2012年12月19日
日本が誇る文化遺産
世界中に「文化遺産」と呼ばれるものがあります。
観光地として有名な遺跡なんかも沢山あります。
たしかに、自然が作り出した神秘的な美しさがあったり、
昔の人の努力の結晶が保存されていたりしているのでしょう。
でも、「歴史の流れの中で、人々の知恵と努力が集まったもの」
という観点でいえば、もっと身近なところにも『文化遺産』があると思います。
日本が世界に誇る、至高の文化遺産。
それは『スーパーマーケット』です。
あれはスゴイ。
多くの人が何気なく通り過ぎているでしょうけれど、
”スーパー”に集約されている知恵と努力と想いは、とてつもないものを感じます。
現代の社会における最高峰の努力の結晶。
そのうちの1つだと言えるんじゃないでしょうか。
そもそも『スーパーマーケット』という概念が歴史的に価値があります。
流通が発展して、小売業の1形態として生まれた斬新な店舗でしょう。
何でも買える店なんですから。
記憶が確かなら、”スーパー”は、アメリカで生まれた形態だったと思います。
それが日本にやってきて、日本向けにアレンジされいる。
日本人の消費者の好みへ緻密に合わせるように、工夫が重ねられてきたはずです。
それが見て取れるんです。
商品のサイズには、消費者の中に様々な生活パターンの人がいることを想定して、
「一人暮らしの若い男性」、「老夫婦二人の生活」、「小さな子供がいる家庭」など
多くの人の好みに合わせたバリエーションがあるわけです。
そうした工夫は、アメリカ式の「なんでもデッカイお徳用」とは別物だと思えます。
商品の陳列の仕方だって、工夫があります。
カテゴリー別に置くだけでなく、何かの食事を提案するように
関連する食材を近くに置いたりする。
それも誰かが始めた工夫が広まったものと言えるでしょう。
タイムサービスだって、試食だって、誰かのアイデアが広まって
知恵として”スーパー”という形態の中に蓄積してきているんです。
品物の種類だって、消費者の好みの多様性を反映するように様々です。
大量生産の標準的で安心に安いもの、
有機栽培のコダワリ食材で高級なもの、
自社ブランドで知名度は低いけど徹底的に安さを追求したもの…。
加工食品になれば、さらに多くの人の努力が集まってきます。
商品の魅力を伝えつつ差別化できて、目につくようなパッケージデザイン、
新しさと美味しさへ工夫を続ける新商品開発、
その美味しさを可能にする新しい製法技術の開発…。
さらには広告を考える人もいます。
冷凍食材や生鮮食材には、在庫管理や配送のための工夫もあることでしょう。
工場で生産性や品質管理を工夫する人もいて、
原材料を作るところや、原料となる食材を輸入する人たちもいる。
電話が生まれ、インターネットが生まれ、
船や飛行機での輸送によって海外と取引できるようになって、
国内のインフラ整備と自動車業界の努力が重なって
安定した商品の配送が可能になっている。
1つの商品だけを見ても、その背後には大勢の努力と知恵と想いが見えます。
隣に並ぶ商品との競争さえも、関わる人たちの動機になっていることでしょう。
スーパーの建物そのものだって工夫がありますし、
使われている電気だって人類の知恵の賜物です。
もう、ありとあらゆる人間の知恵と想いが、
スーパーマーケットに集まっているように見えます。
一体、何人の力が関わっているのでしょうか?
数百万人ということはないかもしれません。
数千万人?
もしかしたら、世界まで視野に入れると数億人かもしれません。
そんな多くの人の想いが集まった場所に、
日々を生きている消費者が集まってくる。
そうした背後にある努力と想いには関心を向けることなく
多くの人が自分にとって意味のあるものだけを買っていきます。
それぞれの人が、売り場の滞在時間にバラつきを持っているはずです。
人によっては、ある売り場には絶対行かないということもあるでしょう。
それでも”スーパー”には、はかりしれない量の気持ちが集まっているんです。
もちろん、コンビニもスゴイです。
ですが、大型のスーパーのほうが迫力があります。
似たような種類の商品の多さが、それを感じさせてくれます。
大きな”スーパー”の中を、1つ1つの棚をじっくりと眺めながら
その背後にある全ての関わりを想像しつつ歩いてみると感慨深いものです。
オススメします。
一人ひとりの仕事は小さくても、それが沢山集まって
これだけの形を作っているんだと感じられるでしょう。
見事に調和したシステムがそこにあります。
現代までに積み重ねられてきた人類の英知が
スーパーマーケットに集約されているのが感じられると思います。
100年前には不可能だったことが、目の前に広がっているんです。
文字通り「文化の遺産」を引き継いできている証拠のような場所です。
別に、「だから、全ての人の努力と想いに感謝しましょう」
と言っているのではありません。
ただ、「スゴイんですよ!」と言いたいんです。
一人では絶対にできないことですし
今じゃなきゃ味わえない最先端の文化遺産だと思うんです。
それが崩れたときがあったじゃないですか。
震災の後、”スーパー”が空っぽになった。
徐々に復旧して、今や完全に元通りです。
どこかのダメージがシステム全体を機能させなくする。
そういう実例を体験していたんだと思います。
”スーパー”ってスゴイんだ。
そのことを思うほどに、僕は、あの空っぽの場面を思い出します。
空っぽになったスーパーマーケット。
