2013年12月31日
2013年もお世話になりました
一年を振り返ると、改めて色々なことがあったものだと実感します。
個人的には大きな視点の変化がありました。
なにやら集大成的な印象も、様々な場面で感じたものです。
特に、人をプログラムとして理解しようとする観点からは
全てのプログラムが無くなったとしても
自然と行動は生まれてくる
ということが実感できたのは大きかったと思います。
しかも、むしろプログラムが無くなったときに自然と生まれてくる行動こそ
もっともその人らしいものだというのも面白いところ。
どうしてもコミュニケーションや心理系の一般論からすると、
「過去の体験から作られた自動反応的なプログラムが解決されたとき
自分の振る舞いの拠り所が分からなくなる…だから、
人生に意味づけをして使命感に基づいた価値観に気づくのが重要」
といった考えが強調されやすいようです。
でも、必ずしもそうではないようだ、と。
自動反応的なプログラムから解放されると、
自然と湧き上がってくるものがある。
もちろん、そうした行動や、その行動によって引き起こされる結果を
人生のストーリーとして意味づけしていくことは可能です。
「あのときに、ああしたから、今の自分がある」、
「こういう道筋を通ってきたことからすると、現在の自分はこんな位置だ」、
…とかです。
そういう意味づけをすることで気持ちが整理される部分はあると思います。
しかしながら、そういった意味づけはコロコロ入れ替わるものでしょう。
新たな経験をすると、別の見方をするようになって
現状の自分の位置に対して違った説明をするようになる。
まさに『人間万事、塞翁が馬』。
あるとき人生を振り返ってストーリーを描き、
「そうだ、これが自分の使命だ!」と現状に意味づけをする。
そして、その使命に沿って行動を始める。
その後、また様々な経験を重ねて、新たに大切なことを感じるようになる。
するとまた過去を振り返るわけです。
「そうだなぁ、あのときに一歩を踏み出したから紆余曲折があって、
それでやっと今に至っている。
今年のあの重要な経験は、数年前の一歩から始まっているんだなぁ。
よし。これからは、このことを大切にして進んでいこう!」
なんて。
時間が経てば、経験が追加される。
経験が追加されると、人生のストーリーに新展開が生まれる。
ストーリーが進んだところまでで、あらすじが作られ、意味が見出される。
そうやって更新されていくのでしょう。
例えば、桃から桃太郎が生まれるまでのストーリーであれば、ポイントは
「おじいさんとおばあさんの元に桃から生まれた子供が授かった」こと。
犬、サル、キジを仲間にするところまでであれば、
「報酬で部下を統制する」というリーダーシップの物語かもしれません。
鬼退治をして宝物を持って帰ってくる話だから、
あの桃太郎の意味づけが生まれるわけです。
もし、帰ってきた桃太郎のその後の人生が描かれていたら…。
ひょっとしたら、宝物で生活が豊かになった桃太郎が大地主になって
一大農家として領地を広げていったかもしれません。
だとすると
「チャンスを活かしてチャレンジした結果、
その後の大成功の基盤を築いた」
という意味づけになる可能性もあるでしょう。
先は読めません。
自分のストーリーは必ず、現時点までで作られます。
そのストーリーの意味づけによって進んでいくことも、
そんな意味づけをすることなく進んでいくことも、
どちらも可能だと思います。
好きにしたらいい。
それでもなぜか一年の終わりには、過去を振り返って
ストーリーを更新する作業が自然となされやすいような気がします。
多かれ少なかれ、何かしらのストーリー展開が
新たな意味づけを追加してくれるものじゃないでしょうか。
そして改めて次の一年に目を向ける。
自然と進んでいくストーリーを楽しみにしていると
翌一年の終わりの振り返りも「色々と変化があった」として
感慨深く思えてくるのかもしれません。
2014年には、どんなストーリーが追加されるのでしょう?
個人的には大きな視点の変化がありました。
なにやら集大成的な印象も、様々な場面で感じたものです。
特に、人をプログラムとして理解しようとする観点からは
全てのプログラムが無くなったとしても
自然と行動は生まれてくる
ということが実感できたのは大きかったと思います。
しかも、むしろプログラムが無くなったときに自然と生まれてくる行動こそ
もっともその人らしいものだというのも面白いところ。
どうしてもコミュニケーションや心理系の一般論からすると、
「過去の体験から作られた自動反応的なプログラムが解決されたとき
自分の振る舞いの拠り所が分からなくなる…だから、
人生に意味づけをして使命感に基づいた価値観に気づくのが重要」
といった考えが強調されやすいようです。
でも、必ずしもそうではないようだ、と。
自動反応的なプログラムから解放されると、
自然と湧き上がってくるものがある。
もちろん、そうした行動や、その行動によって引き起こされる結果を
人生のストーリーとして意味づけしていくことは可能です。
「あのときに、ああしたから、今の自分がある」、
「こういう道筋を通ってきたことからすると、現在の自分はこんな位置だ」、
…とかです。
そういう意味づけをすることで気持ちが整理される部分はあると思います。
しかしながら、そういった意味づけはコロコロ入れ替わるものでしょう。
新たな経験をすると、別の見方をするようになって
現状の自分の位置に対して違った説明をするようになる。
まさに『人間万事、塞翁が馬』。
あるとき人生を振り返ってストーリーを描き、
「そうだ、これが自分の使命だ!」と現状に意味づけをする。
そして、その使命に沿って行動を始める。
その後、また様々な経験を重ねて、新たに大切なことを感じるようになる。
するとまた過去を振り返るわけです。
「そうだなぁ、あのときに一歩を踏み出したから紆余曲折があって、
それでやっと今に至っている。
今年のあの重要な経験は、数年前の一歩から始まっているんだなぁ。
よし。これからは、このことを大切にして進んでいこう!」
なんて。
時間が経てば、経験が追加される。
経験が追加されると、人生のストーリーに新展開が生まれる。
ストーリーが進んだところまでで、あらすじが作られ、意味が見出される。
そうやって更新されていくのでしょう。
例えば、桃から桃太郎が生まれるまでのストーリーであれば、ポイントは
「おじいさんとおばあさんの元に桃から生まれた子供が授かった」こと。
犬、サル、キジを仲間にするところまでであれば、
「報酬で部下を統制する」というリーダーシップの物語かもしれません。
鬼退治をして宝物を持って帰ってくる話だから、
あの桃太郎の意味づけが生まれるわけです。
もし、帰ってきた桃太郎のその後の人生が描かれていたら…。
ひょっとしたら、宝物で生活が豊かになった桃太郎が大地主になって
一大農家として領地を広げていったかもしれません。
だとすると
「チャンスを活かしてチャレンジした結果、
その後の大成功の基盤を築いた」
という意味づけになる可能性もあるでしょう。
先は読めません。
自分のストーリーは必ず、現時点までで作られます。
そのストーリーの意味づけによって進んでいくことも、
そんな意味づけをすることなく進んでいくことも、
どちらも可能だと思います。
好きにしたらいい。
それでもなぜか一年の終わりには、過去を振り返って
ストーリーを更新する作業が自然となされやすいような気がします。
多かれ少なかれ、何かしらのストーリー展開が
新たな意味づけを追加してくれるものじゃないでしょうか。
そして改めて次の一年に目を向ける。
自然と進んでいくストーリーを楽しみにしていると
翌一年の終わりの振り返りも「色々と変化があった」として
感慨深く思えてくるのかもしれません。
2014年には、どんなストーリーが追加されるのでしょう?