2019年08月13日
12年も前から
思い返せば、このブログを書き始めたのは
まだ会社にいる頃でした。
NLPの講座を受講して、おそらくトレーナーコースも行ってきて
その後も色々とセミナーに参加しまくっていた時期だと思います。
とにかく関心が強かったんです。
だから日々、様々な発見があって、新しい学びがあって、
ブログを書きながら情報を整理するような側面もあったと記憶しています。
新しい知識や経験則、技術のコツなどは
インプットされた直後では曖昧な形で記憶されているものです。
「なんとなく、こんな感じ」という情報にしかなっていない。
適切な言葉に置き換えることができていない状態です。
ブログに書くことで、それが言葉に当てはめられて
キッチリと言語化可能な情報に再構成される感じがありました。
重要なポイントが強調され、同時に余分な詳細が削り取られる。
そうやって知恵が洗練されていく印象があったものです。
これは一般にも言えることでしょう。
書いて整理すると技術も知識も洗練される。
実際、ブログに書いて整理し直した知識や技術に関しては
セミナーで話すときにもスムーズに説明できたものですし、
技術もカウンセリングやセラピーの中で
効果的に使いやすくなったのを覚えています。
それからしばらくして、自分の中で知識と経験が定着して
全体像として一貫したものが体系化されてくると、
今度はブログの内容も少し変わってきたように思います。
当初のように「新しいこと」を文字に置き換えて
知識や技術を洗練させる度合いは減りました。
むしろ、自分の中で体系化されたものがハッキリしたことで
他の人のやり方が「自分とは異なったもの」として
それまでよりも目につくようになったんです。
この頃は「自分のもの」として形作られてきた技術に関して
教わってきた先生達の想いも引き継いでいる自負がありましたし、
技術にこだわる理由としての強い想いも自分なりに持っていました。
価値観が強かったんです。
「これが大切」というスタンスがハッキリしていた。
なので、自分の考えに合わないものを見ると
反発や不快感が沸いてきていたんです。
(違和感と言ってもいい程度のものもありましたが、
違和感には少なからずネガティブな意味づけが含まれているものです。)
シンプルにいえば、嫌だったんです。
「そうじゃない」と言いたかったんです。
そういう意味では、自己主張が強かった時期だと言えます。
すると技術のポイントとか、世間で誤解されていることとか
上手く説明されていないものとか、
場合によっては街中で見かけた好ましくない場面とか、
そういったことについて解説するような形の内容が多かった気がします。
体裁としては客観的な文章を心がけてはいましたが、
本心では主観的な意見を主張していたと思います。
言いたいことがあったんです。
そういう時期。
その後、「自分」というものについて向き合うことが増えました。
「自分」の言いたいこと…を言葉にするよりも、
そもそも「自分」って何なんだろう?
みたいなことを意識する度合いが高まったことも関係していると思います。
誰かに対して主張することは、もう重要ではなくなってしまいました。
むしろ自分に何が起きているかのほうに関心が向いていた時期。
とはいえ、ブログを書き続けようという努力はしていましたから
関心が向いていることを書くぐらいしか手段が思いつかず、
自分に起こっていることを客観的に分析するような内容が多くなりました。
心理とかNLPとかコミュニケーションとかの内容を
直接的に説明するようなことは滅多に書いていなかったと思います。
それまでに培ってきた着眼点は、自動的に
心理とかコミュニケーションに目を向けさせますし、
解説する骨組みはNLPの概念になりますから、
完全にNLPから離れることはなかったはずです。
「NLPについて」書くのではなく、
自分の近況を「NLPの観点で」書く、という感じでしょう。
ところが、そうした「自分」というものについての関心も
色々と取り組んでいるうちに方向性が変わってきました。
何かに関心が向くこと、そのものが減ってきたようです。
とりたてて何にも強い関心がない。
なので最近は、本当にブログを書く内容が見つかりません。
フランス語は続けていますし、
少しずつ成果も感じられてきてはいます。
ロシア語は相変わらず複雑で、二年もやって
まだ中級に入れないぐらいの段階。
書道は仕事のスケジュールもあって
あまり時間をかけられていない状態が続いています。
ジムは身体のメンテナンスとして定期的に通っていますが、
最近はむしろ体調管理のほうが気がかりなぐらいです。
パソコン作業も頼まれて他人のためにやっている
サービス的な度合いが高まっている状況なので、
デスクワークそのものを避けたいところもあるのかもしれません。
いや、それ以上に大きいのは
自分の中から出くるものがない
ということでしょう。
なんというか、毎日を少しずつ過ごしているだけの印象。
文章を書くことに、なんとも腰が重くなってしまいました。
