2015年02月20日
遠慮のかたまり
最近になって思い出したんですが、
僕は小学校の2,3年生ぐらいから
長いこと遠慮をし続けていました。
小学校の一年生ぐらいのときは奔放で
周りを気にすることなく過ごしていたものです。
でも小学校2年生あたりから少しずつ
空気を読むようになっていきました。
一年生の頃は、授業中も発言しまくっていましたし
学級会などでも議長として場をコントロールしていた覚えがあります。
それがやがて場の空気を読むことを覚えていったんです。
僕が授業中に答えてしまったら、同級生の答える時間がない。
分かっているからといって、何でも発言していいわけではない。
誰も答えられず、先生の顔が困り出したころにだけ答えるようになりました。
また、たしか一年生の頃だったかと思いますが、授業参観日に
親と一緒に学校内の展示物を見て回る時間があったんです。
教室や廊下などに児童の絵や工作などが並んでいて、
それを見て回るという時間。
そのとき学年でも絵が上手いと評判だった子の描いた運動会の絵を見て
徒競走をする子供の右手と右足が同時に前に出ていることに気づき
「お母さん、これ手と足が一緒だね」
と言って、母から
「そういうことは言うもんじゃありません!」
と怒られたのも記憶に鮮明です。
思ったことは何でも口に出していいものではない
ということを、様々な経験を通じて学んでいった時期だったのでしょう。
とりわけ「分かる」、「できる」ということについては
それを隠すようにする必要があるかのように振る舞っていたものです。
そして皆との足並みが揃ってみえるように工夫しながら授業を受ける。
小学校ぐらいですと、勉強だけではなく
生活面で先生から注意されることもあるものですが、
そのときだって僕は皆に合わせていました。
皆が反省して自分で答えを出すまで待つ。
どういう対応をしたら先生の期待した方向に展開するかを読み
タイミングを見て皆にヒントを出すようなことをしてみたり。
皆がドッヂボールをやりたいと授業中に騒いでいるときも
先生の困った顔を見て、全体に巻き込まれずに黙っていたり、
先生の機嫌によっては同級生の側にまぎれたりしていました。
僕の中には先生の側の視点も含めて、
「他の人は今どういう状態で、何を求めているか?」
を察しようとする傾向が強かったようです。
だから遠慮する。
分かっていても、自分の得意なことでも
その場で求められることに合わせて抑えていたんだと思います。
成績については、紙のテストであれば隠す必要がなかったのか
特に家で勉強したりはしていなかったですが、良いほうだったようです。
比べたわけではないので分からないものの、
小学生なのにイミダス(当時流行っていた最新用語の百科事典のような本)を
暇さえあれば読みふけっていたりしていた記憶がありますから、
変な知識とかは多かったのかもしれません。
それでも、いわゆる受験勉強をしたことのなかった僕は
中学入学と同時に通うようになった近所の学習塾で
全然テストの点数が取れないことを思い知りました。
そのため僕の中には「勉強ができる」という自己認識は生まれなかったんです。
それから地道に塾の宿題を繰り返したり、演習問題を解いたりしているうちに
チョットずつ成績が上がっていって、なんとか志望校に合格できました。
ところが、中学校の同級生に勉強のできる子が多く、
同じ学年から国立へ2人、御三家へ1人、早慶に4人進学するという
一般的な公立中学校にしては珍しい年代にいたため、
僕は決して勉強が得意という認識を持たなかったんです。
同じクラスに、全国模試で偏差値90とか全国一位とかばかりを取るのがいれば
それは自分の成績と比較して評価してしまったのも無理はないでしょう。
そして高校に入ったら、同級生は皆、勉強の得意な人たちです。
しかも僕の中学時代の成績は、
ただ塾で出された問題をやるだけで身についた
トレーニングの成果でしかなかったんです。
いわば、義務教育の9年間、自分で勉強したことがなかった。
やらなかった小学生時代と、やらされていただけの中学生時代。
高校に入ったら、今度は自分で勉強をしないといけませんでした。
