽象化されたものを、そのままボヤっと見ている感じがします。
なので、本を読むときにも自然と声が聞こえるんです。
これは自分が読んでいるというよりも、文字が音になったものが聞こえる感じ。
これが話せないぐらいの早口で聞こえます。
一般的な会話の3倍速ぐらいでしょうか。
文章も文字で捉えるというよりも、句読点ぐらいまでの範囲をガバッと捉えて、
その捉えた範囲の文章が瞬間的に早口の音に変換されます。
僕にとっては、その音を聞くことが「本を読む」という行為。
話してもらっているのを聞いているのと同じ感じです。
同時に、その聞こえてくる内容に対して議論をしている印象もあります。
一方、フォトリーディングや、他の速読の中にも
この文字を音にせずに読むという方法が伝えられます。
今回は、その方法を運よく学ばせてもらえましたが
やっている作業は比較的、僕の読み方と違い部分を感じました。
多分、僕も文章を見た瞬間に内容の把握を始めているんでしょう。
ただし、その音を聞くことに専念している。
それを文字の絵づらだけに集中してスピーディに目を進めていくと、
いつも聞こうとしていた声を気にせずに目を動かしても
なんとなく内容が入ってくるのが実感できました。
速読で言われる「音にしないで読む」ということの意味は
「自分で心の中で音読をして発話をしながら読む」ことを避ける部分ではないでしょうか。
見た瞬間に聞こえてきてしまう感覚を持っている人の場合には
それは文字情報が既に、別の感覚情報に置き換えられていますから
理解を進めていくスピードは比較的速く保たれるように思います。
あとは、眼で文章のカタマリを追いかける速さの問題。
そのスピードを上げれば理解力は落ちるかもしれませんが、
内容把握は十分に可能でしょう。
僕の場合、本を読むことの重要な意味として
内容をインプットして情報を集めること以外に、
本の内容と議論をして自分の考えを整理していくことがありますから、
重要な情報整理の仕方としては、聞こえてくる声と対話する必要がありそうです。
それを必要とせずに、何が書いてあるかを把握する目的であれば、
音を無視して文字だけを写真のように取り込んでいく方法で
効率的に本が読めそうに思いました。
文章をカタマリとして捉えて、その内容を発話を介さずに理解するというプロセスと、
書かれている文章を心の中で発話しながら音読するときと同じプロセスで理解するのでは
随分と情報処理の仕方が違うと考えられます。
おそらく速読のポイント、文章の効率的理解のポイントは
発話の印象を含めずに、受動的に文章そのものを頭に入れていく感覚にある。
それが僕の現状での実感です。
そのときに文章のカタマリを写真のように映像的に意識していくか、
聞こえてくる声のように音声的に意識していくか、という部分には
本人が内的に感知しやすい感覚情報の種類が影響するだけで、
発話の感覚を含めないという作業内容自体は同じなのかもしれません。
本の読み方のタイプを内的に自覚していることとセットにしながら
脳の活動部位などを調べてみると、言語野の動き方にも
違いがあるかもしれないと僕は推測しています。
読書中のブローカとウェルニッケの活動量に差があるんじゃないだろうか?と。
そして個人的には、本を読むときに自然と聞こえてくる声を聞いていたわけなので
周りの話し声がノイズとして非常に不愉快だったんですが、
今回学んだ文字を写真のように取り込む方法を心がけると
周りが多少うるさくても文章の理解が邪魔されにくくなった実感もあります。
僕の場合、文字のカタマリを写真のように捉えて取り込もうとしても
目に入った瞬間に音声が聞こえてしまうんですが、
それを聞こうとしなくても良いという点が気を楽にしてくれました。
本と議論したいときは静かな環境で聞こえてくる声と対話をして、
情報をインプットしたいときは、声を聞かずに文字だけに集中する。
そんな使い分けもできそうです。
もちろん、「文字をカタマリとして捉えて、それを写真のように取り入れる」
という説明だけで、その読み方を実感するのは難しいはずですが、
そのときに何を意識すればいいかが分かると、
なんとなく内容が入ってくる実感が得られるようです。
