2010年01月05日

サブモダリティに関しての難しい話

僕は色々なことを自分の中でシッカリと理解して
全ての情報に矛盾がないように整理するのが好きなので、
セミナーでお伝えしているNLPというものに関しても
誰かが説明したことを鵜呑みにすることは好きではありません。

そういうスタンスで行くと困ることも出てきます。
最初に作られた理論的説明や、大元の団体で決められた説明の仕方では
納得がいかないところが多数出てきてしまいます。

学術的な視点からすると、そうした理論というのは、より公知のものとして
新たな情報を統合する形でブラッシュアップされていくべきだと思いますが、
NLPは決して学術的な意味でオープンになったものではなく、
資格ビジネスとしての意味合いを含んでいますから扱いが違ってくるわけです。

最近の僕は、NLPの資格に必要な内容の説明と、
他の分野の情報と照らし合わせながらNLPの理論を
突き詰めて理解したときに見えてくる内容と、
両方の間のギャップを強く感じています。

まぁ、相当強いレベルで不満を持っていると言えるでしょう。
憤りにすら近い。

もっと正確に理解しようという観点があっても良いように思うんです。


そのように不正確さを感じざるを得ない例として
サブモダリティという部分があります。

NLPでサブモダリティと呼ばれるものは、
主に五感からなるモダリティで区別される情報のことを言います。

例えば、視覚のモダリティで区別される情報として
大きさや色、形、明るさ、数…などがあるとされます。

実際の感覚器官としての視覚を考えると、眼は光を知覚するものですから、
明るさや色合いの情報が最も直接的なものと言えるはずです。

で、その色や明るさの範囲を『大きさ』として捉え、
他と区別される範囲を『形』という「まとまり」として捉えるようになる。

眼だけの情報からでは、「どこの位置に、どんな光を放っている部分があるか」
しか分からないわけですが、そこに触覚の情報が組み合わされて、
眼から確認される色合いの範囲と、手で触れた感覚とを照らし合わせて
形を識別するようになっていくと考えられます。

例えば、ペットボトルのような形を識別できるのは
その物体からの光の反射を視覚で知覚した情報と
手で触ったときに他の空間と違うものとして知覚した情報とを組み合わせて
ペットボトルの範囲を『形』として他の空間と区別できるようになる、ということです。

そうした視覚の情報の中で「他と違う範囲」として区別される部分と
触覚の情報の中で「他と違う範囲」として区別される部分とを組み合わせて
『形』というものを学習していき、その結果として
視覚情報だけでも「物の『形』の範囲」が認知できるようになっていく。

経験を通じて、視覚情報だけから『形』を捉えられるようになったら、
その『形』の経験を積み重ねていくことで、丸とか四角とかいった
より抽象的な図形も認知できるようになっていくと考えられます。

何か特定の「もの」の形を捉える場合と
「この範囲に、こんな色で、こんな明るさの所がある」と形を捉える場合では
意味合いが全く違うわけです。

ペットボトルの形を意識するとしたら、
それは既に「ペットボトル」という「もの」を認識したうえで
その形を意識していると言えます。

形というのは、それを抽象化した情報と照らし合わせて理解されることが多いため
純粋な感覚情報ではないはずだと思います。

NLPの中のある流派では、
意味づけされる前の五感で感じられた直接の情報を「一次情報」
言語によって意味づけされた情報を「二次情報」
と呼ぶようですが、感覚器官の性質と、それをベースにした認知の仕組みを考えれば
この区別の仕方は不十分なように思えてきます。

形は視覚でとらえられる感覚情報(一次情報)のようでもありますが、
実際には、経験を通じて抽象化された『形』のパターンを認識して
それと照らし合わせる形で識別されるわけですから
本人が意識の中で自覚するかどうかは別にして、既に意味づけがされているものなんです。

そして、その形を認知した上で、その形の意味を捉えると
その意味を持ったグループに『数』が数えられるようになります。

例えば、皿の上に「おにぎり」が2個と「ゆで卵」が1個ずつ乗ったものが3皿ある
というケースを考えてみます。

「おにぎり」というものが認識できるのは、空間中に「おにぎり」のある範囲が、
「おにぎり」特有の色や明るさを光の情報として届けるからです。
過去の経験と照らし合わせて、そのような視覚情報を持ったものを
「おにぎり」と認識する。

