2016年10月17日
中道でバランスをとる
上手くいかなくなったら逆のアプローチをしてみる。
それによって解決されることは非常に多いようです。
とても本質的な話なのかもしれません。
実際、悩みが生まれるときの大部分は、
その人の強みが空回りし出したときです。
例えば、一人で切り抜ける力強さを持った人が頑張って成果を出してくると
人が周りに集まってきて規模が大きくなってきたりします。
すると一人では対応しきれなくなり、他の人に一部を任せる必要が出てくる。
そのときに「一人で切り抜ける」という、それまでに培ってきた強みが裏目に出て
他人を信頼して委ねるとか、人に期待をかけて育てるといったことが難しくなる、と。
そこで求められるのは、一人で切り抜ける力強さよりも、むしろ真逆な
他人の個性を尊敬しながら協力して取り組む強調性となります。
あるいは、他人に気を配って優しくするという親切心が強いと
皆を支えながら円満な関係を作るのが得意でしょう。
しかし、いつでも円満で穏やかな関係性に慣れてしまうあまり、
身近に苦しそうにしている人がいることに耐えられなくなります。
気の毒で放っておけない。
親切にして、なんとか円満な状態を取り戻そうと必死になるわけです。
親切心が過干渉を生み、おせっかいとして嫌がられてしまう。
結果として自ら人間関係を壊してしまったりしがちです。
そこで必要なのは、
一人一人が自分の人生を必死で生きていることを尊重する独立心や
その人本人の力を信頼して見守る勇気のほうかもしれません。
相手を気にかけている、心配している、大切に想っているということを示しながら
本人が自ら立ち上がるときを信じて待つ。
必要なときに必要なだけの手助けができる準備をするのが最善かもしれません。
そしてそういう真逆のスタンスが身についてくると
対応の幅が大きく広がります。
両方の対応ができれば、今後似たようなケースで悩むことは少なくなるでしょう。
セラピーについても共通点があります。
「大きな心の傷を抱えていて前に進めない」
「自分が好きになれず、こんな自分を生きているのが辛い」
…そういうケースでセラピーを受けたり、セミナーに行ったりする人がいます。
この状態で気分が楽になれるのは、「そういう自分を認める」方向性でしょう。
「今のままで良いんです」
「ありのままの自分を受け入れましょう」
「あなたは既に素晴らしい」
「過去の傷を労わりましょう」
といった感じ。
この方向性のアプローチも大切だと思います。
疲れたら休むのは有意義なことと言えます。
これで楽になれて問題が解決する人がいるのも実態ですし、
そういう人がいるから、この方向性のアプローチが広まり続けると考えられます。
しかし、それでいつまでも悩みが解決しないのだとしたら
逆の方向性をやってみたほうが役立つ可能性があります。
今の自分を受け入れるのではなく、
自分が受け入れられるような「より良い」自分になるアプローチです。
少しでも前に進めるようにチョットずつ努力してみる。
コツコツと努力を重ね、「できる」自信を高めていく。
すると過去への囚われが薄れ、自信の無さゆえの苦しさも減り
社会で生きていくことが楽になってくるという流れです。
心の痛みを身体の痛みのようにイメージしてみると分かりやすい気がします。
怪我をして痛いところがある。
切り傷のようなものだとしたら、傷口がふさがるには時間がかかります。
とりあえず消毒をして絆創膏や包帯を巻いたら
(≒苦しかった気持ちを誰かに話して少し楽になる、とか)、
あとは傷口がふさがるまでは放置すると思います。
何度も絆創膏をはがして傷口を確認したり、
血が出ているところを撫でたりはしないでしょう。
かさぶたを気にして無理やり剥がしたら治りは遅くなります。
ある程度の対応をしたら、あとは普通の生活に戻るんじゃないでしょうか。
もちろん、無理な行動をして傷口に負荷をかければ
傷口が再び開いてしまうこともあるでしょう。
傷の深さによっては安静にする時期も必要です。
一方で、傷がふさがってきているのに寝たきりでいる必要もありません。
むしろ寝たきりで動かないことで全身の筋力が衰え身体は固まり、
全身に様々な不具合が出てきてしまうこともあります。
だから適度なタイミングでリハビリをするんです。
(≒小さな目標をコツコツ達成して自信を高めていくアプローチ)
そして日常を取り戻し、傷口が完全にふさがった頃が、
その部分の強張りに目を向ける時期かもしれません。
傷跡が気になるとか、抜糸が必要だとか、
動かさなかった部分のリハビリが必要だとか。
痛い場所だけを安静にしていれば、そこに歪みが残ることがあります。
傷そのものは治ったとしても後遺症のようなものが残っている。
そんなときにするのがセラピーだというイメージかと思います。
もう痛みは忘れているし、傷も治っている。
でも思い切って何かをしようとすると、その場所をかばう癖があって
縮こまってしまうために全力が出せない。
そこで全身の自然な機能のバランスを取り戻すために
傷口あたりの強張りを取るようなアプローチをする、と。
つまり、
・セラピーは傷が治ってきてリハビリができる時期になってからする、
・傷が生々しくて動けなければ安静にする、
・傷口がふさがってきたら無理のない範囲で出来ることをする、
といった方針が有効だろうという話です。
あとは本人がその傷の程度を把握できるかどうかです。
把握を誤れば、効果的でないアプローチをしてしまうかもしれません。
そういうときこそ、違う方向性を考えてみると良いようです。
すべてを均等にやることがバランスの良さではなく、
真逆と思えることをも上手くこなせるのが「真ん中」なのではないでしょうか。
どっちでもないから真ん中なのではなく、
どっちもできるから真ん中でバランスが取れる。
しかもヤジロベエのように、両端に重りがあるほど