この意識の向け方が、本を速く読むときの技でしょう。
そのポイントと、具体的な練習法、それからバックグラウンドの理屈を簡単にまとめ、
その方法をインストールするためのチェイニング・アンカーの技術を加えれば
一つの速読術としてアピールできそうなぐらいの内容かもしれません。
タイトルは『本は剥がして読め』とか『はがし読みスピード読書術』とかでしょうか。
本を読む以外の部分も含めて、人それぞれの技や才能を
色々と垣間見て、その一端を感じさせてもらえた時間だったように思います。
個人的にも実りのある情報を沢山いただけたように感じています。
ご参加の方々、情報を共有して下さいまして、ありがとうございました。
以前から僕は、NLPの中の『チェイニング・アンカー』という技法は
ストラテジーのインストールのために利用するのが効果的だと考えていましたが、
今回、その考えをより実感できたと思います。
何かの作業を効率的にしたり、上達したりするために、
今までに自分がしていたのと違う意識の仕方を心がけるように努力すると、
確かに継続的な努力によって新しい手順(ストラテジー)を身につけることができますが
それは一般的なトレーニングで体験の量が必要なように時間を必要とします。
特に重要なのが、ストラテジーと呼べるぐらいまで
詳細な意識の向け方の手順を調べたものを取り入れていく場合、
その過程で余計な意識の仕方を入れては良くないわけです。
別のところへの意識が加わった瞬間に、意識の仕方の手順が変わってしまいますから。
せっかく新しい効果的な手順を身につけようとしているときに
目的とする意識の流れの中に含まれていない雑念が入ってしまっては
結果的に別の手順を進めていることになってしまうということです。
そういう意味では、最初に新しい意識の手順を身につけていくキッカケとして
無理やりに雑念を含まない目的通りの手順を記憶させてしまうほうが良い。
記憶させる効率は決して高くはないかもしれませんし、
それだけで完全に身につくわけではありませんが、
始めの一歩を正確に踏み出すことは大きなメリットになると考えられます。
0から100を目指すとき、1が生まれてしまえば流れに沿って進められる。
ところが、新しく何かを始めるときには、100に向かう道筋の1を踏み出すのが
意外と難しかったりするものです。
スポーツなどで基本をシッカリとトレーニングするのは
この最初の踏み出しの部分で余計な癖をつけない効果があるでしょう。
NLPでストラテジーを取り入れていく場合には、
上手くいっている人の意識を、正確な流れで再現する必要があります。
そうでないと別物を身につけて違う結果になる可能性があるからです。
そこで、始めの一歩として、正確な意識の流れを作るために
チェイニング・アンカーで意識の手順を繋げてしまうというわけです。
で、やってみるとコレが確かに効果がありそうな印象でした。
特に今回は、「本を速く読む」という方法が見えてきた部分があり
実りのある時間になったように感じています。
人は内的に感じられる五感の情報に対して
それぞれの得意・不得意があって、意識しやすい感覚情報と
気づきにくい感覚情報とがあるようです。
本を読んで文章を理解する、という一見するとシンプルな内容においても
自分の内側でどのように感覚情報を処理しているかは人それぞれ。
逆に、同じような情報処理をしていても
その処理が行われている際に感じられる感覚情報を
何を中心に意識していくかにも違いがあります。
僕は個人的に、内部の声を聞くの敏感なようです。
内部の映像は意識はしていますが、あまり詳細には捉えていない印象。
映像は抽象化されたものを、そのままボヤっと見ている感じがします。
なので、本を読むときにも自然と声が聞こえるんです。
これは自分が読んでいるというよりも、文字が音になったものが聞こえる感じ。
これが話せないぐらいの早口で聞こえます。
一般的な会話の3倍速ぐらいでしょうか。
文章も文字で捉えるというよりも、句読点ぐらいまでの範囲をガバッと捉えて、
その捉えた範囲の文章が瞬間的に早口の音に変換されます。
僕にとっては、その音を聞くことが「本を読む」という行為。
