2012年09月25日
大事なこと
悲しみに打ちひしがれるのはツライ。
だからといって、
悲しみがあることに気づかないのは残念なことかもしれない。
悲しみの奥にある大切な気持ちに気づくと
ありがたみが感じられ、受け入れやすくなるから。
そのとき、悲しみへ存分に浸ることが意味を持つようになる。
しかし。
悲しみの奥にある大事な意味を分かっていながらも
その悲しみを感じていることが許されない状況は、
もっと苦しい。
それだったら、
悲しみの底にある意味に気づかないでいるほうが
まだマシかもしれない。
悲しみに耐えようとしたり、忘れようとしたりできるから。
さらに悲しみそのものに気づかなくできれば
もっと気が楽でいられるんじゃないか。
ただ、知ってしまったからには
悲しみの意味を忘れることも
悲しみそのものを無視することもできない。
残された方向性は
悲しみを心ゆくまで味わう機会を
作れるように取り組むこと。
…そんなことを感じる今日この頃。
悲しみを味わうことが許されない状況にならないよう
自分でコントロールできるようにしておこうと思います。
だからといって、
悲しみがあることに気づかないのは残念なことかもしれない。
悲しみの奥にある大切な気持ちに気づくと
ありがたみが感じられ、受け入れやすくなるから。
そのとき、悲しみへ存分に浸ることが意味を持つようになる。
しかし。
悲しみの奥にある大事な意味を分かっていながらも
その悲しみを感じていることが許されない状況は、
もっと苦しい。
それだったら、
悲しみの底にある意味に気づかないでいるほうが
まだマシかもしれない。
悲しみに耐えようとしたり、忘れようとしたりできるから。
さらに悲しみそのものに気づかなくできれば
もっと気が楽でいられるんじゃないか。
ただ、知ってしまったからには
悲しみの意味を忘れることも
悲しみそのものを無視することもできない。
残された方向性は
悲しみを心ゆくまで味わう機会を
作れるように取り組むこと。
…そんなことを感じる今日この頃。
悲しみを味わうことが許されない状況にならないよう
自分でコントロールできるようにしておこうと思います。
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この記事へのコメント
1. Posted by 金澤 2012年09月28日 13:48
咳をしてもひとり
という句を、ふと、思い出しました。
悲しみを味わうという言葉から思い起こしたようです。
寂しさで解釈されることが多いですが、もう少し断固とした覚悟があるように感じます。
原田先生の文を読んで、そういうことを思った…という話でした。
という句を、ふと、思い出しました。
悲しみを味わうという言葉から思い起こしたようです。
寂しさで解釈されることが多いですが、もう少し断固とした覚悟があるように感じます。
原田先生の文を読んで、そういうことを思った…という話でした。