2012年12月03日
人生をマネジメントする話の続き
人生とマネジメントの話のつづきなんですが、
企業の経営に役立つ発想を、個人の人生に適用するときには
「あくまで自分の仕事においては」
という前置きを強調するのが大事だと思います。
ライフスタイルの理念、あるいは「自分のミッションやビジョン」を考えると
自分の生き方が明確になって役に立つかもしれません。
しかし、前の記事でも書いたように
人生全般では、仕事以外の局面でも他者と接点を持つんです。
場面が変われば、同じ人物が相手でも
大事にしたいものが変わってくるのが自然なことです。
そうすると、必ずしも「これが自分のミッションだ」と宣言した形だけで
全ての局面に対応するのが快適ではなくなる可能性がある。
割り切れない想いが混ざってくるということです。
だからこそ、
「あくまで自分の仕事においては」
と前置きしたうえで、
仕事のミッションを考えるほうが賢明じゃないか、と。
「自分の仕事における理念やミッション」であれば
仕事の範囲だけということで割り切りやすくなるでしょうから。
確かに、「これが自分の生き方です!」と断言できると役立つこともあるでしょうし、
強い信念をもって生きる姿はカッコイイとも思います。
ただ、僕は個人的に、
人はもっと好き勝手に、色々とやりたいことを楽しめば良い
と思っています。
「味わう」とか「堪能する」といったほうがシックリきますが。
身近な喩えを挙げなら…。
実家の犬が生きていたときは、毛やらヨダレやらで汚れるのが嫌だったのに
死んでしまってからは、ヨダレがつくことも、毛が落ちていることもないのが
逆に寂しく感じられて、むしろ犬の毛を発見するほうが嬉しく思えたりする。
そんな感じ。
痛みや傷が愛おしく思える
とか
スポーツの大事な試合で負けて、悔しくて泣き明かした思い出が懐かしい
とか
心が大きく動く体験が味わいになるときがあるようです。
そういうのが、仕事以外の色々な場面であるものじゃないでしょうか。
ビジョンやミッションといった考え方も、カタカナなんですから
当然アメリカから輸入されたものなんでしょう。
多くの人がイメージとして持っていると推測していますが、
アメリカ人が仕事に重きを置く程度は
日本人と比べると低いように見受けられます。
業種によっては残業もあるようですが、
日本ほど「仕事に没頭することが美徳」といった感じは薄そうな印象を受けます。
実際、アメリカ発の自己啓発の手法には『人生の輪』と呼ばれる図形があって、
人生を”仕事”、”家族”、”遊び”、”健康”など、6つとか8つの側面に分類して
その満足度を振り返るような作業があったりもします。
つまり、仕事で満足できれば幸せ、という発想ではなさそうだ、と。
その点、日本のほうが仕事に重点が置かれているというか、
「仕事を通じて自己実現」といった雰囲気さえあるように感じます。
そうすると、「自分のビジョンやミッション」ということを考えたときにも
仕事のビジョンやミッションが、人生全てに当てはまるような感じ方が
起きてしまいやすいんじゃないかと思えるんです。
言い換えるなら、
「仕事を通じて成し遂げたいこと、大事にしたいこと」が
仮に人生の80%を占めていたとすると
その「成し遂げたいこと、大事にしたいこと」が人生全般のことのように感じられ
まるで「人生のミッションやビジョン」のように思えてくるんじゃないだろうか、
と懸念しているということです。
もちろん、仕事が人生の90%だというスタンスも、人それぞれの考えでしょう。
その場合、仕事のビジョン・ミッションが人生全般のものだと言っても
大きな違いは生まれないのかもしれません。
ですが、それでも残り10%だって、
その人の一生の中で大切な部分だと思うんです。
そこは必ずしも、そのビジョンやミッションと沿っていなくたって構わないだろう、と。
ましてや、仕事を人生の20%と捉えている人がいるとしたら
「”あくまで仕事における”ビジョンとミッション」という風に限定しておかないと
残りの80%まで、仕事における基準で味わいを判断することになりかねません。
仕事を通じて世の中と関わりを持ち、
世の中に対して何かを成し遂げていく。
それだって、人生全般の喜びの中の一部であって、
それが全てじゃないということです。
人それぞれ、色々な楽しみ方があって良いじゃないですか。
ビジネスにおいて役立つ考え方は
「仕事において」という局面に限定しておけば十分な気がします。
人生をテーマパークに喩えるなら、
仕事は大人気のアトラクションの1つだということです。
遊びに来ている時間の大部分を、1つのアトラクションで過ごすのも良いでしょう。
ビジョンやミッションという発想は、その仕事というアトラクションのゲームで
良いスコアを出すためのコツのようなものかもしれません。
ただ、そのテーマパークには、まだまだ色々なアトラクションがあります。
そのテーマパークの”住人”と触れあうのが好きな人だっていますし、
雰囲気を味わいながら、ゆっくりと歩くのが好きな人だっているでしょう。
写真を撮るような楽しみ方だってあるんです。
メルヘンたっぷりのアトラクションも良いでしょうし、
ハッピーな気分に浸れるアトラクションだって、
冒険気分を味わえるアトラクションだって、
恐怖やスリルを味わえるアトラクションだって、
好きなところで楽しめるわけです。
「泣けました!」っていうアトラクションだって素敵なものでしょう。
テーマパークには、色々な楽しみ方があるはずです。
まぁ、「好きなように楽しんだら?」っていうだけのことなんですが。
ちなみに、僕は
”テーマパークの中で言い伝えられている噂話を鵜呑みにしない”
