2019年09月02日
通訳に向いているかどうか
インターネットの検索結果が広告内容と関連するのは
もうすっかり当たり前になった感じもしますが、
広告の閲覧履歴なんかも、次の広告表示に影響するようです。
スマホでうっかり触ってしまって偶然に広告を開いてしまったりすると
その後、似たような内容のものとして表示されたりしますし。
僕の場合、外国語関連の検索をしたりすることが多く、
自然と広告にも外国語のものが多い印象を受けます。
そうはいっても英語のニーズの高さは
他の外国語と比べものになりませんから、
表示されてくる広告も当然、英語関連ばかり。
勉強法やら英語コーチングやら、英会話カフェやら、スクールやら。
先日は通訳学校の広告も出てきました。
英語力を土台から高める、という観点では
通訳のトレーニングは効果的かもしれないと感じるところもあります。
実際、チョット興味があるんです。
一方で、英語と日本語が常に行ったり来たりする状態になっていると
切り替えがどうなるのか、という心配もあります。
「通訳モード」みたいなのが出来上がるのかもしれませんが
普段、英語だけ、日本語だけを話しているときには
どういう感じになるんでしょうか?
僕が見ている感じでは、通訳をやっている人には
NLP的にいうと、1つの体験にアソシエイトしやすく
同時に抽象度の高い作業に意識が向きやすい傾向がありそうな印象です。
目の前のことに集中することができて、
しかも法則やパターンとして持っているものを
堅実に使い続けることができる。
また、要領がよくて、瞬間的にポイントを掴む能力にも長けた傾向です。
細かいことを考えすぎて進めなくなるタイプではない感じ。
実際、通訳をしている最中に、
「もっとこっちのニュアンスのほうが近いかも…」
なんて気にしている時間的余裕はないのかもしれません。
一字一句を覚えて、翻訳をするわけでもないようですし。
話の内容を押さえて、それに対応する日本語の文章に変換する。
その意味で、通訳は「translator」ではなく
「interpreter」と呼ばれるのかもしれません。
フランス語からスペイン語のように、近い言語であれば
単語と単語で一対一の変換を行って、
同じ構文を使って正確な翻訳作業もできる可能性はありそうですが、
日本語と英語のように文法的にも単語としても大きく異なる言語では
会話の最中に「翻訳」をすることは困難だと想像されます。
むしろ意味合いを理解して、元の意味合いに近い内容を
日本語に置き換える作業のほうがスムーズなんじゃないでしょうか。
だから「解釈」の意味を持つ「interpret」が使われる、と。
調べてみると、通訳学校でも要約のトレーニングをするらしいです。
一字一句を正確に覚えることより、意味を捉えることが現実的には重要…
ということを示唆しているような気がします。
ですから、ポイントを掴みとる能力が高い傾向、
チャンクアップ能力が求められる分野なのではないか、という話です。
通訳のトレーニングをするうちに、その能力が高まる人もいるでしょうし、
もともとその傾向が高い人が通訳になりやすいとも言えそうですが。
じゃあ、僕はどういう傾向かというと、
ちょうど真逆なフシがあります。
細かい違いに目が向きやすく、要領が良い方ではありません。
1つの言葉についても、極力、元の意味に近いものを探したくなってしまう。
翻訳作業なんかをすることもありますが、この理由で時間はかかるとはいえ
自然な日本語に近い言い回しで、かつ元の意味合いを維持する
という方向性のほうが得意なように思います。
よく使われる日本語の意味として曖昧なものがあったりすると、
そういう単語は選ばないように気をつけたくなってしまうんです。
例えば、NLPとか瞑想とかで出てくる「awareness」という単語。
辞書では「気づき」という訳語が与えられることが多いですが、
これは「気づいている aware」という形容詞の名詞化されたものです。
だから「気づいていること」のほうが正確なんです。
「気づき」と言ってしまうと、一般的な日本語では
「気づく」という一瞬の変化を説明する動詞が想定されやすいはずです。
「今日は、こんな気づきがありました」
「やってみて、どんな気づきがありましたか?」
のようなニュアンス。
「発見」に近いんです。
finding とか realization とかのほうが日本語の「気づき」に近い。
すごく訳しにくい言葉だと思います。
翻訳であれば、訳注をつけたり、元の単語を併記したりして
誤解を防ぎやすくすることも可能でしょう。
ですが、通訳の場合、そこまでの時間的余裕はないんだろうと思われます。
結果、多くの場合、一般的に使われる単語に置き換えて話が進む。
細部の正確さよりも、聞いている人が全体として理解できる方が
重視されるところもあるんでしょうし、なにより
聞いている側がそんなに細かいところを気にしているわけではない、
というのも大きいと思います。
話を聞いていて、一字一句を覚えている人なんていませんから。
全体の内容が掴めるようにするほうが重要なんだろうと想像します。
(もちろん、一流の通訳者になると
全体のスムーズさと、細かな単語のニュアンスと
両方を扱えるんだろうとは思いますが)
それに対して、僕の傾向としては、そういう細かい単語の意味の違いとか
理解しやすい日本語の文章構造とか、自然な言い回しとか、
全体からしたら大して重要ではない詳細に意識が向きやすいところがあります。
これだと翻訳はできても、通訳は難しいのではないか?
