2014年03月05日
違いが分かる
「天然」や「自然」と呼ばれるものと
「人工」と呼ばれるものとは、
何が違うんでしょうか?
一番分かりやすい区別は
人の手が加わったら「人工」
だと思いますが、
世間的にはそういう認識ではないようです。
例えば、「天然素材で作った〜です」と言ったりします。
人の手で加工しているけれども「天然」、「自然」ですよ、
といっているわけです。
もともと自然界になかったものを作り出したら「人工」というのだとしても、
やっぱりほとんど全ての「手を加えたもの」が人工になってしまいますから
この区別も世間一般の区別とは違うと思えます。
「もともと自然界になかったもの」だと例えば
品種改良した作物は人工になりますし、
発酵食品なんかも人工ということになりそうです。
では、
人の手が加わっても、もともと自然界にあったものを原料としていれば「天然」、
もともと自然界になかったものを原料としていれば「人工」だとしたら?
今度は逆に、「自然界になかったもの」の境目が難しい気がします。
例えば、石油は大昔の生物の死骸が変性してできた有機物だとされますから
石油製品だって「天然」の区分になってしまいます。
これも世間一般の印象とは違うのではないでしょうか。
石油そのものは自然によって作られますから、
それを精製して純度を上げるプロセスが入ったら
「人工」の雰囲気がするのかもしれません。
確かに自然には純度が上がることは、あまり起きません。
海水が凍るときに、塩分が含まれずに純度の高い氷ができることがありますし、
塩や水晶などの結晶ができるときにも純度が上がりますが、
多くの場合は、混ざりあったり化学変化したりして、雑多な状態になろうとします。
とはいえ、例えば石油を蒸留してエチレンを分離精製するのと
葡萄酒のアルコール成分を蒸留・精製してブランデーを作るのとでは
同じプロセスですが、
エチレンが人工的、ブランデーには自然な感じ
のイメージを持ちやすいところではないかと思われます。
人為的に化学反応を加えたら「人工」と呼んだとしても、今度は
料理の多くが「人工」になってしまいます。
熱を加えて香ばしい色と匂いがつくのはメイラード反応と呼ばれる化学反応。
これが人工だとすると、パンもキャラメルもビーフシチューも人工です。
手作りか機械かというのも微妙です。
大規模で流通する食品の多くは機械生産だと考えられます。
人為的に高分子を作らせたら「人工」だとすると、例えば
エチレンは天然で、ポリエチレンは人工ということになります。
グルタミン酸は天然で、ポリグルタミン酸は人工でしょうか?
ポリグルタミン酸は納豆のネバネバ成分ですから、
天然っぽい印象がありそうです。
何より、生物を形作っているタンパク質が高分子です。
DNAだって高分子です。
農業や畜産業が「人工」だという印象は難しそうです。
それでもプラスチック製品は、いかにも人工なイメージがある気がします。
有機化学の化学反応を組み合わせて作ったら「人工」とすると
今度は無機化学のセラミックが「天然」になってしまう。
プラスチックは自然でなかなか分解されませんから
そういう分類も良さそうにも思えるかもしれませんが、
すると、石や金属の加工品も「自然」の分類に含まれてしまいます。
鉄筋コンクリートのビルが「自然」や「天然」かというと、これも微妙なところ。
木造建築に「自然の温もり」などと説明するのを聞いたことがありますから。
こんなことを考えていくと、結局
何が自然・天然で
何が人工なのか?
が分からなくなります。
もちろん、なんとなくのイメージはあります。
日常生活で他の人が「人工」とか「天然」という言葉を使っているときには
何を言おうとしているのかの想像はつきます。
その言葉の使い分けが状況によって異なっている可能性もありそうです。
食べ物において「天然」か「人工」かを考える場合と
身の回りのものにおいて考える場合とでは、意味合いが違うのかもしれません。
しかし、そうやって相手の言葉の意味合いを察しようとするのと同時に
僕の中では「自然」と「人工」とで差を感じていないんです。
実際には「自然」と「人工」だけの話ではありません。
多くの区別は、注意深く違いを考えていくと、良く分からなくなります。
そうすると、その区別についてまわる「良い」/「悪い」の判断も
つかなくなってくるようです。
元々曖昧な区別のものに、便宜的な区別をつけているということなんでしょう。
そしてその区別への認識を曖昧にしないように心がけるほど、逆に
「実は区別そのものが曖昧だった」と気づくようになる。
区別を吟味せずに「別物だ」と認識しているほうが、むしろ
その区別を受け入れて「良い」/「悪い」の判断まで繋げやすくなるのだとしたら
なんだか皮肉なことに感じられます。
「人工」と呼ばれるものとは、
何が違うんでしょうか?
