2015年12月10日
発音研究者の発音
英語音声についての学会が開催する講演会に行ってみました。
ゲストスピーカーはイギリス人で
発音トレーニングを専門にしている人。
発音記号の無料オンライン辞書を作ったとのことで
そのプログラムの紹介やデモについての講演でした。
プログラムそのものは、単語のイギリス発音を調べられたり
共通するスペルを含む単語を調べられたり
それぞれの単語の使用頻度を調べられたりするもの。
単語の意味を調べる目的ではなく、
単語のスペルと発音の関係を調べるのが趣旨だといえます。
英語を教える人が教材を作るときに
適切なお題を探すうえで役に立つプログラムだと感じました。
同じ発音で違うスペルのもの。
似た発音になるもの。
同じスペルなのに違う発音になるパターン。
そうした比較をしながら発音トレーニングをすることは多々ありますが、
そのときに適切なお題を探すのが楽になりそうなツールでした。
僕自身が使うかどうかは抜きにして
専門家の間では面白いツールなんだろうと感じます。
ですが、内容以上に僕が興味を持ったのは
学会という場そのものです。
仲の良さそうな大学の先生方や、同窓生が集まって
挨拶をして、近況報告をして、狭い専門分野だけについて話をする。
英語関係で、しかも日本の学会ですから
余計に特殊なのかもしれません。
来ている人たちは英語を専門に研究する大学の先生か
その研究室の学生たち、あるいは
OBで英語関係の仕事を続けている人たちといった様子。
誰ひとりとして英語ネイティブはいませんでした。
日本人の英語の学会ですから。
英語に興味を持って、自分で英語を勉強している
もしくは勉強して英語を身につけ、仕事にしている人たち。
もっと英語が上手い日本人は沢山います。
専門が英語以外で英語が上手い人は多いんです。
ネイティブのバイリンガルだったり、
幼少期からある時期までの教育期間を海外で過ごしていたりすると
かなり日本語と近いレベルで英語を使えるようになるようです。
そういう人に数多く出会いましたし、
なかには英語のほうが日本語よりも得意な人たちも大勢いました。
ただ、日本の英語関係の学会に参加する人は
どうやら必ずしも英語がスムーズなわけではないようだったんです。
あくまで研究素材であって、自分が上手くなるのが第一の目的ではない。
学生や初級者向けの教育をしたりするうえで役に立てたり
日本人向けの情報発信に役立てたりする人が大半みたいでした。
もちろん見事に使いこなす人もいたはずです。
少なくとも一人は確認できました。
それでも英語音声に関する学会にもかかわらず
発音にこだわっている人が非常に少ない。
オーガナイザーらしき教授は完全なカタカナ英語だったぐらいです。
発音や音声について研究するのが目的であって
自分が使えることが目的ではないんでしょう。
学問というのはそんな世界なんだろうと感じました。
日本にいながら英語を研究して
日本人の学生を相手に英語教育をして毎日を過ごすのは、
英語圏の国で英語でコミュニケーションしながら
別の目的の活動をするのとは、英語の使用頻度が違います。
人によっては自然と発音やイントネーションが身につく場合もあるでしょう。
語学やコミュニケーション、経営や心理といった分野は
日常的にツールとして使われるものだからこそ、
それを教育したり研究したりする観点と
それを当たり前に使っていく観点とで
大きなギャップを生みやすいのかもしれません。
トレーニングか実践、いずれにしても経験の量と質が上達を決めるわけですが、
客観的になり過ぎると経験の量が減ってしまいかねないんだと思います。
研究するのか、教育するのか、実践するのか。
どの分野でも違いがあるものなんでしょう。
ゲストスピーカーはイギリス人で
発音トレーニングを専門にしている人。
発音記号の無料オンライン辞書を作ったとのことで
そのプログラムの紹介やデモについての講演でした。
プログラムそのものは、単語のイギリス発音を調べられたり
共通するスペルを含む単語を調べられたり
それぞれの単語の使用頻度を調べられたりするもの。
単語の意味を調べる目的ではなく、
単語のスペルと発音の関係を調べるのが趣旨だといえます。
英語を教える人が教材を作るときに
適切なお題を探すうえで役に立つプログラムだと感じました。
同じ発音で違うスペルのもの。
似た発音になるもの。
同じスペルなのに違う発音になるパターン。
そうした比較をしながら発音トレーニングをすることは多々ありますが、
そのときに適切なお題を探すのが楽になりそうなツールでした。
僕自身が使うかどうかは抜きにして
専門家の間では面白いツールなんだろうと感じます。
ですが、内容以上に僕が興味を持ったのは
学会という場そのものです。
仲の良さそうな大学の先生方や、同窓生が集まって
挨拶をして、近況報告をして、狭い専門分野だけについて話をする。
英語関係で、しかも日本の学会ですから
余計に特殊なのかもしれません。
来ている人たちは英語を専門に研究する大学の先生か
その研究室の学生たち、あるいは
OBで英語関係の仕事を続けている人たちといった様子。
誰ひとりとして英語ネイティブはいませんでした。
日本人の英語の学会ですから。
英語に興味を持って、自分で英語を勉強している
もしくは勉強して英語を身につけ、仕事にしている人たち。
もっと英語が上手い日本人は沢山います。
専門が英語以外で英語が上手い人は多いんです。
ネイティブのバイリンガルだったり、
幼少期からある時期までの教育期間を海外で過ごしていたりすると
かなり日本語と近いレベルで英語を使えるようになるようです。
そういう人に数多く出会いましたし、
なかには英語のほうが日本語よりも得意な人たちも大勢いました。
ただ、日本の英語関係の学会に参加する人は
どうやら必ずしも英語がスムーズなわけではないようだったんです。
あくまで研究素材であって、自分が上手くなるのが第一の目的ではない。
学生や初級者向けの教育をしたりするうえで役に立てたり
日本人向けの情報発信に役立てたりする人が大半みたいでした。
もちろん見事に使いこなす人もいたはずです。
少なくとも一人は確認できました。
それでも英語音声に関する学会にもかかわらず
発音にこだわっている人が非常に少ない。
オーガナイザーらしき教授は完全なカタカナ英語だったぐらいです。
発音や音声について研究するのが目的であって
自分が使えることが目的ではないんでしょう。
学問というのはそんな世界なんだろうと感じました。
日本にいながら英語を研究して
日本人の学生を相手に英語教育をして毎日を過ごすのは、
英語圏の国で英語でコミュニケーションしながら
別の目的の活動をするのとは、英語の使用頻度が違います。
人によっては自然と発音やイントネーションが身につく場合もあるでしょう。
語学やコミュニケーション、経営や心理といった分野は
日常的にツールとして使われるものだからこそ、
それを教育したり研究したりする観点と
それを当たり前に使っていく観点とで
大きなギャップを生みやすいのかもしれません。
トレーニングか実践、いずれにしても経験の量と質が上達を決めるわけですが、
客観的になり過ぎると経験の量が減ってしまいかねないんだと思います。
研究するのか、教育するのか、実践するのか。
どの分野でも違いがあるものなんでしょう。