2015年02月18日
最初の癖
何かを学び、身につけるという場合、
初期の学習内容は後々まで残りやすいようです。
だからこそ「基礎が大事」ということなんでしょうし、
最初に誰から教わるかの影響が大きいんでしょう。
先日、そんなことを話していて
そのアメリカ人は長い間ずっと間違えていた英語があったそうです。
英語の代名詞には目的格と呼ばれるものがありますが、
その使い方を知らなかった、と。
目的格とは、「 I 」に対して「 me 」、「 he 」に対して「 him 」のようなもの。
もちろん、目的格の代名詞を単体で使う場合には
ネイティブですから間違えることはないそうです。
例えば、「 Tom and John 」だったら「 them 」になるとか。
しかし、その人は目的格に「 and 」で繋げた表現が含まれるとき
「 and 」の後ろを主格にしてしまう癖があって、「 and I 」としていたそうです。
主語で使われる場合には
「 My brother and I 」の形で使われるわけですが、
目的格になると、例えば「 with my brother and me 」となるのが文法的な正解。
その人は子供の頃から「 with my brother and I 」と言っていた、というんです。
そのことを知ったのは大人になってから。
知り合いに指摘されたと言っていました。
「君の育った環境は田舎の中流階級だろう?」と言われたんだとか。
アメリカでは地域によって経済的な格差があるらしく、
それに伴った教育レベルの差もあるんだそうです。
彼の育った地域には、厳密な英文法を身につけた教師がいなかったため、
先生が使っていたのと同じ表現を、知らないうちに学んでしまっていたらしいです。
その人の小学校の先生は、いつも「 with my brother and I 」のような形で
目的格だということを忘れて話していたとのことでした。
まぁ、日本語においてだって、多くの人が勘違いしていることがありますから
母国語でも文法的に間違った使い方をしているケースは珍しくはないんでしょう。
「的を射た意見」ではなく「的を得た意見」という人がいたり、
「〜せざるを得ない」ではなく「〜せざるおえない」という人がいたり、
「根本的」と「抜本的」の使い方を混同している人がいたり…。
学習の段階で勘違いしたまま通り過ぎてしまうと、
それは無自覚に使われる癖として定着してしまうようです。
僕の知り合いには、高校から大学までアメリカに留学していたとか、
高校から社会人の数年間までをアメリカで過ごすとかいった経歴の人がいます。
当然、英語はペラペラです。
でも、幼いころを海外で生活したケースと違って
英語を母国語として自然に身につけたわけではないんです。
中学ぐらいまでは学校で英語を勉強して、それからアメリカに移住。
英語学習の基礎の部分は、日本の教育に依存していたということです。
ですから発音は完全なネイティブのものとは違う。
流暢ではありますが、どこか日本人のアクセントがあるんです。
そして発音を間違えて覚えている単語などもあります。
そのうちの一人は、僕がカウンセリングのトレーニングを受けた講師ですが、
アメリカで実際に現地の人を相手にカウンセラーをしていた人です。
当然、英語で会話をする上で、不自由を感じることはないそうです。
むしろ、日本語で難しい議論をしたり、文章を書いたりするほうが大変なほど。
その人の大部分の発音も、かなり自然なアメリカ英語だといえます。
にもかかわらず、「 work 」を「ウォーク」と発音する癖がありました。
「 walk 」と「 work 」の区別がつきにくい感じ。
かといって「 r 」の発音が苦手なわけではありません。
もう「 work 」限定なんです。
中学校で習った頃に、あまり発音を意識せずに覚えてしまったのか、
スペルを覚えるのに「 or 」を「オー」と読んだほうが覚えやすかったのか、
間違えて「ウォーク」と発音しても先生に直されなかったのか、
あるいは中学校の英語の先生まで「ウォーク」と言っていたのか…。
真相は分かりませんが、とにかく中学校で英語の初歩段階として勉強した時期に
勘違いして覚えてしまったものが、訂正されないままに進んでしまったんでしょう。
高校や大学で習うような単語のほうが、逆に英語の発音の環境の中にいたため
大きな勘違いをすることなく、自然と身につけられたのかもしれません。
僕も発音のトレーニングとして意識を向けたとき、
中学校の頃に習った簡単な単語のほうが
発音を勘違いして覚えてしまっているものが多いことに気づきました。
むしろ「適当に覚えてしまっていたということさえ忘れていた」感じです。
大人になってから学習するほうが、様々なことを意識にあげながら
間違いを修正しつつ取り組んでいきやすいようです。
自分の行動に対して客観的に注意できる能力も上がっていますし、
大人になってから学習するものの方がモチベーションも高いことが多いものです。
丁寧に学習を進めやすい土台が整っているわけです。
それに比べると子供の頃の学習のほうが
慎重に正確にやろうという動機もなければ(むしろ「やらされている」場合も)、
何を心がけて取り組めばいいのかも曖昧になっている。
子供の頃の学習ほど、「なんとなく」やってしまっているんです。
そして「なんとなく」身につけてしまっている。
厄介なのは、その「なんとなく」身につけたものが
後々大人になってからトラブルを引き起こす場合があるところです。
そのうえ、子どもの頃に「なんとなく」身につけてしまったものほど
「癖」になっていて、大人になってから修正するのが大変な傾向にあります。
それはもちろん、大人になってからの学習でも同じです。
子供の頃よりは注意深く学習を進めることがしやすくはなっていますが、
注意深くやらなければ、「なんとなく」のまま癖を学んでしまいます。
基礎の段階ほど、その「なんとなく」が定着しやすく
後々まで影響を及ぼしやすい。
