2013年03月03日
意外と「詳細なタイプ」ではない
絵を描いてみました。
ずんぐりとして見えますが、元の画像を見ながら描いたものなので
その馬そのものが、そんな感じだったんです。
僕の頭の中の馬のイメージは、もっと足がスラッと長い感じですから
自分で見ていても違和感があります。
まぁ、その馬の内容そのものが重要なのではなくて、
こういう感じで、詳細な絵を描こうとするときに僕が直面する事態があります。
丁寧に描きこもうとすると、かなり途中の段階で飽きるんです。
最初は楽しく描いているんですが、
そのヤル気が最後まで続きません。
多分、完成のスピードが遅くて、嫌なんだと思います。
全体像が見えてくるというか、絵が出来上がる感じというか
そちらに気持ちが向いているんでしょう。
細かい影なんかを描きこんでいる時間は
進みが遅いようで楽しめないみたいです。
「細かい作業が嫌い」というわけではなく、
その作業内容と得られる成果との間に自分なりの予測があって、
そのスピードが期待に一致しないと不満になってくるような感じ。
思い返せば、小学校・中学校・高校と
美術の時間の作業も、先生に注意されるぐらい速かったものでした。
細かい作業を少しずつ確実に進めていくというのが耐えられず、
それなりの形を短時間で仕上げることばかりしていた気がします。
公園に出かけて水彩画を描くようなイベントのときも、
予定時間よりもずっと早く仕上げて、後は公園内で遊んでいました。
水彩画の方法も習った覚えがありませんでしたから、
僕にとっての絵具の使い方は油彩に近くて、
濃いままの絵具をベタベタと重ねて描いていたんです。
構図や対象物の形は正確な”骨格”で写し取って、
あとは適当にその”もの”の雰囲気を絵具でペタペタ、と。
そうすると、それっぽい絵が短時間で出来上がっていたんです。
そんなにヘタな画じゃなかったと思いますが、
「これは水彩画ではない」
という理由で、僕の中学校時代の美術の評価は
ちゃんとルールに従っている生徒よりも低かったものです。
心の中で不満を感じながらも、何が悪いのかさえ分かっていませんでした。
高校に入ったら、美術の先生が自由な人だったので
僕の適当なやり方を認めてくれて、高い評価をもらえるようになりました。
皆よりも圧倒的に早く終わる。
細部を厳密にやれば、もっとできるんだろうけれど
全体の雰囲気として「これでもOK」というフィードバックをもらい、
一人だけ他のことをして美術の時間を楽しんでいたんです。
皆がデッサンをやっている間、なぜか僕だけ版画をやっていたり。
「こうじゃなくてはいけない」というルールも好きではなかった気がしますが、
そのルールに従うかどうかは大した問題ではなかったと思います。
とにかくチョットずつ細部をやる地道な作業の繰り返しが嫌で
自分が「できあがり」と思えるまでのプロセスを
できるだけ短時間でやるのが好きだったんです。
そこには「進展のスピード」が速いときに感じられる喜びがあったんでしょう。
自分が「良い」と思える基準が、無邪気で無自覚なままに存在していて
それが「ダメだ」と言われる理由が理解できていませんでした。
大事なことと、どうでもいいことの差がハッキリしていたのかもしれません。
またいつか、そういう気持ちを思い出しながら
本格的に絵を描いてみたいと思っています。
油絵をやりたいなぁ、と。
ずんぐりとして見えますが、元の画像を見ながら描いたものなので
その馬そのものが、そんな感じだったんです。
僕の頭の中の馬のイメージは、もっと足がスラッと長い感じですから
自分で見ていても違和感があります。
まぁ、その馬の内容そのものが重要なのではなくて、
こういう感じで、詳細な絵を描こうとするときに僕が直面する事態があります。
丁寧に描きこもうとすると、かなり途中の段階で飽きるんです。
最初は楽しく描いているんですが、
そのヤル気が最後まで続きません。
多分、完成のスピードが遅くて、嫌なんだと思います。
全体像が見えてくるというか、絵が出来上がる感じというか
そちらに気持ちが向いているんでしょう。
細かい影なんかを描きこんでいる時間は
進みが遅いようで楽しめないみたいです。
「細かい作業が嫌い」というわけではなく、
その作業内容と得られる成果との間に自分なりの予測があって、
そのスピードが期待に一致しないと不満になってくるような感じ。
思い返せば、小学校・中学校・高校と
美術の時間の作業も、先生に注意されるぐらい速かったものでした。
細かい作業を少しずつ確実に進めていくというのが耐えられず、
それなりの形を短時間で仕上げることばかりしていた気がします。
公園に出かけて水彩画を描くようなイベントのときも、
予定時間よりもずっと早く仕上げて、後は公園内で遊んでいました。
水彩画の方法も習った覚えがありませんでしたから、
僕にとっての絵具の使い方は油彩に近くて、
濃いままの絵具をベタベタと重ねて描いていたんです。
構図や対象物の形は正確な”骨格”で写し取って、
あとは適当にその”もの”の雰囲気を絵具でペタペタ、と。
そうすると、それっぽい絵が短時間で出来上がっていたんです。
そんなにヘタな画じゃなかったと思いますが、
「これは水彩画ではない」
という理由で、僕の中学校時代の美術の評価は
ちゃんとルールに従っている生徒よりも低かったものです。
心の中で不満を感じながらも、何が悪いのかさえ分かっていませんでした。
高校に入ったら、美術の先生が自由な人だったので
僕の適当なやり方を認めてくれて、高い評価をもらえるようになりました。
皆よりも圧倒的に早く終わる。
細部を厳密にやれば、もっとできるんだろうけれど
全体の雰囲気として「これでもOK」というフィードバックをもらい、
一人だけ他のことをして美術の時間を楽しんでいたんです。
皆がデッサンをやっている間、なぜか僕だけ版画をやっていたり。
「こうじゃなくてはいけない」というルールも好きではなかった気がしますが、
そのルールに従うかどうかは大した問題ではなかったと思います。
とにかくチョットずつ細部をやる地道な作業の繰り返しが嫌で
自分が「できあがり」と思えるまでのプロセスを
できるだけ短時間でやるのが好きだったんです。
そこには「進展のスピード」が速いときに感じられる喜びがあったんでしょう。
自分が「良い」と思える基準が、無邪気で無自覚なままに存在していて
それが「ダメだ」と言われる理由が理解できていませんでした。
大事なことと、どうでもいいことの差がハッキリしていたのかもしれません。
またいつか、そういう気持ちを思い出しながら
本格的に絵を描いてみたいと思っています。
油絵をやりたいなぁ、と。