2011年09月15日

貢献したいかどうか

コペルニクスが唱えた地動説は科学の歴史に大きく貢献したと言えるでしょう。
「コペルニクス的転回」という言葉が現代でも使われるほど
これまでの常識を覆す大きな進展をもたらしたわけです。

それを様々な観測結果から支持したガリレオ・ガリレイもまた
科学史には欠かせないほどの貢献をしてきたと誰もが認めると思います。

当時のローマ教皇は地動説を禁じていたために、
ガリレオ・ガリレイは裁判にかけられることになります。
裁判というよりも異端を取り締まる場だったのでしょうが。

そこで発したとされる「それでも地球は回っている」との言葉は非常に有名です。

コペルニクスもガリレオ・ガリレイも、科学に対して、人類の歴史に対して
大きな貢献をした人のはずです。

しかし、彼ら自身の中に、一体どれほどの「貢献欲求」があったのでしょうか?


心理学の類や、自己啓発、マネジメントやリーダーシップ論などの中には
「貢献」の重要性を説くものが多いように思えます。
場合によっては「人には貢献欲求というものがある」と主張するのも目にします。

僕は、この「貢献欲求」というのに疑問があります。
僕には全く実感がありません。

「貢献したい」なんて一瞬たりとも思ったことがない。

自分の本心を探っていくと、他人のためにしているに見える行動も
自分にメリットがあるからやっていると感じられます。

承認欲求があるというのは、誰もが納得できるんじゃないでしょうか。
すると貢献欲求の実態は、承認欲求であることが大半でしょう。

「大半」といったのは、あくまでも世の中には本当に純粋な
貢献欲求を感じたことのある人がいるかもしれないという配慮からで、
「貢献」という言葉を使う背景のほとんど全ては承認欲求から来るだろう、
という話です。

もちろん、承認を求めるのが悪いと言っているのではありません。
それはいたって自然なことだと思います。

むしろ、「全ての人に承認欲求がある」ということを前提にするのは
「全ての人が、食事をしなければ生きていけない」というのと同じぐらい自然で、
生きていくのに欠かせないものと捉えているということです。

そして、その自然な承認欲求は他者に対して強く向けられやすいですから、
「貢献しよう」という場合には、貢献のための行動をした結果として得られる
他者からの承認を期待しているんじゃないかと考えられます。

逆にいえば、他者からの承認が全くないとしても
その行動をしたいと思えるかどうか、ということです。

他人がどうあれ、自分がしたいと思えるか。

自分がしたことなのに、誰にも感謝されることはない。
それどころか、自分がしたとさえ気づいてもらっていない。

場合によっては、それが他人からは当たり前だと捉えられて
自分が何かをしたことにすら気づかれない。
当然、自分が何をしたところで、誰も喜んでいない。

それでも、そのことをしたいと思えるかどうか、です。

そこまでいくと、一切の承認を求めていないと言えるでしょう。

このレベルでも、人には「何かをしたい」という欲求はあると思います。
それは、自分が好きなことをするとか、世の中に何かの作用をもたらすとか、
自分が生きている意味を自分で見出すような行為かもしれません。

ともすると、ワガママで独りよがり。
迷惑にさえなることがあっても、それでもしたいんだから仕方ない。
それぐらいの欲求もあるような気がします。
(※迷惑をかけていることを自覚しないで好き勝手にするのとは違います)


で、歴史上、偉大な「貢献」をしたとされる人たちは、どちらかというと
この「ワガママ」に近い、承認を求めない欲求から行動したように思えるんです。

コペルニクスは科学の歴史に大きな貢献をしましたが、
貢献しようとしてやっていたのかどうかは分かりません。
むしろ科学者の大半は、自分が好きだからやっているような人たちでしょう。

ガリレオ・ガリレイにいたっては、世の中から迫害されて、非難されている中でも
自分の考えを貫こうとしたわけです。
賛同者は欲しかったかもしれませんが、それがいないことを知っていても
最後の最後まで自分の主張を曲げなかったんです。

結果的に大きな「貢献」となりましたが、貢献しようとしていたとは僕には思えません。

別に貢献しようとしなくたって良いと思うんです。
むしろ好きなようにすればいい。

その結果、誰かが喜んでくれるかもしれません。
後世で、大きな貢献をしたと評価してもらえるかもしれません。

「誰かのために」とか「世のため人のため」とかいうのは危険でさえある気がします。

もし、「世の中のために」と思ってやったことが
少しでも自分のしたいことからズレていたとしたら、苦しみが大きくなります。

さらに、「世の中のため」のはずなのに、評価も承認も得られなかったとしたら
大きく力を浪費して、自分だけが疲れていってしまいます。

「誰から否定されようが、やりたい」というほどワガママを貫けるだけの
大切なことであれば、たとえ疲れてでも頑張るでしょう。

しかし、後からそうでなかったことに気づいたとき、ズレていたと分かったとき、
他の誰にも、どうすることもできない苦しみが残ることになります。

そこには自分の内側から湧き出る喜びもなく、他人から認められることもなかった。
きっと「何のためにやっていたのだろう…」という気持ちが残るんじゃないでしょうか。

これをケアするのは大変です。

「貢献」という言葉には、自分の本心からの願いを曇らせる危険性があると思います。
「誰かのために」と「自分の喜び」とを混同させてしまうリスクがあるはずです。


別に、わざわざ「世のため、人のため」と貢献しようとする必要はない気がします。

自分の好きなことをすればいい。
広い世の中には、そのことを喜ぶ人がいるでしょう。

その価値は十分すぎるほど大きいと思います。

cozyharada at 23:33│Comments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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