その安定感は高まるような気がします。
それによって解決されることは非常に多いようです。
とても本質的な話なのかもしれません。
実際、悩みが生まれるときの大部分は、
その人の強みが空回りし出したときです。
例えば、一人で切り抜ける力強さを持った人が頑張って成果を出してくると
人が周りに集まってきて規模が大きくなってきたりします。
すると一人では対応しきれなくなり、他の人に一部を任せる必要が出てくる。
そのときに「一人で切り抜ける」という、それまでに培ってきた強みが裏目に出て
他人を信頼して委ねるとか、人に期待をかけて育てるといったことが難しくなる、と。
そこで求められるのは、一人で切り抜ける力強さよりも、むしろ真逆な
他人の個性を尊敬しながら協力して取り組む強調性となります。
あるいは、他人に気を配って優しくするという親切心が強いと
皆を支えながら円満な関係を作るのが得意でしょう。
しかし、いつでも円満で穏やかな関係性に慣れてしまうあまり、
身近に苦しそうにしている人がいることに耐えられなくなります。
気の毒で放っておけない。
親切にして、なんとか円満な状態を取り戻そうと必死になるわけです。
親切心が過干渉を生み、おせっかいとして嫌がられてしまう。
結果として自ら人間関係を壊してしまったりしがちです。
そこで必要なのは、
一人一人が自分の人生を必死で生きていることを尊重する独立心や
その人本人の力を信頼して見守る勇気のほうかもしれません。
相手を気にかけている、心配している、大切に想っているということを示しながら
本人が自ら立ち上がるときを信じて待つ。
必要なときに必要なだけの手助けができる準備をするのが最善かもしれません。
そしてそういう真逆のスタンスが身についてくると
対応の幅が大きく広がります。
両方の対応ができれば、今後似たようなケースで悩むことは少なくなるでしょう。
セラピーについても共通点があります。
「大きな心の傷を抱えていて前に進めない」
「自分が好きになれず、こんな自分を生きているのが辛い」
…そういうケースでセラピーを受けたり、セミナーに行ったりする人がいます。
この状態で気分が楽になれるのは、「そういう自分を認める」方向性でしょう。
「今のままで良いんです」
「ありのままの自分を受け入れましょう」
「あなたは既に素晴らしい」
「過去の傷を労わりましょう」
といった感じ。
この方向性のアプローチも大切だと思います。
疲れたら休むのは有意義なことと言えます。
これで楽になれて問題が解決する人がいるのも実態ですし、
そういう人がいるから、この方向性のアプローチが広まり続けると考えられます。
しかし、それでいつまでも悩みが解決しないのだとしたら
逆の方向性をやってみたほうが役立つ可能性があります。
今の自分を受け入れるのではなく、
自分が受け入れられるような「より良い」自分になるアプローチです。
少しでも前に進めるようにチョットずつ努力してみる。
コツコツと努力を重ね、「できる」自信を高めていく。
すると過去への囚われが薄れ、自信の無さゆえの苦しさも減り
社会で生きていくことが楽になってくるという流れです。
心の痛みを身体の痛みのようにイメージしてみると分かりやすい気がします。
怪我をして痛いところがある。
切り傷のようなものだとしたら、傷口がふさがるには時間がかかります。
とりあえず消毒をして絆創膏や包帯を巻いたら
(≒苦しかった気持ちを誰かに話して少し楽になる、とか)、
あとは傷口がふさがるまでは放置すると思います。
何度も絆創膏をはがして傷口を確認したり、
血が出ているところを撫でたりはしないでしょう。
かさぶたを気にして無理やり剥がしたら治りは遅くなります。
ある程度の対応をしたら、あとは普通の生活に戻るんじゃないでしょうか。
もちろん、無理な行動をして傷口に負荷をかければ
傷口が再び開いてしまうこともあるでしょう。
傷の深さによっては安静にする時期も必要です。
一方で、傷がふさがってきているのに寝たきりでいる必要もありません。
むしろ寝たきりで動かないことで全身の筋力が衰え身体は固まり、
全身に様々な不具合が出てきてしまうこともあります。
だから適度なタイミングでリハビリをするんです。
(≒小さな目標をコツコツ達成して自信を高めていくアプローチ)
そして日常を取り戻し、傷口が完全にふさがった頃が、
その部分の強張りに目を向ける時期かもしれません。
傷跡が気になるとか、抜糸が必要だとか、
動かさなかった部分のリハビリが必要だとか。
痛い場所だけを安静にしていれば、そこに歪みが残ることがあります。
傷そのものは治ったとしても後遺症のようなものが残っている。
そんなときにするのがセラピーだというイメージかと思います。
もう痛みは忘れているし、傷も治っている。
でも思い切って何かをしようとすると、その場所をかばう癖があって
縮こまってしまうために全力が出せない。
そこで全身の自然な機能のバランスを取り戻すために
傷口あたりの強張りを取るようなアプローチをする、と。
つまり、
・セラピーは傷が治ってきてリハビリができる時期になってからする、
・傷が生々しくて動けなければ安静にする、
・傷口がふさがってきたら無理のない範囲で出来ることをする、
といった方針が有効だろうという話です。
あとは本人がその傷の程度を把握できるかどうかです。
把握を誤れば、効果的でないアプローチをしてしまうかもしれません。
そういうときこそ、違う方向性を考えてみると良いようです。
すべてを均等にやることがバランスの良さではなく、
真逆と思えることをも上手くこなせるのが「真ん中」なのではないでしょうか。
どっちでもないから真ん中なのではなく、
どっちもできるから真ん中でバランスが取れる。
しかもヤジロベエのように、両端に重りがあるほど
その安定感は高まるような気がします。