2013年02月02日
原典
ああだ、こうだと頭の中で考えを巡らせるのが好きな僕としては
何を勉強しても、そのまま”受け入れる”ということがありません。
鵜呑みにしないのを大切にしているというか、
それが癖になっているというか。
消化を良くするために、しっかり咀嚼しておく感じ。
吟味することでもあるし、関連づけることでもあるし、疑うことでもあります。
そうやって考えてきた過程で、
「なるほど、こういうことか!」と閃くときが多々ありました。
その一方で、「原点(=原典)から学ぶ」ということが
僕はあまり好きではありません。
「この説を誰が唱えていたか」という情報は、僕にとって重視されないようです。
ですから、あらゆる本を徹底的に調べるわけではないんです。
トレーナーとして何かを説明しているときに質問を受けることが良くありますが、
僕なんかよりも本を沢山読んでいて、知識の量が多い人が大勢います。
教わることもしばしば。
特に、物事の出発点に立ち返るところまで調べる人は
本当に沢山の本を読んでいますから、感心させられっぱなしです。
そうしていると、幸か不幸か、
知らないうちに僕も、昔の人と同じ見解に辿り着いていた
ということが何度も出てきました。
自分としては、本から沢山の情報を仕入れることをせずに
ただ実践から得られた知見を、周辺分野も含めて
もっとも辻褄が合うように整理をしているうちに導かれた結論。
それに気づいたときには「オッ!」と思って喜びもあるんですが、
なんのことはない。
実は、原点に近いところで主張していた人たちの本には
まさにそのことが、そのまま記載されていたりする。
僕が「こういう風に整理すると、辻褄が合う」と解説をしたときに、
「それって、○○の本の中で、〜が書いていましたね。」
というコメントを頂くことが度々あったんです。
そんなときは、
「あぁ、良かった。変なこと言ってなかった」と安心する気持ちが少し、
「なんだ、本に書いてあったのか…」とガッカリする気持ちが少し。
「しかも、30年以上前か…」と、さらに残念な気持ちになる場合も。
まぁ、実際に本を読んでいたとしても
それが同じ結論として理解できていたかどうかも分かりませんから、
僕としてはスタイルを変えるつもりは、さほどないんですが。
例えば、僕はNLPをやってきた中で
数多くの曖昧な説明を聞いてきました。
「人それぞれ、物事の受け取り方(=フレーム)があって、
それによって反応が変わる」
という説明もあれば、
「人には様々な種類のプログラム(=フィルター)がある」
という説明もあります。
全く統一感がない。
同じ人が、同じような概念を、別の用語で説明したりするわけです。
トレーナーとしても、どれを優先して解説すべきか、
どのタイミングで、どの説明のモデルを使うか、色々と迷ったものです。
それがコミュニケーションと関係してきたりした場合には、
さらに面倒くさい話になっていました。
(そういうときは、意図的に誤魔化して説明していましたが…)
さらに、多くの先人が、NLP以外のコンセプトを追加したようです。
それで用語が一層、混乱しやすくなってくる。
考えてみたら自然なことかもしれません。
ゼロからNLPだけを学んで、それだけを伝えるトレーナーは少ない。
最初から、ビジネスの研修やコーチング、セラピーなどの専門性を持った人が
新たにNLPというのを追加するように取り組むケースが多かったようです。
結果として、元々のニュアンスと違う内容が、
役に立つ「似たもの」として取り入れられる、と。
具体的に1つ取り上げるなら、
「フレーム」という概念は、ややこしい部類でしょう。
明らかに、NLPの技法として『リフレーミング』という名称のものがあって、
そこには前置きとして『フレーム』が設定されます。
ところが、プログラムやらフィルターやらの話になると、
”価値観”、”ビリーフ”、”メタプログラム”、”経験”…などと色々列挙されるのに
その中に『フレーム』は出てこない。
『リフレーミング』という技術の名称と、
『フレーム』という存在がリンクしていない印象だったんです。
そこへ、さらに近接業界の人が、「似たもの」を持ちこみます。
「プリフレーム」、「フレーミング」、「ディフレーミング」…。
フレーミングやプリフレームというのは、考えの方向性を導くために
重要なメッセージの前置きとして使われる言葉のようです。
ということは、ここでいう『フレーム』は
「考え方の枠組み」といった意味合いでしょう。
社会心理学でいう『スキーマ』に近いと思います。
では、なぜ、この意味合いでの『フレーム』は
『フィルター』や『プログラム』の中には登場しないんでしょうか?