これもまた忘れたくない震災の記憶かもしれません。
観光地として有名な遺跡なんかも沢山あります。
たしかに、自然が作り出した神秘的な美しさがあったり、
昔の人の努力の結晶が保存されていたりしているのでしょう。
でも、「歴史の流れの中で、人々の知恵と努力が集まったもの」
という観点でいえば、もっと身近なところにも『文化遺産』があると思います。
日本が世界に誇る、至高の文化遺産。
それは『スーパーマーケット』です。
あれはスゴイ。
多くの人が何気なく通り過ぎているでしょうけれど、
”スーパー”に集約されている知恵と努力と想いは、とてつもないものを感じます。
現代の社会における最高峰の努力の結晶。
そのうちの1つだと言えるんじゃないでしょうか。
そもそも『スーパーマーケット』という概念が歴史的に価値があります。
流通が発展して、小売業の1形態として生まれた斬新な店舗でしょう。
何でも買える店なんですから。
記憶が確かなら、”スーパー”は、アメリカで生まれた形態だったと思います。
それが日本にやってきて、日本向けにアレンジされいる。
日本人の消費者の好みへ緻密に合わせるように、工夫が重ねられてきたはずです。
それが見て取れるんです。
商品のサイズには、消費者の中に様々な生活パターンの人がいることを想定して、
「一人暮らしの若い男性」、「老夫婦二人の生活」、「小さな子供がいる家庭」など
多くの人の好みに合わせたバリエーションがあるわけです。
そうした工夫は、アメリカ式の「なんでもデッカイお徳用」とは別物だと思えます。
商品の陳列の仕方だって、工夫があります。
カテゴリー別に置くだけでなく、何かの食事を提案するように
関連する食材を近くに置いたりする。
それも誰かが始めた工夫が広まったものと言えるでしょう。
タイムサービスだって、試食だって、誰かのアイデアが広まって
知恵として”スーパー”という形態の中に蓄積してきているんです。
品物の種類だって、消費者の好みの多様性を反映するように様々です。
大量生産の標準的で安心に安いもの、
有機栽培のコダワリ食材で高級なもの、
自社ブランドで知名度は低いけど徹底的に安さを追求したもの…。
加工食品になれば、さらに多くの人の努力が集まってきます。
商品の魅力を伝えつつ差別化できて、目につくようなパッケージデザイン、
新しさと美味しさへ工夫を続ける新商品開発、
その美味しさを可能にする新しい製法技術の開発…。
さらには広告を考える人もいます。
冷凍食材や生鮮食材には、在庫管理や配送のための工夫もあることでしょう。
工場で生産性や品質管理を工夫する人もいて、
原材料を作るところや、原料となる食材を輸入する人たちもいる。
電話が生まれ、インターネットが生まれ、
船や飛行機での輸送によって海外と取引できるようになって、
国内のインフラ整備と自動車業界の努力が重なって
安定した商品の配送が可能になっている。
1つの商品だけを見ても、その背後には大勢の努力と知恵と想いが見えます。
隣に並ぶ商品との競争さえも、関わる人たちの動機になっていることでしょう。
スーパーの建物そのものだって工夫がありますし、
使われている電気だって人類の知恵の賜物です。
もう、ありとあらゆる人間の知恵と想いが、
スーパーマーケットに集まっているように見えます。
一体、何人の力が関わっているのでしょうか?
数百万人ということはないかもしれません。
数千万人?
もしかしたら、世界まで視野に入れると数億人かもしれません。
そんな多くの人の想いが集まった場所に、
日々を生きている消費者が集まってくる。
そうした背後にある努力と想いには関心を向けることなく
多くの人が自分にとって意味のあるものだけを買っていきます。
それぞれの人が、売り場の滞在時間にバラつきを持っているはずです。
人によっては、ある売り場には絶対行かないということもあるでしょう。
それでも”スーパー”には、はかりしれない量の気持ちが集まっているんです。
もちろん、コンビニもスゴイです。
ですが、大型のスーパーのほうが迫力があります。
似たような種類の商品の多さが、それを感じさせてくれます。
大きな”スーパー”の中を、1つ1つの棚をじっくりと眺めながら
その背後にある全ての関わりを想像しつつ歩いてみると感慨深いものです。
オススメします。
一人ひとりの仕事は小さくても、それが沢山集まって
これだけの形を作っているんだと感じられるでしょう。
見事に調和したシステムがそこにあります。
現代までに積み重ねられてきた人類の英知が
スーパーマーケットに集約されているのが感じられると思います。
100年前には不可能だったことが、目の前に広がっているんです。
文字通り「文化の遺産」を引き継いできている証拠のような場所です。
別に、「だから、全ての人の努力と想いに感謝しましょう」
と言っているのではありません。
ただ、「スゴイんですよ!」と言いたいんです。
一人では絶対にできないことですし
今じゃなきゃ味わえない最先端の文化遺産だと思うんです。
それが崩れたときがあったじゃないですか。
震災の後、”スーパー”が空っぽになった。
徐々に復旧して、今や完全に元通りです。
どこかのダメージがシステム全体を機能させなくする。
そういう実例を体験していたんだと思います。
”スーパー”ってスゴイんだ。
そのことを思うほどに、僕は、あの空っぽの場面を思い出します。
空っぽになったスーパーマーケット。
これもまた忘れたくない震災の記憶かもしれません。