話してもらっているのを聞いているのと同じ感じです。
同時に、その聞こえてくる内容に対して議論をしている印象もあります。
一方、フォトリーディングや、他の速読の中にも
この文字を音にせずに読むという方法が伝えられます。
今回は、その方法を運よく学ばせてもらえましたが
やっている作業は比較的、僕の読み方と違い部分を感じました。
多分、僕も文章を見た瞬間に内容の把握を始めているんでしょう。
ただし、その音を聞くことに専念している。
それを文字の絵づらだけに集中してスピーディに目を進めていくと、
いつも聞こうとしていた声を気にせずに目を動かしても
なんとなく内容が入ってくるのが実感できました。
速読で言われる「音にしないで読む」ということの意味は
「自分で心の中で音読をして発話をしながら読む」ことを避ける部分ではないでしょうか。
見た瞬間に聞こえてきてしまう感覚を持っている人の場合には
それは文字情報が既に、別の感覚情報に置き換えられていますから
理解を進めていくスピードは比較的速く保たれるように思います。
あとは、眼で文章のカタマリを追いかける速さの問題。
そのスピードを上げれば理解力は落ちるかもしれませんが、
内容把握は十分に可能でしょう。
僕の場合、本を読むことの重要な意味として
内容をインプットして情報を集めること以外に、
本の内容と議論をして自分の考えを整理していくことがありますから、
重要な情報整理の仕方としては、聞こえてくる声と対話する必要がありそうです。
それを必要とせずに、何が書いてあるかを把握する目的であれば、
音を無視して文字だけを写真のように取り込んでいく方法で
効率的に本が読めそうに思いました。
文章をカタマリとして捉えて、その内容を発話を介さずに理解するというプロセスと、
書かれている文章を心の中で発話しながら音読するときと同じプロセスで理解するのでは
随分と情報処理の仕方が違うと考えられます。
おそらく速読のポイント、文章の効率的理解のポイントは
発話の印象を含めずに、受動的に文章そのものを頭に入れていく感覚にある。
それが僕の現状での実感です。
そのときに文章のカタマリを写真のように映像的に意識していくか、
聞こえてくる声のように音声的に意識していくか、という部分には
本人が内的に感知しやすい感覚情報の種類が影響するだけで、
発話の感覚を含めないという作業内容自体は同じなのかもしれません。
本の読み方のタイプを内的に自覚していることとセットにしながら
脳の活動部位などを調べてみると、言語野の動き方にも
違いがあるかもしれないと僕は推測しています。
読書中のブローカとウェルニッケの活動量に差があるんじゃないだろうか?と。
そして個人的には、本を読むときに自然と聞こえてくる声を聞いていたわけなので
周りの話し声がノイズとして非常に不愉快だったんですが、
今回学んだ文字を写真のように取り込む方法を心がけると
周りが多少うるさくても文章の理解が邪魔されにくくなった実感もあります。
僕の場合、文字のカタマリを写真のように捉えて取り込もうとしても
目に入った瞬間に音声が聞こえてしまうんですが、
それを聞こうとしなくても良いという点が気を楽にしてくれました。
本と議論したいときは静かな環境で聞こえてくる声と対話をして、
情報をインプットしたいときは、声を聞かずに文字だけに集中する。
そんな使い分けもできそうです。
もちろん、「文字をカタマリとして捉えて、それを写真のように取り入れる」
という説明だけで、その読み方を実感するのは難しいはずですが、
そのときに何を意識すればいいかが分かると、
なんとなく内容が入ってくる実感が得られるようです。
この意識の向け方が、本を速く読むときの技でしょう。
そのポイントと、具体的な練習法、それからバックグラウンドの理屈を簡単にまとめ、
その方法をインストールするためのチェイニング・アンカーの技術を加えれば
一つの速読術としてアピールできそうなぐらいの内容かもしれません。
タイトルは『本は剥がして読め』とか『はがし読みスピード読書術』とかでしょうか。
本を読む以外の部分も含めて、人それぞれの技や才能を
色々と垣間見て、その一端を感じさせてもらえた時間だったように思います。