この辺りを整理したくなって、色々と考えてみた結果、
僕の中では、
「フレームはサブモダリティ(五感の情報)の組み合わせである」
という結論に辿り着きました。
というよりも、それ以外に、NLPでやっている作業を
辻褄の合う形で説明できる方法が見つからなかったんです。
で、「よし、これでゴチャゴチャしているところが区別できるようになった」
とコッソリ喜んでいたんですが…。
ここでも、同じような体験がありました。
何十年も前に、オリジナルの人が、同じことを説明していたんです。
『フレーム』という概念は、”人工知能の父”とも呼ばれる認知科学者
マーヴィン・ミンスキーによって1975年に提唱されたものでした。
そして、その定義では、最初から「五感の情報を組み合わせて」
という内容が述べられていたんです。
実は、そもそもの定義のところから、そのままだったんです。
僕はただ、知らないうちに、ミンスキーの定義に戻っていただけ…。
NLPの初期の人たちが、ミンスキーから
『フレーム』という概念を取り入れたのかどうかは定かではありません。
NLPの初期に、『フレーム』を「五感の情報の組み合わせ」として
理解していたかも定かではありません。
少なくとも、僕がNLPを学ぶようになった頃の主流には
そのような説明はありませんでした。
僕はグルグル迂回して、結局、出発点に戻ったわけです。
1975年の情報に。
なんとも複雑な気分だったものです。
本からの勉強も大事ですね。
何を勉強しても、そのまま”受け入れる”ということがありません。
鵜呑みにしないのを大切にしているというか、
それが癖になっているというか。
消化を良くするために、しっかり咀嚼しておく感じ。
吟味することでもあるし、関連づけることでもあるし、疑うことでもあります。
そうやって考えてきた過程で、
「なるほど、こういうことか!」と閃くときが多々ありました。
その一方で、「原点(=原典)から学ぶ」ということが
僕はあまり好きではありません。
「この説を誰が唱えていたか」という情報は、僕にとって重視されないようです。
ですから、あらゆる本を徹底的に調べるわけではないんです。
トレーナーとして何かを説明しているときに質問を受けることが良くありますが、
僕なんかよりも本を沢山読んでいて、知識の量が多い人が大勢います。
教わることもしばしば。
特に、物事の出発点に立ち返るところまで調べる人は
本当に沢山の本を読んでいますから、感心させられっぱなしです。
そうしていると、幸か不幸か、
知らないうちに僕も、昔の人と同じ見解に辿り着いていた
ということが何度も出てきました。
自分としては、本から沢山の情報を仕入れることをせずに
ただ実践から得られた知見を、周辺分野も含めて
もっとも辻褄が合うように整理をしているうちに導かれた結論。
それに気づいたときには「オッ!」と思って喜びもあるんですが、
なんのことはない。
実は、原点に近いところで主張していた人たちの本には
まさにそのことが、そのまま記載されていたりする。
僕が「こういう風に整理すると、辻褄が合う」と解説をしたときに、
「それって、○○の本の中で、〜が書いていましたね。」
というコメントを頂くことが度々あったんです。
そんなときは、
「あぁ、良かった。変なこと言ってなかった」と安心する気持ちが少し、
「なんだ、本に書いてあったのか…」とガッカリする気持ちが少し。
「しかも、30年以上前か…」と、さらに残念な気持ちになる場合も。
まぁ、実際に本を読んでいたとしても
それが同じ結論として理解できていたかどうかも分かりませんから、
僕としてはスタイルを変えるつもりは、さほどないんですが。
例えば、僕はNLPをやってきた中で
数多くの曖昧な説明を聞いてきました。