という気がしてなりません。
また僕は、1つのことに集中しにくい傾向も強いんです。
集中するというよりは、常に意識が分散していて
色々なことが複数、頭の中で展開している印象があります。
目の前の作業に集中できれば、少し前のことは終わったこととして
1つ1つ目の前で話されるものを着実に翻訳しやすいだろうと想像できます。
一方、複数のことを同時に意識する傾向があると
目の前の作業をやりながらも、以前のことも常に気にしている感じになる。
訳し方として複数のアイデアが浮かんできたら、
その全てを同時に意識してしまうので、選ぶ作業も負担になります。
多分、スムーズに口から言葉が出てきにくいと思います。
実際、英語のスピーキングのテストの対策講座なんかでも、何度となく
講師から「話す前にも、話しながらも、考え過ぎている」と指摘されます。
英語力を測るテストなのであって、内容は重視されていない。
だから適当に話し続けることのほうが大事。
…そうは言われても、質問されると沢山の考えが頭に浮かんできますし、
話しながらでも自分が言ったことが頭から離れません。
常に複数のことを同時進行で意識しているため
発話のスムーズさが妨げられる傾向があるようです。
まぁ、これは日本語でも起こっていることなんですが。
質問されると答えを見つけるまでに時間がかかります。
この意識を分散させやすい傾向は、物事の関連性を見つけるのに役立ちます。
なので「ポイントを掴む」という意味での要領はよくありませんが、
他のことと関連づけながら「理解する」というのには有利なようです。
ところが通訳は、自分が理解することが目的ではありません。
むしろ自分の知っている他のことが浮かんできたら、
それは気が散るだけのことになってしまいそうです。
通訳しながら「あれ?じゃあ、あれとの関連はどうなっているんだろう?」
なんて質問をするわけにはいかないわけです。
通訳としては1つ1つの話を着実に変換することが重要で、
その話の内容に疑問をもつ必要はないはずです。
…というより、むしろ疑問をもつことは
スムーズに発話するのを妨げるものにしかならないでしょう。
そして心配材料。
日本語への影響はどうなのか?ということ。
これについても、意識が分散しているのが懸念のポイントとなります。
複数が同時に意識に浮かびやすいので、
日本語を話していても頭の片隅に英語が出てくるとか、
英語を話していても日本語も同時に意識しているとか、
そういうことが起きてくるのではないか?と推測されます。
実際、英語を話していてもフランス語は浮かんでくるんです。
逆もしかり。
現時点では英語と日本語の違いの大きさからか、
英語と日本語が混ざることは少ないです。
しかし通訳トレーニングをやったら、両者の距離が近づくというか
相互変換がスムーズになるほど、混在しやすくなりそうにも思えます。
頭の裏側で常に別言語が進行するような感じになったら…。
まぁ、慣れるのかもしれませんが
意識に上がることが増えるのは負担にもなりそうですし。
ということで、通訳に向いていない個性が僕にありそうだということと、
頭の中がややこしくなりそうだということで、
今のところ通訳のトレーニングについては二の足を踏んでいる状況です。
もうすっかり当たり前になった感じもしますが、
広告の閲覧履歴なんかも、次の広告表示に影響するようです。
スマホでうっかり触ってしまって偶然に広告を開いてしまったりすると
その後、似たような内容のものとして表示されたりしますし。
僕の場合、外国語関連の検索をしたりすることが多く、
自然と広告にも外国語のものが多い印象を受けます。
そうはいっても英語のニーズの高さは
他の外国語と比べものになりませんから、
表示されてくる広告も当然、英語関連ばかり。
勉強法やら英語コーチングやら、英会話カフェやら、スクールやら。
先日は通訳学校の広告も出てきました。
英語力を土台から高める、という観点では
通訳のトレーニングは効果的かもしれないと感じるところもあります。
実際、チョット興味があるんです。
一方で、英語と日本語が常に行ったり来たりする状態になっていると
切り替えがどうなるのか、という心配もあります。
「通訳モード」みたいなのが出来上がるのかもしれませんが
普段、英語だけ、日本語だけを話しているときには
どういう感じになるんでしょうか?