一番分かりやすい区別は
人の手が加わったら「人工」
だと思いますが、
世間的にはそういう認識ではないようです。
例えば、「天然素材で作った〜です」と言ったりします。
人の手で加工しているけれども「天然」、「自然」ですよ、
といっているわけです。
もともと自然界になかったものを作り出したら「人工」というのだとしても、
やっぱりほとんど全ての「手を加えたもの」が人工になってしまいますから
この区別も世間一般の区別とは違うと思えます。
「もともと自然界になかったもの」だと例えば
品種改良した作物は人工になりますし、
発酵食品なんかも人工ということになりそうです。
では、
人の手が加わっても、もともと自然界にあったものを原料としていれば「天然」、
もともと自然界になかったものを原料としていれば「人工」だとしたら?
今度は逆に、「自然界になかったもの」の境目が難しい気がします。
例えば、石油は大昔の生物の死骸が変性してできた有機物だとされますから
石油製品だって「天然」の区分になってしまいます。
これも世間一般の印象とは違うのではないでしょうか。
石油そのものは自然によって作られますから、
それを精製して純度を上げるプロセスが入ったら
「人工」の雰囲気がするのかもしれません。
確かに自然には純度が上がることは、あまり起きません。
海水が凍るときに、塩分が含まれずに純度の高い氷ができることがありますし、
塩や水晶などの結晶ができるときにも純度が上がりますが、
多くの場合は、混ざりあったり化学変化したりして、雑多な状態になろうとします。
とはいえ、例えば石油を蒸留してエチレンを分離精製するのと
葡萄酒のアルコール成分を蒸留・精製してブランデーを作るのとでは
同じプロセスですが、
エチレンが人工的、ブランデーには自然な感じ
のイメージを持ちやすいところではないかと思われます。
人為的に化学反応を加えたら「人工」と呼んだとしても、今度は
料理の多くが「人工」になってしまいます。
熱を加えて香ばしい色と匂いがつくのはメイラード反応と呼ばれる化学反応。
これが人工だとすると、パンもキャラメルもビーフシチューも人工です。
手作りか機械かというのも微妙です。
大規模で流通する食品の多くは機械生産だと考えられます。
人為的に高分子を作らせたら「人工」だとすると、例えば
エチレンは天然で、ポリエチレンは人工ということになります。
グルタミン酸は天然で、ポリグルタミン酸は人工でしょうか?
ポリグルタミン酸は納豆のネバネバ成分ですから、
天然っぽい印象がありそうです。
何より、生物を形作っているタンパク質が高分子です。
DNAだって高分子です。
農業や畜産業が「人工」だという印象は難しそうです。
それでもプラスチック製品は、いかにも人工なイメージがある気がします。
有機化学の化学反応を組み合わせて作ったら「人工」とすると
今度は無機化学のセラミックが「天然」になってしまう。
プラスチックは自然でなかなか分解されませんから
そういう分類も良さそうにも思えるかもしれませんが、
すると、石や金属の加工品も「自然」の分類に含まれてしまいます。
鉄筋コンクリートのビルが「自然」や「天然」かというと、これも微妙なところ。
木造建築に「自然の温もり」などと説明するのを聞いたことがありますから。
こんなことを考えていくと、結局
何が自然・天然で
何が人工なのか?
が分からなくなります。
もちろん、なんとなくのイメージはあります。
日常生活で他の人が「人工」とか「天然」という言葉を使っているときには
何を言おうとしているのかの想像はつきます。
その言葉の使い分けが状況によって異なっている可能性もありそうです。
食べ物において「天然」か「人工」かを考える場合と
身の回りのものにおいて考える場合とでは、意味合いが違うのかもしれません。
しかし、そうやって相手の言葉の意味合いを察しようとするのと同時に
僕の中では「自然」と「人工」とで差を感じていないんです。
実際には「自然」と「人工」だけの話ではありません。
多くの区別は、注意深く違いを考えていくと、良く分からなくなります。
そうすると、その区別についてまわる「良い」/「悪い」の判断も
つかなくなってくるようです。
元々曖昧な区別のものに、便宜的な区別をつけているということなんでしょう。
そしてその区別への認識を曖昧にしないように心がけるほど、逆に
「実は区別そのものが曖昧だった」と気づくようになる。
区別を吟味せずに「別物だ」と認識しているほうが、むしろ
その区別を受け入れて「良い」/「悪い」の判断まで繋げやすくなるのだとしたら
なんだか皮肉なことに感じられます。