そこで初めて予習をするようになりました。
…とはいえ英語だけ。
僕の行っていた高校の英語の授業は、ひたすら洋書を読むだけのもの。
予習として単語を調べ、全文を訳して、それで授業中に解説を聞いて
ようやく授業についていけるという感じのもの。
それが週に6日ありますから、基本的に毎日、英語の予習をしていました。
それで勉強していたつもりになっていた僕は
数学や物理、化学、歴史、地理などは
ほとんどノータッチで日々を過ごしていたようなものでした。
テスト直前の2,3週間で全教科をカバーする感じ。
当然、出来が悪い。
最初のテストでは、中学校のときに取ったことのない残念な点数となり
それにひどくショックを受けたのを覚えています。
つまり勉強の仕方を知らなかったんです。
そこから少しずつ、どうすれば定期テストの点数が取れるかを理解していきました。
付属校だったので大学受験を考えなくてよかったので
僕の発想としては基礎力をつけるとかではなく、
ただ良い成績だけを取り続けることが目的となっていました。
そのため、毎日勉強しなくても点数が取れるものは放っておき、
最低限の勉強の量で点数を取るようなコツを掴んだんだと思います。
徐々にクラスの中で成績も上がっていったようですが、
僕よりも成績が優秀らしい人は他にもいましたし
あまり勉強のことを気にせずに過ごしていたので、
ここでもやはり「勉強が得意」という認識には至りませんでした。
もしかしたら成績優秀だった同級生の中には
毎日コツコツと勉強していたのもいたかもしれませんし、
授業中も真面目に取り組んでいた人もいたのかもしれません。
ですが、僕は周りに合わせて浮かないようにするという意図で
他の皆と同じように、真面目に授業を聞かないスタイルを取っていたんです。
先生の似顔絵を机の上に描いている毎日でした。
もし本当に授業が楽しくて、ヤル気があって、遠慮しなかったら
僕はもっと勉強に対して真面目に取り組んでいた可能性もあると思えます。
でも僕は「勉強が得意」なタイプだと思っていなかったこと、
それに加えて「学校で全力を見せてはいけない」と学んでいて
皆に合わせるように毎日を過ごそうとしていたこととがあったために、
『本気を出す』ことをしていなかったようです。
そしてその傾向は大学に入っても続きます。
必要最低限の勉強によってテストで点数を取る。
今にして思い返せば、本当の意味での勉強をしていたとはいえない気がします。
大学四年から研究室に配属され、毎日を研究室で過ごすようになっても
しばらくは本気を見せないスタイルが続きました。
興味のあった生物化学の研究室でしたから
そこでの勉強は楽しかったんです。
初めて積極的に学ぼうとし始めた時期だと思います。
そうしてヤル気になると、僕の好奇心や、知識の関連のさせ方、
そこから生まれるアイデアのあたりは、一気に大きなものとなりました。
一言でいえば、毎日研究室に行くのが楽しかったんです。
勉強するのも、考えるのも、作業をするのも、工夫をするのも、意見交換するのも。
自分の研究テーマや、同じ研究グループのテーマだけに限らず、
研究室のメンバー全員の目的と手法と進捗を理解しようとしていました。
そんなことをしていたのは僕ぐらいだったんだと思い返されます。
また、小学校のころから培ってきた空気を読む能力が役立ちました。
ゼミでディスカッションするとき、相手の知識と視点とを踏まえ、
抜け落ちているところを相手が気づくように質問する。
このあたりの広い興味の範囲と、流れを読んだディスカッションの仕方とで
当時の僕は徐々に皆から認められる存在になっていったようでした。
そして、研究室最後の一年となった修士課程2年生のとき。
僕は10数年ぶりに、学校で本気を出していました。
先輩の大部分が卒業(修了)して、数人の博士課程の先輩がいても
事実上の最上級生として扱われるようになる頃には、
かなり好き勝手に毎日を過ごさせてもらっていたように思います。
思う存分、自分の考えをアウトプットしても
それを受け入れてもらえているような関係性があったんでしょう。
それでも先輩や同級生への気遣いと
後輩への指導の視点は前提だったと思いますが。