僕が見ている感じでは、通訳をやっている人には
NLP的にいうと、1つの体験にアソシエイトしやすく
同時に抽象度の高い作業に意識が向きやすい傾向がありそうな印象です。
目の前のことに集中することができて、
しかも法則やパターンとして持っているものを
堅実に使い続けることができる。
また、要領がよくて、瞬間的にポイントを掴む能力にも長けた傾向です。
細かいことを考えすぎて進めなくなるタイプではない感じ。
実際、通訳をしている最中に、
「もっとこっちのニュアンスのほうが近いかも…」
なんて気にしている時間的余裕はないのかもしれません。
一字一句を覚えて、翻訳をするわけでもないようですし。
話の内容を押さえて、それに対応する日本語の文章に変換する。
その意味で、通訳は「translator」ではなく
「interpreter」と呼ばれるのかもしれません。
フランス語からスペイン語のように、近い言語であれば
単語と単語で一対一の変換を行って、
同じ構文を使って正確な翻訳作業もできる可能性はありそうですが、
日本語と英語のように文法的にも単語としても大きく異なる言語では
会話の最中に「翻訳」をすることは困難だと想像されます。
むしろ意味合いを理解して、元の意味合いに近い内容を
日本語に置き換える作業のほうがスムーズなんじゃないでしょうか。
だから「解釈」の意味を持つ「interpret」が使われる、と。
調べてみると、通訳学校でも要約のトレーニングをするらしいです。
一字一句を正確に覚えることより、意味を捉えることが現実的には重要…
ということを示唆しているような気がします。
ですから、ポイントを掴みとる能力が高い傾向、
チャンクアップ能力が求められる分野なのではないか、という話です。
通訳のトレーニングをするうちに、その能力が高まる人もいるでしょうし、
もともとその傾向が高い人が通訳になりやすいとも言えそうですが。
じゃあ、僕はどういう傾向かというと、
ちょうど真逆なフシがあります。
細かい違いに目が向きやすく、要領が良い方ではありません。
1つの言葉についても、極力、元の意味に近いものを探したくなってしまう。
翻訳作業なんかをすることもありますが、この理由で時間はかかるとはいえ
自然な日本語に近い言い回しで、かつ元の意味合いを維持する
という方向性のほうが得意なように思います。
よく使われる日本語の意味として曖昧なものがあったりすると、
そういう単語は選ばないように気をつけたくなってしまうんです。
例えば、NLPとか瞑想とかで出てくる「awareness」という単語。
辞書では「気づき」という訳語が与えられることが多いですが、
これは「気づいている aware」という形容詞の名詞化されたものです。
だから「気づいていること」のほうが正確なんです。
「気づき」と言ってしまうと、一般的な日本語では
「気づく」という一瞬の変化を説明する動詞が想定されやすいはずです。
「今日は、こんな気づきがありました」
「やってみて、どんな気づきがありましたか?」
のようなニュアンス。
「発見」に近いんです。
finding とか realization とかのほうが日本語の「気づき」に近い。
すごく訳しにくい言葉だと思います。
翻訳であれば、訳注をつけたり、元の単語を併記したりして
誤解を防ぎやすくすることも可能でしょう。
ですが、通訳の場合、そこまでの時間的余裕はないんだろうと思われます。
結果、多くの場合、一般的に使われる単語に置き換えて話が進む。
細部の正確さよりも、聞いている人が全体として理解できる方が
重視されるところもあるんでしょうし、なにより
聞いている側がそんなに細かいところを気にしているわけではない、
というのも大きいと思います。
話を聞いていて、一字一句を覚えている人なんていませんから。
全体の内容が掴めるようにするほうが重要なんだろうと想像します。
(もちろん、一流の通訳者になると
全体のスムーズさと、細かな単語のニュアンスと
両方を扱えるんだろうとは思いますが)
それに対して、僕の傾向としては、そういう細かい単語の意味の違いとか
理解しやすい日本語の文章構造とか、自然な言い回しとか、
全体からしたら大して重要ではない詳細に意識が向きやすいところがあります。
これだと翻訳はできても、通訳は難しいのではないか?
