2017年04月06日
翻訳作業の難しさ
今までに何度か翻訳のお手伝いをしたことがありますが、
いずれも「英語→日本語」の訳ばかりでした。
最近、「日本語→英語」の翻訳も少しやっています。
随分と印象が違います。
決して『英作文』をやっている感じではないものの
スムーズさには大きな差があるようです。
文法も気にしなければいけませんし、
単語や言い回しが不自然にならないように、といった配慮もあります。
元の意味にできるだけ近い表現を選択しようとしたときにも
ふさわしいものを見つけるのに時間がかかります。
何より、元の日本語を読みながら、
僕自ら英語の文章を作り上げている印象があります。
一方、「英語→日本語」の場合、僕の頭の中は
受動的なモードになっています。
入ってくる英語に対応する意味が日本語で浮かんできて、
それを聞きながら書き起こすような状態です。
英語のまま捉えている意味を意識の片隅に置きつつ、
同時に直訳もしている感じ。
そして両方を組み合わせて、元のニュアンスを踏まえた
ある程度は自然な日本語に変換する作業をしているようです。
やろうと思えば直訳から意訳まで、
程度を調整できそうな印象があるんです。
だから能動的に「書く」印象はなく、
インプットされたものを流していくような体験となります。
まぁ、日本語で文章を書くとき自体も、
自分でアウトプットするというよりは、どちらかというと
浮かんでくるものを頭の中で聞いて書き取っている感じで、
『書く』というよりは『読む』に近い作業ではありますが。
それに対して「日本語→英語」の翻訳は、はるかに能動的です。
自分でライティングをしているような気分さえあります。
元の日本語のニュアンスを理解して、
それをもとに自分の中で一端、伝えるべき内容を整え
それからその頭の中の内容を英語で表現しようとする。
自分の考えを英語でアウトプットするときと似ています。
選択肢が少ないんです。
直訳も無理ではありませんが、関係代名詞などを使った修飾の仕方や
接続詞の使い方のルールなどで制約がかかるところがあって、
なかなかストレートな訳にはできません。
何よりボキャブラリーや表現方法の幅が少ないため
同じようなニュアンスを表すためのバリエーションが出ないんです。
そのため英語訳の幅が限られてしまう。
「英語→日本語」でやるような直訳〜意訳の間で
程度を調整できる範囲が狭いんだと思います。
自分の頭の中で一回理解して、自分なりにアウトプットしなおす
というステップが挟まってしまうようなんです。
この自分なりにアウトプットする感じが能動的な印象となって、
スムーズではないと感じる要因になっているんでしょう。
単純に母国語と外国語の言語能力の差だともいえますが、
日本語と英語のルールの違いにも影響を受けていそうな気もします。
英語のほうが文章構造に対して厳格なのかもしれません。
日本語は助詞を工夫すれば語順は問題ありませんし、
論理展開についても曖昧で通用してしまいます。
そのあたりも加味しながら進めるから
スムーズにならないんでしょうか。
「英語→日本語」はむしろクドくなりがちで、
そこさえ気にしなければ直訳に近い文章はすぐに作れます。
逆に「日本語→英語」は、元の日本語の曖昧さや論理の不足分を
なんとか補おうとしてしまうのかもしれません。
英語を直訳した日本語はヘンテコだけれども
それなりに意味をとらえることはできる。
日本語を直訳した英語は意味が分からなくなる場合がある。
このあたりの性質の違いも関係している気もします。
いずれにしても、僕自身の慣れが足りないところは大きそうですから
経験を積んだ後に、どんな印象が生まれてくるのかは興味があります。
アメリカやイギリス出身で「日本語→英語」の翻訳をしている人がいたら
このあたりのことを聞いてみたいとも思っています。
いずれも「英語→日本語」の訳ばかりでした。
最近、「日本語→英語」の翻訳も少しやっています。
随分と印象が違います。
決して『英作文』をやっている感じではないものの
スムーズさには大きな差があるようです。
文法も気にしなければいけませんし、
単語や言い回しが不自然にならないように、といった配慮もあります。
元の意味にできるだけ近い表現を選択しようとしたときにも
ふさわしいものを見つけるのに時間がかかります。
何より、元の日本語を読みながら、
僕自ら英語の文章を作り上げている印象があります。
一方、「英語→日本語」の場合、僕の頭の中は
受動的なモードになっています。
入ってくる英語に対応する意味が日本語で浮かんできて、
それを聞きながら書き起こすような状態です。
英語のまま捉えている意味を意識の片隅に置きつつ、
同時に直訳もしている感じ。
そして両方を組み合わせて、元のニュアンスを踏まえた
ある程度は自然な日本語に変換する作業をしているようです。
やろうと思えば直訳から意訳まで、
程度を調整できそうな印象があるんです。
だから能動的に「書く」印象はなく、
インプットされたものを流していくような体験となります。
まぁ、日本語で文章を書くとき自体も、
自分でアウトプットするというよりは、どちらかというと
浮かんでくるものを頭の中で聞いて書き取っている感じで、
『書く』というよりは『読む』に近い作業ではありますが。
それに対して「日本語→英語」の翻訳は、はるかに能動的です。
自分でライティングをしているような気分さえあります。
元の日本語のニュアンスを理解して、
それをもとに自分の中で一端、伝えるべき内容を整え
それからその頭の中の内容を英語で表現しようとする。
自分の考えを英語でアウトプットするときと似ています。
選択肢が少ないんです。
直訳も無理ではありませんが、関係代名詞などを使った修飾の仕方や
接続詞の使い方のルールなどで制約がかかるところがあって、
なかなかストレートな訳にはできません。
何よりボキャブラリーや表現方法の幅が少ないため
同じようなニュアンスを表すためのバリエーションが出ないんです。
そのため英語訳の幅が限られてしまう。
「英語→日本語」でやるような直訳〜意訳の間で
程度を調整できる範囲が狭いんだと思います。
自分の頭の中で一回理解して、自分なりにアウトプットしなおす
というステップが挟まってしまうようなんです。
この自分なりにアウトプットする感じが能動的な印象となって、
スムーズではないと感じる要因になっているんでしょう。
単純に母国語と外国語の言語能力の差だともいえますが、
日本語と英語のルールの違いにも影響を受けていそうな気もします。
英語のほうが文章構造に対して厳格なのかもしれません。
日本語は助詞を工夫すれば語順は問題ありませんし、
論理展開についても曖昧で通用してしまいます。
そのあたりも加味しながら進めるから
スムーズにならないんでしょうか。
「英語→日本語」はむしろクドくなりがちで、
そこさえ気にしなければ直訳に近い文章はすぐに作れます。
逆に「日本語→英語」は、元の日本語の曖昧さや論理の不足分を
なんとか補おうとしてしまうのかもしれません。
英語を直訳した日本語はヘンテコだけれども
それなりに意味をとらえることはできる。
日本語を直訳した英語は意味が分からなくなる場合がある。
このあたりの性質の違いも関係している気もします。
いずれにしても、僕自身の慣れが足りないところは大きそうですから
経験を積んだ後に、どんな印象が生まれてくるのかは興味があります。
アメリカやイギリス出身で「日本語→英語」の翻訳をしている人がいたら
このあたりのことを聞いてみたいとも思っています。