2016年03月22日
青い鳥と続編
たぶん2012年だったかと思いますが、
あるセミナーに参加をしてイメージワークをやっていたとき
森の中を子供が走り回っているようなイメージが出てきたことがあります。
何かを探し求めて走り続ける感じ。
アンデルセンとかグリム童話に出てきそうな洋風の服装だったのもあり、
ワークが終わった後、そういう内容の童話が気になり始めました。
で、「これは『青い鳥』に一番近いんじゃないか?」と思って
その日の帰りに本屋に寄って、『青い鳥』を買って帰ることにしたんです。
最初は子供向けの絵本のコーナーを探しました。
とりあえず2冊ぐらい(出版の系統が異なる)は見つかりましたが
あまりにもアッサリした内容だったのと、あまりにも子供向け過ぎだったので
「せめて小学生ぐらい向けのものはないか?」と調べてみました。
そして『青い鳥』で検索したところ、文庫本で
メーテルリンク原作の『青い鳥』があることが判明。
童話『あおい鳥』は、戯曲『青い鳥』のアレンジのようでした。
せっかくならということで、文庫本のほうを購入。
読んでみると、僕が知っていた『あおい鳥』とは別の話にさえ感じられます。
もちろん話の流れは同じです。
チルチルとミチルが青い鳥を探しに行く。
見つからない。
帰ってきたら家にいる。
しかし『青い鳥』は「幸せの青い鳥」ではありませんでした。
実際、「幸せ」はチルチルの冒険の中で、別の形で登場します。
あきらかに「幸せ」と「青い鳥」は別物だというのを示しているといえます。
一言でいうと、とても深い。
示唆に富んでいるといいますか、メタファーのようでした。
ところどころに出てくる描写が、世の中の理を説いているようでもあり、
同時に全体として、内面の探究のプロセスを描いているようでもあります。
「青」は『真理』の象徴なのかもしれません。
Amazonなどで検索して気づくのは
著者のメーテルリンクという人が『青い鳥』以外にも多くの著作を残し、
その中には死後の世界への考察や哲学的な内容が多いということ。
そうしたことからもメーテルリンク自身が内面の探究を通して
「自分とは何か?」ということを深く理解したのではないかと思えます。
ちなみに『青い鳥』の続きのような話として
『チルチルの青春』という本があります。
こちらは子供向け(小学生ぐらいが対象?)の翻訳しかありません。
絶版だったので、僕は埼玉県の図書館まで読みに行きました。
こちらも実に示唆に富んでいます。
それを「示唆」や「メタファー」として捉えられるのか
ただの「架空の設定」として捉えるのかの違いは、
読む人によるところが大きいのでしょう。
僕が『チルチルの青春』を読んだのは2016年に入ってからです。
2012年に『青い鳥』を読んで、そのままの流れで続きに進んでいても
きっと僕には読みとれなかったことが多かったと思います。
「帽子の額のところにつけられた宝石を回すと
今まで見えなかったものが見えてくる」
『青い鳥』にも『チルチルの青春』にも共通する設定は
「世の中をどのように見られるか」という本人の捉え方を言っている気がします。
込められたメッセージに気づくには、僕の捉え方さえも
変わっている必要があったのかもしれません。
僕にとってのメーテルリンクは、しみじみと感じいることの多い著者なんでしょう。
あるセミナーに参加をしてイメージワークをやっていたとき
森の中を子供が走り回っているようなイメージが出てきたことがあります。
何かを探し求めて走り続ける感じ。
アンデルセンとかグリム童話に出てきそうな洋風の服装だったのもあり、
ワークが終わった後、そういう内容の童話が気になり始めました。
で、「これは『青い鳥』に一番近いんじゃないか?」と思って
その日の帰りに本屋に寄って、『青い鳥』を買って帰ることにしたんです。
最初は子供向けの絵本のコーナーを探しました。
とりあえず2冊ぐらい(出版の系統が異なる)は見つかりましたが
あまりにもアッサリした内容だったのと、あまりにも子供向け過ぎだったので
「せめて小学生ぐらい向けのものはないか?」と調べてみました。
そして『青い鳥』で検索したところ、文庫本で
メーテルリンク原作の『青い鳥』があることが判明。
童話『あおい鳥』は、戯曲『青い鳥』のアレンジのようでした。
せっかくならということで、文庫本のほうを購入。
読んでみると、僕が知っていた『あおい鳥』とは別の話にさえ感じられます。
もちろん話の流れは同じです。
チルチルとミチルが青い鳥を探しに行く。
見つからない。
帰ってきたら家にいる。
しかし『青い鳥』は「幸せの青い鳥」ではありませんでした。
実際、「幸せ」はチルチルの冒険の中で、別の形で登場します。
あきらかに「幸せ」と「青い鳥」は別物だというのを示しているといえます。
一言でいうと、とても深い。
示唆に富んでいるといいますか、メタファーのようでした。
ところどころに出てくる描写が、世の中の理を説いているようでもあり、
同時に全体として、内面の探究のプロセスを描いているようでもあります。
「青」は『真理』の象徴なのかもしれません。
Amazonなどで検索して気づくのは
著者のメーテルリンクという人が『青い鳥』以外にも多くの著作を残し、
その中には死後の世界への考察や哲学的な内容が多いということ。
そうしたことからもメーテルリンク自身が内面の探究を通して
「自分とは何か?」ということを深く理解したのではないかと思えます。
ちなみに『青い鳥』の続きのような話として
『チルチルの青春』という本があります。
こちらは子供向け(小学生ぐらいが対象?)の翻訳しかありません。
絶版だったので、僕は埼玉県の図書館まで読みに行きました。
こちらも実に示唆に富んでいます。
それを「示唆」や「メタファー」として捉えられるのか
ただの「架空の設定」として捉えるのかの違いは、
読む人によるところが大きいのでしょう。
僕が『チルチルの青春』を読んだのは2016年に入ってからです。
2012年に『青い鳥』を読んで、そのままの流れで続きに進んでいても
きっと僕には読みとれなかったことが多かったと思います。
「帽子の額のところにつけられた宝石を回すと
今まで見えなかったものが見えてくる」
『青い鳥』にも『チルチルの青春』にも共通する設定は
「世の中をどのように見られるか」という本人の捉え方を言っている気がします。
込められたメッセージに気づくには、僕の捉え方さえも
変わっている必要があったのかもしれません。
僕にとってのメーテルリンクは、しみじみと感じいることの多い著者なんでしょう。