という気がしてなりません。
また僕は、1つのことに集中しにくい傾向も強いんです。
集中するというよりは、常に意識が分散していて
色々なことが複数、頭の中で展開している印象があります。
目の前の作業に集中できれば、少し前のことは終わったこととして
1つ1つ目の前で話されるものを着実に翻訳しやすいだろうと想像できます。
一方、複数のことを同時に意識する傾向があると
目の前の作業をやりながらも、以前のことも常に気にしている感じになる。
訳し方として複数のアイデアが浮かんできたら、
その全てを同時に意識してしまうので、選ぶ作業も負担になります。
多分、スムーズに口から言葉が出てきにくいと思います。
実際、英語のスピーキングのテストの対策講座なんかでも、何度となく
講師から「話す前にも、話しながらも、考え過ぎている」と指摘されます。
英語力を測るテストなのであって、内容は重視されていない。
だから適当に話し続けることのほうが大事。
…そうは言われても、質問されると沢山の考えが頭に浮かんできますし、
話しながらでも自分が言ったことが頭から離れません。
常に複数のことを同時進行で意識しているため
発話のスムーズさが妨げられる傾向があるようです。
まぁ、これは日本語でも起こっていることなんですが。
質問されると答えを見つけるまでに時間がかかります。
この意識を分散させやすい傾向は、物事の関連性を見つけるのに役立ちます。
なので「ポイントを掴む」という意味での要領はよくありませんが、
他のことと関連づけながら「理解する」というのには有利なようです。
ところが通訳は、自分が理解することが目的ではありません。
むしろ自分の知っている他のことが浮かんできたら、
それは気が散るだけのことになってしまいそうです。
通訳しながら「あれ?じゃあ、あれとの関連はどうなっているんだろう?」
なんて質問をするわけにはいかないわけです。
通訳としては1つ1つの話を着実に変換することが重要で、
その話の内容に疑問をもつ必要はないはずです。
…というより、むしろ疑問をもつことは
スムーズに発話するのを妨げるものにしかならないでしょう。
そして心配材料。
日本語への影響はどうなのか?ということ。
これについても、意識が分散しているのが懸念のポイントとなります。
複数が同時に意識に浮かびやすいので、
日本語を話していても頭の片隅に英語が出てくるとか、
英語を話していても日本語も同時に意識しているとか、
そういうことが起きてくるのではないか?と推測されます。
実際、英語を話していてもフランス語は浮かんでくるんです。
逆もしかり。
現時点では英語と日本語の違いの大きさからか、
英語と日本語が混ざることは少ないです。
しかし通訳トレーニングをやったら、両者の距離が近づくというか
相互変換がスムーズになるほど、混在しやすくなりそうにも思えます。
頭の裏側で常に別言語が進行するような感じになったら…。
まぁ、慣れるのかもしれませんが
意識に上がることが増えるのは負担にもなりそうですし。
ということで、通訳に向いていない個性が僕にありそうだということと、
頭の中がややこしくなりそうだということで、
今のところ通訳のトレーニングについては二の足を踏んでいる状況です。