いかに最初のうちが重要かということです。
初期の学習内容は後々まで残りやすいようです。
だからこそ「基礎が大事」ということなんでしょうし、
最初に誰から教わるかの影響が大きいんでしょう。
先日、そんなことを話していて
そのアメリカ人は長い間ずっと間違えていた英語があったそうです。
英語の代名詞には目的格と呼ばれるものがありますが、
その使い方を知らなかった、と。
目的格とは、「 I 」に対して「 me 」、「 he 」に対して「 him 」のようなもの。
もちろん、目的格の代名詞を単体で使う場合には
ネイティブですから間違えることはないそうです。
例えば、「 Tom and John 」だったら「 them 」になるとか。
しかし、その人は目的格に「 and 」で繋げた表現が含まれるとき
「 and 」の後ろを主格にしてしまう癖があって、「 and I 」としていたそうです。
主語で使われる場合には
「 My brother and I 」の形で使われるわけですが、
目的格になると、例えば「 with my brother and me 」となるのが文法的な正解。
その人は子供の頃から「 with my brother and I 」と言っていた、というんです。
そのことを知ったのは大人になってから。
知り合いに指摘されたと言っていました。
「君の育った環境は田舎の中流階級だろう?」と言われたんだとか。
アメリカでは地域によって経済的な格差があるらしく、
それに伴った教育レベルの差もあるんだそうです。
彼の育った地域には、厳密な英文法を身につけた教師がいなかったため、
先生が使っていたのと同じ表現を、知らないうちに学んでしまっていたらしいです。
その人の小学校の先生は、いつも「 with my brother and I 」のような形で
目的格だということを忘れて話していたとのことでした。
まぁ、日本語においてだって、多くの人が勘違いしていることがありますから
母国語でも文法的に間違った使い方をしているケースは珍しくはないんでしょう。
「的を射た意見」ではなく「的を得た意見」という人がいたり、
「〜せざるを得ない」ではなく「〜せざるおえない」という人がいたり、
「根本的」と「抜本的」の使い方を混同している人がいたり…。
学習の段階で勘違いしたまま通り過ぎてしまうと、
それは無自覚に使われる癖として定着してしまうようです。
僕の知り合いには、高校から大学までアメリカに留学していたとか、
高校から社会人の数年間までをアメリカで過ごすとかいった経歴の人がいます。
当然、英語はペラペラです。
でも、幼いころを海外で生活したケースと違って
英語を母国語として自然に身につけたわけではないんです。
中学ぐらいまでは学校で英語を勉強して、それからアメリカに移住。
英語学習の基礎の部分は、日本の教育に依存していたということです。
ですから発音は完全なネイティブのものとは違う。
流暢ではありますが、どこか日本人のアクセントがあるんです。
そして発音を間違えて覚えている単語などもあります。
そのうちの一人は、僕がカウンセリングのトレーニングを受けた講師ですが、
アメリカで実際に現地の人を相手にカウンセラーをしていた人です。
当然、英語で会話をする上で、不自由を感じることはないそうです。
むしろ、日本語で難しい議論をしたり、文章を書いたりするほうが大変なほど。
その人の大部分の発音も、かなり自然なアメリカ英語だといえます。
にもかかわらず、「 work 」を「ウォーク」と発音する癖がありました。
「 walk 」と「 work 」の区別がつきにくい感じ。
かといって「 r 」の発音が苦手なわけではありません。
もう「 work 」限定なんです。
中学校で習った頃に、あまり発音を意識せずに覚えてしまったのか、
スペルを覚えるのに「 or 」を「オー」と読んだほうが覚えやすかったのか、
間違えて「ウォーク」と発音しても先生に直されなかったのか、
あるいは中学校の英語の先生まで「ウォーク」と言っていたのか…。
真相は分かりませんが、とにかく中学校で英語の初歩段階として勉強した時期に
勘違いして覚えてしまったものが、訂正されないままに進んでしまったんでしょう。
高校や大学で習うような単語のほうが、逆に英語の発音の環境の中にいたため
大きな勘違いをすることなく、自然と身につけられたのかもしれません。
僕も発音のトレーニングとして意識を向けたとき、
中学校の頃に習った簡単な単語のほうが
発音を勘違いして覚えてしまっているものが多いことに気づきました。
むしろ「適当に覚えてしまっていたということさえ忘れていた」感じです。
大人になってから学習するほうが、様々なことを意識にあげながら
間違いを修正しつつ取り組んでいきやすいようです。
自分の行動に対して客観的に注意できる能力も上がっていますし、
大人になってから学習するものの方がモチベーションも高いことが多いものです。
丁寧に学習を進めやすい土台が整っているわけです。
それに比べると子供の頃の学習のほうが
慎重に正確にやろうという動機もなければ(むしろ「やらされている」場合も)、
何を心がけて取り組めばいいのかも曖昧になっている。
子供の頃の学習ほど、「なんとなく」やってしまっているんです。
そして「なんとなく」身につけてしまっている。
厄介なのは、その「なんとなく」身につけたものが
後々大人になってからトラブルを引き起こす場合があるところです。
そのうえ、子どもの頃に「なんとなく」身につけてしまったものほど
「癖」になっていて、大人になってから修正するのが大変な傾向にあります。
それはもちろん、大人になってからの学習でも同じです。
子供の頃よりは注意深く学習を進めることがしやすくはなっていますが、
注意深くやらなければ、「なんとなく」のまま癖を学んでしまいます。
基礎の段階ほど、その「なんとなく」が定着しやすく
後々まで影響を及ぼしやすい。
いかに最初のうちが重要かということです。