2019年11月08日
東京にいながら
今年の慌ただしさのピークは過ぎたような感じです。
10月末から11月の初めにかけて約一週間、
アメリカから招聘した先生のワークショップを手伝う機会がありました。
同じ内容の講座は過去にも開催していたため
事前準備として多くのことがあったわけではありません。
先生とも既に顔見知りでしたし、その点では気楽だったともいえます。
が、セミナーの開始時間が朝の9時などと早めだったうえに
会場がお台場だったこともあって、朝のスタートが早かったんです。
なので初めて、都内にホテルをとることになりました。
自宅から片道1時間ぐらいの場所とはいえ、
往復時間として毎日2時間が節約できるのは意外と大きかったです。
先生の接待で夕飯に同行したりもありましたから
睡眠時間を確保できたのは助かりました。
僕の仕事はワークショップ中に先生がホワイトボードに書いた内容を
その場で日本語に直して提示する担当。
通訳の方が口頭の作業に専念できるように、ということです。
あとは先生の送迎。
タクシーに同行するだけですが、
日本語が話せない先生を一人でタクシーに乗せるわけにもいきませんし、
支払いのことなんかも考えると送迎係は必要だったんでしょう。
おかげさまで僕自身は、先生と話す時間を多めにいただけました。
しかしながら、自分の興味で質問をしては先生に負担をかけそうですから
なるべく無難な話をしつつ、かつ先生が関心を持ちそうな
日本文化の話あたりに終始する、というのは意外と気を遣いました。
世界各国で講座をしているせいか、文化の違いにも興味があるようで
日本文化的な配慮についても実感ができる様子だったのも印象的です。
すべてを言葉にすることなく、行為や言葉の裏に込められた
相手への気配りや敬意を汲み取り、
それに対して同様の気配りで意図を伝え返す。
ちょうど茶道をやっている人たちが
作法に込められた意図を丁寧に感じ取りあいながら
間接的にお互いの気持ちを交流する、というような感じでしょうか。
アメリカ人でありながら、そのあたりを味わえる先生のようでした。
世界中を見て回っているのもあるでしょうが、
それ以上に人の心を理解しようというスタンスが大きいと思われます。
接待で同行した天ぷら屋でも、他のお客さんの様子を見ながら
その関係性なんかを観察から見立てて話したりしていましたし。
とはいえ、心理学の知識に当てはめて
客観的に「分析」や「診断」をするのとは違います。
その人がやっている行動から気持ちを汲み取り、
その人の内面を「分かろうとする」という主観的なスタンスです。
わざわざ相手の立場に入っていって、共感をして、状況理解に繋げる。
大学の先生には珍しい、実践的な人なんだと思われます。
実際、教授になるまでの経緯も異端だったそうです。
学会や教授会からの評価を求めて論文を書いて地位を高めるのではなく、
実社会で役に立つ情報を書籍で広めたり、
学生や企業と直接のワークショップで交流して成長を促したりするうちに
人気が出てきたから大学側も教授にせざるを得なくなった…
そんなことがあったんだとか。
アカデミックな世界に身を置きながらも
あえてアカデミックな人たちのほうに背を向け、
学生や社会のほうに向いて人と関わってきた人物。
もちろん、自分の伝えている手法を誰よりも多く実践し、
自らの内面と向き合ってきたとも言っていました。
だからこそ意図的に人と関わることができて、
相手の気持ちを汲み取りながらメッセージを届けることもできるんでしょう。
僕が付き人的に気を遣っていた日本文化的な意図についても
かなりの部分を汲み取ってくれていたようでした。
それに対して直接的に言葉でコメントをしてくれることもありましたし、
それに応えるような意図を間接的な表現で示してくれることもありました。
お互いに気を遣っていて、自覚的なコミュニケーションがなされていて、
それは漫然と気軽に過ごすタイプの時間ではありませんでしたが、反面
丁寧に心を込めた時間だったともいえるかもしれません。
いろいろな意味で貴重な時間を過ごさせていただきました。
ちなみに時間的余裕があるはずの都内のホテル滞在でしたが、
自分がセミナーをやっているのとは質の違う疲労感が大きくて
のんびりした時間にはなりませんでした。
疲れて眠るだけ、といった感じ。
ある日には、急に「講座中に動画を見せたい」という話になって
その内容の書き起こしと翻訳をホテルでやったりもしました。
こちらに関しては結局、睡眠時間がむしろ削られてしまう形。
まぁ、自宅に戻っていたら終わらなかった作業でしょうから
ホテルを取っていて大正解、といったところですが。
普段だったら電車で通うような場所に泊っていることも含め
