2014年03月26日
大事なことを思い出す
人生に意味を見出すやり方には、
価値観を明確にして自分の選択の基準を作ったり、
過去の出来事から自分の人生の使命を見つけたり、
大きな仮目標を設定してから目標をアレンジしながら進んだり…
様々な方法が提案されます。
ですが、それが全てということでもなく、
世の中には人生の意味なんて全く考えずに楽しく過ごす人もいますし、
「人生に意味を求めたいのは不安だからだ」と考えて
自然の流れに身をゆだねる人もいるようです。
僕自身は人生に意味を探す必要があるとは信じていませんが、
それでも「人生に価値を感じる」瞬間は、多くの人の取り組みを見てきて
おぼろげなものとして捉えているような気がします。
大抵の「価値ある」瞬間は
『忘れていたことを思い出す』
ときじゃないでしょうか。
本当はこういうことが得意なはずだったのに
しつけや教育で抑え込んできてしまった。
それを再び取り戻したとき、可能性が大きく広がった、とか。
子供の頃はすごく素直で元気いっぱいで楽しく振る舞っていたのに
大人としての礼儀正しさやカッコよさを求めるあまり
人を元気にするようなエネルギッシュさを抑え込んできた。
それを思いきって再び体験したとき、一体感を伴った楽しさを思い出した、とか。
人から気に入られようとして、人に嫌われないようにして気を遣ってきたため
自分が皆から好かれているとは思わなくなっていたけれど、
実は子供の頃からずっと大切にされてきたことを思い出してから
人に嫌われることを気にしなくなった、とか。
ビジネスやお金儲けを頑張ってやってきたけれど、
仕事に行き詰ったときに助けてもらったことで
自分にとって本当に大切な人が誰だったのか、
本当の信頼に基づいた人間関係とは何だったのかを思い出した、とか。
例を挙げればキリがないと思います。
思い出した瞬間はハッとして、そして「なーんだ、元々あったじゃないか」
とバカバカしいような気分にさえなるかもしれません。
ですが、「思い出す」ためには忘れる必要があります。
本当は知っていたはずのことを意識から遠ざけておく時期が必要。
忘れている間に反対のことを追い求める。
そして比較対象としての基準を築いておくわけです。
それがあるから「思い出した」とき、基準と対比させる形で
その「思い出した」ことの価値を実感できる。
最初からずっと意識に上がったまま、覚えたままの状態であったとしたら
それはあまりに当たり前になってしまうんじゃないでしょうか。
普通になってしまって価値を実感しにくい。
大事なことに気づくためには、一度忘れておいて
それから思い出す必要があるのかもしれません。
価値観を明確にして自分の選択の基準を作ったり、
過去の出来事から自分の人生の使命を見つけたり、
大きな仮目標を設定してから目標をアレンジしながら進んだり…
様々な方法が提案されます。
ですが、それが全てということでもなく、
世の中には人生の意味なんて全く考えずに楽しく過ごす人もいますし、
「人生に意味を求めたいのは不安だからだ」と考えて
自然の流れに身をゆだねる人もいるようです。
僕自身は人生に意味を探す必要があるとは信じていませんが、
それでも「人生に価値を感じる」瞬間は、多くの人の取り組みを見てきて
おぼろげなものとして捉えているような気がします。
大抵の「価値ある」瞬間は
『忘れていたことを思い出す』
ときじゃないでしょうか。
本当はこういうことが得意なはずだったのに
しつけや教育で抑え込んできてしまった。
それを再び取り戻したとき、可能性が大きく広がった、とか。
子供の頃はすごく素直で元気いっぱいで楽しく振る舞っていたのに
大人としての礼儀正しさやカッコよさを求めるあまり
人を元気にするようなエネルギッシュさを抑え込んできた。
それを思いきって再び体験したとき、一体感を伴った楽しさを思い出した、とか。
人から気に入られようとして、人に嫌われないようにして気を遣ってきたため
自分が皆から好かれているとは思わなくなっていたけれど、
実は子供の頃からずっと大切にされてきたことを思い出してから
人に嫌われることを気にしなくなった、とか。
ビジネスやお金儲けを頑張ってやってきたけれど、
仕事に行き詰ったときに助けてもらったことで
自分にとって本当に大切な人が誰だったのか、
本当の信頼に基づいた人間関係とは何だったのかを思い出した、とか。
例を挙げればキリがないと思います。
思い出した瞬間はハッとして、そして「なーんだ、元々あったじゃないか」
とバカバカしいような気分にさえなるかもしれません。
ですが、「思い出す」ためには忘れる必要があります。
本当は知っていたはずのことを意識から遠ざけておく時期が必要。
忘れている間に反対のことを追い求める。
そして比較対象としての基準を築いておくわけです。
それがあるから「思い出した」とき、基準と対比させる形で
その「思い出した」ことの価値を実感できる。
最初からずっと意識に上がったまま、覚えたままの状態であったとしたら
それはあまりに当たり前になってしまうんじゃないでしょうか。
普通になってしまって価値を実感しにくい。
大事なことに気づくためには、一度忘れておいて
それから思い出す必要があるのかもしれません。