2016年11月04日
訂正してもらう
読書時間が少なくなってきた僕にとって意外と貴重なのが
出張の移動時間です。
帰りは体力的にボロボロで、ほとんど本が読めませんから
行きの新幹線や飛行機が、本を読む主な時間になっています。
羽田空港にはモノレールで行くのがいつものルートなので
途中、浜松町にある「文教堂(ブックストア談)」で
本を買ったり、購入予定の目星をつけたり。
以前、山口県に住んでいたときも、
お盆休みや年末年始で東京に帰ってきたら
飛行機で山口に戻る途中に、よくこの本屋に立ち寄っていたものです。
で、最近買った中で面白かったのがこちら。
それほど新しい本ではありませんが
英語教育や英語学習の内容として楽しめます。
主に大学生の英作文指導を例として、
日本人英語学習者が陥りがちなミスを紹介してくれています。
しかも、そのルーツが中学校英語の教科書にあるというのを
実際に文章を引用しながら示している。
日本の英語教育の出発点が、かなり不自然なことを教えている
というのをまざまざと見せつけられる感じでした。
明らかな文法間違いをそのまま教科書に載せてしまっているケースもあれば、
カリキュラムの都合上、誤った文法で誤魔化したものが教科書に載ったケース、
そもそも教科書作成者がネイティブではないために不自然になったケースなど、
色々とおかしなポイントが指摘されています。
冠詞の使い分けや、動詞のイメージなど
ネイティヴでなければ掴みにくい内容もあって、
この辺りは教育の問題点というよりも
外国語学習では避けられない言語上のギャップにも思えました。
個人的に勉強になったのは接続詞のあたり。
アメリカ人の論理の感性を
「私ならこう伝える」という形で補足してくれます。
例として挙げられる日本人大学生の英文で
論理展開に飛躍が大きいのは、文化的にも仕方ない気もします。
学校教育でも論理のトレーニングはなされないし、
相手の考えの理由を汲み取るのを受け取り手の責任とするのも
文脈を汲み取る日本語コミュニケーションの特徴のようです。
著者は中学英語の教科書や大学生の英作文から
論理の問題点を指摘して、(英語)教育の問題のように
見ているように受け取れましたが、
この点は日本人全体に根づいた文化とも言えそうな気がします。
ともあれ、色々と興味深い指摘があって楽しめる本でした。
英語学習として役に立つ度合いとしては、
「このような問題点にいつ取り組むか?」
という点で考えさせられます。
もちろん初期教育から気にしていれば
後から苦労しなくて済む部分でしょう。
一方、ネイティヴの感性と結びついた部分は
身につけるのが大変な部分でもありそうです。
多少不自然でも、そこそこ使える…
というのも役には立つと思われます。
既に日本の学校教育で英語を勉強した人からすると、
ネイティヴにとって自然な英語に修正するのは
意外と骨の折れる作業かもしれません。
自然さにこだわるより、
そこそこコミュニケーションできるのが必要なこともある。
そう考えると、英文や単語のシンプルさに反して
意外と高度な内容の本なのかもしれません。
日常会話ですぐに気をつけられるものもありましたし、
使っていた教科書の問題を指摘してもらえるのは
「えー、そうだったんだ!」という驚きもあって
誰でも楽しめる本だとは思います。
ただし、それを自分で役立てるとなると
対象は限定されそうな印象も受けました。
ちなみに僕としては
間違った文章を例として挙げて
それを訂正する
という本の形式が参考になりました。
正しいやり方、効果的な方法だけでなく
ありがちな間違いを指摘する形だと、
自分が添削されている気分になって
記憶に定着しそうな気がします。
出張の移動時間です。
帰りは体力的にボロボロで、ほとんど本が読めませんから
行きの新幹線や飛行機が、本を読む主な時間になっています。
羽田空港にはモノレールで行くのがいつものルートなので
途中、浜松町にある「文教堂(ブックストア談)」で
本を買ったり、購入予定の目星をつけたり。
以前、山口県に住んでいたときも、
お盆休みや年末年始で東京に帰ってきたら
飛行機で山口に戻る途中に、よくこの本屋に立ち寄っていたものです。
で、最近買った中で面白かったのがこちら。
それほど新しい本ではありませんが
英語教育や英語学習の内容として楽しめます。
主に大学生の英作文指導を例として、
日本人英語学習者が陥りがちなミスを紹介してくれています。
しかも、そのルーツが中学校英語の教科書にあるというのを
実際に文章を引用しながら示している。
日本の英語教育の出発点が、かなり不自然なことを教えている
というのをまざまざと見せつけられる感じでした。
明らかな文法間違いをそのまま教科書に載せてしまっているケースもあれば、
カリキュラムの都合上、誤った文法で誤魔化したものが教科書に載ったケース、
そもそも教科書作成者がネイティブではないために不自然になったケースなど、
色々とおかしなポイントが指摘されています。
冠詞の使い分けや、動詞のイメージなど
ネイティヴでなければ掴みにくい内容もあって、
この辺りは教育の問題点というよりも
外国語学習では避けられない言語上のギャップにも思えました。
個人的に勉強になったのは接続詞のあたり。
アメリカ人の論理の感性を
「私ならこう伝える」という形で補足してくれます。
例として挙げられる日本人大学生の英文で
論理展開に飛躍が大きいのは、文化的にも仕方ない気もします。
学校教育でも論理のトレーニングはなされないし、
相手の考えの理由を汲み取るのを受け取り手の責任とするのも
文脈を汲み取る日本語コミュニケーションの特徴のようです。
著者は中学英語の教科書や大学生の英作文から
論理の問題点を指摘して、(英語)教育の問題のように
見ているように受け取れましたが、
この点は日本人全体に根づいた文化とも言えそうな気がします。
ともあれ、色々と興味深い指摘があって楽しめる本でした。
英語学習として役に立つ度合いとしては、
「このような問題点にいつ取り組むか?」
という点で考えさせられます。
もちろん初期教育から気にしていれば
後から苦労しなくて済む部分でしょう。
一方、ネイティヴの感性と結びついた部分は
身につけるのが大変な部分でもありそうです。
多少不自然でも、そこそこ使える…
というのも役には立つと思われます。
既に日本の学校教育で英語を勉強した人からすると、
ネイティヴにとって自然な英語に修正するのは
意外と骨の折れる作業かもしれません。
自然さにこだわるより、
そこそこコミュニケーションできるのが必要なこともある。
そう考えると、英文や単語のシンプルさに反して
意外と高度な内容の本なのかもしれません。
日常会話ですぐに気をつけられるものもありましたし、
使っていた教科書の問題を指摘してもらえるのは
「えー、そうだったんだ!」という驚きもあって
誰でも楽しめる本だとは思います。
ただし、それを自分で役立てるとなると
対象は限定されそうな印象も受けました。
ちなみに僕としては
間違った文章を例として挙げて
それを訂正する
という本の形式が参考になりました。
正しいやり方、効果的な方法だけでなく
ありがちな間違いを指摘する形だと、
自分が添削されている気分になって
記憶に定着しそうな気がします。