同時に、この「おにぎり」にも三角形という形を認知しているでしょう。

このケースで目に入っているものを
「2個のおにぎりと、1個のゆで卵」という意味づけで捉えることもできるし、
「三角形のものが2個と、丸いものが1個」という意味づけで捉えることもできます。

眼に入った情報を、どの意味のグループに分類して識別するかの違いです。

さらに、その意味グループを別のものにすると
「3つの食べ物」と捉えることもできるでしょう。

皿の上のものを一まとめにして「おにぎりセット」と捉えるなら
「3つのおにぎりセット」として数えることもできます。

数というのは、何かの意味を持ったグループを意識することで
捉え方が変わってくるものだということです。

つまり、数は五感で識別するものではなく、
五感で感じ取った情報を、意味を持ったグループとして解釈して、
そのグループに分類されるものを意識することで
初めて捉えられる情報だということです。

『数』は抽象度が高いとも言えます。
抽象的な意味グループを理解していないと認識できないものなわけです。

そう考えると、『数』というものを「サブモダリティ」の中に入れるかどうかは
よく議論する必要が出てくると思います。

少なくとも、『数』を「デジタルなサブモダリティ」などと
都合のいい言葉で説明するのは問題があると僕は考えます。

「デジタル」という時点で感覚情報ではなく
その感覚情報の組み合わせを抽象化した意味の情報になるからです。
それは感覚器官で区別される情報ではないでしょう。


僕の考えでは、全ての感覚器官で共通して識別される情報があって
それがベースになっている文字通りの「一次情報」ということになります。
共感覚的に捉えることのできる情報とも言えます。

そうした感覚ベースの情報として
「範囲」、「範囲のエッジの鋭さ」、「量(密度)」、
「エネルギーとしての振動数(周波数)」、「エネルギーの強さ」
などが想定されます。

各感覚器官で捉えられる、これらのベースの情報に対して
それぞれの感覚器官ごとに意味合いが与えられます。

視覚であれば、光の量は「色合いの鮮明さ」に、エネルギーの強さは「明るさ」に、
周波数は「色」に、といった具合です。

その次の段階として、これらの感覚情報のパターンを捉えた識別がなされます。

視覚であれば、「範囲」と「エッジ」のパターンに対して「形」という意味が、
光の「量(密度)」のパターンに対して「透明度」という意味が与えられ、
聴覚であれば、「範囲」のパターンに対して
「音の長さ」や「リズム」という意味が与えられるわけです。

どうやら動物は、こうしたパターン認識の能力を持っているようなので
こうしたパターンの知覚までは感覚ベースの情報と呼んで良い気がします。

実際、この段階では、すでに感覚情報そのものだけではなく、
経験を通じて区別できるようになってきたパターンを利用しますので
厳密には、感覚器官でインプットされた情報そのままを知覚してはいないはずです。

ちなみに、よく「あるがままに感じる」などという言い方をしますが、
本当に感覚器官の情報ベースで「あるがまま」に感じていたら
「形」も「立体感」も「質感」も「リズム」も「音色」も感じられなくなるでしょう。

何かが目や耳に入ってきているという程度だと推測されます。
脳の特定の部位だけを損傷させると「あるがまま」に知覚できるかもしれませんが、
ほとんど全ての日常生活が出来なくなると考えられます。

感覚器官を通じて物事を認知できているのは
パターン認識能力と経験とに支えられているわけです。

感覚器官で捉えた情報に対して二次的な処理が加わっているものの、
感覚に付随して整理されているという意味では
ここの段階までは「サブモダリティ」と呼んで良いと思います。

その次の段階は、こうした感覚情報の組み合わせに対して
意味を与えていく抽象化のプロセスです。

この先は細かく段階的に見ていくよりも、何に注目して分類するかというほうが重要で、
複雑に入り組み合った概念のネットワークが作られるところと言えます。
細かい抽象化の段階を全てまとめて、意味の分類をする段階と考えます。

例えば、
リンゴ、柿、ミカン、イチゴ、メロン、キャベツ、キュウリ、ニンジン
という集合を考えたとき、
「丸いもの」と「細長いもの」に分類することもできれば
「野菜」と「果物」に分類することも、「色」によって分類することもできる。

