2015年12月01日
慣れの力
慣れというのはスゴイものだなぁと実感します。
色々なことが重なってバタバタしていた時期も
そろそろまとまりが見え始めてきました。
もうじき平常運転といった感じのところだと考える一方で
慌ただしい時期を過ごしていると、そっちが「平常」になるようです。
ちょっと前まで「この時間にあれをやらなきゃ」と思っていたのが無くなると
何をしてもいいはずの時間がポッカリと退屈なものに感じられてしまいます。
余裕のある時期が続いていれば、むしろ当たり前で安心しながら
「じゃあ、今日はこれをやっておこう」なんて気軽に思えるのに
忙しさが続いてくると、少しの余裕さえも逆に落ち着かなくなる。
いかに人が『慣れ』を元に安心感を設定しているか、ということでしょう。
そして僕は、またすぐに平常運転の基準がズレるんだと思います。
知識として知っている平均値としての「平常」に慣れてきて
そこを当たり前の「平常」に設定するようになるはずです。
年末年始の休みの時期も同じです。
休みながらも落ち着かないところが混ざり、
休みに慣れてきたころには、活動に戻るのにも慣れないといけなくなる。
そういうことを考えると、自信を失って何もできなくなっている時期ほど
具体的な心の悩みを解決するようなセラピーよりも、
日々の生活スタイルを徐々に変えていって
社会の平均的な範囲に慣らすようにサポートするほうが
効果的だろうと思えてきます。
慣れないことを始めるのには勇気や覚悟がいりますから、
一歩を踏み出すための力を与えるキッカケになれるかどうかが
サポートする側として求められることなのかもしれません。
色々なことが重なってバタバタしていた時期も
そろそろまとまりが見え始めてきました。
もうじき平常運転といった感じのところだと考える一方で
慌ただしい時期を過ごしていると、そっちが「平常」になるようです。
ちょっと前まで「この時間にあれをやらなきゃ」と思っていたのが無くなると
何をしてもいいはずの時間がポッカリと退屈なものに感じられてしまいます。
余裕のある時期が続いていれば、むしろ当たり前で安心しながら
「じゃあ、今日はこれをやっておこう」なんて気軽に思えるのに
忙しさが続いてくると、少しの余裕さえも逆に落ち着かなくなる。
いかに人が『慣れ』を元に安心感を設定しているか、ということでしょう。
そして僕は、またすぐに平常運転の基準がズレるんだと思います。
知識として知っている平均値としての「平常」に慣れてきて
そこを当たり前の「平常」に設定するようになるはずです。
年末年始の休みの時期も同じです。
休みながらも落ち着かないところが混ざり、
休みに慣れてきたころには、活動に戻るのにも慣れないといけなくなる。
そういうことを考えると、自信を失って何もできなくなっている時期ほど
具体的な心の悩みを解決するようなセラピーよりも、
日々の生活スタイルを徐々に変えていって
社会の平均的な範囲に慣らすようにサポートするほうが
効果的だろうと思えてきます。
慣れないことを始めるのには勇気や覚悟がいりますから、
一歩を踏み出すための力を与えるキッカケになれるかどうかが
サポートする側として求められることなのかもしれません。