っていう遊びを楽しんでいます。
企業の経営に役立つ発想を、個人の人生に適用するときには
「あくまで自分の仕事においては」
という前置きを強調するのが大事だと思います。
ライフスタイルの理念、あるいは「自分のミッションやビジョン」を考えると
自分の生き方が明確になって役に立つかもしれません。
しかし、前の記事でも書いたように
人生全般では、仕事以外の局面でも他者と接点を持つんです。
場面が変われば、同じ人物が相手でも
大事にしたいものが変わってくるのが自然なことです。
そうすると、必ずしも「これが自分のミッションだ」と宣言した形だけで
全ての局面に対応するのが快適ではなくなる可能性がある。
割り切れない想いが混ざってくるということです。
だからこそ、
「あくまで自分の仕事においては」
と前置きしたうえで、
仕事のミッションを考えるほうが賢明じゃないか、と。
「自分の仕事における理念やミッション」であれば
仕事の範囲だけということで割り切りやすくなるでしょうから。
確かに、「これが自分の生き方です!」と断言できると役立つこともあるでしょうし、
強い信念をもって生きる姿はカッコイイとも思います。
ただ、僕は個人的に、
人はもっと好き勝手に、色々とやりたいことを楽しめば良い
と思っています。
「味わう」とか「堪能する」といったほうがシックリきますが。
身近な喩えを挙げなら…。
実家の犬が生きていたときは、毛やらヨダレやらで汚れるのが嫌だったのに
死んでしまってからは、ヨダレがつくことも、毛が落ちていることもないのが
逆に寂しく感じられて、むしろ犬の毛を発見するほうが嬉しく思えたりする。
そんな感じ。
痛みや傷が愛おしく思える
とか
スポーツの大事な試合で負けて、悔しくて泣き明かした思い出が懐かしい
とか
心が大きく動く体験が味わいになるときがあるようです。
そういうのが、仕事以外の色々な場面であるものじゃないでしょうか。
ビジョンやミッションといった考え方も、カタカナなんですから
当然アメリカから輸入されたものなんでしょう。
多くの人がイメージとして持っていると推測していますが、
アメリカ人が仕事に重きを置く程度は
日本人と比べると低いように見受けられます。
業種によっては残業もあるようですが、
日本ほど「仕事に没頭することが美徳」といった感じは薄そうな印象を受けます。
実際、アメリカ発の自己啓発の手法には『人生の輪』と呼ばれる図形があって、
人生を”仕事”、”家族”、”遊び”、”健康”など、6つとか8つの側面に分類して
その満足度を振り返るような作業があったりもします。
つまり、仕事で満足できれば幸せ、という発想ではなさそうだ、と。
その点、日本のほうが仕事に重点が置かれているというか、
「仕事を通じて自己実現」といった雰囲気さえあるように感じます。
そうすると、「自分のビジョンやミッション」ということを考えたときにも
仕事のビジョンやミッションが、人生全てに当てはまるような感じ方が
起きてしまいやすいんじゃないかと思えるんです。
言い換えるなら、
「仕事を通じて成し遂げたいこと、大事にしたいこと」が
仮に人生の80%を占めていたとすると
その「成し遂げたいこと、大事にしたいこと」が人生全般のことのように感じられ
まるで「人生のミッションやビジョン」のように思えてくるんじゃないだろうか、
と懸念しているということです。
もちろん、仕事が人生の90%だというスタンスも、人それぞれの考えでしょう。
その場合、仕事のビジョン・ミッションが人生全般のものだと言っても
大きな違いは生まれないのかもしれません。
ですが、それでも残り10%だって、
その人の一生の中で大切な部分だと思うんです。
そこは必ずしも、そのビジョンやミッションと沿っていなくたって構わないだろう、と。
ましてや、仕事を人生の20%と捉えている人がいるとしたら
「”あくまで仕事における”ビジョンとミッション」という風に限定しておかないと
残りの80%まで、仕事における基準で味わいを判断することになりかねません。
仕事を通じて世の中と関わりを持ち、
世の中に対して何かを成し遂げていく。
それだって、人生全般の喜びの中の一部であって、
それが全てじゃないということです。
人それぞれ、色々な楽しみ方があって良いじゃないですか。
ビジネスにおいて役立つ考え方は
「仕事において」という局面に限定しておけば十分な気がします。
人生をテーマパークに喩えるなら、
仕事は大人気のアトラクションの1つだということです。
遊びに来ている時間の大部分を、1つのアトラクションで過ごすのも良いでしょう。
ビジョンやミッションという発想は、その仕事というアトラクションのゲームで
良いスコアを出すためのコツのようなものかもしれません。
ただ、そのテーマパークには、まだまだ色々なアトラクションがあります。
そのテーマパークの”住人”と触れあうのが好きな人だっていますし、
雰囲気を味わいながら、ゆっくりと歩くのが好きな人だっているでしょう。
写真を撮るような楽しみ方だってあるんです。
メルヘンたっぷりのアトラクションも良いでしょうし、
ハッピーな気分に浸れるアトラクションだって、
冒険気分を味わえるアトラクションだって、
恐怖やスリルを味わえるアトラクションだって、
好きなところで楽しめるわけです。
「泣けました!」っていうアトラクションだって素敵なものでしょう。
テーマパークには、色々な楽しみ方があるはずです。
まぁ、「好きなように楽しんだら?」っていうだけのことなんですが。
ちなみに、僕は
”テーマパークの中で言い伝えられている噂話を鵜呑みにしない”
っていう遊びを楽しんでいます。