この気遣いを含みながらも「思う存分にやれる」という楽しさは
その後しばらくの間続きました。
研究職として過ごした期間でも、やはり気遣いを交えながらも
自分の考えを主張して受け入れてもらえる関係性がありました。
それから、コミュニケーションだとか心理だとかを勉強するようになっても
遠慮せずに取り組める時期があったんです。
それは先生に恵まれていたためだと思います。
素直にインプットさせてもらえる喜びがありましたし、
深く考えた上での質問をしても、その深さに沿った答えを教えてもらえました。
ある意味では、研究者の頃や、コミュニケーションを勉強中だった頃は
素直で謙虚だったのかもしれません。
分からないから聞く。
分からないから可能性を広げようとする。
分からないから自分なりに考えて、その考えに対する意見を求める。
土台に「分からないから」という素直さがあったのではないか、と。
その「分からないから」という気持ちが
素直に「分かりたい」という願望を生み出し、
分かりたいから遠慮なく勉強しようとしたのではないかと思えます。
ですが、いつの頃からか、そうした素直さがなくなったみたいです。
「勉強が得意」だとは思っていなかったからこそ、
「遠慮せずに取り組める」場があったときに
素直さと謙虚さをもって、好きなことを思う存分学べた。
その一方で、思う存分、遠慮なく取り組んだため
段々と理解度が深まっていくことになった。
分からないことを素直に質問できる先生も減っていき、
遠慮せずに取り組める場も減っていったのだろうと思われます。
だから「遠慮せずに思いっきり取り組みたい」という願望が
内面の奥底から沸いていたんじゃないか、と。
でも「遠慮せずに意見を述べる」ということに関しては
もう受け入れられる場がないような気がします。
いや、もうわざわざ主張しなくても良いのかもしれません。
相手に合わせて気を配って関わり方を調整する。
その中に、エキスパート同士として尊敬しあえるような関係があると
心地良くいられるんでしょう。
遠慮を尊敬に、
気遣いを気配りに、
素直さを信頼に…
そんな感じで取り組めたらと良さそうです。
僕は小学校の2,3年生ぐらいから
長いこと遠慮をし続けていました。
小学校の一年生ぐらいのときは奔放で
周りを気にすることなく過ごしていたものです。
でも小学校2年生あたりから少しずつ
空気を読むようになっていきました。
一年生の頃は、授業中も発言しまくっていましたし
学級会などでも議長として場をコントロールしていた覚えがあります。
それがやがて場の空気を読むことを覚えていったんです。
僕が授業中に答えてしまったら、同級生の答える時間がない。
分かっているからといって、何でも発言していいわけではない。
誰も答えられず、先生の顔が困り出したころにだけ答えるようになりました。
また、たしか一年生の頃だったかと思いますが、授業参観日に
親と一緒に学校内の展示物を見て回る時間があったんです。
教室や廊下などに児童の絵や工作などが並んでいて、
それを見て回るという時間。
そのとき学年でも絵が上手いと評判だった子の描いた運動会の絵を見て
徒競走をする子供の右手と右足が同時に前に出ていることに気づき
「お母さん、これ手と足が一緒だね」
と言って、母から
「そういうことは言うもんじゃありません!」
と怒られたのも記憶に鮮明です。
思ったことは何でも口に出していいものではない
ということを、様々な経験を通じて学んでいった時期だったのでしょう。
とりわけ「分かる」、「できる」ということについては
それを隠すようにする必要があるかのように振る舞っていたものです。
そして皆との足並みが揃ってみえるように工夫しながら授業を受ける。
小学校ぐらいですと、勉強だけではなく
生活面で先生から注意されることもあるものですが、
そのときだって僕は皆に合わせていました。
皆が反省して自分で答えを出すまで待つ。
どういう対応をしたら先生の期待した方向に展開するかを読み
タイミングを見て皆にヒントを出すようなことをしてみたり。
皆がドッヂボールをやりたいと授業中に騒いでいるときも
先生の困った顔を見て、全体に巻き込まれずに黙っていたり、
