2014年01月02日
新年のご挨拶
あけましておめでとうございます。
2014年は、どんな一年になるんでしょうか?
どんなことが起きるのか?
どんなことをしていくのか?
どちらを楽しみにするにせよ、
これからの時間について気持ちを向けるところはあることと思います。
人生における時間をどのように捉えるかには
人それぞれ違いがあるようです。
NLPではこれをタイムラインと呼んで、線のようなイメージとして整理します。
時間軸を線として捉える、と。
ここで大きく2つに分けると、自分の人生の時間軸を
・時間軸上に立って、線の中に入っている(線の上にいる)ものとして捉える
・時間軸の線を横から眺めて、人生の移り変わりを眺めるように捉える
という違いが見えてきます。
前者をインタイム、後者をスルータイムと呼びますが、
これはタイプ分けではありません。
2通りしかないわけではありませんし、
その中間のタイプを追加して3通り存在するわけでもありません。
細かく色々な人のタイムラインを調べていくと、
それぞれはインタイムとスルータイムという両極の間で
アナログ的に皆、少しずつ違っていることが分かります。
完全に線の中に入り込んでいるインタイムの人もいれば、
片足だけ線の中に入っているような人も、
線のすぐ近くでナナメに線を眺めている人も、
ものすごく線から離れた場所から全体を眺めている人もいます。
喩えるなら、白と黒を両極として無限にグレーの濃淡があるようなものです。
一方、NLPの本には出てきませんが、実際にタイムラインを調べていくと
時間軸を「道」のように止まった線として捉えるか、
「(川の)流れ」のように動きのある線として捉えるか、
といった違いも見つかってきます。
これは、ただの見方の違いです。
新幹線に乗って東京に向かうとき、
車両に座っている自分からすると東京が近づいてきますが、
自分が東京へ移動しているという見方もできます。
相対性の問題だということです。
しかしながら、この相対性の違いは人生への全般的な態度に影響します。
道のように静止したものとして時間軸を捉えている人は、
自ら”道を切り開き”、”未来に向かって進んでいく”ように
積極的に自分の進む先を変えようとするようです。
一方、流れとして時間を捉えている人にとっては
”未来はやってくる”ものであって、起きる出来事に対してどう反応するか
といった部分に関心が高くなるように見受けられます。
どちらが良いとか悪いとかいうことではありません。
個性としての違いが表れる部分です。
「これからの一年をどのように”進んでいこう”」と思うのか
それとも
「これからの一年で”どんなことがやってくる(起きる)”のだろう」と思うのか。
新年で頭に浮かぶことにも、そんな違いがありそうです。
もちろん、どちらにおいても”望ましい未来にしたい”という願いは起きるようで、
どちらも自分の行動によって変えると考えられます。
未来への道を進んでいく場合であれば、歩き方や進む方向を変えることで
辿り着く未来が変わるというイメージになるでしょう。
未来が川の流れのように上流からやってくると捉える場合には、
自分の立っている場所や、どの流れの下流にいるかを変えることで
やってくる未来が変わるというイメージでしょうか。
いずれの場合も、望ましい未来に目を向けているわけです。
時間軸の先に存在するはずの望ましい未来のほうを見ている。
時間軸の”前方に目をやる”、と。
英語に直訳するなら「 look forward to 」。
そして「 look forward to 〜」は通常、
「〜を楽しみにする」という意味で使われます。
タイムラインと呼ばれる人生の時間軸上の望ましい未来に目を向けるのは
その未来を「楽しみにしている」感じと近いのかもしれません。
…そんなことを考えていると、
新年に抱負を立てることまでしなかったとしても、
望ましい未来のほうに目を向けることが、
これからやってくる未来を楽しみにしながら日々を過ごすのに
一役かっているような気がしてきます。
その望ましい未来が夢や目標として達成されるかどうかは分かりませんが、
毎日「次の瞬間を楽しみにしながら」今を過ごせるだけでも
悪くないんじゃないかと思います。
2014年は、どんな一年になるんでしょうか?