仕事としては厄介な部分といえそうです。
まだ会社にいる頃でした。
NLPの講座を受講して、おそらくトレーナーコースも行ってきて
その後も色々とセミナーに参加しまくっていた時期だと思います。
とにかく関心が強かったんです。
だから日々、様々な発見があって、新しい学びがあって、
ブログを書きながら情報を整理するような側面もあったと記憶しています。
新しい知識や経験則、技術のコツなどは
インプットされた直後では曖昧な形で記憶されているものです。
「なんとなく、こんな感じ」という情報にしかなっていない。
適切な言葉に置き換えることができていない状態です。
ブログに書くことで、それが言葉に当てはめられて
キッチリと言語化可能な情報に再構成される感じがありました。
重要なポイントが強調され、同時に余分な詳細が削り取られる。
そうやって知恵が洗練されていく印象があったものです。
これは一般にも言えることでしょう。
書いて整理すると技術も知識も洗練される。
実際、ブログに書いて整理し直した知識や技術に関しては
セミナーで話すときにもスムーズに説明できたものですし、
技術もカウンセリングやセラピーの中で
効果的に使いやすくなったのを覚えています。
それからしばらくして、自分の中で知識と経験が定着して
全体像として一貫したものが体系化されてくると、
今度はブログの内容も少し変わってきたように思います。
当初のように「新しいこと」を文字に置き換えて
知識や技術を洗練させる度合いは減りました。
むしろ、自分の中で体系化されたものがハッキリしたことで
他の人のやり方が「自分とは異なったもの」として
それまでよりも目につくようになったんです。
この頃は「自分のもの」として形作られてきた技術に関して
教わってきた先生達の想いも引き継いでいる自負がありましたし、
技術にこだわる理由としての強い想いも自分なりに持っていました。
価値観が強かったんです。
「これが大切」というスタンスがハッキリしていた。
なので、自分の考えに合わないものを見ると
反発や不快感が沸いてきていたんです。
(違和感と言ってもいい程度のものもありましたが、
違和感には少なからずネガティブな意味づけが含まれているものです。)
シンプルにいえば、嫌だったんです。
「そうじゃない」と言いたかったんです。
そういう意味では、自己主張が強かった時期だと言えます。
すると技術のポイントとか、世間で誤解されていることとか
上手く説明されていないものとか、
場合によっては街中で見かけた好ましくない場面とか、
そういったことについて解説するような形の内容が多かった気がします。
体裁としては客観的な文章を心がけてはいましたが、
本心では主観的な意見を主張していたと思います。
言いたいことがあったんです。
そういう時期。
その後、「自分」というものについて向き合うことが増えました。
「自分」の言いたいこと…を言葉にするよりも、
そもそも「自分」って何なんだろう?
みたいなことを意識する度合いが高まったことも関係していると思います。
誰かに対して主張することは、もう重要ではなくなってしまいました。
むしろ自分に何が起きているかのほうに関心が向いていた時期。
とはいえ、ブログを書き続けようという努力はしていましたから
関心が向いていることを書くぐらいしか手段が思いつかず、
自分に起こっていることを客観的に分析するような内容が多くなりました。
心理とかNLPとかコミュニケーションとかの内容を
直接的に説明するようなことは滅多に書いていなかったと思います。
それまでに培ってきた着眼点は、自動的に
心理とかコミュニケーションに目を向けさせますし、
解説する骨組みはNLPの概念になりますから、
完全にNLPから離れることはなかったはずです。
「NLPについて」書くのではなく、
自分の近況を「NLPの観点で」書く、という感じでしょう。
ところが、そうした「自分」というものについての関心も
色々と取り組んでいるうちに方向性が変わってきました。
何かに関心が向くこと、そのものが減ってきたようです。
とりたてて何にも強い関心がない。
なので最近は、本当にブログを書く内容が見つかりません。
フランス語は続けていますし、
少しずつ成果も感じられてきてはいます。
ロシア語は相変わらず複雑で、二年もやって
まだ中級に入れないぐらいの段階。
書道は仕事のスケジュールもあって
あまり時間をかけられていない状態が続いています。
ジムは身体のメンテナンスとして定期的に通っていますが、
最近はむしろ体調管理のほうが気がかりなぐらいです。
パソコン作業も頼まれて他人のためにやっている
サービス的な度合いが高まっている状況なので、
デスクワークそのものを避けたいところもあるのかもしれません。
いや、それ以上に大きいのは
自分の中から出くるものがない
ということでしょう。
なんというか、毎日を少しずつ過ごしているだけの印象。
文章を書くことに、なんとも腰が重くなってしまいました。
仕事としては厄介な部分といえそうです。