先生の機嫌によっては同級生の側にまぎれたりしていました。
僕の中には先生の側の視点も含めて、
「他の人は今どういう状態で、何を求めているか?」
を察しようとする傾向が強かったようです。
だから遠慮する。
分かっていても、自分の得意なことでも
その場で求められることに合わせて抑えていたんだと思います。
成績については、紙のテストであれば隠す必要がなかったのか
特に家で勉強したりはしていなかったですが、良いほうだったようです。
比べたわけではないので分からないものの、
小学生なのにイミダス(当時流行っていた最新用語の百科事典のような本)を
暇さえあれば読みふけっていたりしていた記憶がありますから、
変な知識とかは多かったのかもしれません。
それでも、いわゆる受験勉強をしたことのなかった僕は
中学入学と同時に通うようになった近所の学習塾で
全然テストの点数が取れないことを思い知りました。
そのため僕の中には「勉強ができる」という自己認識は生まれなかったんです。
それから地道に塾の宿題を繰り返したり、演習問題を解いたりしているうちに
チョットずつ成績が上がっていって、なんとか志望校に合格できました。
ところが、中学校の同級生に勉強のできる子が多く、
同じ学年から国立へ2人、御三家へ1人、早慶に4人進学するという
一般的な公立中学校にしては珍しい年代にいたため、
僕は決して勉強が得意という認識を持たなかったんです。
同じクラスに、全国模試で偏差値90とか全国一位とかばかりを取るのがいれば
それは自分の成績と比較して評価してしまったのも無理はないでしょう。
そして高校に入ったら、同級生は皆、勉強の得意な人たちです。
しかも僕の中学時代の成績は、
ただ塾で出された問題をやるだけで身についた
トレーニングの成果でしかなかったんです。
いわば、義務教育の9年間、自分で勉強したことがなかった。
やらなかった小学生時代と、やらされていただけの中学生時代。
高校に入ったら、今度は自分で勉強をしないといけませんでした。
そこで初めて予習をするようになりました。
…とはいえ英語だけ。
僕の行っていた高校の英語の授業は、ひたすら洋書を読むだけのもの。
予習として単語を調べ、全文を訳して、それで授業中に解説を聞いて
ようやく授業についていけるという感じのもの。
それが週に6日ありますから、基本的に毎日、英語の予習をしていました。
それで勉強していたつもりになっていた僕は
数学や物理、化学、歴史、地理などは
ほとんどノータッチで日々を過ごしていたようなものでした。
テスト直前の2,3週間で全教科をカバーする感じ。
当然、出来が悪い。
最初のテストでは、中学校のときに取ったことのない残念な点数となり
それにひどくショックを受けたのを覚えています。
つまり勉強の仕方を知らなかったんです。
そこから少しずつ、どうすれば定期テストの点数が取れるかを理解していきました。
付属校だったので大学受験を考えなくてよかったので
僕の発想としては基礎力をつけるとかではなく、
ただ良い成績だけを取り続けることが目的となっていました。
そのため、毎日勉強しなくても点数が取れるものは放っておき、
最低限の勉強の量で点数を取るようなコツを掴んだんだと思います。
徐々にクラスの中で成績も上がっていったようですが、
僕よりも成績が優秀らしい人は他にもいましたし
あまり勉強のことを気にせずに過ごしていたので、
ここでもやはり「勉強が得意」という認識には至りませんでした。
もしかしたら成績優秀だった同級生の中には
毎日コツコツと勉強していたのもいたかもしれませんし、
授業中も真面目に取り組んでいた人もいたのかもしれません。
ですが、僕は周りに合わせて浮かないようにするという意図で
他の皆と同じように、真面目に授業を聞かないスタイルを取っていたんです。
先生の似顔絵を机の上に描いている毎日でした。
もし本当に授業が楽しくて、ヤル気があって、遠慮しなかったら
僕はもっと勉強に対して真面目に取り組んでいた可能性もあると思えます。
でも僕は「勉強が得意」なタイプだと思っていなかったこと、
それに加えて「学校で全力を見せてはいけない」と学んでいて