なんだか非日常的な時間だった印象です。
10月末から11月の初めにかけて約一週間、
アメリカから招聘した先生のワークショップを手伝う機会がありました。
同じ内容の講座は過去にも開催していたため
事前準備として多くのことがあったわけではありません。
先生とも既に顔見知りでしたし、その点では気楽だったともいえます。
が、セミナーの開始時間が朝の9時などと早めだったうえに
会場がお台場だったこともあって、朝のスタートが早かったんです。
なので初めて、都内にホテルをとることになりました。
自宅から片道1時間ぐらいの場所とはいえ、
往復時間として毎日2時間が節約できるのは意外と大きかったです。
先生の接待で夕飯に同行したりもありましたから
睡眠時間を確保できたのは助かりました。
僕の仕事はワークショップ中に先生がホワイトボードに書いた内容を
その場で日本語に直して提示する担当。
通訳の方が口頭の作業に専念できるように、ということです。
あとは先生の送迎。
タクシーに同行するだけですが、
日本語が話せない先生を一人でタクシーに乗せるわけにもいきませんし、
支払いのことなんかも考えると送迎係は必要だったんでしょう。
おかげさまで僕自身は、先生と話す時間を多めにいただけました。
しかしながら、自分の興味で質問をしては先生に負担をかけそうですから
なるべく無難な話をしつつ、かつ先生が関心を持ちそうな
日本文化の話あたりに終始する、というのは意外と気を遣いました。
世界各国で講座をしているせいか、文化の違いにも興味があるようで
日本文化的な配慮についても実感ができる様子だったのも印象的です。
すべてを言葉にすることなく、行為や言葉の裏に込められた
相手への気配りや敬意を汲み取り、
それに対して同様の気配りで意図を伝え返す。
ちょうど茶道をやっている人たちが
作法に込められた意図を丁寧に感じ取りあいながら
間接的にお互いの気持ちを交流する、というような感じでしょうか。
アメリカ人でありながら、そのあたりを味わえる先生のようでした。
世界中を見て回っているのもあるでしょうが、
それ以上に人の心を理解しようというスタンスが大きいと思われます。
接待で同行した天ぷら屋でも、他のお客さんの様子を見ながら
その関係性なんかを観察から見立てて話したりしていましたし。
とはいえ、心理学の知識に当てはめて
客観的に「分析」や「診断」をするのとは違います。
その人がやっている行動から気持ちを汲み取り、
その人の内面を「分かろうとする」という主観的なスタンスです。
わざわざ相手の立場に入っていって、共感をして、状況理解に繋げる。
大学の先生には珍しい、実践的な人なんだと思われます。
実際、教授になるまでの経緯も異端だったそうです。
学会や教授会からの評価を求めて論文を書いて地位を高めるのではなく、
実社会で役に立つ情報を書籍で広めたり、
学生や企業と直接のワークショップで交流して成長を促したりするうちに
人気が出てきたから大学側も教授にせざるを得なくなった…
そんなことがあったんだとか。
アカデミックな世界に身を置きながらも
あえてアカデミックな人たちのほうに背を向け、
学生や社会のほうに向いて人と関わってきた人物。
もちろん、自分の伝えている手法を誰よりも多く実践し、
自らの内面と向き合ってきたとも言っていました。
だからこそ意図的に人と関わることができて、
相手の気持ちを汲み取りながらメッセージを届けることもできるんでしょう。
僕が付き人的に気を遣っていた日本文化的な意図についても
かなりの部分を汲み取ってくれていたようでした。
それに対して直接的に言葉でコメントをしてくれることもありましたし、
それに応えるような意図を間接的な表現で示してくれることもありました。
お互いに気を遣っていて、自覚的なコミュニケーションがなされていて、
それは漫然と気軽に過ごすタイプの時間ではありませんでしたが、反面
丁寧に心を込めた時間だったともいえるかもしれません。
いろいろな意味で貴重な時間を過ごさせていただきました。
ちなみに時間的余裕があるはずの都内のホテル滞在でしたが、
自分がセミナーをやっているのとは質の違う疲労感が大きくて
のんびりした時間にはなりませんでした。
疲れて眠るだけ、といった感じ。
ある日には、急に「講座中に動画を見せたい」という話になって
その内容の書き起こしと翻訳をホテルでやったりもしました。
こちらに関しては結局、睡眠時間がむしろ削られてしまう形。
まぁ、自宅に戻っていたら終わらなかった作業でしょうから
ホテルを取っていて大正解、といったところですが。
普段だったら電車で通うような場所に泊っていることも含め
なんだか非日常的な時間だった印象です。