どんなことが起きるのか?
どんなことをしていくのか?
どちらを楽しみにするにせよ、
これからの時間について気持ちを向けるところはあることと思います。
人生における時間をどのように捉えるかには
人それぞれ違いがあるようです。
NLPではこれをタイムラインと呼んで、線のようなイメージとして整理します。
時間軸を線として捉える、と。
ここで大きく2つに分けると、自分の人生の時間軸を
・時間軸上に立って、線の中に入っている(線の上にいる)ものとして捉える
・時間軸の線を横から眺めて、人生の移り変わりを眺めるように捉える
という違いが見えてきます。
前者をインタイム、後者をスルータイムと呼びますが、
これはタイプ分けではありません。
2通りしかないわけではありませんし、
その中間のタイプを追加して3通り存在するわけでもありません。
細かく色々な人のタイムラインを調べていくと、
それぞれはインタイムとスルータイムという両極の間で
アナログ的に皆、少しずつ違っていることが分かります。
完全に線の中に入り込んでいるインタイムの人もいれば、
片足だけ線の中に入っているような人も、
線のすぐ近くでナナメに線を眺めている人も、
ものすごく線から離れた場所から全体を眺めている人もいます。
喩えるなら、白と黒を両極として無限にグレーの濃淡があるようなものです。
一方、NLPの本には出てきませんが、実際にタイムラインを調べていくと
時間軸を「道」のように止まった線として捉えるか、
「(川の)流れ」のように動きのある線として捉えるか、
といった違いも見つかってきます。
これは、ただの見方の違いです。
新幹線に乗って東京に向かうとき、
車両に座っている自分からすると東京が近づいてきますが、
自分が東京へ移動しているという見方もできます。
相対性の問題だということです。
しかしながら、この相対性の違いは人生への全般的な態度に影響します。
道のように静止したものとして時間軸を捉えている人は、
自ら”道を切り開き”、”未来に向かって進んでいく”ように
積極的に自分の進む先を変えようとするようです。
一方、流れとして時間を捉えている人にとっては
”未来はやってくる”ものであって、起きる出来事に対してどう反応するか
といった部分に関心が高くなるように見受けられます。
どちらが良いとか悪いとかいうことではありません。
個性としての違いが表れる部分です。
「これからの一年をどのように”進んでいこう”」と思うのか
それとも
「これからの一年で”どんなことがやってくる(起きる)”のだろう」と思うのか。
新年で頭に浮かぶことにも、そんな違いがありそうです。
もちろん、どちらにおいても”望ましい未来にしたい”という願いは起きるようで、
どちらも自分の行動によって変えると考えられます。
未来への道を進んでいく場合であれば、歩き方や進む方向を変えることで
辿り着く未来が変わるというイメージになるでしょう。
未来が川の流れのように上流からやってくると捉える場合には、
自分の立っている場所や、どの流れの下流にいるかを変えることで
やってくる未来が変わるというイメージでしょうか。
いずれの場合も、望ましい未来に目を向けているわけです。
時間軸の先に存在するはずの望ましい未来のほうを見ている。
時間軸の”前方に目をやる”、と。
英語に直訳するなら「 look forward to 」。
そして「 look forward to 〜」は通常、
「〜を楽しみにする」という意味で使われます。
タイムラインと呼ばれる人生の時間軸上の望ましい未来に目を向けるのは
その未来を「楽しみにしている」感じと近いのかもしれません。
…そんなことを考えていると、
新年に抱負を立てることまでしなかったとしても、
望ましい未来のほうに目を向けることが、
これからやってくる未来を楽しみにしながら日々を過ごすのに
一役かっているような気がしてきます。
その望ましい未来が夢や目標として達成されるかどうかは分かりませんが、
毎日「次の瞬間を楽しみにしながら」今を過ごせるだけでも
悪くないんじゃないかと思います。