2015年06月05日
「相手を信じる」の罠
誤解を恐れずに言ってしまえば、
「相手(クライアント)を100%信じる」
なんていう人は、
自ら何かをしようとはしないはずです。
自分が役に立つと思う手法や考え方を広めようとしたり、
カウンセリングやコーチングのセッションや
セミナーに「集客」しようとしたりもしないでしょう。
なぜなら「大丈夫だ」と100%信じているんですから。
「絶対大丈夫なんだから、自分が何かをする必要なんてない」
と思うほうが当然です。
自分が良いと思ったものを広めようとするのは
そのほうが良くなると感じているからに他なりません。
少なくとも
「何もしないよりは、これをやったほうがいい」
という思いがあるはずです。
相談にのることを仕事とするのも同様です。
「自分が関わったほうが上手くいく」
「一人で困っているよりも自分に相談してもらったほうがいい」
という思いがある。
そうでなければ、わざわざ自分から動こうとしないでしょう。
何も、そういう気持ちがあることが問題だというのではありません。
それは自然なことだと思います。
ただ
「相手(クライアント)を信じる」という耳触りの良い言葉を鵜呑みにして
自分の本心を自覚しにくくなる可能性を知っておくのも意味がある
という話です。
「相手(クライアント)を信じる」という『心構え』が役に立つのは
自分が相手(クライアント)を何とかしてやろうとしてしまう
傾向がある時期だといえます。
そんなに自分が頑張らなくても、相手は勝手に上手くやっていく。
そういう実感を持てると、関わり方が楽になるだけでなく
相手の自立も促しやすくなる、という現実的なメリットがあります。
「案外、大丈夫なもんだ」と思えるぐらいで充分な範囲かもしれません。
ところが
「相手(クライアント)を信じる」という言い回しを
金科玉条のように扱い始めてしまうと、
その考えに反する自分の気持ちに目を背けてしまいかねません。
素直に自分のやっていることを勧めにくい気持ちが出てきたり…。
逆に、あまりに美しいお題目として頼り始めると、
自分が本当は「相手(クライアント)を信じる」ことをしていないことに
気づかなくなってしまう可能性もあります。
つまり、「素晴らしいものなんだから広めたい!」という思いが過剰になり、
結果として「どうせ大丈夫だ」という信頼をどの程度もっているかを
気にしなくなってしまう、ということです。
一見すると素晴らしそうなフレーズだからこそ
頼り過ぎると盲点ができてしまう。
そのことを自覚しながら
自分の気持ちを丁寧に感じつつ自分の活動と向き合うのも、
自分の思いと世の中とのバランスを取るのに役立つ、と考えられます。
「本当に100%相手のことを信じていたら
わざわざ自分から他人に何かをしようとはしない。」
これを1つの極と考える。
そして対極に、
「自分が救わなければ他人はダメになってしまう」
を置く。
この両端を想定しながら、自分の立ち位置をモニターしておくと
丁度いいところを見つけやすいのではないでしょうか。
「相手(クライアント)を100%信じる」
なんていう人は、
自ら何かをしようとはしないはずです。
自分が役に立つと思う手法や考え方を広めようとしたり、
カウンセリングやコーチングのセッションや
セミナーに「集客」しようとしたりもしないでしょう。
なぜなら「大丈夫だ」と100%信じているんですから。
「絶対大丈夫なんだから、自分が何かをする必要なんてない」
と思うほうが当然です。
自分が良いと思ったものを広めようとするのは
そのほうが良くなると感じているからに他なりません。
少なくとも
「何もしないよりは、これをやったほうがいい」
という思いがあるはずです。
相談にのることを仕事とするのも同様です。
「自分が関わったほうが上手くいく」
「一人で困っているよりも自分に相談してもらったほうがいい」
という思いがある。
そうでなければ、わざわざ自分から動こうとしないでしょう。
何も、そういう気持ちがあることが問題だというのではありません。
それは自然なことだと思います。
ただ
「相手(クライアント)を信じる」という耳触りの良い言葉を鵜呑みにして
自分の本心を自覚しにくくなる可能性を知っておくのも意味がある
という話です。
「相手(クライアント)を信じる」という『心構え』が役に立つのは
自分が相手(クライアント)を何とかしてやろうとしてしまう
傾向がある時期だといえます。
そんなに自分が頑張らなくても、相手は勝手に上手くやっていく。
そういう実感を持てると、関わり方が楽になるだけでなく
相手の自立も促しやすくなる、という現実的なメリットがあります。
「案外、大丈夫なもんだ」と思えるぐらいで充分な範囲かもしれません。
ところが
「相手(クライアント)を信じる」という言い回しを
金科玉条のように扱い始めてしまうと、
その考えに反する自分の気持ちに目を背けてしまいかねません。
素直に自分のやっていることを勧めにくい気持ちが出てきたり…。
逆に、あまりに美しいお題目として頼り始めると、
自分が本当は「相手(クライアント)を信じる」ことをしていないことに
気づかなくなってしまう可能性もあります。
つまり、「素晴らしいものなんだから広めたい!」という思いが過剰になり、
結果として「どうせ大丈夫だ」という信頼をどの程度もっているかを
気にしなくなってしまう、ということです。
一見すると素晴らしそうなフレーズだからこそ
頼り過ぎると盲点ができてしまう。
そのことを自覚しながら
自分の気持ちを丁寧に感じつつ自分の活動と向き合うのも、
自分の思いと世の中とのバランスを取るのに役立つ、と考えられます。
「本当に100%相手のことを信じていたら
わざわざ自分から他人に何かをしようとはしない。」
これを1つの極と考える。
そして対極に、
「自分が救わなければ他人はダメになってしまう」
を置く。
この両端を想定しながら、自分の立ち位置をモニターしておくと
丁度いいところを見つけやすいのではないでしょうか。