皆に合わせるように毎日を過ごそうとしていたこととがあったために、
『本気を出す』ことをしていなかったようです。
そしてその傾向は大学に入っても続きます。
必要最低限の勉強によってテストで点数を取る。
今にして思い返せば、本当の意味での勉強をしていたとはいえない気がします。
大学四年から研究室に配属され、毎日を研究室で過ごすようになっても
しばらくは本気を見せないスタイルが続きました。
興味のあった生物化学の研究室でしたから
そこでの勉強は楽しかったんです。
初めて積極的に学ぼうとし始めた時期だと思います。
そうしてヤル気になると、僕の好奇心や、知識の関連のさせ方、
そこから生まれるアイデアのあたりは、一気に大きなものとなりました。
一言でいえば、毎日研究室に行くのが楽しかったんです。
勉強するのも、考えるのも、作業をするのも、工夫をするのも、意見交換するのも。
自分の研究テーマや、同じ研究グループのテーマだけに限らず、
研究室のメンバー全員の目的と手法と進捗を理解しようとしていました。
そんなことをしていたのは僕ぐらいだったんだと思い返されます。
また、小学校のころから培ってきた空気を読む能力が役立ちました。
ゼミでディスカッションするとき、相手の知識と視点とを踏まえ、
抜け落ちているところを相手が気づくように質問する。
このあたりの広い興味の範囲と、流れを読んだディスカッションの仕方とで
当時の僕は徐々に皆から認められる存在になっていったようでした。
そして、研究室最後の一年となった修士課程2年生のとき。
僕は10数年ぶりに、学校で本気を出していました。
先輩の大部分が卒業(修了)して、数人の博士課程の先輩がいても
事実上の最上級生として扱われるようになる頃には、
かなり好き勝手に毎日を過ごさせてもらっていたように思います。
思う存分、自分の考えをアウトプットしても
それを受け入れてもらえているような関係性があったんでしょう。
それでも先輩や同級生への気遣いと
後輩への指導の視点は前提だったと思いますが。
この気遣いを含みながらも「思う存分にやれる」という楽しさは
その後しばらくの間続きました。
研究職として過ごした期間でも、やはり気遣いを交えながらも
自分の考えを主張して受け入れてもらえる関係性がありました。
それから、コミュニケーションだとか心理だとかを勉強するようになっても
遠慮せずに取り組める時期があったんです。
それは先生に恵まれていたためだと思います。
素直にインプットさせてもらえる喜びがありましたし、
深く考えた上での質問をしても、その深さに沿った答えを教えてもらえました。
ある意味では、研究者の頃や、コミュニケーションを勉強中だった頃は
素直で謙虚だったのかもしれません。
分からないから聞く。
分からないから可能性を広げようとする。
分からないから自分なりに考えて、その考えに対する意見を求める。
土台に「分からないから」という素直さがあったのではないか、と。
その「分からないから」という気持ちが
素直に「分かりたい」という願望を生み出し、
分かりたいから遠慮なく勉強しようとしたのではないかと思えます。
ですが、いつの頃からか、そうした素直さがなくなったみたいです。
「勉強が得意」だとは思っていなかったからこそ、
「遠慮せずに取り組める」場があったときに
素直さと謙虚さをもって、好きなことを思う存分学べた。
その一方で、思う存分、遠慮なく取り組んだため
段々と理解度が深まっていくことになった。
分からないことを素直に質問できる先生も減っていき、
遠慮せずに取り組める場も減っていったのだろうと思われます。
だから「遠慮せずに思いっきり取り組みたい」という願望が
内面の奥底から沸いていたんじゃないか、と。
でも「遠慮せずに意見を述べる」ということに関しては
もう受け入れられる場がないような気がします。
いや、もうわざわざ主張しなくても良いのかもしれません。
相手に合わせて気を配って関わり方を調整する。
その中に、エキスパート同士として尊敬しあえるような関係があると
心地良くいられるんでしょう。
遠慮を尊敬に、
気遣いを気配りに、
素直さを信頼に…
そんな感じで取り組めたらと良さそうです。