2013年01月29日
痛みを味わう
少し前に、ある動画を見ました。
面白いからと勧められたんです。
「きっと男性なら誰でも反応するでしょう」ということで。
動画そのものはバカバカしくて面白かったです。
ただ、「反応するか」というと、僕には特にありませんでした。
多少、下品な話になりますが、
その動画はアメリカのバラエティ番組で
『痛みを我慢する』達人のようなパフォーマンス集団が
過激な痛みの我慢をする、というもの。
とはいっても、血が出るようなタイプではありません。
たたく、ぶつかる、落ちる、といったシーンが大半。
なので、バカバカしく見られるのでしょう。
テレビやyoutubeなどで人気になることの多い投稿動画で、
予想もつかない角度からサッカーボールが顔面に当たるとか
自転車で走っていてスゴイ勢いで転ぶとか、
そういった類のがありますが、
僕が見た動画の大部分は、そんな感じのドジな痛みを
意図的に作り出して我慢するといった内容だったんです。
高いところから木材で作った棒の上に飛び降りるとか、
走っていって何かに激突するとか、そんな感じ。
で、そのパフォーマーで主役(?、人気者?)なのが
最強の股間を持つ男として知られる人物でした。
プロレス中継の反則技として見受けられる「金的攻撃」よりも激しく
自らの股の間に打撃を加えて我慢するんです。
木の棒にまたがる形で飛び降りたり、
他のメンバーに股の下から棒で殴らせたり、
勢いよく飛んでくるテニスボールを股で受けたり。
もう、番組の出演者や観客も目を伏せたくなるようなシーンの連続でした。
血が出たり、ケガをしたりしたらアウトなんでしょうが
それを我慢して大丈夫な状態を保っているので
パフォーマンスとして成立しているんでしょう。
それは確かにバカバカしくて笑える内容でした。
ダチョウ倶楽部とか、電撃ネットワークとか、たけし軍団とか
日本のバラエティでも、「体を張った」笑いというのはありますし。
ただ、僕にとって考えさせられるところがあったのは、
その映像を見ていても、身体的な痛みを想像することがなかった、
ということなんです。
もちろん、一時期流行った「 K-1 」や「プライド」のような格闘技を見ていても
多くの人は、痛みを想像しながらは観戦していないでしょう。
そんなことをしたら楽しめません。
目を覆うばかりだろうと思います。
それでも、股間に打撃が加わるシーンというのは
もうちょっと違う意味を持つことが多いようです。
プロ野球のキャッチャーや審判の股間にボールが当たるシーンは
これまた気の毒だけど笑える状況としてテレビで取り上げられることがあります。
多分、自分でも10年前とか20年前とかだったら
テレビで流れるそういうシーンに『反応』していたと思うんです。
実際に痛いわけではないけれど、なんとく「ウワッ」と思って
体がすくむような『反応』。
でも先日、その股間に打撃が加わるシーンの連続を見ても
以前のような『反応』はありませんでした。
考えられる理由はシンプルでしょう。
そういった痛みを、もう長いこと体験していないから。
忘れているわけです。
高校生ぐらいまでであれば体育の授業や部活など
積極的に体を動かすことが多々あります。
大学生ぐらいでも、まぁ、それなりに体を動かしながら何かをする
ということがあったように記憶しています。
そういう活動の中で、アクシデントとして股間に衝撃が加わったことはあるはずです。
…多分。
でも、もうハッキリとした映像イメージでは思い出せないんです。
野球をやっていてボールが当たったことはあったように思いますが
そういった「良くある話」の記憶は、科学的には不正確だとも言われますし。
少なくとも、自分自身の経験として「どんな体感覚だったか」が
記憶の中から随分と薄れてしまっているようです。
頑張って記憶と体感覚に集中して思い出そうとすると
「あぁ、こんな感じになるんだったなぁ」というのが蘇りますから、
体験したこと自体はあるんだと思います。
それが、残念ながら、動画を見たぐらいでは思い出されなかった、と。
同じ「痛み」というものを取り上げても、肩コリであれば事情は違います。
肩コリのヒドイ人は、その肩に表れている緊張感を見ているだけで
僕まで肩に力が入って痛みがドンドン強くなっていきますから。
打撃の痛みを映像として見たときに想像するのは、
どうやら筋肉の硬直ぐあいから想像するのとは違っているのでしょう。
打撃の痛みを想像するには、同じような痛みの体験を思い出せるかどうかが
大部分の役割を担っているんじゃないかと思います。
僕には、思い出せる範囲の記憶がありませんでした。
それは、随分とそういった体を積極的に使う活動をしていない、という意味。
運悪く股間に打撃が加わるという体験は、
そのリスクを伴った活動をしていない限り
意外と起きないものなのかもしれません。
多分、僕はもう20年近く、それを経験していない気がします。
何年体験していないのかを把握できないぐらい、遠のいているんです。
もっといえば、子供のころに体験していたような身体的な痛みを
最近は全く体験していないんじゃないか、と思えます。
転んで擦り傷…なんて、最後はいつのことでしょうか。
最近の僕にとって最も良くある出血は、鼻血です。
子供の頃には、肩コリや関節の痛みなんてありませんでした。
痛みの大部分は、ぶつかる、ひねる、切れる、擦れる…とかだったはず。
何も子供のように生活をしたいわけではありません。
ただ、活動の幅が狭くなっているような気がして、
なんだか少し寂しいような気持ちになったんです。