このように意味の分類は、何に注目するかで違ってくるわけです。

こうした複雑なレベルの意味分類の段階にくると、
物事の認識には、五感で知覚される感覚情報よりも
過去の経験で作られたパターンの意味のほうが重要になってきます。

「どの範囲に、どんな色の光が、どれくらいの量あるか」
という感覚情報の捉え方を細かく意識することなく、
眼に入った情報を過去の意味のパターンに分類して
「リンゴがあるぞ」などと意識する。

一般的に、人はこの意味のグループを捉える段階で日常生活を送ります。
コミュニケーションで使われる言語も、この意味のグループに対して
決まった音のグループとしての「発音」と
決まった形のグループとしての「文字」を当てはめて作られたものと言えます。

「数」というのも、この意味のグループに対して当てはめられたものですから
感覚情報として捉えられるものではなく、
どちらかというと言語に近い情報だと考えられます。

より正確にいえば、「数学」という言語体系の中の概念の1つでしょう。


以上のように、感覚器官が外界の情報に反応して識別する情報の段階、
そのパターンを識別して各感覚特有の「まとまり」を持った情報を識別する段階、
それらの感覚情報の組み合わせのパターンに「意味」を当てはめて
意味のグループの分類を識別する段階、
というプロセスを想定する考え方です。

「サブモダリティ」を考えることの意義は
「サブモダリティ」の組み合わせに対して「意味」を認識する
という部分にあるはずです。

人が意味のまとまりを捉えられるものは、
全てサブモダリティの組み合わせで説明ができる、と。

そう考えることで、言語活動さえも
感覚情報の処理の仕方として説明できるようになるはずなんです。
(その説明の仕方をするNLPの人を僕は見たことがありませんが)

NLPのテキストや書籍の中には
「サブモダリティを変えると、体験の意味が変わる」
というような表現があったりしますが、それも正確ではないでしょう。

意味そのものがサブモダリティの組み合わせのことなんですから。
そのサブモダリティが変われば、意味が変わるのは当然です。
「サブモダリティを変えて、違う体験の意味づけに変える」のほうが正確なはずです。

この「サブモダリティの組み合わせが意味になる」という考え方においては
意味を捉えた後でなければ認識できない『数』の要素は
サブモダリティと呼べないだろうと思うんです。

「サブモダリティとは何か?」ということをシッカリと考えていけば
いくら初期に決められた説明の仕方だからといって
修正する可能性も出てくる気がするんですが。


もちろん、現実的にNLPを利用していくことを考えた場合、
そんな細かい話は全くどうだって良いことです。

知らなくても問題ないし、意識する必要さえあまりないでしょう。
説明されたことを「そういうもんか」と思っておけば十分だと思います。

ところが、その十分に吟味されていない説明の仕方を正しいものとして取り上げ、
その情報を知っていることが資格取得の条件のように扱われてしまうと
僕の中には猛烈に拒否感が出てきてしまいます。

重要じゃないのなら詳しく触れずに誤魔化しておけば良いのに。
変に細かく扱おうとするから、しわ寄せが出てくるんじゃないでしょうか。

細かく説明しようとするなら、それ相応の吟味をして欲しいものです。

そもそも、バンドラーは細かく理論を説明しようという人ではない気がします。
使ってこそ意味があるというスタンスを感じます。

だったら、NLPのスキルと呼ばれるものを利用する目的においては
細かい説明なんてしないほうが良いと思うんです。
事実、バンドラーはそうやって活動をしている気がします。

なので、僕も区別をしています。
僕の中で矛盾がない説明の仕方は、決められた説明の仕方と違ってしまう。
NLPという枠の中では、決められた説明を優先しよう、と。

このブログの話はNLPの言葉を、他の情報と関連付けた説明の仕方。
NLPの話ではなく、僕が人間の認知のプロセスをどう理解しているか、という話です。

ただ、この細かい部分をシッカリと整理していくと
NLPの理論体系は様々な学術分野を繋ぎ合わせる境界領域として
結構活躍できるような気もするんです。

僕が細かいところにコダワリを持っているのは、
NLPという視点が非常に幅広く効果を発揮できると考えているから。

もっと活かせると思うからこそ残念さも募るのでしょうね。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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