「人それぞれ、物事の受け取り方(=フレーム)があって、
それによって反応が変わる」
という説明もあれば、
「人には様々な種類のプログラム(=フィルター)がある」
という説明もあります。
全く統一感がない。
同じ人が、同じような概念を、別の用語で説明したりするわけです。
トレーナーとしても、どれを優先して解説すべきか、
どのタイミングで、どの説明のモデルを使うか、色々と迷ったものです。
それがコミュニケーションと関係してきたりした場合には、
さらに面倒くさい話になっていました。
(そういうときは、意図的に誤魔化して説明していましたが…)
さらに、多くの先人が、NLP以外のコンセプトを追加したようです。
それで用語が一層、混乱しやすくなってくる。
考えてみたら自然なことかもしれません。
ゼロからNLPだけを学んで、それだけを伝えるトレーナーは少ない。
最初から、ビジネスの研修やコーチング、セラピーなどの専門性を持った人が
新たにNLPというのを追加するように取り組むケースが多かったようです。
結果として、元々のニュアンスと違う内容が、
役に立つ「似たもの」として取り入れられる、と。
具体的に1つ取り上げるなら、
「フレーム」という概念は、ややこしい部類でしょう。
明らかに、NLPの技法として『リフレーミング』という名称のものがあって、
そこには前置きとして『フレーム』が設定されます。
ところが、プログラムやらフィルターやらの話になると、
”価値観”、”ビリーフ”、”メタプログラム”、”経験”…などと色々列挙されるのに
その中に『フレーム』は出てこない。
『リフレーミング』という技術の名称と、
『フレーム』という存在がリンクしていない印象だったんです。
そこへ、さらに近接業界の人が、「似たもの」を持ちこみます。
「プリフレーム」、「フレーミング」、「ディフレーミング」…。
フレーミングやプリフレームというのは、考えの方向性を導くために
重要なメッセージの前置きとして使われる言葉のようです。
ということは、ここでいう『フレーム』は
「考え方の枠組み」といった意味合いでしょう。
社会心理学でいう『スキーマ』に近いと思います。
では、なぜ、この意味合いでの『フレーム』は
『フィルター』や『プログラム』の中には登場しないんでしょうか?
この辺りを整理したくなって、色々と考えてみた結果、
僕の中では、
「フレームはサブモダリティ(五感の情報)の組み合わせである」
という結論に辿り着きました。
というよりも、それ以外に、NLPでやっている作業を
辻褄の合う形で説明できる方法が見つからなかったんです。
で、「よし、これでゴチャゴチャしているところが区別できるようになった」
とコッソリ喜んでいたんですが…。
ここでも、同じような体験がありました。
何十年も前に、オリジナルの人が、同じことを説明していたんです。
『フレーム』という概念は、”人工知能の父”とも呼ばれる認知科学者
マーヴィン・ミンスキーによって1975年に提唱されたものでした。
そして、その定義では、最初から「五感の情報を組み合わせて」
という内容が述べられていたんです。
実は、そもそもの定義のところから、そのままだったんです。
僕はただ、知らないうちに、ミンスキーの定義に戻っていただけ…。
NLPの初期の人たちが、ミンスキーから
『フレーム』という概念を取り入れたのかどうかは定かではありません。
NLPの初期に、『フレーム』を「五感の情報の組み合わせ」として
理解していたかも定かではありません。
少なくとも、僕がNLPを学ぶようになった頃の主流には
そのような説明はありませんでした。
僕はグルグル迂回して、結局、出発点に戻ったわけです。
1975年の情報に。
なんとも複雑な気分だったものです。
本からの勉強も大事ですね。