チョットぐらいは、体を動かす量を増やしてみたい気分です。
面白いからと勧められたんです。
「きっと男性なら誰でも反応するでしょう」ということで。
動画そのものはバカバカしくて面白かったです。
ただ、「反応するか」というと、僕には特にありませんでした。
多少、下品な話になりますが、
その動画はアメリカのバラエティ番組で
『痛みを我慢する』達人のようなパフォーマンス集団が
過激な痛みの我慢をする、というもの。
とはいっても、血が出るようなタイプではありません。
たたく、ぶつかる、落ちる、といったシーンが大半。
なので、バカバカしく見られるのでしょう。
テレビやyoutubeなどで人気になることの多い投稿動画で、
予想もつかない角度からサッカーボールが顔面に当たるとか
自転車で走っていてスゴイ勢いで転ぶとか、
そういった類のがありますが、
僕が見た動画の大部分は、そんな感じのドジな痛みを
意図的に作り出して我慢するといった内容だったんです。
高いところから木材で作った棒の上に飛び降りるとか、
走っていって何かに激突するとか、そんな感じ。
で、そのパフォーマーで主役(?、人気者?)なのが
最強の股間を持つ男として知られる人物でした。
プロレス中継の反則技として見受けられる「金的攻撃」よりも激しく
自らの股の間に打撃を加えて我慢するんです。
木の棒にまたがる形で飛び降りたり、
他のメンバーに股の下から棒で殴らせたり、
勢いよく飛んでくるテニスボールを股で受けたり。
もう、番組の出演者や観客も目を伏せたくなるようなシーンの連続でした。
血が出たり、ケガをしたりしたらアウトなんでしょうが
それを我慢して大丈夫な状態を保っているので
パフォーマンスとして成立しているんでしょう。
それは確かにバカバカしくて笑える内容でした。
ダチョウ倶楽部とか、電撃ネットワークとか、たけし軍団とか
日本のバラエティでも、「体を張った」笑いというのはありますし。
ただ、僕にとって考えさせられるところがあったのは、
その映像を見ていても、身体的な痛みを想像することがなかった、
ということなんです。
もちろん、一時期流行った「 K-1 」や「プライド」のような格闘技を見ていても
多くの人は、痛みを想像しながらは観戦していないでしょう。
そんなことをしたら楽しめません。
目を覆うばかりだろうと思います。
それでも、股間に打撃が加わるシーンというのは
もうちょっと違う意味を持つことが多いようです。
プロ野球のキャッチャーや審判の股間にボールが当たるシーンは
これまた気の毒だけど笑える状況としてテレビで取り上げられることがあります。
多分、自分でも10年前とか20年前とかだったら
テレビで流れるそういうシーンに『反応』していたと思うんです。
実際に痛いわけではないけれど、なんとく「ウワッ」と思って
体がすくむような『反応』。
でも先日、その股間に打撃が加わるシーンの連続を見ても
以前のような『反応』はありませんでした。
考えられる理由はシンプルでしょう。
そういった痛みを、もう長いこと体験していないから。
忘れているわけです。
高校生ぐらいまでであれば体育の授業や部活など
積極的に体を動かすことが多々あります。
大学生ぐらいでも、まぁ、それなりに体を動かしながら何かをする
ということがあったように記憶しています。
そういう活動の中で、アクシデントとして股間に衝撃が加わったことはあるはずです。
…多分。
でも、もうハッキリとした映像イメージでは思い出せないんです。
野球をやっていてボールが当たったことはあったように思いますが
そういった「良くある話」の記憶は、科学的には不正確だとも言われますし。
少なくとも、自分自身の経験として「どんな体感覚だったか」が
記憶の中から随分と薄れてしまっているようです。
頑張って記憶と体感覚に集中して思い出そうとすると
「あぁ、こんな感じになるんだったなぁ」というのが蘇りますから、
体験したこと自体はあるんだと思います。
それが、残念ながら、動画を見たぐらいでは思い出されなかった、と。
同じ「痛み」というものを取り上げても、肩コリであれば事情は違います。
肩コリのヒドイ人は、その肩に表れている緊張感を見ているだけで
僕まで肩に力が入って痛みがドンドン強くなっていきますから。
打撃の痛みを映像として見たときに想像するのは、
どうやら筋肉の硬直ぐあいから想像するのとは違っているのでしょう。
打撃の痛みを想像するには、同じような痛みの体験を思い出せるかどうかが
大部分の役割を担っているんじゃないかと思います。
僕には、思い出せる範囲の記憶がありませんでした。
それは、随分とそういった体を積極的に使う活動をしていない、という意味。
運悪く股間に打撃が加わるという体験は、
そのリスクを伴った活動をしていない限り
意外と起きないものなのかもしれません。
多分、僕はもう20年近く、それを経験していない気がします。
何年体験していないのかを把握できないぐらい、遠のいているんです。
もっといえば、子供のころに体験していたような身体的な痛みを
最近は全く体験していないんじゃないか、と思えます。
転んで擦り傷…なんて、最後はいつのことでしょうか。
最近の僕にとって最も良くある出血は、鼻血です。
子供の頃には、肩コリや関節の痛みなんてありませんでした。
痛みの大部分は、ぶつかる、ひねる、切れる、擦れる…とかだったはず。
何も子供のように生活をしたいわけではありません。
ただ、活動の幅が狭くなっているような気がして、
なんだか少し寂しいような気持ちになったんです。
チョットぐらいは、体を動かす量を増やしてみたい気分です。